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■オープニング本文 ● 大掃除を終えた藤娘は今年最後の家賃を納めるに大家を尋ねた。 「寒かっただろう。さあ、上がれ、上がれ」 正月料理の準備中だろうか包丁片手に大家の彦六が藤娘を手招き、藤娘側に火鉢をぐいと足で押しやった。尤も火鉢はぴくりとも動かなかったのだが。 彦六は元大工だ。腕が良く弟子を何人も抱える棟梁だったらしい。しかしいかな腕利きといえども寄る年波には勝てず、大工を引退した後その面倒見の良さと顔の広さを買われ長屋の大家へと納まった。現在いくつかの長屋の管理をしている。 「棚に伏見屋の饅頭があるからそれでも食っていきな」 藤娘から渡された家賃を確認し帳面に記載した彦六は茶はこれな、と火鉢の上の鉄瓶を顎で示した。 「何をしているのですか?」 二人分のお茶と饅頭を用意した藤娘が彦六の手元を覗き込む。彦六は松前漬けの下ごしらえの最中であった。傍らにするめや昆布や人参やらが積まれている。 「きんとんやら煮しめやらぁ別になくてもいいんだがねえ。こいつがないと正月の酒もすすまねぇんだよ」 そう言いつつするめを刻んでいるが、乾物を細かく刻むのはなかなかに難儀そうだ。 「お饅頭のお礼に手伝いましょう」 「いやいやお嬢ちゃんの細腕にするめや昆布は硬かろう。俺ぁやるよ」 「二人でやった方が早いですから」 半ば強引に彦六から包丁を受け取ると藤娘がするめを刻み始める。軽快な包丁捌きに「てえしたもんだ」と目を丸くする彦六。 「はい、こう見えて私、ちょっと力持ちなんですよ」 そうして二人で松前漬けの準備をしていると、新たな客がやって来た。 「よう、爺さんくたばっちゃいないかい?」 「……おめえさんこそ、どっかで野垂れ死んじゃあいねえようでなによりだ」 挨拶代わりに悪態を交わす男は、彦六が面倒をみている長屋の店子で名を里見という。それなりに経験を積んでいる開拓者だ。 「依頼で遠出してきたついでに良い酒が入ったから持ってきたんだが……お、ちょうどいいツマミがあるじゃないか」 勝手に上がりこむと、どんと酒瓶を床に置き藤娘が手にしているするめの足を指差した。 「藤娘ちゃん、ちょっくらそれを炙ってきてくれないかい?」 「人ン家に来て、勝手なことをぬかすな。肴なんぞ塩でいい、塩で」 彦六も飲むつもりではあるらしい。里見も勝手知ったると言わんばかりに、湯飲みを二つ取り出して酒を注ぐ。 「酒も良いけどな、おめえさん家賃はどうした?」 湯飲みを手にぎろりと彦六が里見を睨む。 「こちとら宵越しの銭は持たねぇようにしてんの」 金のことばかり気にして生きるなんざ、面白くもねぇ、と豪快に笑う里見に悪びれた様子はない。 「ああ、全くいい年した男が……。お嬢ちゃんを少しは見習いやがれ。こんなに若ぇってえのに一度も家賃を忘れたことがないぞ」 彦六と藤娘の付き合いは主が生存していた時にまで遡る。散々自分はからくりで人ではないと言っているのだが、彦六にとって藤娘は孫のような存在らしい。 「それに引き換え……てめえら、泥鰌長屋の連中は」 大きな溜息を吐く彦六。 泥鰌長屋とは里見が暮らす長屋の通称である。藤娘が暮らすゆとりのある間取りのものとは違い、昔ながらの裏長屋というやつだ。 川沿いに建ち、その長細い造りから泥鰌長屋と呼ばれるようになった。店子は主に独り身の開拓者たちだ。 壁が壊れていたり、畳が毛羽立っていたり、建付けが悪かったりと色々問題を抱えているが、飲み屋などがある繁華街や銭湯にも近く、家賃も安いところが魅力らしい。 ただ開拓者というのは無頼漢が多いのか、偶々泥鰌長屋で暮らす者たちがそうだったのかわからないが里見のように金が入ったらぱっと散在してしまう連中ばかりで、それなりに稼いでいるはずなのに家賃が滞りがちなのが彦六の悩みの種であった。 「今度でっかい仕事入ったらまとめて払ってやっから心配すんな」 何時の間にやら酒を飲み始めた彦六の背を里見が叩く。藤娘はそっと炙ったするめと塩を二人に差し出す。 「いつかなんて待っていたら、あっという間に年が明けちまうわ。こちとらすっきりさせて新年迎えてえんだよ」 ぐいっと彦六が酒を煽る。 「今年もアレをやんのかい? 望むところだ。今年こそ吠え面かかせてやるぜ、爺さん」 「そっくりそのまま返してやらあ」 毎年年の瀬になると彦六と同じ悩みをもつ大家たちが一致団結して泥鰌長屋を含む一帯の長屋で家賃の一斉取立てが行われる。店子が開拓者ならば掛請いも当然開拓者だ。神楽の都を使っての鬼ごっこ、ご近所さんでは「今年は誰が捕まるか」などと賭けの対象にもなり年末のちょっとした風物詩となっていた。 勿論逃げ切ったからといって滞納した家賃がチャラになるということはない。世の中そんなに甘くない。ただ一月が終わるまでは取り立ては行われないというだけだ。 それならば早いとこ払ってしまえばいいのに、と藤娘は思うのだが、どうにもこうにも大家も店子もそれを楽しみにしている節がある。 「耳揃えて払って貰うからな覚悟しやがれ」 「逆さにしたって無いもんは出ないね」 「……そん時はそん時だ。てめえのその腰にぶら下がっているモン売っ払うまでよ」 彦六と里見の視線が火花を散らした。 |
■参加者一覧 / 羅喉丸(ia0347) / 柚乃(ia0638) / 尾鷲 アスマ(ia0892) / アグネス・ユーリ(ib0058) / 玄間 北斗(ib0342) / 明王院 未楡(ib0349) / 国乃木 めい(ib0352) / サフィリーン(ib6756) / 稲杜・空狐(ib9736) / ジョハル(ib9784) / 王 梨李(ib9904) / カルマ=G=ノア(ib9947) / 佐藤 仁八(ic0168) / 御鏡 咲夜(ic0540) |
■リプレイ本文 ● 話は少し遡る。 依頼を受けた羅喉丸(ia0347)は取り立て決行前に開拓者ギルドに向かった。受付に理由を話し、上役を呼んでもらう。 「報酬の差し押さえですか?」 「店子側も大家に『今度でっかい仕事入ったらまとめて払ってやっから心配すんな』と言っているそうなのでね」 職員の言葉に羅喉丸は力強く頷き、大家達から預かってきた店賃滞納の証明書を卓上に広げた。里見と同じような事を言っている店子は多い。 勿論全員からきっちり取り立てるつもりではあるが転ばぬ先の杖と言う言葉もある。そのために報酬の天引きという保険をかけておくことにしたのだ。 「疑わしいのであれば後ほど大家達に確認してくれて構わない。ギルドとしても開拓者が店賃の踏み倒しなんて、あまり嬉しくはないだろう?」 あくまで穏やかな物言いだ。だが言葉の内にはどんなアヤカシを前にしても頑として引かぬ強さと同様のものが込められている。 答えは急かさずに職員を見つめる羅喉丸。 「後日大家さんと本人に確認をしてからになりますが」 と職員は羅喉丸の提案に同意した。 どのような仕事でも一度引き受けたからには全力を注ぐ。 「よし、行こう」 ギルドを辞した羅喉丸は自分の頬を軽く張って気合を入れた。相手を甘く見て痛い目をみるのは愚か者のする事だ。 東の空から射す陽光。 「鬼ごっこ楽しみだね」 少し冷たい風も紅潮した頬に気持ち良いとサフィリーン(ib6756)。 「シッ。もう長屋なのです」 稲杜・空狐(ib9736)が唇の前に人差し指を立てた。 二人から少し距離を置き身を潜めるカルマ=G=ノア(ib9947)。彼の掌から小鳥が羽ばたき、長屋周辺をぐるっと巡る。今のところ小鳥の目に映る風景に何ら怪しいところは無い、とカルマは二人に頷いてみせた。 「よし、じゃあこのお家から行こうか」 この部屋の住人は御鏡 咲夜(ic0540)という女性。サフィリーンは「おはようございます」と戸を開けた。流石に女性の部屋にいきなり踏み入るのは気が引ける。 空狐が背後で逃亡されても直ぐに追跡できるように符を握る。 「……もう朝?」 艶を含んだ眠そうな声。広がった寝巻きの胸元から覗く柔らかそうな双丘の谷間。 「あら、まぁ……」 こんな格好でごめんなさい、と咲夜はおっとりと胸元を隠す。その仕草に、仄かな桜色をした見事な胸にサフィリーンは顔を赤くして俯いた。咲夜の色香は同じ女性でも思わず照れてしまうほどだ。 視線を外したサフィリーンに咲夜は予め枕元に準備した着替え等一式を包んだ風呂敷を抱え奥の障子を開けひらりと外へ。 「裏にっ!」 サフィリーンの声に空狐が式を放つ。だが咲姫は逃走経路を調べていたのだろう。あれよあれよという間に僅かな足場を頼りに裏の川を渡たり、対岸へと逃げていく。 「大通り方面に逃げたのはわかったのですが……」 やられたのです、と空狐が拳を握る。 「長屋は私が調べておきましょう」 いってらっしゃい、とカルマが二人を送り出した。 長屋の屋根の上、玄間 北斗(ib0342)は朝日に目を細める。今日は良い鬼ごっこ日和になりそうなのだ〜と、雲の少ない空を見上げた。この屋根の下の住人、引っ越し後も荷物を残したままかれこれ二年近く店賃を滞納しているらしい。ひとっ走りして見て来た引越し先にはいなかった、ならばと此方に来た読みは正解。聞こえてくる鼾。しかしこの部屋の住人の人となりからして十中八九狸寝入りだろう。 「尤もたぬきはおいらの方なのだ〜」 研ぎ澄ました耳に届く「全く、あのろくでなしは……」とアグネス・ユーリ(ib0058)の溜息交じりの声に小さく笑う。そのろくでなしの名は佐藤 仁八(ic0168)という。 煌く黒髪を靡かせアグネスが佐藤の部屋の前に立つ。今日こそ滞納した店賃だけではなく貸した金も耳を揃えて返してもらうつもりだ。金がないなら身包み剥いで、それでも足りなければどこかで働かせるか芸でもさせて稼がせる。そう心に誓っていた。 いきなり開け放つ戸。室内は真っ暗。入り口からの光も板の間までしか届かない。 鼾はまだ聞こえる、見た限り怪しい様子はない。 だが部屋に上がる前、足元に手を伸ばす。罠の存在は先刻承知。 触れる荒縄の感触。視線を上げればちょうど顔の位置にも縄が張られていた。 「そう簡単にひっかかると……」 荒縄を引く、カチリと小さな音。銃声、広がる煙。荒縄は狼煙銃の引き金に繋がっていた。 「やだ……何、これ……った……!!」 煙を払いつつ、うっかり一歩踏み出した足に刺さった撒菱。落ち着く間も与えぬとばかりに爆竹が炸裂する。それに紛れて雨戸が蹴破られた。やはり狸寝入りだった佐藤が長屋を飛び出す。 「ハチを追っかけて!」 アグネスは屋根の上の玄間に言う。 唐草模様の外套翻し逃げる佐藤を追い屋根を渡る玄間。爆竹は着火と同時に耳を塞いだので被害はない。 「踏み倒しなんて人の道をはずれちゃ駄目なのだぁ〜」 狸の自分と食えない佐藤、玄間は互いを狐狸の仲だと認識している。故に友のための取立てだ。 できれば身包みを剥がされる前に捕獲したいとも。多分アグネスたちは脅しでもなんでもなく本気で身包み剥ぎにかかっている。開拓者といえども寒空の下、褌一丁は流石に辛い。 シノビの玄間にとって追跡はお手の物。互いの距離は詰まっていく。だがとある家の屋根の上にて。 「赤ちゃんが起きちゃうわ」 非難の声。 「……?! それは申し訳ないことをしたのだ〜」 足音はほとんど立てていないつもりであったが赤ん坊は敏感なのだろう。慌てて路地に下りる玄間に佐藤が振り返りニヤリと笑う。玄間は知らない、この家の住人と佐藤が通じていることを。 佐藤は路地に立てかけていた木材を支える縄を切った。玄間を襲う木材の雪崩。咄嗟に背後に飛ぶ。その隙に佐藤は逃げ出した。 カルマは対象となる店子の部屋を一軒ずつ調べていく。灯台下暗し、自宅に隠れている者もいるのではないかと考えたのだ。 「死んだふりをしてやりすごそうとした昔話もありますからねぇ」 案の定、二重底となっていた床下収納の中に発見した。 カルマが捕らえるよりも先に、男は床下から転がり出る。壁が抜けるよう細工されていたのだ。 「店賃の滞納とは相当な覚悟がおありと見ました」 細工の労力を別な方向にむければいいのに、と苦笑と共にカルマは符を構える。 「……では、遠慮なく」 逃げる男に笑顔で宣言。生まれたハヤブサが男の足元目掛け滑空する。足を取られた男は、ちょうどやってきた一人の少女の前に転がり出た。 「おや……」 カルマは笑みを浮かべる。少女は何故かこうして行く先々で顔を合わせる王 梨李(ib9904)だった。 「やはり今日も会ってしまいましたねぇ」 柔らかく微笑みながら、這い蹲って逃げようとする男の着物を足で抑える。 「ギュンさん、何してるの?」 首を傾げる王にカルマが事の次第を説明した。 「…店賃滞納、ね…」 「お手伝いいただけますか?」 「……協力する」 まだ逃げるのを諦めていない男の襟首をむんずと掴んだ。 「自業自得なのに、何故逃げるの?」 正面からまっすぐな瞳で問う王に、項垂れた男が財布を差し出す。 詰め所という名の彦六の自宅、だらりと過ごしていた大家達は明王院 未楡(ib0349)とその母、国乃木 めい(ib0352)の助力を大いに喜んだ。 二人は藤娘の元に年末年始の挨拶に訪れ、今日の鬼ごっこの話を聞いて手伝いに来たのだ。一足早いお年玉を国乃木から貰った藤娘は年始に明王院と買い物予定である……さておき、国乃木は救護の、明王院はお腹から皆にあったまってもらおうと汁粉や甘酒の準備を始める。 割烹着姿の明王院に鼻の下伸ばしっぱなしの大家達に手料理を断る理由があろうか。厨房でもなんでも好きに使ってくれ、と彦六も大歓迎だ。 「ありがとうございます。藤娘さんと一緒に沢山作りますから皆さんもお食べくださいね」 明王院はとりあえず、と菓子盆に持参した菓子を並べて皆に振舞った。 「一番大きなお鍋はこれです」 鍋を抱え藤娘が顔を見せる。 「もう少し大きいのがあると……」 言葉の途中、「任せな」と飛び出す大家の一人。「うちの母ちゃんと取り替えてもらいたいくらいだ」と明王院に見惚れ冗談を口にする者に眉をしかめる藤娘。「しょうがない人達ねぇ」と国乃木は苦笑とともに「男の人はいくつになってもそんなもんですよ」と耳打ちする。 「それにしても最近の若い人は面白いことをなさるんですねぇ」 元気があって何よりです、と包帯やら薬を手際よく用意しつつ笑う国乃木。彼女から見れば彦六を含めここにいる者、全員「若者」であった。 「終わるのは夕刻過ぎ……。お夕飯代わりにお蕎麦も茹でますか。一足早い年越し蕎麦も悪くないでしょう」 明王院に申し出に大家達が相好を崩したことは言うまでもない。 ピュウと風が吹き抜けていく。ジョハル(ib9784)は小さく鼻を鳴らした。風の匂いに気付いたのはその目がほとんど光を失ってからだ。 景色を眺めることはできない。だがこうして風や音を感じながら散歩するのは楽しく、最近では日課となっていた。 それにしても今日は何やら騒がしい、と空を仰ぐ。……とジョハルの脇を何者かが走り去った。 「待て〜!」 「人の道を外れた鬼畜生を真人間にするために、いざ正教育なのです」 続く賑やかな少女達の声。 「……おっとっと」 突っ込んでくる少女達を避けつつ、 「サフィリーン、そんなに慌ててどうしたの?」 よく知った声に呼び止めた。 「ジョハルお兄さん?!」 店賃回収鬼ごっこだとサフィリーンが教えてくれる。 「大変、大変なのです。サフィ! 見失ってしまったのですよー」 大慌てで戻って来る先行した空狐。 「わ、わ、わ! 探さないと……ってアグネスお姉さん?!」 サフィリーンが手を耳に合わせ背伸びする。 「大橋の方に? ありがとう、お姉さん」 空に向かって手を振るサフィリーン。ひょっとしたら玄間経由で伝わったかもしれない。 「今度こそ捕まえるのです、ごーごーなのです」 「お兄さん、またねー!」 賑やかなな少女達が去った後、「鬼ごっこか楽しそうだなぁ」とジョハルは呟いた。 自分はもう鬼ごっこに加わることはできないのが残念……いや楽しむことはできるな、と思い直す。 「店子と掛請どっちが勝つと思う?」 サフィリーンたちに声援を送っていた男達を集め賭けを始めた。 「俺? そうだなぁ」 どちらに賭けるか問われジョハルは腕を組む。勝つのは掛請だろう、だが皆もきっとそう考えている。それでは賭けが盛り上がらない。 「店子に賭けようかな」 このあたりを知り尽くしてるだろう、などと尤もらしい理由を語り始めるのであった。 「何やら楽しそう」 向かいの甘味処で一連の出来事をみていた柚乃(ia0638)は口を押えてかくんと首をかしげた。 「見物しない手は……ないよねっ」 柚乃はその身を首に巻いた赤いリボンが可愛らしいまっしろい毛並みの猫又へと変化させる。取立てのお手伝いも楽しそうだが、赤勝て、白勝てと最前列で追いかけっこ楽むのも悪くない。 「こそりと柚乃も参加ですっ」 柚乃はひらりと本物の猫のように軽やかに屋根にあがると逃走者と思しき人物を見つけ追跡を開始する。 彦六の家の前。尾鷲 アスマ(ia0892)が戸に手を伸ばしたその時、内側から開いた。 「ごめんなさい」 胸元艶やかに着崩した着物、その胸のごとく立派な肉まん手にした女が微笑む。 こっちか、と聞こえてくる男の声に女が眉をハの字に歪めた。 「あら……困ったこと」 だが本気で困った風でもない。 「私が此処にいたことは内緒にしてくださいまし、ね」 女は「大家さん、お客様ですよ」と中に声を掛けてから路地へと身を滑らした。 甘い香りに包まれた室内で、大家達が将棋や茶飲み話に興じている。彦六が「上がれ、上がれ」と尾鷲を手招く。 「大家殿、ずいぶん賑わっているようだが……」 言っている傍から遠くで爆竹の炸裂音。 「今日は今年最後の店賃取立てなのよ。祭りみたいなもんだが、煩くてすまないねぇ」 「ああ、祭りならば見学させてもらおう」 尾鷲は土産に持参したおかきの詰め合わせをずいっと彦六へと差し出した。代わりというわけではないだろうが、明王院が尾鷲の前にお茶と菓子を並べる。 「で、何用だい?」 「実は長屋に空きがあれば入らせてもらいたいのだが、部屋を見せて貰うには……」 「冷やしておけば大丈夫ですよ」 板の間では呻いている男の尻に国乃木が氷を入れた皮袋を乗せている。男は「綺麗な姉さんだと油断した」と尻に氷嚢を乗せたまま悔しがる。 「お疲れ様でした。さあ、お茶をどうぞ」 やられたと大の字になる男におしぼりとお茶を置く明王院。 「……ご多用かな?」 「問題ねぇよ。藤娘ちゃん、この兄さんを……」 奥に声を掛けた彦六を尾鷲はやんわりと止めた。 「大家殿さえ構わなければ一人で回ろうかと」 「ああ、好きなだけ見ておくれ」 彦六は快諾する。 「こいつはまた賑やかな鬼事だな」 先程の女性も参加者なのだろう。大の大人がこの忙しい年の瀬に……などと思うと面白くなってきた。 「さて私はどうしたものか?」 実はもう決まっている。外側からそれとなく助けるのだ。どちらを? 両方を。渦中に巻き込まれぬよう、双方に気付かれぬように。それを人によっては「悪戯」というかもしれない。 まあ、どちらでもいい。楽しければ。 「先の女性に話を聞いておくべきだったかもしれんな……」 いや顔は知られないほうが良いだろう。まずは状況の把握からだ、と長屋へと向かう。 その女性、咲夜は羅喉丸と追いかけっこ中だ。地理に明るい咲夜は屋根や路地を利用して逃げる、だが羅喉丸を巻くことができない。 「お名前伺っても?」 人気の少ない水路傍、咲夜は観念とばかりに振り返った。 「羅喉丸だ」 簡潔な答え。 「羅喉丸さん、一休みしませんか?」 「休憩ならば店賃を払った後に幾らでも……」 そう言ってから僅かに笑みを零した。 「仕事を引き受けた以上、手を抜くわけには行かなくてな……」 実直な男なのだろう、咲夜の胸元に怯みはしたが「失礼する」が大股で近づいてくる。咲夜は木刀を構えた。 「もう少し楽しみませんともったいないですよ」 唸りをあげ突風が羅喉丸を襲う。だが伊達に鍛錬を重ねていない。顔を腕で庇い、腰を落としやり過ごす。 「観念し……っ」 急に襲う眠気に羅喉丸は片膝をついた。羅喉丸の背後を赤いリボンを揺らした猫又が一声鳴いて悠々と歩いていくのが咲夜にみえた。 (……猫は気まぐれなのです……ニャァ) 柚乃扮した猫又、掛請を助けるつもりだったのだが、つい鬼ごっこが盛り上がる選択をしてしまった。仕方ない面白いほうが楽しいのだから。 さあ、逃げろといわんばかりに尻尾を振る猫又に咲夜は「ありがとうございます」と羅喉丸の前からひらりと飛び去っていく。 気力を振り絞り、寝落ちを回避した羅喉丸。しかしそこに咲夜はいなかった。 誰も一羽の小鳥がみていたことを気付いていない。 尾鷲は長屋にて里見を追いかけてきたサフィリーン、空狐と出会う。 周囲を見渡すサフィリーンの隣で空狐が深呼吸。 「臭うのですよ。借りたものを返さないコボルト以下の鬼畜生の臭いが。年齢と共に強くなるというカレーな臭いに混ざって臭うのですよー」 微妙なお年頃の男子の心に刺さる見事な一呼吸攻撃、更に本当に臭いのです、と鼻を摘んで追撃。 立て掛けた材木の裏から音がした。二人がそれに気付く前に尾鷲は「ここの長屋の住人だろうか?」と歩み寄る。 「ここの長屋で何かあったのか」などと質問で時間を稼ぐ。此処で捕まるのは面白くないな、と思った故の店子に味方。 「あーっ!」 尾鷲の背後を指差す空狐。こそりと抜け出した里見は気づかれた、と駆け出し始めた。 「……祭りなら賑やかな方がいいだろう?」 尾鷲が三人を見送る。 子供達と独楽回すジョハル。団子を片手に咲夜が横を抜け小間物屋に飛び込んだ。追いかけやって来た羅喉丸。 「女性を見かけなかったか? 黒髪の団子を持った」 あぁと、ジョハルは内心頷く。きっといま駆け抜けていった人だろう。 「いいや、俺はみてないよ」 嘘ではない。本当にジョハルには見えてないのだから。 「そうか、時間を取らせて申し訳ない」 羅喉丸が踵を返しかけたところに「そこの、小間物屋」と式で追跡していた王が現れ指差した。 「……なにっ」 羅喉丸の視線を右から左にジョハルは受け流す。 小間物屋にて咲夜は御用となった。 アグネスの視界に揺れた唐草模様。 「ハチ?!」 急いで振り返るがそこには誰もいない。今日の佐藤はまさしく神出鬼没だった。爆竹に狼煙を駆使して此方の耳と目を潰しに来る。 「にぁ」 猫の鳴き声。白猫がもぐりこんだ横道、佐藤をみつけた。 「銭湯方面に佐藤仁八発見!」 アグネスは声を通りの十字路でみかけた仲間に投げる。 「どこ? 逃がさないっ」 アグネスの声に王が鋭い目つきで周囲を探る。そのまま飛び出そうとする王をカルマが制した。 「幸い私たちは顔を知られておりませんから。それを利用しない手はありませんよ」 カルマは唇に人差し指を宛がい、「ね」と片目を瞑る。 「アグネスお姉さんから!仁八おじさん、こっちに来てるって」 サフィリーンが銭湯の屋根に飛び乗り周囲を見渡す。 「発見なのですよー。こっちです」 空狐の式が隣の通りから入る長屋の路地を走る佐藤を捉えた。此方の方が早い、とサフィリーンは屋根伝いに向かう。 長屋の井戸端、会議中の奥様に混じるジョハル。向こうで子供達が「早く、早く」と誰かを急かし、そしてその誰かが通り抜けた後小道に桶を引っ張り塞いでいる。 「あれ、またジョハルお兄さんだ」 サフィリーンが降り立つ。 「怪しい気配とか物音なかった?」 「さあ、俺は此処で薬の相談にのっていただけだから」 子供達は店子と協力してるらしい、とジョハルの中で見当がついた。 「別のと……」 「よお、兄さん。今んとこ掛請有利だねぇ。勝ちは俺が貰うよ」 ジョハルと賭けをした男が笑顔で現れた。 「賭け? ジョハルお兄さん?」 見えなくとも解る。サフィリーンの今の顔が。 「え……いや、うん。ぁ、そうだ、向こうから物音が聞こえたよ」 ジョハルは佐藤が来た方角を指差した。まだサフィリーンから不審の視線を感じる。此処で「そうそう、あっちからね」と奥様達の援護射撃。 「早くしないと逃げられる、よ?」 「後で詳しい話教えてね、お兄さん」 サフィリーン達は奥様達に礼を言うと駆け出した。 身を潜める佐藤、小さな窓から男が表通りを指差して大きくバツ印を作る。一つ先の角からは壁を叩く音。ご近所の皆さんが佐藤の目であり耳であった。結果、首尾は上々。飴やら鮨やら皆に大盤振る舞いしたかいがあるというものだ。その分、店賃に回せばいいのではないか、という意見は存在しない。 (おめえ達、恩に着るぜ) 心で念じ軽く手を上げる。玄間がいる以上うかつに声を出せない。今のところそれらしい気配は感じられないが、声を出せば拾われる。 角を曲がった先に立つ不自然な白い壁。陰陽師の術の一つ。 壁を使って、この先の袋小路に追い詰めるつもりだろうと佐藤は睨んだ。ならば、と手に唾を吐き斜めに立て掛けた材木へと上り、壁を乗り越え飛び降りる。その着地地点を通る赤いリボンの白猫。避けるために無理矢理体を捻り盛大に転げた。 「っ、ぃてて……おう、大丈夫かい、タマ」 適当な名に応えて白猫は尻尾を一振り。そのままするりと路地の奥へと消えていく。二つに分かれている尻尾。 猫又だ。追手の相棒の可能性、何より派手な音を立ててしまった。早く立ち去らなくては。 立ち上がりかけ足に感じる鈍い痛み。右足膝下からざくりと切れていた。転げた時に引っ掛けたらしい。 「怪我した、の?」 少女が路地を覗き込んでいた。 通行人を装い王は佐藤に接近する。カルマと式を手分けをして飛ばし佐藤の現れる先を探したのだ。 「ツバでもつけとけぁ治らあ」 大丈夫と手を振る佐藤に「待って」と王は引き止める。 「急いでる……?」 その真剣な眼差しに佐藤が負けた。そう出られると邪険にはできない。 「修復せよ……」 王の符が傷と同化……と同時に「縛印」と続く。符を見た時に逃げるべきだった。足に絡まる式。 「そう簡単に捕まって、たまるかってえなあ」 気合で王を押しのけ、勢い通行人その二、カルマにぶつかりそうになる。 「おぉっと、すまねえ……ぐっ」 爆竹に手をかけた佐藤に加わる重み。 「かくれんぼはもうおしまいなのだ〜」 動きが鈍ったところ、止めとばかりにのすっと肩に乗っかった狸…いや玄間が笑顔で爆竹を取り上げた。 「捕まえたわよ。ろ く で な し」 正面には音を立てて荒縄を両手で張る仁王立ちのアグネス。通りの向こうから空狐とサフィリーンも息を切らして走ってくる。 荒縄で腕を縛られた佐藤連行中の一行の前に転がる鞠。 「取ってくださいなー」 小さな女の子が手を振る。刹那、皆の気が佐藤から逸れた。佐藤は隠し持ったナイフで縄を切り、一気に距離を空ける。 「往生際が悪いよっ」 佐藤に向けて手を伸ばすアグネス。だが届かない。子供の鞠を拾ってあげていた玄間も反応が遅れる。 「借りたものを還さない……そんなのはろくでなしを通り越して、THE人間のクズなカスなのです」 「ここの奴ぁみんな、あって払わないんじゃあねえ、無くて払えねえんだ。なあ」 空狐の精神攻撃もどこ吹く風、寧ろ何故か偉そうに胸を張った。 「もふらさまだって毛がお金になるんだよ? おじさんも何かお金になるもの渡して」 サフィリーンの鞭が佐藤の外套に絡む。身包みを剥ぐ気、満々だ。 「くっくっくっ……」 佐藤が肩を揺らす。 「悪いがねえ、他所でもう済んでんだ」 宙を舞う外套。サフィリーンの悲鳴。限りなく生まれたままに近い佐藤。 「あたしの尻でも拝んでな」 褌締めた尻をパンと一つ叩いて佐藤は走り……突如足に絡みつく式、眼前に現れる黒い壁。佐藤は顔面から突っ込んだ。 「若者が人の道から外れそうになった時、嗜めるのも年長者の役目ですよ」 指に挟んだ符をひらり、と靡かせカルマが穏やかに笑う。 再びお縄につく佐藤。もう一度ナイフで、と尻を確かめるがない。しっかり尻に挟んでいたはずのナイフがない。 「狐と狸の化かしあいは狸さんの勝ちなのだ〜」 玄間が尻の温もりを避けるよう指先でちょいと摘んだ佐藤のナイフ。いつの間に、とシノビに問うのは野暮というものだろう。 彦六の家、店賃を払えなかった店子達が身包み剥がされ正座中。だが佐藤の姿はそこになかった。アグネスに「今度こそ返してもらうから」といずこかに強制連行されたのだ。 「まずは怪我の治療からしましょうかねぇ」 国乃木がまとめて皆の怪我を治す。 褌姿の店子に持参した襦袢を配っていた玄間は佐藤にも渡せなかったことを後悔した。外套の下は褌一丁、それではまるで……。 「変態さんなのですー」 玄間の心の内を読んだかのような空狐。お茶をしつつ鬼ごっこの顛末を話している。 着物を質に入れたとこで滞納分に足りない、と嘆く大家の肩に手を置く尾鷲。 「……まぁ、真に困ったらギルドから指名してタダ働きさせれば良いさ、大家殿」 「ああ、その話はもうつけて来たから安心して欲しい」 羅喉丸が親指をぐっとあげた。うちの店子が皆さんに手間を取らせて…と頭を下げる彦六。 「私も世話になるとなれば、それなりに気を付ける……さ」 つい尾鷲が慰めた。 「皆さん、温かいお蕎麦はいかがですか? 少し気が早いですが御節も準備したので食べていって下さいな。燗もつけてますよ」 お盆に料理を乗せ明王院が姿を見せた。サフィリーンと藤娘が蕎麦を配り始める。 「結構な運動になったな」 「大家さんのご好意でお風呂をお借りできたので、お湯も沸いていますよ」 汗を拭う羅喉丸に国乃木が言う。 咲夜は一か月分の店賃に茶葉と仕立てたばかりの褌を添え彦六に差し出した。咲夜はこの鬼ごっこに参加するためにわざと店賃を一ヶ月滞納したのだ。 「今年も楽しく…過ごせました」 「そいつは良かったが、来年は取り立てに回ってもらいたいねぇ」 懲りた様子もなく宴会をはじめる店子に彦六がやれやれと笑う。 一番星が輝く空の下、白い猫又は通りの向こうを見てる。先程目の前を佐藤が引き摺られて行ったのだ。少しだけ助けてあげてもよかったかな、と思わなくもない。 何せ自分も守るために怪我までしてくれたのだから。でも……。 「借りたお金はきちんとお支払しないとダメですよー?」 既に見えなくなった姿にそう呟いた。 |