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■オープニング本文 ● 作夜の大雨が嘘のように頭上に眩しい青空が広がっている。吹く風も心地よく、あちこちで洗濯物が翻る初夏の話。 「実はね、お願いしたいことがあるんだよ」 九十九屋店主六郎の前に座る、とある大店のご隠居がそう切り出した。話を聞く前からなんとなく嫌な予感がする。 何せこのご隠居、先日放置していた屋敷を愛人と暮らすためという理由で、そこに巣食ったアヤカシごとしれっと掃除させようとしたのだから。開拓者の力を借りることになった掃除は、ゴのつくアレにそっくりなアヤカシによって尊い犠牲を出す結果に終わった。 「だーかーらーうちは何でも屋じゃないって言ってるじゃないですかー」 六郎の嘆きは右から左に隠居は続ける。 「実はね、アンタと同い年くらいの孫がいてね、いい人ができてそろそろ結婚かって話になったんだが……」 「それはおめでとうございます」 心の篭っていない六郎の言葉に隠居は「だが」ともう一度強調した。 「相手に逃げられてしまってねえ。 なんでも南部屋の若旦那に結婚を申し込まれたとか…。それ以来離れに閉じこもってしまい。家族もほとほと手を焼いているんだ」 ほぅ、と溜息。 「そこで九十九屋さん孫を説得してみてはくれないかい?」 「なぜに俺が?」 「家族や使用人では理由が理由なだけに顔を見せ難いだろう。それに……」 ご隠居は傍らの女を抱き寄せる。例の愛人だ。今日は店まで連れて来たらしい。 「私はこの通り、若い頃からモテてねぇ。そんな私の言葉なんてとてもじゃないが説得力がないだろう?」 あぁ?と凄みそうになったのを張り付いた笑顔で誤魔化す。 「そこいくと九十九屋さんはその道の玄人じゃないか。だから孫もきっと耳を貸すと思うんだよ」 屈託無いご隠居の笑い声が響いた。 ● というわけで離れの前である。敷地の片隅に茶室として建てられたものだ。結局孫の説得を請け負うことになった。貧乏商店に選択権はないのだ。 「あンのクソじじぃ。今度寝屋に唐辛子爆弾投げ込んでやる」 六郎の隣で九十九屋奉公人の小鞠が小さく溜息を吐く。 「ともかく若旦那に外に出てきてもらえばいいのですよね」 入り口は茶室というだけあって、小柄な小鞠ですら屈まないといけないほどに小さい。 「ちゃっちゃと引きずり出してお終いにしちゃうか」 戸を叩いて声をかける。だが返事は無い。 「誠一さん、俺はご隠居に頼まれた九十九屋ってもんですけどね……」 やはり返事は無い。だが今朝も食事は摂ったというし中で死んでいることはないだろう。 「開けて頂けないなら此方から開けますよ。いいですね」 引き戸を開く。だが二人は間髪いれず戸を閉めた。そして顔を見合わせる。 「今の見たか?」 「今のみましたか?」 中は真っ暗だ、だから見間違えたのかもしれない。そう言い聞かせ再び開く戸。 「……!!」 もわっと黴と埃と汗と諸々混ざった酸っぱい系の匂いが二人を包み込む。その匂いに負けず部屋を覗けば壁、畳、家具、部屋中黴だらけだった。しかもところどころキノコまで生えている。 「誠一さん、こんなとこ身体に良く……っ!!」 部屋の隅、一際大きな黴の塊。六郎が声を掛けるとそれが身じろぐ。黴がぱらぱらと落ちて、二つの目玉が覗いた。 「「誠一さん?!」」 六郎と小鞠の声が重なった。 「放っておいてくれ。私なんてもう生きている意味も。どうせ…どうせ女は皆男前が好きなんだろう」 誠一の恋人だった娘の結婚相手南部屋の若旦那は評判の二枚目である。 「……そ、そんなことはないですよ! 二枚目よりも優しい方のほうが素敵です」 酸っぱ臭さに負けそうになりつつも小鞠が六郎の脇から顔を覗かせる。 「じゃあ、君は私が付き合ってくれと言ったら付き合ってくれるかい?」 「えっ」 小鞠が一瞬返事を躊躇う。 「ほら、君も口だけだ。私を醜男だと嘲笑っているのだろう。わかっているとも私は醜男で手は常に汗をかいているし、水虫だし、童貞だし…」 恨みつらみを吐く誠一の声はお経のように抑揚が無い。 「あぁ〜もう面倒くさいなあ」 じれた六郎が茶室に入り、引っ張り出そうと誠一の腕と思われる場所を掴んだ。 だがその瞬間に黴の胞子が飛び散る。視界を覆うほどの勢いでだ。思わず後ろに下がった六郎がうっかりとキノコを踏だ。 ばふん、と爆発するキノコ。同時に、 「……うっ!!」 粘膜という粘膜に突き刺さる異臭が漂う。小鞠が茶室前から本気で飛び退いた。 「あの臭い……! 数日間履きっ放しだった六郎様のブーツの匂い」 正確に言えばそれを更に凝縮した臭いである。 胞子は治まったが六郎達が茶室から出てこない。あまりの臭さに気絶でもしてしまったのか、と心配になり顔の下半分を手拭で覆い茶室を伺う。 黴の塊いや誠一の隣に膝を抱えた六郎がいる。 「そりゃあ、モテませんよ。ガキの頃から、優秀な幼馴染と比べられてさあ。しっかもそいつ、顔もいいでしょー。ええ、そんなのと比べたら俺なんてだめ男ですよ……」 畳みにのの字を書いていた。 「六郎様、どうしたんですか?!」 小鞠に向けられた六郎の目には光が無い。明らかにおかしい。 「しっかり……って臭ぃっ」 「そうですよ、俺はオッサン臭いですよ……」 「こんなとこで拗ねないで下さいっ」 小鞠は六郎の着物の裾を掴むと無理矢理引きずり出した。 降り注ぐ陽光の下、手拭で纏わりついた黴を叩いていると六郎が我に返った。 「あれは駄目な奴だ」 「ええ、あそこに長い事いたら心にも身体にも悪いです」 「多分アレ、アヤカシだわ……」 あの黴を被った途端、気力が吸い取られどんよりとした気分になってしまったらしい。 「……ところで小鞠、どうしてさり気なく風上に移動するのかなあ?」 「え、いや……その」 キノコの臭いがちょっとやそっとでは落ちなかったのだ。近づくだけでも数日間履いた靴の匂いがする。 「まあ、いいけどね……って言うと思ったか!」 言うが早いか風上に走る。 「六郎様、大人気ないです」 さらに小鞠が風上に逃げた。それを数度繰り返した後、 「本人を引きずり出したとしても……」 「部屋をあのままにしておいたら、もっと酷い事になりそうです」 「黴は日光に弱いみたいだから、風通し良くして掃除すれば大丈夫そうだけど……」 途中犠牲は出るだろうが、と心の中で付け足す。 「問題はキノコですね」 「爆発はたいしたことないけど匂いがねぇ」 ちらりと六郎が小鞠を見た。常に一定距離を保たれている。 「そーいや、猫族の村で似たようなアヤカシの話を聞いたことがあったなあ。確かあれは地下の菌糸と本体を切り離したら消えるって話だったけど……」 「畳ごと運び出して菌糸を切断しましょう」 「それが一番被害がなさそうだ。……というわけで小鞠」 珍しくキリっとした表情を六郎は小鞠に向ける。 「ひとっ走りしてギルドで援軍を頼んできて。俺はその間に準備しておくから」 |
■参加者一覧
紗々良(ia5542)
15歳・女・弓
フェンリエッタ(ib0018)
18歳・女・シ
宮鷺 カヅキ(ib4230)
21歳・女・シ
サフィリーン(ib6756)
15歳・女・ジ
玖雀(ib6816)
29歳・男・シ
ジョハル(ib9784)
25歳・男・砂
サエ サフラワーユ(ib9923)
15歳・女・陰
小苺(ic1287)
14歳・女・泰 |
■リプレイ本文 ● 小苺(ic1287)は井戸から水を汲み上げ盥に注ぐ。盥には西瓜と紗々良(ia5542)が準備したお茶の水筒。掃除終了後、美味しく頂く予定だ。 「お風呂もばっちり。掃除の後はひとっ風呂浴びて、さっぱりするの……にゃっ?!」 表から感じる不穏な気配に耳と尻尾がぴんと立った。 「……六郎。今日は、逃げんなよ?」 玖雀(ib6816)に呼び止められ六郎がそろりと振り向く。 「もうそんだけ臭いなら怖いもんはねぇだろ」 男手は幾らあっても困らねぇしな、と玖雀が浮かべるのはにこやかな笑み。だが細められた目は笑っていない。はは、と六郎の頬が引き攣った。 サエ サフラワーユ(ib9923)は深呼吸を繰り返す。 「ショック与えると胞子とかばらまいちゃって、浴びるとすっごく臭くなっちゃうって言うし……」 緊張のあまり頭がぐるぐるしてきた。 「これを必ず付けておくようにね。カビも胞子も肺に入れると良くないよ、すごく」 サエにジョハル(ib9784)がマスクを手渡す。ジョハルは医師だ。カビと胞子、身体に悪い組み合わせは見過ごせない。 「あ、あのっ、そのがんばりますのでよろしくお願いしますっ!」 わたわたとサエが頭を下げる。その拍子にマスクが手から零れ慌てて手を伸ばす。 「そんな緊張しなくても大丈夫だよ。アヤカシはそれほど強く無さそうだし……掃除に関しても此方にはプロがいるからね」 「だーから! 俺は料理人でも掃除人でもねぇっつってんだろうが!」 そう返した玖雀(ib6816)だが、自前の割烹着に使い込まれたハタキと箒装備。そんな姿では説得力が今一つだ。 視線を感じた玖雀が顔を向けると宮鷺 カヅキ(ib4230)と目が合う。二年前の誕生日が玖雀の脳裏に浮かぶ。何の含むところもなく割烹着を贈ってくれたカヅキ――と思わず遠い目。ハタキも彼女からの誕生日の贈り物だ。 「あー……その……」 なんだ、と髪を掻き混ぜる。カヅキが玖雀のために選んでくれたことはわかっているし、有り難く使わせて貰っているのだが少し複雑なシノビ心。 「こいつ等は頼りになる相棒だな」 嬉しそうにカヅキは僅かに目を細めた。 「失恋の、痛みは…時間が解決してくれそう、だけど…」 紗々良は髪を一つにまとめほっかむりの下にしまいこむ。 「アヤカシのせいで、落ち込んでいるなら…話は別、ね」 袖も裾もしっかりと縛りその上から布を被せる念の入れよう。 「うん、誠一さんには元気になって貰いたいけど……」 ゴーグルの中伝う汗にサフィリーン(ib6756)は眉を顰めた。 「匂いが移るのは困るな……」 サフィリーンも紗々良も完全防備の蒸し風呂状態。 「せっかくの、夏だし。お部屋も気持ちも、からっとお掃除、しちゃい、ましょう」 きゅっと紗々良が口元に布を巻く。 「早く終わらせ……誰が誰だかわからないね」 不審者の集団だとサフィリーンが笑い、紗々良が頷いた。 かくして一行は魔境へと挑む。 「……」 戸を開けた途端遠のくカヅキの意識。心が室内の光景を拒絶したのだ。 「…燃やしましょう、全部」 静かに宣言するフェンリエッタ(ib0018)。 「世のため人のため手っ取り早く浄化の炎で……」 「だ……だめ、ですよ!」 カヅキが火気厳禁だと言っていたのを思い出したサエがフェンリエッタの前に出た。 「……もちろん冗談よ」 だがゴーグルから覗く目は真剣である。 「ただ、ちょっと、想像してた以上にめん……いえ、その…」 言葉を選んだ末、 「魔の森の瘴気の方がマシかなあ、なんて思ったの」 おどけた仕草の裏側に気付いてはいけない何かが潜んでいる。 「またか……」 声が隠し切れない殺気を孕む。玖雀の米神に浮かぶ血管がひくりと脈打つ。躙口から覗き込んだだけでも伝わる部屋の惨状。 (またなのか) ゴのつくアレに似たアヤカシが大量発生した時と同じだ。腹の底からふつふつと湧き上がる怒り。 (どうしてこんなになるまでほっとくんだよ…!) わなわなと震える拳。責任者出て来い、梅雨があった? アヤカシが巣食っていた?……っんな言い訳通用するか! 玖雀からずももと湧き上がる黒い気配。 「何が起きたのにゃ! すごい殺気にゃ!」 飛び込んできた小苺が玖雀と離れを交互に見やる。 「よしわかった。シャオに任せるにゃ。食べられないキノコはいらいにゃ。駆除!」 いざ、と「か〜びかびるんるん、かびるんる〜ん」と自作の歌と共に突撃からの……。 「後は任せた」 回れ右。 「こんな閉めきった部屋にいたら、そりゃジメジメしますよ……」 キノコやカビを刺激しないように掃き出し窓を目指しカヅキが慎重に進んでいく。換気と採光のため窓開けは必須。 「いつから掃除してないのでしょうか?」 これは毛足の長い絨毯、と錯覚するほどに育ったカビ。カヅキの自宅は常に整理整頓が行き届いている、書斎以外は……。これが人が暮らす部屋だとは俄に信じ難い。 掃き出し窓を開く。部屋に差し込む光。真夏の日差しにカビが蒸発していく。 「誠一さんを連れ出すために周りをちょっと片付けま……きゃぁあぁ!」 待ってましたとばかりに上がりこんだサエが敷居に躓き決める顔面からの豪快な飛び込み。 当然爆発するキノコ。臭いが粘膜に突き刺さる。 「うぅ〜……なんで最初の一歩で」 涙目のサエを遠巻きに見守る仲間達。 「なんでみんなそんなに離れるの…?」 もわっと己から漂う臭い、刹那麻痺する表情筋。 空白。 「……こーなったらもう、やっちゃいます!」 サエは開き直った。 部屋の奥、光の届かない場所に誠一はいる。そこに一条の光が射した。 フェンリエッタが丹念に磨き上げた盾を使い、日光を室内に招き入れたのだ。 「こんな天気のいい日に、部屋に閉じ篭ってちゃ身体にも心にも良くないよ?」 背後の窓を開きながらジョハルが語り掛ける。 「君を捨てていくような女の事なんて忘れてしまうといいよ。それだけの縁だったって事さ」 「誠一さん外に出てお話しよう?」 外からサフィリーンが誠一を呼ぶ。柔らかく明るい声に誠一の目に光が灯った。 「イケメン改造計画とか色々方法はあるもの」 ね、外においでよ、と手を伸ばす。しかし中々動こうとはしない。 「誠一さん、いっしょにお外に出ましょうっ!」 サエがカビだらけの手を握った。だがタイミングとは皮肉なものだ。誠一の視界にジョハルが映る。 「世の中にはまだまだ綺麗で可愛い人はたくさんいるよ」 陽光に煌く金髪を靡かせ微笑むジョハルに罪は無い。 「男前に私の気持ちが……」 だがギルティ。 「いや俺はそれほどイケメンというわけでも……え?」 ジョハルお兄さん、とサフィリーンの視線にうろたえるジョハル。 「どちらかというと女のような顔立ちで……。寧ろ俺はめいわ……」 地雷原を駆け抜けたジョハルの袖がカビを撫でた。辺りに撒き散らされる胞子。 「……君はまだいいじゃないか。女にフラれたって死にはしないよ」 「…私、黴とか胞子まみれで気持ち悪いから誠一さんもあんまりうれしくないと思うし……」 膝を抱えるジョハルとサエ。二人とも目から光が消えている。 「もとからキレイじゃないし、ドジだし頭悪くって。やることなすことうまくいかなくって……」 サエが背を丸め縮こまる。 「引きこもりたい」 「死にたい……」 サエと誠一の溜息が重なった。 「そんなに死にたいなら俺に少し寿命を分けてくれればいいんだ。俺なんて明日死ぬかもしれないのに」 ジョハルの目に涙。 「可愛い娘と育ち盛りの……。世界で 一番 大切な妻を……」 ぐす、と鼻をすする音。 「俺はなんて不幸で可哀想な人間なんだ……」 これは駄目だ、と紗々良とサフィリーンが視線で合図を送りあう。 「とりあえず誠一さんを引っ張り出さないと……」 紗々良がググっと箒の柄で誠一を押す。サフィリーンが鞭を構えた。 「とりあえず掃除だ、掃除! 身体動かして家の中綺麗にしたら気分も少しは変わ……」 誠一奮い立たせようとした玖雀はその隣でじめっとしている親友に目を瞠る。 「って、ジョハルは直ぐに休憩してんじゃねぇっつーの」 パパっとはたきでカビを払った。 「……ッ! なんて……恐ろしいアヤカシなんだ……」 我に返ったジョハルが震える手を握る。胞子に包まれた瞬間心にどんより雲が広がり、ほんの少し思っていた事を、万倍にも膨らまされたような感覚に襲われた。 「駄目ダメだめ。ネガティブ良くない……」 自分に言い聞かせる姿はなんとなくまだ危なっかしい。 「ダメダメな私が……」 サエは気力を振り絞り、 「ほんとにダメになっちゃうっ!」 パンと己の頬を叩いて気合を入れる。 紗々良が押し、サエが手を引き、誠一を引き摺っていく。その行く手にキノコが。二人は気付いていない。 誰もが覚悟を決める。 咄嗟に六郎の襟首をひっ捕まえ盾にするサフィリーン。 だがその時、キノコが炎に包まれた。 「不潔なのは論外…キノコとかカビとかアヤカシとか……」 めっ、とフェンリエッタが誠一に指をつきつける。誰が思ったであろう、掃除で『夜』が使用されるなどと。 「ほら、こう言うのが格好良いんだよ、うんっ!」 六郎のジト目にサフィリーンがわざとらしい朗らかさで答えながら、鞭で誠一の胴を絡め取る。紗々良達三人力を合わせ誠一を太陽の下に連れ出すことに成功した。 「問題は……この畳の下なんですよね……」 カヅキが足元に視線を向ける。この畳を持ち出しキノコを排除しなくてはならない。 「一つ試したいことがあるんだが……」 皆に外に出てもらい、直ぐに外へと逃げれる窓際で玖雀が試みたのは畳返し。風を起こし浮かび上がる畳。開くキノコの傘を確認するや否や床を蹴り窓から外へ。爆発音。だが畳が壁となり臭いが広がらない。 玖雀とカヅキ、二人掛かりで畳を上げていく。 「……カヅキ!」 緊迫した玖雀の声。カヅキのすぐ傍で身を震わせるキノコ。だが爆発直前に霧散し、キノコの跡には橙色の細い針。 (まさか……) 針を投げた格好のまま玖雀は項垂れた。 (裏千畳の暗殺術をきのこに使うことになるとは……) いやそれだけではない先程の『夜』も。 (なんできのこなんかに……) 心の中で聞くシノビとして培ってきたものが崩れる音。実は自分は掃除人なのか、とかそんな思いが心を覆い始めた。 はぁ、と腹の底からの溜息。 「玖雀さん?」 カヅキは呼びかける。玖雀はただ溜息の繰り返し。カビは隙を見つけては取り憑くようだ。 (意識を此方に引き戻さないと……) どうすれば、と浮かんだのは彼の恋人。会ったのは一度。でも真っ直ぐな瞳と声、しかと覚えている。一度咳払い。 「目ぇ覚ましなさいよ!」 その声音を真似した。 「……?!」 驚き振り返る玖雀。 「ジメジメしてる暇、ありませんよ…?」 「あ……あぁ。畳を外に……」 力を貸してくれとジョハルへ視線を向け、飲み込む言葉。彼の身体を思えばできるだけ力仕事は……。しかも埃とカビに塗れた畳はどう考えても身体に悪い。 「紗々良 、これ持つの手伝ってくれねぇ?」 ピシッ、パシッ。青空の下響く乾いた音。サフィリーンの鞭が根元からキノコを抉る。 鞭が畳を叩くたびに舞う埃とカビにフェンリエッタが身を竦ませた。あんなものが素肌についたところを想像するだけで鳥肌だ。 「それに……」 己が抱える掃いて捨てるほどのトラウマ……膝を抱える前に倒れる自信があった。 「どうしたの?」 浮かない様子のフェンリエッタにサフィリーンが首をかしげる。 「ん……トラウマか、と思って」 「私はトラウマ……無い、かな?」 ムムと寄せる眉。 「……でも、子供だからって何でも決められるのも、大人の事情や気持ちがわからないって思われるのも……」 次第に寄せた眉が下がる。 「大人が全部正しいの? どうせませた子供ですよっ!」 手袋を外しフェンリエッタがそっとサフィリーンから埃とカビを払い落とした。 「匂いが取れなくなったら暫く海に行こうかと思っているの」 笑うフェンリエッタにサフィリーンも笑顔を返した。 「じゃあ私は六郎さんのお店にご厄介になりたいな」 皆で臭かったら怖くないよね、と言うサフィリーンに六郎が「一緒の部屋でよければね」と片目を瞑った。 誠一の背後に聳える白い壁が日光を反射し、背後からも隙無く照らす。 「……で、失恋てなんにゃ? 空腹より辛いのかにゃ?」 小苺がアロマキャンドルを誠一の脇に置く。 「でもそれは独り身のみに許された、数多の美女がいる桃源郷への道が開かれたということにゃ」 「桃源郷?!」 美女という言葉に身を乗り出した誠一にフェンリエッタが溜息。 「貴方も人を美醜で判断するの?」 誠一が俯いた。 「人が人を選ぶ、なんて実は傲慢な事かもしれない」 「そう、結婚も、お付き合いも、ご縁、です」 紗々良が子供に言い聞かせるようにゆっくりと話し始める。 「だからこそ双方の品性が問われるのだと思うの」 湯の入った桶を置くフェンリエッタ。 「縁は人と接する中で、見つかるもの、だと思います。ここに篭ってたら、出会いはないです、よね」 紗々良が手拭を微温湯で濡らす。 「貴方の、いい所を、見せる事も、できない」 「私の良い所?」 「今は、恋の事、少し、忘れて…自分の好きな事、頑張ってみては、どう、でしょう?」 絞った手拭を紗々良が誠一の手に握らせた。 「心まで腐らせちゃったら目も当てられないわ。誠一さん、貴方の『誠』はどこかしら?」 フェンリエッタが誠一の頭から少しずつ湯を掛けていく。 「世界は広いにゃ、次の出会いが待っているのにゃ」 両手を広げ小苺が笑う。 「徹底的に、やる!」 何も無くなった室内でカヅキは誓う。隣で玖雀もハタキを握りなおした。 カビと埃を落とし濡れた雑巾で拭き取り乾拭きで磨き上げる。 (暗器をこんなことに使うとは……) 鬩ぎあうシノビの哀愁と掃除への執念。玖雀は板の継ぎ目に詰ったカビを針で黙々と取除いていく。後にジョハルが語る。その姿は新しい何かを召喚しそうなほどに鬼気迫るものであった、と。 そして飴色の輝きを取り戻す柱や廊下、カヅキは満足そうに控え目に息を吐いた。 ジョハルは誠一の隣に腰掛ける。背後からは掃除終了を喜ぶ皆の声。 そっと彼にだけ見えるようにずらした仮面の下、覗く生々しい火傷の痕。誠一が息を飲む。 「君は自分が醜い男だと言ったけれど、この姿の俺とどっちが醜いと思う?」 言葉に詰る誠一に「でも俺は幸せだよ」と告げた。 「どんな境遇だろうと姿だろうと幸か不幸かを決めるのは己の心だ……」 再び仮面を戻したジョハルが立ち上がり、つられて誠一が空を見上げる。 「久しぶりに空をみたな……」 誠一は眩しそうに目を細めた。 「アヤカシを退治したら取れるとか、そんな甘くはないですよね…」 唯一キノコの直撃を受けたサエが肩を落とす。果たして報酬に添えられていた薔薇石鹸は臭いに勝てたのであろうか。 |