カミサマなんて許さない
マスター名:香月丈流
シナリオ形態: ショート
EX
難易度: やや難
参加人数: 10人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/10/19 19:43



■オープニング本文

 泰国から伝わった言葉で『禍福(かふく)は糾(あざな)える縄の如し』という故事成句を御存知だろうか?
 端的に説明すると、『幸福と不幸は表裏一体で、より合せた縄のように交互にやってくる』という意味である。
 実際、失敗が思わぬ成功を導き出したり、幸運が不幸の原因になる事も少なくない。良くも悪くも、この言葉は人生の厳しさを示しているのだろう。
 だが……世の中には『取り返しのつかない不幸』に陥り、絶望に沈んで這い上がれない者も居る。
「父さん…母さん…姉さん…」
 椅子に体を預け、力無く呟く少年が1人。歳は恐らく、15歳前後。彼の声に応える者は無く、室内は不気味な程に静まり返っていた。首を回して周囲を見渡すが、虚ろな瞳に映るのは、血に染まった風景ばかりである。
 数週間前まで、この家は明るい笑顔で溢れていた。父と母、娘と息子…絵に描いたような、仲の良い4人家族。少年の周りには、温もりがあった。
 その日常は、ほんの一瞬で崩れ去る。少年が友人の家に泊まりに行った日、この街で惨殺事件が発生。標的になったのが、少年の家族である。
 事件を一言で説明するなら『凄惨』という表現しか出来ない。家の中は血に染まり、被害に遭った3人は…人の形をしていなかった。バラバラになった骸は、家中に散らばっていたらしい。
 物音と悲鳴に気付いた近隣住人が、すぐに奉行所に通報。大勢の役人が現場に急行し、犯人を取り囲んだ。逃げ場を失った犯人は、高笑いしながら自刃。悪夢のような事件は、幕を下ろした。
 少年がそれを知ったのは、全てが終わった後である。幸か不幸か、彼が宿泊したのは隣町の友人宅。事件の報せは届かず、少年は一夜にして家族を全員失った。
「カミサマ…何で、守ってくれなかったの?」
 言葉と共に、大粒の涙が流れ落ちる。彼の家では、神教会を崇拝していた。『唯一絶対なる神の御許に、全ての民は平等』というのが神教会の教えなのだが…少年の心に、やり場のない怒りが込み上げる。
 無惨に殺された家族。
 肉親を失い、悲しみに堕とされた自分。
 無関係の人間を斬殺し、自らも命を絶った犯人。
 その全てが『平等』なのか?
 何の罪も無い者と、猟奇的な殺人犯が、平等で良いのか?
 全ての民が平等なら、神様は何故家族を助けてくれなかった…!
 そんな想いが、少年の中で渦を巻く。家族を失った悲しみ、犯人への憎悪と、神への八つ当たりにも似た怒り…負の感情が、次から次へと湧いてくる。
「そうだ…カミサマが悪いんだ。カミサマが守ってくれなかったから…僕は今1人なんだ…!」
 虚ろだった瞳に、復讐の炎が燃え上がる。それに呼応するように、周囲から暗紫色の霧が集まり始めた。
 瘴気。
 アヤカシにとって、怒りや悲しみ、絶望は絶好のエサと言っても過言ではない。少年の感情が、瘴気を呼び寄せてしまったのだろう。
 集まった瘴気が、少年を飲み込んでいく。怒りも、悲しみも、憎しみも、全てを吸収するように。
「僕ハ…カミサマを許さなイ……復讐スルんだ…絶対ニ!!」
 瘴気が巨大な人型を成し、怒りの宿った双眸が紅い光を放つ。獣のような咆哮を上げると、少年は窓を蹴破って街に躍り出た。
 突然現れた異形の存在に、周囲から悲鳴が上がる。そんな事は一切気にせず、少年はゆっくりと街の北部へと歩き始めた。
 転んだ住人を無視し、石を投げられても見向きもしない。棒で殴り掛かる命知らずな者も居たが、完全に無視している。
 街の北側にある物、少年が目的地にしそうな場所…それは。
『復讐スルんだ…教会なんテ、要らない…』
 地の底から響いてくるような、低い声。この街の北西には、教会が建っている。『神への復讐』という言葉を実行するため、神に関わる施設を全て破壊するつもりなのだろう。
 少年がゆっくりと歩を進める中、住人達がギルドへ駆ける。この街と、少年の命運は、開拓者の手に委ねられた。


■参加者一覧
アルクトゥルス(ib0016
20歳・女・騎
成田 光紀(ib1846
19歳・男・陰
ウルシュテッド(ib5445
27歳・男・シ
イデア・シュウ(ib9551
20歳・女・騎
ヒビキ(ib9576
13歳・男・シ
月夜見 空尊(ib9671
21歳・男・サ
須賀 なだち(ib9686
23歳・女・シ
須賀 廣峯(ib9687
25歳・男・サ
ミヒャエル・ラウ(ic0806
38歳・男・シ
浪 鶴杜(ic1184
26歳・男・巫


■リプレイ本文


 教会から響き渡る、荘厳な歌声。美しい聖歌の大合唱とは裏腹に、教会の外では喧騒が広がり始めていた。それは徐々に大きくなり、不意に入口のドアが開け放たれる。
 突然の事に、教会の大合唱が一瞬で止んだ。全員の視線が集まる中、ドアの奥には人影が2つ。その2人に向かって、神父らしき男性が怒りの形相で詰め寄る。
「な…何ですか貴方達は! 神の御前ですよ!?」
「非礼は詫びさせて頂く。が、今は早急に避難して欲しい。この場にアヤカシが接近しているのだ」
 謝罪の言葉を口にしつつも、危機を伝えるミヒャエル・ラウ(ic0806)。教会の避難を促すため、彼等は先行して駆けつけたのだ。
 ミヒャエルの言葉に、混乱が瞬時に広がっていく。本当は今すぐにでも逃げたいが…情報を伝えたのは、見ず知らずの男性。安易に信じて良いのか否か、誰もが迷っているようだ。
「落ち着いて聞いてくれ。アヤカシは今、大通りを北上中。『教会なんて要らない』という言葉を発している」
 詳しく状況を説明するため、ウルシュテッド(ib5445)は静かに言葉を続ける。
「敵が何故教会を狙っているか分からないが、俺達開拓者が必ず守ってみせるよ。だから、大通りと教会から離れて欲しい」
 そこまで言って、ウルシュテッドとミヒャエルはドアの横に移動した。緑と青の瞳が、教会内の全員を見渡す。その真っ直ぐな視線に、嘘や偽りは無い。
 数秒の沈黙の後、誰からともなく教会から避難を始めた。
「教会の内外を問わず、全員避難してくれ。騒ぎが収まるまで、教会近隣には近付かないよう留意したまえ」
 避難する一般人達に、ミヒャエルが念を押す。無関係な人々を、アヤカシとの戦闘に巻き込むワケにはいかない。全員が避難した後、2人は残った者が居ないか、周囲を見回った。


 ほぼ同時刻。大通り北側では、開拓者3人が別れて避難誘導を進めていた。
「いいから、さっさと逃げろってんだよ! トロトロしてんじゃねえ!」
 怒声にも似た、須賀 廣峯(ib9687)の注意が飛ぶ。口調は乱暴だが、怒っているワケではない。接近しつつあるアヤカシから、人々を遠ざけようとしているだけなのだ。
「アヤカシはここを北上してるから、東か西に逃げて! 絶対、南に行ったら駄目だよ?」
 小柄な体を大きく動かしながら、逃げ道を指示するヒビキ(ib9576)。周辺の地理を確認し、アヤカシに遭遇しない避難経路を算出。その道筋を説明し、誘導していく。
「アヤカシは私達に任せ、皆様は焦らず確実に避難してくださいませ」
 おっとりした口調で、須賀 なだち(ib9686)は人々に優しく語り掛ける。一般人を逃がしながらも、教会に近付かないように警告する事も忘れない。
「『慌てず急げ』って、言うは易しだよね…」
 避難指示をしていたヒビキは、思わず苦笑いを浮かべた。急ぐ事と慌てる事は、全く違う。だが、この状況で『慌てるな』というのは、相当難しいだろう。口から出そうになった言葉を飲み込み、ヒビキは指示を続けた。
 3人の活躍で、大通りの一般人がどんどん少なくなっていく。周辺の人影がなくなり、喧騒が静けさに変わる頃、なだちと廣峯は大通りの端で合流した。
「どうやら、避難は終わったみてぇだな。アヤカシの野郎が来る前に、行くぜ!」
 廣峯の言葉に、なだちが静かに頷く。そのまま、2人は教会を目指して駆け出した。
 今回のアヤカシの最終目的は、教会。それ以外の事に全く興味がないのか、街中で暴れる素振りは微塵もない。なら、人々の居る街中で戦うよりも、郊外の教会で戦った方が、被害は少ないだろう。
「廣くん…私の事、護って下さいますか?」
 隣を走る夫に向かって、なだちが微笑みながら問い掛ける。彼女の言動に、廣峯は反射的に顔を背けた。
「けっ、阿呆。当たり前の事聞くんじゃねェよ…」
 照れ臭そうに、小声で言葉を返す。なだちから表情が見えないが、恐らく廣峯は真っ赤になっているだろう。
「ふふっ、アナタが居れば怖いもの無しですね」
 嬉しそうに微笑み、なだちは手を伸ばして彼の手を握った。一瞬驚きながらも、廣峯は妻の手を握り返す。戦闘前に、互いの絆を確かめ会った2人。固く手を繋ぎ、肩を並べて駆けていく。


 人々の悲鳴と怒号が入り混じり、混乱が街中を支配する。その元凶となっているのは、アヤカシ。いや…正確には『瘴気に飲まれた少年』だ。
 外見は獅子の獣人に似ているが、巨体を構成しているのは濃紺のオーラ。中には少年が居るが…その事実を知っているのは、開拓者だけである。
 人混みに押され、老婆が体勢を崩す。彼女の体が地面に付くより早く、大きな手が老婆を支えた。
「おっと…大丈夫ですか? 裏通りなら人が少ないですから、ここよりは安全に避難出来ると思いますよ」
 言いながら、浪 鶴杜(ic1184)が優しく微笑む。老婆は軽く礼を述べ、裏通りに向かって歩きだした。
 アヤカシの出現した現場は、他の場所よりも混乱が酷い。そのため、ここには多くの開拓者が来ていた。アヤカシを尾行し、周囲に被害を出さないために。
「騒ぐな。大人しくしてれば、このアヤカシは襲ってこない。興味本位で近付くな…!」
 アヤカシに近付こうとしている野次馬に向かって、アルクトゥルス(ib0016)が注意を飛ばす。鋭い眼光と威圧感に圧倒され、住人はコクコクと何度も頷いて走り去った。
(ただの少年が異形と化すとは、珍しい事例だな。少々、観察させて貰うとしようか)
 屋根の上から周囲の様子を眺めながら、不敵な笑みを浮かべる成田 光紀(ib1846)。今回のアヤカシに興味を引かれたのか、一挙手一投足を注視している。
 光紀が観察する中、1人の少年が石を拾い上げた。視線の先に在るのは、アヤカシの背中。これから彼が何をするか、想像するのは簡単だろう。
 その動きに気付いた月夜見 空尊(ib9671)は、少年の腕を優しく掴んだ。
「止めよ、小童。後は我に任せ、避難を…」
 穏やかだが、力強い口調。銀色の瞳に見詰められ、少年は石を手放した。空尊はそっと手を伸ばし、子供の頭をポンポンと叩く。少年が微笑みを返して駆け出すと、再び周囲を見渡した。
 今回のアヤカシは変わり者らしく、人間を襲おうとしない。目の前に『倒れている少女』が居ても、気にする様子が全く無い。
「危ない!」
 叫びながら、イデア・シュウ(ib9551)はアヤカシの前に飛び出して少女を抱き上げた。そのまま、少女を守りながら地面を転がる。アヤカシが通り過ぎた事を確認し、イデアは少女を立たせた。
「怪我は…ありませんね? 今のうちに逃げて下さい」
 短く要件を伝え、イデアは視線をアヤカシに移す。その背後で、少女の感謝の言葉と、走り去る音が聞こえた。
「イデアさん、ちょっと失礼しますね?」
 警戒を続けるイデアの腕を、鶴杜が優しく掴む。二の腕に刻まれた、赤い線…それは、彼女が少女を助けた時に負った傷だろう。
 鶴杜はそっと手をかざし、優しい風を生み出した。治癒の力が傷に作用し、負傷を治していく。
 開拓者の指示で避難が進む中、数人の若者が角材や農具を手にアヤカシの前に立ち塞がった。恐らく、自分達で街を護るために、勇気を振り絞っているのだろう。
 しかし、それは『勇気』ではなく『無謀』でしかない。通路を塞がれたアヤカシは、ゆっくりと腕を振り上げた。『障害は排除して進む』という、分かり易い意志表示である。
「馬鹿が…おい、アヤカシ! こっちを見ろ!」
 舌打ちしつつ、アルクトゥルスはアヤカシの視界で盾を掲げた。その前面には、大きな十字が描かれている。教会と同じ、荘厳な十字架が。
『十字架…教会…カミサマ、復讐すル!!』
 怒りの叫びを上げながら、アヤカシはアルクトゥルスに突撃。彼女は大きな横道や脇道に移動し、住人と住宅に被害を与えないように走っていく。
 それを追い、他の4人も駆け出した。イデアと鶴杜は、若者達への注意を忘れない。
「神への恨みに呑まれるか…」
 目の前を走るアヤカシを眺めながら、独り呟く空尊。その声は、風と共に消えていった。


 開拓者達が避難誘導を始めてから、数時間。ヒビキ、なだち、廣峯の三人は教会に到着し、ウルシュテッド、ミヒャエルと合流。アヤカシの出現を警戒し、周囲に注意を向けていた。
 緊迫した空気が流れる中、5人の視界に白銀色の光が映る。その正体は、アヤカシを先導するアルクトゥルス。アヤカシの後ろから、光紀、イデア、空尊、鶴杜も追って来ている。
「どうやら…来たみたいですね。皆様、準備は良いですか?」
 なだちの言葉に、全員が静かに頷く。5人が兵装を握り直すと、アヤカシの動きが不意に止まった。
『大きナ…十字架…教会、カミサマ! 壊ス!!』
 怒りを込め、獣のような雄叫びを上げる。その姿は、血に飢えた野獣にしか見えない。四肢を地面について背を弓なりに反らせると、アヤカシは教会に向かって突進した。
 その進路を邪魔するように、アルクトゥルスと廣峯が道を塞ぐ。敵の動きに合わせて兵装を構え、アヤカシの突撃を受け止めた。
「お前には悪いが、ここは通してやれんな」
「そういう事だ。教会を壊してぇなら、俺達を倒してからにしやがれ!」
 衝撃が全身を駆け抜ける中、不敵な笑みを浮かべる2人。その態度が気に障ったのか、アヤカシは低く唸りながら爪を振り上げた。
「止めるんだ! このまま怒りに呑まれては、心まで怪物になってしまうぞ!」
 ウルシュテッドの叫びが周囲に響く。その言葉に反応したのか、アヤカシの動きが止まった。振り上げた爪が、小刻みに震えている。
 呼び掛けに反応したという事は、少年の心は完全にアヤカシと化していないのだろう。
「おいらは大事な人を失った事がないから、少年に共感出来ないけど…心の痛みは想像出来る。命を張ってでも、助ける価値はあるよね」
「ならば、先ずは多方向から仕掛けて瘴気を削るべきだな。体幹ではなく、末端部分に攻撃を集中させよう」
 少年を助けたいという気持ちは、ヒビキもミヒャエルも…ここに居る全員が同じである。そのためには、瘴気を消費させてオーラを薄めなくてはならない。
 ミヒャエルは瞬間的に加速し、敵の背後に回り込む。肘打ちを当てて姿勢を崩し、逆の腕で斬撃を放った。切先が敵の腕を斬り裂き、瘴気が吹き出す。
 赤色と黄金色の二槍を手に、アヤカシの左側からヒビキが急接近。虚撃を織り交ぜた槍撃が宙を奔り、アヤカシの両足を地面ごと貫いた。敵の的にならないよう、槍を引き抜きながら後方に跳び退く。
 なだちは自身の幻影を生み出し、姿を二重にダブらせた。その状態で右側から距離を詰め、忍び刀を薙いで肩口を斬り裂く。傷口から瘴気が吹き出す中、なだちは敵の膝を足場に跳躍。廣峯の背後に着地した。
 アルクトゥルスと廣峯は軽く視線を合わせ、静かに頷く。盾を握る手に力を込め、アルクトゥルスは全力で殴り掛かった。盾の殴打が直撃し、敵の上体が仰け反る。
 追撃するように、廣峯は大小一揃えの斧を斜め下に振り下ろした。刃が敵の両腿を斬り裂き、瘴気が溢れ出す。
 開拓者達の攻撃を受け、アヤカシの双眸が紅く燃え上がった。直後、敵の周囲に拳大の瘴気弾が多数出現。驚く間も無く、全ての弾が一気に放たれた。
 ある者は防御を固め、ある者は機動力を活かしてそれに対応する。一発ずつの威力は大したダメージではないが、数が多い。瘴気を消費させるには最適だが、この弾数は予想外である。
「ゆっくりと観察したかったのだが…そうも言っていられんか」
 溜息混じりに言葉を漏らし、光紀はサソリに似た節足動物の式を召喚。敵に向かって、その2匹を放った。サソリが尾の針をアヤカシの首筋に突き刺し、瘴気を吸収。式が消えるのと同時に、敵の攻撃も止んだ。
 その隙を狙うように、ウルシュテッドとイデアが前後から距離を詰める。ウルシュテッドは奇抜で変則的な動きで敵の懐に潜り込み、二口一組の刃を敵の脚に突き刺した。
 イデアは剣を強く握り、全力で振り下ろす。刀身が腕を深々と斬り裂き、瘴気が一気に吹き出した。ウルシュテッドも刃を引き抜くと、傷口から瘴気が吹き上がる。
「皆様、無理しないで下さい! 負傷なら、いくらでも回復します!」
 戦況を見る限り、激戦は回避出来ない。いつでも仲間達を援護出来るよう、鶴杜は全員に声を掛けた。
「ぬしは…全ての、神を恨むか…ならば、我が相手だ…!」
 空尊にしては珍しい、大気を震わせるような雄叫び。それが敵の注意を引いたのか、アヤカシは教会と逆の位置に居る空尊に視線を向けた。瘴気を両脚に集め、一時的に加速。濃紺の疾風が、空尊に迫る。
 素早く、空尊は鞘から双剣を抜いた。迫り来る爪撃に合わせ、剣を盾代わりに構える。周囲に金属音が響く中、火花が舞い散り、敵の攻撃を受け止めた。
 動きが止まった敵に向かって、ヒビキとなだちが水柱を2本ずつ生み出す。圧倒的な水圧が巨体を揺らし、アヤカシの平衡感覚を狂わせた。敵の脚元がフラつき、崩れ落ちて膝を付く。
「空尊様。無茶は構いませんが、私は桜の君の涙など見たくありませんよ?」
「言われずとも分かっておる、櫛撫の娘よ…」
 悪戯っ子のように微笑むなだちに、空尊は素気ない言葉を返した。淡々とした口調はいつもと変わらないが…微妙な違和感に、廣峯は眉をひそめる。
(何だ、空尊の奴。いつもと何か違う気ィが………いや、あいつが変なのはいつもの事か)
 若干失礼な事を考えながらも、廣峯は兵装を握り直した。敵が動けないなら、攻撃する好機である。ウルシュテッドとミヒャエルも同じ事を考えたのか、3人はほぼ同時に駆け出した。
 アヤカシが避けないよう、廣峯は剣気を叩き付けて威圧する。双斧と双刀、魔剣の刃が入り乱れ、敵を斬り裂いた。無論、斬撃は手足に集中し、頭は体幹は狙っていない。
 全身から瘴気が立ち昇る中、アヤカシの瞳が再び燃えるように赤く発光した。
「瘴気弾がきます! 皆様、注意を!」
 鶴杜の叫びと共に、瘴気の弾が発生。開拓者達が身構えるのと同時に、それが一斉に放たれた。
 弾数は多いが、発射のタイミングが分かったため、先刻よりは回避し易い。鶴杜が敵を観察し、注意を促したお陰である。
「当たったらタダじゃすまないよねぇ、おっかないなぁ」
 敵の攻撃を避けながらも、どこか楽しそうなヒビキ。本来は争いを好まない性格だが、何らかの原因で好戦的な一面が顔を出しているのかもしれない。
 飛び交う瘴気弾を避けながら、光紀は軽く指を鳴らした。直後、アヤカシの前後に巨大な黒い壁が出現。それが瘴気弾を防ぎ、敵の視界を奪った。
「どうした、少年。この程度の壁も壊せんのか?」
 挑発的な言葉と共に、不敵な笑みを浮かべる光紀。アヤカシは怒りにも似た雄叫びを上げ、瘴気の弾丸を撃ち出した。間断無く、弾が次々に黒壁を直撃。ほんの数秒で壁は砕け散り、瘴気と化して空気に溶けていった。
 光紀の狙いは、2つ。瘴気弾の防御と、仲間の援護である。黒壁を破壊するため、アヤカシは前後に意識を集中していた。つまり…左右は無防備になっている。
「脇がガラ空きですよ? 狙わせて貰います」
 言いながら、右側からイデアが距離を詰める。アヤカシが接近に気付いた時には、もう遅い。流れるような軌道の斬撃が放たれ、敵の膝を深々と斬り裂いた。
 一瞬も間を置かず、左側からアルクトゥルスが急接近。水晶の刃が陽光で輝く中、剣を真下から斬り上げた。切先が脚を捉え、足首から太腿まで縦に傷を刻み込む。
 アヤカシの両足から瘴気が吹き出す中、鶴杜は右手を敵に向けた。練力が空間を歪め、アヤカシ周辺の風景が揺らぐ。その状態で手を握ると、敵ごと空間が捻じられ、衝撃が全身を駆け抜けた。その威力に、傷口から更に瘴気が吹き出す。
 開拓者達の『致命傷を避けた攻撃』の連続で、敵のオーラが徐々に薄まる。アヤカシの瘴気を更に減らすため、ヒビキは地面を蹴って突撃。鋭く素早い動きから、両手の槍を突き出した。
 次の瞬間、アヤカシの姿がヒビキの視界から消える。突然の事に、彼は驚愕の表情を浮べながら周囲を見渡した。
「ヒビキ様、後ろ!」
 イデアの叫びに反応し、ヒビキが後ろを振り向く。そこには、爪を振り上げるアヤカシの姿があった。
 敵は瘴気の流れを一時的に早め、瞬時に加速。ヒビキの攻撃を避け、勢いを活かして後ろに回り込んだのだ。そのまま、アヤカシはヒビキが身構えるより早く、爪を一気に振り下ろす。
「悪いが、高速で動けるのは、きみだけではないのだよ」
 クールな声と共に、黒ずんだ風が敵の爪を斬り落とす。更に、鋭い双刀が手首を切断した。瘴気が吹き出す中、爪や手首も瘴気となって消えていく。
 ヒビキとアヤカシの間に割って入ったのは、ミヒャエルとウルシュテッド。彼等も瞬間的に加速し、敵の攻撃を妨害。仲間を守り、瘴気も削れたのだから、一石二鳥だろう。
「2人共、ありがとう! お陰で助かったよ!」
 微笑みながら、礼を述べるヒビキ。ミヒャエルは後ろを振り向いて笑顔を返したが、ウルシュテッドはアヤカシを見詰めている。
「誰かの命を奪ったら、君はきっと戻れなくなる…思い出せ、人としての心と記憶を!」
 心の底から絞り出すような、必死の訴え。それはアヤカシではなく、『取り込まれた少年に』向けた言葉。ウルシュテッドの呼び掛けに、濃紺のオーラが若干波打ち、アヤカシの動きが止まった。
 どんな理由があっても、敵対する者の前で動きを止める事は『的にしてくれ』と言っているようなモノである。アヤカシの機動力を削ぐため、廣峯とイデアは前後から同時に距離を詰めた。
 イデアは剣を下段に構え、後方から膝を狙って全力で振り上げる。彼女とは逆に、廣峯は斧を重ねて振り下ろした。2つの斬撃がアヤカシの膝で擦れ違い、その威力で脚を切断。斬られた脚が回転しながら宙を舞い、瘴気となって弾け散った。
「細かい事は考えない。全力で殴らして貰う」
 片脚になったアヤカシを狙い、アルクトゥルスが盾で正面から殴り掛かる。衝撃で体勢が崩れ、大きく仰け反った。
 追撃するように、水柱を生み出すなだち。激しい水流が敵を打ち付け、平衡感覚を奪う。瘴気を撒き散らしながら、アヤカシは地に伏した。
 敵が倒れる事を予測していた光紀は、その瞬間を狙ってサソリのような式を飛ばす。尾の針がアヤカシに突き刺さり、瘴気を喰らった。
 機動力を失い、瘴気を吸われながらも、アヤカシは上体を起こして瘴気の弾を生成。周囲の開拓者目掛け、一気に撃ち出した。思わぬ抵抗に、誰もが後方に跳び退いて瘴気弾を避ける。
 そんな中、空尊だけは双剣を握り直し、地面を蹴って前に出た。
「ようやく、好機が訪れたか…少年よ、暫しの間、動いてくれるな…」
 度重なる負傷と、瘴気弾による攻撃。アヤカシのオーラは薄まり、少年の位置を目視出来るようになっていた。
 空尊は自身のダメージを無視し、距離を詰める。加速しながら大きく踏み込み、兵装を突き出した。狙いは、敵の脇腹。少年に当てないよう注意しながら、アヤカシの脇腹を抉り取った。
「なっ…無茶し過ぎです空尊さん!」
 驚愕の声と共に、鶴杜の狼のような耳がピンと立つ。練力を癒しの力に変え、風に乗せて送り出した。優しい微風が空尊を包み、負傷を癒していく。
 開拓者達の激戦は、終幕を迎えようとしていた。少年を包むオーラが薄まっているなら、あとは彼を引き抜き、瘴気から解放するだけである。
 10人の視線が集まる中、アヤカシは両腕で反動を付け、片脚で立ち上がった。
 敵が攻撃体勢に移るより早く、ヒビキは自身の影を伸ばす。黒い塊が縄のように細くなり、アヤカシの脚から全身に絡み付いていく。
「ふむ、そろそろ頃合いか。俺も手を貸してやろう」
 言いながら、光紀は小さな蜘蛛のような式を召喚。それが敵の手足に組み付き、動きを鈍らせた。2つの拘束術が重なり、アヤカシの動きが完全に止まる。
「今だよ! 一気に引き剥がしちゃって!」
 ヒビキの言う通り、『今』が最初で最後のチャンスである。ウルシュテッドは兵装を鞘に納め、アヤカシの両肩を掴んだ。
「君はまだ何もできていない。家族の供養も…復讐も、ここでアヤカシに負けていいのか!」
 想いを込めた言葉に反応するように、オーラの中で少年がゆっくりと手を伸ばす。外に出るためなのか、助けを求めているのかは分からないが…開拓者達の行動は決まっている。
「ぬしの望みに沿わぬとも…! 我は…ぬしを生かすと決めた…! 恨むなら、我を恨め…!!」
 叫びながら、空尊は瘴気に腕を突っ込んで少年の手を握った。そのまま引き寄せようとしたが、逆にオーラの中に吸い込まれていく。恐らく、アヤカシが空尊まで吸収しようとしているのだろう。
 そんな事は一切気にせず、空尊は少年の体に両腕を回した。
「てめぇこの野郎!! 何やってんだ阿呆が! 世話かけさせんな!!」
 舌打ちしつつ、廣峯が素早く手を伸ばす。彼もオーラの中に腕を突っ込み、空尊の上着を掴んだ。
「っ、空尊様! 廣くん!!」
 周囲に響く、なだちの悲痛な叫び。そのまま前に出そうになるのを、彼女は寸前で耐えた。空尊と廣峯の強さを信じ、帰りを待つために。
 名を呼ばれた2人は、瞬間的に気力を開放した。アヤカシの内部で発生した力が、瘴気を相殺して一瞬だけ吸引力が弱まる。その隙に、廣峯は全力で2人を引っ張った。
 アヤカシの腹部が大きく引き裂かれ、瘴気と共に空尊と少年が引き出される。残った瘴気の影響を受けないよう、廣峯と空尊は少年をアヤカシから離し、地面に寝かせた。
 救出された少年の容態が気になるのか、なだち達が足早に駆け寄る。鶴杜は念のため、少年に向かって治癒の風を吹かせた。
 核となる人間を引き出され、ゆっくりと崩壊していくアヤカシ。それでも、まだ諦めようとしない。音もなく瘴気を吸収し、体を再生していく。
「大人しくしていたまえ。これから、我々が『神の御意志』を体現しよう」
 そう言って、ミヒャエルは敵の背後から剣を突き刺した。彼は『神』という万能の存在を信じていない。が…この場に神が居たら、間違いなくこう言うだろう。
 『アヤカシを許すな』と。
「諦めの悪ィ奴だな。端役の出番は終わってんだよ!」
「己の引き際が分からないとは、無様ですね。今すぐ幕を下ろしてやろう…!」
 ミヒャエル同様、アヤカシを警戒していたアルクトゥルスとイデアが、兵装を握り直す。イデアは剣にオーラを集中させ、最上段から垂直に振り下ろした。
 追撃するように、アルクトゥルスは水晶の刃を水平に奔らせる。2人の斬撃が十字を描くように重なり、アヤカシの体を深々と斬り裂いた。
 傷口から大量の瘴気が吹き出し、空気に溶けて消えていく。少年を飲み込んだアヤカシは、十字の傷跡を抱きながら完全に消滅した。


「おい、空尊。何で、あんな馬鹿な真似しやがった? お前らしくねぇぞ」
 戦闘を終え、疑問に思っていた事を口にする廣峯。空尊は変わり者な面もあるが、今日の行動は腑に落ちない点が多いのだろう。
「すまぬ…此度の事は、少々思う処があったので、な…」
 空尊の脳裏に浮かぶのは、遠い記憶。『神』として育てられた、過去の自分。だからこそ…空尊は少年を見過ごせなかった。全力を尽くし、救いたかったのだ。
 もっとも…『少年を助けたい』という気持ちは、ここに集まった全員が願っていた事である。その想いが通じたのか、救出は成功。少年は気絶しているが、傷1つ負っていない。
 10人が見守る中、少年の瞼が僅かに動く。数秒後、ゆっくり瞳が開き、上体を起こして周囲を見回した。
「目が覚めたか、少年。今までの事…覚えているか?」
「あなたの声…ずっと、僕に語り掛けてくれた人…ですよね? ありがとうございます」
 ウルシュテッドの声に聞き覚えがあるのか、少年は軽く頭を下げた。どうやら、少年には戦闘中の記憶が残っているらしい。その表情が、どんどん曇っていく。
「僕は、僕は……感情に流されて、カミサマに…復讐、するために…」
 頭を抱え、小刻みに震える少年。脳裏に残っているのは、強い憎しみ。自分自身を焦がすような、激しい憎悪。
 そして…開拓者達と敵対した記憶。
「強い感情は、時として強大な力を生み出す。そこに善悪の区別は無い。今は、無事生還した事を喜んでおけ」
 光紀にとって、少年の事情は興味の無い事である。今回は珍しいアヤカシをゆっくりと観察できた…それだけで、満足なのだろう。
「でも…僕なんて…」
 その先は、言葉にならなかった。激しい後悔と、弱い自分への怒りが込み上げ、声が詰まる。もしかしたら…『あのままアヤカシと一緒に消えれば良かった』と思っているかもしれない。
 重苦しい沈黙が周囲を支配する中、イデアは少年に歩み寄った。ゆっくりと剣を抜き放ち、彼の眼前に突き付ける。
「貴方が進む道は、荊の道です。年齢なんて関係ない。ここで死ぬのか、一人で苦しみ続けるのか…選べ」
 少年を助けたのは、あくまでも開拓者達の意志。ここで彼が自ら生きる事を選択しなければ、何の意味もない。少々厳しいが、これは彼女なりの優しさなのだ。
「カミサマは…平等じゃないんですね…」
 不意に零れた、小さな声。命の選択を迫られ、少々混乱気味のようだ。
「いや、神様は平等だよ。どんな奴にでも、必ず死をもたらしてくれる」
「そう…『誰もが、いつかは死ぬ』という事項以外は、平等なんて幻想なんです。残念ですが…」
 アルクトゥルスと鶴杜が、静かに言葉を返す。少年には理解も納得も出来ない事かもしれないが…2人は、それを伝えずにはいられなかった。
 今にも泣きそうな少年の手を、なだちが優しく包み込む。片膝を付いて体勢を低くし、視線を合わせた。
「厳しいようですが…これは、貴方自身が決めなくてはなりません。これから先、どうなさるかを…」
 悲痛な表情を浮べながら、静かに声を掛ける。ここで甘やかしたら、仲間達の想いが無駄になってしまう。無意識のうちに、握る手に力が入った。
「生の道を選ぶなら、それは『孤独と闇を克服する日々』となるだろう。きみに、その覚悟があるかね?」
 この場で覚悟を示す事が出来なければ、少年は死を望む『生きた屍』になってしまう可能性が高い。ミヒャエルは、その事が気になっていた。
「なら僕は…」
 開拓者達の言動を見聞きし、少年は空いている手を強く握って立ち上がる。顔を上げ、イデアに視線を向けた。
「僕は! 生きます!」
 迷いのない、ハッキリとした一言。何が少年の心を変えたのか分からないが、これは彼が悩んだ末に出した答え。自らの意志で、生きる事を選んだ。
「生きて生きて、生き抜いて! いつか神様に、一生分の不満を言ってやります!」
 覚悟を口にし、決意を固める。言葉と共に、少年の瞳から大粒の涙がポロポロと零れた。
 少年の選択と意志を聞き、イデアは静かに剣を納める。
「今は憎しみだけでも良い。『生きる目的』を見つけられる日まで…それを糧に生きなさい…」
 泣きながら、少年は大きく頷いた。
「神の教えが正しいか、一生かけて証明する気か? なら、生きて学んで…もっと大きくなれ」
 言いながら、ウルシュテッドは少年の頭を優しく撫でた。言葉を返す事なく、少年は再び大きく頷く。
 涙を流す少年の姿を見ていると、悲しみが込み上げてくる。なだちは彼を慰めるように、強く抱き締めた。何も言わず、背を優しく撫でる。
 次の瞬間、少年は堰を切ったように泣きだした。涙も嗚咽も我慢せず、感情の命ずるままに。
「男は泣いて強くなるんだ…気が済むまで、泣くといい。一人前の男になったら、酒を酌み交わそう」
 少々乱暴に頭を撫でながら、笑みを浮かべるアルクトゥルス。いつの日か、彼女と少年が酒を注ぎ合う日がくるかもしれない。
「とりあえず、俺達と一緒に行きましょう。念の為、ギルドに瘴気感染の専門家を要請していますから」
 鶴杜は少年を落ち着かせながら、状況を説明する。濃度の高い瘴気の中に居たのだから、何らかの影響を及ぼしているかもしれない。専門機関での診察は、必須だろう。
 少年の鳴き声を聞き付けたのか、周囲から人々が集まって来た。その中には、教会の神父の姿もある。彼に向かって、ミヒャエルとヒビキが歩を進めた。
「神は人に手を差し伸べない。だから、きみ達が代わりに、あの少年を助けてやってくれ」
「教会ってのは、困った人を助ける所でしょ? 今回の報酬を寄付するからさ…彼をきちんと導いてあげてよ」
 予想外の言葉に、神父は驚愕の表情を浮べる。一瞬目を閉じて深呼吸し、彼は微笑みながら口を開いた。
「恩人の方々の頼みとあらば、尽力致します。勿論、お金は頂きません」
 神父の返答を聞き、ミヒャエルとヒビキは満足そうに笑みを浮かべた。
 これから先、少年が教会に住むのか、子供の居ない夫婦に引き取られるのか、住み込みの仕事に就くのか…今はまだ分からない。どの道を選べば幸せになれるのか、それも分からない。
 だが…なだちの腕の中で泣く少年を見ていると、彼の幸せを祈りたくなる。存在するか怪しい神様でも良いから、彼を見守って欲しい。
 少年の鳴き声が周囲に響く中、教会の十字架は陽光に照らされて輝いていた。