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■オープニング本文 ● 文学科二年、楚一明は芸術学科の掲示板の前で立ち止まった。掲示板にはとある美術展の募集要項。 主催は泰の広江という街の商人組合。この美術展では例え賞に選ばれなくとも、目に止まれば商人が後援者として名乗り出てくれることがある。所謂先行投資というわけだ。ゆえに若手の登竜門の一つとしてそれなりに名の知られた美術展であった。 楚一族は代々国の高官を輩している名門であり、一明の知る限り男で役人になっていない者は一人も居ない。当然、一明もその道に進むと思われていたし、自身も役人になるのだろうな、と半ば諦めに近い感情を抱いてる。 だが一明には心に秘めた夢があった。それは彫刻家となること。子供の頃から絵や工作が好きで、一度作業を始めると集中するあまり時間を忘れてしまう。幼い頃はそれで家庭教師の来る時間を忘れたり、食事を忘れたりして何度も怒られた。そんな中でも特に好きだったのが彫刻だ。一彫りごとに木から何かが浮かび上がるように生まれてくるのがとても楽しい。 だが家族はそれを『無駄』の一言で切り捨ててしまう。家族にとって官僚への道に必要ないものは全て無駄なのだ。子供の頃はそれでもまだ絵を描くことなど許されていたが14歳も過ぎると、そういう事は一切禁じられてしまった。趣味ならば科挙に受かった後、楽しめということである。 家族の目に付かないように時々何か作ってはいたが、一明自身、表立って対立することもなく言われるがままに大学へ進んだ。確かに官僚は手堅い道であろう。「お前に彫刻の才能があるのか!」と言われてしまえば反論できない。 「でももしも……」 この美術展で誰かの目に止まれば……。逆に誰の目にも止まらなければ諦めて官僚の道を進もう。 楚一明は密かに決意した。 ● 「聞いたかい、幽霊がでるそうだよ」 此処は文学科青藍寮の一室。一年の伊原司は同室の二年胡天水の言葉に嫌な予感を覚えつつも「何処に出るんですか?」と失礼にならない程度に質問をした。 「どこにってそりゃあ、旧校舎のほかにどこがある」 構内でも僻地にある文学科よりも更に奥に使われなくなって久しい校舎がある。幽霊はそこに出るらしい。 「なんでもコンコンと骨を削る音や、火の玉が飛び交ったりしているって話でね」 嬉しそうに弾む天水の声。それもそのはず彼は日夜事件を探す瓦版同好会の会員なのだ。 「これは確かめに行かねばなるまいよ!」 伊原はこうなると天水を止める事が出来ない事を経験上知っている。だがささやかな抵抗とばかりに曖昧に「はぁ」だとか「まぁ」だとか頷く。 「よし、決まりだ、我々は旧校舎の幽霊退治を行う」 案の定天水は伊原のささやかな抵抗なぞ気にする様子もなく宣言したのであった。 ● 誰も居ない旧校舎に小さな足音が響く。 「あの人間はいないのかな?」 突如として廊下に小さな子供の姿が現れ一番奥の教室をひょいと覗き込んだ。 「いないなー……」 つまらない、と唇を尖らせる子の年の頃は五歳程だろうか。綺麗な翡翠色の瞳が印象的な可愛らしい顔立ちの子であった。 当然夜中の校舎を一人歩く子供が、普通の子であるはずはない。その子はずっとずっと昔に天儀からやってきた精霊だった。天儀では「座敷童子」などと呼ばれている精霊なのだが、本人に名を聞けば『翠』と答えるだろう。ずっとずっと昔に一緒に遊んだ人の子が付けてくれた名前だ。 翠は古い建物に住み着く精霊で、そこで暮らす人間にちょっとした悪戯をしかけるのを楽しみとしていた。時折楽しませてくれたお礼に少しだけ手を貸してやることもある。例えば、吹き零れそうになっている鍋の蓋を少しずらしてやるとか、そんなことを。 稀に人間と仲良くなる事もあった。たいていは子供だが、その子供達は大人になると翠の事を忘れたかのように遊んでくれなくなった。 ともかく翠はちょっと変り種の精霊である。 この校舎に住み着いてどれほどかは覚えていない。ただついこの前まで人が沢山居て賑やかで楽しかったというのに近頃は人を見かけなくなった。 そこでどこかに引っ越そうかと考えていた矢先、また人がやって来たのだ。たった一人、それも夜だけだが……。それでもまた遊べると思えば嬉しかった。 ところがその人間は今までとちょっとばかり違う。翠が悪戯を仕掛けてもそれに気付かず、大きな木の前から動かないのだ。非常に面白くない。しかしどんなに着物の裾を引っ張ったり、灯を消したりしても一向にその人間は気付かない。 そのうち翠が根負けした。そして気付いた。人間の前の木がくるくると表情を変えていく事に。なんということか、木は一日だって同じ表情をしていないのだ! それが中々に面白く、それ以来その人間と木を眺めて楽しむことにした。 ガタンと扉が開く音が聞こえる。 どうやらあの人間が来たようだ。翠は邪魔にならないように姿を消した。 ● 消灯時間後、一明は布団を抜け出すと旧校舎に向かう。美術展に出展する作品を作る為だ。 時々灯が消えたり、雨戸が勝手に開いたかと思えば閉まったり、足を引っ張られたり、雨も降っていないのに雨漏りしたりと色々問題もあるが、一人集中して作業をするにはいい場所であった。 「ふぁあ……」 連日の寝不足で欠伸を零した拍子に、机にぶつかり木彫りのみが落ちる。勢いついたそれは転がり少し先の机の脚にぶつかって止まった。 「……っと」 拾い上げようと手を伸ばす。だが惜しい、あと少しが届かない。 仕方ない、と思った瞬間「はい」と小さな声が聞こえたような気がして、ふと手を見るとのみを握っていた。 「……あれ?」 のみをまじまじと見つめる。 「……まあ、いいか」 一明は再び作業を再開した。 「おや?」 翠は表に顔を向ける。なにやら外に人が集っている気配がした。ひょっとしたら皆が戻ってきてくれたのかもしれない。 「足を引っ張って、上から水を被せて、おかしな音を立てて、持っている灯を消して……。冷たい息を首筋に吹きかけて……」 今までやってきた悪戯を指折り数える。これは久々に腕がなるというものだ。 「楽しい夜になりそうだ」 今日はとっておきも出してしまおう、と翠は表にいる天水達を出迎える準備をするのであった。 |
■参加者一覧
柚乃(ia0638)
17歳・女・巫
叢雲・暁(ia5363)
16歳・女・シ
国乃木 めい(ib0352)
80歳・女・巫
リィムナ・ピサレット(ib5201)
10歳・女・魔
雁久良 霧依(ib9706)
23歳・女・魔 |
■リプレイ本文 ● 旧校舎に幽霊が出るという話にリィムナ・ピサレット(ib5201)は気が気ではなかった。あたしは最強、と豪語する彼女にも怖いものがある。勿論それは噂の幽霊ではなく……。 隣の雁久良 霧依(ib9706)を盗み見ればばっちり重なる視線。 「…リィムナちゃん、またなのかしら?」 笑顔で掌に息を吹きかけた雁久良に慌てて「ち、違うよあたしじゃないっ」と尻を押さえて後ずさり。疑いの眼差しは入学以来数々の悪戯を仕掛けてきた実績を思えば当然か。だが今回は違う、断じて違う。旧校舎にあるのは雁久良から死守すべき秘密。 普段は優しいお姉さんの雁久良。だが悪戯やオネショをするとお仕置きの尻叩きが待っているのだ。もしも秘密がバレたら……。 「Gの霊が出た!」と大量のG型式を寮に放ったのをしこたま怒られたのは記憶に新しい。思い出しただけでも尻がひりひりする。 でもやりたいし、やっちゃうんだからしょーがないよね、と反省もそこそここそりと寮を抜け出した。 ● 真っ暗な旧校舎、巨大な荷物を背負ったリィムナが足音を忍ばせ進む。暗闇は彼女の妨げにはならない。 二階にある教室の机の中におねしょで濡れたパンツを隠しているのはリィムナだけの重要機密。 「誰も来ないと思ったし」 この幽霊騒ぎは計算外。いや逆に考えろリィムナ・ピサレット、これは好機。皆を脅かし当分近づけないように追い払ってしまえばいい。今こそ数々の悪戯道具が輝く時、とあちこちに道具を隠し歩く。 パタ…ン……カタ……ン 風もないのに雨戸が鳴る。いきなり白い布がリィムナの視界を奪った。 忍び寄る気配。 (アヤカシ……じゃない) 袖を引っ張られた瞬間、その手を掴み返す。 「捕まえたー!」 「人間が非常識にも翠を捕えるなー!」 暴れる子供がそこにいた。いや普通の子供ではない。だが本人に聞いても「翠だ」と答えるだけで一向に要領を得ない。 (はっはーん、この子が幽霊騒ぎの正体だ) 悪戯っ子の勘。この子は悪い子じゃない。その勘に従いリィムナは 「一緒に遊ぼっ」 と、翠に共闘を申し出た。勿論、翠の返事は聞くまでもない。 ● 「おばあちゃんも開拓者さんなんですか」 集合場所に現れた国乃木 めい(ib0352)に天水が驚きの声を上げる。 「亀の甲より年の功……年よりの経験が少しでもお役にたてればいいのですけどね」 朗らかに笑う国乃木は言葉もはっきりしており、しゃんとした背筋。とても齢八十には見えない。 「皆さん、お待たせいたしました」 少し遅れてやって来たのは可愛らしい少女の声の……。 「木乃伊!」 伊原の声が裏返る。 「これは、先の依頼で負傷しまして……」 包帯から覗く目を瞬かせて柚乃(ia0638)が頷く。相棒の提灯南瓜に包帯を巻くのを任せた結果こうなった、と。 「伊原さん、天水さん、初めまして。芸術学科に所属する柚乃といいます」 顎の下までずらした包帯、覗く可愛らしい顔に伊原が安堵の息を吐いた。 「お盆過ぎると海水浴より肝試しが楽しくなるよね!」 弾んだ声で叢雲・暁(ia5363)の入り口の前に立ちパンと手を鳴らす。 「何処の誰のどんな仕込みか知らないけれど、せっかくなので楽しんで行こう!」 皆に向けた赤い眼はキラキラと輝いていた。 柚乃が「いざ!」と拳を上げ、皆もそれに倣う。ただ一人伊原を除いて。 入ってすぐ国乃木が周囲の気配を探る。 (学校の怪談、学園七不思議は多感で悩み多き学生達が感じる様々な事柄が多いようですしねぇ) アヤカシなど差し迫った問題がなければそのまま放置し、学生生活の話題の一端として残しておくのも悪くないと国乃木は考えていた。青春の思い出というものである。 「今のところアヤカシの気配はありませんよ」 だというのにコーン、コーンと廊下に響く不気味な音。音はすぐにしなくなり出所が特定できない。 「アヤカシじゃないとすると……」 怯える伊原。 「ホントの幽霊だったりして?」 足音もなく背後に忍び寄った柚乃に伊原が文字通り飛び上がって驚いた。 (今回は、ど う し よ う か な) 心の声に自然とスタッカートが付く。柚乃は全然怖くない。寧ろ……と、真っ青な顔でびくびくしている伊原に漏れそうになる笑みを押し殺す。そう、寧ろ楽しいくらいだ。 いつもは脅かし役で参加をするのだが……今回はどうしたものか。いきなり姿を消して脅かすのも……それとも一緒に居て、恐怖を煽るのも悪くは無い……と、そんな事を考えていたら叢雲と目が合った。 互いに何か言いたげな視線。シィと唇に人差し指をやった柚乃の頬を何かが掠めていった。 空を切る音、三つの灯が突然消え辺りが暗闇に包まれる。 「何? 何?! 暗いってば。マジやめて」 叢雲が手を伸ばし辺りをペタペタと触っていく。そして触れた誰か……それは伊原と思われる、を「皆どこ? どこー?」とバッシバシと叩いた。 「っ、痛いですって!」 伊原の言葉を軽やかに無視しつつ、叢雲は油断無く周囲の様子を探る。大袈裟に驚きつつ仕掛けてきた者の反応を確認しているのだ。 (殺気はないな…) だが夜中の校舎に場違いな子供の笑い声。 「いきなり灯が全部消えてしまうなんてねぇ」 国乃木が再び灯したランタンを掲げる。変わった様子は無い。伊原が涙目になっているくらいだ。 「瘴気はどうかしら?」 尋ねる雁久良に国乃木は首を横に振る。 「誰かの悪戯か、な……!」 叢雲の視界の端に踊る薄翠の光。 「見た、見た?! あれ見た?! 絶対にアレだよ、アレ!」 闇に浮かぶ光を叢雲が指差し、伊原をがっくんがっくんと揺らす。 「アレ! ほら、人魂!」 伊原の口からは抜けた魂。 「あれは……」 国乃木は光に子供の姿が見えたような気がした。ずっと昔に似たようなものと出会ったことがある。 一階左奥の階段から二階へ。滴る水滴の音。雨漏りだろうか。 耳に意識を集中させ柚乃は音を頼りに一同を案内する。 周囲を照らす火球。前方に揺れる炎を乱反射する水溜り。湛えた水は血を思わせる鮮やかな紅。 開拓者達の間に緊張が走る。 「血、ではないです……」 だがそれも赤い水を指で掬った柚乃の言葉ですぐに霧散した。 「血じゃないなら何だろう?」 しゃがみこんだ叢雲の首筋にぴとっと触れる冷たく柔らかいモノ。 「あ?! なにヒヤっとぬるっと……何これ?! 取って、取って!!」 手で首の辺りを大袈裟に払う。掴み損ねたが触れた感触は蒟蒻に間違いない。 (これは、お遊びってことでいいのかな?) どれもお祭りの肝試しのような他愛もない悪戯ばかり。これなら自分も脅かし役に回っていいかなぁ、などと思っていると、突然雁久良が眼差し鋭く周囲を見渡した。 「これは……」 微かに鼻を鳴らす。細められた目が眼前の教室に……ザバァアッ盥をひっくりかえしたかのような大量の水が雁久良を直撃した。 (危なかった〜……) 物陰で胸を撫で下ろすリィムナ。雁久良の視線の先はパンツを隠した教室。どうやら臭いで気付かれたらしい。流石というべきか、それとも臭いを覚えられてしまうほどにパンツを取り替えてもらっている事実を悲しむべきか。 雁久良は悟った。リィムナがこの教室にパンツを隠していることを。最近おねしょをしなくなった、と思っていたのだがなんてことはない証拠を隠していたのだ。 「全く……あら?」 そっぽを向いた伊原が必死に天水の目を手で覆っている。 雁久良の今日の出で立ちは黒地に薔薇の咲いた丈の短い浴衣ドレス。濡れた浴衣が肌に張り付き、うっすらと黒い下着が透け魅惑の曲線美が際立ち……年頃の青少年的には堪らない姿。 「似合っているかしら?」 「早く拭いてくださいっ」 ふふ、と唇に艶めいた笑みに伊原が叫ぶ。 くしゅん、と可愛らしいクシャミを零す雁久良。此処は旧校舎裏の厠。夏とはいえ、夜に頭から水をかぶり身体が冷えた。 「流石に一人は怖いわね……」 言ってるそばから足元に落ちる何か。うねうね蠢くそれを確認する間もなく消える灯。首筋にぽとり、と滑り込み背中で長細くぬめっとしたものが蠢く。 「ひっ!」 顔に、肩に手に胸元に……ぼたぼたぁと降り注ぐ。 戸がガタガタ揺れる。耳元で聞こえる子供の無邪気な笑い声。太股をいきなり撫で上げられた。 「っん……!」 中々戻ってこない雁久良を心配し、窓から柚乃が厠を見やる。 「様子を見に……」 「んほおああ!」 響き渡る絶叫。何事かと身を乗り出せば、真夜中大通りを馬よりも早く走ると噂の老婆も驚きの速度で雁久良が厠から飛び出してきた。 絶叫に気を取られた刹那、叢雲に生まれた空白。いやその空白に叢雲は気付けなかった。いきなり足が縺れるまでは……。 「えぇ?!」 このままだと床に華麗な顔拓を取られてしまう。慌てて背を丸めての受身。何時の間にやら足が手拭で縛られている。そんな隙なかったはずだ。いや……叢雲が目をすっと細めた。 (……ひょっとして『夜』?) シノビのその場の時間を少しだけ止める技。 「これは……遊びですまないよね?」 悪戯にしては度が過ぎる、と手拭を解くと、次に仕掛けてきた時を狙うためにその場から気配を消した。 皆のいる二階まで一気に駆け抜ける雁久良。荒い呼吸で上下する肩。髪や浴衣の裾から落ちる大量のミミズ。厠で何が起きたか想像に難くない。国乃木がそっと雁久良からミミズを取除いては外に逃がしてやっている。 「負けない!」 雁久良の双眸に決意が宿った。 「開けます」 教室の戸に手を掛けた柚乃の着物の裾を狙い済ましたかのようにりてくる釣針。雁久良がむんずと掴んで引き寄せた。 「ふにゃ!」 しかし上がった悲鳴は想像よりも幼いもの。 ずぅりずぅり……濡れた足を引き摺るような音が近づいてくる。 青い肌、ぎょろりと剥いた双眸、無毛の頭に生える角、乱杭歯を鳴らし青鬼が闇から現れた。 「……お前等、みんな丸齧りだぁあ」 地を這う低い掠れ声。鬼が両手を挙げ咆哮する。 「言い訳なら後で聞くわ」 一気に詰め寄る雁久良に青鬼が驚き逃れようと後ろを向いた。 「ゴメンナサイといわせてやる」 気配を殺し、間近まで迫っていた叢雲が青鬼の前方へと煙幕を張る。 「た……タイム! たい……」 足を止めたところ蔦の蔓が伸び、青鬼の足を絡め取る。そこに雁久良が圧し掛かり胸で圧迫するように廊下に押し付けた。 「悪戯はそこまでよ、リィムナちゃん?」 剥がされた青鬼の面の下からリィムナが現れる。 「あはは、楽しかったでしょ……って霧依さん、何を……?!」 「…やり過ぎよね?」 満面の笑みの雁久良、ひくりと頬を引き攣らせるリィムナ。 「たっぷり反省しなさいっ!」 パッシィイン、尻がとても良い音を立てた。 「足を縛ったりして危ないんだからね」 雁久良の横では叢雲が腕を組んでの仁王立ちだ。 「…いたーい!ごめんなさーい!」 うええん、とリィムナの泣き声。 「もう悪戯しません! おねしょ隠しませんからー!」 必死に訴えるが雁久良の手はとまらない。 「……100」 お仕置きは柚乃が丁度百数え終わったところで終了した。 扉の隙間から覗く子供。仄かな光に包まれた子供は心配そうに尻を抑えるリィムナを見てる。その子は皆の視線に気付くと顔を引っ込めた。 「あらあら、座敷童子に会うなんて何年振りでしょう」 両手を胸の辺りで合わせた国乃木が背を屈め声を掛ける。 「あなたはこの校舎の座敷童子さんですか?」 「翠だ」 返ってくるのは簡潔な答え。 「翠さん、少しお話をしませんか?」 国乃木が手招きをした。その時再びカーン、カーンと何かを削るような音が響く。 「犯人は此処にいるよね。 他に協力者いるの?」 叢雲にリィムナが首を振る。今度は音が中々途切れない。 翠が「こっちだ。とても面白いものがある」と階段を降りていった。 突然現れた開拓者達に一明は呆気にとられた様子だった。「凄いだろ」と彫刻の隣で何故か翠が胸を張る。 「それは皆さんにご迷惑を……」 天水に今回の騒動について説明された一明は恐縮し項垂れた。 「骨を削るかのような音が…と言うのは、彫刻の音だったのですね」 国乃木が皆に水出しの珈琲とお菓子を配る。 「ところでなんで旧校舎に?」 雁久良に尋ねられ一明は事の次第を話した。 「尤も……家族が言うように才能がないならば無駄な事かもしれませんが……」 語尾に重なる溜息。 「見事なものですね……」 しみじみと国乃木が木の表面を撫でる。 「毎日違う顔をしてるから面白い」 ジャムを口元につけた翠に国乃木は笑顔で頷く。堀筋一本とっても躍動感に溢れ翠が夢中になるのがわかる出来栄えだった。 「座敷童子すら魅了してしまうなんて、早々聞きませんよ」 ありがとうと一明が浮かべた笑みはぎこちない。どこか申し訳なさそうなのは家族の期待を裏切っている事に対する後ろめたさだろうか。 「いっそのこと芸術学科と掛け持ちするのはどう?」 堂々とやってしまえ、と雁久良が提案する。折角挑戦を決意したというのに一明の様子では変なところに遠慮してしまいそうに見えた。 だが一明は今家族にばれるわけには、と表情を曇らせる。雁久良は少し考えてから「ならば……」と手を叩く。 「作業だけでも芸術学科の作業室を使うのはどう? 此処より設備も整っているし、同じ志の仲間がいるのは良い刺激になるわ」 教授には見つからないように私がこっそり案内するから、とわざとらしく声を潜めての追加。だがそこで「人間が来なくなったら寂しい」と林檎のタルトを手に翠が抗議の声を上げた。 「大丈夫!」 まだじんじんと痛む尻を擦りつつリィムナが翠の正面に立つ。 「翠君、友達になろ」 ね、と手を取って握手。 「柚乃ともお友達になりましょ 。そして今日みたいに一緒に遊びましょ」 二人に柚乃も自分の手を重ねる。 「勿論、私も遊びに来るわ。お目付け役も必要だろうし」 可愛い悪戯なら歓迎よ、と雁久良が片目を瞑った。 「んー……じゃあその木を見に行ってもいいのか?」 「歓迎です。案内しますよ」 「よっし芸術学科の探検だよ」 柚乃とリィムナは翠を交え具体的に計画を話し始める。 「何歳になってもやり直しはできるのですよ」 国乃木が一明の肩に手を置く。 「怒られたら『ごめんなさい』で良いんだし」 あっけらかんとしたリィムナの言葉に「ちゃんと反省してるのかしら?」と雁久良。 「ご家族の想いもありますが、自分の夢も大切にしてくださいね」 国乃木に一明が頷いた。 ● 雁久良は布団の中でリィムナを抱きしめた。 「もうあんな悪戯はしちゃ駄目よ?」 「ふぁ、ひ……」 眠たそうな声に微笑み頭を撫でてやる。 寮に戻り柚乃は紙を広げた。そこに今日の出来事を描いていく。今度遊びに行く時に翠に見せてあげようと思いながら。 翌朝、芸術学科の作業室の片隅に一体彫刻が増え、彷徨う彫刻が怪談に一つ追加されたらしい。 |