絶望を越えて
マスター名:桐崎ふみお
シナリオ形態: ショート
EX :相棒
難易度: やや難
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/12/22 19:30



■オープニング本文


 開拓者ギルドへの報告もそこそこに義弘はお産で長男の広太を連れ里帰りした妻さちの元へと急いだ。無事に元気な女の子が産まれたとのことだ。二ヶ月ぶりにさちと広太に会えるのは勿論の事、まだ見ぬ娘に会うのが楽しみでならなかった。
「照…」
 道中義弘は予め妻と二人考えた名前を何度も呟く。周囲を照らすような明るい子に育って欲しいと願いを込めた名だ。どちらに似ているのだろうか、広太はちゃんとお兄ちゃんをできているだろうか。土産を山のように抱えた義弘はとても幸せだった。

 夕暮れ時、義弘が村に辿り着くと村人が右往左往と慌しい。嫌な予感がした。
 さちが泣く照をあやすため広太も連れて散歩へと出かけたまま戻ってこない、と青ざめる義両親。
 義弘の腕から土産が音を立てて崩れ落ちた。その中には広太が欲しがっていた絵物語も。
 裏手の山ではアヤカシの目撃情報もある。こうしてはいられない、と義弘も捜索へ向かおうとした時だった。
「さちが戻ってきた」
 響き渡る赤子の泣き声。義弘は村人を掻き分け泣き声の方へ。
「よく無事で……」
 言葉を飲み込み義弘は目を瞠る。目の前の光景に身体の震えが止まらない。
 血で染まった着物、あらぬ方向を向く首……。さちが変り果てた姿でそこに立っていたのだ。
 アヤカシだ、開拓者である義弘は直感する。妻を取巻く黒い瘴気。妻は死にその体をアヤカシが動かしている。
 自分の背後には村人。開拓者としてやるべきことは一つ。しかし義弘は動けなかった。事実を理解するのを心が拒否したのだ。
「ぉぎゃあぁ ぎゃあ……」
 だが照の泣き声に義弘は我に返った。そうだ、照を助けなくては。その一心で義弘を刀を抜く。
 さちを貫く刃、崩れ落ちた身体は数度痙攣し動きを止めた。義弘はさちの手から照を抱き上げ……そして絶句する。
 赤子の双眸には瞳がなくただ闇が蠢くのみ。
「ぅぁああっ……」
 そこから先の記憶は曖昧である。ただ照を切った感触だけは残っていた。生まれたばかりの愛しい我が子を……。
 気付けば義実家だった。襖の向こう義両親が肩を寄せ合い泣いている。あれから広太を探しに行ったのだがみつかったのは片方の草履と着物の切れ端。多分、広太も……と。
 その喪失感に泣く事すら義弘はできなかった。目を開けても世界は暗く、慰めの言葉も別世界のように届かない。妻子を失った悲しみ、怒り、絶望、憎しみが全て溜まって澱みとなって心を多い尽くす。何を見ても、何を聞いても心が動かない。
 妻と子二人の葬式を終えた夜、義弘はすすり泣く女の声を聞いた。

 痛い……の  とても痛いの…… 痛くて 悲しくて  悔しくて 眠れない の……

 ふわりと香る甘い香りはさちを思わせる。

 ねぇ、貴方……私の仇を取って……

 もしも義弘が正気ならばそれは妻の声ではないと断じただろう。さちはそんなことを言う女ではない。これは人を弄ぶアヤカシの声なり、自分の弱さ故の幻聴だと分かったはずだ。
 だがその時、義弘にはその声が妻の最期の願いに思えたのだ。暗闇のなか差し出される妻の白い手。
 義弘は迷わずその手を取る。
 その夜、義弘は刀を手に村から姿を消した。


「おじいちゃんを殺さないで」
 子供の声に義弘は動きを止める。腰を抜かした老人を庇い両手を広げ立つ小さな子。涙ぐんだ目と義弘の視線が交差した。
 黒目がちの大きな目、それはとても見覚えのある……。
「おと……」
 子供が何か呟きかけた。義弘の中で何かが軋んだ音をあげる。
「ぁあ……」
 義弘が血に濡れた手を子へ伸ばした。「この子だけは助けてくれ」と老人が必死に子を抱き寄せる。
 義弘が村を抜け出してから間もなく一ヶ月。喉が渇けば沢の水を飲み、腹が空けば獣を食べ、獣のような生活を送りつつアカヤシを狩り続けた。
 一体、二体……両の手でも数え切れぬ程アヤカシを切った。だが妻のすすり泣く声は毎夜聞こえ、その度に妻子を切った感触を思い出す。
 それを振り払うかのように刀を振るう。
 そのうち昼夜はわからなくなり、意識が飛び始めた。気付けば体中返り血に染まり、周囲で幾匹もの獣が息絶えている事もあった。
 そして今、目の前には老人と子が……。
「俺は……」
 背筋に震えが走る。自分は何をしようとしたのか。人を殺そうとしたのか、と。二人に背を向けた。
「早く行け……俺の目の前から消えてくれ……」
 再び自分が狂う前に。
 二人が逃げ出した後、義弘は膝を着いた。
 もう自分は人として戻れないところに来てしまったのではないか……と。
 その手を見つめる。血ではなく瘴気が纏わりついているような気がした。


 達治がその子を拾ったのは一ヶ月ほど前。川原で倒れているところを見つけたのだ。幸い命に別状はなかった。だが目覚めた子供は自分がどこの誰かも分からない。
 身につけていた手作りの守り袋に「広太」とあったので名だけは分かった。しかし村人に尋ねても知っている者はいない。そこで広太の親がみつかるまで、と育てることにした。
 達治は寝ている広太の襟元から零れ落ちた守り袋を胸元にしまってやる。
「おや……」
 そこで気付く。今日山で会ったあの男が胸から下げていた守り袋もこれと同じだった、と。
「……さん、とう、さん」
 広太の寝言。そういえば広太があの男に向かって呟いた言葉は……。
 ひょっとして広太の父だろうか。父がいるなら会わせてやりたい。今は成人し街へと働きに出た孫が、両親を亡くした時に「父さんと母さんに会いたい」と散々泣いていたのを思い出した。
「……」
 達治はもう一度あの男に会おうと決意する。

 翌日、山に向かった達治は麓の地蔵前で手紙とあの守り袋を見つけた。
 手紙は二通。一通は『山に出る人斬り鬼を退治して欲しい』という開拓者ギルド宛。
 もう一通は山近くの村に住む老夫婦宛て。達治は悪いと思いつつもその手紙を開けた。

 妻子をアヤカシに殺されてから自分は正気ではいられなくなった、このままではいずれ瘴気に憑かれアヤカシと化してしまうだろう。止めたくとも意識がある時間が短くなり今やそれもできない。自害も考えたがその体をアヤカシに使われるのは本意ではない。なので開拓者に自分を退治してくれるよう依頼した。全てが終わったら守り袋を妻子の眠る墓に入れて欲しい、とある。

 その手紙を書くのも苦労したのだろう。所々字が震え、墨が滲んでいる。
 達治は老いた身体に鞭を打ち、その村へと急ぎ義弘の義両親に手紙を渡す。
 その頃、開拓者達が村へとやって来た。山に人斬りが出るので退治をして欲しいとの依頼を受けたということだ。どうやら達治達以外に義弘に襲われ逃げ出した者がギルドに駆け込んだようだ。
「お待ちください」
 達治と義両親は開拓者に縋り、手紙を見せた。
「どうにかして義弘を助けてやって下さい。孫の広太と一緒に暮らせるようにしてやりたいのです」


■参加者一覧
リューリャ・ドラッケン(ia8037
22歳・男・騎
劫光(ia9510
22歳・男・陰
羽流矢(ib0428
19歳・男・シ
リィムナ・ピサレット(ib5201
10歳・女・魔
麗空(ic0129
12歳・男・志
佐藤 仁八(ic0168
34歳・男・志


■リプレイ本文


 達治と義弘の義両親が開拓者達に事情説明終えたのは日が西へと傾き始めた頃だ。
「万が一てえこともある」
 そう切り出した佐藤 仁八(ic0168)を羽流矢(ib0428)が振り返った。いつの間にやら刀を外している佐藤に羽流矢は目を丸くする。
「なあに、あたしらぁ戦いにいくんじゃねえ。義弘ってえやつを取り押さえさえすりゃいいんだ」
 視線に佐藤がポンと自分の腕を叩いてみせた。
「とまあ、そいつぁ置いといて、だ。広太のことだよ」
 達治の帰宅が遅いのを心配して、義弘に会おうとして山に行ったりはしないか、と。広太の無事は絶対条件。しかし達治が帰るには時間がががる。そこで麗空(ic0129)が手を上げた。
「広太のきおく、ちゃんとしてくるよ〜」
 広太の様子は確認しておきたいし、できれば記憶が戻っている方が望ましい。
「じゃあ、広太は麗空に任せて……」
 ふむ、と顎に手を当て頷き劫光(ia9510)は深水山を仰ぎ見る。今も義弘は刃を振るっているのかもしれない。激情に任せるままに。
(アヤカシ相手に憂さ晴らし……か)
 思い当たる感情に目を伏せた。瞼の裏に浮かぶアヤカシに喰われる妹……。喪ったものは二度と戻らない。現実を受け入れることもできずに狂おしいほどに喪ったものを求め、やり場のない感情の代償として力を振るう。
「止めてやろう、一刻も早くだ」
 その気持ちがわかるからこそ、もう一度山を見据えた。

 大井村、達治の家。麗空は大事に胸に抱えてきた風呂敷を広太の前で広げた。中は義弘の義両親から借り受けた広太の玩具。
「見たこと、ある〜?」
 玩具を一つ一つ取り上げては麗空が広太に尋ねる。広太が大きな独楽を手にした。「これ、知っている」小さな声。それが呼び水となり、「これも、あれも」と見覚えのある物が増えていく。
 しかし覚えがあるのにわからないもどかしさ。耐え切れなくなった広太は癇癪を起こし独楽を掴んで振りかぶった。
「だいじなもの。ちゃ〜んと、もってるよ〜」
 独楽を握る広太の手を麗空が両手で包み込み、額と額をこつんとぶつける。
「リクにも、これおしえて〜?」
 麗空が広太の手を胸の前まで下ろした。
 独楽は麗空が広太に教わった通りに投げてもすぐに転げてしまう。だが広太がやればくるくると見事に回る。
「広太、じょうずだね〜」
 喜ぶ麗空に広太が独楽を裏返してみせた。
「これは投げる時コツがあるって……おとぅ……さ」
 広太の手から滑り落ちる独楽。麗空が受け止めた。
「お父さん! お母さんと照が!」
 戻ってきた記憶に混乱する広太を麗空は抱きしめる。広太が落ち着くまで麗空はずっとそうしていた。
「おとーさん、いっしょにいたいよね〜」
 頷く広太の前に差し出す小指。
「リク、ちゃんとつれてくるよ〜。だからいい子でまっててね」
 やくそく、と指切りを交わした。

 とっぷりと日が暮れた頃、開拓者達は深水山から杉原村に戻ってくる。義弘の痕跡は見つかったが発見までには至らなかった。
 翌朝、夜も明けきらぬうちから開拓者たちは再び山へと向かう。義弘がアヤカシ化していない以上、どうしたって飲食は必要だ。村人に聞いた水場やその周辺に生活の跡がないか重点的に探していく。
 達治が義弘に遭遇した近くの沢で羽流矢は水音に混じり獣の唸り声と金属音を聞いた。音は右手方向、崖を越えた先。
 羽流矢が走る。横に並んだ麗空が「おーきいのとちーさいのがいっぱい〜」と前方を指差した。
 開拓者達は気配を殺し木々の合間から様子を伺う。
 総髪の血垢に汚れた男と野犬が争っている。
 その光景にリューリャ・ドラッケン(ia8037)は苛立ちに近い感情を覚えた。妻と子を助けることができなかった、アヤカシとなった二人を殺めてしまった、それをとやかく言うつもりも、権利もない。自分だって同じ穴の狢だ。
 だがな、と心の中で苦々しく吐き捨てる。
(そこから逃げてどうなる)
 身を隠しつつ先行する劫光が振り返った。リューリャは頷き盾を構える。
(全部自分が行った事だ。眼を見開き焼付けて、背負わなきゃならねぇだろうがよ)
 それが責任なのだ。力を持ち武器を取ることを選んだ者の。たとえそれがどんなに苦しくとも、みっともなくとも。

 義弘の正面の茂みが揺れる。
「義弘、だな?」
 義弘にどれほどの正気が残っているのか確かめなくてはならない。故に不意を打つでもなく正面から劫光は姿を見せた。
 名を呼ばれ義弘が反応する。
「お前を止めに来た」
 ざんばらの前髪から覗く双眸が安堵したように細まったのも束の間、切っ先が劫光を捉えた。義弘の依頼は人斬り退治……。
「こんな事してる場合じゃないよ」
 リィムナ・ピサレット(ib5201)は前に出た。
「広太君は生きてるの。隣の村にいるんだよ! 記憶を失っていただけ」
 義弘は家族を全て喪ったと思っているのだ。それは違う、とリィムナは声の限りに叫ぶ。
「早く帰って広太君を抱きしめてあげて」
「こ……ぅ、た」
 義弘の刀を持つ手が震える。刃が劫光から逸れた。その時だ、義弘の背後から野犬が飛び掛かる。振り向きざま野犬を切り捨てる義弘。
 義弘の頬に肩にかかる野犬の血。義弘が目を瞠る。苦しげな呻きが漏れ、野犬の血に濡れた刀が上段に構えられる。
「おうおうおう義弘、何してやんでえ箆棒め」
 残った野犬が逃げ散る程の大音声。
「おめえだって腐っても父親じゃあねえのかい」
 白い羽織を靡かせ佐藤が遠慮なく義弘に近づきまん前に立つ。
「折角こうして生き残ってんなら、寂しい思いしてる広太のもとに駆けつけて、頭の一つも撫でてやったらどうなんでえ」
 丸腰だというのに恐れる様子もない。顎を撫で挑むように血走った眼に不敵な笑みを向ける。
「それとも何か、おめえのその手ぁ此岸で生きてる子供を撫でるためにゃ使えねえ、血腥え刀を振り回してすことにしか使いたくねえってえのか」
 カタカタと音を立て震える刀。挙げた手を下ろそうと腕に力が込められる。
 刀身から血が義弘の鼻先に落ちた……。
「ぅぉあぁっ!」
 獣の咆哮が大気をビリビリと震わせる。義弘の目が光を失った。
 慟哭に心を酷く揺す振られた羽流矢は居ても立ってもいられず佐藤を飛び越え、短刀を義弘に振り下ろす。交差する刃。地に下りた羽流矢が引くよりも早く義弘が踏み込んだ。
 唸りを上げ迫る刃。避けれない、刀を構えた羽流矢はいきなり背後に引っ張られる。佐藤が襟首をひっ掴んで放り投げたのだ。体を丸め二転、三転し立ち上がる。
「簡単にいかないのは百も承知」
 リィムナがリューリャと入れ替わり後方で歌い出す。義弘の義両親から習ったさちが子供に歌って聞かせていたという子守唄だ。
 リューリャと逆側に回りこんだ劫光が続く義弘の一刀を漆黒の剣身で応じた。刃越しに覗く暗い瞳、かつての自身を思わせる。
「義弘! 現実を見ろ」
 名を繰り返すのは彼の心に訴えるため。
「何をしても喪ったもんは戻らない!」
 残酷だがそれは事実だ。それに向き合わなくてはいけない。義弘には広太がいるのだからなお更のこと。
 刃が劫光に寄る。鍔迫り合いは義弘が有利。劫光はぎりぎりまで刃を己に引き付け横に飛び退く。大人たちの足元を縫い麗空が劫光の背後より飛び出した。仄かな梅の香りが流れる。
「つれてかえるってやくそくした」
 銀色の棍を義弘の顔目掛けて繰り出した。棍は義弘の眼前で節に別れ刀を握る手を滑り落ちる。白光が義弘に絡む瘴気を凪ぐ。
 麗空を狙う一突き。リューリャは麗空を肩で横に押し出し盾の正面で受け止める。踏ん張った足が土にめり込む。
 リューリャの手に清冽な気を纏った無形の剣が生まれる。盾で義弘の刀を弾き、がら空きになった胸に飛び込んだ。
「自身の罪と向き合い続けろ」
 実体を持たぬ刃を肩から脇にかけ袈裟懸けに走らせる。吹き抜ける突風に瘴気が散る。
 死角から刀を握る手を狙った羽流矢の一撃は寸前で避けられてしまう。
「義弘さん 奥さんと照ちゃんの魂を守ったじゃないか」
 対面することの叶わなかった娘の名に義弘が再び吼えた。
「アヤカシとして誰かを喰らう前に…逝かせてやれたじゃないか」
 羽流矢も負けじと声を張り上げる。
(俺にはその絶望を解れるはずもない)
 心臓を鷲掴むような慟哭。だが今度は心を持っていかれることはなかった。
「広太は生きてる、義弘さんが守ってやらないでどうするんだよ」
 もう一度刀を放し息子に会って欲しいと思う。その手が血に染まりそして瘴気に染まる前に。
 討伐ならば開拓者達はさほど苦戦せずに済んだであろう。だが広太の事を思えば、できる限り怪我を負わせたくないと自然防御に偏り時間ばかりが過ぎていく。
 跳ね上げた土とともに義弘の刀から迸った衝撃波がリィムナを直撃した。続く追撃をリューリャが盾で止める。
「……っ!」
 巨木に背を打ちつけリィムナは息を詰めた。だが子守唄が途切れたのはほんの一瞬。すぐさま続きを歌いだす。
(伊達に鍛えてないよっ)
 治癒を施してくれた劫光にリィムナは軽く手を上げて応えると、キっと義弘へと向き直った。
(目を覚まして!)
 一度で届かないなら何度でも繰り返し歌う。義弘の心に届くまで。ひょっとしたら奥さんの事を思い出させてしまうかもしれない。その恐れはあった。
「逃げるなっ」
 リューリャの鋭い声。そう、それは乗り越えなくてはいけないことなのだ。
 劫光は視界の隅に麗空の姿を確認した。自分へと気を惹くため義弘へ符を投げ、同時に地を蹴る。
「ああ、辛いだろうさ、苦しいだろうさ!」
 言葉では言い尽くせない絶望に心は抉られ、涙を流すことすらできないかもしれない。義弘の一閃を刃が受けた。散る火花。
「だけど、お前には、まだ守るものがあるだろう! 守らなきゃいけない奴がいるだろうが」
 甘えてるんじゃねえ、と気合で押し返す。
「かなしいと、ここがきゅってする。いたいよね。 でもいたいのは、もういいんだよ〜」
 棍を収めた麗空が片手を自分の胸に置き、もう一方を義弘へと伸ばす。腕にかけられた小さな手に義弘が動きを止めた。
 麗空目掛けて下ろされる肘を佐藤が抱え込むように押さえ込む。
「おめえの生ってやつぁ、此岸で生きてる奴のためか、彼岸に逝っちまった奴のためか、どっちだ」
「佐藤さん!」
「おうっ」
 羽流矢が義弘の足元に仕掛けた荒縄を引っ張った。縄が義弘の足をすくい、それに合わせ佐藤が義弘の腕を引き体勢を崩す。
 仰向けに倒れる義弘。刀が手から落ちた。
「瘴気のせい?」
 リューリャが義弘の傍らに立つ。
「そんな言い訳、認めない」
 断固とした口調。瘴気を斬る刃がその手に生まれる。
「お前にできるのは、苦しんで忘れる事無く償い続けることだけだ」
 ゆっくりとそれを振り上げ、
「そしてお前が償うべき相手は、広太は生きてる」
 心臓目掛け一気に突き刺す。ざわり、と大気がざわめく。
 ただただ空を見上げる義弘の手に羽流矢は預かってきた赤ん坊の玩具を握らせる。それはさちと義弘、そして弘太三人で、照のために選んだものだ。
 取り戻せるものがあるなら、絶対に手を伸ばした方が良い。諦めるのも投げ出すのもいつでもできる……羽流矢は自身に言い聞かせるように心の中で義弘に語りかける。
「子守唄が……聞こえる」
 義弘が人形を胸に漸く動いた。手が地を探り刀を握る。そして刃を己の首筋に―その手をリューリャが押さえつけた。
「お前は生きなきゃならない」
 静かだが内に怒りを孕むような声。
「どれだけ苦しもうが、悪夢に苛まれようが。此処で死ぬことも、狂って楽になる事も」
 赦さない、と義弘に向ける視線は厳しい。
「お前を裁くことをできるのは広太だけだ」
「手と顔を洗って会ってやってくれ」
 羽流矢はもう一度人形を握らせてやる。
 胸元から大事そうに広太から借りた守り袋を取り出した麗空は義弘の首のそれと並べてみせた。
「おとーさんと、いっしょにいたいって言ってた」
 義弘の表情が大きく歪む。
「いたいの、とんでけ〜」
 ぎゅうと義弘の頭を抱え込む麗空。
「一番辛いのはお前じゃない、残される息子だろう」
 あんたが理解するまで繰り返し言うぞ、と劫光が頭上から覗き込む。
 手から離れた刀を佐藤が拾い上げ、土を払い血を拭った。
「で、どっちだ。言ってみやがれ」
 佐藤が先程の問いを繰り返す。妻の、娘の、そして最後に義弘は息子の名を呼んだ。


 麗空に先頭に達治、広太をそれぞれ背負った佐藤、羽流矢が義弘たちのもとへ姿を見せた。義弘の脇は念のためリューリャ達が固めている。
「お……とうさ、ん?」
 広太の声。互いに手を伸ばしても届かない距離。義弘は腰を浮かせたが、手を地につくと崩れ落ち嗚咽を上げ始める。広太を見ることができなかった。

「お父さんどうしたの?」
 広太が自分を抱く羽流矢を見上げた。
「今、親父さんは酷く疲れていて…悪い病気になりそうなんだ」
「お腹痛いの?」
「まぁ、そんなとこだな」
 苦笑とともにぽん、と頭に手を乗せる。
「いたいの、とんでけ〜ってしよ〜」
 麗空が広太を見上げた。
 羽流矢は慎重に義弘との距離を詰めていく。何かあれば自分が盾になるつもりだ。麗空も義弘から広太を庇える位置取りである。

「悪かった……俺が、俺のせい、で」
 義弘は謝罪を繰り返すばかり。
「目を逸らすな」
 リューリャが義弘の肩に手を置く。義弘が顔を上げた。
 皆が見守る中、羽流矢に抱かれた広太が義弘の頭に手を伸ばした。
「痛いの、痛いの、とんでけってお母さんが、してくれたよ」
 沈黙が落ちる。俄かに高まる緊張。
「生きていてくれて、ありが……とう」
 涙でぐちゃぐちゃの顔で義弘が広太の手を握った。

 今日は杉原村に泊まるという達治と佐藤は杯を交わす。
「爺さんも杉原村に越してみちゃあどうかねえ」
 義弘たちは当分の間杉原村で暮らすことになった。
「もし引越に人手が要るなら、特別に無料で手伝ってやるんでよ」
 達治はその申し出に笑みを浮かべた。
「ま、爺さんにゃ爺さんなりの付き合いなり何なりあんだろうしよ、無理にとぁ言わねえが」
 杯を暫し弄んだ佐藤がぐいっと酒を呷る。
「爺の心配してくれるなんて嬉しいねぇ。でも村には息子たちの墓があるんでなぁ」
 ありがとうと達治。
「そうかい。ま、なんかあったら言いな」
「そうさせてもらうよ。無料なんじゃろう?」
 佐藤の杯に達治が酒を注ぎつつ何食わぬ顔で言う。
「なあに調子の良いことぉ言ってやがんでえ」
 佐藤の豪快な笑い声が辺りに響いた。

 さちと照の墓前で巫女装束のリィムナは静と扇を上げる。
 義弘に請われ生前のさちと照の姿を再現した時のことを思い出した。赤子を抱きあやすさち。小さな手を揺らして喜ぶ照。
 全て幻だ。
 だが幻が消える直前、さちと照が義弘に向かって微笑んだように見えたのだ。
「力を貸してくれてありがとう」
 宵闇に白い衣をなびかせて鎮魂を願いリィムナは舞う。