【山河】石楠花
マスター名:北野とみ
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 易しい
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/05/17 22:57



■オープニング本文

 細長い葉を従え、その中心には、薄い絹を寄せ込んだような花弁を持つ花が、円を描くように咲き誇る。
 そんな花を幾つもつけた、木は大きく、大人の背丈の倍ほどもある。
 そして、人が行きかうだけの幅を持たせた山の小道の両脇に、圧倒的な威厳を持って花開いている。
 その花の名は石楠花。
 
「今年は、縁起を担いで、開拓者さんに参加していただきましょう」
 朱藩と武天の境近くのとある山奥の、鋼色に焼き上げられた天儀風の瓦屋根に、焦げ茶の壁。大きな平屋の館の一室で、白い髪をきっちりと結い上げ、深い紺色の男性用の胞を着込んだ老婦人が、側に控える屈強な壮年の男に声をかけた。
「はい。奥様」
 深緑の胞を着込んだ男は、女主人の言葉に、一瞬逡巡を見せるが、すぐに気を取り直し、深く頭を下げた。男が、広い執務室から退出するのを、書類を見ながら確認すると、女主人は小さく溜息を吐き、単眼の眼鏡を外し、眉間をほぐす。
(「‥‥桜が倒れた‥‥と言う事は、呪は消えたと言う事か‥‥」)
 思い出したくも無い、あの女の愚かな仕業。
 愚かな仕業ではあったが、確かな呪でもあった。
(「元はと言えば、私が悪いのでしょう」)
 無理に妻を娶らせた。
 しかし、息子には百年を誓った女性が居た。
 出来ぬ跡取り。
 あてがう側室。
 そして、正妻が惑い。
 寡婦となった女性を無理に連れて来た。その女性は産み月であり、男子を産んだ事で、正妻は桜に呪を刻み、かの地で十六夜の血筋を滅っせんと動くアヤカシを呼び込んだ。
 正妻によって呼び寄せられた、行き場の無い老人が、その呪を形にしたのだ。老人は陰陽師であった。
「誰も居なくなった後で気が付いても、遅い‥‥のでしょうけれどね‥‥」
 あの男の子は、多分生き延びただろう。アヤカシが襲わなかった。血筋が違うのだ。
 それだけが、僅かながらも、この胸に去来する虚しさと辛さを和らげてくれるのだけれども。
 探したけれど、見つからなかった。よほど遠くへ、よほど奥まった土地へと逃げたのだろう。人の住む町から離れたのだろう。無事を祈るしか出来ないこの身が口惜しいけれども。
「‥‥私も桜と共に、この地を去るのでしょうね」
 女主人は、胸を押さえた。
 アヤカシが猛威を振るった時、瀕死の傷を負った。息子は、陰陽師と正妻に対峙しつつ、この身を龍で逃がしてくれた。
 まるで昨日の出来事のようであり、遠く霞がかかった記憶のようであり。

 月妃は、夢を見ていた。
 小さな頃、桜の花が満開で。その中で綺麗な人が笑っていた。
 その笑いは、とても綺麗で、怖かった。
 好かれては居なかったのを知っている。
 けれども、憎まれているとは知らなかった。
 ──死んでしまえ。
 艶やかな笑顔を浮かべて、その綺麗な人が言った。
 大きな背が、それを防いでくれた。
 かあさまが手を引いてくれて、その地から逃げ出した。桜の香りと、花弁が追ってくるようで、胸が痛かった。
 大きな背をもう一度見ようと振り返れば、その背は見慣れた背に変わっていた。
『大丈夫だよ、月妃』
 振り返って笑うのは、月輪だった。
『もう、大丈夫だから』
 本当に?
 そう聞けば、大きく頷いてくれた。
 小さな、月輪。
 大事な弟。
 いつの間にか、大きくなったね。
 月妃は、朝の光で目を覚ました。
 何時も見る、怖い夢。
 けれども、今日はもう怖くなかった。
 どうしてかわからなかったけれど、もう、怖いものは居ないのだと、はっきりとわかったのだった。

「石楠花摘みかあ」
 街に張られた小さな募集を見て、月輪は、何となく月妃を連れて行きたいと思った。
 桜の時期は塞いでいる事の多い月妃だ。
 皐月の風を感じて、花を見せたいと、月輪は思った。

「石楠花の花を摘むのは、来年の花が綺麗に咲く為なのですが、女性が何時も美しくいて欲しいと言う、ちょっとしたおまじないも兼ねているらしいんです。だから、女性の皆さんは、石楠花の花を摘んで、あやかるという風習が、そこの土地にあるみたいなんです」
 冒険者ギルドの職員佐々木 正美は、大きなお屋敷のお庭の小道ですと、説明をする。
 そのお屋敷は、綺麗に整えられた、大きな庭園があり、石楠花の小道を抜けた先に、小さな東屋があり、その東屋で、石楠花を見ながらお茶とお菓子がいただけるのだという。
「開拓者さんが来ると、縁起が良いっていうのが、依頼‥‥というより、ご招待の内容ですねっ」
 石楠花を摘んだ後、お茶を飲みつつ、花の好きな女主人へと、珍しい話をして欲しい。との事だった。


■参加者一覧
崔(ia0015
24歳・男・泰
犬神・彼方(ia0218
25歳・女・陰
鷹来 雪(ia0736
21歳・女・巫
黒森 琉慎(ia5651
18歳・男・シ
一心(ia8409
20歳・男・弓
煌夜(ia9065
24歳・女・志
アグネス・ユーリ(ib0058
23歳・女・吟
レートフェティ(ib0123
19歳・女・吟


■リプレイ本文


「縁起担ぎかあ。そんな大した人間じゃないけど折角のご招待だしね」
 派手では無い。かといって、地味には遠い。そんな、美しい石楠花の花弁の重なりを楽しみながら、ゆるゆると、黒森 琉慎(ia5651)は、歩を進める。開拓者と言うよりは、普通の人と言って良いような姿。そして、周囲に溶け込むかのようなひっそりとした歩みは、琉慎の生まれがそうさせるのだろう。
 しばし歩けば、不意に視界が開けて、立ち止まる。綺麗に手入れされた芝生の青さは、石楠花の葉の緑とはまた違った眩しい若草色に芽吹いている。芝生の広場の中央には東屋がある。
 東屋といっても、十数人が楽に寛げるほどの広さだ。六本の柱に支えられた、天儀風の鋼色の瓦屋根。天井近くには連なる透かし模様の枠組みが六本の柱の間を渡り、品の良い装飾となっている。
 では、また後でと、挨拶に来ていた崔(ia0015)が、軽く会釈をすると、琉慎と入れ違い様に、石楠花の小道へと、旗袍の裾を軽く翻して戻って行く。僅かな疑問を抱えて。
(「十六夜‥‥? あの桜屋敷の主と同じ名か、そう何処にでもある名でも無さげだが‥‥」)
 崔には覚えのある名前だった。桜の時期、倒れそうな古木を始末しに向かった山奥で、管理人だけが居る大きな屋敷があった。その屋敷の持ち主の名も、十六夜と言った。
 十六夜光妃。そう、漆黒の袍を着た女主人は名乗った。
 花摘みの招きに感謝の言葉を告げた琉慎は、山と言って良いような庭園を眺める。依頼書には、花商人とあった。ならば、他にも育てている花はあるのだろうかと、純粋な好奇心で尋ねれば、もちろんと返事が返る。良ければ、他の花も見せてはもらえないかと聞けば、盛りが重なる花もある事はあるが、ここからでは遠く、石楠花だけでは物足りませんでしょうかと微笑まれれば、琉慎は、とんでもないと首を横に振った。
「無粋な話ですが、普段植物は薬として用いる事が多いものですから、愛でる機会は意外と少ないんです。なので、今日は新鮮な感動を味わっていますよ」
「生薬ですか。それは貴重な知識をお持ちですね。‥‥花だけ愛でていただけると、嬉しいものです」
 生薬と言う言葉に、琉慎は、軽く肯定の頷きを返す。間違ってはいないが、シノビとして用いるそれらは、生者では無く、死者へと天秤が傾く生薬が多い。そして暗に告げられる石楠花の葉の意味に、これだけの敷地を構える花商人の奥もちらりと見え。
「はは、そうですね。そういえば、花が綺麗な姿をしているのは、子孫を残すためだそうですね」
「我々人にとってはありがたい事です」
「そうですね」
 美しく咲く。それは、花が生き残るための手段に過ぎない。そう考えて、琉慎は心中で苦笑する。シノビの業なのだろうか、自身の心の持ちようなのか。
(「‥‥そういう風に考えてしまうのは悪い癖だね」)
 薫風が、花の香を運んで行く。
 レートフェティ(ib0123)は、石楠花の花の香を胸いっぱいに吸い込むと、村の女達の合間に混ざり、軽く口笛を吹きつつ、やわい花弁を摘む。花の香がほんのりと手に移り。
 踊るような軽やかな足運び。アグネス・ユーリ(ib0058)は、石楠花の花を見て、満面の笑みを浮かべた。
「いつまでも綺麗で‥‥ふふ、女の夢よねぇ♪ 気合入れて摘みましょ〜」
 小麦色のしなやかな手が、その一枝だけで、花束のような花を摘む。
「花、なぁ‥‥俺ぇにゃ似合わねぇが、嫁や娘への土産にゃぁ丁度いいか」
 柄では無いがと、口の端を上げて、くっと笑うと、犬神・彼方(ia0218)は、しなやかなその花弁に手を伸ばす。
「験を担ぐってのはいいなぁ」
 きりりと締められた胸元。男のなりだが、柔らかな線を隠せない。親分と呼ばれ、言動は並みの男より男らしい彼方ではあるが、性別は陰陽の陰。しかし、それはあまり問題では無さそうだ。
「‥‥少しでぇも想いがこもってりゃ、あいつらは喜んでくれそうだしな」
 彼方は、きっと喜ぶであろう、伴侶と娘の姿を重ねて、笑みを深くする。
 真っ赤な袴に、白い着物と白銀の髪が見え隠れする。
「久し振り!」
「はい、煌夜様もお変わりなく」
 煌夜(ia9065)は、白野威 雪(ia0736)を見つけて、声をかけた。
「何時もう美しくという願いを込めて花摘みって、なかなか素敵じゃない。結局は自分の努力次第だけど、験を担ぐのも、気合を入れなおすって意味なら大事だし」
 にこりと明るい笑顔で笑う煌夜に、雪は目を軽く見開いて、くすりと笑う。
 煌夜は手に持てるだけの花を摘んで終わりにする。まだ、村人は沢山やってくるのだろうし、何より、こうして、この小道を彩る今の姿も、もう少し愛でていたいものだと。
 花を摘んではみたものの、自らの性別を振り返り、おまじないは無効だろうかと考えた崔は、同じ花でもそれを手にする女性達を眺めて、知らず、呟いた。
「‥‥男冥利に尽きるよなあ」
 呟いてから、我に返り、女性と花とを見比べて、頬をかいた。
 つるりとした細長い葉が、花束のような花を中心に放射状にぐるりと伸びる。その、独特の姿を見て、一心(ia8409)は、笑みを零す。
「石楠花は意匠にすると、とても映えそうですよね『難を避ける』という意味もあるそうですし‥‥」
 石楠花を何か形に出来ないかと、熱心に素描する。
 元々、石楠花は高山に咲く。危険な場所で出会ったこの花を見て、人は『荘厳』な面持ちと、その場所に咲く事で『威厳』を見た。そして、この花が咲く場所では、より注意をしなければ生き延びれないという意味も込めて『注意せよ』、『難を避ける』との訓告を花言葉につけた。
「お守りか何かに刺繍でもしてみようかな‥‥刺繍って、あまりした事無いけど。お手本とか無いかな‥‥」
「あの‥‥立ち聞きするつもりじゃなかったんですが」
 村人に混じり、小さな男の子が、背負子に少女を乗せて、一心の近くに来ていた。
 差し出されたのは、小さな刺繍の袋。刺されていたのは淡い緑の布に零れんばかりの連翹。裏のしまつも綺麗で、姉の作ったものだと、はにかむように笑顔が返った。細工物ならば、何でも手がける一心は、糸の流れの綺麗さに指を這わせ、大体の刺し方は見て取れて、少年と少女に笑みを返した。一心の手元が気になる風の少年に、素描を見せれば、自分も描くのだと、動物の皮に描かれた幾つかの卓抜した素描が差し出された。その中には、連翹の素描もあり、少年が描いたものを少女が刺繍しているようであった。

 背負子の少年をを見つけた崔は、楽しげに名を呼んで近付くと、その頭を、ぐりぐりと撫ぜまくる。何となく物言いたげの少年、月輪に、大丈夫と言う目配せを送る。桜の館で話した事は、背負子に背負っている姉、月妃には内緒である。依頼の中、たまたま出会った月輪との縁はこれで三度目。打ち解けた風の月輪に、月妃もぺこりと挨拶をする。
 構い倒している崔にくすりと笑う一心は、何か手伝える事があればと言葉を足せば、そういう事になったら、お願いしますと返事が返り、何時でも声をかけて欲しいと、ひとつ頷く。
 煌夜と雪は再び出会えて嬉しいと言う月妃と挨拶を交わす。具合はどうかと煌夜が聞けば、機能的には問題は無いのだと医者は言うらしいが、どうしても立つ事が叶わないと、辛そうな月妃に、そう言う事もままあるのだから、気にしないでいつか歩けると思えば良いと満面の笑みを送る。その笑みに月妃が微笑んだのを見て、さらに笑みが深くなる。
 歩けないと言う事は目立つ事でもある。背負子の月妃へと高い所の一際鮮やかな花を摘んでレートフェティは手渡す。後で糸で繋いで首飾りにしてかけてあげようとこっそり思い。
 可愛い男の子だと、留めたアグネスは、にこやかに声をかけると、石畳に落ちた花で足元が滑らないようにと、月輪が歩く先を気付かれずに整える。仲の良い姉弟に、思わず綻んで。
 笑いかけた彼方は、自分の姿に思わず目を見張る月妃へと、屈託の無い言葉をかける。彼方のその態度に、月妃と月輪はすんなりと懐いたようで、何とはなしに、皆揃って東屋へと花摘みながら進んで行く。


 女達で笑いさざめく東屋の一角、開拓者達は思い思いに、薄緑の陶器で作られた丸い椅子に座る。菓子を差し入れるのは一心。ぷるんとした黒砂糖風味で、甘過ぎなく、あまり腹にもたれない優しい味に、場に居合わせた者達は舌鼓を打つ。
 仲間達の話を聞こうと、座った雪は、用意された暖かな、深い味の緑茶と、仄かに花の香りもする胡桃や干し果物が沢山入った、ずっしりと重い饅頭を一口食べて、雪は美味しさに笑みを浮かべ、石楠花の花の見事さを光妃に嬉しそうに話す。
 初めて見るそのお饅頭に、レートフェティ(ib0123)は屈託の無い笑顔を浮かべ、光妃に礼を告げれば、歌歌いさんのお話も楽しみだと微笑まれたので、それではと、ハープを鳴らし話し始める。
「私は季節の鈴蘭のお話でも。鈴蘭はこの時季、涼やかな香りのかわいい花を咲かせているわ」
 高音の弦の音が東屋に響き、歌い始める。
 軽い足取りで芝生に踏み出す。石楠花が華やかに香ってくれるよう頼むように、愛を語るように歌いかけるのは、言葉の通じない相手に向かう歌声。その声は薫風を捕まえ、石楠花を撫ぜて吹き抜けるかのように響いていった。最後にハープをかき鳴らせば、拍手が沸き起こった。光妃の元へと戻ると、お茶を差し出される。
「私にこの話をしてくれたおじいちゃまは、亡くなられた奥様にお会いしたのですって。ダンスを踊ったと楽しそうに語ってくれて。お昼寝でもしてたのだと思うけれど、本当のことだとしたら‥‥」
「きっと本当の事‥‥私はそう思います」
 そんな、光妃の答えに、そうだと良いですとレートフェティは頷いた。
 気さくな彼方が、光妃に上半身を乗り出して、身振り手振り、ついでに満載の表情もつけて、面白く話を始める。
「とあるぼったくりの酒場があってな。そこにハマっちまった坊ちゃんをどうにかぁしてくれっていう依頼だったんだが‥‥そいつは仕事は真面目にこなすんだが、その酒場の女に惚れちまってなぁ。俺達でぇ客の振りしてぼったくりの現場掴んで、店取り押さえてぇ坊ちゃんの目ぇを覚まさせたってぇわけさ。んで、惚れてた女も借金云々でぇ無理やり店で働かされてぇたんだけどさ。今じゃ、その女も坊ちゃんの店で働いてるってぇ聞くし、良い仲になってぇるだろうなぁ 」
「‥‥まこと、男女の仲は切っても切れぬもの。好いた好かれたが一番ですね」
 目線を落とした光妃に、彼方は首を傾げて、何か変な話をしたかと問えば、いいえと、微笑まれる。
 琉慎が扇を右手に芝生へと足を踏み出す。脚のに気の流れを集中させた、開拓者ならではの豪快な動きが、滑らかな動線を描く。ゆらりと現れるのは琉慎の朧。ふわり、ふわりと裾や袖が翻って、周囲の目を釘付けにする。大きな鳥が舞うような動作がぴたりと止まると、羽のような動きのその扇が、一際大きな音を立てた。踊りの終いを告げる一礼に、我に返った人々から、喝采が贈られる。
 どうしようかと考えた煌夜は、では。と、思い出しつつ話し始めた。
「花畑の御伽噺よ。‥‥争いの無い、精霊達の住まう地の話。見渡す限り見た事の無い花の花畑で、それがこの地と交わる時には、この地にもその花畑が姿を見せるの、ある条件を整えて、争いの無い場所で、その花畑を思えばそこに行けるって言うわ。幻想世界の御伽噺なのが残念だけれど‥‥だけど、この花に囲まれた小道も、きっと、そう思ってみれば高天原の世界にも見えるんじゃないかしら。ここには花も、花摘みを楽しむ人の笑顔と平和もあるから」
「貴方はまっすぐな方ね」
 光妃の謝意に、煌夜は、首を横に振る。どんな思いでこの光景を作ったのかはわからない。けれども、人々の笑顔がある。先を良いものにと願う人だからこそではないかと、煌夜は思ったのだ。
「少し前に依頼で出向いた先で、とても綺麗な枝垂れ桜をみました。いえ寧ろ、豪華絢爛といってもいいかもしれない。あれ程の桜は初めてでした。とても言葉では表しきれない感動でした。それから少し調べたのですが、枝垂桜の花言葉『優美』らしいですよね。なんだか成る程と納得してしまいましたよ‥‥石楠花の花言葉は『荘厳』でしたか?」
 頷く光妃は、桜という言葉に、僅かに眉を顰めていたのを、一心は心に留めた。
 アグネスもその表情は見逃しては居なかった。純粋に疑問が湧く。
「桜、好きじゃない? あたしは、好きよ。あの花くらい‥‥多くの人が、それぞれの想いで見上げる花って、無いと思うの。沢山の想い‥‥愛や、憎しみ、明確なやもの、複雑なもの‥‥を、託されて、毎年、凛と咲いて華麗に散って
。ねぇ、まるで‥‥想いを、空に土に水に、還してくれてるみたい、じゃない? 今年の春は、依頼でも色んな花を見たの。子供の秘密基地に咲く可憐な春告花。可愛い可愛い初恋物語、だったわ。敵は巨大蛞蝓‥‥ちょっとねぇ、見た目が‥‥だったけど。それから、逝く人を送って儚く舞う桜‥‥この桜の役をね、劇で演じたの」
「それは良い時間でしたね‥‥。そう、桜は万人に好まれる花である事は承知していますが‥‥」
 お茶を口にして、言外に桜の話題は、もう沢山であると言う素振りを見せた光妃に、人には色々あるのだろうなあと、アグネスは思う。こちらにはなんとも無い事が、相手には酷くわずらわしい事があるというのは、ジルベリアでの巡業で何度も体験した事だ。
「じゃ、お茶請けに」
 しゃらしゃらと両の手につけた鈴を鳴らし、アグネスは笑みを浮かべて、足を踏み出す。言葉の通じない相手にも通じるその歌を歌う。ゆるゆると紡がれる言霊は、場に染み入るように響いて行く。
 踊る足取りは、ゆらり、ゆらりと空をかき。
(「自分自身の心‥‥誰の心にもある想いを、記憶を、辿って‥‥」)
 歌に込めるのは、心の解放。精霊の言葉で、僅かでも、温かな気持ちが喚起されるようにと。

「残念ながら、嵐のお陰で『月』を背景に桜を眺めるのは適わなかったが」
「‥‥では、桜を始末して頂いた‥‥」
 アヤカシ退治だけではなく、開拓者は細々とした仕事をこなす。嵐の日に桜の古木を始末してくれた開拓者と知り、光妃が深い息を吐き出すので、崔は言葉を止める。
「また、お願いをする事になりましょう。私の護衛として、あの屋敷に出向く為の」
 お付きの男が息を呑むのを崔は感じた。
 開拓者の縁起の良さを聞くレートフェティは、『魔を払い、幸せを呼び込む』のだと返事を貰う。アヤカシを退治してくれる開拓者だからこその縁起担ぎ。
 石楠花と開拓者に通じる思いが、成就されようとする一瞬に出会ったのかもしれなかった。