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■オープニング本文 ● (「あぁ……まただわ……」) 朝、布団から起き上がろうとした篤はその手が土で汚れている事に気付いた。布団を持ち上げてそろそろと足を見れば同じように汚れている。 (「……ということは?」) 振り返る、明り取りの丸窓の横にある文机、その上に見知らぬ財布が置いてあった。表面には赤茶の飛沫のような模様、否乾いて変色した血。 (「ならば、そろそろ……」) 襖の向こうに人の気配がした。 「ねぇ。篤、起きているかしら?」 姉の敬だ。 「えぇ、お姉さま、起きているわ」 答える声が僅かに震えている。篤はこれから姉が話す内容を解っていた。 「昨夜また、通り魔が出たらしいの。被害に遭ったのは幾島家のお嬢様。ほら、小さい頃に会った事あるでしょう?」 (「……やっぱり」) 体の震えが止まらない。土で汚れた手を握り締めた。歯がガタガタと音を鳴らすのを悟られないように顔を布団に押し付ける。 篤の返事がないのを敬は恐怖にせいだと思ったらしい。落ち着いたら朝食にしましょう、と去っていく。 姉が去った後、布団から顔をあげもう一度文机を振り返る。乗っているのは女物財布。そろり、と文机まで這っていき、それを手に取った。 乾いた血の下に見え隠れするのは幾島家の紋。 「どう……して……」 篤はその場で崩れ落ちる。 篤の住んでいる界隈は閑静な住宅街であり、どの家も古くから続く格式のある家柄ばかりである。普段は酔っ払いの喧嘩一つ無いところだ。だというのに、ここ数ヶ月通り魔事件が連続して起きている。被害者は若い娘ばかり、当然、皆良家の子女だ。どの娘も肩から腹にかけて袈裟懸けに一刀両断され絶命していた。今のところ犯人の手掛りは見つからず、捕まる様子はない。 そして通り魔が出た翌朝には、決まって篤の手足は土で汚れており、部屋には被害者の所持品があるのだ。 (「記憶にはないけど、私が……やってしまったのかしら?」) 汚れた手を見る。この手で何人もの娘を切ってしまったのだろうか。 「私はやっていない」そう自分を信じきれなかった。何故なら、思い当たる節があるからだ。 被害者の娘達には共通点がある。それは和泉家の嫡男帯刀と噂になったこと。帯刀は篤の五歳年上の幼馴染、そしてずっと淡い恋心を抱いていた憧れの相手でもある。 幼い頃に「大きくなったら結婚しよう」とままごとのような約束もした。 もっとも少し経ってから帯刀が姉の敬を好きであったことがわかり、呆気なく失恋してしまうのだが。 でも篤はその初恋を忘れる事ができず、互いに交換した御守りを大事に持っている。だから篤も年頃となり帯刀とは文を交わす事すらなくなった今でも、彼が誰かと浮名を流すたびに胸が痛んだ。 その帯刀が先日婚約した。相手は都築家の娘の初花といい、大変美人で気立てがいいとの評判だ。お似合いの二人で帯刀もご両親もたいそう喜んでいるらしい、という話だ。 それを聞いたとき篤は人知れず泣いた。 だから彼を忘れられない自分の中でその娘達に対する嫉妬心が膨れ上がり、気付けば夜な夜な鬼に変化し娘達をこの手にかけたのではないか、と。 (「私の中に……鬼が……」) いずれその婚約者も、ひょっとしたら帯刀のかつての憧れの相手である姉をも手にかけてしまうかもしれない。 強く己の肩を抱きしめる。 「お嬢様、お湯をお持ちいたしました」 姉と入れ替わるように乳兄弟の夕子が身支度を整えるための湯を持ってきた。 「此方においておきますね」 夕子は篤がただ一人この話を打ち明けた人物である。そんな事は無い、と彼女は否定するがそれは自分を慮っての嘘かもしれない。 夕子は汚れた姿を誰にも見られたくないだろう、と湯だけ置くとすぐに戻っていく。 誰も居ないのを見計らい、湯を部屋に引き入れると水面に映る己の顔をみつめる。 酷くやつれていた。 毎晩、寝る前に夕子が煎じてくれる気持ちを落ち着かせるという漢方を飲んでいる。そのお陰で朝まで目覚めることなく寝ているというのに、夢見が悪く寝た気がしない。 「本当は奉行所に訴え出るべき、なのよ……ね」 でも怖い。心のどこかで自分がやっていないと思いたい気持ちもある。それに犯罪者を出してしまったら家族はどうなってしまうのだろう、とも。 色々考えるとどうしても勇気がでなかった。 数日後、通り魔事件は思わぬ展開を迎える。奉行所が帯刀を犯人とし、取り調べるために引っ立てたのだ。 篤の耳にもその話は届いた。。 その日の夜、夕子が煎じた漢方を持ってきた時のこと。 「小夜の体調はどう?」 篤が夕子に尋ねた。小夜とは夕子の母であり、篤の乳母だ。昨年末より病で寝込んでいる。なんでも薬が入手困難であるらしい。 「それが、暑さが体にこたえるようで」 答える夕子の表情は暗い。母一人、子一人の仲のいい親子なのだ。 「私に何かあっても貴女のことはお願いしますと手紙に書いておくわ」 いきなりの言葉に夕子が目を瞠った。 「明日、開拓者様にお願いしにいこうと思います」 「それは以前にも……」 そう以前にも一度、開拓者に自分の様子を見張ってもらうように依頼したことがある。しかしそれは失敗に終わったのだ。 巡り合わせが悪かったというべきか。外を見回っていた開拓者達が男達に暴行されかかっていた女性に助けを求められた隙に通り魔事件が起きていた。更に篤の部屋の前で待機していた開拓者達は何故か全員眠ってしまっていたのだ。 自分達の失態であり責任を持って解決すると開拓者側から申し出があったのだが、その時はまだ真相を知るのが怖く、家族に内緒にしており長期間開拓者を屋敷に出入りさせることはできないという理由で依頼を取り下げたのだ。 「えぇ。でも今度は父上と母上が一週間ほど旅行にいきますし。それに帯刀様を……」 長い付き合いだけあって篤の帯刀に対する気持ちを知っている夕子は頷いた。 「では明日は私も御供します」 翌日、篤と夕子は開拓者ギルドの門をくぐった。 「夜中私が何をしているのか、見張っていて欲しいのです」 職員に事の次第を全て話す。そして……。 「もしも私が通り魔でしたらその場で捕らえて、奉行所に引き渡して下さい」 膝の上で手が震えている。それを隠すように強く握り締めて篤は頭を下げた。 |
■参加者一覧
菊池 志郎(ia5584)
23歳・男・シ
玄間 北斗(ib0342)
25歳・男・シ
ジャミール・ライル(ic0451)
24歳・男・ジ
ルッチェ・ニマーニュ(ic0772)
19歳・女・砲
ミヒャエル・ラウ(ic0806)
38歳・男・シ
染井吉野(ic0942)
10歳・女・泰 |
■リプレイ本文 ● まだ日が昇りきっていない明け方だというのに既に空気は熱と湿気を孕み、昼間のうだるような暑さを予感させる。 竈の煙が昇り始める閑静な住宅街。 白壁に挟まれた通りに一人の男の姿があった。黒髪を一つに纏め、質素だが清潔感のある格好に人の良さそうなのんびりとした雰囲気。どこぞの屋敷の使用人といった風情だ。 その男、玄間 北斗(ib0342)は奉行所の前を通り過ぎ一つ先の角まで行くと足を止める。 (「通り魔事件が発生してるわりには暢気なのだ」) 明け方、男が一人歩いているというのに声を掛ける様子もない。容疑者を捕らえ安心してるのだろうか。まだ犯人であるという確証はないというのに。 四人の開拓者達は屋敷の住人に気付かれないよう裏口から、篤の部屋に通された。 「…一人で、つらかったですね」 改めて篤から話を聞き終えた菊池 志郎(ia5584)が穏やかに微笑む。自身を信じる事ができないのは、さぞ寂しく不安だっただろう、と。 そして篤の覚悟を受け、調べた結果は包み隠さず伝える事を約束する。…とは言え犯人が剣術使いだと考えられること、凶器の刀が篤周辺に見当たらないことなどから彼女が犯人だと思ってはいないのだが。 「一つ頼みがある。姉に外出を控えるよう要請してもらいたい」 ミヒャエル・ラウ(ic0806)が篤に声をかけつつ夕子を伺う。ミヒャエルは敬と夕子を怪しんでいる。ただ敬を犯人とした場合、篤に対する工作の意味することがわからないのだが。 篤自身、姉のことが心配で、夜は外に出ないで欲しいと頼むつもりでいた、と頷く。 返事を聞くとミヒャエルは「初花の警護に向かう」とその場を去った。夕子の視線が一瞬だけ、何か言いたげにミヒャエルへと向く。 屋敷に残るのはジャミール・ライル(ic0451)と染井吉野(ic0942)、菊池は事件についての詳細を知るために奉行所へと向かう。 夕子が部屋を辞した後、コツリ、小さな音が鳴った。続けてもう一回、障子に礫がぶつかる音だ。篤が障子を開くとそこに一人の少女が立っていた。少女が腰に手を当てニカリと笑う。 「よー、初めまして」 依頼を受けた開拓者の一人でルッチェ・ニマーニュ(ic0772)と名乗ると、人差し指を唇の前に立てた。 「でも私のことは内緒な。夕子にも言うなよ」 あまり知られていないほうが色々と探りやすいのだと言う。 「話は聞いた。鬼が取り憑く、か。気持ちはわからんでもねーがよ」 くしゃりと髪をかき回してから視線を上げる。 「依頼人はあんただ」 びしりと人差し指を篤に突きつけて。 「なら私はあんたに精一杯応えて、真相を暴いてやる」 だから任せとけと胸いた。 外で菊池とルッチェは落ち合う。奉行所の与力は開拓者である事を明かすと、あっさりと今回の事件について語ってくれる。 娘達との関係を清算しようとした帯刀が、逆に初花に自分達の関係を告げると脅され、娘達を始末した、と睨んでいること。しかし帯刀は同時に複数関係を持っていたことはないと周囲が証言していること。 犯人も帯刀も右利きだが、帯刀はお世辞にも剣が使えるとは言いがたいこと。さらには……。 与力が溜息をつく。門の方から「帯刀様に会わせてくださいませ」と娘の声が聞こえてきた。 帯刀の婚約者初花が毎日、彼に差し入れを持ってくるそうなのだ。それぞれの実家からも帯刀を釈放しろと催促が来ていると肩を竦めた。 「取調べ中の者に会わせることはできません」 「ならばせめても差し入れを」 初花と門番が揉めている。初花の背後では侍女が「お嬢様落ち着いてください」とうろたえていた。 「お疲れさんっ」 ルッチェは同僚にでも挨拶するように気安い調子で門番に声をかけ、揉めてる両者の横を通り抜ける。そして潜んでいる玄間とすれ違い、周辺調査のために去っていった。 菊池も篤の屋敷へと戻っていく。 玄間はすれ違い様ルッチェから渡された文を確認する。そこには篤から聞いた話、奉行所での話が手短にまとめられていた。 (「何とも胡散臭い状況が揃い過ぎているのだ 」) 玄間も篤の依頼を受けた開拓者の一人だ。裏で蠢く何者かに悟られないように、依頼主にすら己の存在を隠し行動をとっている。 昨日一足先に確認した篤の様子は、余程思いつめているのだろう長いこと患っている病人のような姿であった。 (「うら若い乙女が、苦しみやつれて行くのは何とも忍びない話なのだ」) 容疑者として捕らえられた帯刀は篤が幼い頃より慕っている相手。帯刀を助けるために彼女は自分と向き合うことを決心したのだ。 状況は彼女を犯人へと追い込もうとしてるように見える。 彼女の想いを利用し、陥れようとしているのであれば許しがたい。 (「恋心故に般若と化して…」) 物語ではよくある話。そして菩薩の顔の下に鬼を隠してるというのも。 篤が服用している漢方薬の件で当然夕子は要注意人物だが、篤の姉はどうだ。周囲の噂では悪い話は聞かない。しかし、自分に憧れていた男が別の誰かと結婚することになったと知ったら……。 (「夜遅く出歩く理由もあるし…、小夜さんの件で夕子さんをって恐れもあるのだ」) これ以上被害を拡大させるわけにはいかない。彼は被害者候補の一人である初花に意識を集中させる。 篤の部屋に残ったジャミールと染井。 「今夜の見張り役になったジャミールです。よろしくねー」 ジャミールがふわりとカフィーヤを舞わせて首を傾げた。 「あ、そうだ。甘いもの好き?」 お土産あるよ、なんて明るい調子で話しかける。覚悟を決めているとはいえ、篤はまだ若い娘だ。不安もあるだろう、それに知らない者と一緒に過ごすのも緊張するだろう。それを少しでも和らげたい心遣いであった。 「他の人に見つからないように……」 染井も篤の心を少しでも軽くしたいと願っている、だから殊更深刻にならないように無邪気に笑う。 「まるでかくれんぼみたいで吉野はわくわくどきどきです」 実際、大きなかくれんぼのようだと思う気持ちもある。 夕子が三人分の茶を淹れてやってきた。茶を置くと部屋を出て行く。 その夕子に注がれる視線。初花の警護に行ったはずのミヒャエルのものだ。彼は夕子の様子を見張っていた。篤や開拓者たちに細工をできる立場にいるのは夕子だ。 「ところでさ、お願いがあるんだけど」 ジャミールも染井も茶には手を付けない。事前に屋敷で出されたものには一切手を付けないと取り決めている。ただ手を付けないままだと怪しまれるので、篤や夕子の視線のないときにそっと布に染み込ませたりなど工夫はしていた。 「足見せてもらえない?」 「足ですか?」 「そう、素足で外出てんなら細かい傷とかもついてると思うんだよねー」 足袋を外した篤の足を取る。良家の子女らしく踵まで白く柔らかい。傷一つどころか、爪の隙間に土が入ってることもなかった。 夜、ルッチェは初花の家を訪ねる。出てきたのは昼間、奉行所で見かけた侍女。 「ここんとこ物騒だがお宅の娘さんはちゃんと家にいるかー?」 丁度巡回が初花の家の前を通る時間帯に合わせている。同心の姿を見て、ルッチェを奉行所で見たことを思い出したのだろう。彼女の事を勝手に一員だと思ったようだ。もちろんそれを見越してのルッチェの行動であるが。 「はい、お嬢様は家におります」 「なら良い。ちゃんと用心しろよ」 玄間が動いている気配もない、ということは実際に初花は自宅にいるのだろう。 初花の在宅を確認すると巡回の同心を追いかけるように走り出す。そのまま家の裏手に回り、そっと木戸に風鈴を掛ける。戸が開けば音でわかるという寸法だ。 廊下で待機していた染井は夕子の姿をみつけ声をかけた。 「それは篤さんの漢方ですか?」 やはり苦いのでしょうか、なんて眉を八の字にしながら尋ねれば、染井の外見も手伝ってか「そんなに苦くないのよ」と夕子が笑う。 「そのお薬は偉い先生が処方してくれるんですか?」 「母の薬を処方してくれてる先生にお願いしてるの」 やはり薬の出所は夕子と係わりのある漢方医らしい。 部屋では篤が縁側に出て空を見上げていた。 夕子が部屋から去った後、外には菊池が、隣の部屋にはジャミールがいるが、今此処にいるのは染井と篤だけだ。 「誰かを想う事ができる人は、鬼にならない吉野はそう思うの」 月明かりに照らされ青白い篤の横顔に声を掛ける。 「自分を疑う気持ちも分からないでもない」 でも、と篤へと寄る。そしてその小さな腕を目一杯のばし彼女の頭を抱え込んだ。 「篤は人を想う事が出来る。それは鬼には真似できないとても素敵なこと」 篤の髪をそっと撫でる。 「だから安心して」 篤の肩の震えが収まるまで染井は抱きしめていた。 寝静まった頃、ミヒャエルは気配を殺し、敬の部屋の前に立つ。そして襖にはたきを立てかけた。こうしておけば夜中に敬が部屋から出ようとすればはたきが倒れて教えてくれる。 ジャミールは何か物音があればすぐに起きれるようにしていた。結局夜中に一度夕子が様子を見に来たが、それ以外は何も起きない。 二日目、三日目も何事も起きずに過ぎていく。 ● 四日目、午前中に漢方医のところまで薬を貰いにいくと夕子が外へ出て行く。その後を着けるミヒャエル。 初花の屋敷でも動きがあった。裏口から出てくる一人の女。地味だが一目で上等な品と分かる着物に頭巾を被っている。いかにも良家の娘のお忍びといった出で立ちだの初花だ。供もいない。 初花には玄間が着き、ルッチェが敬の師匠の元などに変わった様子がないか調べに向かう。 玄間とミヒャエルは漢方医の元で鉢合わせた……ということは初花と夕子が揃ったということだ。二人が中の様子を探る。聞こえてくる会話は夕子と漢方医のものばかり。初花はほとんど話していない。ただ一言「これをお願い」と夕子に手紙を渡した。 手紙を手にした夕子の表情が暗い。 帰宅途中、何度も立ち止まっては手紙を見つめる夕子の姿があった。 ミヒャエルは夕子の隙を見て手紙を確認する。手紙は夕子の茶の師匠からということになっていた。体調を崩して当分稽古ができないという内容だ。呼び出しの手紙かと思ったのだが違う。 しかし夕方近くその手紙を受け取った敬が「師匠のところへ見舞いに行く」と言い出した。篤が危ないからと止めてもきかない。 なるほど、とミヒャエルは納得した。敬の性格を見抜いての手紙だったのか、と。この時点で二人の身柄を確保してしまっても良かったのだが、篤に対する細工の現場をまだ押さえていない。よって泳がすこととした。 ルッチェからは茶の師匠の元に敬から、今日稽古をつけてくれという内容の手紙があったという投げ文があった。 夕餉も終わり、日もとっぷりと暮れたというのに敬は戻ってこない。篤を落ち着かせるために、と寝る時間には早いが夕子がいつもの漢方を煎じた。皆様にも、と開拓者達にも茶が用意する。 篤が眠りについてからまもなく、近所で女性の叫び声が上がった。菊池が動く。地を蹴り塀を越え、走る。 案の定とでもいうべきか、貧しい身形の女が酔っ払いに絡まれている。 「遊んでる暇はありません」 通り魔の犯人に間違われないように刃物は持っていなかったが、酔っ払い如き菊池の敵ではない。瞬く間に組み伏せた。 「どなたに頼まれてこのようなことを」 力の差に唖然としてる酔っ払い達は口々に「試し切りをしてぇっていう侍に頼まれた」ということを述べる。この隙に逃げようとする女の袖を引き戻した。 「詳しいお話は後ほど奉行所でお聞きしましょう」 敬が見舞いに行くと師匠は元気な姿を見せ「本日教えてくれという手紙が来たので待っていた」と彼女を手招く。不思議なことあるものだと首を傾げたが、折角だからと稽古をつけてもらい、ついでに夕餉も馳走になった。帰途に着く頃にはもういい時間である。 玄間も敬の警護に合流した。初花に関してはルッチェが請け負う。 少し離れた場所から聞こえる女性の悲鳴。陽動の可能性を考え、これには菊池が対応することを決めていたので、ミヒャエルも玄間も動かない。 橋を通りかかろうとした敬の前に一人の男が立ち塞がる。手には抜き身の刀を一振り。 刀を構える男に、敬は悲鳴を上げることもできない。 剣を抜き走り出したミヒャエルが、振り下ろされた一撃を防いだ。ミヒャエルに向き直った男を玄間が物陰から手裏剣で狙う。流石に二人相手は不利だと思ったのか逃げ出した。 男を追いかけようと踏み出した背後で敬が倒れる。駆け寄る二人、男の捕縛より敬の安全を優先した。 ジャミールも女の悲鳴が聞こえた時点で目を覚ます。背後で襖が開く。夕子がジャミールが寝ているのか確認をしにきたのだろう。 (「犯人、捕まってもきっと万事丸く解決とはいかないだろうけど……」) 夕子が事件に加担しているとなれば、解決しても篤の心は痛むだろう。 襖が閉じられると身を起こす。そっと足音を殺して篤の部屋へ。 篤の部屋では夕子が今まさに桶に入れた土を篤の手足に塗りつけようとしてるところであった。 「騙してごめんねー」 ジャミールの手にした布が夕子の動きを封じる。 真っ青な顔をした夕子は目を閉じ、全身の力を抜くとその場に座り込んだ。 女の悲鳴が聞こえてから一刻ほどたった頃、初花の家の裏木戸が開き、初花が顔を覗かせた。木戸に掛けた風鈴が落ち澄んだ音を立てて割れる。その音に初花が周囲を見渡す。 「残念だけど、吉報は届かねーよ」 ルッチェがバヨネットを手に現れる。 「あんたの企みは終いだ」 崩れ落ちる初花の腕を掴んだ。 通り魔事件の実行犯は開拓者崩れの侍、だが裏で筋書きを書いていたのが初花であった。嫉妬深い女、それが美人で気立てが良いと評判の初花の別の顔。 憧れていた帯刀と婚約したはいいが、過去に彼と噂になった娘達の存在が許せない。 特に篤と敬は、幼馴染ということもあり帯刀が何かと話題に出す。なのでただ殺すだけでは気が済まず、敬を殺した後、篤にすべての罪を被せることを思い付いた。そのために同じ漢方医に通っていた夕子に彼女の母の薬を都合する代わりに協力させたのだ。夕子は当初拒絶をしていたが母の体調がいよいよもって悪くなると初花との取引に乗った。 朝、篤が目覚めると約束通り菊池は全てを告げる。夕子の事も。 夕子のしたことは悪い事だが、母を助けたいという気持ちも分かる。なにより生まれた時から一緒なのだ。どうにかならないか、と縋る篤を嗜めたのは夕子だ。 罪は償わなくてはならない、と。篤が泣き崩れる。 そっとジャミールが部屋の外に出た。 (「美人さんが悲しんでいる顔はみたくないもんだよねー」) 徐々に強くなる日差しの中、菊池に付き添われ奉行所に向かう夕子の姿があった。 |