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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ● 梅青楼での捕物劇から一夜。取調べが進むにつれ、梅の毒が思いのほか伊勢原に広がっている事が判明し始める。 ただ開拓者が入手した情報のおかげで捜査の中心となる奉行所では、内部の利用者を先んじて押さえる事ができていたのは大きかった。これで少なくとも数日は稼ぐことができる。今回の捕物も表向きは「空木屋の跡取り息子の誘拐事件」として処理をしていた。この数日で片を付けよう、と奉行所も士気は高い。 並行して空木屋の跡取り息子稔の殺害計画の取り調べも進んでいる。 「娘達を集めるのに薬を使おうって持ちかけてきたのは戸坂だよ」 梅青楼の女将に悪びれた様子は無い。 数年前、上得意に頼まれた娘が見つからず難儀していた際に戸坂から提案された、という。 旅人に扮した仲間が目を付けた村の井戸に毒薬を入れ流行病と思わせる。その後、薬と称し解毒剤を法外な値段で売りつける。当然小さな村が払えるような金額ではない。そこで代金代わりに娘達を奉公に出させる……中々に危なっかしい方法ではあったが使用する毒は致死性ではない、また旅人も毒を服用したので同じ被害者として、怪しまれる事は殆どなかったらしい。 時折、今回のように村人が様子を見に来ることもあったが、大抵相手にされない。多少騒いだところで役人にも梅青楼の利用者がいるので「娘達は奉公先で仕事に耐え切れず逃げ出した」などと大事にされることもなかった。 「だからうちに手を出したらどうなるか分かっているだろう?」 女将が小馬鹿にした笑みを浮かべる。背後に政府の高官がついている故の強気か、女将は饒舌であった。 今だ捕まらない二人のうち重要視されたのは毒を調合した戸坂ではなく、梅青楼で娘時代から客を取っていた初だ。 「初は親に売り飛ばされて来たんだよ」 角野と初はかつて恋仲だったらしい。だが見捨てられた形となり投げ遣りになっていた。 初の口癖は金持ちと結婚して好きに生きてやる、というもの。そのため彼女は器量、芸事、人間関係利用できるものはなんでも利用してきたということだ。 「息子が邪魔だったんだろう。旦那が死ねば自分は追い出されるだろうと言っていたしな」 そんな折、初は角野にいずれ穂積も殺し、空木屋の金で二人で楽しく暮らそうと持ちかけた。だが……。 「結局のところ、俺も利用されたわけだ」 角野が吐き捨てる。 初と戸坂、二人が街から出たという情報はまだ入って来てはいなかった。 ● 「奥さんの具合はどうだい?」 船宿の女将は外から戻ってきた男に声を掛ける。 「へぇ、お陰さんでだいぶ良くなってきやした」 「それは良かった。何か必要なものがあったら言っておくれ」 「ありがとうございます。あの……」 男は辺りを伺うと声を潜めた。 「そこは任せな。客を売り渡すような真似はしないよ」 女将は胸を叩く。男は何度も頭を下げつつ二階へと上がっていった。 男とその妻が宿に駆け込んできた昨夜遅くだ。なんでも妻が旅の途中いきなり体調を崩したらしい。人目を気にしているようないかにも訳ありといった歳の離れた夫婦であった。女将がそれとなく尋ねれば、「庄屋の娘と駆落ちをしてきた」と男が言う。 村に連れ戻されたくは無い。誰か尋ねて来ても自分達はいないことにしてくれと涙ながらに夫婦から頼まれた女将は、元々面倒見の良い性格も手伝って二つ返事で了承したのであった。 「まもなく街が混乱する、それに乗じて逃げ出せばいいさね」 その男、戸坂があと数日の辛抱だと病床の妻…いや初に告げる。奉行所は梅青楼の件で手一杯になるからこちらは手薄になる、と。 「角野は捕まったらしいよ」 「鈍臭い男ねぇ…」 初はさして興味がなさそうだ。 「昔は恋仲だったんだろう、少しは心配してやらないのかい?」 「本気でそう思っているの?」 「やれやれ、可哀想に角野は利用されただけか…」 「奴らだって散々私の事を利用してきたんだから…おあいこよ。貴方だって、私がいると何かと便利だから逃げるのを誘ったのでしょう?」 「まあね。 じゃあ空木屋の主人はどうなんだ? なんでも放心状態と聞くよ」 「ああ、甘ちゃんだったから騙すのも楽で良かったわ。手切れ金もたんまり頂いてきたし」 初に人を利用したことに対する後ろめたさはない。 「本当馬鹿よねぇ、騙されて利用されて…。自分のガキの頃、思い出して嫌になるわ」 (あの泣いてばかりいた娘がねぇ…) 戸坂が初の顔をしみじみと見つめた。 初が梅青楼に売られたのは五歳の頃。戸坂とはその頃からの付き合いだ。 母は酒乱の父に愛想を尽かし男を作り姿を消し、その後情人が出来た父から金欲しさに売り飛ばされた。 妓楼は女将も男衆も怖く、幼い初にとってまだ父と一緒の方がましに思えるほどに地獄のような場所であった。 それから数年、初はある客に目をつけられ更なる地獄を知る。 初めて客を取った翌日、体の中のもの全てを出すかのように一日吐き続けた。客を取りたくないと訴えても女将は取り合ってくれない。酷い時は殴られたりもした。 そんなことが一年も続いたある日、初は客の背中を見ながらふいに思いついたのだ。 (父も見世もお金のために、客は欲を吐き出すために私を利用する…) そっと客の背に寄りそう。 「旦那様、初のお願い聞いてくれますか?」 耳に唇を寄せたどたどしい言葉で囁いた。 (ならば…私も奴らを利用すれば…良い) まだ十になる前の話である。 思えば抜け忍である戸坂にとって、信じる者は自分だけという初の生き方に幾許かの共感を覚えたのかもしれない。だから何かと手を貸してやっていた。例えば邪魔者を排除する薬の都合など。 (それにしてもドジを踏んだもんだ) 今回の件で里に情報が伝わる可能性がある。 逃げる際に初に声を掛けたのも里の目を誤魔化すために女連れは何かと便利だからだ。それに初には空木屋から持ち出した金がある。どうやってあれだけの大金を持ち出せたのは不思議だが。ひょっとしたら馬鹿だと嗤われた空木屋の主人は初が逃げると分かっていて見て見ぬふりをしたのかもしれない。 (初はなんとも思っちゃいないのに甘いことだよ……尤も俺も…) 少しくらいは情は沸いているのかもしれないねぇ、と溜息を吐いた。 ● 奉行所からギルドに初、戸坂捜索への協力依頼が来た。 「どうやら二人は街中に潜伏しているようです」 開拓者ギルド職員大河原が地図を広げる。 「此方の担当は蔵前通りを中心とした地域です」 水路の要所であり、大店や武家の蔵が並ぶためそう呼ばれている。人足や船頭を手配するための口入れ屋や船宿などもあり、商人も集る場所なので人の出入りが多く余所者などが紛れ込んでもそうそう分からない地域だ。 「船宿も沢山ありますし、人の入れ替わりも激しい場所です。探すのは中々難儀すると思います。向こうから出て来てくれるのが一番楽なんですけどねぇ…」 大河原は溜息を吐いた。 |
■参加者一覧
佐上 久野都(ia0826)
24歳・男・陰
朱華(ib1944)
19歳・男・志
羽喰 琥珀(ib3263)
12歳・男・志
カメリア(ib5405)
31歳・女・砲
佐長 火弦(ib9439)
17歳・女・サ
トリシア・ベルクフント(ic0445)
20歳・女・騎 |
■リプレイ本文 ● 向かい合う佐上 久野都(ia0826)と穂積。 「見過ごして良いのですか?」 佐上が口を開く。貴方の子が逃亡生活に追いやられるのを、と視線が語る。 「……産まれてくる子を、いや二人を助けたい」 佐上が一度だけ頷いた。 ● 伊勢原からの山道にある一軒の茶屋。 酷く気落ちした様子の客に看板娘が茶を差し出す。 「体調がお悪いのですか?」 「いいえ、妻と少々喧嘩をやらかしてしまいまして……。家を飛び出されてしまったのです」 身重だというのに、と客、佐上が頭を抱える。眉を寄せる娘に佐上が初の人相書を見せた。 「見かけなかったでしょうか?」 「私は見てませんが、父にも聞いてみますね」 娘が奥へ消えると佐上は眼下の伊勢原に視線を向ける。初は妊婦で、この道は戸坂が詐欺を働いた村へ通じる、それらを考慮すれば此方は選択しないだろうが念のため、佐上は家出した妻を捜す夫として周辺を探っていた。 娘の気配に再び妻を心配し憔悴する夫へと戻る。 「みかけてないそうです」 「わざわざ有難うございます。ところであの街ですが…」 「伊勢原ですか?」 「あそこで身重の女性が立ち寄りそうな場所はご存知ないでしょうか?」 早く妻をみつけて謝罪したのですよ、と顔を伏せる佐上。 「蔵前通りは宿も多いですし人の出入りが多いと聞きますが。女性だと。ああ、でも……」 「でも? 何でも構いません、教えてはくださいませんか?」 「身重でしたら歩くよりも船で次の街に行くほうが。船宿で手配をしてくれるはずです」 佐上が伊勢原に戻る途中、煌く川が見える。川沿いの街道には朱華(ib1944)によって検問が敷かれていることだろう。 ● 並べられた柵、武装した役人、高札には戸坂と初の人相書、街道では検問が始まっていた。 朱華は街道を見渡す。検問で二人が捕まればそれに越した事は無い。だがそう簡単に行かないだろう。 (「検問は囮だ」) 検問の噂を流し二人を此方の意図する場所へと誘導する。 朱華は伊勢原へ運ぶための荷を待つ船頭達のいる川岸へ下りた。 「不便をかけてしまい、申し訳ない」 検問のせいで余計な時間がかかる、とぼやく船頭達に頭を下げた。 「誘拐、殺人未遂の下手人が街に潜伏している」 人相書を船頭達に渡す。 「明日から山側でも検問が始まる。蔵前通りにいる商人達にも伝えて欲しい。少しの間不自由させるがよろしく頼む、と…」 「早いとこ解決してもらわないと商売上がったりだ。なあ、兄さん人相書あと少し貰えないかい?」 皆や馴染みの店に配るよ、という申し出を断る理由を朱華は持たなかった。 ● 「はい、ジルベリアから来ました」 おっとりと微笑むカメリア(ib5405)。蔵前通りの酒場、朝早くの仕事を終わらせた男達が一杯やっている。男達は異国から来た女に興味津々だった。 「天儀のお話を聞くのは楽しいです。色々教えてくださいませんか?」 酔っ払いにも笑顔でカメリアは酒を注ぐ。繰り返される話にも頷いて感心してみせた。 「そういえばこの辺りで女一人でも泊まれるところってあります?」 できれば色々な人のお話も聞けると嬉しいんですけど、と言えばいくつか宿の名前が挙がる。その中に菊乃屋もあった。 佐長 火弦(ib9439)は額に張り付いた蜘蛛の巣を摘んだ。手には蔵前通り周辺の地図。どの道がどこに繋がっているのか、逃走に使えそうな道の調査である。 脇道などは狭かったり物が積み重なったりで、戸坂はともかく妊婦の初が通り抜ける事は難しいだろう。 そう妊婦連れだ、目立たないはずが無いというのに目撃情報が少ない。 「ならば彼らから出てきて貰いましょう」 隠れているのならば追い立てれば良い。佐長は着物についた埃を払う。 敢えて姿を見せ、先達ての事件に関わった開拓者がまだ諦めていないと、圧力を掛けるつもりであった。 アル=カマル人のように頭に布を被った者とすれ違った。戸坂達捕縛のために動いている別の者たちがいる、そう見せるため変装した羽喰 琥珀(ib3263)だ。 「ああ、検問の噂は本当だ。荷物まで調べられてね、大変だった」 旅人に扮したトリシア・ベルクフント(ic0445)は、荷物までと驚く商人達に向かって肩を竦める。とある飯屋でのことだ。 蔵前通りで働く人足や蔵の管理をしている者などが客に多い。 「明日からは山道にも検問を設けるらしい。だからそちらに荷を届けに行くなら今日のうちだな」 なんでまた、という声にトリシアは内緒話をするように身を卓へと乗り出した。 「なんでも誘拐犯を検挙するためらしい」 そして貰ってきたという人相書を取り出した。どこからか「この女は空木屋さんの御新造さんじゃあないか」と声を上がる。 (「街から逃げる…、状況を考えれば妥当な行動だ」) 違う、いや名前も同じだなどと言い合う客。そうして噂は広まっていく。 「だが今回は『今まで』とは違う」 あれやこれやと騒ぐ客はトリシアの呟きに気付いていない。 (「私達の目が届き、耳に聞こえ…、手を伸ばせば届く距離に…彼らはいる」) 格子の向こうに並ぶ蔵が見えた。手を上げて目の高さで握る。握った手を卓に着いて立ち上がるトリシアを誰かが呼び止めた。 「蔵前通りに行くなら今の話を中ノ橋の船着場に伝えといてくれないか」 蔵前通りの中心部であり、船頭達の情報交換の場でもあるらしい。了承しトリシアは飯屋を後にした。 (「ならば動こう」) 彼らを捕えるために。そして何よりこれ以上……。 (「初さんと同じような娘を増やさないためにも」) 夜、羽喰は蔵前通りに並ぶ屋台に顔を覗かせた。 屋台の親爺に酒を注文する。子供じゃないかと渋る親爺に「俺じゃないから」と愛想の良い笑み。 「挨拶代わりに一杯、どうぞ」 客に酒を振舞い世間話を少し、二本目の酒を頼んだ辺りで「なあ、昨日もこの辺りで飲んでいたか?」と話を切り出した。 「あのさ男女の二人連れ見なかったか? 年の離れたさ二人でさ…」 「よくみかけるよ。花街に行く金のねぇ奴がこの辺りで女買ったりな」 客が好色そうな笑いを浮かべる。 「泣き黒子の男に、女は結構美人なんだけど身重なんだよ」 「お前の母ちゃんか?」 「違うって…此処だけの話なんだけど」 古今東西『此処だけの話』は守られた事はない、それを承知で羽喰はわざとらしく周囲を気にしてから声を潜める。 「実は俺、開拓者なんだよ。ギルドがその二人を探しているんだ」 「泣き黒子と妊婦をか?」 「そうそう、知っていたら教えて欲しいんだよ」 「そーいや昨日、旅の途中で女房が倒れたとかなんとかあったなあ」 だが詳細は分からないらしい。 「仕方ない、他もあたってみるか。……あ、そうだ」 客を招き寄せる。 「情報提供者に金一封って話。だから何か思い出したらギルドまでよろしくなー」 羽喰は手を振って次へと向かう。 深夜過ぎ場違いな小鳥の鳴き声。迷い鳥…ではなく佐上の式神だ。飛び立つ菊戴は宿へと忍び込む。 羽喰と佐上は今日集めた情報を元に目星をつけた場所の調査だ。強制捜査に出ることもできたがその騒ぎで二人を逃がすわけにはいかない。 佐上の脳裏に菊戴の目を通して宿の内部の様子が浮かぶ。 「此処にも締め切られていて確認できない部屋がありますね」 「襖破る…わけには行かないもんなー」 羽喰が頭を掻いた。 「まあ、候補を絞る事が出来ただけでも良しとしましょう」 ● 翌朝、佐上、佐長、トリシアの三人は開拓者ギルドにいた。 「今日からは山側の道にも検問を立てます」 発言とは異なり、佐上の手は昨夜の調査結果を帳面に記す。戸坂には此方の動きが伝わっているだろう。となるとギルドまで探りに来ている可能性もある。それを警戒してのことだ。 「そちらには私が行こう。実際に彼らの顔を知っている者が行くほうが良いだろう」 ふりではなく小規模でも実際に検問をたてるとトリアシアが筆を取る。 「では私は連絡係を。その合間に聞き込みを行います」 佐長が佐上の書いた情報を確認した。 「明日には応援が来ますので大々的な捜査も始まります。今日を無事に乗り切りましょう」 カメリアは菊乃屋の前で昨日、出会った男に声を掛けられた。 「もう暫く滞在しようかなって思いまして宿を探しているところです」 「検問のせいだろう? こっちも段取りが狂っちまって仕方ねぇや」 男が此処の女将は知り合いだから、と菊乃屋へ入って行く。 呼ばれた女将の里が姿を見せた。 「悪いけど今満室でね。女の一人旅かい?」 「はい。やはり天儀でも珍しいのでしょうか? 先日妊婦さんが旅をしてるのをみかけたので天儀では女性の旅は珍しくないものだ、と。歳の離れたご夫婦だったんですけど……」 そっと伺う里に怪しいところは無い。 「そりゃ訳ありだよ、駆落ちとかな」 だが男がそう言った途端、「この宿に行って御覧」と別の宿を紹介され話を切り上げられた。 「アンタが見たのはこんな二人連れじゃなかったかい?」 菊乃屋から出た後、男が戸坂と初の人相書を取り出した。そして「此処だけの話」と、二人の情報をギルドに持っていけば金一封だと教えてくれた。 情報操作の効果は上々のようである。 「なぁなぁ、昨日の二人見つかった?」 そこに羽喰が割り込んできた。男と羽喰は昨夜屋台で一緒だったらしい。 「ギルドで聞いたんだけどさ、明日から大規模捜索が始まるって。となると金一封目指すなら今日中ってことだな」 お互い頑張ろうぜと去って行く。 「水路も検問が始まるらしいし。急がねぇとなあ」 男もカメリアに別れを告げた。 カメリアと入れ違いに菊乃屋に入った佐長は挨拶の後、開拓者だと明かす。 「明日から検問が水路でも始まるのでお知らせに」 「一斉捜査の噂もあるし、何があったんだい?」 「この辺りにとある事件の下手人が潜伏しているという話が……」 里の言動に注意を向けるが、変わった様子は無い。 実は戸坂、自分達の噂が流れ始めた段階で、妻の実家が自分を誘拐犯に仕立てギルドに依頼したらしいということを伝えていた。 「このような二人連れなんですけどお見かけしませんでしたか?」 人相書に里は「さあ」と首を傾げる。此処までは佐長も先ほどのカメリアのやり取りから折込済みだ。 「空木屋さんご存知ですか?」 突然の問いに里が思わず頷く。空木屋は大店であり、蔵前通りに蔵もある。 「そこの一人息子さんの誘拐、殺人未遂の容疑なのです」 『殺人』に里が驚く。 「見かけたらギルドまで連絡下さいね」 佐長は思わせぶりに二階を見上げてから丁寧に頭を下げて菊乃屋を後にした。 検問に立つ朱華は川を行く船頭から声を掛けられる。 「水路でも検問だって?」 「もう暫く不自由をかけることになりそうだ」 申し訳ない、と謝罪の言葉に船頭が天を仰ぐ。 「一つ頼みがある」 朱華の元には佐長から「菊乃屋が怪しい」と連絡が届いていた。 「夜、船を移動してもらいたいのだが……」 船が多く停泊していれば咄嗟に動き難く逃走向きではない。菊乃屋からの逃走経路を絞らせるというわけだ。 ● 夜、水路を行く船が一艘。 (「気配は三つ……」) 橋の影に隠れた朱華はそれを見送った。川へと流れ込む手前だ。体の前でカンテラのシャッターを僅かに開け「異常なし」と川との境界にいる佐上と佐長に伝える。 対岸の引き上げられた船に羽喰が伏せ、川では水路以外を使用された場合に備えカメリアとトリシアが張っている。 次の船が来る。気配は二つ。舵を取る男に、船底に隠れる誰か。男の顔はよくわからない、止めて確認するしかない。 朱華の前を船が通り過ぎたっぷり20秒ほど。川への流れに乗った船の眼前に立ち塞がる黒い壁。開拓者達が動き出す。 戸坂は初を抱え上げ岸に飛び移った。暗闇に舞う紅色の燐光。朱華の一撃を戸坂が受ける。川へと走る初の足元に纏わり着く小さな鬼。 「逃げて、お腹の子とどう生きていくつもりですか? また同じ生き方を繰り返すのですか?」 佐上の手に符が翻る。戸坂が朱華の刃を弾き初へと身を翻した。 対岸から船を足場に渡った羽喰の足を狙った縄は戸坂に避けられた。だがそこをトリシアのオーラショットが襲う。避けるために背後に下がる。初と戸坂の間に生まれる距離。その間に佐長が入る。初を傷つけないために刀は抜いていない。寧ろ素手だとしても傷つけてしまう可能性を考え、牽制だけにとどめた。 「…腕の一つや二つ失くしても、いいなら」 朱華が戸坂に切り込む。戸坂は利き腕を斬り付けられ武器を落とす。 落ちた忍刀を蹴り飛ばし羽喰が懐に踏み込む。喉元に切っ先を突きつけた。 トリシアが初の腕を取って背後に捻り上げる。身を捩り暴れる初が舌を噛み切らないように佐長は猿轡を噛ませた。 「貴女は罪を償わないまま、お腹のその子を連れてどうするつもりなんです?」 羽喰の刃を下から跳ね上げ体を沈ませる戸坂、地を蹴りトリシアへと突撃。 響く銃声。転げた戸坂の足から血が広がった。力の抜けた初の体をトリシアが支える。 「人を踏みにじって、それで何を得ようと言うんだ」 戸坂を後ろ手に縛り上げながら朱華が問う。何か言おうと唸る初の猿轡を佐長が外す。 「じゃあ弱者は泣き寝入り?」 「奉行所も動いた。貴女を踏み躙った奴らにも裁きが下る」 「今更よ」 「辛く、苦しい事もあっただろう。生きる為に仕方の無い事もあっただろう」 トリシアの眉根が寄せられたのは犠牲になった娘達に思いを馳せたからだろうか。 「……だが、それでも、許されない事はある。罪を償ってくれ。子供の為にもな」 「一度手を洗ってからになさい」 佐上の声音は静かだ。 「このまま子供を産んで後悔するくらいならば一度全てを終わらせて、もう一度自分で考えなさい」 聞き分けの無い子供へ言い聞かせるような口調だ。 「穂積さんときちんと話してみかせんか?」 佐長へ向けるのは信じられないものを見る視線だ。 「私の事なんて直ぐに忘れるでしょ」 「…アンタ、ずっと何を見てきたんだ。穂積さんの傍に居て…何か、アンタに残らなかったのか?」 朱華が正面から初を見据えた。 奉行所へ連行する途中、カメリアが初に並ぶ。 「どんな事情があっても、自分のやったことって、自分で責任負うしか、無いんですよね」 初はカメリアを見た。 「お説教とか止めてよ」 「いいえ初さんだけでなく…私もです」 カメリアは柔らかく微笑む。 「他人も、神様も……」 肩代わりなんて、してくれませんから、と呟く。笑みを浮かべたままのカメリアの心の内を窺い知る事ができる者は此処にはいなかった。 翌日、佐上は結末の報告のために空木屋を訪れた。 「ありがとうございます」 畳に手を着く穂積。 「我々にできるのは此処までです。後は貴方自身に。支えてくれるご子息にも…良い姿勢を見せてあげてください」 佐上が座敷を辞す。 数日後、一斉検挙は無事成功という報がギルドに入った。 |