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■オープニング本文 ● 開拓者ギルドに一人の女がやってきた。年の頃は三十と少し、質素な身形で化粧っけもないが背筋が良く意志の強そうな目をした女だ。 「私を鍛えて欲しいのです」 初子と名乗った女はギルド職員斉木にそう切り出した。 「私には大工の夫がおりまして、元々おだてに弱い、というかお調子者というか…。まあ、意地の悪い人ではないのですが…」 夫についての愚痴と惚気の混じった話を一頻りしてから初子は表情を改める。 「その夫が最近、副業と称して賭場の用心棒を始めたのです」 初子の夫大輔は志体持ちであった。だが気が弱くアヤカシ相手に戦うなどととても無理だと開拓者ではなく大工の道を選んだのだ。だというのに最近やくざ者となった幼馴染源三に声を掛けられ、おだてられ賭場の用心棒を始めてしまったらしい。 初子は何度も大輔に危ないからそんな仕事止めてくれと頼んだのだが、幼馴染に頼まれて断る事ができないと大輔は用心棒を辞める素振りをみせない。 小さな町の小さな賭場だ。そうそう腕に覚えがある者なんて現れない。志体持ちで大工の大輔は気が弱いが中々に腕っ節が強かったために、喧嘩や暴れる者などもあっという間につまみ出せてしまう。そして次第に「実は自分は強い」と調子に乗り始めた。 「今はいいかもそれでいいかもしれません。しかしそのうち本当に強い人が現れたら……」 「ええ、初子さんが心配される気持ちはわかります。ただ…失礼ですが初子さんは志体持ちなのでしょうか?」 斉木の問い掛けに初子は首を左右に振った。 「それは…」 志体持ちと一般人とでは身体能力に大きな差がある。いくた開拓者によって鍛えられたところで一朝一夕で埋められるような差ではない。 「難しいのはわかっております。でも…」 初子が言う。開拓者など志体持ちに痛い目に遭わされた場合、少しの間は恐怖でおとなしくなるだろうが結局彼らは特別だ、この町にそんな相手は滅多に来ないと負けたことをすぐに忘れてしまうだろう、と。しかし身体能力的に遥かに劣る自分にやられたのならば忘れる事もできないはずだ、とも。 それに自分に負けるような腕で賭場の用心棒などできるものか、と叱り飛ばすこともできる。 「しかし初子さん、それは無茶というものです。万が一初子さんが怪我でもしたら一大事ではないですか」 「何も殴り合いで勝とうというのではないのです。一度だけでいいのです。猫騙し的な手でもいいので自分の手で主人を投げ飛ばすなりして目を覚まさせたいのです」 初子と斉木しばし睨み合った。負けたのは斉木である。 「わかりました。開拓者に相談してみます。でも断られたら素直に別の方法を探してください。それに例え引き受けた場合でも、結果として止められたらそこは諦めてくださいね。後日また一緒に、大輔さんを止める方法を考えましょう」 それでいいですね、と斉木は念を押した。 ● 「…というわけで一人の女性を一週間ほどで志体持ちを投げ飛ばせるほどに鍛えてもらえないでしょうか。もっとも一度だけ勝てればいいということだから、正攻法ではなく隙を突くいたりとかそういう方法でいいと思うのですが…。また皆さんが難しいと判断した場合は、その判断に従うという約束も取り付けました」 斉木は開拓者を前に依頼内容を説明する。 「後、依頼主からの条件で助っ人は無用ということです。あくまで自分の力で投げ飛ばして、高くなった鼻っ柱を折ってやりたいと…」 そこまで言って斉木は声を落とした。 「…とは言いますが、両者にわからないようにこそりと手助けするくらいは良いのではないかな、と私個人としては思います」 そうでもしないとたかが一週間やそこらで格闘技経験皆無の女性が志体持ちの力自慢を投げ飛ばす事など難しいだろう。 |
■参加者一覧
皇 りょう(ia1673)
24歳・女・志
大淀 悠志郎(ia8787)
25歳・男・弓
明王院 浄炎(ib0347)
45歳・男・泰
戸隠 菫(ib9794)
19歳・女・武
佐藤 仁八(ic0168)
34歳・男・志
源三郎(ic0735)
38歳・男・サ |
■リプレイ本文 ● 源三郎(ic0735)がまず向かったのはやくざ者達を束ねる親分定吉のもとである。勿論開拓者ではなく流れ者としてだ。 「早速のお控えありがとうござんす。手前、生国と発しますは東房にござんす」 手拭一本肩に掛け源三郎(ic0735)は仁義を切る。元博徒だけあって堂に入った口上に誰一人源三郎を疑う素振りすら見せなかった。 暢気な事だ、と源三郎は思うがおくびにも出さない。一宿一飯の恩義を返させて欲しいと願い出れば「一日といわず好きなだけいなさい」と定吉が笑顔で頷いた。 のんびりとした田舎町、堅気と博徒の溝もさほど深くないのかもしれない、と定吉の周辺を見て思う。 (だが堅気でやっていけている人間が裏街道に来るもんじゃありやせん) かつて身を持ち崩し渡世人になった身としては、一度道を踏み外せば戻るのは至難だと骨身に沁みている。 大輔の女房初子が心配するのも当然だろう。 (大輔さんが道を踏み外さないようにお手伝いしやしょう) 源三郎は定吉の前を辞した。 ● 町中の小さな道場。開拓者が初子を鍛えていたらあっという間に噂になってしまうと、皇 りょう(ia1673)がギルド経由で紹介してもらった。 「臆病者なのに用心棒? しかも、おだてられて調子に乗っている?」 「ふ、む……これは……何とも悩ましい話だな」 難しい顔の皇に困ったものだね、と戸隠 菫(ib9794)が溜息混じり。調子付いている時は足元が見えないものである。戦い方を知らない者が果たして相手の実力を見極めて対応できるだろうか。 「できないよね」 怪我いや最悪死ぬこともあるだろう……と横を見れば眉間に皺を寄せている皇。戸隠はどうしたの、と首を傾げた。 「……それにしても、一週間かと思ってな」 幾許かの間の後、皇が答えた。 「少々無理がある依頼ではあるな」 さらしを身体に巻きつけつつ明王院 浄炎(ib0347)も同意する。 「一朝一夕に武道が身に付くのであれば、それこそ私達は飯の食い上げだ」 肩を竦め皇が苦笑を零す。 カラリと音を立て道場の戸が開いた。初子の姿を確認した明王院が「だが」と続ける。 「ものがものだけにどうにかしてやりたいものだ」 「無論、私も全力を尽くそう」 姿勢を正し皇は初子へと向き直った。 この度は…と頭を下げる初子に背後からの声。振り返った先に立つのは大淀 悠志郎(ia8787)。 志体を持たない女が志体を持つ男に挑む……面白い、と大淀は唇に薄い笑みを浮かべる。 値踏みするような大淀の視線に初子の表情が強張った。 明王院が策について説明を始める。大輔を呼び出し勝負を挑む。そして投げるなり取り押さえるなりした後、急所に刃を突きつける、と。目的は大輔が二度と道を踏み外さぬようにお灸を据えるため。 驚く初子に明王院が言う。 「無理をする必要は無い。今自分にできる最善の手段を選択すればよいのだ」 「技も教えて策も聞かせよう。だが危険な綱を渡るか否か……」 大淀が一度言葉を区切った。 「決めるのはあんただ」 初子がちらと大淀を見てから明王院に視線を戻す。 「それであの人が危ないことを止めてくれるならば」 初子は策に乗った。 「派手さでいけば巴投げだが……」 「確実に舐めて掛かってくることを利用した奇襲戦法が使えるかな」 初子に体格の近い皇と戸隠がかわるがわる投げ技、足技など見せた後、最終的に目を狙うと見せて相手が怯んだところを当身を食らわし体勢を崩し投げるというところに落ち着いた。 「そうと決まれば練習、練習! 最初はゆっくり、一連の流れを覚えるところからね」 よく見ててね、と戸隠が明王院相手に組み合う。 「袖の握り方は小指と薬指で握り込み、他の指は添えるように」 皇が初子に注意点を解説する。 当身の訓練では躊躇う初子に明王院がさらしを巻いた己の腹をみせた。 「大丈夫だ。肘は丈夫にできているし、さらしが緩衝材となるからそうそう痛めることは……」 不意に「そうか」と小さく笑み、先程打ちつけ赤くなった箇所を見せる。そしてそれを初子の目の前で治してみせた。 「この通りだ。心配せず思い切り来い」 初子が明王院の腕を取り引き付ける。 「そこ、腰に体を乗せて跳ね上げる!」 戸隠の声が飛ぶ。音を立て明王院が床に転がった。 「一本!」 初子が初めて投げに成功した。本当のところは初子の動きに合わせ明王院が飛んでやったのだが。 「なかなか様になってんじゃあねえか」 様子を見に来た佐藤 仁八(ic0168)が笑う。 「基礎的な体力はありそうだ。それに身のこなしも悪くない」 佐藤に気付いた皇がやって来る。これならばただ一度だけなら投げることも可能かもしれない。 「……」 皇は目を伏せた。 「気にかかることでもあんのかい?」 いや、と頭を振る皇。 「それにしたって志体無しで志体持ちの旦那に挑む、しかもそれが旦那のためとぁ、凄え女じゃあねえか」 「ああ、大輔殿が尻に敷かれるのも納得というところだろうか……」 なんとなく歯切れの悪い皇の言葉。 「よし切りのいいところで休憩。疲れ切ると効率が悪いからね」 焦る気持ちは分かるけど、と戸隠が黙々と動きを繰り返す初子を止めに入る。 夜、源三郎は用心棒として賭場へ顔を出した。 「ここで引いたら男が廃らあ」 宵越しの銭なんざぁいらねえ、と手持ちの駒札全て賭けた派手な身形の男に場が沸く。 「負ければ素寒貧。悪くない……」 派手な男と逆の目に同じだけ張った博徒にまたまた場が沸いた。 源三郎は大輔を探し出し挨拶してから賭場の様子はどうだ、と世間話を装って話しかける。 「お前さんは用心棒になって長いのかい?」 先輩風を吹かす大輔に尋ねる源三郎。二ヶ月ほどだ、と返ってくる。 「もう人は斬ったのかい?」 声を潜めて聞けば大輔が目を丸くした。その様子じゃまだか、と笑う。 「人を斬ったこともない奴に務まる仕事じゃあないぜ」 なぁに、慣れよ、慣れ、と腰の刀を叩く。 「まあ……」 刀から手を外した。 「人を斬ったことがないなら堅気にもすんなり戻れるってことだからな」 よくもまあしゃあしゃあと、自嘲が唇の端に浮かぶ。身を持ち崩し長い事渡世人をしていたのは他ならぬ自分ではないか。 源三郎の呟きは冷や汗を垂らす大輔には届いていなかった。 訓練の合間、明王院は定吉に元を訪れる。町の噂も概ね好意的であり酷く憎まれている様子は無い。昔ながらの義理人情を重んじる者達だと見て間違いないだろう。 茶を一口、明王院が大輔の話を切り出した。 用心棒が一人怪我をし困っていたところに子分の源三が連れてきてくれたということらしい。中々に働いてくれると定吉。 定吉達が堅気に迷惑をかけまいとしているのは知っている、そう前置き大輔の妻初子が御調子者の夫をどうにかして止めようとしている事、道を踏み外して欲しくないと願っている事を語って聞かせた。 「どうか手を引いてやってはくれないか」 手をつき頭を下げる明王院を定吉が制する。そしてそういう話ならば、と今後大輔を賭場に関わらせない事を約束した。 兄貴分に大輔から手を引け、と言われた源三は面白くない。志体持ちの大輔を足がかりにのし上がろうとしたのに水をさされた気分だ。馴染みの飲み屋で管を巻く。 「こんばんは。隣良い?」 徳利片手に戸隠が座った。見慣れぬ金色の髪に面食らう源三に人好きのする笑みを向け「一杯、どうぞ」と酒を注ぎ、源三の愚痴をうん、うんと頷きながら聞いてやる。愚痴には大輔のことも。 そのうち杯を重ね酔っ払った源三が仁義を切る真似をしたのを戸隠は「さすがの迫力」と持ち上げる。 「さっきお話してた幼馴染の大輔さんなんだけど」 大輔の名に源三が面白く無さそうな顔をする。 「初子さんがね、大輔さんが天狗になっていることを心配してるの」 「尻に敷かれて情けねぇ」 「大輔さんが本当は小心者だって源三さんも知っているよね。臆病だと強敵に上手く対処できずに大怪我し易いんだよ」 それにもし何か揉めたら大輔の兄貴分である源三もただじゃすまない、と深刻な表情。開拓者の言葉に源三が喉を鳴らした。 「だからお願い。大輔さんに用心棒を辞めさせて欲しいの」 初子は勿論の事、戸隠からのお願いだとも。開拓者、しかも美人にお願いされては源三も悪い気はしなかった。 決行前夜。 「最近綺羅星みてえに現れ大活躍してる用心棒ってぇのはおめえだったのかい」 佐藤が大輔の肩に腕を掛ける。二人は顔を合わせれば世間話の一つでもする仲となっていた。 「手前の力を世のため人のため使おうてえ奴があたしぁ大好きでねえ。どうでえ、今夜仕事上がりに一杯奢らせてくんねえかい」 半ば強引に大輔を飲み屋へ連行。 「いや凄え、志体を持ってたとぁ言え、そう簡単にゃ喧嘩を生業にできるもんじゃあねえよ」 大袈裟に驚きながら酒を勧めれば、次から次へと飲み干して行く。 「用心棒なんぞやってりゃ恨みも買うだろ。命狙われることだってあんじゃあねえのかい」 時折ちくりと仄めかす危険。それで大輔が手を止めるようであれば 「荒くれ者相手に一歩も引かねえ心意気に腕っ節も強いとくらあ女が放っておかねえんじゃあねえか、色男」 散々煽てて酒を注ぐ。家路に着く頃には呂律が回らないどころかまっすぐ歩く事もできないほどにできあがっていた。 ● 翌日賭場。大淀の前に山と積まれた駒札。勝つ度に倍々に賭けるものだからとうとう相手がいなくなった。 一週間の賭場通いで凡そ掴んだイカサマの手口。それを利用し勝負の流れを自分へ向けた結果だ。 「ここらで一つ大勝負と行こうか」 貸元に不敵な笑みを向ける。 通されたのは奥の部屋。入り口に用心棒の大輔と源三郎。 イカサマにはイカサマを。源三郎が敷居に躓き派手につんのめった隙に大淀はサイコロを入れ替える。結果、出たのは貸元が張った目とは逆。 「イカサマしやがったな」 大淀の肩を大輔が掴んだ。酒臭い、とその手を払う。 「博打ってのは、出た結果だけが全てなのさ」 それでも収まりがつかないやくざ者達に視線を投げる。 「ではこうしよう。こいつと自分の用心棒、サシの勝負で決める。サマもなにもない、簡単な話さ。ただ地獄の淵を覗くまでやりあおうってね」 面白い賭けになると思うがね、と歪む唇にやくざ者達が臆す。 賭場近く、待機する初子達。袴の裾を絞り、目深に笠を被った初子は一見誰だかわからない。 明王院は匕首を初子に渡す。万が一に備え簡単に抜けぬよう紐で細工を施している。 「首元に突き当てるなら鞘で十分……。勝負ありの言質の後、抜いて見せれば十分怯む出あろうよ」 「その、何だ……。本当にこれで良いのでしょうか?」 何度か言い澱んだ後、皇が初子に尋ねた。 「お恥ずかしい話しながら……」 皇は嫁き遅れの身では夫婦の関係など想像するしかないのですが、と前置いて。 「大輔殿は大輔殿で、初子殿に頼られたいのではないかと……」 依頼を受けてからずっとひっかかっていた事を口にした。 「お見受けする限り、初子殿は大輔殿を完全に尻に敷いておられる。この上、腕っ節で負けたとなると……」 心中いかがなものであろうか、と皇は眉を寄せ困ったように笑む。女だてらに家を継ぎ、武芸に明け暮れた自分でも『女らしさ』に憧れめいた気持ちを持つのだ。普通の男ならば、と。 はっとする初子に慌てて顔の前で手を振る。 「余計な事を申した」 賭場から大淀たちが現れた。 「参りましょうか。私は陰で見守っております」 と、初子の肩を押す。 町方の目も届かないだろうと大淀が選んだのは町外れの野原。大淀の用心棒が笠を脱ぐ。 「初じゃねえか」 大輔が素っ頓狂な声を上げた。 「玄人が賭けを降りる意味がわかるか?」 尻込みする大輔に大淀が凄み、初子も「女相手に怖気づくなんて情けない」と言い放つ。 「怪我しても知らんぞ」 大輔が仕掛ける。本人は突進のつもりでも昨夜の痛飲かたたり足元が覚束ない。 明王院と比べれば大輔なぞ屁でもなかった。初子は練習の通り、目を狙い怯んだ隙に腹に肘を決める。そして蹈鞴を踏んだ大輔の腕を取り懐に。 大輔が宙を舞った。 「勝負あった!」 叢から飛び出した戸隠の一声。だが初子は止まらない、大輔の襟を掴み首に鞘のまま匕首を当てる。抜くまでもなかった。参った、と大輔の悲鳴。 「賭けは自分の勝ちだな」 「初が用心棒のわけがない。無効だ」 「なら何故、負けを認めた?」 見下ろす大淀の双眸は昏い。 「玄人はな、状況、手段選ばず勝つ。それができない。それがアンタの限界さ」 ハ、と乾いた笑みが大気を震わせた。 「まだ終わってなかっただろう? 両者とも死んじゃいない」 『死』という言葉に大輔が青褪める。 「そうだ喧嘩を生業にすりゃ、いつ誰が殺しに来るか解らねえ」 現れた佐藤が大の字に転がる大輔の傍らにどかりと胡坐をかく。どうしてあんたが、と驚く大輔にニヤリと返した。 「実ぁおめえに作夜しこたま飲ませたぁ、初子の頼みでねえ」 「俺を嵌めたのか?!」 遊びじゃない、と初子に言いかけたところに 「まだ目が覚めないのかこの唐変木が!」 響き渡る怒声。姿を見せた源三郎に大輔が気圧され後ずさる。 「志体も持たない初子さんが何故ここまで出来たと思います」 一転、落ち着いた声音。 「それはただひたすらに大輔さんを思うが故です」 おめえ、と佐藤が膝に手をつき身を乗り出した。 「同じ志体持ちでも、あたしとぁ戦いたくあんめえ。初子がどんだけ勇気を振り絞ったか、考えてみねえ」 黙り込んだ大輔に源三郎が続ける。 「賭場の用心棒なんぞに、ここまで想ってくれている奥さんと天秤に掛ける価値があるとでも?」 大輔が項垂れた。 横っ面の一発でも張って説教をしてやるつもりだったというのに初子は動けなかった。大輔が争いに巻き込まれ命を落としたら、という恐怖が今になって襲ってきたのだ。 今までなら大輔を調子に乗せないためにも強がってみせただろう。だが皇の言葉を思い出す。 手から匕首が落ちる。皆の視線が集まる中、初子がへたりと座り込んだ。 「もう 危ない事はしないで下さぃ……ね」 語尾が震える。滅多に見せない妻の涙に大輔は手を上げたり下げたり。その肩に佐藤が手を置いた。 「いいかみさんじゃあねえか。大事にしてやらなきゃ罰が当たるてえもんだ」 大輔が初を抱きしめ、「心配かけた」とおいおい泣き出す。 落ち着いた頃合を見計らい、大淀は大輔に駒札を投げた。 「今の勝ちで更に倍掛けだ」 顔色を失う大輔に「つくづく鉄火場に向いてない」と笑う。 「内容は『次に自分が来た時にあんたが堅気でいられるか』だ。自分はあんたが道を踏み外すほうに賭けよう」 受けるかい、と駒札を指す。 「今度こそ勝つために手段を選ぶなよ」 大輔が駒札を手に取った。 その後大輔は賭場に近づくことはなく、少しだけ頼りがいのある男になったらしい。 |