風に乗るモノ
マスター名:小風
シナリオ形態: ショート
危険 :相棒
難易度: やや難
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/05/13 16:09



■オープニング本文

 季節は春。
 この春――夏秋冬も同じだが――、到来を感じる事に人それぞれ違ったものを置く。
 暦、動植物、或いは気温の上昇等様々。
 中には俗に『春一番』と言われる強風を目安にする者も居る。実の所これは確実に吹くものではないし、そもそも普通の風と区別し難いものだが、相手は明確な区別の無い『季節』である。不確定のものに対し、区切りを求める事は当然だろう。
 一ヶ月ほど前。
 その村でも『春一番』を一つの目安としていた。
 農作業や狩猟を主とする生活において季節の切り替えは重要素。強烈な風を春の訪れと認識し、これからの暖かい季節に向けての準備を、村総出で始めた。
 最初に異変。暖かさを帯びた強風に、冷たいものが混じり始めた。当初は気にも留めなかったが、徐々に周囲の気温が下がり始めているのを感じる。
 この時期に気温が下がる事自体は珍しくもなんともない。だが、少し前まで暖かい風によって周囲は快適な気温であった。それが瞬く間に肌が痛い程のものとなっている。変化が急すぎる、風向きが変わったわけでもない。そのうち、頬に冷たい何か当たり始めた。雪か雹か? 成程、この寒さであれば降ってきてもおかしくないが、空を見上げても発生源たる雲は欠片も見当たらない。
 ここで村人達が各自家に引き篭もれば、誰一人として欠ける事無く春を迎えられただろう。が、避難するにせよ要素が少なすぎる――というよりも、現状の意味が分らないので動きようがない。
 そして、それが到来した。
 何時の間にか暴風の様相を呈している風。それに運ばれる氷気。まるで吹雪の中に居るようで目を開けるのも一苦労な上、例え目を開けても周囲が殆ど見えない状況。それでいて、雲一つない青空。異常な情景その中で――
「あ」
 ――そんな声がした。立て続けに似たような声が響く。狭い視界の中、突然目の前に何かが現れたと思わせるそれ。不可解なのは、どの声も一度きりだという事。よくよく感覚を澄ませてみれば村人の気配が次々と消失していく。
 そして何時の間にか、何もかもが通り過ぎた元の暖かい風の中で只一人の男がぽつんと立っていた。

 後日。
 村の仲間が誰も居なくなったというのに、その只一人の男は探す気も無く自宅で呆然としていた。
 別にこの男、冷淡でも無気力でもない。ごく普通の善良な人物だ。が、何もする気が起きない。寝食すら忘れてしまったようにその場から動かない。そんな彼の頭には説明不能の漠然とした恐怖があった。他人がこの場に居れば即座に否定するだろう。外見に関して言えば、彼は何も変わっていない。変化したとすれば内面、狭めれば精神となる。
 更に後日、行商人が村を訪れた。当然、誰も居ない村を見て不審に思った彼は各家を訪問していく。そして件の男の家に辿り着いた。
 漸く人間の姿を見付け安堵した商人は、村の様相を彼に尋ねようとした。が、その言葉は悲鳴に変わる。
 男は現れた商人に対し、いきなり喰らい付いたのだ。心得があった商人は即座に男を組み伏せ、その顔を覗き込む。
 ――それは既に、正気を失った人間の顔だった。

 その後、その村から離れた別の場所で何度も似たような現象が起きた。
 氷気を含んだ暴風と、それに巻き込まれ消失或いは正気を失う人々。その事が大きく取り沙汰されるようになった頃には、行商人に医者へ連れて行かれた例の男も幾分か回復しており、事の詳細が彼から語られていた。
 開拓者ギルドでもその現象に対し調査に入っていた。程無く判明した原因は、風を纏って移動するアヤカシの存在。
 氷気を帯びた風を纏い、自然の風に乗って移動し、途上に居る人々を喰らうモノ。喰われなくても、ソレが纏う風を吸った者は内側から壊れていく病に侵される。
 被害に遭った箇所を見れば、どう移動しているかの推測は出来る。予測された経路途上には山があり、ここ暫くは吹き上げる風が吹き続けているとの事。つまり、コレは何れ山を登る。
 発せられた依頼されたのは一つ。
 これ以上の被害が出る前に、龍を駆り、風に乗るモノを討伐せよ。


■参加者一覧
鈴梅雛(ia0116
12歳・女・巫
羅喉丸(ia0347
22歳・男・泰
橘 琉璃(ia0472
25歳・男・巫
佐久間 一(ia0503
22歳・男・志
輝夜(ia1150
15歳・女・サ
ルーティア(ia8760
16歳・女・陰
ベルンスト(ib0001
36歳・男・魔
ランファード(ib0579
19歳・男・騎


■リプレイ本文

●到来
 気温的に非常に過ごし易い季節になった。が、山の中になるとそうもいかない。ましてその上空域ともなれば、大概の場合暑いか寒いかのどちらかになる。今は寒い。原因の一つは、山肌を這い上がって来る風。恐らく、気温だけで言えばそこまででもないのだが、その風によって体温が奪われてしまい、結果鳥肌を立てる程になる。
 ――後は、これから来るであろう氷気を帯びたモノの先触れも原因か。
「うわっ、すごい風‥‥帰っていい?」
 その空域に騎龍が複数。内一つの背に跨っているルーティア(ia8760)が、割と本気が混じりでそんな事を言っていた。因みに彼女、馴れした相手を除けば基本的には折り目正しく喋る。それが無いのは余裕が無い証拠だが、発言が本気なのか冗談なのかは謎。
「季節外れの台風もどきに良い気分がしないのは分るが‥‥ここまで来た以上、成すべき事を成すのだな」
 この場の最年長に当たるベルンスト(ib0001)の静かな声。鎖を中心とする装飾、更に龍と己の身を縄で繋ぎ止めている関係で、窮屈な印象が拭えない。尤も、後者はこの場限りだが前者は当人が望んでしているもの。
「ま、それはともかく。敵の概要殆ど不明は問題だ。危険かつ放置出来ないって事くらいしか分らないのが」
 羅喉丸(ia0347)は表情を引き締め、風の具合を確かめている。彼の言う通り、今回のアヤカシには詳細情報がまるでない。特性は語られていても、外見すら不明。ギルドの方にもまともな資料が無いらしい。
「風に入るだけで削られていくというのも‥‥落ちそうなだけでもイヤなのに」
「それは一先ず忘れておけ。防寒するだけはしてきたが、気休め程度だ」
 数少ない判明している特性。ルーティアが語ったもの。羅喉丸も嘆息。受けるだけで身を削る時点で、ただの風ではない。発生源がアヤカシである事を考えれば、恐らくは瘴気混じりのものだろう。
「‥‥そろそろ風が怪しくなってきたな。頼むぞ、グリフィン」
 ベルンスト、己の騎龍に活を入れる。風に微小な氷粒のようなものが混じり始めた。流れも直線的なものから巻き込むようなものへと変化。証言通りなら、アヤカシがここを通過するまでそう時間は無い。
「そろそろ風除けの眼鏡。‥‥あ。なまこさん、縄、苦しくないですか?」
 風質が変化した事で、いそいそと伊達眼鏡を取り出す鈴梅雛(ia0116)。此方は最年少。、騎龍に気使いを見せるのは立派だが、何故そんな名前か。雛曰く『こげ茶色で丸い体がなまこに似ていた』との事だが‥‥一般的に評判が良いとは言えない海鼠の外見に龍を準える辺り、何かがずれている。
 雛のなまこさん、ベルンストのグリフィン、ルーティアのフォートレス、羅喉丸の頑鉄。それぞれ甲龍。硬質の表皮を持ち、速度は望めないが、頑強さと比較的温厚な性質で安定感のある龍。ベルンストや羅喉丸が遭遇後突出する事になったのもそれが要因。
 ――風に煽られての衝突を防ぐ為やや散開しつつ、近付いて来る何かの存在を感じていた。

「風もそうだが、前の連中の挙動が変わったな。冬将軍が近いか?」
 甲龍四騎の僅かに後方、同じく四騎。炎龍、駿龍の混成。内、唯一の駿龍に跨った輝夜(ia1150)が常変わらぬ尊大な口調ながら、冗談交じりに告げた。彼女が言う『冬将軍』とは厳しい冬を擬人化した表現の一種。氷気の風を撒き散らしつつ到来するアヤカシに対する皮肉に近い。
「この位置でも大分気温と風がきついですね。本体に接触する頃にはどうなる事か」
 橘 琉璃(ia0472)は自身の騎龍である紫樹が強風に身体を固くするのを感じて、前方に目を向ける。前方の甲龍達を風除けにしてはいるのだが、大して効果があるとは言い難い。
 この風、実の所地上で受ける分にはそこまで辛いものではない。事実、報告にあった只の村人でも転ぶ事すらなかった。ただ、相手が風に乗って移動する以上地上では接敵すら危うい。結果、龍に頼らざるを得ず危険度を此方から上げてしまう事になっているのだが、これは致し方無い。
「フレイ、今回はきついと思うが。手早く片付けるから、その間頼む」
 刀を握った拳をさらしで固定し、龍の首を撫でるランファード(ib0579)。その表情はかなり緊張しているように見えるが、彼にとってはこれが普通。寧ろ、仲間との顔合わせの時に会話すらままならなかった事を思えば改善している。戦闘域に近づくにつれ平静になっていく彼の姿は、奇妙ではある。
「アヤカシの位置は大まかに掴めましたが‥‥妙ですね」
 心眼で風の奥を探った佐久間 一(ia0503)は、怪訝さに眉を顰める。それを伝えようにも、彼は既に三騎よりも先行し始めているので、アヤカシの位置を簡単に手旗で教える程度の事しかできない。彼が妙と言うのは、相手の挙動。此方も既に暴風域に踏み込んでいる。恐らく、更に先行し既に見えなくなった甲龍二騎は行動を起こしているだろう。アヤカシがそれに気付かないわけも無いと思うのだが、動きは変わらず。
「こいつ、まさか‥‥?」
 仮定。知能がほぼ無い相手。これだけの規模を持つ相手だというのに被害報告が妙に少ない。
 ――よもや『風に乗って移動する』のではなく『風に乗らないと移動すら出来ない』のでは。上昇気流に乗ってしまえば只管空へ。下降気流に乗って漸く餌の満ちる下界に至れる。只管進むだけの自然現象もどき。
 こうなると、彼らの作戦が機能するかどうか、非常に怪しくなってきた。

●ただ、進むのみ
 削られていく、己と騎龍の身が。何もしていないのに、身体から徐々に活力が奪われていく異様な感覚。
 うっすらと、風の向こうに影。接近する甲龍四騎からも確認出来る以上、あちらも気付いていないわけが無いが、何かをしてくる様子は無い。
「このまま風に晒されているのも癪だ。試せる事は試させてもらう!」
 ベルンストが動いた。詠唱、組み上げる術。風が纏う氷気に勝るとも劣らない吹雪が吹き上げる。氷気の風とぶつかり合ったそれは雲散霧消。風、気温にも全く変化は感じられず、発生源が動じた様子も無い。
「気付いてないとも思えんが‥‥ならば、無理矢理にでも此方を向かせてやるか」
 羅喉丸、徒手空拳で構え。気を練り上げ感覚を研ぐ。更に上半身に勁を移す。呼吸。頑鉄の胴を挟む足に力を込める。主の意志に応え、龍も暴風に負けぬよう翼や四肢に更なる力を。
 アヤカシは突き進む。羅喉丸とすれ違うまで後僅か――
「行け頑鉄」
 瞬間、龍が加速する。その勢いを乗せ、羅喉丸は身を固める。
 そして互いに触れ合える距離。そこに居たのは形容しがたい何か。人型、手足も頭もある。が、痩せ切った身体、異様に長い腕と異様に短い脚。髪も眼も鼻も無く、あるのは顔全体を覆う口。何だこれは、と思うが鍛えられた身体は自然と動く。
「――玄亀鉄山靠!!」
 龍の加速、全体重、そして気を全て乗せた肩口からの体当たり。彼にして必殺と言えたそれだが、僅かに逸れ脇腹を掠めるに留まった。その交差の瞬間、アヤカシが異様に長い腕を伸ばしてくる。あからさまに遅いのだが範囲だけはやたら広い。頑鉄に無理矢理軌道を変えさせ回避する。
「あの手で進行方向に居る人間を捕え、あの口に放り込むというわけか‥‥」
 必要最低限の機能のみしかない。不快に感じたが、それはアヤカシに感じるよりももっと別のもののように思えた。
 羅喉丸を追わず、只風に乗り進むアヤカシ。その側面に周り込むルーティア。どうやら残り六騎が合流したようだ。
 今までの行動を見る限り無理矢理にでも止めない限り、こいつは延々進み続ける。今はまだ良いが、高高度に行くにつれ不利になるのは此方だ。最悪の場合、龍でも行けないような高度まで行く可能性もある。
「ぶつけるしかない‥‥!!」
 ぶっちゃけ怖いが、そんな事を言っている場合ではない。アヤカシの側面から騎乗槍を構え、見据える。主の意を汲み、フォートレスが加速。衝撃、激突。騎乗槍はアヤカシの手で止められているが、勢いは止まらない。拮抗する二つの力だったが、直後にフォートレスが弾かれる。咄嗟にしがみ付き難を逃れるルーティア。
「目が無いのに突っ込んでくるのは分るんだ‥‥」
「虫とかにそういうのは居るみたいですけどね‥‥お怪我は?」
「問題無い。それより、他の人は?」
「皆さん、散開しているかと‥‥何処に居るのかというのはちょっと」
 何時の間にやら雛が龍を寄せていた。相当の至近距離、声帯が弱いのか大きな声の出せない雛にとって、この暴風の中声を届かせるのも一苦労だろう。彼女に礼を言い、ルーティアは接触事故の無いよう距離を取る。
 進むアヤカシの身体に、立て続けにベルンストの放った白く輝く矢が突き刺さり花を咲かせる。効いていなわけはないのだが、全く頓着しない。このアヤカシ、知能どころか痛覚も無いのかも知れない。手の届く範囲に居る相手にはしっかり手を伸ばしてくる辺り、アヤカシとしての本能はしっかりあるようだが。
 暴風の中で否応無しの高機動戦闘、そして徐々に上がっていく高度。龍とアヤカシはともかく、開拓者の身が何処までもつか怪しいもの。
 既にアヤカシとの戦いよりも、時間との戦いという感が強まっていた。

●不屈
「「はああああああっ!!!!」」
 異口同音、一とランファードが同時に仕掛けた。茜姫とフレア、両者の騎龍も応えるかのように咆哮。裂帛の気合を込めた槍と刀が同時にアヤカシに襲い掛かる。
 裂き、貫く音。伸ばした長い腕にそれぞれ裂傷と刺傷――
「って――うわっ?!」
 問答無用で高度を上げていくアヤカシに、一が身体ごと持って行かれそうになった。精霊力による強化と茜姫の加速で突き刺さった彼の槍は見事にアヤカシの腕を深く貫いていたが、なまじ刺さり過ぎて抜けないどころかそのまま引っ張られ落龍させられかねない。渾身で引き抜いて、即座に離脱した。
 ランファードの方は追撃をしようとし、その切っ先は空を切る。相変わらず風に流されるだけで、回避したのではなく勝手にあちらが進んで行っただけの話だ。フレアを旋回させ、すぐさま離れてしまったアヤカシの後を追う。
「成程。村で一人だけ生き残ったのは、ただ単にそいつがアヤカシの手の届く範囲に居なかったから‥‥それだけの話か。とは言え、単純すぎて別の意味で対処に困るなコレは」
 輝夜はアヤカシの挙動を確認し、苦笑する。風に乗っているだけだと言うなら、咆哮で此方に興味を向けても止まりなどしないだろう。恐らくは、正面に誰かが入り無理矢理止めようとしても突き進むに違いない。
「‥‥頑丈そうには見えんし、輝桜と我、それから奴自身の加速も合わせれば落とせるか?」
 元より輝夜は速さや手数で勝負する手合いではない。一撃一撃を重視するそれは、時間の惜しいこの状況において好都合。最悪、正面衝突で此方も痛手を負いそうだが、多少の痛手なら相殺するのもまた彼女の戦い方だった。

 雛、琉璃。そしてその癒し手を乗せるなまこさん及び紫樹は、相当の回転を余儀無くされていた。
 アヤカシの攻撃ははっきり言って遅いので喰らう事は無いのだが、彼の放つ風の中に居る限りは誰彼構わず消耗していく。それを癒すのが二人の役目なのだが、そこでこの風が邪魔になる。何しろ、少しでも離れていると仲間の姿が殆ど視認出来ない。二人とも範囲治癒は行えるのだが、それも範囲内に仲間が居るかどうか確認出来ない限り使用が躊躇われる。必然的に、飛び回る範囲が大きくなるというわけだ。
「‥‥アヤカシの位置だけは大体分るのが救いですけどね」
 琉璃がそう呟いた瞬間、風の中で白光が煌めく。ベルンストの聖矢術なのだが、これが刺さる瞬間に散る光がアヤカシの位置を教えてくれていた。他に音頼りという手もあるが、此方は風のせいで確実性に欠ける。
「全く、こいつは本当に‥‥」
「‥‥始末、悪いね」
 羅喉丸とルーティアは幾度か繰り返した攻撃に徒労を感じ、一度距離を置く。空中を只管進む相手に対し、側面からまともに攻撃を当てようと思うと存外難度が高い。ましてや風に煽られながらの攻撃だ。
 正直、既に戦っているという意識は失せていた。その為か、ルーティアの委縮も余り無くなっている。幾ら攻めても決定打は無く、アヤカシは近くに居る者に手を伸ばす程度の、殆ど条件反射しかしない。これはもう戦いではないだろう。
「僅かでも止まってくれれば良いのだが。風がやむのを期待するわけにもいかんし――ならば、当たるまで打ち続けるしかないか」
 自身と頑鉄に活を入れ、羅喉丸は再びアヤカシの追尾に入る。それを見送り、ルーティアも盾と槍を構え直す。
「そうだね――貫き通す。行くよ、フォートレス!!」
 徒手空拳の羅喉丸と違い、ルーティアの武器は突撃特化の騎乗槍。攻撃の都度距離を取らなければならない為、ここまで幾度も旋回を繰り返してきた。捉えるまで幾らでも繰り返してやる――そう心を固め、愛龍と共に風の中を舞い上がった。

●消えた台風
「風壁としての役割は意味を成さなかったか‥‥」
 アヤカシを追尾しつつ幾度目かの聖矢術を放ったベルンストは、周囲を見回し自嘲する。既に当初取り決めた陣形など影も形も無い。勿論、相手の性質が原因であって彼には何の落ち度も無いのだが、そう思えない辺りが彼たる所以か。
 このまま続けるべきか――そうベルンスト考え始めた時、自身とグリフィンの肉体消耗が軽減されていくのを感じた。
「瑠璃か‥‥他の連中に被害は?」
「自分が把握出来る範囲では、皆さん消耗はしていても怪我はしていませんでした。尤も、ベルンストさんの術以外は、まともに当てた様子も無いので喜ばしいわけでもないのですが」
 結構な数の癒しをこなしてきたのだろう。ベルンストの背後に龍を寄せて来た瑠璃の表情には、同様の精神的憔悴が見られた。彼と雛が癒しを行えなくなれば、後は消耗戦。事によっては撤退の必要も出て来る。そして最悪な事に、呼吸が少々怪しくなってきた。周囲の景色は殆ど見えないが、アヤカシの速度やここまでの時間を換算するに、かなりの高度に達していると思われる。
「考えている場合ではない、か」
 ベルンストはグリフィンに活を入れ、速度を上げさせる。現状、目に見えてアヤカシに当てられているのは彼だけだ。完全な目視が出来ない以上必中とはいかないが、それならそれで己の限界まで打ち続けてみせよう――
 その彼の視界に、示し合わせたか偶然か同時に中心部のアヤカシに迫る五つの騎影が入った。

 このアヤカシには先に示された能力以外、何の力も無い。自然現象に等しい力を一つ得た代償か、肉体形成の不備。及び下級アヤカシと大差無い程度の耐久力しか持たない。更に、生命体としては致命的な痛覚の欠如――最後のコレが原因で、実は消滅直前という事実を彼自身が全く分っていなかった。
 尤も、効果的な行動を起こすだけの知能も無いので、あっても無くても大差は無いのだが。
 進行方向から何かが迫って来るのを感じる。先程から何度も側面からは来たが、正面というのは初めてだ。彼が放つ風の向こうから大気の振動を感じる。
 それが何であるか。気付く前に、今までにない衝撃が彼の身体を貫いていた。

「――斬 り 裂 けぇえええええ!!!」
 それがアヤカシの感じた振動の正体。正面突撃を掛けた輝夜の咆哮。防御を埒外に置く彼女の姿勢。輝龍夜桜の降下速度、己の全霊。それら全てが乗った槍が、直前僅かに軌道をずらした事で、それ違いざまにアヤカシの胴を半分程断ち割っていた。
「悪いが‥‥ここが汝の終着点よ‥‥!!」
 衝突の衝撃で輝夜の身体もアヤカシの勢いに持って行かれそうになる。槍は断ち割った胴に埋まったまま。腕が軋んだ音を立て、輝龍夜桜が牙を食い縛りアヤカシの速度に負けぬよう羽ばたきを強める。
 このままでは何れ、先の一と同じ事になるが――
「これで、終わりなさい!!」
 その一当人が跳び込んできた。その手には槍でなく刀。大上段からのそれは赤い燐光を纏い、アヤカシの肩から背まで一直線に裂いた。
「貫き――通せっ!!!」
「その存在、滅しなさい!!」
 さらなる追撃。ルーティアの騎乗槍、ランファードの刀が、アヤカシの動きを止めている原因である輝夜に伸ばされようとしていた、異様に長い腕をそれぞれ斬り飛ばす。飛ばされたそれは、アヤカシ自身の放つ風の中に黒いものを撒き散らしつつ巻き込まれていった。
 ここに至って、漸くアヤカシも自身の現状を把握したのだろう。口以外何も無い顔が、周囲をぐるりと見回す。いや、目が無い以上見回すというよりは皮膚感覚で周囲の状況を捉えようとしたのだろうが、最早遅い。
「これで終いだ!! 潰れろぉぉォ!!!!」
 吠える羅喉丸。頑鉄の速度に身を任せ、姿勢を低く、肩を前に。今度こそ、しっかりと伝わってきた衝撃。それを全てアヤカシの身体へと送り込んだ。
 反発衝撃に負けじと歯を食い縛る。輝夜も恐らくはこれ以上もたないであろうから、ここで決めてみせる――と、ぶつかるものが何も無くなり頑鉄が宙でよろめいた。
 気付いた時には既にアヤカシは空の藻屑と消え、開拓者達の眼下には自然の息吹が栄える山々と、頭上には暖かい光を投げかける太陽が輝いていた。

●移り変わる季節
「さしずめ、あ奴にとって我らが春一番だったのかも知れんなぁ」
 アヤカシ消滅後、近場の山に降りて瑠璃と雛の癒しが終わった所で、輝夜がそんな事を言った。皮肉なのか判断に迷う所だが、笑いが混じっているのでこれは冗談の類だろう。
「どちらにせよ、季節外れには変わらん。あんなモノは疾く消えるに限る」
 ベルンストは淡々としている。身を縛る装飾とグリフィンを労わる様に触れた後は口を閉じてしまった。
「ある意味じゃ良い鍛錬にはなったが、二度と出ない事を願った方がよさそうだな」
「そうですね‥‥皆さん、一休みしたら早く下に戻って暖かい所で休みましょう」
 羅喉丸の言葉を引き取った雛が話題を変える。アヤカシ消滅直後は暑いくらいに感じたが、身体が慣れるにつれ今度は寒くなってきた。気を使わないと風邪でもひきそうである。
「んー‥‥こういう所に居る獣の肉ってどうなんだろう‥‥? 鳥じゃありきたりだし‥‥」
「あ、の‥‥ルーティアさんは‥‥何を?」
「さて、自分には分りかねますが‥‥肉?」
 滅多に来れない高い山の中を見回しているルーティアの呟きにランファードがおずおずと疑問を漏らし、一は不思議そうに首を捻る。
 因みに『肉』というのは、ルーティアの大好物及び生活の一部にすらなっているものである。背に対する大いなる希望も存分に含まれているのだが、明らかに彼女の背は低い。その代り、胸部がやたら発達しているが‥‥果たして、もう少しルーティアが歳を取った時にその事を嘆くか喜ぶかは謎だ。
「何にせよ、無事終わって良かったです。春は短いですから、あんなモノにその短いものを邪魔させるわけにもいきません――直に春は終わって梅雨になり夏になる。ですが、今はそれを取り戻した事を喜びましょう」
 立ち上がり天を見上げて瑠璃が呟いた。釣られ、全員が空を見上げる。そこには春独有の穏やかな太陽――直、あれは雲に覆われ雨の降り続く季節になり、次に顔を出す時には嫌になるほど強烈な光を浴びせてくれるだろう。
 ――春に訪れた季節外れの台風を模したアヤカシは、こうして春の空の元で消え去った。