【空庭】かけがえのない日々
マスター名:桐崎ふみお
シナリオ形態: イベント
危険 :相棒
難易度: 易しい
参加人数: 25人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/09/19 21:46



■オープニング本文


 護大派と呼ばれる者達と朝廷の会談が開かれ、間もなく雲海の先にあるという旧世界へ向け開拓者達を乗せた飛空船団が飛び立とうかという頃………。
 様々な想いが渦巻き、様々な思惑が交差する中、様々な者たちがそれぞれの意志に従って動き始めた。どうなるかなどと先を見通せる者は誰一人としていない。だが多くの者が予感した。

 この世界が大きく動き出す……と。

 開拓者達の暮らす神楽の都は一連の流れの中心の一つと言っても良い。開拓者ギルド近辺は何時に無く騒がしく、開拓者も常より多く出入りしている。そしてそれに便乗しようと各国から商人たちも集ってきていた。
 しかし神楽の都の日常はいつも通りだ。少なくとも表面上は……。大通りを行き交う人々に、威勢の良い客引きの声。橋の袂では瓦版売りが名の知れた開拓者の冒険譚を売りさばき、その横を悪戯をした子供達が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
 本当にいつもと変わらない光景……。
 しかしその流れる空気が僅かに違う。まるで嵐の前のように……。
 西の空に分厚く立ち込める雲。
「嵐が来るかもしれないな」
 誰かが呟いた。
「そりゃあ嵐の季節だからな」
 別の誰かが茶化して返す。
 だが一度浮かんだ予感は、決して消えることない漣のように心を揺らし続けた。


 ギルド本部より程近い開拓者長屋。藤娘はかつて主と過ごしたその長屋で今も暮らしている。
 部屋の掃除を済ました後、取り出すのは主の形見の刀。小柄な藤娘には大きすぎ、得物としては相応しくないと忠告されたこともあったが本人はそれを変えるつもりはなかった。
 鞘から刀を抜く。そして始める刀手入れ。
 始めのうちはぎこちなかったその手つきも、最近では大分慣れて来た。
 一日のうちで主の刀と向き合っているその時が、一番心落ち着く時間だ。
 不意に刃に己の顔が映る。

『藤娘……』

 何故か懐かしい主の声が聞こえたような気がした。
「玄さ……ま?」
 天井を仰ぎ、部屋を見渡す。誰もいない一人きりだ。
「空耳?」
 首を傾げ、それから小さく微笑んだ。
「大丈夫です。私はちゃんとやっております」
 手入れを終え再び鞘に納めた刀を膝の上に乗せる。藤の花が描かれた黒鞘をそっと撫でた。
「次の依頼が終わったら……お花を持ってお墓まで会いに行きますね。それともお団子の方が良いでしょうか?」
 だから心配しないで待っていてください、と。


 裏通りの酒場、男達が盃を交わす。甲高い音を立て、ぶつかる盃。勢いあまって酒を頭から被る者も出る始末。
 そのうち誰かが楽を奏で始めた。さして上手くもない。だが誰も止めろとはいわない。
 そうして続いた酒盛りは、夜半過ぎ解散となる。道端で座り込んで寝てしまった者を必死に抱え起そうとしている男も強かによって足元が覚束ない。
 九十九屋六郎は千鳥足で友に抱えられ去っていく男達を見送り、ほぅと煙管をふかす。
「なぁんかさ……空気が違うよね……」
 月明りに立ち上っていく紫煙に目を細めた。神楽の都の雰囲気が、以前来た時と変わっている。別段荒んだとかそういうわけではない。どことなくざわついているのだ。
「そりゃそうか……」
 此処にきて様々な事が明るみになったのだ。皆浮き足立つというものだろう。
 そういえば近々開拓者達が旧世界とやらに繰り出すらしい。稼ぎ時だと商人仲間が言っていたのを思い出した。
「旧世界ねぇ。鬼が出るか蛇が出るか……」
 先ほどの男達を思い出す。それとなく聞いた話では彼等も開拓者らしい。なんでも飛空船団に志願したとか言っていた。旧世界の手柄を土産に幼馴染に結婚を申し込むんだと、笑顔を浮かべたのは一番幼そうな青年だ。
「……」
 もう一度煙管をふかす。
 何故か浮かんだのは自分が助けた開拓者の少女。生真面目で、融通が利かなさそうで、要領が悪そうな少女だった。
「あの子はどうするんだろうねぇ……」
 無茶はしないといいけどね、少々他人事のように思う。
「昔から戦で何人帰ってきたというのか……かぁ」
 呟きは紫煙と共に空に飲み込まれて消えた。


■参加者一覧
/ 羅喉丸(ia0347) / 柚乃(ia0638) / 礼野 真夢紀(ia1144) / ニノン(ia9578) / エルディン・バウアー(ib0066) / 明王院 未楡(ib0349) / 羽流矢(ib0428) / ジークフリード(ib0431) / 不破 颯(ib0495) / 朱華(ib1944) / 蒔司(ib3233) / レジーナ・シュタイネル(ib3707) / ティアラ(ib3826) / サニーレイン=ハレサメ(ib5382) / ウルシュテッド(ib5445) / 玖雀(ib6816) / 藤田 千歳(ib8121) / 音羽屋 烏水(ib9423) / ナシート(ib9534) / 白葵(ic0085) / 麗空(ic0129) / 理心(ic0180) / 綺月 緋影(ic1073) / 衛 杏琳(ic1174) / 斯波・火懿李(ic1228


■リプレイ本文


 格子窓から差し込む朝日。
 羅喉丸(ia0347)は目を閉じ意識を研ぎ澄ます。音が消え静寂が訪れた。
 カッと双眸を開き、短い気合とともに繰り出す拳。拳を引くと同時に蹴りを放つ。流れるような動作は舞のようだ。
 いつもと変わらぬ朝の稽古風景。
「普段できぬ事が突然できるようになるわけないからな」
 積み重ねた修練こそが己が信じるもの。
「青山骨を埋むべしか……」
 道半ばで倒れる事も覚悟していた。だが此処まで来た。
 次も厳しい旅路となるだろう。だがそれはいつも同じ事だ。
 だというのに……見慣れた道場が何故かとても懐かしい。
 羅喉丸は目元を和らげ雑巾と桶を手にする。世話になった道場を綺麗にするのもたまには悪く無いと思えたのだ。
 掃除を終えた道場を見渡す。
「ただ死中に活を求めるのみ……か」
 何を思ったところで今も昔も己が生き様は変えようも無いのだ。
「行ってきます」
 羅喉丸は道場の戸を静かに閉める。

 ベベンッ……高らかに響く三味の音。広場を行く人々が何事かと足を止めた。
「鈴の音奏でに合わせて手を取りゃ、鷲も鳥も踊りだす」
 鷲を思わせる羽を背に広げたナシート(ib9534)が広場の中央に舞い降りる。
「手拍子重ねて響きゃ、笑顔の花が咲き誇る」
 鴉の面を頭に乗せた音羽屋 烏水(ib9423)が三味線を手に述べる口上。
「さあさ、お手を拝借」
 ナシートが両手を上げ拍子を取り踊り始めた。
 一見いつも通りの神楽の都、だが得体のしれない予感に不安を覚える者も少なくはない。
(不安の種と蒔かれ暗い顔なんぞ、この三味線とナシートの舞で晴らしてみせよう!)
 撥を握る烏水の手に力が篭もった。
 陽気な三味の音にくるり、くるり、と独楽のようにナシートが回って飛んで、時に格好つけてはわざと転んでおどけてみせる。その度に人々の輪から笑いが上がった。

 色とりどりの着物を明王院 未楡(ib0349)は藤娘に合わせていく。
「此方の色はどうでしょう」
 緊張している藤娘の肩に手を置き一緒に鏡を覗きこむ。一人では気後れしてしまい店に入れないという藤娘に付き添っての買い物だった。
 二人で決めた着物、どちらが払うか押し問答。勝利したのは未楡の年の功。
「お礼というなら今度、着物を着て遊びに来てくださね。夫も喜びます」
 頭を下げる藤娘に未楡が微笑む。そして小さな包みをその手に乗せた。
「誕生日の贈り物です」
 中は梅の花の髪留めと桜色の宝珠の根付。開拓者らしい贈り物も考えた、だがその前に藤娘は乙女なのだ。女性として成長するきっかけになれば、彼女の主も安心することだろう。
 何より肌身離さず身につけていられる物ならば、藤娘を守ってやることもできるかもしれない、とも。
「ありがとうございます」
 藤娘は包みを胸に抱いた。
「次はお茶でもしましょうか」
 未楡が藤娘の手を引いて歩き出す。

 身一つでやって来い、とは良くも言ったものだと風呂敷包み一つ抱えてやってきた綺月緋影(ic1073)に、蒔司(ib3233)は思った。
 生憎蒔司も必要最低限しか揃えていない。ならば、と二人で日用品を買いに行く。
「おっ」
 緋影が足を止める。棚に並んだ茶碗中に見つけた揃いの模様の夫婦茶碗。
「蒔司、これ……」
 言いかけ止める。敢えて言うのは恥ずかしい。蒔司が気付いていないのを確認し、そっとその茶碗を購入する。
「なんぞ気に入ったもんでもあったかのぅ」
「夕飯の材料と酒買って帰ろうぜ。蒔司の作る飯は美味いから楽しみだぜ!」
 誤魔化し次の店へ。

 広場から通り二つ隔てた烏水馴染みの甘味処。
「オレ、お腹ぺこぺこだよー」
 ナシートが腹に手をやる。
「今の時期、栗羊羹が特にお勧めじゃ!」
「じゃあ栗羊羹二つ!!」
 故郷の話や未だ見ぬ地に夢を馳せつつ栗羊羹に舌鼓。
「神楽も随分長居したしの……」
 不意に烏水が言い出した。
「此度の無事に終わりゃ旅弾き語りに行こうかと考えてるんじゃ」
「旅に?」
「ナシートも共に……」
「なあ、いつかジルベリア一緒に行こうぜ! 夏に!」
 ナシートが身を乗り出す。行った事がないんだ、と笑うナシートに烏水が頷く。
「共に行こうぞ! 何せわしらは……」
「「少年同盟じゃからな!」」
 烏水の口調を真似るナシート。沈黙の後、二人弾けるように笑い出した。
 ナシートは懐の星のペンダントを思い出す。故郷において星は特別な存在。
「そうだ、烏水。これ!」
 親友への感謝とその未来への幸を願いペンダントを彼の手に乗せた。
「色んなとこ行こうな」
「もちろんじゃとも」
 ペンダントを握った手で烏水はどんと己の胸を叩いた。

 露店が並ぶ市場。
「おいしいの〜おいしいの〜」
 人混みをあっちこっち麗空(ic0129)は落ち着きが無い。
「やかましくすんじゃねぇ!」
 理心(ic0180)の拳骨が麗空に落ちる。だが麗空は頭を自分で一撫で、別段気にした様子もなくまたふらふらし始める。
「迷子になっても探さないからな」
 理心はその背に怒鳴った。
「あれ〜?」
 麗空が立ち止まる。周囲をきょろきょろ理心を探す。だが人混みで見つからない。
「ど〜こだ?」
 あちこち探し回り、理心ではなく建物脇に蟻地獄を見つけた。蟻が一匹もがいている。
「……たべられちゃうね〜…」
 しゃがんで覗き込む蟻地獄。崩れる土が蟻を罠の中心へと誘う。しばらくそれを見つめてから、徐ろに蟻を摘んで外へと出してやった。
「いいこと〜、した!」
 一人誇らし気に胸を張る。
「……また、くだらん事を」
 様子をみていた理心が眉を顰めた。弱った蟻を助けてどうなるのか。死ぬのが少し先に伸びただけじゃないか。
(死ぬと分かっているものを……)
 蟻を見送る小さな背中。その先に覆せない死があるというのに、わざわざ生きながらえさせるというのは果たして……髪を掻き回す。
「いいこといっぱいすると、てんごくにいけるもんねっ」
 理心に気付いた麗空が振り返った。
「さっさと帰るぞ」
 麗空に荷物を押し付ける。行き先に意味があろうか。行きつく先は『死』だというのに。
「てんごくって、あっちかな〜」
 理心の心中をよそに楽しそうに麗空は空を見上げる。ふと、動きが止まった。
 楽しそうな親子の姿。
 ぎゅっと荷物を抱え直す。眉尻を下げた麗空を理心が追い越した。
「あっちでは…ひとりぼっちじゃないもん…」
 背後の声に気遣って振り返ることなどしない。
(こいつにとっての『死』は……)
 巡り掛けた思考にらしくない、と小さく舌を打つ。
「俺は、俺の役目を果たすのみ、だ……」
 秋晴れの空。その嘘くさい青に理心が吐き捨てる。

 教区の人々と話すエルディン・バウアー(ib0066)の背。ティアラ(ib3826)にとり義妹として、助祭として共に過ごしてきた見慣れた背中だ。
(けれど、これからは……)
 名を呼ばれエルディンの隣へ。
「此の度私達は結婚することになりました」
 上がる歓声と拍手にティアラは頬を染めて俯く。教区への結婚の挨拶回り。
「11月に挙式しますからぜひご参列ください」
 彼の落ち着いた声も何もかも夢見心地で……いやひょっとしてこれは夢ではないかと心配になり手を抓った。
 そして痛みに安堵する。そうなると今度は今まで彼が女性の信徒に色目を使う度に蹴っていたのが嘘のよ…う……。
「……」
 眼前には女性とにこやかに言葉を交わす彼の姿。ぐっと手で足を押さえた。やはり見かけたら蹴ってしまいそうだ。
 同業者に式の執り行いを頼みに行った帰り、エルディンは朗らかな笑い声をあげる。
「自慢しに来たのか、と怒られてしまいましたねぇ」
 散々自慢の助祭ですから、とのろけたのだから当然だろう。だが神職の妻帯を良しとしない教会において「良き結婚生活の模範となってみせる」と言ったエルディンを呆れながらも祝福してくれた。
「神父様……」
 ティアラが足を止める。近くあるであろう大きな戦……幸せの中に滲む不安。
「何があっても側にいて下さい」
 エルディンの胸に縋るティアラの頭に温かい手が乗せられた。
「私達の未来を掴み取るため私は戦いに赴きます」
 確固たる声。そして和らげた声が告げる。
「終わったらずっと傍にいます。私にはティアラが必要です」
 優しく抱きしめられた。ティアラは無言で腕を背に回す。一言でも口にすれば声が震えそうな気がしたのだ。
「蹴られないように努力しますよ」
 真面目な声で彼が誓う。きっと彼は蹴られる理由を分かっていない。
(蹴るのは激減すると……思います)
 そんな彼にティアラは小さく笑みを零した。

 厨房に漂う優しい香り。
「これは見事じゃ」
 鍋の前に立つニノン・サジュマン(ia9578)がウルシュテッド(ib5445)の手元を覗きこんだ。彼の前に並ぶのは新鮮な海鮮。
 ニノンの自宅にて料理中。煮込み料理に、海鮮など戦場では食べれぬものばかり。
「誕生日はいつだっけ」
 魚を捌きながらウルシュテッドが尋ねる。
「11月1日じゃ」
「これは良い、俺は27日だ。ニノンはどんなふうに過ごしてる? 俺は子らと旨い物を食べに行くかな」
「買い物三昧じゃな」
 両手で持ちきれぬ程の荷を描きニノンは窓の外、空へと視線を向けた。広がる青空。買い物三昧の帰り道はたいてい夕暮れか夜だ。父上母上、わしは楽しくやっておるぞ、と見上げる空は……。
「君らしいね、目に浮かぶ……」
 ウルシュテッドはニノンを見つめた。彼女は空を見上げ何を思ってきたのだろう。一人で……。だがこれからは。
「今年は一緒にお祝いだな。望むことはあるかい?」
「そなたの龍で遠出でもするかの。星が美しい場所が良い」
 少し間を置きニノンが続ける。
「そこでもう一度、会うて二回目にそなたが言うた言葉を聞きたいものじゃな」
「……っ」
 会って二回目の。ウルシュテッドが目を瞠った。
「……敵わないなあ」
 くしゃりと崩す相好。誕生日を聞いたのは結婚を申し込むため、だというのに先手を取られるなど。
「分かった、約束だ」
 とっておきの場所があるんだ、とウィンク。
 ところで、と果物を手にニノン。
「わしに万が一の事があれば絵巻の処分を頼む」
「…保留にしておく」
 それは彼女の信頼の証だと知っている。だがウルシュテッドは肩を竦めてみせた。
 万が一……縁起でもない約束。それで安心されては困る。削る氷に視線を落とし呟く言葉。
「君を失うなど…考えない」
 共に歩むと決めた、何があってもその手は離さない。
「わしもお宝を残して死ねるものか」
 まだ見ぬ宝もあるしの、としれっとニノンが笑う。

 洗濯物を抱え戻ってきた白葵(ic0085)は縁側で昼寝中の朱華(ib1944)を発見した。
「あーぁ、こないなとこで寝てもうて」
 洗濯物を脇に寝顔を覗きこむ。起きる気配はない。
「気持ち、良さそうやなぁあ……」
 ふ、と欠伸混じり。白葵は朱華に寄り添い寝転ぶ。昼下がりの柔らかな日差しに見守られあっという間に夢の中へ。
「んっ……」
 ぼやけた視界に映る黒髪。胸元に背を丸めて眠る白葵の姿。
『白葵……』
 口の動きだけで名を呼んでゆるりとその髪を撫でる。陽はまだ高い。もう一眠り、と白葵を抱き寄せて朱華は再び目を閉じた。太陽の匂いがする。
 白葵はゆっくりと目を開く。どうやら寝てしまったらしい。彼はまだ寝ているだろうか、とそろりと顔を上げ確認する。
 見つめる彼の顔。番いの……。
「朱華、さん……あ」
 溢れてくる想いとともに大切なその名を口にする。そして呼び捨ての練習中だったことを思い出した。
「はねず…さ…っ はね…」
 途中まで口にしては飲み込んでを数度繰り返した後……。
「は…はね、ず……」
 ようやくの成功。どうだ、と笑みを浮かべた途端、目の前から聞こえる笑い声。白葵の心臓がおかしな方向に跳ねた。
「っ?!」
 肩を震わせ朱華が口を押さえている。
「わ、悪いっ…」
 笑み混じりで震えている謝罪の言葉。
「は…朱華さん…?!」
 思わず声が裏返った。咄嗟に覆った顔が熱い。
「ほら、戻ってる、戻ってる」
 朱華が手の上から白葵の頬を突いた。笑う朱華に自分ばかり不公平だ、と白葵が頬を膨らます。
「今回の戦、お互い頑張ろな?」
 白葵は朱華の胸元を掴み顔を寄せた。そしてぺろりと唇を舐め、すぐに顔を離す。
 息を呑み固まる朱華。重なる視線。朱華が赤く染まった目元でふっと微笑んだ。
「……ん。今ので、頑張れる」
 こつんと合わさる額はいつもより少しだけ熱い。
 くすぐったそうな笑みがどちらからともなく漏れた。

 泰大学から久々に帰宅した神楽の都。買い出しから下宿先の呉服屋への帰宅途中、柚乃(ia0638)は少しだけ遠回りをする。
 街を見下ろせる丘でお弁当を広げた。吹く風が気持ち良い。
「伊邪那」
 肌身離さず持っている宝珠を手で包み呼びかけた。不思議な毛色をしたお目付け役の玉狐天が現れる。
 特に理由は無い、ただなんとなく一緒に過ごしたかったのだ。
『どうしたのよ』
 肩の上に伊邪那が乗る。
「神楽の都に来てから色々あったな、と思って」
 開拓者となり家を出たのはどれほど昔の……。
「あ、11歳のことでした」
 てへ、と笑う。気を取り直して思い出す様々な事を。
 時には命の危険すらあった。だが今こうして生きている。多くの出逢い、助けられ支えられ此処まで来た。
「感謝、しないとねっ」
 次の依頼は今まで以上に……きゅっと手を握った。
『もう! あたしは柚乃の将来が心配よー!』
 漂う空気を払うよう伊邪那の嘆きが秋空の下響く。

 日が傾き始めた。
(……戦いが来る)
 日常の裏に潜む灼けつくような空気を衛 杏琳(ic1174)は感じていた。
 古代人と我ら、精霊と瘴気、二者鼎立の戦。
(彼方が何者であろうとも……)
 そう例え人であろうとも戦わねばなるまい。
(天帝様、泰儀の御為は、無論……)
「何を考えていらっしゃいますか? 殿」
 同胞であり世話役の斯波・火懿李(ic1228)が控えめに問う。
「……些細な事だ」
 胸中を表に出した覚えはないというのに、敏い男だ。衛は茜帯びる空を見上げて深く息を吐く。
 幼少時、賊より受けた背中の傷がひりっと痛んだ。
(我が同胞に死の痛みを与えさせるものか)
 それを甘いと笑う者もいるだろう。生き抜くのは上に立つ者の役目だと理解もしている。だが自らを支えてくれる者達を生かす、これは己の願いなのだ。
「……秋だな」
 独白し、斯波の朋友管狐の師をその手に抱く。
「そろそろ寒くなってまいりました。お風邪を召されてはいけませんよ」
 斯波は己の上着を衛の肩にかけてやる。ふん、と鼻を鳴らした手を抜けだした師がくるりと衛の襟元に潜り込んだ。彼女を温めるかのように。
 師が落ち着いたのを確認し斯波が再び口を開く。
「殿。貴女の望みはきっと叶います。その為に我らがいるのですからね。ただお命じなさいませ。お心のままに」
「火懿李。近く戦いがあるだろう」
 姿勢を正し斯波が主の言葉を待つ。
「……その戦いの後、また宴がある」
 殿、呆れ混じりの斯波がふっと吹き出した。
「他の者に毒されすぎです……」
 全く、と額に手を添える。
「手配も頼むが、そなたも存分に楽しむように」
 斯波を見つめる衛の目が笑むように細められた。
「師も勿論、頼むぞ」
 首元で丸々管狐の頭をちょんと指で触れてやればふいっと顔をそむけられる。
 戦の後は『いつも』のこと。何一つ変わらない。変わらせるつもりもない、衛は心の中で繰り返した。

 ガリ、ガリ……
 サニーレイン(ib5382)の相棒土偶ゴーレムテツジンから聞こえる音。
(いずれ、『その時』が来る)
 それは分かっていたこと。父から受け継いだ彼は既に耐久年数を過ぎているのだから。
『何、この音は土偶風邪といってな、土偶ゴーレムだけがかかる……』
 テツジンがゴホッゴホッとわざとらしく声に出す。いつも通りおどけてみせる彼。
「そうですか。気合不足。ですね」
 だからサニーレインもいつも通り。
(ずっと、一緒に行動した、相棒。仲間。友達。それと、お父さん役……)
 ツンと痛む鼻の奥。思わず俯いた。
(もし、『その時』が、来たら……)
 つま先が滲む。ぐすっと鼻が鳴った。
『サニー』
 無骨な指がサニーレインの頭を突く。
『大丈夫だ。何も、恐れなくていい。君は一人ではない』
 見上げれば彼の姿がそこにあった。
 『その時』は間違いなく訪れる。
(でも、 もうちょっと、だけ)
 テツジンに額を押し当てた。

 待ち合わせの場に親友の弟ジークフリード(ib0431)を見つけレジーナ・シュタイネル(ib3707)は安堵する。自分の事で精一杯で彼からの誘いに失礼な断り方をし、謝罪したいと思いながら過ぎていった二年間。
 今世界は先の見えない大きな流れへと……。
(もしもの時…)
 今更と思いつつも後悔はしたくない、と思い切って彼に声をかけた。
「以前は…失礼な態度でした。ごめんなさい」
「え、あ。うん。べ、別に気にする事ねえよ」
  出会っていきなり頭を下げるレジーナに面食らったジークフリードは、そっけなくを心掛けたつもりだったが……。
(噛んだ…っ!)
 気恥ずかしさに逸らす顔。
「今日、来て頂けてうれしいです」
 視界の端に見えた彼女の笑みに心臓が高鳴った。
「……っ。は、早く行こうぜ」
 それを隠して歩き出す。一緒に出る右手と右足。
「ね、バターとお醤油の相性にびっくりしませんか?」
 料理を一口、レジーナは身を乗り出した。天儀料理にジルベリア風の一工夫。儀を超えての交流が嬉しくて、と笑う彼女に見惚れる。
「私も作ってみようかなぁ…」
 それを食べたい、と言いかけてジークフリードは言葉を飲み込む。代わりに始める騎士学校時代の話。それから姉の事や近況など。
 会計は「年上の顔を立てて下さい、ね」と笑顔にジークフリードが折れた。
 別れ際、向けられた背中。
(このまま別れたら……)
 気付けばジークフリードは声を上げていた。
「あのさ! た、戦いが終わったら!」
 彼女が振り向く。心臓がうるさい。
「俺と、その…ま、また一緒に食事とかしねえか?」
 沈黙。慌てて「今度は俺が奢るから!」と早口で追加。
(いや、理由、理由だよ)
 理由もないのに誘えば不思議に思うさ、頭の中がぐるぐる回る。
「聞いて欲しい事があるから……」
「よろこんで」
 暗がりから返ってくる言葉。
 別れた後、とんでもない事を口走ったんじゃねぇのか、と頭を抱えるジークフリードの姿があった。

 朋友も自分も装備に問題なし。私物の整理もぬかりない。
 礼野 真夢紀(ia1144)は部屋を一通り見渡してから、からくりのしらさぎ、子猫又の小雪に向き直った。長旅や戦がある時は、言葉のわかるどちらかにお留守番を頼むことにしてるのだ。
 二人の前に手紙を二通差し出す。
「いいこと、まゆが帰ってこなかったらこの手紙とこの手紙を出しなさいね」
 一通は姉達へ。万が一自分に何かあった場合に朋友達のことを頼むために。尤も以前帰郷した際に話はついているのだが。念のため。
 そしてもう一通はカタケ仲間に。所謂『積み荷を燃やして』というやつである。カタケット参加者の多くは身に覚えがあるだろう。
 勿論その対象は料理本ではない。料理本は大丈夫。だが問題は……黒歴史!
 姉達とからくりには知られたくない。できれば、いや絶対に死守したい。
「渡す相手を間違っては駄目よ」
 念を押す礼野であった。

 釜から広がる茸の香り。節目は大事じゃ、という蒔司の提案で今夜は緋影の歓迎会となった。
 秋刀魚、茶碗蒸し……蒔司心尽くしの料理を緋影は食卓へ並べていく。
「緋影、こっちもたの……っ」
 蒔司が振り返った先、仲良く並んだ茶碗。揃いの模様の色違い。思わず息を飲んだ。
(あぁ、一緒に暮らすんじゃのう)
 少し遅れこみ上げてくる実感。彼に気付かれないよう緩む口元を隠す。
「お。見ろよ。月出てるぜ」
 縁側でのささやかなる酒宴。緋影の声に蒔司は杯を掲げた。
 浮かぶ月ごと飲み干す酒。緋影のためにと奮発した大吟醸は文句なく美味い。
(いや……)
 隣に向ける視線。酒がこうも美味いのは彼がいるからだ。家で待つ人がいる、迎えてくれる人がいる……愛する者が傍にいる。己が内から湧き上がるこの感情。それが幸せだと知った。
(必ず護り抜こう)
 彼の横顔に誓う。
「この間、見た星も綺麗だったけど。やっぱ月もいいよなぁ」
 緋影がほぅ、と息を吐く。
(独りでいた時は……)
 気に留めることもなかったというのに。横を見れば蒔司と視線がぶつかる。
「どうかしたか?」
「……っなんでもねぇよ」
 優しく細められた目に背ける顔。
「杯が空じゃな」
 銚子に差し出した杯。肩をぶつけ蒔司に寄りかかる。
 並んだ夫婦茶碗のように肩を寄せしばし二人無言で杯を重ねた。

 藤田 千歳(ib8121)の手が柄にかかるや否や、白刃が閃く。
 玖雀(ib6816)は棍でその一撃を受け流すと同時に節を解き放った。唸りを上げ棍が藤田の横っ面を襲う。
 身を屈め棍を避けた藤田が刀を薙ぎ払う。玖雀は背後に飛び距離を取った。
 二年ぶりの手合わせ。この度それぞれ構えるのは木刀ではなく己の獲物。実力は拮抗。気を抜いた方が持っていかれる。
 踏み込むと見せかけ玖雀は側面へ回りこむ。刹那耳元で風を切る音が聞こえた。
 藤田の刃は玖雀の頭を、玖雀の棍は藤田の喉元を捉える。
 鋭い眼差しがぶつかりあった。
「相変わらず、手強いな」
 ふっと笑むと玖雀が棍を下ろす。
 稽古後、縁側で酌み交わす酒。
「俺は、このままずっと戦い続ける」
 俺の理想を実現する為に。藤田が静かに告げた。玖雀は杯を置く。
「一生を賭して……」
 目に宿る強さが戯言ではないと語っている。道の険しさも理解しそれでも進もうとする目。
 捨てたはずの刀を手にし藤田に対峙したあの時から、彼は彼らしくあるために強くなった。ならば己も……。
(これからも互いが背を任せられるように……)
 もっと強くなる、誓いと共に玖雀は酒を飲み干した。
 うつらと揺れ藤田は頭を振る。酒に強い方ではない。だが初めて玖雀の自宅に招かれ嬉しさも手伝い飲み過ぎてしまったようだ。
(俺は……)
 新しい一歩を踏み出した玖雀の『これから』を応援していきたい。そしてこれからも良き友で……ゆっくりと意識が沈んで行く。
 とん、と玖雀の肩に重みがかかった。
 苦笑を零し藤田の寝顔を見下ろす。
「なぁ、千歳……」
 当然返事は無い。
 髪を撫でて行くのは夏の終わりを告げる風。
 自分達もきっと一つの季節を終えたのだろう。
 見上げた空に瞬くのは秋の星。終わりは次の始まりでもある。
「天下万民の為にと真っ直ぐなお前は、今も昔も俺には眩しくて……」
 とても誇らしい、とそっと語りかけた。

 並ぶ灯篭に揺れる灯、今が盛りと咲き誇る花街。
 不破 颯(ib0495)は馴染みの店へと顔を出した。
 料理を楽しみ、聞こえる騒ぎを肴に杯を傾ける。そうこうしているうちに贔屓にしている花魁が現れる。
「まずは一曲お願いしようかねぇ」
 耳に馴染んだ三味の音。
 そしていつも通り夜も更けた頃、隣室へと雪崩れ込み肌を重ねる。
 だが……。
 朝、店を出ようとした不破は店主に呼び止められた。払った金が多い、と。
「ツケ分合わせて丁度だと思うけどねぇ」
 代金の一割は次の約束代わりにツケにする、それが常。しかし今日に限って何故?と店主が尋ねる。
「次の戦は派手にやるらしいからねぇ、いざという時の用心さ。立つ鳥跡を濁したくはないだろぉ?」
 緩い笑みを浮かべる不破に縁起でもないと主人。
「なに、生きて帰れたらまた通わせてもらうよぉ」
 肩に掛けた羽織を靡かせ背を向け、軽く手を振り朝の花街に繰り出した。

 理穴、清瀬村。
 物見櫓から羽流矢(ib0428)は村を見渡す。今後に備え避難経路など確立させておきたいところだが。
「俺達が勝たないと意味が無いか……」
 次の戦が終わってからだ、そう全て……。
 佐保さん、と背後に声を掛けた。このシノビの少女が子供達へと持参した菓子袋の屋号に眉を顰めていたのを思い出し密かに笑う。
「里の仕え先を気にした事は?」
「私の主はただ一人です」
 出会った頃から変わらない言葉に、そうだったと肩を竦めた。
「俺、守りたい親子が居たんだ」
 羽流矢は続ける。その親子を守るためにその地を治める奉行に仕えようと思ったことを、それを里に裏切りだと責められた事を。
「まぁ 散々だったんだけど」
 苦笑がすぐに真顔になった。
「この山が終わったら、確かめに行くつもりだ……あの屋敷の閂がまだ開けられているのか」
「もしも……」
 佐保の言葉を「すまない」と遮る。
「誰かに話しておきたかったんだ……」
 それだけだ、と目を伏せた。