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■オープニング本文 ● 「土地神様お願いです……。私の命でどうか皆を助けてください」 朱藩、牧原には『姫藤』と呼ばれる神木がある。 姫藤は町の守り神と言われ、こんな言い伝えがあった。 それはまだ牧原が小さな集落だった頃の話だ。突如アヤカシが現れ牧原を荒らして暴れまわった。ちょっとした腕自慢などなんの役にも立たず、人々はただ逃げまどい隠れることしかできない。 追い詰められた人々は領主の屋敷の蔵に隠れる。息を潜めアヤカシが去るのを願ったが、願い空しくアヤカシに見つかってしまう。ゆっくりと蔵に迫るアヤカシの姿にもうだめか、と絶望が人々を襲った時、領主の娘紫々姫が外に飛び出し土地神に願った。「私の命を捧げます。どうか皆を助けてください」と。その願いを土地神は聞きとげる。人々は助かり、願いの代償として紫々姫は命を落とした。だが人々を助けるために命を捧げた幼い姫を哀れに思った土地神が、姫の魂を藤の樹として蘇らせたという。それが姫藤である。 そして姫藤は今も牧原を見守っているのだ。 そのような言い伝えがあり、守り神や災厄除けの意味も込めて牧原には藤が多い。そのため普段は旅人もあまり訪れない静かな町だが、藤が咲く季節だけは花見客で賑わった。 特に姫藤を祀る藤浪神社で行われる藤姫祭りは、盛大で朱藩だけではなく諸国からも客が来るほどだ。 藤姫祭りは命を賭して人々を救った姫の魂を慰めるために始まったと言われている。鎮魂際と言うと大仰だが、要は皆で遊びたい盛り亡くなった姫と楽しく遊びましょうといった趣旨の祭りで、毎年町民総出で綺麗に着飾り歌ったり踊ったり賑やかに過ごすのが恒例だった。そうしているとその賑やかさに誘われた紫々姫が、知らないうちに皆に混ざって遊んでいるそうなのだ。たとえ姫をみつけても、その正体を言わないのが決まりである。 それが近年、その祭りの華やかさと町に咲く藤の見事さから外からも人が来るようになり次第に規模が大きくなっていったのだ。 現在、藤浪神社は明日から始まる藤姫祭りの準備で、人が右に左にてんやわんやの大騒ぎである。 社は年末の大掃除以上に磨かれ、藤の造花や五色の布で美しく飾られる。藤姫が満足して帰る際に灯りが点くといわれている参道に並ぶ灯篭も造花で飾られ準備は万端だ。 祭りの中心となる参道の両脇に広がる藤棚には見渡す限りの藤が薄い紫の花房を垂らし周囲に甘い香りが立ち込めている。藤棚の下には舞殿が建てられ、ゆっくり花や踊りなどを楽しめるように緋毛氈をかけた腰掛が並べられた。屋台も多く並び、気の早いところは料理の仕込みに入っている。 「父様、姫藤様の注連縄は準備できた?」 藤浪神社の巫女、飛香は神主であり父である顕家の部屋を覗きこむ。 「ああ、そこに置いてあるから取り替えてきておくれ」 「はぁい」 黒塗りの盆ごと真新しい注連縄を持ち、神木姫藤のもとへと向かう。姫藤は藤棚から少し離れた拝殿の横に咲いている。 飛香は姫藤に一礼すると、「失礼します」と声をかけ古い注連縄を外す。そして新しい注連縄を巻く。 「あれ……」 幼い頃から慣れ親しんだ姫藤に違和を覚えた。いつもと違う、少しばかり目の奥が痛くなるような……。 「なんだろう?」 一歩、二歩下がって姫藤を眺める。樹齢はいかほどになるのか飛香は知らないが、今は盛りとばかりに咲く藤棚の藤に比べれば花は房も小さく控え目だ。だが飛香はその楚々とした雰囲気を好ましいと思っている。そのようなところもいつもと変わらない…はずなのに、なにかおかしい。 「ん〜」 首をかしげながらくるりと木の回り一周。そして気付く。木の根元にある瘤。大きさにして飛香の拳、二つ分ほど。 「とりあえず父様に報告して、祭りが終わったら植木屋さんに来てもらおう」 何時の間にできたのだろうか。古い木にそのようなものがあるのは珍しくもない。だがこれは大切な町の守り神、何かあっては困る。 「それでは明日のお祭り楽しんでくださいね」 飛香は姫藤に一礼するとその場を去って行く。 去り際瘤がまるで生き物のように脈打ったことには気付かなかった。 ● 翌日早朝、飛香の神楽舞いで紫々姫祭りが始まる。祭りは例年以上の賑わいを見せ、神社は多くの人で賑わった。 夕方近く、飛香が奉納された神酒を姫藤へと持っていく。 「瘤…少し大きくなったのかしら?」 神酒を藤に捧げてから瘤を確認する。心なしか瘤が大きくなっているように見えた。それになにやら寒くもないのに鳥肌が立つような気配も。 「ちょっと気持ち悪い…な」 そういえば…と思いつく。祭りの客に開拓者もいたはずだ。お願いしたら見てもらえないだろうか、と。 いきなり瘤に浮かぶ真一文字の切れ目。そしてその切れ目が薄らと開いた。 「ひっ…」 思わず息を飲む飛香。そこに覗いたのは血走った大きな目玉だったのだ。その目玉に睨まれた瞬間、飛香は体が硬直し動けなくなった。ぬるりと瘤の付け根か伸びた蔓が飛香の腕に巻きつく。 瘤がみるみる大きくなっていく。その瘤に浮かぶ無数の目玉。 「きゃああ…」 飛香は悲鳴をあげた。 ● 祭り会場に飛香の悲鳴が届く。 「アヤカシだ!アヤカシが現れたぞ!!」 「神木に取り憑いたアヤカシに飛香が捕まった!」 叫びながら参拝客が逃げてきた。 |
■参加者一覧 / 阿弥香(ia0851) / 篁 光夜(ib0370) / 井藤蘇芳(ib8286) / 綾瀬 一葉(ic0487) / 天津律(ic0552) / メイプル(ic0783) / 香取・綺麗(ic1477) / 甕星 ケイト(ic1541) / ベル=アシュト(ic1545) / ヘイゼル(ic1547) |
■リプレイ本文 ● 牧原に着いた井藤蘇芳(ib8286)は町全体を包み込む甘い香りに気付く。それは五月のうららかな日差しに相応しい丸み帯びた香りだった。 香りの正体はすぐに知れる。藤の花だ。垣根の上から覗く藤棚、玄関前の陶器製の大きな鉢植え、門の代わりに緩やかな曲線を描く株、町のいたるところに咲いている。丹精込めて手入れをされているのだろう、どの藤にも重たそうな花房が揺れていた。 それにしても昼間だというのに人通りが少ない。五月晴れの午後、外で遊ぶ子供達や買い物に行く女たちの姿をあちこちでみかけてもいいはずなのに、通りは不思議なくらい静まり返っていた。 歩き通しで額に浮かんだ汗に心地よい風が吹く、甘い香りに乗って遠くからお囃子が聞こえてきた。 「もう始まってるよ」 「お姉ちゃんが準備遅いから」 「ちゃんと草履を履きなさい」 口々に言いながら三人の子供達が井藤の前を駆けて行く。背で金魚の尻尾のようにゆらゆらと揺れる赤い帯、頭には藤をあしらった髪飾り、紅をさしている少女もいた。 「今日は何かのお祭りかな?」 突然話しかけられた子供達は目を丸くし驚いたが、井藤が旅人だと気付くと途端に笑顔を浮かべる。 「そうだよ、今日は神社で藤姫さまのお祭りなの!」 「藤姫さまはね町を守ってくれたすごいお姫様なんだよ」 「神社の藤棚は町で一番なんだから」 これまた口々に言い出す子供達は、皆どこか得意そうであった。 「お祭りはどこの神社であるの?」 「藤浪神社よ。大通りをまっすぐ行くと……んん?」 背伸びして神社の方角を指した少女が一歩下がる。そして右手と左手で額縁を作ってその中に井藤を収めた。 何かを見定めるように少しずつ額縁の角度を変える。 「若草に葡萄色の帯がきれい」 突然少女が言う。何事か、と首を傾げたが自分の巫女装束の帯の事だと井藤が気付く。 動きやすい七分丈の白地の着物に深草色の袴、少々古風なつくりであるがこれは里を出る際に長老から渡されたれっきとした巫女装束である。着物の襟元の幾何学文様は草木の汁で描かれており、大地の精霊に加護を得るとも言われていた。 「あれ…これ、真っ黒じゃない。お星様がチカチカしてる。夜の空みたい」 別の子が井藤の杖を覗き込む。覗き込んだ子供の身長よりも大きい落ち着いた黄金色の杖の先端には黒い宝珠があしらわれている。宝珠の中に輝くのは天の星を模したもの。いわば井藤は小さな天体を手にしていることになる。これも里を出るときに長老から渡されたものであった。 井藤は子供のすることだとその様子を見守っていた。女の子ならば装束や小物などに興味があってもおかしくはないと思ったのだ。 「お祭りにはみんなうんとお洒落していくの」 一番年嵩の少女が戸惑った様子の井藤に説明する。そして持っていた造花の藤を井藤に差し出した。 「これ上げる」 井藤に藤を手渡すと子供達は満足したのか「お祭りに来てね」と手を振って去っていく。あっという間に小さくなっていく子供達の背に元気だね、と笑みを零す。 「……お呼ばれしたことだし、後で行ってみようかな?」 手の中の藤が揺れた。 午後になり藤浪神社は一段と客が増えていた。行列が並ぶ屋台もある。 「ジンジャ=シュライン、異国の教会って奴だ」 朱塗りの鳥居を見上げるベル=アシュト(ic1545)。陽光に眩しそうに細められたベルの黄金の双眸に走る縦に細い瞳孔は爬虫類の鋭さを思わせた。それもそのはず彼女は蛇の獣人なのだ。 だが彼女が少々浮いているのはその人とは異なる目が原因ではない。その身に纏う漆黒の衣のせいだ。流れる髪は頭巾で隠し、首元から足首まで飾り気のない黒衣が覆う。凡そ覗く肌は顔だけ、手すら白い手袋に覆われている。遠い異国、ジルベリア神教会のシスターが身につける修道服。胸元に銀製の御印が揺れ、頭巾の正面にも同じ意匠の刺繍が施されていた。 本来禁欲的であるはずの修道服だが、無駄を省いた簡素な造りが逆にベルの身体の凹凸を強調し彼女を魅力的に見せる。 「まずは神さまに挨拶かな?」 声にベルが振り向く。隣にベルと変わらない身長の青年が立っていた。陽光を浴びて煌く銀髪、狩衣は染み一つ無い柔らかな光沢を持つ白。腰に差した黒柄の刀だけが異質だった。 まるで自分とは対照的な姿にベルは思わず口笛を吹く。 「こんにちは、ボクは香取・綺麗と申します」 口笛に気を悪くした様子も無く 香取・綺麗(ic1477)が人の良さそうな笑みを浮かべる。 「私はベル=アシュト、ジルベリア神教会のシスターだ。尤もお世辞にも褒められた素行じゃないけどね」 見ての通り、などと肩を竦めると香取が小さく噴出した。 「ボクは神社の跡取りなんだけど……。それにしても二人並んでいると目立つね」 ベルの冗談に気安くなったのか、香取の口調が砕けたものになる。 「構うものか。祭りだ」 「それもそうかな。ボクは今から神さまに挨拶に行くのだけど、ベルさんもどう? あ、でも……」 「異国の神に向ける敬意の持ち合わせくらいあるさ。我が主もそれくらい許し給うよ」 異教の神へ参るのは禁忌だろうか、と心配する香取に唇の端を上げてみせた。 濃紫から淡い紫への色の変化、瑞々しい若葉の下、垂れ下がる花房は見事として言いようがなかった。常ならば甘い蜜を目当てに蜜蜂も飛んでいるのだが今日ばかりは祭りに遠慮してか姿が見えない。 春めいた色合いが多い中、引き締まった長身に炎を思わせる鮮やかな紅の髪を持つ篁 光夜(ib0370)は目を惹いた。篁はとある用事で出向いた先、偶然この祭りに立ち寄ったのだ。 髪と同色の首元まで閉められた泰国装束。その上に羽織るのは金で縁取られた袖なしの上着。陣羽織を思わせる厚手に織られた布が歩くたびに揺れる。 目の前にまで垂れた藤を一房手に篁は目を細めた。しっとりとした花は肌に心地よい。 「綺麗なもんだな」 「わあ…綺麗だなあ」 篁の言葉に異口同音とまではいかないが、若々しい青年の声が重なる。顔を見合わせる二人。 「あ……あの……」 天津律(ic0552)の頭の上、耳が忙しそうに揺れた。 「妹にもみせてあげたいなあって」 天津が頭に手をやると、胸の上で濃藍の飾り紐についた金色の玉が揺れる。 白地に雨の雫もしくは大地から萌え出る芽を模したかのような水色の模様が染め抜かれた狩衣は神職だと言われても納得してしまいそうな清浄さを讃えている。更に狩衣の下、藤色の着物が彼をこの場に溶け込ませていた。 だが天津は神職ではなく、ちょっと小金を稼ぐために屋台のお手伝いをしている開拓者である。 「おぉい、律! 手伝ってくれー」屋台から助けを求める声。 「あ、はぁい! 行きます」 答えると篁にぺこりと頭を下げて天津が駆けて行く。薄紫の帯がひらひらと靡いた。 天津を見送った篁は再び藤を見上げる。 「本当に……」 綺麗だった。 「あいつも連れてきてやればよかったか」 妹にも見せてやりたいと言っていたあの青年ではないが、思い浮かべるのは妻の笑顔。妻もきっとこの藤を見たら喜ぶだろう……と、そこまで思って唇が苦笑を零す。 「また連れて来てやればいい、か」 何も今年が終いというわけではない。来年また妻と此処に花を見に来ればいいのだ。 舞台では子供達のお囃子が終わったところだ。 「とっても可愛かったの」 メイプル(ic0783)の惜しみない拍手に嬉しそうに頬を赤らめる子供達。 「少し高めで独特なメロディなのね」 どんな踊りが似合うかな、と尻尾を揺らしながら軽くステップを踏む。動くたびに腕や手に巻いた金細工の飾りが触れ合って涼やかな音を立てた。 「お姉さんは、舞台で踊らないの?」 子供の一人が尋ねる。お姉さんの踊りがみたい、と。 「誰でも舞台で踊っていいの?」 尋ねるメイプルに頷いた子供が、「飛香お姉ちゃん」と通りかかった巫女を呼んだ。この神社の神主の娘であった。 「はい、申請いただければどなたでもお使いいただけます。ぜひともどうぞ」 「じゃあ一曲踊ろうかしら」 予約表を抱える飛香にメイプルは名前を名乗った。 綾瀬 一葉(ic0487)はとある屋台の前で足を止める。幟を見上げる視線はどこか眠たそうだ。いや視線だけではなく、着崩した着物は胸元が肌蹴、羽織は肩ではなく腕にひかかっているといった有様。全体的に緩い雰囲気である。だがまっすぐな癖のない艶のある黒髪に、染み一つ無い白い肌のためか、決定的にだらしがないようには見えず、それどころか人によってはそこはかとなく漂う色気を感じることもありそうな風情だ。 浮世離れした麗人と物臭の境界、そんな印象だった。そして腕には屋台で買い込んだ食糧。 「藤飴?」 翻る幟の文字を読む。声ものんびりとしていた。藤飴とは、なんてことはない林檎飴の葡萄版だ。 「葡萄飴じゃ……」 そんな独り言に屋台の親爺が「こうしたら藤に見えるだろう」と葡萄飴をまとめて掴む。確かに遠目には藤に見えなくも無いような…といったところだ。 「じゃあ、それを一つお願いします」 綾瀬は藤飴を舐める。薄い飴は直ぐに溶けてころんと葡萄が舌の上に転がった。 「……」 葡萄を飲み込んだ後、残ったのは飴に刺さっていた棒一本。屑籠はないかと周囲を見渡す。 頭にホワイトブリム、黒のワンピースに白のフリルエプロン、所謂メイド姿の甕星 ケイト(ic1541)が目に入った。箒で塵を掃き集めている。 ケイトは神社に雇われたメイドというわけではない。ジルベリア商人の家にメイドとして仕えていた時の癖とでもいおうか、塵を見つけ気付いたら掃除をしていたのだ。メイド服も愛着のある仕事着でこれを着ていないと落ち着かないためである。当然着まわせるように数着持っていた。 「あのー、すみません。屑籠がどこにあるかしりませんか?」 黒のワンピースの裾をふわりと翻し甕星が振り返る。 「塵でしたら今から捨てにいきますので、一緒に持って行きます」 さあ、どうぞと甕星が綾瀬に手を差し出した。 「あー、でも……」 「のーぷろぶれむ、です」 「能 風呂?」 躊躇う綾瀬に対してさあ、さあと満面の笑みで迫る。結局綾瀬は謹んで棒を進呈する事にした。 「では塵捨てにごーです」 箒を振って去って行く甕星に控え目に手を振り替えす。 「あれ…」 そこで気付く。 「神社にメイド……?…………まあ、いいか」 ソースの焼ける良い匂いに引き寄せられるよう次の屋台に向かう。 「いらっしゃいませー」 天津の声が響く。袖を襷でたくし上げ、目の前の鉄板で調理の真っ最中。もうもうと上がる水蒸気に爽やかな季節だというのに額に汗が浮かぶ。 幟には『安州名物 そぉすやきそば』とある。様々な香辛料から作られたそぉすの焼ける良い匂いに多くの人が足を止める。そのため屋台はとても忙しかった。 「それにしても…いないなあ」 背伸びし人の群れに天津は双子の妹の姿を探した。でも妹の姿をみつけることはできない。一緒に花をみようね、と約束したのだが、どこかに寄り道しているのだろうか? 「まあ、その内来るよね」 再び鉄板に向き合った天津に「一人前下さい」とのんびりとした綾瀬の声がかかる。 「はい、そぉすやきそばいっ ちょう、ですね」 雇い主を真似た「一丁」はかなりぎこちなかった。 「ありがとうございましたー」 綾瀬を見送った後、洗い物を頼まれた天津は食器の入った桶を抱えてあちこち彷徨い歩く。手水舎の裏手に井戸があると聞いたのだが見つからないのだ。 「あれれ、迷ったのかなあ?」 「迷子さんですか?」 突然背後から掛かった声に天津は耳をピンと立ち上げて驚いた。 「そーりー。驚かせてしまいましたね」 箒を手にしたメイド甕星である。 「剃り……?」 「洗い物ですか? なら私にお任せですよ」 こう見えても得意なんです、と胸を叩く。祭りに来たはずなのに気付けばメイドとして仕事をしていた。習慣とは怖いものだ。 「でもこれはボクの仕事だから……」 「おーけーです。では私はお手伝いということで」 洗い場まで案内します、ごー!と甕星が手を上げた。 (それにしても神社にメイドさん?) 天津が内心首をかしげる。 「先ほどからお手伝い頂き申し訳ございません!」 飛香がしきりに甕星に頭を下げる。ぶんぶんと頭を下げる音が聞こえてきそうな勢いだ。 「大丈夫です。もうこれは癖ですから」 笑顔で箒を動かす甕星。ずっとあちこちの手伝いをしているらしい。 「でもお祭りを楽しんできて……」 掃除は私が、と飛香が箒を掴んで驚きで目を丸くする。 「重たい……」 「これは普通の箒ではないのです」 いざとなれば武器にもなる刃が仕込まれている箒なのだ。戦うメイドさんである。「飛香ちゃーん」と呼ぶ声がする。 「呼ばれてますよ、掃除は私がやるのでいってらっしゃいませー、お嬢様」 「……ではお願いします。あと、それ違うと思います」 飛香が走り出す。途中袴を踏んづけてつんのめり、最後は袴をたくし上げて走って行く。巫女いや年頃の娘としてどうなのか、という姿だが地元の人々は見慣れているのか別段咎める様子もなかった。 「おじちゃん、飴一つもうらうよ」 藤飴をぱくりと咥えて阿弥香(ia0851)は藤棚を見上げる。旅の途中、祭りの噂を聞き興味を惹かれやって来た。 少し手を伸ばせば届きそうなほど花房は大きく垂れ下がっている。 「見事なもんだよなー」 船仲間や友人にいい土産話ができそうだ、と目を細めて笑う。 「それにしても……」 阿弥香の目の前を走り抜けていく飛香。先程よく見かけるが、どうにもこうにも動きががさつで楚々と神楽を舞うよりも木登りなどが似合いそうなお転婆娘といった感じの巫女だ。 「なんか、どっかで見たような行動してるよなー」 ぼそっと呟く。多分此処に船仲間か友人がいれば「お前が言うな」ともれなく突っ込みをいれられたことだろう。 もっともどこかで見たような、とか言いつつ阿弥香自身も他人の気がしないなどと思っているのだが。 用事を終えて飛香が戻ってくる。何かに気をとられた拍子に自身の右足に左足を引っ掛け体勢を崩した。 「あ…」 と思ったときにはもう遅い、そのまま顔面から地面に勢い良く吸い込まれ――る寸前のところで阿弥香が手を出し支える。 「大丈夫か?」 「ありがとう……っ?!」 阿弥香の腰の飾り帯につけられている装飾と目が合い飛香が言葉を飲み込んだ。 「これはマンボウっていうんだ」 阿弥香が帯の飾りを指で弾く。この度新調した黒地に赤で縁取られた狩衣にはマンボウだけではなく、帯には蟹や、貝、止め具には鰯、とんぼには紫に染色した巻貝、肩には海老、とさながら小さな水族館のように海の生き物を題材にした装飾が施しているのだ。更には止めと言わんばかりの貝をあしらった髪飾り。 陰陽師である阿弥香が召喚する式にも昆布やマンボウなど海産物が多い。この狩衣は言わば阿弥香の術を体現した勝負服でもあった。 「マンボウ?」 「海にいて大きいんだぜ」 飛香を立たせてやるとぐいっと両手を伸ばす。 「海! 海ってどんなところ?」 飛香が目を輝かせる。生まれてこの方、海をみたことがないらしい。 「海ってのは見渡す限りの水で…!」 阿弥香が身振り手振りを交えて海について教えてやる。 こうして祭りはにぎやかに進んでいった。だが日が傾いた頃……。 「え、今のは」 天津の耳がぴくりと揺れた。やきそばをひっくり返していた手が止まる。 空耳では無い奥から聞こえる悲鳴、逃げてくる人々。「アヤカシだ」という声。 「おじさんも逃げて! ボクは様子を見てきます」 雇い主に告げると天津は拝殿へ向かい走り出した。 (ボクだって開拓者の端くれなんだし……) 困っている人がいたら助けないと! 人混みをさけ隅の石垣に腰掛けた綾瀬は欠伸を一つ漏らした。噛み殺す真似すらしない。目尻に浮いた涙を袖で拭い、買い込んだ食べ物を口に運ぶ。 「んぐ?」 たこ焼きの楊枝を咥えたまま、慌てた様子で目の前を走る人々を見送り、それから彼らが走ってきたほうへと顔を向けた。 逃げろやなんやと騒ぎ声。考えるまでもなく何かが起こったらしい。 口に含んだたこ焼きを飲み込むと「よいしょ」と立ち上がる。 「何でこんな面倒くさいことを……」 やれやれ、と肩を軽く叩き綾瀬は歩き出した。 鳥居の前までやってきた井藤は神社の騒ぎに目を瞠った。 「どうしたの?何の騒……っ」 逃げ惑う人々、泣いている子供どうにも様子がおかしい。 「アヤカシ?」 耳に届いた単語に井藤は人波に逆らって進む。神社内は混乱していた。 (まずはお客さんを逃がさないと……) 手を貸してもらうために社務所へ向かう。 (アヤカシの対応は……) 「落ち着いて逃げろ。子供の手はしっかりと握って離すな」 赤い髪の長身の男が人々に声を掛けながら奥へと向かっている姿が見えた。その男以外にも人の流れに逆らって進む者が複数いる。どうやら自分以外にも動ける開拓者がいるらしい。 ならばまずはアヤカシは彼らに任せ自分はこの混乱を収めるべく動くべきだと井藤は判断した。 ● 喉に絡みつく濃厚な甘ったるい香が漂う。 よりにもよってアヤカシは拝殿横、神木の姫藤に取り憑いたのだ。長い間町を見守ってきた藤の幹に無数の目が浮かぶ子供が屈んだほどの醜悪な瘤が寄生していた。 そして飛香が姫藤とともに蔓に囚われている。 「逃げてっ!」 飛香が叫ぶ。その声で呆然としていた人々が我に返った。 人々が逃げ惑う中、アヤカシに睨まれた子供が動けなくなる。 「お祭りって聞いたから楽しみにしてたのに…さっさと片付けちゃわないと遊べないわ」 くるり、くるりと舞うようにメイプルは蔓の攻撃をかわし子供を庇うように前に出た。 「視線に気をつけろ」 篁の鋭い声が飛ぶ。 「痛いのは好きじゃないんだけど。ほら、猫の手もかりたいっていうじゃない?」 ね、と固まった子供に向けておどけて尻尾を揺らす。そしてアヤカシの気をひくために衣の裾を翻し華麗にステップを踏む。 焦る人を落ち着かせるために、敢えて余裕があるように軽口に笑顔を浮かべているが実際のところ慣れない戦闘に目に見えるほどの余裕はなかった。それでも子供は頼もしい開拓者がいると安心したようである。 だが緊急事態に冷静に行動できる者などどれほどいるだろう。誰かが上げた悲鳴がたちまち伝染し瞬く間に混乱は広がっていく。 そのうち一人の女が蔓に足をとられ転ぶ。蔓はずり、と力任せに女を引いた。 女は必死に玉砂利を引っ掻くがアヤカシの方が力が強い。次第に女がアヤカシへと引き寄せられていく。 「『祈れ』そして『悔いよ』。尤もアヤカシ相手じゃ無理な話か」 落ち着いた女の声に続くのは空気を轟かせる銃声。蔓が弾け飛んだ。 「神の御前にアヤカシが居座るってのは面白くない」 漆黒の銃を構えベルが人の群れから一歩進み出る。 「神への献花に虫が付いてるってのも宜しくない」 更に新たに伸びた蔓が女に届く前に飛び散る。銃口から白煙が立ち上がる。 「駆除してやらないとな」 ベルが銃の照準をアヤカシに合わせた。 (藤……) メイプルの脳裏に浮かぶ誰か。 (彼も好きなのよね…あまり傷つかないといいけど……) 「立てるか?」 篁が倒れた女を助け起し、逃げろと背中を押した。 「まっていて。必ず助ける!」 香取の言葉にアヤカシに囚われた飛香が気丈に頷く。だがぐっと横に引き結んだ唇の奥で歯が鳴り、身体が震えていた。 香取が腰を落とし、柄に手を添え撓る蔓を一閃。 「まいったな…これは大変だ」 だが顔を正面に向けたまま、視線だけを周囲に巡らせて溜息を漏らす。その言葉にベルも同意した。 「気持ち悪い瘤が…」 甕星が箒を握り締め身を震わせる。だが「倒せばおっけーですね」と怯んだ様子はなさそうだ。構えた箒はぴたりとアヤカシを捉え、微動だにしない。 「あたしの術で一時的にアヤカシの動きを封じる事はできる……でも」 符を指に挟んだ阿弥香がやはり周囲を見渡す。まだ周囲に人は多い。開拓者でアヤカシを囲み攻撃を抑えている現在、避難誘導のために抜けてしまうと蔓が人々を襲う可能性が高くなる。 しかも戦えば巻き込んでしまうかもしれない。 「多少乱暴な手段だが仕方ない」 ベルは空に向け空砲を一発。 「怪我をしたくないなら、早く此処から離れるんだ」 それなりに効果はあった。だがそれでも混乱は収まらない。 案の定、拝殿そして近くの社務所はアヤカシの出現に大混乱だ。 「落ち着いて! まずは貴方方が落ち着かないと」 井藤が杖で社務所の床を叩く。注目が井藤に集った。 「アヤカシは開拓者が対応してる、だから此方は皆の避難を優先しよう」 幾人かずつ班に分けて、やることを指示していく。 「……最後の班は藤の周辺に人が立ち入らないように縄を……」 「奥の本殿にまだ神主が……」 一人が訴える。 「奥に?」 早く助けに行くべきだろう。避難誘導と神主どちらを…と思っていた時に一人の青年が目に止まる。 「ボクは開拓者です。はやく離れてください!」 泣く子供を抱きかかえ必死に声を張り上げている天津だった。 「貴方は?」 「巫女の天津 律です。皆さんの避難を……」 「巫女……! 丁度良かった。手を貸して欲しい」 井藤は避難と怪我人の治療を天津に任せ、本殿まで神主を助けに向かう。 開拓者とアヤカシ、続く両者の睨み合い。周囲には逃げ遅れた人だけではなく、酒の力も手伝ってか何故か野次馬までやってきている始末。 もう一度脅すべきかとベルが引鉄に指をかけたとき、禰宜達を連れた天津が現れる。 「皆さん、大丈夫です! 指示に従って慌てず逃げてください」 天津は避難を呼びかけつつ、藤周辺に人が立ち入らないように半ば強引に縄を張っていく。そして禰宜たちと共に人々を拝殿から遠ざけるように誘導していった。 「よし、これで行けるぜ」 阿弥香が符を閃かせた。 ……と、人々の避難が完了したことにメイプルがほっと安堵した瞬間、深く甘い香りを吸い込んでしまう。 「あ…れ?」 ふらりとよろけた。頭が重たいというのに、なぜか足元はふわふわと浮いているようだ。 「私……何をしていたのだっけ?」 霞がかかってしまったかのように深く考える事ができない。それでも……と考えようとした時に……。 『……』 名前を呼ぶ優しい声。メイプルは耳を疑った。それは此処にはいないはずの、先程脳裏に浮かんだ――彼女の恩人で飼い主でそして大切な人の声。 「どうして…っ!!」 顔を上げた途端、メイプルは息を飲んだ。 布団に寝そべったその人が、肘掛に手を置き身を起こし、煙管をゆらりと揺らして自分を招いているのだ。 「ちょ…っと…ど、ど…ど ど……?!」 あまりの事態に言葉が追いつかない。肩に流れる桃色の髪、着物の襟元は大きく開き鎖骨が覗いている。そして浮かべる笑みは妙に婀娜っぽい。そんな彼がメイプルを手招く。 「わ、わ……」 ボンと弾けたように耳まで熱くなる。 「だめなの…」 と、顔を覆ったところでポンと肩を叩かれた。そこで我に返る。 「ぼんやりしていたけど、平気かな?」 何時の間にやら神主の救出を終えた井藤が皆に合流していた。 「え…えぇ……」 「……顔が赤いぞ、大丈夫か?」 阿弥香が覗きこんだ。 「も、もちろんよ」 メイプルは頭をふるっと振った。 獲物を探すように前後左右、アヤカシの目玉が一斉に動く。そして視線が集中した先は……。 「きりがない、な」 蔓を切り落としたばかりの香取。いち早く目玉の動きに気付いた綾瀬が「目玉に注意ですよー」と後ろから声をかけた。 だが新しく伸びた蔓に対処するために、アヤカシへと向き直ってしまう。 「……なっ!」 視線が刃をもっていたら香取は体の芯を貫かれたところであろう。強い圧力が香取を襲う。針で四肢を張りつけられた標本のように身じろぎ一つ取れなかった。 「仕方ない」 綾瀬は前に出ると香取に解呪を施す。 「よし、じゃあ後ろにもど……わぁっ」 蔓に足をとられ、すっ転んだ。見かけによらず蔓の力は強い。咄嗟に手を伸ばして何かを掴まえようにも砂利ばかり。 その伸ばした手をメイプルの鞭が絡め取る。。 「ありが……。ま…った、これ死ぬ、から、絶対に死ぬ……」 蔓とメイプルの綱引きならぬ綾瀬引き。 「メイドの仕事はお掃除ですよー」 戦うメイドさん甕星が槍の先が煌く箒を振り下ろした。綾瀬の足を捉えていた蔓が瘴気となって消える。 「助かったー……」 「近づくにはまず目をどうにかする必要があるな」 ベルの銃弾が目を穿つ。だが潰れた目はすぐに再生してしまう。 篁が注意深くアヤカシを観察する。目は一見ばらばらに動いているが、力を発揮する時は皆同じ動きをする。どうやら同時に複数の人間を捕えることはできないようだ。 (どこかに中心となる目はないのか……) 円を描くようにアヤカシの周囲を回る。 「目を隠しちゃうってのはどうかしら?」 メイプルが羽織を手に持つ。 「じゃああたしがアヤカシを絡め取るからその隙に」 頼んだ、と阿弥香が放った符が宙で形を失い姿を変える。 後に幾人かはその時潮の香りを感じたと言う。符はツヤツヤと分厚い葉を持つ立派な昆布となってアヤカシに絡みつく。アヤカシの昆布締め。 それでもうねる蔓を甕星が箒でまとめて押さえ、残りはベルが根元から吹き飛ばした。 メイプルがアヤカシに飛び掛りすっぽりと羽織を被せる。 「今のうちに助けてやってくれ!」 阿弥香の言葉に答えるように香取が雄叫びを上げて飛び出した。狩衣から覗く腕には筋が幾本も浮かび上がっている。その迫力にアヤカシが一瞬怯んだように見えた。 「少し痛いかもしれないけど」 香取は飛香を絡め取る蔓を掴むと気合と共に左右に引っ張る。そして力任せに引き千切った。 「巫女は任せな」 蔓から解放され、崩れ落ちる飛香を回り込んだベルが抱き上げ後ろに飛ぶ。そして背後で待つ井藤に飛香を託し再び銃を構える。 「怖かったね。よく、頑張った」 飛香を落ち着かせるため背中を軽く叩きつつ怪我が無いか井藤は確かめた。手首にアヤカシに巻きつかれ鬱血した痕があるが、それ以外は大きな怪我はしてなさそうである。 (ここだっ) ベルと入れ替わるようにアヤカシの懐に篁飛び込む。香取が蔓を引き千切ったとき、その勢いでアヤカシ本体が藤から僅かに浮いたのだ。そこを狙い拳を捻り込んだ。 めり、と音を立てアヤカシが粘着いた体液の糸を引きながら藤から引き剥がされる。体液が不自然な動きをする。 「何か変ですね……っ! 気をつけてー」 それに気付いた綾瀬が声を上げる。刹那、体液は根のような白い触手へと変化した。蠢き藤いや篁へ向かう。 咄嗟に井藤が杖を掲げた。アヤカシを捉えた右目の虹彩が広がるように橙から碧へと変化する。杖の上に浮かぶのは右目と同じ碧の炎。 「姫藤さまを……」 慌てる飛香に井藤は首をゆっくりと振る。 「大丈夫、藤への影響はないからね」 杖を振るうと碧の炎が飛ぶ。 「人質はなくなった。遠慮なく、焼き尽くさせてもらうよ」 炎が白い触手を焼き、アヤカシ本体がごろりと砂利の上に落ちた。拍子に羽織も地に広がる。 ● 「他に怪我をされた方はいらっしゃいませんか?」 神社鳥居前、全員の避難を終了させた天津は怪我人の治療中だった。 幸いというべきか、アヤカシによる怪我はなく、多くが逃げる途中に転んだとかぶつかったとかで、社務所から持ち出した救急道具で事足りる程度のものが多い。 「すみません……」 年老いた男が抱きかかえられて天津の前に連れてこられる。見れば右足首がパンパンに腫れあがり脂汗を浮かべていた。老人を抱きかかえてきたのは家族だろうか。心配そうな表情で、二周り以上歳下と思われる天津に縋るような視線を向ける。 天津は心の中で一度深呼吸をすると、心配させぬよう笑顔を浮かべた。 「ボクの得意とするところは治癒ですから」 手を腫れた足首に当てる。天津が意識を集中させ何事か口内で唱えると二人の身体が淡い白に輝いた。 「おぉ……」 老人から感嘆の声があがる。腫れはすっかり引いていた。 「ではボクは皆さんの手伝いをしに……」 アヤカシとの戦いに行こうとする天津の着物の裾を誰かが握る。そこには不安そうな顔をした子供達がいた。 不安そうなのは子供達だけではない。大人達も町中にアヤカシが現れたという事態に動揺を隠せないでいる。 (そういえば……) 昔話とはいえ、アヤカシに襲われたという伝承がある町であった。皆不安なのだろう、と。 「皆大丈夫だ。姫藤さまもいらっしゃるし、何より開拓者さん達が頑張って下さっている」 娘が心配だろうに、神主顕家がそれでも皆を落ち着かせようと話しかける。 「はい、アヤカシから人々を守るのがボクたち開拓者の役目ですから。それに皆さんの事はボクが守ります」 怖くないよ、と子供の頭を撫でてやる。どうやら此処から動く事はできそうにない。 奥へと視線を向けた。 (皆さんお願いします……) ● 「木に生えてようが幹に生えてようが、目玉は目玉だ。ああいう目玉が大好きな式が世の中にはいるんだぜ?」 阿弥香の手のうちで符が翻る。 「来い! 眼突鴉!」 途端カアッとしゃがれた鳴き声とともに烏がアヤカシへと飛来し目玉を抉った。 「……とは言え、厄介だな」 本体を狙いたいのだが目玉に阻まれてしまう。そのため集中的に目玉を狙うが、手数が足りない。 「次から次へと……早くお掃除されてくださいです」 甕星が結んだ印を離す。掌に現れた雷の手裏剣を蔓目掛けて投げ付けた。 アヤカシにも死に物狂いという言葉があるのだろうか。あと一歩のところまで追い詰めたが地に落ちてからのアヤカシの抵抗はなかなかに激しかった。 ともすればメイプルが囚われたような幻影が開拓者達を包み込みこみ、気を抜けば視線に射抜かれ、そこを蔓で狙われる。 綾瀬の目の前にも半裸の女性たちが現れた。 「……」 だが綾瀬の反応は鈍い。妖艶な、大抵の男なら目を奪われてしまいそうな女達だというのに、まるでそれが見えてないかのようだ。 億劫そうに溜息を吐くと杖を振るう。幻は消えた。 篁が蔓の一撃を飛び退き避けた際に跳ねた砂利がアヤカシを狙った。とっさにアヤカシが目を閉じる。 (これだ…!) 「箒でアヤカシに向かって砂利を巻き上げてくれ」 篁が何かするつもりだ、と察した綾瀬が彼を後押しするために神楽を舞った。 「助かるっ」 短い礼の言葉と共に篁が地を蹴り飛ぶ。 「……?! お、おーけーです」 再び召喚された眼突鴉の背後から甕星が飛び出して、箒を力いっぱい振るった。巻き上がった細かい砂利がアヤカシを襲う。砂利から目を守るためにアヤカシが反射的に目を閉じた。 「我が銃弾は神の雷であり鉄鎚。私は天の裁きを代行するっ」 篁の飛び込みにあわせてベルの銃が続けざまに火を噴く。 飛び出した勢いをも利用して篁は拳をベルの銃弾が抉った痕に叩きつける。 アヤカシが瘴気となって溶け出した。 脱力した飛香を井藤が支える。 ● 空が夕焼けに染まる頃、祭りは再開した。 「塵は屑篭にですよ、あんだーすたん?」 甕星が投げ捨てられた塵を拾い上げる。やはり汚れが気になり気付けば箒を動かしていた。 「甕星さん、掃除は私たちがやりますから」 「大丈夫です。掃除は私に任せて飛香さんは少し休んでくださいです」 飛香の背中をやって来たメイプルへとぐいぐいと押しやる。 「そうね、少し休憩しましょ」 メイプルが床几に飛香を座らせると桜湯を差し出す。あれから飛香は祭りを再開させるために泣き言を言わずに精力的に動いた。周囲もアヤカシに襲われた巫女自ら頑張っているのだから、と引っ張られたのだ。 桜湯を一口、ほっと息を吐く。 「お祭りの続きを楽しめそうで良かったわ」 「開拓者の皆さんのご協力のおかげです」 ありがとうございます、と頭を下げる飛香にメイプルは話題を変えるように手を叩いた。腕輪の鈴がちりちりと可愛らしい音を立てる。 「そうだ、今から私が踊るから応援よろしくなの」 もちろん、と頷く飛香にメイプルはウィンクを投げた。 「せっかくだもの、楽しんでいかなきゃね」 「此処の神は皆に愛されているな」 ベルが飛香の元へとやって来る。 「なあ、藤姫の話をしてくれないか?」 断りを入れ隣に座ると、飛香の背後へと視線を向けた。 「もちろん、そっちの神の話もだ」 呼び止められ、香取が立ち止まる。 「……なんだか」 ベルはそれぞれを順繰りに見る。 「ジルベリアのシスターとジンジャ=シュラインの跡取りに巫女、和洋折衷、奇妙な国際交流だな」 少し呆れたような口調で言ってから肩を揺らして笑う。それにつられて二人も笑った。 「でも、ま、悪くない」 人の輪をようやく抜け出した天津は妹を探して神社をあちこち歩き回り、鳥居まで戻ってきた。 「実は迷子だったり、とか……」 心配だなあ、と思っていたところ呼ぶ声が耳に届いた。妹だ。 「おーい!」 妹に向け大きく手を振る。 「今から踊りが始まるから早くおいでー」 舞台にメイプルが上がる。観客に向け両手を広げ優雅に一礼。 シャンと左右の腕に巻いた鈴を合わせ、爪先を鳴らすと子供達が陽気な祭り囃子を奏で始めた。 体を弓のように反らし、手を掲げ伸び伸びと踊り出す。 初めて踊る異国の曲。右に左に自在に飛び跳ね、くるくる回る。 メイプルの体を飾る装飾が篝火を受け淡く輝き、光沢を持つ宵闇を思わせる衣に光が反射し天の川のように煌いた。 優しい茶色の髪が光を透かし蜂蜜のようにふわりと広がる。 まるで自身が光に包まれているような光景に観客から溜息が零れた。 井藤は昼間出会った子供達に引っ張られ参道に。まもなく日が沈む。 「藤姫さまは帰る時にお祭りのお礼に灯篭に灯をつけてくれるの」 その瞬間がとても綺麗だ、と子供達は楽しそうだ。 見渡せば灯篭の影で大人達が何か準備をしている。藤姫お帰りの種明かしというわけだ。だがそれには気付かないふりで「楽しみだね」と答える。 空が次第に暗くなっていく。夕日は沈み、西の空に僅かに残る名残の赤。 ぽ、ぽ……と灯篭に灯がともり始めた。ゆっくりと鳥居から拝殿へ繋がる光の道。 最後の一つが灯るとふわりと小さな光が蛍のように飛び立った。 「蛍……この時期に?」 篁の鼻先を光が掠めていく。 「まったく…散々な祭りになってしまったが……」 終わりよければ全て良し…か、と光の行く先を視線でおいかけた。 街外れの宿、二階の川に面した部屋に綾瀬がいた。アヤカシ退治の話を聞きたいという人々に囲まれそうになり面倒ごとは御免だとばかりに早々に祭りを抜けてきたのだ。 「今日は働きすぎ……」 障子を開け放ち、川からの風を受けつつ畳の上に転がっている。 「おや……」 灯をつけていない部屋にふわりと舞い込んできた蛍。差し出した指にそっと触れるように止まり、すぐにまた外へと飛んで行った。 光は開拓者達を巡り、最後は空へと昇っていった。 「これはいい土産話ができたな」 光を見送った阿弥香の呟く。 空には星が瞬き始めていた。 |