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■オープニング本文 ● 紫陽花で囲われた九十九折の石段を登った先にその寺はあった。 「ぅあー……腰に来る……」 ちょっと待ってと、九十九屋店主六郎は腰を叩いて立ち止まり、先を行く少女二人を呼び止める。 「あと少しです。頑張ってください!」 両手を握って声援を送るのが九十九屋の奉公人小鞠。 「運動不足です」 つれないのが主に頼まれ九十九屋におつかいにきたついでに巻き込まれた佐保だ。 「……いや、ここの石段結構あるから……。かれこれ600と30段ほど上った……し」 足が生まれたての小鹿のようです、と訴えると佐保から「最近腰周りどっしりしてきましたよね」と容赦の無い一言が降って来る。隣で小鞠が頷いたのが見えた。 「これは帯の結び方の問題です。断じて肉じゃありません……ってちょっと休ませて? ほら此処からみる紫陽花、とても綺麗じゃないか」 ぐっと腰を伸ばしトントンと叩いてから六郎は両手を広げる。 山肌に広がる色とりどりの紫陽花。此処は朱藩の某街。その街の高台にある智楽寺へと続く石段の途中。智楽寺はこのあたりでは紫陽花寺として有名で、毎年時期になると物見遊山の客が多くやって来る。 六郎達三人は、そこで明日開催される『観紫会』にて必要な茶や菓子を納品するために智楽寺にやってきたのだ。 『観紫会』とは毎年この時期に開かれる行事で、元々は庭に咲く紫陽花を見ながら説法を聞く法会であった。だが普段は立ち入り禁止の裏庭が公開されるということが話題を呼び、何時の間にやら檀家ではない客が増え、法会どころではなくなり気付いたら茶会となっていたという次第である。 紫陽花寺と言われるだけあり、智楽寺には紫陽花が溢れている。近年はジルベリアの品種も植えられ、紫陽花の博覧会といっても良い。 石段が終わり山門を潜ると、本堂までの間に小川が流れ込む大きな池と広場がある。当日、広場には緋毛氈がかけられた床几が並び、そこで茶やお菓子が振舞われる。寺なので残念ながら酒は出ない。だが飲食の持ち込みに関しては見て見ぬふりをしてくれる。ただし花見のようなどんちゃん騒ぎをしない場合に限るが。 敷地内に咲く紫陽花は鞠のような丸い花房をつけどれも見事だ。しかしこの行事を有名にした裏庭の紫陽花は少しばかり趣が違う。裏庭と呼ぶには少々広いそこは散策ができるように敷かれた小路がある。その小路を覆うように茂る紫陽花は表の紫陽花と違い、まめに剪定されておらず、成人男性の背よりも高く茂り紫陽花のトンネルを作っていた。そのため一度中に入ってしまうと遠くを見渡せない。それはさながらちょっとした迷路のようであった。紫陽花迷路と呼ばれる所以である。 「ほら六郎様、山門が見えてきましたよ!」 紫陽花を眺め一息吐く六郎を呼ぶ声が聞こえる。遥か先から小鞠が手を振っていた。 ● 商品のお届けだけでは九十九屋の仕事は終わらない。観紫会のお手伝いも仕事の一環だ。手伝いというのは広場に設けた休憩所でのお茶とお菓子の提供。また客はどちらかというとお爺さん、お婆さんが多い。よって彼らの話し相手という重要な役目もあった。 だが開けて翌日……。 「去年よりお客様多くないですか?」 紺地の着物に紫陽花模様の前掛けを締めた小鞠が呟く。去年と同じだけ用意した広場休憩所の座席が午前中で既に足りなくなっている。 至急増設が開始された。小柄な佐保が縦に置けば自分の身長ほどありそうな床几を頭上に抱え走る姿は人目を惹く。 客層も去年までと違う。今年は若者、しかも何故か恋人同士と思われる二人組みが多い。 思わず六郎の眉間に皺が寄る。 「檀家さんが教えてくれたのですが……」 一緒に休憩所で茶を提供している僧侶の一人が、何故か恋人たちがそれぞれ別の入り口から裏庭に入り、迷路の中で無事出会うことができたら幸せになるという噂が流れているらしい、と教えてくれた。 「なんでも去年、裏庭で迷ったことが原因で結ばれた方々がいるそうで、その話が巡り巡ってそんな噂になったんだと思います」 我々僧侶は生涯独身だというのに、と浮かべる苦笑。そもそも縁結びなどは神社の領分である。 「……そんな事聞いたら、出会わないように悪戯したくなるなあ……あ……」 床几を掲げたままジト目で見上げてくる佐保に身の危険を感じた六郎は慌てて「やらないから」と首を振った。 「ところで天気大丈夫でしょうか?」 小鞠が空を見上げる。空は薄曇。 「夕方あたりには雨が降ってきそうですね……。裏庭を出たところにある小川では蛍も見えるとのことでしたので残念です」 佐保が床几を降ろす。 その傍に野点傘を広げつつ六郎も空を仰いだ。 西の空には鈍色の雲の団体の先頭が見えている。 「まあ、雨の中の紫陽花も風情があるってもんでしょう……」 紫陽花が湿気を含んだ風に揺れた。 |
■参加者一覧 / 礼野 真夢紀(ia1144) / ニノン(ia9578) / ユリア・ソル(ia9996) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / 明王院 未楡(ib0349) / ニクス・ソル(ib0444) / 真名(ib1222) / 蒔司(ib3233) / 宮鷺 カヅキ(ib4230) / ウルシュテッド(ib5445) / 笹倉 靖(ib6125) / スレダ(ib6629) / サフィリーン(ib6756) / ルシフェル=アルトロ(ib6763) / 玖雀(ib6816) / サミラ=マクトゥーム(ib6837) / ケイウス=アルカーム(ib7387) / 久良木(ib7539) / 御凪 縁(ib7863) / 朧車 輪(ib7875) / ゼス=R=御凪(ib8732) / ラビ(ib9134) / ジョハル(ib9784) / 紅 竜姫(ic0261) / 綺月 緋影(ic1073) |
■リプレイ本文 ● 「制服……」 似合うかな、とサフィリーン(ib6756)は渡された紺地の着物を見る。普段着ない天儀の着物を着るのは楽しみだ。 「紫陽花を観に来たのですか?」 部屋に向かう途中声を掛けられる。揃いの紺地の着物に割烹着姿の礼野 真夢紀(ia1144)がお久しぶりです、とやって来た。 「今日は給仕さんのお手伝いに」 最初の予定変更で、とそっと心の中で付け足すサフィリーン。 「またご一緒できて嬉しいです」 「海の家も九十九屋さんだったよね」 二人は去年の夏、九十九屋の海の家を手伝ったのだ。 「お仕事が終わったら今日のお菓子を仕入れたお店を教えてもらう約束なのですが……」 六郎さんが忘れていないか心配です、と眉を下げる礼野にサフィリーンも同意する。 「まゆちゃん、今からお菓子を作るので給仕お願いしても構いませんか?」 鍋を抱えた明王院 未楡(ib0349)とすれ違う。 「はい、お任せて下さい。ところで何を作るのですか?」 「天儀以外からやって来るお客様もいらっしゃるでしょう。だから紫陽花のゼリーとか作ろうと思って。沢山作りますから、休憩時間に皆で食べましょうね」 明王院が柔らかく二人に向かって微笑んだ。 ● 「……輪、ごめん」 「ううん、大丈夫だよ」 朧車 輪(ib7875)は義父ジョハル(ib9784)の体を床几に横たえる。 (言ってくれれば、お家でゆっくりしたのに。無理なんかしてほしくないのに……) だが楽しみにしていた自分のために無理をしてくれた義父にそんなことは言えない。 「お父さんが元気になったら、今度は私からデートに誘うから」 代わりに得意そうな笑みで提案した。頷く義父の血の気の失せた頬や額には汗が滲み息も浅く荒い。 義父と共に過ごせる時間には限りがある。 唐突に思い出し心臓が跳ねた。終わりはもっと先だと思っていたのに。緊張と不安で冷たくなった手を背中に隠す。 「お父さん、お水もらってくるね」 輪は駆け出した。 「なさけ……ない、な」 苦笑は失敗し、肺で嫌な音が鳴る。 紫陽花を見に行こうと誘ったのは自分だ。朝、体調が芳しく無いことに気付いていたが、楽しみだと喜ぶ娘に何も言えなかった。結果、逆に娘に心配をかけてしまうなんて。 目を閉じていても世界が回る。耳鳴りが酷く深い水の底にいるようだ。 最近ではこうして横たわる事が多くなった。子供達の前では心配をかけたくないと平気な顔をしているが。妻の前では……。 輪に呼ばれジョハルが目を開く。霞んだ視界に映るぼんやりとした影。 「あぁ……輪。 夕方には、帰ろうね。おかあさんと弟も待っている」 「うん、お土産買って。そうだ蛍見えるんだって」 輪は何時ものように会話を続ける。 「蛍を見たら、おとうさんが蛍になっちゃいそうだよ」 息を震わせるだけの弱々しい笑み。 「お父さんが蛍になったら、みんな困っちゃうよ」 眉を下げておどけた表情を作る輪。 「紫陽花、綺麗ね」 熱で霞むジョハルの隻眼に映るのは滲んだ世界。だが娘と眺めるこの景色が愛しいものであることには変わりない。 (また一つ輪との思い出ができた) 蛍と変わらない己の命の灯。後幾つ思い出が作れるだろうか。 ● 石段の踊り場で休憩中のニノン・サジュマン(ia9578)とウルシュテッド(ib5445)。 「食べるのが勿体無いな」 ウルシュテッドはニノン作の紫陽花の寒天で飾られた饅頭とにらめっこ。 「遠慮するでないぞ」 ニノンはウルシュテッド手作りの紫陽花の花弁型の琥珀羹を口へと運ぶ。 「……うん、美味い」 饅頭にウルシュテッドが唸る。 「本当に花も菓子も見事な紫陽花尽くしだね」 それに、とニノンを見つめた。 「君も綺麗だ」 自分が贈った紫陽花の浴衣と髪飾りを身につけたニノンは、どんな花よりもウルシュテッドの目を奪う。 「料理と口がうまい男じゃの」 ニノンが菓子をもう一つ摘む。 「養い子とは上手くいっておるのか?」 「お互い手探りだが楽しいよ」 「紫陽花は土壌により色が変わるそうだ」 責任重大じゃの、と笑うニノン。養子を迎えた彼の覚悟を知っているから余計な口を挟むつもりは無い。 「育児経験豊富な嫁さんを迎える予定だから大丈夫さ」 ウルシュテッドがさらりと返した。 「こんにちは」 すれ違う人々に礼野は丁寧に頭を下げる。石段で困っている人がいないか見に来たのだ。 「それにしても今年は恋人同士が多いんですね」 すれ違うのは大抵恋人同士。お寺でこの状況はどうかと思わなくも無い。 「まぁそれが縁で檀家になってくる人がいればお寺も助かるとは思いますし……」 観紫会は本来説法を聞く会だったことを考えて紫陽花迷路に朋友を連れてこなかったのだが。ひょっとしたら一緒に来ても問題がなかったかもしれない。 それにお年寄りに朋友の子猫又とからくりはきっと可愛がられたことだろうとも思う。 「大丈夫ですか?」 荷物を手に立ち往生しているお婆さんをみつけて駆け寄った。 ● 迷路を一人スレダ(ib6629)は行く。友人のラビ(ib9134)と紫陽花を見に来たのだが、迷路は男女別に抜けるしきたりと聞いたので別れて入ったのだ。 「……やっぱり一緒に見た方が楽しいですかね」 くるん、と傘を回す。傘はラビが用意してくれた。 「今日は誘ってくれてありがとう!」 お日様のような友人の笑顔を思い出す。一人で見るのは味気ない、迷路をさっさと抜けてしまおうと角を曲がったところで……。 「「あ……」」 ラビと鉢合わせた。 「ヤッパリ雨とアジサイってすっごく綺麗だね!」 弾むラビの声。 「ここは寺です。はしゃぐじゃねーですよ」 注意するスレダの声も柔らかい。二人で見る紫陽花はきらきらしていた。 「そういえば、なんで男女別の入り口なんですかね?」 迷路を抜けて休憩所。スレダの疑問をラビが給仕の明王院に尋ねる。 「別々に入った恋人同士が中で出会うことができたら末永く幸せになるそうですよ」 二人に差し出す菓子は恋人達が良き一時を過ごせるようにと明王院が心を込めて作った、赤と紫の紫陽花のゼリー。二つ並べれば可愛らしいハート型。 みるみる赤くなるラビの頬。 「お二人は出会うことができましたか?」 「……っ! 私達はこっ、恋人じゃねーです」 固まっていたスレダが慌てて否定する。小麦の肌がいつもより赤みを増していた。 ごゆっくりどうぞ、と明王院が去った後の微妙な空白。 視線が合うとラビは慌てて正面に向きなおす。 身じろぎすればスレダと肩が触れる。何故かそれがとてもドキドキした。 (僕はレダちゃんの事、女の子として、好き…?) 兎耳ごと赤くなった頬を押さえる。 スレダはラビの横顔を見つめる。自分はいつ旅立つかもわからないキャラバンの一員だ。いつまでラビと一緒にいれるか分からない。 ラビが渡してくれた傘の柄に触れる。雨の中一緒に紫陽花を見た、だからこんな時間はとても大切で。 「ま、まぁ幸せは……そうですね。なれたらいいですね」 指先が触れ合った。 突然サフィリーンに襟首を捕まれ六郎が飛び上がる。 「デバガメはまだ良いけどいたずらは駄目」 もう、とサフィリーンは腰に手を当て六郎を覗きこむ。 「覗きは可なんだ。意外に……」 六郎のからかうような笑み。 「そうです、良い大人がする事ではありませんよ」 やり取りを見守っていた明王院がやんわりと二人の間に割って入り六郎に洗物の桶を渡す。 「温かく見守ってあげるのが、度量のある素敵な男性のする事ですよっ」 ね、と明王院に言われれば六郎も頷かざるを得ない。 「それに馬に蹴られちゃう前にナンパした方が堅実だと思う」 「後で誘ったら……」 真顔のサフィリーンに、六郎は顔を逸らした。 真名(ib1222)は「こっちよ」と義姉アルーシュ・リトナ(ib0119)を手招く。 「かくれんぼしましょ。私が鬼をするわ」 紫陽花を背に手を広げた真名は突然抱き寄せられる。 「お帰りなさい」 優しく背を叩くアルーシュの手。真名は腕の中で「ただいま」と頷いた。 紫陽花迷路のかくれんぼ。 「雨宿りさせてくださいね」 紫陽花に断り、アルーシュは傘を畳み身を寄せる。 紫陽花の葉を叩く雨音。 ふふ、と笑みが零れた。誰かに見つけて貰うのを待つ、少しくすぐったくって嬉しい時間。 不意に浮かんだ顔に笑みが止む。先日養女として迎えた大アヤカシ生成姫の子の……。 (あの子がみつけて、迎えにきて欲しい人は未だに……) 胸が痛む。あの子には人の世界にあって幸せを見つけて欲しい。 目の前に咲く紫陽花の青い花。 (そう……迷い道にも) 美しい花が咲く。 (それに気付いてくれますように……) 花に額を寄せての祈り。 律儀に百数え真名は迷路に挑む。 道を塞ぐ紫陽花を手で避けながら真剣にアルーシュの姿を探す。 (遊びだけど、必ず見つける……) 「いいえ、見つけたい」と言い直し。その時、紫陽花の影から覗く柔らかな茶色の髪が見えた。 そっと近づき、 「みぃつけた」 紫陽花の花ごと抱きしめる。 「……あら、見つかっちゃいました」 おっとりと笑うアルーシュを抱きしめたまま得意そうに笑う。 「私はいつだって姉さんの傍に居る。いつだってこうやって見つけてあげるから…」 だから、元気だして、と。それは真名の願い、祈り。 「では見つけて頂いた御礼に次はお茶にしましょう。紫陽花を模ったお菓子、楽しみです」 雨がやみましたね、と手を取り立ち上がる。 「雨上がりの空……綺麗ね」 アルーシュも頷く。空に棚引く薄紫。 (姉さんの悩みも……飛ばしてあげれたら……) 今日も最近元気の無い義姉の気晴らしになれば、と連れて来たのだ。 泣きたい時に傍に居てくれた人。どれだけ自分は救われただろう。 「大好きだよ、姉さん」 義姉への思いをこの言葉に託した。 紫陽花迷路を前に、ふふふ……とニノンの妖しい笑み。 「迷路で出会った運命の二人」 勿論良い男二人。 「二手に分かれてみるかい?」 ニノンの妄想を右から左へ流すウルシュテッド。 何を思ったかニノンは「傘の具合が悪いようじゃ」と傘を閉じた。 「傘なら俺のを……」 差し出された傘を自分ごとウルシュテッドへと押し返す。 「難題は力を合わせた方が早く解ける」 「……それじゃ、エスコートさせて貰おうかな」 ニノンの言わんとするところにウルシュテッドの背で見えない尻尾が揺れた。 分かれ道。せーのでさした指は右と左。 黄昏時、濃くなる闇、そして自分と別の道を指す彼女……。 「行くな」 咄嗟にニノンの手を掴む。 「俺の傍に……」 祈るように手の甲に額を押し当てる。 「好きだ、ニノン」 ほんの数秒の沈黙。ニノンの耳の奥で響く心音。 「そ……っ、それは知っておる」 ウルシュテッドの顎にニノンの頭突きが炸裂した。 「心配せずとも一緒に行こうと言うておろう」 顎を押さえ目を白黒させる彼に笑みを零す。 「行くぞ、大きなわんこ殿」 ニノンはウルシュテッドの手を握った。 一つ傘の下、身を寄せるニクス(ib0444)とユリア・ヴァル(ia9996)。 「…最近はよく雨に祟られるな」 溜息交じりのニクスにユリアは「悪く無いわ」と身を寄せる。今日みたいに甘えたい気分の時は良い口実だ。 二人進む紫陽花迷路。だが小雨になるとユリアは絡めた腕を解き角へと消えてしまう。 「ちゃんと私をみつけられるかしら?」 聞こえてくる声。 「もちろん」 ニクスの返事に迷いは無い。何故ならかくれんぼで彼女に負けたことはないのだ。ただの一度も。 後ろも振り返らずにユリアは先を行く。 「だって先に行く私をニクスが見つける約束だもの」 つん、と顎をそらす。 「夜の紫陽花も趣があるわね」 途中ニクスを待つことはしない。気ままに迷路を行ったり来たり。 見覚えのある三叉路。どうやら迷ってしまったようだ。 「私の気持ちみたい……ね」 自分も今迷っている。 (不安があるの……) 自身を抱きしめた。 (私を見つけて) 心の中で呼びかける。 (ただ抱きしめて欲しいの) 「……ニクス」 零れた言葉。紫陽花ががさりと鳴り、背中から抱きしめられた。 「俺の勝ちだな」 己を抱きしめるニクスの腕に手を這わせる。ユリア、耳元で名を呼ばれた。 「俺達は夫婦だ……」 言いたい事はわかる。だがまだ言う事はできない。その雰囲気を察したニクスは「蛍を見に行こう」と妻の手を取った。 一つ、二つ光が見えたかと思うと一斉に淡い光が川原に広がる。 「蛍の光は求愛だって知っていた?」 二人を囲む光。 「この光は全部、一生懸命愛しているって思いを伝えているのかしら」 青銀の髪から覗く華奢なユリアの項。彼女の抱える不安を取除きたい。せめて……。 ニクスはユリアを強く抱きしめる。 「愛してるよ、ユリア」 ずっと離れずに、君の隣に。 ニクスの背に手が回った。 ● 宵闇を蛍が舞う。 「いつ見ても蛍はいいものだな」 ゼス=M=ヘロージオ(ib8732)は目深に被ったフードの下から蛍を追う。一年前も同じ相手と紫陽花と蛍を見た。きっと来年も……無意識に聖夜に贈られた首飾りを触れる。 迷路に別れて入った同行者はどこだ、と探すまでも無かった。紫陽花から頭が覗いている。 「さすが背が高い」 気付かれないように小さく笑う。 紫陽花は自分より低い場所を。紫陽花から、頭が覗いていることは御凪 縁(ib7863)も先刻承知。こうしておけばゼスも見つけやすいだろう。 灯は飛び交う蛍。心許ないが悪く無い風情。 進んでいると紫陽花に囲まれた小さな空間に出た。静けさに満ちた空間。 衣擦れの音、扇を掲げ、足を一歩踏み出す。 呼吸を整え、広げた扇を両手で天に捧げる。足が地に円を描く。 それは故郷を出てから封じていた神楽舞。祈りを奉じる舞。 祈るのは故郷に残してきた家族の無事と……。 妻となるゼスを守る誓い。 止まった扇の上にそっと蛍が乗る。 「…見事なものだな」 何時の間にかゼスがそこにいた。 「今まで見た中で一番だと思う」 ゼスの声に「そうか」とだけ答えて、 「迷路の中で会うことができたな」 とその手を取る。フードの下、瞳を伏せたゼスの仄かに赤い頬を蛍が照らす。 肩を寄せ合う紫陽花の小路。 「今年もこうして二人で見る事ができてよかったと思うぜ」 ゼスが頷く。 「あの時はゼスと夫婦になるとは思わなかったんだが……」 再び頷く。握る手に力をこめるとゼスも強く握り返す。御凪が目元を緩めゼスを見つめる。 「俺と共に居る事を選んでくれて……ありがとうよ」 ゼスが顔を上げた。 「……ありがとう。幸せを、奇跡を」 ゼスは外套の下、誕生日に御凪から贈られた懐中時計に触れる。 きっとこれから二人歩む時間を刻んでくれるのだろう、と。 最近旅より帰国したサミラ=マクトゥーム(ib6837)は親友のアルーシュと真名をみつけ足を止めた。だが二人の様子に声を掛けるのをやめ友人達を追いかける。 「まるで星みたいだ」 蛍にケイウス=アルカーム(ib7387)が手を伸ばす。 「こっちだ」 二人を誘った笹倉 靖(ib6125)が手を上げる。表の理由は観紫会で舞いたいから、実際には二人に蛍をみせたかったから。 池の傍、床几に腰掛けたケイウスが竪琴を構える。 流れ出す楽にあわせて笹倉の足が砂地を蹴り、袖を翻して回った。 (やはり靖の舞は上手い……) 笹倉は型にはまらず自由に舞う。次はどうだ、これならどうだ、と曲調を変えてもおかまいなしだ。そうやって二人で掛け合いながら何かを作る感覚はとても楽しい。 それに彼女も加わったら……。 「ほら、サミラも一緒に!」 サミラはケイウスの近くに座ると彼から貰った笛を取り出し唇に宛がう。 ケイウスと笹倉、二人へ感じるのは感謝の気持ちと胸の痛み。そっと膝の上に笛を置く。 旅の中で知った。私は私である、と。 (ならば……) サミラ=マクトゥームとして二人へと歌う。戦士らしからぬと避けてきたが歌うのは幼い頃より好きだったのだ。 心に響く低く強い歌声が戦士の魂を慰める優しく哀しい歌詞を紡ぐ。 歌に笹倉は動きを止めた。視線はまっすぐにサミラへと。しかしすぐに舞を再開した。 笹倉がサミラを挟みケイウスと反対側に座る。 「蛍は綺麗だな……」 空を見上げるサミラ。 「サミラ、少し変わった」 ケイウスは思わず口にしていた。 サミラは少し考えてから「そうかも、ね」と返す。「確かに変わったな」と同意する笹倉に、 「靖さんも変わった……」 とサミラが言う。 「俺は?」 「ケイは…相変わらず、かな」 妙に優しい視線の笹倉に肩を叩かれた。 「そ、そんなことないよ。俺だって変わったって……」 「例えば?」 からかうような口調の笹倉。 「ん……」 黙り込んだケイウスを尻目に笹倉は手の中に捕えた蛍をサミラへと差し出す。 蛍を見つめるサミラの横顔。 「綺麗だな」 同意するサミラは笹倉の言葉の意味に気付いていないだろう。 ケイウスはサミラの膝に置かれたままの笛に気付く。自分が贈った笛を彼女が持っていてくれた。 「あれ?」 それだけでとても嬉しい。彼女が長い旅をしていたせいか一緒に居る時間も前よりもとても大切に思える。でも隣に彼女が座っていると思うだけで落ち着かなくなる。 (なんだろう、この気持ち) 笹倉はそんなケイウスに苦笑を浮かべた。 (今更か。俺も……遠慮するつもりもないけどな) 彼女も自分も、そして彼も……変わっていく。全てこれからだ。 紫陽花が続く川原を行く二つの影。他に人が見えなくなった頃、玖雀(ib6816)が足を止める。 「どうしても、お前とここに来たかったんだ」 紫陽花は一年前、二人の縁を深めるきっかけになったものだ。 「あの時のこと思い出しちゃうわね」 ぐるっと紫陽花を見渡す紅 竜姫(ic0261)。 「紫陽花をわざわざ手折りに行って戻ってきて、髪に挿してくれたわよね?」 すごい嬉しかった、と竜姫が触れた髪には紫陽花の髪飾り。そうして花の傍らに立っているととても絵になった。 「なに?」 「ん……似合っていると思ってな」 竜姫は照れたように視線を外すと、「そうそう」と話題を変えた。 「28日誕生日でしょ?」 風呂敷包み渡し、掌に何かを乗せる。 「大好きなお酒と……指輪」 指輪に嵌められている石に触れた。 「クジャク石って言うんですって……」 口篭る竜姫。 「アクセサリーなんてって自分でも思ったんだけど……。嫌だったら捨……っ」 言葉は玖雀に額を指で弾かれ途切れた。 「怒るぞ」 玖雀の人となりを十二分に知っている竜姫、そこは「ごめんなさい」と素直に謝る。 「ありがとう。嬉しいよ」 竜姫は小さく頷いた。 蛍と捕えた玖雀の指の隙間から漏れる光に竜姫が覗き込む。 差し込む影に上げた顔に手を触れ、唇が重なった。 「……っ」 草履の下で砂利が鳴る。大きな掌は頬から髪へと差し込まれた。髪が引っ張られて少し痛い、と睨んだ目が玖雀の視線と絡む。 熱を孕んだ眼差し。じわりと体が中から蕩けてくる。 漏れる呼気は火傷しそうな程に熱い。視線を絡め、玖雀は何度も口付けを繰り返す。 闇夜に浮かぶ蛍の光。それは己の闇を切り裂いてくれた、血塗られた過去もなにもかも自分を全て受け入れてくれた優しく温かな光を思い出させる。 「愛しいよ……」 想いが溢れ言葉となった。 目を閉じ体を委ねる。こうして彼はいつも傍に居てくれた。強くても、弱くても……。 温かくて、優しく包み込んでくれる闇。 「愛してる……」 言葉ごと吐息も奪われる。 弟子達に呼び出された久良木(ib7539)は小川へと降り立つ。 駆け寄ってくる弟子兼臣下の宮鷺 カヅキ(ib4230)、少し離れた所でルシフェル=アルトロ(ib6763)が背を向けて立っていた。 宮鷺がくるりと久良木の背に回る。とん、とかすかに宮鷺の重みを感じた。 「…ルーさんと一緒に住むことになったんです。それで……」 宮鷺の言葉を「前にも言ったろ」と遮る。 「どこに行こうが何になろうが、大切な臣で弟子であることに変わり無いってな」 豪快な笑い声が辺りに響く。 『思い描く幸せを追えばいい。心が粉々にならなければ』 何度も伝えた言葉だ。今だって変わらずにそう思っている。 背後で宮鷺が頷く。するとルシフェルが振り返った。二人のやりとりが終わるのを見計らっていたらしい。 ルシフェルと弟子の宮鷺は似ているように久良木にはみえた。 てことで、と気楽な調子でルシフェルが切り出す。 「カヅキと一緒に住むことになったから〜……いい?」 ルシフェルが手を背に回し首を傾げた。「娘さんを僕に下さい」というような事を言うのが一般的かもしれない。だがルシフェルは『ください』という言葉を使うつもりはなかった。 (下さいっていうのは、何か違うよな〜) ルシフェルは宮鷺とずっと一緒にいたいだけで臣下や弟子として欲しいわけではない。 「そうか」 久良木の短い言葉に溢れる思いを二人は感じることが出来ただろうか。 「こいつをよろしく頼むわ。まァなんだ、仲良くやれよー」 小気味良い音を立ててルシフェルの背を叩く。そしてそっと耳打ちをした。 「……さいごまで、傍にいてやってくれな。あいつは何だかかんだで寂しがりだ」 大の大人の情け無い顔。それだけ告げると「あとは若い二人でってな」とひらりと手を振り紫陽花へと分け入って行く。 「これで、一応挨拶終わりかな? あとは小隊?」 並んで蛍を見つつ買っておいた和菓子を宮鷺に渡す。 「そうですね、後は隊長に報告して……」 宮鷺が受け取った菓子を律儀に半分にして差し出してくれる。それにパクリと食いついてルシフェルが笑う。久良木に言われた言葉を思い出して。 「寂しがり屋を、一人にしないようにしないとね」 「寂しがりっ?!」 違うといわんばかりに振られる頭にルシフェルがそっと手を置く。 髪を撫でる手に宮鷺が目を細めた。 「…これからも、よろしくお願いします」 ルシフェルにそっと寄り添い月を見上げる。 (後何年、生きれるだろうか……) 宮鷺の体を蝕む毒……。 (願わくは――) 肩に乗せた頭に、ルシフェルがコツンと頭を合わせた。 (一日でも多く共にあれることを……) 紫陽花迷路を抜けたところで蒔司(ib3233)は提燈の灯を消した。 「お。おぉおお……!」 途端闇夜に遊び始める蛍に綺月 緋影(ic1073)が感嘆の声を上げる。 「おい、見ろよ蒔司! 蛍いるぜ!」 興奮した様子で蒔司の羽織を引っ張り蛍を指差す。 「すげーなあ。チカチカ光ってら」 「風情を楽しみたかったんじゃがのぅ」 指にとまった蛍を眺め蒔司が溜息。なんだよ、とへの字口の綺月の手を取り、その人差し指に自らの手にとまった蛍を乗せた。 薬指で輝く淡い光。 「宛ら誓いの指輪じゃな」 「……っ!」 綺月が目を瞠り、金魚のようにパクパクと口を動かす。 「って、何しやがる! 本気にしたらどうすんだ!」 馬鹿!と威勢良く左手を蒔司から奪い返した。 (なんとも可愛らしいの) 拒絶ではなかった綺月の言葉に満更でもない自分に蒔司は笑う。 「おんしのその顔が見たかったんじゃ」 にっと唇の端を上げ告た言葉に慌てて綺月が仏頂面を作る。 「お、お前他所でもこういう事してんだろ!」 「仕事であれば、な」 喉を鳴らして笑う。 「そうか。仕事ならそういう事もするか……」 そりゃシノビだもんな、と納得しかけて首を傾げた。 「ん? 今仕事じゃねえよな……?」 澄ました蒔司の横顔を綺月が睨む。 「くっそー。子供だと思ってからいやがって……」 もう知らねぇと、綺月は蒔司に背を向けた。 (別に蒔司が他所で女口説いて来たって何も困りぁ……) 見知らぬ女に同じことをする蒔司を想像して……。 「……っ」 心臓の辺りがキリキリと痛い。 「何なんだよ……」 吐き捨て左胸を叩いた。 この感情の正体を多分知っている。でもそれを口にはしない。 愛しさの裏返し、のらりくらりと冗談交じりの言葉遊びにその想いを紛れ込ませる。 儚い灯に浮かんで消える彼の背中。その背が本物か確かめたくなり足音を立てず隣に寄り添った。とん、と預けられる肩。目を閉じて綺月の存在を感じる。 「俺……どっかぶっ壊れたかな……」 溜息と共に漏れる言葉。 「何のことじゃ」 (なんで……痛くねーんだよ……) 蒔司の体温を感じてから。 心の中でもう一度「ぶっ壊れたかな……」と繰り返した。 サフィリーンはファラーシャに着替え広場に立つ。 (私が踊りで伝えたい事……) 漸くそれが見えてきた。でもまだ自分はそこには届かない。 (なら私が今表したいのは何だろう?) ゆっくりと両手を正面に伸ばして深呼吸。 (あ、雨の匂い……) 霧雨が降り出した。降り注ぐ雨音。 ファラーシャの袖が舞う。天儀の舞いのように。 自身を囲む世界の音を聞くように耳を心を澄ます。 サフィリーンは静かに舞い始めた。 |