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■オープニング本文 ● 里を出てどれくらい経ったであろう。そろそろ国境を越え武天に入ったであろうか。 少女は昼間でも薄暗い森をひた走っていた。体のあちこちに負った傷が走るたびに振動で悲鳴を上げる。それでも足を止めない。 ただ只管に走り続ける。 (「背後に五人……」) ちらりと背後を振り返る。姿は見えないが殺気が一、二…五つ。此方が手負いだと侮ったのか気配を殺そうともしていない。 少女の名は佐保。鈴鹿の分家である石見家のシノビだ。石見家は通称『大蛇衆』と呼ばれ、大きく八組に分かれている。佐保はそのうち五番組に属していた――過去形である。 佐保は里を抜けたのだ。 鈴鹿は『忠狂い』とも揶揄される忠義を第一とする氏族である。当然分家の石見も同じであった。抜けた者は例外なく粛清される。理由は関係ない、そもそも尋ねられない。 当然、佐保もそのことは知っている。しかしそれでもなお抜けねばならない理由があったのだ。 (「今やられるわけにはいかぬ」) 頭上から一人降って来る。それを横に転がり避けると立ち上がりざまクナイを投げた。 彼女を追跡してるのは同じ石見のシノビである。裏切り者である佐保の粛清が目的だ。一対一で戦えば佐保の方がかろうじて強いかもしれない。しかし多勢に無勢徐々に追い詰められていた。 (「これは貴方に拾ってもらった命。捨てるのは貴方のためにと……決めている」) 佐保の脳裏に浮かぶのは一人の男の姿。 佐保は元々石見の人間ではない。親に捨てられ死に掛けていたところを石見のシノビに拾われたのだ。佐保を拾ったのは当時の四番組組頭の四辻という男だった。帰るところがなかった佐保はそのまま四辻の妹分としてシノビになったのだ。 四辻は幼くして組頭に選ばれるほどの才能の持ち主であり、次期頭領の呼び声も高い人物であった。しかし数年前、遭都での任務中に命を落としてしまう。四辻亡き後、四番組は組頭を引き継げる者がおらず別の組に組み入れられ事実上解散した。佐保も四辻が死亡するまでは四番組の所属であった。 四辻死亡の報を聞いたときの喪失感を佐保は今でも思い出せる。あの時自分が死ななかったのが不思議なくらいだ。しかしあの時死ななかったからこそ今動ける。 助けられて以来、四辻は佐保にとっての絶対であった。それは「忠臣は二君に仕えず」を是とする石見のシノビとしてあってはならないことである。 いや、佐保にとってみれば最初から四辻が主なのだからなんら問題はない、そんな言い訳が通じないのは百も承知だが。 その四辻が武天の葛野という町で生きていると二番組組頭二宮とその補佐が話してるのを佐保は偶々聞いてしまった。 二宮は先日病で倒れた一番組組頭一葉に取って代わり、頭領の座を狙っている。そのために一葉の懐刀と言われた四辻の生存は看過できないのだ。 もしも一葉からの連絡を受た四辻が裏で活動を始めたら二宮達の目論見に支障をきたしてしまう。そのため彼らは四辻の暗殺計画を立てていた。 佐保はその計画を聞いて、すぐに行動に移した。四辻に身の危険が迫っている事を伝えるために里を抜けたのだ。 無事四辻にそれを伝えることができたなら、里を抜けた責を負い死んでも構わないと思っている。しかし四辻に会うまでは、なんとしても生き延びなくてはならなかった。 この森を抜ければ街道に出る。此処は他国だ、流石に人目につく街道でおおっぴらに襲ってくる事はないだろう。 少しでも早く、早く。ともかく前に進む。 眼前に太陽の明るさが煌く。森の終わりが見えてきた。 (「あと少し」) そう思った直後、背後から激しい衝撃を喰らい、顔から藪に突っ込んだ。 わき腹が燃えるように熱い。追跡者の投げたクナイが脇腹を抉ったらしい。倒れこんだところ背に二撃、三撃打ち込まれる。 「ぐっ……ぁあ」 陸に上がった魚のように体が跳ね、殺しきれなかった声が上がる。脇腹に触れた手がぬるりと滑った。出血が酷い。 それでも手を前に伸ばす。 (「私は……行かなくては………ならない……」) 手が下草を掴んだ。追跡者五人が姿を見せた。そのうち一人が刃を手に寄ってくる。 抉られた衝撃と傷口の熱さのせいで痛みがおぼろげなのが不幸中の幸いか。 一歩、二歩、足音が近づいてくるのが解った。 追跡者が刃を振り上げる。 佐保はバネ仕掛けの人形のように飛び起きると男の首を掻っ切った。 吹き出した血が佐保の顔や服を汚す。 佐保は呆気に取られている四人に背を向け最後の力を振り絞り走りに走った。そして街道に出る。 既に顔色は幽鬼のようでまともに歩く事すらできていない、そんな状態で村に辿り着く。押さえた脇腹からは血が止め処なくあふれ出している。 その姿に対する驚きと恐怖で遠巻きになってる村人に気を配る余裕もなく、佐保は開拓者らしき者の姿を探した。 自分はもうこれ以上動けそうもない、ならば……せめて用意しておいた手紙を四辻のもとに届けてもらおうと考えたのだ。 漸く開拓者らしき者を見つける事ができたときには既に意識が朦朧としていた。それでも倒れ込むように彼らへ手を伸ばす。 「どうか、お願い……で す。この手紙を……葛野の太鼓橋長屋、にいる瀬野に……渡してください」 佐保はうわ言のように追跡のシノビのことを伝えると、そのまま意識を失った。 |
■参加者一覧
志野宮 鳴瀬(ia0009)
20歳・女・巫
羽流矢(ib0428)
19歳・男・シ
燕 一華(ib0718)
16歳・男・志
五十君 晴臣(ib1730)
21歳・男・陰
レジーナ・シュタイネル(ib3707)
19歳・女・泰
佐藤 仁八(ic0168)
34歳・男・志
スフィル(ic0198)
12歳・女・シ
リドワーン(ic0545)
42歳・男・弓 |
■リプレイ本文 ● 着物の下から現れた傷にレジーナ・シュタイネル(ib3707)は手拭を絞る手を思わず止める。志野宮 鳴瀬(ia0009)の術により大半は塞がっているが、それでも刃の痕は生々しい。血は生臭い匂いを発し、手拭をあっという間に濁った赤で染める。 (「こんなに、傷だらけで…。どれほど強い思いがあるんでしょう」) 佐保は時折、小さく呻くだけで意識はない。 「シノビの掟はさておき」 志野宮が再び治癒の術を施す。 状況の知るために手紙を読んだリドワーン(ic0545)から話は聞いた。陰殻のシノビである佐保は暗殺対象となった者を助けるため里を抜け、追っ手をかけられたらしい。 「女子に怪我を負わせた責は、とっていただかなくては」 すり潰した薬草を塗った布を貼り、包帯を巻いていく。このまま彼女を守り通せば、追っ手達には十分すぎる嫌がらせとなるだろう。 「着物、貰ってきたよ」 ナジュム(ic0198)が戻ってくる。着物は部屋を借りた宿の主が娘のものを譲ってくれた。 フードの奥の黒い瞳が佐保を捉る。 ナジュムもかつて一族を抜けた。彼女の場合一族最後の温情で『死んで捨てられた』ものとして生かされた。 だからこそ佐保が目覚めたら一つ伝えようと思っている事がある。 (「主も仲間もいない、たった一人の自分が生きるための新しい掟……」) ● 佐保の容態が落ち着いた事を確認すると一行は村を出発する。追っ手のことを考え、佐保は農家から借りた大八車に乗せ連れていくこととした。 志野宮のお陰で怪我の状態は良くなってはいたが、失われた血は多く、体力も落ちている。そんな彼女の負担を少しでも軽くしようと、五十君 晴臣(ib1730)が手持ちの天幕を利用し幌を作り、荷台には羽流矢(ib0428)が寝袋を敷く。 リドワーン(ic0545)と五十君が先行し、大八車は佐藤 仁八(ic0168)が引く。その周囲を他の者が固めた。 リドワーンはすれ違う旅人の挙動、街道脇の叢などに気を配る。街道からでは確認できない場所は五十君が人魂を飛ばし気配を探る。 大八車の側で、上空に注意を払っていた羽流矢は、佐保の怪我を思い出す。志野宮がいなければあのまま死んでいたかもしれない。 (「悔しいよな、心に決めた人の力にもなれずに此処でくたばるのは」) 時折苦しげな息遣いが聞こえてくる大八車に視線を移す。だから……。 (「…力を貸すよ 開拓者として、さ」) 苦しげな様子が心配になったのであろう、燕 一華(ib0718)はそっと幌の中を覗き込んだ。 佐保の頬は血の気の失せた中で不自然に赤く、汗で髪が額に張り付いている。傷のせいで熱が出たようだ。 燕は水筒の水で浸した布を口元に持って行き、水を含ませてやる。そして汗を拭い、濡らした布を額の上に置く。 「一葉が『粛清』しねえで『連絡』するってえなら、四辻ぁ今も石見の忍てえこったろ」 佐藤の言葉は他の者も考えていたことだ。秘密裏に暗殺を企てられていた四辻は少なくとも一族を裏切ってはいない。 「抜けたことで殺されるかも知れねえのに、一途てえか何てえか」 くしゃりと髪をかき回すと大八車の持ち手を握りなおす。 「ま、このあたしが首突っ込むんだ。大団円にしてやろうじゃあねえか」 その声は先行の二人にも届いていた。 「流儀や信念はそれぞれだ。俺は報酬さえもらえればいい」 口を出すつもりはないさ、とリドワーンが肩を竦める。シノビの掟も、他人のために命を賭す事も、見過ごせずに世話を焼くのも、それぞれ、ということだ。 「さて、と」 五十君は人魂を前方の叢に飛ばす。 (「シノビだからそれ相応の覚悟もあるだろうね?」) 誰かが隠れている様子は無い。 (「ならばそれが鈍らないよう……」) 自分はあまり感情的になるまいと五十君は心に決めていた。 宿場の手前で一行は野営をすることにした。街道の脇、少しばかり他より高く土が盛られている場所が今宵の宿。周囲は水田で見晴らしもいい。畑仕事の休憩などに使われる場所であろう。 「日が落ちる前に野営の準備をしておきましょうかっ」 燕が手際よく一本植わっている木の根元に佐保を寝かせる天幕を張る。 四方に篝火代わりの松明を配し、周辺を照らす。さらに相手はシノビということで罠を張る。罠の目的は相手の戦力を削ぐことではなく、接近をいち早く察知することだ。 「こんなもんかね」 いかにも音を立てさせるのが目的、といったような小枝を周辺に巻いて佐藤は悪戯小僧のように笑う。 罠は三段構えだ。一段目はわかりやすい小枝と、落とし穴、二段目はそれに隠して設置した撒菱や草を輪に結んだもの、そして本命の三段目、草や小石で偽装した豆である。 豆は小さく、色的にも土に紛れてしまえば発見は難しい。ばら撒いたそれらが踏まれた音を羽流矢、ナジュム、二人のシノビが拾う。 本命を悟らせないために二段目の罠の設置には細心の注意を払った。リドワーンが仕掛けたそれは一見、何もない、しかし罠の存在を注意している者ならば発見可能な巧妙な隠し方である。 見張りは翌日、先行し四辻への手紙を届ける班と佐保の護衛班で交代することにした。 「交替間際の時間は特に注意しましょうかっ」 燕の言葉に一同頷く。 最初は手紙班である。 ナジュムは焚き火の側で汁粉を食べてほっと一息……と見せかけて周囲の気配を探っていた。皆の寛いでいる様子も相手を油断させるためのものだ。 結局何も起きないまま交代となった。 辺りはひっそりと静まり返り、遠くに見えた宿場の灯も消えた頃……。 ッ…… 小さな音が夜気を震わせた。 羽流矢とナジュムがそれに気付く。ナジュムは天幕の中でも耳を地面につけ常に周囲の音に気を配っていた。 「追っ手だ」 天幕から飛び出したナジュムの声に重なる風を切る鋭い音。 咄嗟に燕が鉄傘を開き佐保の眠る天幕の前に立つ。手裏剣が傘に霰の如く当たり落ちた。 羽流矢は素早く忍刀を抜き、天幕を庇うように手裏剣の飛んできた街道方面へと走る。そして暗がりから現れた忍者を切りつけた。 「水田と街道から二人ずつ」 羽流矢の言葉に佐藤、レジーナが水田へと向かう。一人離れたリドワーンの役目は遊撃である。 志野宮が佐保を外に連れ出した。天幕の中では様子がわからないと判断したのだろう。 「今無理をすれば襲撃者達の思う壺…、撃退は皆に任せ、暫し私といて下さいます?」 かろうじて意識がある佐保を守るように肩を抱く。 街道からのシノビは羽流矢、燕、五十君が、水田からのシノビは佐藤、レジーナ、ナジュムがそれぞれ対峙した。 ぶつかり合うシノビと羽流矢の刃。燕は志野宮と佐保の前に傘を置き薙刀を手にする。 五十君が迂回して、佐保へと迫ろうとするシノビに向けて小さな式を放った。式がシノビの手足に纏わりつき動きを邪魔する。まずは敵の動きを封じる。 その意図を酌んだ燕が薙刀を一振りしカマイタチでシノビの足を狙う。 佐藤はシノビの刃を正面から受け止め、気合一閃押し返えす。シノビが再び踏み込もうとした足元をナジュムの放った手裏剣が牽制した。 レジーナの狙いは紐に吊るした円錐を手にしたシノビだ。佐保が言う神経毒を用いた暗器使いとは彼であろう。 「手加減、している余裕はないんです…!」 一気に距離をつめ地面を蹴り飛び上がった。そして脳天を狙い踵を落とす。頭への攻撃は避けられたが、シノビの肩に強烈な一撃が決まる。着地と同時に一発、二発、と追撃した。 「これはあなた達の『主君』の命ですか?」 レジーナは引っかかっていたのだ。これは内部闘争ではないか、と。 暗器使はそれには答えず、追撃を防ぎ切ると、篝火の前へと立つ。 篝火に照らされたシノビの影が地を這い、佐藤に向けその手を伸ばす。途端、佐藤の動きが鈍る。それに合わせ襲い掛かるシノビの腕をリドワーンが放った矢が貫く。 羽流矢達が相手をしている二人は佐保を優先的に狙ってくる。苦無を手に横を抜け佐保へと向かおうとしたシノビに羽流矢が声をかけた。 「石見の家は面白い策謀中か…。うちのお偉方は知っているかな」 同じシノビである羽流矢の言葉に気を取られたままの一撃は燕の薙刀で防がれる。 「生死まで隠された懐刀…叛の為かい?」 羽流矢を無視できぬと判断したシノビが忍刀を手に目を細めた。羽流矢に集中する、そこを五十君に狙われ忍刀を式神で払われる。 背後に飛びずさろうとした時にはもう遅い。羽流矢の刃がシノビの右脇腹から左肩までを切り裂く。地面に転がったシノビの体が、数度痙攣をし動きを止めた。 レジーナを相手に立ち回りを演じていた暗器使いが、佐藤、リドワーンに押されている仲間を助けるために、佐藤に向け円錐を放った。円錐は腕を掠っただけで傷は深くないが、傷口がじわりと熱を持ち疼く。毒が体内に入り込んだらしい。 「あに、しやがるっ!」 わざとらしいまでに切っ先を震わせる。まんまと乗せられたシノビが好機とばかりに飛び込んできた。 ダンッ!力強い踏み出しに泥が跳ねる。勢いのままに正面に突き出した長巻がシノビの胸を貫き背中へと抜けた。 二人目が倒され、苦無を手にしたシノビも虫の息。まともに動けるのは暗器使いのみ。 暗器使いが投げた手裏剣がナジュムを襲う。もう一投、佐保を狙うとみせかけ、そのまま開拓者の間を突っ切り、仲間を抱え闇に消える。 その後、何事も起きることなく夜明けを迎えた。 明け方、レジーナ、佐藤、ナジュム、リドワーンは四辻に手紙を届けるために先行し出発する。手紙はナジュムの懐だ。追っ手がきた場合レジーナが囮となり彼らをひきつけ、その隙にナジュムが町まで走る手筈となっている。 しかし追っ手の気配は無い。時折周囲の気配を探りつつ佐藤が首を傾げた。 そのまま昼前には葛野である。 太鼓橋長屋では既にそれらしき男が待っていた。派手な柄の長着の裾を絡げて帯に挟み込んでいる、遊び人風の男だ。 「おめえが四辻かい。ははあ、名前通り縁起の悪そうな面してやがる。ほれ、伝書だ」 佐藤から渡された手紙を確かめもせずに四辻は懐にしまう。全部知っている、そんな様子だった。 「嬢ちゃんが里抜けしたてえ話にゃなってるが、今の頭領と、次期頭領のおめえのためだ。私欲で仲間を殺そうとしてやがる二宮なんぞより、よっぽど忠義を貫いてらあ」 四辻が佐藤に視線を向ける。 「俺の任務は此処で終了だ」 話が動く前にリドワーンは宣言した。集まる視線を意に介することもなく軽く手を振り踵を返す。 娘が邪魔なら切り捨てればいい、必要ならば何をおいても生き延びればいい、そんな言葉を胸の内にしまう。生きることは義務であり、そのためには手段を選ばない、男に流儀があるように、それぞれに生き方がある。それだけのこと。 リドワーンが去ったあと、佐藤は四辻を真っ向から見据えた。 「第一、おめえがとっとと頭領になってりゃ、嬢ちゃんは里抜けなんぞしねえでも危機を報せられたんじゃあねえか。嬢ちゃんの怪我も里抜けも、大根を洗えばおめえに甲斐性が無えのが悪い。責任取りやがれ」 互いの視線が交差する。先に逸らしたのは四辻であった。 「責任……というわけではありませんが、事の結末を皆さんに見届けて頂きましょう」 ● 翌日午前中には護衛組も葛野の近くまでやって来ていた。 「そろそろ葛野だよ」 五十君は背後に話しかける。天幕を被せた彼の背負子に乗っているのは佐保だ。襲撃に備え、佐保と背負子の荷を入れ替えたのだ。 佐保が微かに頷いた。 五十君の背後で周囲を警戒していた羽流矢がそっと囁く。 「心に決めた場所に戻れるといいな」 互いに…と心の中で付け足して。 「折角ここまで来たんだから。何らかの答えが出るといいね」 五十君が誰に言うでもなく呟く。 葛野は目前だ。 迎えに出たナジュムの案内で一旦宿に向かう、そこで四辻が佐保に会いたいと言っていた旨を伝えた。当然佐保は断るはずもない。 佐保はナジュムの肩を借り、どうにか歩けるまでには回復していたが、顔色は悪く足元も覚束ない。 「君はもう一族を抜けた人間だ」 ナジュムが不意に切り出した。 「そんな人間が生きていくには、新しい掟がある……」 一拍置く。 「自分以外の命令は絶対に聞かない、こと…なんだよ」 それは掟に従わなくて良いということ。信念のために生きて良いということ。しかし何がなんでも生きていく覚悟がいるということでもある。その覚悟がないならここで死ぬべきだと続けた。 長屋に四辻と佐保、そして開拓者が揃った。 狭い部屋に全員座るだけの余裕はなく、開拓者達は土間に立っている。 再会した二人の間に言葉はない。座した四辻の前で佐保は頭を下げたきりだ。 レジーナは佐保の小さな背を見つめていた。無意識に拳が握られる。 四辻が佐保に危害を与えるつもりなら、たとえ佐保が拒否をしても庇うつもりでいる。それはこれ以上、力のなさ故に目の前で誰かを失いたくないという自分のためでもあった。 「己が為すべき事は解っているな」 四辻の言葉に佐保は頷き、初めて顔を上げた。そして一度開拓者へ向け深々と頭を下げる。 再び正面を向くと、短刀を首に宛がった。 「死んでしまえば、終わりなんです。感謝も謝罪も恨み事も、伝えたくても伝えられない」 レジーナの声が響く。 「もし本当に抜けたことになってしまって里に戻ることができないのなら、開拓者になるというのはどうでしょうかっ?」 燕が続いた。開拓者になれば氏族の縛りからは解放されるはずだ、と。 志野宮もそれに頷く。 「戻れなければ進むまで、このまま共に神楽の都に行くも宜しいかと」 佐保の処遇は四辻次第だが、此処で散らしてしまうには惜しいと思っている。 「開拓者が集い各地の情報も集まる場、木の葉を隠し活かすには良い森でございましょ? 」 「それに改めて四辻兄ぃを主としてお仕えすることもできるんじゃないでしょうかっ?」 佐保にこの先にも道があることを伝えようとしていた。 「だから、まず、生きると決めて」 後は一緒に考えればいい。レジーナは駆け上がり手を伸ばす。 ありがとうございます 佐保の唇が動く。そして刃が白い首に沈む。 その瞬間甲高い音が響き佐保の手から短刀が弾かれた。 レジーナの顔の真横を通り背後の壁に刺さる苦無。四辻が放ったものだ。 「佐保、四番組復帰を命ず。 頭領には俺から伝えておく」 佐保はその場で再び意識を手放した。 あの娘はシノビに向いていないのだ、と四辻は苦笑を浮かべる。やはり開拓者の予想通り四辻は石見のシノビのままだ。だが佐保はそれに気付けなかった。 だからあの時、開拓者と供に行くのも良いかと思った。しかしあの娘はシノビとしての筋を通そうとした、と。 「佐保のこと感謝しております」 開拓者の背が見えなくなった後も四辻は頭を下げ続けた。 |