【水庭】星空の散歩
マスター名:桐崎ふみお
シナリオ形態: イベント
危険 :相棒
難易度: 易しい
参加人数: 24人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/09/11 19:52



■開拓者活動絵巻
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ひゅの






1

■オープニング本文


 空気の抜けるような音と共に無機質な扉が開く。真珠のような淡い光を放つ室内は球体だった。
「……っと」
 一歩足を踏み入れようとして慌てて背後に飛ぶ。扉の先はちょうど球体の中央辺り。そしてその先に床がない。うっかり踏み出せば下まで一気に落ちてしまうことだろう。
 なんの罠かと思ったが、よく見れば分厚い硝子のような透明な素材でできている橋が入り口から伸びているのがわかった。
 橋は中央へと開拓者達を導く。四つの入り口、四つの橋が交わる中央の舞台に並ぶのは椅子。繭のように少し丸みを帯びており、大小二種類ある。小さい方は一人、大きい方には二人並んで寝そべる事ができそうだ。
 透明な橋を叩いて強度を確認、拳で叩いたくらいではビクともしない。続いて上に乗って飛び跳ねてみた。これも問題無さそうだ。
 そろそろと手摺をつかみ中央の舞台へ。
 不思議な部屋だった。天井は高く、球体なので当然床も足元よりかなり下にある。高所恐怖症でなくとも、透明な橋を渡るというのは中々に心臓に悪い。
 均一に淡い光を放つ壁に囲まれているとどちらが上でどちらが下か、感覚が曖昧になってきそうでもある。
 舞台の端に設置されているのは鏡のような四角い板。一応覗き込めば顔が映るが、暗くてとても鏡として使えたものじゃない。では一体なんであろうか、鏡ならば磨いてやろうか、と好奇心からそれに触れた……途端、

 ザッ ザザ ぁ  ザザーっ  ザ……

 室内に響くのは寄せては返す波に良く似た音……。

『――ザーっ  ガッ  らむ ヲ  ガーっ  たく  シテ  ザッザー……』

 波の音の合間、合間に聞こえてくるのは天儀の言葉だろうか。だが今一つ何を言っているのかは不明瞭。
 それから一筋の光が走り、鏡面が揺らぐ。幾筋もの漣が走り、次第に何かが浮かびあがってくる。それは文様のような単なる模様のような……。ひょっとしたら文字なのかもしれないが、この場にそれの正体がわかるものはいなかった。
「なんだろうな……これ?」
 浮かび上がる文様を指でなぞる。

『てん  い ノ う ッガ…ガ う せ たく  シタ  ぷろ   む  ザーッ  かい   マス』

 再び響く雑音交じりの声。次第に部屋の照明が落ち始めた。
 すっかり部屋が暗くなると、いきなり目の前に広がったのは青空。壁が開いた……いいや違う。どういう仕掛けか知らないが、壁に空が映し出されたのだ。青い空、白い雲、それはこの島から見上げた景色にとてもよく似ていた。
 空は次第に茜色に染まりそしてやがて夜へと。
「うわぁ……」
 どこからともなく歓声が上がる。頭上を覆う満天の星空。それだけではない足元にも広がる星、星、星。まるで夜空に投げ出されたかのような浮遊感に襲われる。
「天の川?」
 そんな声が聞こえた。
 星がゆっくりと動く。時折、夜空を星が流れた。
 時間にしてどれほどだろうか、空に朝が来てそして再び真珠色の壁が現れた時、あちこちから溜息が聞こえる。
 星空は珍しいわけではない。神楽の都では難しいが少し移動すれば降るような星を見ることが出来る。だが星に包まれるということは無い。

 更に画面に浮かぶ次の文様に触れてみた。

『かい  ガ  せん  サレ  ザ…ガっ  ろ   む  ザーッ  かい   マス』

 またあの声が響く。抑揚のない平坦な声。
 突然眼前で巻き起こる白い泡。泡が落ち着くとそこに広がるのは明るい海の中だ。
 陽光がきらきらと揺れ、色とりどりの魚の群れが珊瑚礁の合間を泳ぐ。目まぐるしく変わっていく海中の光景。
 足元は動いていないというのいに、映像が切り替わるたびまるで自分の体が揺れているように錯覚してしまう。
「…っはぁ……」
 気付けば無意識のうちに息を止めていた。
 目の前に海があるようにみえるのに手を伸ばしても触れる事はできない。まるで蜃気楼のようだ。
 次第に水面に近づき、そして空が見えたところで映像が終わる。

「なんなのかしら?」
「魔法? 宝珠の力?」
 口々に言い合う。
「どっちにしろ……」
「すごかったなあ」
 皆の声が重なった。

 一体なんのための施設だろうか。それを知る者はいない。だがそこは何時の間にやら『人工天球』と呼ばれるようになり、手軽に星空と海中の散歩を楽しめる場所として話題の一つになっていた……。


■参加者一覧
/ 六条 雪巳(ia0179) / 柚乃(ia0638) / 玉櫛・静音(ia0872) / 玉櫛 狭霧(ia0932) / 礼野 真夢紀(ia1144) / ニノン(ia9578) / 明王院 浄炎(ib0347) / 明王院 未楡(ib0349) / 蒔司(ib3233) / リィムナ・ピサレット(ib5201) / ウルシュテッド(ib5445) / 緋那岐(ib5664) / ユウキ=アルセイフ(ib6332) / サフィリーン(ib6756) / イーラ(ib7620) / 朧車 輪(ib7875) / 華魄 熾火(ib7959) / 雁久良 霧依(ib9706) / ジョハル(ib9784) / ルイ (ic0081) / 紫ノ宮 蓮(ic0470) / メイプル(ic0783) / セリ(ic0844) / 綺月 緋影(ic1073


■リプレイ本文


「大変かわいらしいですよ」
 明王院 未楡(ib0349)は着付けを終えた藤娘の手を引き、夫明王院浄炎(ib0347)の前に現れた。明王院夫妻から贈られた瑠璃色の浴衣姿の藤娘。 未楡によって綺麗に結い上げられた髪、覗く項をしきりに気にした様子だ。
 二人はたまには息抜きも必要だ、と以前から気に掛けていた藤娘を誘い箱庭へとやって来た。
 よく似合っている、と目を細める浄炎に藤娘が「ありがとうございます」とはにかんだ笑みを浮かべる。

 ユウキ=アルセイフ(ib6332)は人工天球の入り口に立ちぐるっと見渡す。大理石のように内側から輝く壁に囲まれた繭。
「不思議なところだね〜」
 声は高い天井に反響し広がる。椅子が並ぶ中央の舞台脇に何やら作業をしている二人組みを見つけた。
「何を……えぇっ?」
 いきなり照明が落ち、壁に空が映る。そして無数の星が浮かび始めた。
「わぁ……」
 頭上だけではなく足元にも広がっていく星。その光景に漏れるの感嘆の溜息ばかり。ふわり、浮遊感に襲われたような気がした。

 玉櫛 狭霧(ia0932)は人工天球を前に興奮が隠せなかった。古代文明に触れることができる、これが興奮せずにいられようか。
 そんな兄を微笑ましそうに見守っていた玉櫛・静音(ia0872)の表情が不意に曇る。
(兄さん……)
 この胸の奥にある甘く切なく想い。それが日に日に溢れてくる。隠しきれない程に。
 此処には誰もいない。自分と兄と二人きり。ならばこの想いをいっそのこと……。
「兄さん、私、実は……兄さんの……」
「……わくわくするなあ。なぁ、静音」
 好奇心で輝く少年のような瞳に静音は言葉を飲み込んだ。そして隣に並び一緒に説明書を覗き込む。
「一体どのようなからくりになっているのでしょう?」
「操作は簡単そうだな」
 気付けば元来の学者魂が疼き、兄との共同作業に夢中になっていた。
「上映できるのは二本か。交互に、休憩時間を挟んでやれば……。あ、他にやりたい人がいたら交代で……」
 狭霧はすっかり上映係をやる気満々である。まず試しに、と『海』を選択。
「音は流れないんだろうか……」
 映像を見終えた狭霧は操作盤とにらめっこ。
 真剣な兄の横顔を静音は見つめる。忘れていた胸の疼きが波間に上がる気泡のように浮かんできた。
「兄さん……」
「……どうした静音?」
 兄と目が合う。本当に楽しそうな兄の様子に「なんでもありません」と静音は小さく首を降る。
「そうか」
 どこか優しい兄の声。頭に手が乗せられた。もしかしたら兄は自分の気持ちを察しているのかもしれない。
「今度は私に操作させて下さいな」
 しかし結局口から出たのは全然違う言葉だった。

「凄く綺麗だな」
 星空が消え代わりに掛けられる声。ユウキだ。星空の名残を楽しむかのようにまだ天を見上げている。
「ずっと居たくなるよ」
「はい、本当に」
「透明な床の上ってのも中々味わえないスリルってやつだしな」
 狭霧の言葉にユウキが笑う。
「その鏡みたいなもので操作するの?」
「なんならやってみるか?」
「こちらに説明書があります」
 静音は二人で朱書きの解説を追加された説明書を差し出す。
(次に……次にしましょう)
 この想いを胸に、今は妹として兄に付き添おうと自分に言い聞かせた。

 星空に柚乃(ia0638)は「すごい、すごいねっ」とはしゃぐ。
「本当に星に包まれているみたい」
「いろいろな発見があって面白いな、ここは」
 隣の席から兄緋那岐(ib5664)が顔を覗かせた。兄とのお出かけは久々だ。
「水中遊歩道といい、その技術は目を見張るものがある。でも、何故ヒトがいないんだろうな…」
 言われてみれば、と首を傾げる柚乃の隣には大好きなもふらのぬいぐるみ。もふらが苦手な兄に配慮し兄とは反対側に。
(……最後まで見てられるのか、俺)
 座り心地の良い椅子に暗闇……緋那岐の意識が睡魔に引き摺られる。だが折角妹が誘ってくれたのだ。
(挑むは睡魔との死闘!)
 拳を握ったところで睡魔有利は変わらない。
(そうだ、星の一つ一つをもふらと思うんだ……)
 自分の苦手なもので意識を覚醒……視界を覆い尽くすもふらもふらもふら。
「ひぃぃ?!」
 鳥肌。そして……。
(素直に寝よう)
 心の中で妹に謝罪し睡魔に白旗を上げる。
 そんな兄の死闘に柚乃は笑いを堪えるのが大変だった。
(……うん、元気そうで良かった)
 上映終了後、目覚めた緋那岐はぐいっと伸びる。
「あ、これ一緒に食べようと思って」
 と緋那岐が差し出したのは手作りマドレーヌ。
 不意に「兄様」と妹の呼ぶ声。
「陰陽寮卒業おめでとう」
 深々と頭を下げる妹に、己も背筋を正すと懐で陰陽符が揺れる。妹から贈れらた愛用の符だ。
「ありがとう」
 今日のこと、今までのこと、これからのこと色々な想いを込めて。
「海も鑑賞できるかな?」
「一緒にみるか」
 嬉しそうな柚乃に緋那岐は兄として睡魔への再挑戦を誓った。

 学生用水着の日焼け痕も眩しいリィムナ・ピサレット(ib5201)がワンピース代わりの黒のタンクトップの裾を翻し走って行く。パンツの白いチラリズムはご愛嬌。
「霧依さーん! 一緒に見よ」
 二人用の椅子の前で一人用に座った雁久良 霧依(ib9706)を呼ぶ。
「リィムナちゃんが膝の上に来れば一緒に座れるわ」
 その言葉にリィムナは咄嗟に尻を隠す。雁久良の膝の上、それはお仕置きの尻叩きが執行される場所だ。
「…お仕置きはしないわ」
 いらっしゃい、と差し出される両手。
「……なんだか小っちゃい子みたい」
 そして膝の上、リィムナが頬を染めて俯く。
「可愛いわよ」
 リィムナを背後から抱きかかえ雁久良は背凭れを倒した。
「霧依さん、柔らかいな……。それにあったかい」
 身を寄せるリィムナに雁久良が鼻を鳴らす。リィムナの髪から漂う汗や潮の混じった臭い。
「後でお風呂に入りましょう?」
 二人は泰大学で共に学ぶ友人だが姉妹のように見えなくも無い。
「わぁ…すごいよ霧依さん!」
 リィムナは瞳を輝かせ星へと手を伸ばす。
「素敵ね」
 うっとりとした雁久良の声。
「あ、流れ星! 霧依さん……あれ、寝ちゃった?」
 振り返った雁久良から聞こえる規則正しい寝息。
「疲れているのかな…?」
 悪戯やおねしょで迷惑を一杯かけてしまっている。と、いきなり強く抱きしめられた。
「ひゃ!」
「愛してるわぁ」
 耳に注がれる甘ったるい声。
「恋人さんと間違えて……ふぁっ!」
 タンクトップの裾から侵入し、肌の上を這う指に上がる声を飲み込んだ。
「くすぐった……ぃ」
 声を上げちゃだめ、でも限界…と思ったその時「大好き」と唇を塞がれた。
「んんっ」
 抵抗はできない。だって凄いのだ。何がとは言えないが。自分の悪戯とは次元が違う。
 周囲が明るくなり、漸くリィムナは解放された。
「あは……霧依さんすごすぎぃ」
「寝ちゃったみたい……リィムナちゃん、どうしたの?」
 ふらふらのリィムナに不思議そうな雁久良。勿論確信犯である事は言うまでもない。

 椅子はまるで外から遮断するように二人を包み込む。六条 雪巳(ia0179)とセリ(ic0844)は並んで寝そべり星を見上げた。
「ここは本当に不思議なものが沢山あるところですねぇ……」
 身動ぐ六条からふわりと漂う優しい香り。
(香……?)
 セリの恋人六条は身形も立ち振る舞いも、その在り方が綺麗な人だ。落ち着かない様子でセリは自分の姿を見下ろす。
(変じゃないといいな)
 そっと袖を摘む。先の報奨金だけでは足らず食費も犠牲にして新調したのは緑がかった青と黒を貴重にしたジルベリア風の服。
(だって雪巳の隣を歩いても、恥ずかしくないようにしていたいんだもん)
 誰に対してというわけではないが頬を膨らませる。気配に六条が「どうしました」と振り返った。慌てて頬を両手で挟む。
「一緒にお出掛けするの、ちょっと久しぶりよね…って」
「この景色をセリさんと共に見られて、私は幸せですよ」
 そっと伸ばした手、六条の指先に触れた途端握り返される。それが嬉しくてセリは六条の肩にすりりと寄せる頬。
 頬を寄せる仕草が、視線が、声音が……言葉よりも雄弁にセリの気持ちを伝えてくる。それに応えるよう彼女へ頬を寄せた。
「星空に包まれるというのも貴重な体験ですね」
 ゆるりと彼女の温もりが自分の中を満たしていく。幸せとは多分こういう事だ。
 上映終了後、セリは夢の世界の住人に。
「そこもまた、セリさんの魅力ですよね」
 喉を震わせ笑むとその振動でセリが目を覚ます。
「ご、ご……ごめんね!」
 文字通り飛び起き結い上げた髪をぶんと揺らして頭を下げる。
「つまらなかったわけじゃないのっ」
 耳まで真っ赤にして、顔の前で盛大に振られる両手。
「でも……」
 その、あの…と何か言いかけ、指を前で組んだり、後ろで組んだり。
「……今日が楽しみすぎて」
 眠れなかったの、と真っ赤な顔を両手で抑えた。
(その天真爛漫さに助けられる事も多いですが……)
 この事はまだ彼女に内緒なのだが……。
「貴女とのお出かけは、心の靄を晴らしてくれます。とても素敵な時間ですよ」
 六条が手を取れば、真っ赤な頬のままセリが大輪の笑顔を浮かべた。

 透明な橋を爪先で突くサフィリーン(ib6756)にイーラ(ib7620)が声を上げて笑う。
「イーラお兄さんってば!」
 膨らむ頬、だがすぐに困り顔。
「何時かのお礼にはならないね……」
 でも、と続ける。
「お話したかったんだ。だから本当にありがとう、お願い聞いてくれて」
「礼をされるようなことはしてねぇが」
 一緒に出かけるのは楽しいぞ、とイーラ。
 何をお話ししよう、並んで座って肘が触れそうな距離にサフィリーンは緊張する。
「星の海にいるみたい!」
 だが緊張も星空に吹き飛んだ。
「ああ、こいつは見事だ。…砂漠の夜を思い出す」
 イーラも同じように空を見上げる。
「こんな所で踊ったらどうだろう?」
 空に向かって手を広げるサフィリーン。
「嬢ちゃんが踊ったら、さぞ映えるだろうな」
 あのね、とサフィリーンが切り出した。
「ジョハルお兄さんの為だけに踊るって約束したの」
 迷っていたけど……。
「踊りで伝えたい言葉や想いがあるんだって気付いて」
 出来るかな、と少し不安そうな声。
「伝わるさ。お前さんの踊りは見事だし……」
 その命の終わりを受け入れ、だが幸せだと笑う友。
「ジョハルはきちんと嬢ちゃんの伝えたいことを受け取ると思う」
 頷くサフィリーンの手の中、星の砂の小瓶。それはイーラが贈ったもの。
「…でね? 何時かイーラお兄さんの為に踊って良い?」
「そいつは楽しみだ。そうさな、その時は……」
 少女の瞳に瞬く光。この娘は星みたいだ、と思う。大きくは無い、でも精一杯輝いて夜を飾る光。
(……なんてことは口には出さねぇけど)
「どの儀にいても駆けつけるさ」
 約束する、と珍しく真顔。
 サフィリーンがイーラのために踊るのはきっと何年か先の話。その時踊りで伝えるのは……。無意識に星の砂を握り締めた。
(だから、今はこのまま……)
 一緒に…。
「海もみたいな」
 サフィリーンのお願いに二つ返事のイーラ。
 真っ青な海。
(俺の故郷も……)
 海のそばだった。もう二度と訪れる事もない場所。
 尤も、唇の端に滲む苦笑。流れ者に故郷などないのだが。
(それでも故郷みてぇに思ってた)
 イーラが目を細めた。その横顔をサフィリーンが見つめている。

 海に潜った瞬間、礼野 真夢紀(ia1144)は反射的に息を詰めた。眼の前を通り過ぎるキラキラ光る魚の群れ。
 その群れに向かって懐から飛び出した仔猫又の小雪を慌てて捕まえ、手拭で茶巾包みにして抱えなおす。足元に広がるのは珊瑚礁。鮮やかな魚がかくれんぼをしていた。
「ほぇ……」
 感嘆の声。星空に包まれるのは実家でも出来る。
「でも海の中の散歩はそうそうできないよねぇ……」
 人があまりいないのをいい事に一歩、二歩通路を歩く。座ったら寝てしまいそうだと、通路に立って正解だった。
「何処の海の光景なんだろう?」
 色とりどりの魚が泳ぐ海は…。
「誰がこんなものを作ったんだろう?」
 好奇心は尽きない。それにしても勿体無い、と思う。少なくとも言葉は天儀のものだった。破損せずに残っていたら色々知る事ができただろうに。
「もっともっと探索が進んだら。何時か判るのかな?」
 ねぇ、と小雪に同意を求める。小雪は小さく鳴くと手拭越しに顔を擦りつけた。

 少しずつ水面が近づき、ぷかりと浮かび上がる。
「そなたがこうして声をかけてくれるのは初めてじゃな…?」
 頬を擽る華魄 熾火(ib7959)の吐息にルイ(ic0081)が「そういえば」と顎に手を当てた。
「こういう風に誘うのは初めてだったか」
 頭上に広がるのは夜空、舞台より下に広がるのは海。寝そべっていると仰向けに浮いている気分だ。
 まだ見ぬ海の先、そこに何があるのだろうか……と水平線を見やっていると、「のう」と華魄に呼ばれた。
「そのうち二人で海の向こうを見てみたくはないが」
 今まさに思っていた事を言われ軽く目を瞠る。
「それは楽しみかな。……それに華魄と二人でならどこへでも」
 言葉ほどの余裕はない心の内。『そのうち』まで彼女を離したくは無いと背後から抱きしめた。その意志を伝えるが如く、もしくは自分のものだと主張するが如く強く、強く彼女の首元を吸い上げる。
 ルイと触れ合うのは嫌いではない。だからこそ華魄はされるがままになっている。
(約束事は好きではなかったのだが……の)
 婚約者を亡くして以来・・・…。だが屋敷にいる修羅達が一人立ちをした後、共に旅に出よう……海を見てたらそんな言葉を思い出した。華魄にとってルイは恋人ではあるが、共に歩むという意識は無かった。
 彼が己を待っていてくれるかわからない。だが少しだけ、彼との未来を期待してもいいのではないかという気持ちが心に生まれ始めている。
 消えていく映像。体を起し髪を整えようとした華魄の動きが止まる。首元にくっきりと残る鬱血の痕。
「おぬし…!?」
 はっと振り返った恋人はどこか楽しそうな雰囲気だ。頬が耳がカっと熱くなる。痕を残すような事はしないと思っていたのに……。文句の一つでもと口を開いて、だが言葉が出ない。華魄は頭を抱えるように額を手で押さえた。
 隣のルイが照れる彼女を見るのもまたいいものかな、と思っていることなど華魄は知る由もなかった。

 明王院夫妻はちょうど人工天球から出てくる礼野をみつけ声を掛ける。
 海中散歩をしてきたところらしい。後で一緒にお茶をしましょう、と約束し礼野とは別れた。
 妻と藤娘が座る椅子の傍に茣蓙を引きそこに浄炎は胡坐をかく。傍らには妻の淹れてくれた熱いお茶。
(良い気晴らしになるといいのだがな……)
 何時でも相談に乗ってやりたいだが男の自分よりもこういうことはきっと同性の妻の方が良いであろうと敢えて二人の会話に口は挟まない。
 どこぞの菓子が美味しいなどと女性同士のやり取りの後、藤娘が聊か言い難そうに話を切り出した。
「着物を買うのが怖い?」
 思わず上げた声に未楡が慌てて自分の口を塞ぐ。主と死別し一年経とうか経たないか。呉服屋を覗いてはみるものの一人で入る勇気が出ないらしい。
「以前は主様が揃えて下さっていたので…」
 恥ずかしそうに俯く藤娘の手に己の手を添える。
「では神楽の都に戻ったら一緒に買い物に行きましょう」
 若い娘の着物を選ぶ、確かに自分には難題だと浄炎は苦笑した。
「流れ星ですよ」
 未楡が空を指差すそばから一つ、二つと星が流れていく。「願い事をしましょう」と未楡。
 両手を胸に祈る藤娘の横顔を未楡が見つめる眼差しは優しい。
 きっと妻はこの娘の行く末がより良いものであるようにと祈ったのだろう、と浄炎は思う。
「人は死すると星になるとも言われている……」
 祈りを終え天を仰ぐ藤娘にきっと主の星も、と一緒になって星を探す。
「残された者達の良き導となれるような生き様を持って、天から見守れる存在になりたいものだな」
 独白に妻の応える声が聞こえた。

 二人掛けの椅子は大の男二人並んでもまだ余裕がある。
「どんな星が見られるんだろうな? 楽しみだな!」
 綺月 緋影(ic1073)はそわそわと周囲を見渡す。古代遺跡で作り出す星空……なんとも心弾む。
「……年甲斐もないとか思ってんだろ?」
 何か言いたげな蒔司(ib3233)に不貞腐気味の声。
「可愛いのう、と思っただけじゃ」
「なっ……ってお?」
 からかうような口調に抗議をしかけたところで室内の照明が落ちる。
「真っ暗だな」
 隣にいたはずの蒔司の姿が見えない。
「おい。蒔司? いるか?」
 パタパタと手で探る。返事の代わりにしかと握られた。その強さに、無意識に零れるのは安堵の息。
「あー、いたいた」
 いちいち確認するのも面倒だ、とぶつかるように身を寄せる。些か乱暴な仕草でもっと体温を感じていたい、なんて本音を隠す。何せ恋人と口にするのもくすぐったくって転がりそうなのだから仕方ない。
「誰が作ったもんかは分からんが……不可思議な仕掛けじゃ」
 その本音を知って知らずか、蒔司が空を見上げた。
「星っていっぱいあるんだな」
 すげーなあ、と一つ、二数えていくうちに漏れる欠伸。
「月は見たことあっても、星ってちゃんと見たことなかったかも……」
 座り心地の良い椅子、隣から伝わる温もり。瞼が重力に負けかける。
(いやいや折角だし最後まで)
 頭を振った。
「家帰ってからも時々見よ ぅ……」
 だがここで途切れる綺月の意識。
 星はこんなにも美しいものだったのか、と蒔司は目を細めた。
 星明りすら厭うた闇に潜んだ過去の自分。だというのに綺月がいてくれるだけで世界はこうも違って見える。
 厭うたはずの煌めく星が胸の中に飛び込んでくるような……。
(心地良い)
 心の底からそう思えた。
 北の空、輝く不動の星は船乗りたちの道標。
(ワシにとっての道標たる星は、おんしじゃのう……緋影)
 隣から聞こえるのは気持ちよさそうな寝息。
 闇が晴れる前に口付けで起してやろうか、と。悪戯を思いついた童の笑みを浮かべた。

 ジョハル(ib9784)は己の左側に座る朧車 輪(ib7875)と手を繋ぎ星を見上げる。二人は義理の親子だ。
「神楽の都で見てる星空とは、ちょっと違うね。広くてすごく綺麗」
「……すごいな。まるで星空に投げ出されたみたいだ」
 確かにずっと見つめていたら吸い込まれそうだ、と輪は一度目を閉じる。死後の世界ってこんな感じなのかな、と父の独白を耳が拾う。思わず引き寄せるように繋いだ手を強く握った。
「ああ、輪。明けの明星があった」
 父の指差す先に輝く星。
「あれがジョハルだよ」
 父の名前は故郷の言葉で明けの明星という意味らしい。
「ジョハル……」
 繰り返す輪にジョハルが頷く。
「お父さんとお母さんの思い出の星……。輪、お父さんは死んだらあの星に行くよ」
「お父さんとお母さんの……」
 鼻の奥がツンとして星を見上げたままぎゅっと奥歯を噛んだ。
「寂しくなったり悲しくなったらあの星をみるといい。いつも輪と一緒にいるよ」
 まだ父を向くことができない。彼の星に手を伸ばす。
「ちゃんと覚えておくから…」
 でも、と父を見上げる。
「今は…お父さんはいるから。寂しくなったらお父さんを見るね」
 再び鼻の奥がツンとした。誤魔化すように「えへへ」と声を出して笑う。
「星にも一生があると聞く。赤い星は消滅間際で流れ星は最期の軌跡だと……」
 父がしてくれるお話を寸分も聞き逃すまいと耳を傾ける。もしも自分がもっと子供で寝る前にベッドでお話をしてもらうとしたらこんな感じだろうか。
「天儀に光が届く頃には、その星はないかもしれないの?」
「とても不思議な話だね」
 ふいに輪に父が寄りかかる。
「……おとう、さん?」
 仄かな明かりに照らされた父の血の気を失った顔、それはまるで……。輪の背筋にじわりと冷たい汗が流れる。
 父と自分を繋ぐ手。ぎゅっと握る。温かい……。
(まだ大丈夫、まだ……)
 自分に言い聞かせ、両手で父の手を包み込んだ。
「もっと……」
 お父さんとお話がしたい、よ。

 楽しげに揺れるふさりとした尻尾。
「本物も綺麗だけど…素敵……」
 目を輝かせ星を見るメイプル(ic0783)。折角お誘い、一緒に楽しむつもりだったのだが……。
「猫座とかあるのかしら?」
 紫ノ宮 蓮(ic0470)は気付けば彼女ばかりを追っていた。はしゃぐ彼女は可愛い。
(あぁ、でも……)
 彼女の視線を独占するのはずるい、なんて星に対して思ってしまう。星を見に来て星に妬くなんて我ながら……。
 蓮は指をメイプルの頬に滑らせた。
「蓮?」
 振り返る彼女を抱き寄せ重ねた唇。
「……っ!」
 真っ赤な顔で固まったメイプルに「ちょっと星にヤキモチ」と笑う。
 メイプルは両手で頬を押さえ目を伏せた。
(暗いし赤いの見えない、見えない……)
 呪文のように何度も唱える。
 暗闇ならば恥ずかしくない、今度こそ夢じゃないちゅうを…。そう思っていたのに。意識すればするほど彼が見れなくなり、ついに先を越されてしまった。
「……ずるい」
 星はどうしたの、とメイプルはそっぽを向く。
「星、ちゃんと見ているよ」
 彼の指が髪に触れた。
「紅葉の目の中できらきらしてる。ずっと見ていたいな」
 ずるい、もう一度メイプルは呟いた。
「綺麗ね」
「綺麗だね」
 満天の星に声が重なる。それがくすぐったくって嬉しい。
「んと…ね、一緒に来てくれてよかったの」
 素直に感謝を言葉にして、微笑み蓮の手を握る。
(綺麗だな)
 星に包まれ笑うメイプルに蓮はやはり瞳を奪われた。自分も一緒に来れて良かったと思う。
 心地よい彼女の温もり。繋いだ手を握り直した。
(すきだ……よ)
 漂い始める意識のなか言葉が浮かび上がる。この先何回も思うだろう。
 どうやら蓮は寝てしまったらしい。見慣れない寝顔にメイプルの心臓がどきりと鳴った。無防備な寝顔は安心の証。それが嬉しい。
 躊躇いがちに彼の頬に唇を寄せる。触れたか触れないか、控え目な口付け。
「すき……」
 告げた途端、耐え切れず彼の肩に顔を埋め腕にぎゅっとしがみついた。
(温かい……)
 ゆっくりと力が抜けていく。二人寄り添い夢の中へ……。

 星が消え明るくなる室内。
 ニノン・サジュマン(ia9578)がウルシュテッド(ib5445)を笑みで細めた目で捉える。お手をどうぞ、と貴公子よろしく彼女をエスコートする彼が少年のような瞳で星を見上げていたのを思い出したのだ。
「さっきのそなた、孤児院の子らと同年代になったようじゃったぞ」
 教えてやれば、赤面し言葉を詰らせてからの咳払い。
「私に一つ、貴方に一つ。想いを繋ぐ星が降る」
 彼が詩の一節のような言葉を口にした。
「伯父上の養子になった時、母さんがくれたおまじないだ」
 今ならわかる、幼い自分の決意が母をどれだけ傷つけたのか、とウルシュテッドの眉間に皺が寄る。
(茨の道ばかりを歩くのは昔からじゃの)
 心のうちで幼い頃の彼はどのような少年か、と想像していたニノンが気づかれないように目を伏せた。
「だから俺は血の代わりに星を分ける。家族の星座だ。誰が欠けてもいけない」
 胸元に揺れる首飾りにウルシュテッドが視線を向ける。分かち合う星。
「君もだ」
 ウルシュテッドの手がニノンの頬に優しく触れた。
「俺はもっと君に近づきたい……」
「テッド殿と家族の結びつきは疑いようがないが……」
 彼を制するようにニノンが口を挟んだ。
「星と星との距離は本来縮まらぬものであろう?」
 悪戯っぽく首を傾げる。
「名前」
 ウルシュテッドが唐突に言い出す。
「呼び捨てがいい。他人行儀は嫌だ」
「……っ! お、大人を敬称なしで呼ぶのは我がぽりしーに反する」
 想像すら難しい、気恥ずかしさを悟られぬよう顔を背ける。
「俺は君の旦那に立候補しているんだ。呼び方も気持ちも対等でありたい」
 故郷では敬称をつけるのは家族以外だ、とウルシュテッドも引かない。まあ、と先に折れたのはニノンだった。
「気が向けば前向きに努力する方向で善処する所存……」
 ニノンらしくない回りくどい言葉に、「よし、こうしよう」とウルシュテッドが手を打つ。
「ニノン殿」
「やめんか!」
 握った拳を振るニノン、ウルシュテッドは声を上げて笑う。
(星と星が近づく事はあるかもしれぬな……)
 ウルシュテッドの背後にニノンは天頂から流れた星の軌跡を見た気がした。

 誰もいない人工天球に柚乃が立つ。精霊の記憶に接触しようとし、一度失敗した。
 再び意識を集中。書物にある歴史よりもずっとずっと……。
 景色が揺れ、壁に映る四季折々の花、その遠くに林立する陽光に煌く四角い塔……。
「今のがずっと昔の様子?」
 問い掛けに答える者はいない。