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■オープニング本文 ● 今から遡る事一ヶ月ほど前、公孫樹の葉が色付き始めた頃の話。 文学科の面々は文学部学生寮、通称青藍寮の食堂に集合していた。11月にある泰大学祭の打ち合わせである。 勿論、学科の研究発表とし『青藍』という作品集も出す。だが折角のお祭り、学術発表会だけにして良いのだろうか……! 「いや良くない!」 文学科二年生胡天水はドンと食卓を叩く。そうだ、そうだと合いの手。 文学科は歴史だけは長いが今一つ人気は低い。校舎も寮も構内の片隅に追いやられている日陰の学科だ。その文学科が目立てる数少ない機会がこの泰大学祭なのである。俄然気合も入るというもの。 瓦版同好会の会員として日夜学内外の噂話収集に余念がない天水自身もお祭り騒ぎは大好きであった。また妙なところで発揮される行動力もあり、文学科の出し物を取り仕切りを任されたのだ。 尤も上級生は科挙の試験勉強や本分である学術発表のほうに力を入れていることもあり下級生が出し物を担当するのは文学科では珍しいことではない。 「何をしてるの? 何の役に立つの? などと言われて久しい我等文学科が年に一度注目を受けるときである」 うぉおお、と返る返事に天水は「まあまあ」と両手を上げて答えた。ちなみに盛り上がっているのは男子学生で、女子は「男って子供よね」って眼で見ている。 「そこで今年の出し物だが……」 コホンとわざとらしく咳払い。そして脇に控える開拓者兼文学科一年の伊原司に目配せをする。伊原が頷いて手に持っていた大きな紙を壁に貼る。 そこには『呪われた 旧校舎』と達筆な字で書かれていた。お化け屋敷といえば定番中の定番である。こんなんでいいのか、とどこからともなく声が上がった。 「諸君等の『ありきたりだ』『芸が無い』という意見もわかる……だが!!」 ぐっと拳を握る。 「今年は我等に『旧校舎』があるではないか!!」 旧校舎、それは文学科の校舎よりも更に奥地、最早僻地と言っても良い場所にある使われなくなった校舎である。先達てこの旧校舎で幽霊騒動が持ち上がった。それは開拓者達の手により旧校舎に住み着いた精霊『座敷童子』の悪戯と旧校舎にて彫刻を作成していた文学部二年楚一明の合わせ技によるものと判明し一応は解決したのだが、まだまだ幽霊が出るという噂は根強く残っているのだ。 いや寧ろ、学外では最近噂になり始めたといっても良い。どうやら開拓者を招いたというのが噂に拍車をかけることとなったらしい。それを使わない手があろうか。答えは否である。 「しかも座敷童子翠の協力を得られる今、それは学祭の域を超えた本格派となること間違いなし」 その座敷童子翠がひょこりと現れる。家屋敷に住み着くといわれる座敷童子は人間と遊ぶのを好む変り種の精霊だ。 最近ではその幽霊騒動の時に友達になった学生と遊ぶために青藍寮にまで顔を出す始末である。 「……沢山の人と遊べる? 一杯遊べる?」 翠は名前の由来となった翡翠のような綺麗なまあるい目で皆を見つめる。その姿は天水の演説よりも威力があった。 ● というわけで泰大学祭前夜。皆徹夜で準備中だ。文学科の全力を持っていかにもな装飾を施された旧校舎は、遠目では本当に禍々しい気配を放って見えた。 一応階段などの危なっかしい場所は修繕も施し、校舎裏にある厠も掃除済みだ。そんな怖いところにある厠と使う人がいるかは別だが。 そして幽霊の衣装も天儀、泰、ジルベリアなど様々な国のものもばっちりだ。化粧の練習だって何度も繰返した……結果、一部の女子から紅を塗るより血糊を作るほうが上手くなってしまったと投書がきたのは別の話。 「道は正面玄関から入って、ぐるっと一周してもらうということで……」 旧校舎の見取り図を手に天水が確認していく。一階、二階それぞれ左右の端の教室にお札を置いてありそれを全て取ってきてもらうという趣向である。 窓という窓を閉められた校舎は昼間でも十分暗い。 「……っ!!」 不意に天水の前を淡い光が横切った。 「翠かぁ……。驚かせないでくれたまえよ」 翠の存在を知っている天水ですらドキっとするのである。多分知らない人が見たら本当に驚くだろう。 「それに……」 ふふふ、と天水から漏れる不敵な笑み。 「伊原君、そちらの首尾はどうだい?」 「……一応開拓者ギルドに『求む、お化け役』って出しておきましたが……」 伊原が溜息を吐く。 「学祭にまで開拓者を引っ張ってくることないじゃないですか」 「伊原君!」 天水は持っていた見取り図をくるくるっと纏めて伊原に突き出した。 「こういうのはね、徹底的にやるからこそ面白いのだよ。そうやるからには徹底的に!泰大学祭史に残るものにしようぞ!!」 精霊翠が意味も解らず「おー」と片手を上げる。 その声に呼応した文学科学生の声があちこちから響いた。 かくして文学科提供『呪われた旧校舎』の開幕である。 |
■参加者一覧 / 国乃木 めい(ib0352) / 久木 満(ib3486) / アルマ・ムリフェイン(ib3629) / リィムナ・ピサレット(ib5201) / フランヴェル・ギーベリ(ib5897) / アムルタート(ib6632) / サフィリーン(ib6756) / ケイウス=アルカーム(ib7387) / 雁久良 霧依(ib9706) / 稲杜・空狐(ib9736) / 八塚 小萩(ib9778) / アリエル・プレスコット(ib9825) / 王 梨李(ib9904) |
■リプレイ本文 ● 城壁を抜けると広大な敷地が眼前に広がる。点在するいくつもの大きな建物。大きな街の庁舎のようでもあるが、溢れる活気は神楽の都の大通りを思わせる。 「大きな学校とか大学なんて初めて!」 サフィリーン(ib6756)は校門を潜ると小走りに一番近くの建物へ向かっていく。二階の開け放たれた窓からは『演劇同好会 公演中』など垂れ幕がいくつも下がっている。 「いいな、いいな」 呼び込み合戦、看板を抱えて歩く着ぐるみ、揃いの法被で踊る集団、あちこちから聞こえる音や声が一つの陽気な音楽のようで身体が自然とリズムを刻む。 「地図をもらってきたのです」 稲杜・空狐(ib9736)が構内の案内図を手に戻ってきた。 「色々探検したいけど」 二人で案内図を覗き込む。 「探検と言えば校舎まるまる一つ使ったお化け屋敷があるそうなのです」 貰ったチラシをサフィリーンに見せる。血文字で「呪ワレタ旧校舎」とあった。 「楽しそう!」 「ですです」 「まずはお化け屋敷からっ」 「ゴーゴーゴーなのです!」 探検発見、泰の大学。元気良く少女達は走り出す。 校門にて起きるざわめき。 「おかーさん、あの人……」 「しっ、見ちゃだめよ」 子供の手を引き足早に過ぎる女性。ざわめきの中心は異様な風体をした何者か。 『満』一文字が刻まれた骸骨を模して作られた兜は細く尖った顎に大きな頭と歪に改造され、首がなく頭だけ浮いているようにみえる。更に極力継ぎ目をなくしつるんとした表面の大鎧。その姿はさながら儀の外から来た謎の生物だ。 「クックックッ……」 校門正面で腕を組み低い笑みを零す。 ある人は「何か出し物でも始まるのか?」と期待し、またある人は「派手な宣伝だなあ」と好奇の目を向けた。 だが何か起こる様子は無い。 「……ここは、どこだ?」 この天儀外生物いや久木 満(ib3486)はなんとなく人の流れに誘われて辿り着いた迷子だったのだ。 ピーッ、と笛の音が鳴り響く。 「こらあ、文学科っ! 化物の仮装で校門近辺をうろつくなと注意したばかりだろうが」 久木に向かって走り寄る学生達。 「文学科? 待て、な、何をするー、お前等?!」 「言い訳は後で聞く。控え室に連行しろ!」 恰幅の良い男子学生に左右の腕をがしっと掴まれ引っ張られていく様は、ごく一部で有名な超常現象専門瓦版『無有』の『未確認生物は実在した』といった特集で見かける図に酷似していた。 旧校舎近くに張られた大きな天幕。中を仕切ってお化けの控え室と救護室に分けている。 「寝台は二つ、衝立を置いて外から見えないようにして下さいね」 若い頃、各地で医療活動を行っていた国乃木 めい(ib0352)が学生に指示を出しつつ救護室の設営を進めていた。 寝台の設置など力仕事は学生にまかせ、自身は薬品の点検や怪我人が出たときの手順書を作っていく。 「それにしても……」 わいわいと賑やかに騒がしく動き回る若者達を見ているのは楽しいものだ。 「後で皆さんにお茶とお菓子でも振る舞いましょうか……」 救護室の設営が一段落済んだころ、天幕の入り口にひょこりと覗いている顔にめいは気付く。かつて旧校舎での幽霊騒動の際に出逢った座敷童子の翠だ。 「こんにちは」 いらっしゃいな、と手招くと嬉しそうにやって来る。途中学生達が声をかけているところを見るとだいぶ馴染んでいるようだ。 「翠ちゃんもお化け役をやるのかしら?」 「うん。人が沢山、楽しみだ」 めいが渡したもふら飴が珍しいのだろう。翠は掲げてあちこちから眺めている。 「甘くて美味しいですよ」 思いっきり齧りつこうとして顔ごと白いふわふわの中に突っ込んだ。 「わぁぁっ!」 白いふわふわを頬にくっつけて翠は満面の笑みを浮かべた。 控え室では皆、最後の準備に余念がない。 アリエル・プレスコット(ib9825)は更衣室代わりの場所でシャツとスカートを縫いでパンツ一枚の姿となった。 落ち着かないし、恥ずかしい。でも……と土と絵の具で汚した包帯を手に取った。 「スカートを穿いてるマミーはいないのです……」 包帯をくるくると全身に巻きつけていく。 勘違いの末、連行された久木はその見目を生かし協力してくれないかと頼まれているところだ。 「ふむ……」 もったいぶった仕草考える真似。丁度更衣室から小さな木乃伊が出てくる。木乃伊のそばには頭に蝋燭を立てた五徳を乗せている女の子。そういえば先程救護室に遊びに行ったのも小さな子供だ。迫力が足りない。 「なるほど、なるほど。この俺の力を必要としているのか」 だが、と手を大きく広げた。 「俺は安く無いぞ!」 学生達がごくりと喉を鳴らして久木を見守る。 「きりたんぽ三本だ! それ以上はまけられん」 静まり返る控え室。 「はいはーい、天儀外生物さん旧校舎に入りまーす」 「ぬぉお、わかったきりたんぽ二本、二本でぇえ〜……」 またもや左右をがっしり掴まれ連行されていく。 「翠ちゃーん、準備はいい?」 救護室と控え室を区切る布の下からリィムナ・ピサレット(ib5201)が顔をのぞかせた。頭には丑の刻参りの定番、五徳と蝋燭。 食べかけのリンゴのタルトを翠は一気に頬張ると、椅子から飛び降りる。 駆け出す翠をめいは呼び止めた。 「脅かしに行くのでしたら、口元を拭ってからですよ」 ぐいっと頬を綺麗な手拭でぬぐってやる。 「いってらっしゃい。休憩時間にはおやつを食べにいらっしゃい」 そして二人を送り出す。 扉を開けるとそこは山奥の廃村だった……。お札が置かれた教室の一つである。だがそこに学び舎の面影は無い。 覆いかぶさるように枝を広げる古木、腐れ落ちた茅葺の家、枯れた蔦が所在投げに垂れ下がる石垣、そして中央には苔生した古井戸。 文学科だけではなく芸術学科にも在籍する雁久良 霧依(ib9706)が全力で作り上げた舞台である。 「くしゅん」 不気味な空間に場違いな可愛らしいクシャミ。古井戸の正体は水を張った桶、その中に薄手の死装束を纏った霧依が隠れていた。季節は晩秋、いくら志体を持っているとはいえ冷水はこたえる。 「……少し寒いわね」 寮で同室のリィムナが作った細い金色の鎖がついた真紅の付け爪が輝く手でぎゅっと自身を抱きしめる。少しだけ温かくなったような気がした。 旧校舎入り口に徐々に人が集り始める。 「汝、連れはおらぬのか?」 八塚 小萩(ib9778)は一人で並ぶ客の袖を引く。 「折角じゃ、我と一緒に行こうではないか」 「お嬢ちゃんは一人じゃ怖いのかい?」 「我は武僧じゃ! 幽霊など何するものぞ!」 からかう客に小萩は無い胸を張る。強がって見せる少女は微笑ましいものだ、と客は大抵勝手に勘違いをし、「じゃあ一緒に行こうか」となる。 だが小萩は文学科の生徒、そう客を装った脅かし要員なのだ。 「……っ!!」 聞こえる悲鳴にケイウス=アルカーム(ib7387)は首を竦めた。そして後ろを振り返る。その顔には「本当に行くの?」と書いてあった。 「怖くないんだよね?」 ケイウスの顔にある文字は見ないふりで笑顔を浮かべるアルマ・ムリフェイン(ib3629)。 「も……もちろん」 微妙に引き攣る頬。ケイウスは精霊、アヤカシの類は怖くない。だがお化けは苦手なのだ。何せ正体がわからない不気味さがある。正直なところ入りたくはない。 しかしアルマの手前そんな泣き言も言えない。お化けが苦手なのは内緒なのだ。 (ケイちゃん、分かりやすいからとっくにバレてるんだけど……) お化け屋敷を見上げてごくりと唾を飲むケイウスをアルマは横目で見る。 「僕……」 ケイウスの背後に回り背を屈めた。 (目の前で隠れるの……) と、心の中で挟んで、 「苦手だから前お願い!」 「無理することは……」 ケイウスを頼るようにみせかけ背を両手で押し、半ば強引にお化け屋敷へ突入である。 暗幕が降ろされると辺りは闇に包まれた。 幽霊などいない、それがこの世界の理。開拓者であり陰陽師でもある空狐も当然知っている。 だが……。 「夜の学校はなんとなくこわいのです」 暗闇は自分の知らない何か得体の知らないものが潜んでいそうにも見え、サフィリーンに身を寄せた。 「何て書いてあるんだろう?」 サフィリーンに応えるように空狐は提燈を掲げ壁を照らす。『来たれ、同志よ! 瓦版同好会』『求む、仔猫の飼い主』『休講情報』、内容に統一性がない黄ばんだ貼紙達。 「……二人はうまくいったのかな?」 サフィリーンが貼紙に隠れるように描かれた相合傘を指差した。 「あっちにも何か書かれているみたいなのです」 そのまま提燈を横へと動かしていくと『呪』という大きな血文字。突然、背後で扉が音を立てて閉まった。 「が、がおー!」 木乃伊のアリエルが飛び出してくる。 「きゃー、何か出た」 待ってましたとはしゃいだ様子でサフィリーンは空狐に飛びつく。 「汝等に呪いあれ!」 言葉とは裏腹にペコリと頭を下げ二人を見送ってくれる木乃伊であった。 空狐とサフィリーンは最初の教室の扉を開ける。人魂が飛び交う廃村、井戸の脇にお札を発見。いかにも井戸が怪しい。 二人視線を交わしそろそろと進む。井戸の手前、背の高いサフィリーンがお札にむかって懸命に手を伸ばした。 ピチャリ、サフィリーンの手に落ちる雫。 「えっ……」 井戸の縁にかかる血に濡れたかのような真っ赤な爪を持つ手。ずるり、と濡れた黒髪を身に纏わりつかせた女が井戸から這い出て来た。黒髪の合間から見開いた片目がサフィリーンを捉える。引き裂いたかのような赤い唇がにたぁりと笑んだ。 一瞬の静寂。 「アァァアア!!」 女が金切り声を上げる。 「っ!!」 サフィリーンが座り込んだ。 「サフィ、こっちなのです」 空狐がサフィリーンを引っ張り上げ走る。四つん這いで二人を追いかける女。 「ひゃぁっ!」 女から伸びた蔦がサフィリーンの足に絡んだ。振り返ったサフィリーンの眼前に真っ赤な爪が迫る……。 「お札、取ったのですよ」 何時の間にやら女の背後に回りこんだ空狐がお札を掲げる。そして女の横を抜けるとサフィリーンの手を掴んで走り出した。一気に廊下の反対側まで行き、漸く二人は足を止める。 「空狐ちゃん、お札の所は一番の脅かしポイントだよね……」 サフィリーンに皆まで言うなとばかりに空狐が力強く頷いた。 フランヴェル・ギーベリ(ib5897)は一人で旧校舎に足を踏み入れる。 「頑張る仔猫ちゃん達を堪能しないとね」 言っているそばから灯を横切る小さな影。まずは最初の挨拶、木乃伊のアリエルだ。 「がおー!」 包帯の端が木材に引っかかっているのも気付かずに両手を広げ襲い掛かる真似。しかし木材に引っ張られた包帯がハラハラと解けていく。 「これは素晴らしいサービスだね」 「さー、びす?」 アリエルは自分を見下ろした。解けた包帯の隙間から覗く白い……。 「……きゃっ!」 包帯を押さえ、背を向けて廊下に座り込んだ。 「古の呪いは解けた」 アリエルにマントを被せフランヴェルはお姫様のように抱き上げる。 「木乃伊姿も可愛かったが、何と愛らしい王女様か……」 「あ、あの、あの……」 「さあ姫、ともに闇の世界から抜け出しましょう」 戸惑うアリエルにフランヴェルが告げる。芝居がかっているがこれがフランヴェルの可愛い少女に対する素だ。 フランヴェルはアリエルを抱え走り出す。回れ右すればすぐに出口なのだが律儀に校舎一周した。 「御覧なさい光の国です。此処で我が役目も終いです」 「ああ……王子様……」 気付けばアリエルもノリノリである。 「姫、この一時の思い出に……」 愛しております、言葉とともにアリエルの唇にフランヴェルは唇を重ねた。 「んっ……」 うっとりとアリエルは目を閉じる。 「いっ?!」 廊下を走り抜ける一陣の風にケイウスは思わず飛び退いた。今のなに、とアルマに問うたが彼も「さぁ」と首を横に振る。 「ともかくお札よろしくね」 えい、とアルマに背を押されケイウスは教室に飛び込んだ。教卓の上に札がある。 抜き足差し足及び腰、ケイウスは教室を進む。時折後ろを向いてはアルマの姿を確認することも忘れない。 じっとりと汗をかいた手を恐る恐るお札に伸ばす。 するり……お札が手から逃れた。 「え……?」 見直すがお札はそのままだ。 「きっと今のは錯覚だよね、うん」 あはは、とわざとらしい笑みと共にもう一度。やはりお札が手から逃げた。 「……えぇい、ままよ!」 がっとお札を鷲掴む……とその手の上を白い何かがすり抜けて行った。 「ひっ……」 教卓の下に空狐が隠れている。白い何かは彼女が生み出した式の蛇だ。蛇に気をとられている隙にサフィリーンが気配を殺してケイウスの背後に忍び寄る。 そして何故か空狐が懐に隠し持っていた蒟蒻を首に沿わせた。 「でたあああっ!」 文字通り飛び跳ねたケイウスが全速力でアルマの背後に飛び込んだ。 「……アルマ、ちゃんと居るよね?」 ケイウスの僅かに震えた声にアルマも「うんうん」と震えた声を返す。 もっともアルマの震えは恐怖から来るものではない。教室で脅されて以降、数歩行くたびにアルマが後ろにいるか確認するケイウスに笑いを堪えているのである。 (そろそろかな……) 外で拾った小石を握り、アルマは音も立てずに使用されていない教室に隠れた。 「……アルマ、はぐれてないよね?」 アルマが隠れた事を知らずにケイウスがまたもや声をかける。当然返事は無い。 「アルマ?」 振り返れば背後には闇ばかり。静まり返った廊下にケイウスの声が空しく響く。 「ねぇ、アルマ? 悪い冗談はやめてくれよ……」 カツーン 「ひっ!」 いきなり前方で鳴った音にびくりと肩を揺らす。足元に転がってくるのは小石。 「あぁ……なんだ……」 ほっと一息ついた刹那……。 「わっ!」 どんと背中に何かがぶつかってきた。 「うああっ!!」 腰を抜かしたケイウスが溺れた人のように手足をばたつかせる。 「どう、どう……落ち着いて」 「わあああ……って、あれアルマ?」 肩を軽く叩かれて漸くケイウスがアルマの存在に気付き、へたりこんだ。 「全く驚きすぎだよ『ケイパパ』」 「そりゃ驚……」 言葉を飲み込み、ゆっくりと瞬きをするケイウスにアルマはにっこりと笑顔を返し引っ張り起した。 「ぱ……」 ケイウスの双眸がみるみる丸くなっていく。 「ぱ パパ!?」 ケイウスの声が裏返る。 「いや、確かに、確かに……」 養女を迎えたからその呼び方は間違っていない。だが改めて言われると照れるというか、なんというか……などともごもごと髪を掻き回し俯く。 仄かに光る子供がケイウスを下から覗き込んでいた。 「……!」 「…ケイパパ、だ、だいじょう ぶ?」 顔色を失うケイウスに堪えきれなくなったアルマは口を押さえ肩を震わせる。 「ぐっ、残りのお札も俺が取ってくる」 見てろ、と捨て台詞を残しケイウスが一人走り出した。 だがしばらくして……。 無言ダッシュでアルマの隣に帰還。 「ねぇ、ケイパパ……」 一頻り笑ったアルマが前に立って歩き出した。 「パパになったんだから、余計に、ちゃんと頼ってね」 頼る、か……と独白のように繰返すケイウス。 「具体的には無暗に危ないことしない」 アルマが伸ばした人差し指を揺らす。 自覚はある、ケイウスは視線を下げた。 (つい考えるより先に動いて皆に心配をかけてるな……) くるりと回ったアルマが黙り込んだケイウスを覗く。 「僕らも頑張るから」 重なる視線にケイウスは力を抜き笑みを浮かべた。 「わかった、気を付けるよ」 よろしい、と教師のように頷き前方を向いたアルマの背を見つめる。 「……ありがとう、アルマ」 「ん、何か言った?」 「早速次の教室頼りにしてるからって、ね」 本当に頼りにしてるから、とケイウスが念を押した。 王 梨李(ib9904)は案内図片手に構内を彷徨う。大学への編入を考え見学中、目当ての図書館を目指していたはずなのに、歴史と伝統を誇る泰大学というべきか気付けば自分がどこにいるのかわからなくなっていた。 「……あそこに、人がいる」 聞いてみようと向かった先がお化け屋敷だ。あれよあれよという間に提燈を持たされ送り出された。 「…お札…持って戻れば、良いんだね…?」 そしたら図書館まで案内してくれるんだね、と確認する梨李に学生が大きく手で丸を作る。 建物内は真っ暗で、外のざわめきも遠くに聞こえる。梨李は潜入捜査よろしく足音を立てず足早に廊下を行く。 締め切られた教室の前で梨李は腰に差した陰陽刀を握った。 「其は我が目、我が耳……小さき者よ此処に。生魂」 口の中で呪を唱える。生まれた小さな梟が教室内へと羽ばたく。 梟を通し梨李の眼前に浮かぶのは並んだ机、黒板……。何かいる様子は無い。 ほう、と無意識に安堵の息を漏らす。 開拓者として冷静かつ的確な行動……だがお化け屋敷に対してはどうだろうか。そう梨李は沈着に見えて、内心かなり怖がっていたのだ。見えないところは確認しないと進めないくらいには。 入手したお札を手に二階へ進む。 廊下の脇にある掃除用具入れ。前を通りかかると、いきなりドンドンドンと中から激しく扉を叩く音。 「っ?!」 思わず陰陽刀を握り締めた。 棚の扉はこれ見よがしに封印が施されている。開けたらまずい、分かっているがそこに何がいるのか、好奇心を押さえ切れなかった。提燈を足元に置き、片手を刀に置いたまま封を破り扉を開く。 膝を抱えた興志王がみっちりと詰っていた。 「……」 そっと扉を閉じる梨李。 興志王の正体はラ・オブリ・アビスを使用したリィムナ。が、それを梨李の知らない。何かいけないものを見た気持ちになった。 不意に背後に感じる気配。 ぼんやりと暗闇に浮かぶ歪な髑髏。 「……?!」 髑髏の額に描かれた『満』の文字が提燈の灯を受けて蠢いた。ギチギチギチ……そんな音が聞こえそうな仕草で髑髏が手足をつっぱらせ背を弓のように逸らして起き上がる。腹は天井を向いているというのに顔は梨李と同じ向きだ。 一歩梨李が下がる。髑髏が一歩踏み出す。それを何度か繰返した後、髑髏はその姿勢のまま一気に距離を詰めてくる。 (と、にかく足止めを……) 咄嗟に梨李は陰陽刀を抜き顔の前に構えた。 「かの者捕えよ、縛印!」 揃えた人差し指と中指を刀身に這わす。髑髏の手足に纏わりつく式。すかさず次の呪を唱えた。 「壊、留……」 暗闇を切り裂く刀身。 「声塊……!」 「俺はアヤカシではnぶふぁぁっ!?」 髑髏、久木が叫ぶ。だが時は既に遅い。久木の頭に響く怨霊の叫び。 「……俺…このバイトが終わったら…きりたんぽ鍋を食べるんだ…」 久木轟沈。 旧校舎の裏に古い厠がある。清掃はされているが凡そ使用したい場所じゃない。 「此処で待っていて欲しいのじゃ〜」 厠前までフランヴェルを引っ張ってきた小萩はそう言い残し個室に篭ってしまう。 「一緒に入ってあげようか? きみの世話ならば喜んで……」 王子様スマイルでとんでもない事を口にするフランヴェルは先程あまり仕掛けを楽しめなかったというわけで二週目である。 小萩が一生懸命「そこにお化けじゃ」「あっちから人魂が来るぞ!」と脅してくれるので、一緒になって驚いて楽しんでいる。 此処ではどうやって驚かせてくれるのかな、とつい鼻歌が混じり慌ててキリリと顔を引き締めた。一生懸命な小萩のためにも真面目に怖がってみせないと、である。 ぬっと影がフランヴェルを覆った。軒から逆さまに小さな子供が顔を覗かせている。翠の目が可愛らしい子だ。 「うぁああ!」 大袈裟な声をあげると小萩が厠から飛び出してきた。 「化物め、我が退治してくれようぞ!」 すると子供がぱっと消え、そして、 「お前の装備を全てくず鉄に変えてやるぜー!」 厠の裏から鎚を振り上げた興志王が現れた。興志王、又の名をくず鉄王。開拓者ならばその名前に恐怖を覚える者も多いだろう。リィムナ会心の策である。 「やらせはせぬ!」 小萩がフランヴェルの前に立つ。興志王の姿を借りたリィムナは『夜』を使うと小萩の服を奪い懐にしまいこむ。勿論打ち合わせ通り、小萩の服も脱がせやすいものにしてある。 再び動き始める時間。小萩は予めしのばせていたくず鉄を足元に落とした。 「我の一張羅がくず鉄にぃい!!」 朝アリエルに穿かせてもらった襁褓だけの姿で小萩が絶叫する。 「ふははは……次はお前だ!」 鎚をフランヴェルに突きつける興志王。 「そう思い通りにはいかないよ」 リィムナが襲い掛かるよりも先に小萩をマントで包み抱き上げたフランヴェルが飛び退いた。感じるデジャヴ。 「さあ、ボクと一緒に邪悪な王の手から逃げよう」 姫を守る王子様モード再び、である。 「……フランさん流石だね」 あっという間に走り去った背中にリィムナが苦笑した。 小萩との別れも当然口付けだ。 「フラン様ぁ……」 その後小萩は仕事にならなかった。 優しい花の香りが漂う救護室。お化け役が張り切ったせいか、思いの外運ばれてくる客が多い。いやお化け役も時には運ばれてくる。尤も大怪我はいないのだが。 「はい、これでもう大丈夫ですよ」 めいと久木を包む淡い白い光がふわりと消えた。めいが念のため、と氷を入れた皮袋を久木の兜の上に乗せる。本当は兜を脱いで直接冷やしたいのだが、久木がそれを頑なに嫌がったのだ。 「本当に、申し訳、ない……」 梨李が久木に頭を下げる。久木に向かって呪声を放ったあと、慌てて救護室に運び込んだ。 「クックック」 久木が喉を震わせて悪役のように笑う。 「やるな、お前の攻撃を受けて……」 片足を椅子に乗せて立ち上がった。 「悦んでるのは…俺が初めてだぜ…ッ!」 親指で自分を指して見得を切る。 「……」 真顔で見上げる梨李。 「……いや、何、大丈夫ということだ」 久木が肩を縮こませて椅子に座りなおした。 「お二人ともお茶でもどうぞ」 めいが二人に茶と茶菓子を差し出す。 大きな公孫樹の下に設けられた喫茶店。提供されるのは泰のお茶にお菓子。 「お茶の中でお花が咲いてる」 サフィリーンが硝子の茶器を光に翳す。探検の途中、おやつ休憩である。 「ちょーっと変わった風情だけど素敵だね……って、あれ?」 並んで座る空狐が月餅を切り分けつつ首を傾げた。 「空狐ちゃんは左隣でしょ」 空狐の背後を通って座りなおす。 「右隣は……」 ね、と微笑んだ。 返事代わりに空狐からは「あーんなのです」と切り分けた月餅。 「美味しいね〜」 ぱくりと一口、頬を押さえるサフィリーン。 「さて次はどこを探検しますです?」 空狐が足をぶらんと揺らした。 表の喧騒が嘘のように図書館内は静まりかえっている。漸く辿り着いた図書館。天井近くまである書架が何列も並ぶ様は圧巻だ。 梨李はゆっくりと深呼吸を繰返した。肺一杯に広がる古い本の香り。落ち着くそして心躍る香りだ。 一般公開されていないが文学科が管理する書庫には古の木簡もあるらしい。一体どのような事が書かれているのか。 愛しげに梨李は本の背表紙を撫でた。学生になればここの本が読み放題どころか、学科の管理する書庫にも入れるらしい。 書物は未知の宝の山である。とりあえず時間一杯まで此処に居ようと決意した。 泰大学祭も無事終了。片付けを終えそれぞれが寮の自室に辿り着いた頃にはとっくに日付が変わっていた。 帳面を閉じアリエルはほぅと息を吐く。今日は悪夢を題材とした詩も筆が進まない。 (王子様……) 開け放った窓から夜空を見上げる。 背後では小萩が寝台の上で布団を抱えて足をばたつかせていた。 時々嬉しそうな声が聞こえてくる。 (小萩ちゃん、何かいいことあったのかな) 真っ赤な顔を布団に埋める小萩はとても可愛らしい。 「私も…あったんだよ」 えへへ、とはにかんだ笑みを浮かべアリエルはそっと唇に指を当てた。 「くしゅん」 クシャミを繰返す霧依。めいが薬を処方してくれたが、それを飲んだからといっていきなり治るものでもない。 「今日は……頑張りすぎちゃったかしら?」 「霧依さん、苦しい?」 リィムナが背中を擦る。普段お世話になっているお姉さんが風邪を引いたのだ。心配なのは当然。 「あら、リィムナちゃんありがとう」 身を起こした霧依が瞬く。リィムナの手には霧依の故郷の名産品長葱。 満面の笑みでリィムナが葱を突き出す。以前リィムナが風邪を引いた時に霧依がしてくれた葱治療をやろうというのだ。 「だ、ダメよダメダメ〜」 身を捩り嫌がっているわりには霧依はどこか嬉しそうだ。赤らめている頬も決して風邪だけのせいではないだろう。 「はいお尻出して!」 問答無用と下着を剥ぐと葱を振りかぶり思いっきり振りぬく。 「あぁん……っ」 深夜の寮に恍惚とした声が響いた。 |