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■オープニング本文 ● 新しい住人を迎えるなずな荘は朝からどたばたと賑やかだ。 「ひさぎさーん、敷布の洗濯終わったから布団も干しちゃうねー」 空き部屋を掃除していたなずな荘の女将ひさぎは外から呼ぶ声に窓から下を覗き込んだ。 常の干し場だけでは足りずに裏庭の端から端に渡した縄に白い布が翻っている。 「ええ、重たいから気をつけてね」 手を振れば「任せて! 開拓者だもの」と返ってくる。 「行灯だけでなくまだ火鉢も用意しておいたほうがいいかしら?」 また別の住人が廊下から部屋を覗く。 「そうねぇ、花冷えということもあるしお願いするわ」 「わかったわ。ちょうど前の住人が使っていたのがあるからそれを持ってくるわ」 その住人と入れ替わるように軽やかに階段を上がってくる音。 「忘れ物届けてきたよっ。本当あわてん坊だよね。新しい長屋でも早速茶碗割ってた」 じゃあ、廊下掃除手伝ってくるねっ、と再び元気な足音を立てて降りていく。 暫くしてバタバタバタッっと下から聞こえる音。どうやら廊下の雑巾掛け競争が始まっているようだった。 「さてと……拭き残しはないわよね」 雑巾を片手に部屋を見渡す。 間もなく此処に新しい住人がやってくる。 ● 右に左にふらふらと。覚束ない足取りの九十九屋店主六郎。 「六郎様、迷惑です」 店の奉公人の小鞠にぐいっと帯を掴まれた。 「ふぁあ……いやだってさ……春眠暁を覚えずって言うじゃない」 でっかい欠伸を一つ、それから目を擦る。普段から眠たそうな目はもう半分近く閉じかけていた。 「……六郎様の場合は春に限らず年中ですよね……。寧ろ三年寝太郎とかそっちの方ですよね」 覚醒している時間の方が短いです、という容赦無い言葉に「いやぁ」と何故か照れたように癖のある黒髪を掻きまわした。 「まー……のんびりできるうちにのんびりしとくべきでしょ。いつも緊張してばかりだといざって時にうご……ぉおお!」 道の凹みに躓いて前のめりにつんのめる。小鞠が帯を引っ張り慌てて引き起こした。 「……ぐっ……帯、締まりすぎて内臓的なもの出るかと思った……」 ぐったりとした六郎が水路の柵に手をかける。 「まったく、六郎様はできるだけ常に緊張しているべきだと思いますよ」 「んー……いいよ、俺が転びそうになったらまた小鞠に助けてもらうから」 よろしくねぇ、と並んだ小鞠の頭をぽんと叩いてまたふらふらと歩き出す。 「……っ! だから、ふらふら歩かないで下さい」 小鞠が小走りで追いかけていく。 ● 泰大学文学科、青藍寮。今日最後の四年生が寮を出て行った。新入生の入寮はまだ先だ。故に現在寮にいるのは一年から三年までの三学年。 「……なんだかこう静かになりましたよねぇ」 椅子に座り窓から外を眺めていた一年伊原司が呟いた。伊原の足元では彼の相棒のもふら梅丸が前足に頭を乗せて眠っている。 「なんだい、君は寂しくなったのか?」 寝台に寝転がって書物を読んでいた二年胡天水が伊原へと顔を向けた。 「別に寂しいわけじゃないですよ」 「まあ、まあ、強がるなよ。そこは素直に寂しいって言って良いんだぜ、君」 書物を脇に放った天水がにやりと笑う。 「ただこう……晴れ晴れとした物足りなさっていうのか……。なんかいつもと違うな、と」 「君もだんだん文学科の学生らしくなってきたじゃないか。……ま、安心したまえ」 勢いをつけ寝台の上、天水が起き上がって胡坐をかく。 「あと少しすれば新入生がやってくる。そしたらこの静けさを懐かしむくらいに賑やかになるさ」 「物静かな人が沢山来ることを望みますよ」 先輩達はお祭り好きでどれだけ苦労したことか、と伊原が溜息を吐いた。 「伊原君、君ね、それは矛盾しているよ。寂しいと言いながら物静かな人がいいなんて……。可愛いけれど頭の良くてでも抜けている包容力のあるちょっとだけ焼もちやきな女性ってくらい矛盾しているよ」 寝台から降りた天水が伊原へ寄る。 「まあ、色々と考えてしまうのは腹が減っているからだ。どうだい、ちょっと甘いものでも食べに行こうじゃないか」 ここは先輩たるこの僕が奢ってあげよう、と天水がぽんと伊原の頭を叩いた。 「あ、じゃあ俺、垂水屋の汁粉がいいです」 「……君、そういうところ遠慮がなくなったよな」 二人並んで部屋を出て行く。 「……そういえば今年も新入生捕まえての度胸試しやるんですか?」 「やるに決まっているだろう。これを通らずに文学科学生を名乗れぬと思え!!」 はーっはっは、と天水の高らかな笑いが青藍寮に響き渡った。 |
■参加者一覧 / 柚乃(ia0638) / ユリア・ソル(ia9996) / ニクス・ソル(ib0444) / 蒔司(ib3233) / リンスガルト・ギーベリ(ib5184) / リィムナ・ピサレット(ib5201) / ウルシュテッド(ib5445) / 笹倉 靖(ib6125) / サフィリーン(ib6756) / 玖雀(ib6816) / サミラ=マクトゥーム(ib6837) / ケイウス=アルカーム(ib7387) / イーラ(ib7620) / 朧車 輪(ib7875) / 雁久良 霧依(ib9706) / ジョハル(ib9784) / カルマ=G=ノア(ib9947) / 紅 竜姫(ic0261) / 沫花 萌(ic0480) / ラシェル(ic0695) / リーズ(ic0959) / 綺月 緋影(ic1073) / 小苺(ic1287) / シルヴェストル=カルネ(ic1306) / エオス(ic1335) |
■リプレイ本文 ● なずな荘の一室。少し冷たいけど清々しい朝の空気。 リーズ(ic0959)は空っぽになった部屋を見渡した。 「片付け大変だったな」 実際頑張ったのは友人のラシェル(ic0695)だ。大掃除の時と同じ、と次々この部屋の思い出が浮かぶ。 「……よしっ」 顔を上げ冒険道具を詰めたリュックを背負い、冒険に夢を馳せた部屋に別れを告げる。 「お世話になりました! 冒険先からお土産やお手紙送るから、楽しみにしてねっ」 なずな荘の女将に挨拶するリーズ背で揺れる大きな荷物。 「……持ちすぎだ」 少し離れた場所で様子を見ていたラシェルがそういえば全て捨ててしまおうかと思うほどに部屋にも物が溢れていたな、と溜息を吐く。自身は肩掛け鞄一つという身軽さだ。 此方へと駆けてきたリーズが振り返る。懐かしむような視線にラシェルは僅かに眉を寄せた。 (寂しいならここに残ればいい……) そう旅立つなら一人だと思っていた。リーズはラシェルのたった一人の友人、だからこそ共に居てはだめだと。でも……。 「大丈夫っ」 と、リーズは笑ったのだ。その言葉には不思議と力があった。不可能も成し遂げるのではないかと思わせるような。 そして根競べにリーズが勝ち、二人で旅立つこととなった。 「約束……覚えてるな?」 瞬いたリーズは「もちろんっ」と胸を張る。 「リーズ」 差し出す手。大丈夫、と言った時の笑顔でリーズがラシェルの手をとった。 「ラシェルと一緒だったら、きっとどこへ行っても楽しいと思うんだ!」 少し照れたように「えへへ」と鼻の頭を擦る。 「捕まえていろ」 繋いだ手に向ける視線。 「一緒に居てもいいという、俺の思いが揺れないように」 返事の代わりに強く握り返される。 「さあ、冒険へ出かけよう! 知らない世界が待っているよっ」 繋いだまま空へと突き上げる手。 (共に居たかったのは、俺かもしれない、な) 朝日の中二人は新たな世界へ一歩踏み出す。 割烹着に袖を通し台所で包丁を振るう紅 竜姫(ic0261)。隣でその手元を見守る玖雀(ib6816)。 今日作るのはちらし寿司と里芋と大根の煮付け。 竜姫が外へと顔を向けた。絶好の花見日和。だが花見に良い思い出がないと玖雀から聞きそれは無しに。 少し残念だが二人で料理もまた楽しい。大切なのは二人一緒ということ。竜姫は左腕の腕輪を見る。 それに煮付けは玖雀の大好物、と入る気合に彼から貰った泰包丁を握る手にも力が篭った。そして俎板に食い込む包丁。 包丁を引き抜く際に勢い余って飛んだ大根を玖雀が受け止めた。 (これが包丁でなくて良かった……) 次はこれを頼むと下茹でした里芋を竜姫に渡す。 竜姫が里芋を剥いている隙に大根に入れる隠し包丁。 かつて竜姫は味噌汁作りで師匠宅の台所を爆破し、それを食べて寝込み、結果拗ねて台所から遠ざかった時期がある。 今回はそんな彼女に自信をつけてもらうため、同じ轍は踏まぬと必死に補佐する決死の覚悟。 何より楽しそうに笑う彼女がみたい。 なので混入した卵の殻の破片も見なかったことに。 吐かず寝込まず食べれれば良い。 竈に薪をくべた竜姫が更に思いっきり風を送る。 轟っ 刹那、反則に近いと自ら禁じ手とした『夜』を発動。これは事故防止、と己に言い聞かせ火に灰を被せる。 その後も気付かれぬよう味を調え水を足し……玖雀はまさしくシノビの本領を発揮した。 二人並ぶ縁側。料理を前にいただきます。錦糸ならぬ縄卵や筋の残ったきぬさ、大小不揃いな里芋と大根。 竜姫が作った料理だ、故に玖雀はその身に死毒は宿していない。 煮つけを口に運ぶ玖雀、見つめる竜姫。 「……美味いっ」 玖雀の言葉に竜姫が肩の力を抜く。 「見た目はともかく。味は悪くないわね」 「美味い、だろ」 そこはしっかり訂正する。 「……っ」 「竜姫らしさが出ててどれも美味いよ」 「……ありがとう」 竜姫がふわりと笑った。 厳かに響く祝詞。幣がユリア・ソル(ia9996)とニクス・ソル(ib0444)の頭上を払う。 ニクスはそっと妻ユリアの横顔を見た。妊娠三ヶ月、「暫く着れなくなるから」と鮮やかな赤地に舞う桜の振袖を纏った彼女に訪れた変化といえば白い頬が少し丸みを帯びたくらいだろうか。 天儀式の安産祈願。勝利とは自分で掴むもの、故に自分もユリアも戦いにおいて縁起というものを気にしたことがなかったが子の誕生ともなれば勝手が違う。 それに……。 伏せた睫が縁取るユリアの柔らかい視線、帯の辺りを摩る手。 (子供やユリアの事を祈るのは悪くない……) ニクスは僅かに笑みを零した。 「何事もなく無事に顔をみせてくれるといいわね」 神主から渡された腹帯を抱くユリア。待ち望んだ子供だ、できる限りの事はしてやりたい。 「試しに引いてみないか?」 ニクスが御籤を指差した。 「御神籤? 祈りの場で運試しなんて天儀の風習って面白いわね」 運にはちょっとした自信がある。ユリアは結果に笑みを浮かべ「旦那様はどうかしら?」と隣を覗き込んだ。 「私が妊娠中の退屈さで暴れないように見張っててもらわないと、なのに」 ニクスの御籤に書かれた怪我に注意。 「怪我や病気をしてる暇なんて無いわよ」 むにっとニクスの頬を引っ張った。 「ああ、きみと子とのんびりと過ごすよ」 頬を引っ張る手はニクスに取られそのまま握られる。 茶屋へ向かう道すがら。 「ねぇ、子安貝のアクセサリーが欲しいわ」 「子安貝?」 首を傾げる夫に「安産祈願のお守りなのよ」と告げる。 「それは買わないとな」 真面目な顔で頷くのが愛しくて思わず笑みが漏れた。 (愛しているわ、私の旦那様……) 夫の肩に預ける頭。 (これからも一緒に歩いて行きましょう) 握り返された妻の手をニクスは包む。 新しい命を宿す妻の手。この手を決して離さない……何度も誓った決意を新たに誓う。生まれてくる子への感謝と喜びを込めて。 硝子張りの屋根から降り注ぐ陽射しにウルシュテッド(ib5445)は欠伸を一つ零す。 テーブルには揃いの茶器。先日泰の家族旅行にて購入したものだ。 先程まで温室は妻と娘へのホワイトデーにと息子達と開いた手作りのお茶会で賑わっていたが今は一人。遠くから子供達の遊ぶ声。 そういえば結局花を贈れなかった。実は未だ妻に花を贈ったことがない。買った花はどうもしっくりこない。 周囲に並ぶ鉢植え、冬に彩を添えてくれたプリムラ、梅の盆栽……全て姪が可愛がっていた鉢植えだ。 「いっそのこと育ててみようか……」 思い付きに悪くないな、と笑みを零す。 もっとも畑仕事はともかく園芸には疎い。妻が教えてくれ、子等が手伝ってくれたからこそ鉢植えの面倒もみれたのだが。 それでも広がる夢。 薔薇は定番 大輪の芍薬は妻に似合う 森に自生する藤で道を作ろうか…… 考えるうちに夢の中へ。眠るウルシュテッドにそっと毛布が掛けられた。 前に置かれたティーカップ。 ありがとう、と笑むシルヴェストル=カルネ(ic1306)、からくりエオス(ic1335)は目礼を返し一歩下がる。 紅茶を一口、カルネは外へ視線を向けた。昼下がりの庭、風にそよぐ春の花。 「段々と暖かくなってきたね……」 天儀は故郷ジルベリアに比べ四季の移り変わりが美しい。もうこれで見納めになるかと思えば一層の事。 静かにカップを戻す。 「……そういえばね、言わなくてはいけない事があるんだ」 はい、と背筋を正すエオスにカルネは家を継ぐ為にジルベリアに帰ることを告げた。 エオスの中に呆気なく自分達を廃棄した前の主が蘇る。 「エオス、君はどうする?」 一緒に来るか、此処に残るか。残るのならば何不自由なく暮らせるようにしてあげる、と主は言う。 (ああ、人間もこんなにも違うのか……) カルネに出会ってから何度となく思ったことをエオスはまた思う。要らなくなったのならば破棄すればいいだけのこと。だけど彼は違うのだ……。 「どうかお供させてください。ボク達は主さまのお傍にいたいです」 そこに迷いは無い。共に拾われた姉もきっと同じ想いだろう。 それを義理や責任と感じたのだろうか、カルネがエオスへ向く。 「君達から僕は幸せをたくさん貰った……。だから僕は君達に幸せをあげたいんだよ」 好きに生きていい、と優しい主の双眸が告げる。 「主さま、ボクは貴方のからくり」 だからこそエオスははっきりと言葉にした。 「主さまの望みを叶え、お役に立つことこそ、ボク達の幸せです」 これからもよろしくお願いします、とまっすぐにカルネを見つめる。微笑んだカルネの指がエオスの髪に触れた。 「エオス、お茶をもう一杯頂こうかな」 「はい、主さま」 答えは最初から一つだけ。彼と共にいること。だから今も、こんなにも……。 (胸が温かい……) からくりの体に広がる温もり。エオスはそっと胸に手を重ねた。 ひらり、はらり舞う桜。 「去年の花見だよな……」 女神に呪われたの、と綺月 緋影(ic1073)。 「そうさな…夢現の出来事じゃったが……」 蒔司(ib3233)は苦笑と共に杯を乾す。 夢か現か二人繋いだ桜の枷。あれが無ければ今こうしていなかった、と思いを馳せた緋影は何か言いたげな蒔司の視線に慌てて頭を振った。 「あ、いや今は呪われてねーぞ? 自分の意思で蒔司に惚れ……っ」 不意に顎が捉われる。 「わしはおんしを愛しゅう思うた事は、今も変わらんきに……」 「……っ」 唇をなぞる蒔司の硬い親指の腹に思わず息を飲む。視線が重なる。蒔司が喉を震わせ笑い出した。 「……なんじゃ、身構えて。接吻されると思うたか?」 「なっ……」 ほれ、これが口元に、と摘んだ米粒をこれみよがしに口に運ぶ蒔司に緋影が拳を握る。 「ふふ、まあ怒るな」 蒔司が顔を寄せる。 「ソレはまた後で、な」 耳朶を擽る艶を含んだ吐息交じりの笑みに緋影の肩が揺れた。 「と、 とにかく。こ、今年こそはゆっくり花見しよう……ぜ」 ぎこちない動きで蒔司の心づくしの花見弁当に箸を伸ばす緋影。 筍の煮物を一口食べてから「あのさ」と切り出す。 「急に子供欲しいとか言って孤児院突撃して悪かったな」 杯へ落とす視線。 「蒔司と暮らしてたら子供もいいなーって思ってさ」 照れたように朱に染まる頬で「子供に興味なかったのに、変わるもんだよな」と緋影が笑う。 「家族ができるというのも…こそばゆいが、心地よいもんじゃな」 蒔司は緋影の頬に手を添える。緋影がその掌に頬を押し付けた。 「ん……土産買って帰ろうぜ。あの坊主何が好きかな」 「男なら玩具がよかろう。尤もわしは幼子のことはようわからん」 頬を引っかく蒔司に「俺もだって」と緋影が返す。 「なあ……」 「なんじゃ?」 「……来年も花見行こうな」 今度は三人でさ、と緋影が背中に寄りかかる。 「春が待ち遠しいのう」 互いに背を預け桜を見上げた。 満開の桜を眺め笹倉 靖(ib6125)は煙管を燻らせる。 背後では此処をみつけた友人ケイウス=アルカーム(ib7387)が思いつめた表情でサミラ=マクトゥーム(ib6837)に向き合っていた。 「サミラ、その……隠し子がいるって本当!?」 投下された爆弾に笹倉は目を瞠る。「え……あの、ね」サミラも困惑しているようだ。 息を潜め二人の会話に耳を欹てる笹倉。 「子供は十ヶ月、お腹で育たないと生まれないからさ……」 「あ……。そっか、よかった」 呆れた様子のサミラが言わんとしている事にケイウスはほっとした声を上げる。だが笹倉は一人納得がいかない。 (しばらく会ってなかったから疑惑消えねぇんだけど) 苛立ち紛れに思いっきり煙を吸い込み咽返った。 空気が重い、サミラは桜を見上げた。そう感じるのは二人の好意を知りつつもどちらに応えることもできない自責の念のせいだろうか。 でも今も自分の想いはあの人の元に……。 とはいえ黙り込む笹倉、おかしな事を聞くケイウスに折角の花見ではないか、と思う。判ってる、これは八つ当たりだ。 「は?! えっ?」 笹倉の手から奪う煙管。呆気に取られている笹倉を前にそれをふぅ、と吹かし咳き込んだ。 「水煙草の方が良い、かな」 そりゃあんな吹かし方をすれば、と先程の自分と重ね笹倉は苦笑を零す。それにしても自分の煙管を吹かすサミラ……悪くない。 返す、と押し付けられた煙管を受け取り、彼女の様子にやっぱ早とちりじゃねぇかと内心安堵もした。 「あっ」 笹倉の煙管を咥えたサミラにケイウスは声を上げる。隠し子が否定され「まだチャンスがある」と喜んだのも束の間、胸に広がる重たい何か。 (心狭いなぁ……) そしてそんな自分が情けない。今日二人を誘ったのは話したいことがあるからなのに。頭を振って気持ちを切り替える。 「落ち着いたら、少し旅に出てみようと思ってるんだ」 二人がケイウスに向く。 「どのくらいで帰ってくる予定なんだ?」 「向日葵が咲く頃には帰ってくるよ」 「んなら、帰って来たらまた集まるか」 「賛成! って二人はこれからどうするの?」 「俺ぁずーっと屋敷守ってなきゃいけないからな」 変わらずだ、と笹倉が肩を竦める。 (子供なんてあり得ないから、さ……) サミラはこのまま三人の関係が続けばと望んでしまう。だから今こうして過ごせる事がうれしい。 二人に応えることのできない申し訳なさと寂しさを抱きながらも……静かに溜息を吐いた。 「サミラは?」 問われて僅かに目を伏せる。 「天儀には……ずっと居る、よ」 部族の天儀派遣組の長になることは伏せたままそれだけ応えた。 「ってぇことは、だ。俺達、云十年後もこうしていそうだなぁ」 「いいねぇ、三人並んでお茶飲みながらさ」 笑うケイウスの心に一つの疑問が浮かぶ。 (サミラに気持ちを伝えても、今みたいに三人で居られるのかな) ケイウスは二人を見やった。 麗らかな陽射しの中、なずな荘の縁側で小苺(ic1287)はのんびり昼寝中だ。 「猫には嬉しい季節にゃ……ぁ」 ごろんと寝返りを打つ背中に相棒の仙猫焔雲が忍び寄る。焔雲はむんずとその背を踏みつけた。しかし小苺は起きない。今日は友人と出かける予定があるというのに。 『さっさと支度しろ!』 焔雲が飛ぶ。言葉の代わりに必殺ローリングサンダー焔雲スペシャル踏みつ拳が炸裂した。 一緒に泰への小旅行に行く友人小苺を迎えに柚乃(ia0638)はなずな荘を訪れる。どんなところか楽しみにしていたそこはどこか懐かしい香りだ。 「にゃっ!」 女将に言われ庭から回ってみれば丁度小苺が飛び起きたところ。 「焔雲ちゃん、こんにちは。シャオは準備終った?」 柚乃は華麗に着地した焔雲の喉を撫でてやる。 「もちろんにゃ」 風呂敷包みを引き寄せ小苺が笑う。 お日様のような小苺の笑顔。胸の奥がふわりと温まり、体の中に元気が沸いてくる。 (うん、癒し……) 見つめる柚乃に「どうしたにゃ」と小苺。 「何処を巡ろうか、なって」 「美味しい物が食べたいにゃ」 「おいらもついていくもふっ!」 間髪入れず答える小苺に柚乃の相棒のものすごいもふらの八曜丸も身を乗り出す。 「もちろん。あ、お花見も良いかも」 先日行った劉の桃園がとても素晴らしかった、それに自分の通う泰大学も案内しよう、などとあれこれと膨らむ計画。 「お土産選びも楽しみ」 「普段お世話になっている女将さん達にお土産買うにゃ」 楽しそうな柚乃に小苺も楽しくなる。 彼女に出会っていなければ小苺は開拓者にならず、天儀にも渡らなかっただろう。今の小苺がいるのは柚乃のおかげだ。尤もそれは小苺の胸に秘めておく思い出なのだが。 「にゃふふ……」 漏れた笑みに柚乃が首を傾げた。 「どっちが先に飛空船乗り場につけるか競争にゃ!」 小苺が走り出す。遅れて柚乃と八曜丸も続いた。 泰大学文学部青藍寮。 「もうしません、ごめんなさ〜い」 雁久良 霧依(ib9706)の膝の上で尻を叩かれるリィムナ・ピサレット(ib5201)。 「何度目のもうしませんかしら?」 おねしょのお仕置き中である。 「き、霧依さん、リンスちゃんを迎えに行かないと」 ね、ね、と己に迫る身の危険にリィムナも必死だ。 「あら、もうそんな時間なのね」 今日はリィムナの親友兼恋人リンスガルト・ギーベリ(ib5184)が大学に見学に来る日だった。 漸く解放されたリィムナほっと一息吐きつつ真っ赤な尻を摩る。 「リンスちゃんはっけーん!」 両手を広げ飛び込んでくるリィムナを抱き止めるリンスガルト。 まずは今日泊まる場所、と案内された青藍寮の年季の入った建物にリンスガルトは「これはまた……」と曖昧な笑みを浮かべる。どっからどう見てもボロ……いや。 「歴史を感じる佇まいじゃのう」 「あそこがあたしと霧依さんの部屋だよ」 窓の外に干された布団に描かれた地図。 「今朝も寝小便をしたのじゃな」 「うん……やっちゃった……ひゃん!」 ぺしっと叩くリィムナの尻。散々霧依に叩かれた場所だ、リィムナは文字通り飛び上がった。 「もう、そのお話はおしまい! 次は鍛錬学科に行こう」 自分の通う学科を案内するね、とリンスガルトの手を引く。リィムナが所属する学科は多く大学の敷地は広い。途中おやつの購入も忘れない。 「頬についてるよ」 リンスガルトの頬についた餡子をリィムナがぺろりと舐める。 「くすぐったいのじゃ」 「あま〜い」 (ああん……可愛いわ!!) 表向きは二人を見守るやさしいお姉さんの笑顔、だが心の中で身悶える霧依。 「そっちも美味しそうじゃのう」 「交換っこしよ」 あーんと饅頭を食べさせあう二人。 「二人とも仲良しさんなのね」 堪らず霧依は背後から二人をぎゅっと抱き締めた。 夜は三人で大学の共同浴場へ。 「リンスちゃん髪を洗ってあげるよ」 「洗いっこするのじゃ」 リンスガルトは持参したシャンプーハットを装着する。 「あらあら、可愛らしいわね」 微笑む霧依に「わ、妾はこれがないと髪が洗えぬのじゃ」とぐいっそれを引っ張り顔を隠した。 「二人とも体を洗ってあげるわ」 いらっしゃい、と霧依。 「霧依さんのマッサージ洗いはすごく気持ち良いよ」 リィムナがリンスガルトの背を押す。 「そう私に寄りかかって、体の力を抜いてね」 霧依の手によりリンスガルトの身体はあっという間に泡塗れ。 「天に昇る心地じゃ……」 湯船でぐったりとしているとぐったりと「ふにゃぁあん」交代したリィムナの声が浴場に響く。 霧依を真ん中に川の字で寝る三人。右からはリィムナが左からはリンスガルトが霧依の胸に顔を埋める。 (両手に可愛い女の子!) ハアハアと怪しい息遣いの霧依の胸に吸い付く寝ぼけたリィムナ。 「あぁッ……」 霧依の長い夜が始まった。 山間の小さな温泉郷。里外れの露天風呂では湯煙に紅白の梅が覗く。 「気持ち良い?」 サフィリーン(ib6756)は衝立の向こうへ声をかける。 「ああ、気持ちいいもんだ」 イーラ(ib7620)の返事。昼下がり露天風呂はサフィリーンたちの貸切状態だった。 サフィリーンは朧車 輪(ib7875)の隣に移動する。 「輪ちゃんと一緒で嬉しいな」 ジョハル(ib9784)の大事な家族に会えたことが嬉しい。 「私も。お父さんの事とか色々お話したいな、って」 「じゃあこの前のアヤカシ退治の話とかどう?」 楽しみ、と輪が手を叩いた。 風呂をあがり宿へと戻る道、サフィリーンはさりげなくイーラの隣に並ぶ。 「イーラお兄さんありがとう」 見えない分沢山のものをジョハルに感じてもらいというサフィリーンの願いにイーラがまだ梅や沈丁花が咲くこの宿を手配してくれたのだ。 「なぁに、楽しい一日にしようぜ」 「うん。輪ちゃん、温泉饅頭どれがいい? 漉し餡に柚餡に……」 「あ、甘酒あるかな。お父さんの分も一緒に買って行こう」 「二人とも荷物を俺に貸しな」 色々買い込み宿へと戻る。勿論店の人にお願いして沈丁花を一枝譲ってもらうことも忘れない。 古い温泉宿の離れ。 「結構広いな〜……ぅぐっ」 部屋をゴロゴロ転がる留守番中のジョハル。調子に乗って脛を卓にぶつけて呻く。 脛を打っても一人、寂しいと思っていると表から聞こえてくる話し声。 慌てて起き上がり何事もなかったかのように卓についた。 「お父さん、ただいま」 沈丁花の香りと共に娘の輪とサフィリーンが現れる。イーラは宿の人とお話し中らしい。 「お帰り。露天風呂はどうだった?」 「梅が沢山咲いていた、よ。とてもいい香りだった」 温泉卵とお饅頭と、と土産を並べる輪の弾んだ声。見えなくとも楽しそうな笑顔が浮かぶ。 感情の良く出る輪の声……。 (おとうさんは好きだな) ジョハルの唇が笑みを刻む。 夕食を終えての団欒、イーラは「宿の露天風呂を貸し切ったんだがどうだい?」と提案した。先程、支払いのついでに交渉したのだ。これならジョハルも一緒に来れるのではないかと。 「……俺は遠慮しておくよ」 やはりジョハルは乗り気ではないかと思えばいそいそ浴衣を取り出している。 「でも一人で待つのも暇だし、一緒に行こうかな」 「寂しいんだろ?」 「誰かさんが覗きをしないか見張るためだよ」 軽口の応酬。 (お父さん、楽しそう) 輪は目を細めた。 「あの……これからも、お父さんの事……よろしくお願いします」 隣室でジョハルが着替えている間にイーラとサフィリーンに頭を下げる。今日初めて会った父の友人達はとても素敵な人たちだった。 下駄を引っ掛け転びそうになるジョハルをイーラが支える。 「手でも繋いどくかい?」 「えー、男とはなぁ」 「仕方ねぇな。嬢ちゃん、コイツの手を繋いでやってくれ」 ジョハルを輪に任せ、危ない場所がないかとイーラは先行した。ジョハルはイーラにとって弟のような存在である。面倒見の良いイーラが輪をかけて面倒見が良くなるのも仕方ない。 「輪と少し梅を見てくるよ」 立ち止まるジョハル。心配だが親子水入らずの邪魔も野暮だろう「何かあったら呼べよ」とイーラは歩き出す。 サフィリーンは足音を忍ばせてイーラを追った。ジョハルが気を利かせてくれたらしい。 「だぁれだ」 背伸びして目隠し。 「サフィ嬢ちゃん」 「あたり」 「逆に別人だったら驚きだな」 顔を見合わせ笑う。 背後からジョハルと輪の楽しそうな声。 花の香り、流れる空気に溢れる温かさ……。 (忘れないよ) サフィリーンはそっと胸を押さえた。 「あのさ、イーラ」 浴衣に長足袋、手袋の完全装備で洗い場に腰掛けジョハルが呼ぶ。 「思い出、増やしてくれてありがとう」 「今度は嫁と息子も一緒にな」 ところで、とジョハルが真面目な顔をする。 「女湯覗こうとするなよ。やるなら一緒に、だ」 「……おーい、輪嬢ちゃん」 「ちょ、待った!」 ジョハルの声が夜空に響いた。 朝、開いたカーテンの向こうに広がる青空と澄んだ空気に掃除でもしようかとカルマ=G=ノア(ib9947)は思いついた。 冬の間閉め切っていた鎧戸も全て開け放ち、屋敷中を掃除する。中々の運動だ。 全て終ったら弟子の所にでも行こうか……と腰を摩り最後残った部屋へ。 扉をノックしかけて止める。この部屋に間借りしていた男は二月に亡くなった。同じ組織に属した隻眼の赤い髪の兄弟……。 眼鏡の奥、双眸を細める。 此処に男が居たことを伝える僅かな脂の香り。だがそれすらも窓を開け掃除を終えた頃にはなくなっていた。 窓際に灰皿を一つ。男の愛用した煙草に火を点けそこに置く。弔いの線香代わり……というわけではないが。これくらいしても許されるだろう。 ゆるりと空へと昇る紫煙を見送る。 「……今頃は天国で婚約者のあの娘と一緒でしょうかね」 廊下に響く自身の足音が妙に大きく聞こえた。 「……この屋敷こんなに広かったでしょうか」 その呟きに返事はない。 甘味処の軒の下、床机に腰掛け沫花 萌(ic0480)は通りを眺める。 家路を急ぐ男、買い物中の女、走り回る子供達……夕暮れの通りを様々な者が行き交う。 「人というものは変わらぬのぅ」 幾許の時を経ても、千里の旅路を歩もうとも、数多の血を流そうとも……。浮かぶ笑みは慈しみ。 桜の花びらが一枚膝に。上げた視線の先に今は盛りの桜の一枝。その後ろ滲む茜に目を細めた。 「……」 だが視線の先は空のそのまた向こう。 「さりとて……」 零れ落ちる声。視線を通りへと。 「進まずには居られない」 それもまた人の業というものなのだろう。 沫花は代金を置き立ち上がる。 「『サヨナラ』ダケガ……」 人生ダ、唇が刻んだ言葉はすぐに消える。 いずれこの身は沫の如く散る花となり……。待ち人に臨む。 からん、しゃらりと下駄の音に飾り鈴の合いの手。 その日まで、次の萌しへ進むも業だ。 花の香りを残し黄金色にその身を染めて沫花は浮世を行く。 |