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■オープニング本文 ● 大江松子がさくらの不在に気付いたのは夕方買い物を終え、帰宅した時であった。 「さくら、ただいま…あら?」 いつも遊んでいる部屋に姿が無い。最初はかくれんぼが好きなさくらがまた遊んでいるのかと思い、家や庭などのあちこちを探したのだがみつからない。ひょっとして外に遊びに行ったのかもしれないとも思ったが日が沈み、夕飯の時間になっても戻ってこない。 さくらは時折近所の子供と遊びに行くことはあったがこのような時間まで帰って来ないのは初めてである。 心配になりいつも一緒に遊んでいる子や近隣にも尋ねてみた。しかし皆、今日はさくらをみかけていないという。これはいよいよ持っておかしいと思い始めた頃、一通の手紙が投げ込まれた。 手紙には『さくらを預かっている。返して欲しくば明日一人で荒波定実を赤江神社まで持ってくるように』といった内容が書かれていた。 「荒波定実を………」 松子は手紙を握り締める。 荒波定実は夫時広の形見であり、かの名工若江定実が鍛えたといわれている大江家が代々守ってきた刀だ。好事家の中には、これを手に入れるためならばいくらでも出すという者もいる。実際夫の死後、そのような話もあった。 時広は生前「この刀は大江の血脈であり私の魂でもある」と松子に事あるごとに語っていた。夫の死後、大江家を守ってきた松子としてはその刀を手放すわけにはいかない。嫁いで以来、夫ともに大江家を守り支えてきたという自負もある。そして何より夫が「魂」とまで称したものを、人攫いごときの手に握られるなど考えたくも無かった。 荒波定実は将来さくらが選んだ相手に渡すつもりなのだ。 しかしさくらも大事な孫娘だ。夫を亡くし、そして息子夫婦も先に逝ってしまった今、たった一人の家族なのである。金銭で片付くならば幾ら払ってもいい。しかし荒波定実渡すことは……。 「あなた……」 松子は夫の仏壇の前で考える。時間だけが無為に過ぎていく。 「申し訳ございません。私はさくらを助けます。しかしさくらを助けた後は命に代えても荒波定実を取り返しましょう」 松子は亡き夫に誓った。 ● 「さくらちゃんが行方不明?」 開拓者ギルド職員吉田は、母親からその話を聞いた。昨日、大江松子が孫の行方を捜しているのを見かけたというのである。そしてまだ見つかっていないらしい、とも。母はかつて松子と同じ師匠に生け花を教わっていたこどがあり、交流がある。吉田も松子と一緒に来たさくらと遊んだ事があった。少々おてんばだが利発な子だ。 ただ吉田がギルド職員になって以降交流がなくなっていた。なんでも開拓者に対して思うところがあるらしい。 「それは誘拐ということも…」 大江家といえば武天でもそれなりの規模を誇るこの街の名士だ。当主であった時広の死後数年経っているが今だ影響力を持つ家である。そこの孫娘ならば誘拐まきこまれる可能性も多いにあった。 そこで吉田は松子を尋ねることにした。出迎えた松子は片手に竹刀を持ち額にかいた汗を拭っていた。剣術の稽古をしていたようである。 確かに大江松子といえば街でもそれなりに名の通った剣士だ。後の夫となる大江時広の通っていた道場の一人娘で、道場内では飛びぬけて強かったらしい。時広も結婚まで一度も勝てたことがなかったとよく笑い話しにしていう噂は聞いたことがある。 しかしそれは吉田が生まれるもっと前の話、松子は出産を機に剣を置いたと聞いていた。 大江は母からさくらが行方不明になったという話を聞いたと説明し、もしも困ったことがあるならば開拓者ギルドを頼ってはくれまいか、と申し出た。 しかし松子はギルドに頼るようなことは起きていないと首を振る。ならばせめてさくらに会わせてくれないか、と聞いてみた。さくらの顔をみたら何事もなかったと信じられる、と。だがそれもできぬ、という。 絶対何かある。押し問答を繰り返す。 「貴女だけの問題ではなく、さくらちゃんの命にだって関わってくるかもしれないのですよ」 とうとう吉田は脅すような事を口にしてしまった。しまった、と思ったときには遅い。さくらの命…その言葉に松子は一瞬怯む。しかし竹刀を握りなおすと吉田に先端をつきつける。 「ならばなおのこと他人には任せられません。とくに開拓者には任せることはできません。さあ、早く此処から立ち去りなさい」 結局吉田は追い払われるように大江家を後にした。 ● 「赤江神社に不審人物?」 吉田がギルドに戻ると、同僚の一人が町人の対応をしていた。街外れにある赤江神社に週に一度の掃除にいったところ、石段の前にいかにもならず者といった男達がたむろをしていて町人を追い返したというのだ。 何かあると大変なので対応してくれないかということらしい。 赤江神社といえば祭事の時のみ大きな神社から神主がくるような寂れたなにもないところだ。ちょっとした雑木林に囲まれて日中でも薄暗いので子供の頃、一人で行ってはいけませんと注意された覚えがある。 吉田は年配の職員に松子の事を尋ねた。何故に開拓者に力を借りることを拒むのか。年配の職員は一つの誘拐事件について教えてくれた。 松子がまだ若かった頃の話。松子と時広の間には娘がいた。その娘が六歳の時に誘拐される。身代金目当ての誘拐であった。 松子と時広は取引の際に犯人が約束を破り娘を殺そうとした場合、娘を守って欲しいとギルドに依頼をした。だが犯人逮捕を逸った開拓者が取引の終わる前に飛び出し、結果逆上した犯人により娘が殺されるという最悪の事態を招くことになった、というのだ。 「だからか…」 吉田は頷く。やはり松子は誰にも頼らず一人でどうにかしようとしているのだろう。 「…理由はわかったが……」 心配しすぎならば良い。だが実際にさくらが誘拐されていた場合松子一人を犯人のもとへ行かせるわけにはいかなかった。大江家は資産家だ。身代金は払えるだろう。しかし身代金を貰ったあと犯人が松子達を無事返すとも思えなかった。 自分が開拓者に頼むことも考えた。だが今回も前回と同じようなことが起きたら…。いやだからといってこのまま知らないふりはできない。杞憂かもしれない、偽善かもしれない、でも幼い頃弱きを守る開拓者に憧れ、志体持ちではない自分はせめても開拓者を助けたいとギルド職員になったのだ。自己満足もしくは自分勝手と言われてしまうかもしれないが見過ごすわけにはいかなかった。杞憂ならば自分が皆に謝罪すればいいのだ。 吉田はちょうどギルドを尋ねていた開拓者達に「ひょっとしたら自分の考えすぎかもしれないが」と前置きをし、さくらが行方不明になったこと、祖母の松子が一人でどうにかしようとしていることを説明し、そして影ながら松子と孫のさくらを守って欲しいと伝えた。かつての事件についても語り犯人捕獲ではなく二人の命を優先でと念を押して。 |
■参加者一覧
佐上 久野都(ia0826)
24歳・男・陰
鳳・陽媛(ia0920)
18歳・女・吟
菊池 志郎(ia5584)
23歳・男・シ
玄間 北斗(ib0342)
25歳・男・シ
朱華(ib1944)
19歳・男・志
玖雀(ib6816)
29歳・男・シ |
■リプレイ本文 ● 「誘拐か…困った奴らもいたものだな」 朱華(ib1944)が言葉と共に溜息を吐いた。 「前に何かあったのなら不信感を抱くのは仕方ない事だと思います」 過去の話に鳳・陽媛(ia0920)は神妙な面持ちだ。陰ながら守る…それは松子に対する秘密。申し訳ない気持ちになってしまうが、少女の命には代えられない。 「過去にそんなことがあったら、自分で何とかしないといけないって思いつめてしまうのも判る気がするのだ」 玄間 北斗(ib0342)も鳳の言葉に同意しつつも「でも」と続けた。 「一人で出来る事なんてたかが知れているのだ」 だから手助けをするための開拓者がいるのだ、と玄間は思う。 「報酬は貴方の懐からですか?」 現実的な話を口にしたのは佐上 久野都(ia0826)。柔らかな笑みだが視線はまっすぐに吉田を捉える。その視線は決意を問うものだと吉田は受け取った。 「はい」 吉田の返事に佐上は「解りました、承りましょう」多少大仰に頷く。 「吉田さんの気持ちを無にしないようにがんばらないといけないですね」 菊池 志郎(ia5584)が吉田の肩を軽く叩いた。 「自己満足でも自分勝手でも、人のために行動できるのはすごいことだと思います」 振り返る吉田に笑顔で頷いてみせた。 「ではもう一度犯人の心当りや、不審者達について伺いましょうか」 佐上の問いに吉田が他の職員にも情報を確認したが、やはり話題に上がったのは赤江神社だ。 周囲には雑木林、そして高台に位置しているために身を隠すには丁度良い。ただ周辺に住宅もあるために長期に渡る隠れ家として向いた場所ではない。 「犯人は少しばかり頭が足りねぇ気がするな…」 玖雀(ib6816)がこめかみを人差し指で突く。 「石段以外からでも社に行くことか可能でしょうか?」 菊池が尋ねる。吉田曰く斜面からでも社に辿り着けるとのことだ。 情報不足は否めない。少しでも情報を集めるために赤江神社、大江邸両方を調べることにする。 「俺は隠密行動はむいてないからな。松子さんの周辺で怪しい動きをしている者がいないか調べよう」 「では大江邸周辺の調査には兄さんと朱華さんと私で参ります」 鳳は玄間達と連絡手段について打ち合わせをする。 「朱華殿、よろしくお願いいたしますね」 「此方こそ佐上さんがいてくれると助かる」 それと…と付け加える佐上に向けて朱華が首をかしげた。 「義妹がお世話になっているようで、ありがとうございます」 時として朱華と共に隊を組んで行動する鳳は佐上の義妹らしい。 開拓者が部屋を出て行った後、最後に残った佐上が吉田の名を呼ぶ。 「何れは説得して安心して依頼を出せる善きギルド員になって下さいね」 吉田の決意の篭った視線を背に、佐上もギルドを後にした。 ● 大江邸周辺は代々続く武家が多い閑静な地区である。 佐上たちは大江邸からは見えない路地に身を潜めていた。 「静かですね…」 耳をそばだてる鳳に届くのは竹刀振るう音ばかりだ。 佐上が指に挟んだ符に息を吹きかけ宙に放つ。符は菊戴と姿を変え、大江邸へと飛んでいく。 菊戴の眼を通し佐上の脳裏に広がる大江邸の風景。広い邸内、松子以外姿をみかけない。 「さくら嬢が隠れているということはなさそうですね」 松子が助けを求めに行かないか見張っている犯人の仲間がいる可能性もある。そのため佐上と鳳は怪しまれないように場所をまめに変えつつ大江邸周辺を探る。 朱華は近所で聞き込みを開始した。刀の収集家である彼は名刀についてもそれなりに知っている。初代若江定実が鍛えたとされる『荒波定実』についても話に聞いたことはあった。 「…名刀ってのは、少し気になるがな…」 少し先に掃除中の使用人達。 「まあ、仕事が先だ」 『荒波定実』に興味がある好事家のふりをして彼らから話を聞く。しかし目新しい情報はなかった。 「ねぇ、ねぇお兄ちゃんは開拓者なの?」 朱華に声をかけてきたのは子供達だ。アヤカシと戦った事があるかなどとわっと朱華を取り囲む。 好奇心に眼を輝かせる子供達にいくつか話を語ってやれば大喜びをする。 「俺が他所から来たってよくわかったな」 頃合を見計らってそう切り出した。 「俺みたいに遠くから来た人って目立つか?」 「うん、お兄ちゃんも秘密の依頼でしょ?」 「秘密の?」 一人の子供が「こっちだよ」と朱華の手を引く。 「あのおじさんの仲間なんでしょ?」 大江邸の周辺を目つきの鋭い男がうろうろしている。昨日、話を聞こうと声をかけとことろ「大江家守る依頼を受けた開拓者」と言われたという。 「誰にも言うなって言われたけど、仲間ならいいよな」 子供達は無邪気なものだ。 吉田は自分達以外にさくらのことを依頼していないはず。 朱華は男を値踏みするかのように目を細めた。菊戴が羽ばたきその男の頭上で一回転する。怪しい人物を見つけた時の合図だ。 「遊んでくれてありがとうな」 近くにいた少年の頭をくしゃりと撫でる。 「俺に会った事は皆に秘密にしてくれ」 朱華は子供達に別れを告げると路地へ入った男を追いかける。 屋敷と屋敷の間に狭い路地。通行人として怪しまれぬよう気配は殺さず、だが殺気は出来る限り消し朱華は男の後を行く。路地の中間辺りに差し掛かった頃、間合いを一気につめ、男の腕ひねり壁に押し付けた。 男が声を上げるより先に、刀に手をかけ乾いた音を響かせる。 「痛い目にあいたくないなら、少し大人しくしてもらおうか?」 暴れようとする男に低い声で男に告げ、刃を首筋に押し当てる。 男は吉田が別口で手配した開拓者というわけもなく犯人の一味であった。 「手早く教えてくれ。無駄に血を流したくない」 男は取引内容や仲間の居場所をあっさりと吐いた。 その情報を持って鳳が走る。 ● 赤江神社に続く石段には刀を手にした人相の悪い男が一人。 鼻歌交じりに荷物を背負った玄間が暢気な足取りで、その男の前を通り過ぎ石段へ足をかけたところ、鞘に入った刀で通せんぼをされた。 「立ち入り禁止だ」 ドスの利いた声。 「珍しいのだ、先客がいるとは思わなかったのだぁ」 玄間は瞬きを繰り返してから警戒心のない笑みを浮かべる。 「おいらは大道芸人なのだ」 お手玉を取り出して片手でひょいひょいと巧みに操る。 「何時もこの神社で着替えさせてもらっているのだ。だから使わせて貰って良いかなのだ?」 取り出したたぬきの仮装、男が「さっさと去れ」と刀に手をやる。 「そんなに怒ったらたぬきさんも驚くのだぁ」 男は「いい加減にしないと切るぞ」と声を荒げた。 玄間が見張りの男の注意を引き付けている隙に玖雀と菊池が雑木林に姿を消す。 玖雀と菊池は音を立てないように慎重に登っていく。外から神社を隠す木々が逆に神社から二人の姿も隠し、境内まで無事付くことができた。 菊池は素早く周囲に視線を走らせる。鳥居の脇に見張りが一名、斜面から登ってくる事考えていないのか石段の方ばかりをみている。他は社の中か、それともまだ此処にはいないのか。身を屈め移動し、社の反対側も確認をした。周囲に仲間が隠れている様子も無い。魔術師でもいない限り、問題なく社に接近できそうである。 「おばあちゃん……」 玖雀の耳に女の子の声が届いた。社の中からだ。話し声から察するに社にはさくらを含めて四名程といったところか。見張りとあわせ人数が多いが自分達の接近を許している事、見張りの立て方などから手馴れているようには見えなかった。 玖雀と菊池は手振りで情報を交換する。遠くの物音を拾うことが可能な玖雀が残り、菊池は情報を伝えるために斜面を降りていく。 集合場所に戻ってきた菊池に玄間が人差し指を唇の前に立てた。鳳からの連絡が入っているらしい。 互いの姿は見えないが符牒は鳥の鳴き声、聞こえたら同じ鳴き方を二度繰り返すことにしていた。 「赤江神社に昼九ツ…」 菊池が懐中時計を確認する。まだ時間は十分にあった。 「守る対象が少ないほうが此方も守りやすいでしょう」 松子が動く前にさくらを救出すべきだという佐上の意見が採用され、皆速やかに準備に取り掛かる。 「求められていないかもしれないけど…」 大道芸人の姿から仕事用の装備へと玄間は着替える。 「それでも松子お婆ちゃんの一番大切にしたいものを守るお手伝い位はしてあげたいのだ」 帯を結ぶ。常に柔らかい笑みを浮かべている玄間の瞳に強い光が宿った。 酒瓶をさげた菊池は石段で男に止めらても「毎月御神酒を奉納する決まりなのです」と引かない。 相手も取引前に下らない刃傷沙汰騒ぎは避けたいのだろう、刀に手を掛けるが抜こうとはしなかった。 「この日のために準備した特別なお酒で…」 風呂敷から酒瓶を取り出し、この酒がいかに貴重なものであるかをくどくどと説明する。 そのうち一本を男に押し付けた。 「わかりました。貴重な一本ですが差し上げましょう」 男も貴重な酒と聞いて興味を惹かれたのだろう。菊池が神社に向かうことを許可し、上に「今から一人行く」と叫ぶ。 礼を述べると菊池は石段を登り始める。玄間と朱華はとっくに斜面から神社へ向かっていた。 菊池が去った後、酒瓶をあけようとした男が崩れ落ちる。聞こえるのは寝息。 「おやすみなさいませ」 物陰から佐上と鳳が現れ、眠った男を縛り上げた。 鳥居の前にいる男にも酒を渡し、菊池は社の掃除を始める。見張りの注意を引くために歌を口ずさみ箒を振るう。 裏から社に近づいた玄間と玖雀が屋根の上に乗り身を伏せる。 (「刀か…」) 玖雀は中の様子に耳を済ませる。犯人の目的は刀らしい。代々守られてきた刀、それだけ人の想いが重ねられたものである。その刀が無下に命を刈り取ったり悪用されるのを見過ごすわけにはいかない。 朱華から内部の様子が伝えられる。扉前に二人、右の窓横に一人、そして奥に二人、そして周辺には鳥居傍の男以外の気配はないらしい。 掃除を終えた菊池が酒を奉納するために社に近づく。 頭上を羽ばたく菊戴。佐上達も配置についたようだ。 酒瓶を手に菊池が扉前へと進む。ガタリと中から倒れる音が聞こえた。それに合わせ玄間と玖雀が左右それぞれの窓を蹴破り室内に侵入する。 見張りの男が異変に気付く。 勢い良く扉を開き菊池は寝落ちた男を引き摺り出す。 玄間はさくらを抑えている男との間に無理矢理自分の体を捻じ込みさくらを庇うように抱きかかえた。 刀を抜いた男が玄間に切りつける。室内は狭くさくらを庇っているために避けれない、腕から鮮血が飛んだ。 短刀を手に玄間に襲い掛かろうとした男は腕を布で絡め取られ態勢を崩す。 「いかせねぇよ」 玖雀が手にした布をぐいと引っ張り引き倒した。その隙をつき玖雀への一撃。かわしきれずに頬に赤い筋が浮かぶ。男が玖雀に勝ち誇った笑みを向けた。 「なっ…」 男は刀を上段に構えたまま動けない。男の影に重なる玖雀の影。避けなかったのには理由がある。 「攻め込んだつもりが気付いたら動きを封じられてるってのは屈辱だろ」 頬を伝う血を拭い、玖雀はにやりと口角を上げた。そして翻る三種の神器の一つ鍋の蓋。 スッコーン、小気味良い音を立て男の横っ面を張り倒す。 「おーおー、予想通りの良い音だ」 玄間を傷つけた男は追撃を加えようと刀を薙ぐ。 「やらせません」 佐上が符を放つ。突如玄間と男の間に黒い壁が立ち上がり男の刃を防いだ。 その隙に玄間がさくらを連れ外へと出た。 「こっちだ!」 戦闘から遠ざけるため朱華がさくらを引き受ける。 朱華へと向かってきた男の一閃を刀の切っ先であしらうとそのまま眼前に突きつけた。背にさくらを庇う。さくらになるべく血生臭いところはみせたくなかった。 その意図を察した鳳が背後から男に近づき竪琴を奏でる。柔らかい曲に包まれ男が崩れ落ちた。 鳳は朱華の背から顔をのぞかせるさくらを安心させようと微笑む。 「さくらさん、助けに来ました」 玄間に武器を持つ手を狙われ体勢を崩した男の懐に玖雀が入り込む。そしてがら空きの顎に鍋蓋の強烈な一撃。脳震盪を起した男が座り込む。そこを菊池が捕えて縛り上げた。 出来る限り血を流さないようにした結果、鍋蓋大活躍である。 菊池に眠らされた男が目覚めた。近くに落ちていた刀を拾い背後から菊池に切りつけようとし…。 「ひっ…」 上げた悲鳴が途中で途切れた。縁に牙のような棘を持った多肉植物の葉が男の上体を咥える。内に覗くは肉食獣の口腔を思わせる真紅。 「兄さん…」 鳳がさりげなく移動しさくらの視界から巨大な食虫植物を隠した。 縛り上げた男達を社の裏側に連れて行く。 呆然とした様子のさくらに菊池が握り飯とお菓子をさくらに差し出した。 「よく頑張りましたね。さくらさんは強い子です」 小さな手に「お腹が空いたでしょう?」と握らせる。林檎の焼き菓子の甘い香りにさくらの腹が鳴った。 「これを食べて落ち着いたらおばあちゃんのところに帰るのだ」 玄間が水筒も渡してやる。一口二口、お菓子を口にしてようやく現状が把握できたのだろう。 「おばあちゃんのところ…に帰れるの?」 大きな双眸にじわり涙が溜まった。鳳がそっと少女を抱きしめる。 玖雀は捕えた犯人を見張っていた。 どうやらさくらは元気なようである、内心安堵すると犯人達に向き直った。 「だいたいなぁ…小悪党が分不相応なことをするからこうなんだよ」 縛られてもなお逃げ出そうとする男の頭に容赦ない落し蓋。 「人攫って交渉なんざただでさえ危ういってのに、求めるのが業物だぁ? 売ろうにも持ち歩こうにも足も直ぐつく」 呆れが混じった溜息を盛大に吐いた。 「頭が足りてねぇのがばればれだっつーの。どうせやるならもっと用意周到且つ……」 鍋蓋片手に説教は佐上と鳳がさくらを連れ大江邸へと向かった後も続く。犯人が余所見をすればスコンと一撃。 「そろそろ…」 菊池が控え目に声をかけた。玖雀がはっと我に返る。 「……って、俺は何を説教してんだか」 照れ隠しの咳払いを一つしてから、頭をかく。 「お兄ちゃん達はだぁれ?」 「通りすがりのお節介ですよ」 帰途、さくらと佐上は似たようなやり取りを繰り返した。その度にさくらはちゃんとお礼が言いたいから名前を教えて欲しいと食い下がる。 「吉田さんのお友達です」 大江邸が見えてきた頃、佐上はそう答えた。 「お礼の代わりに一つ、私達と約束をしてもらえませんか?」 佐上はしゃがみ込んだ。 「やくそく?」 「はい。二度とこんな事がないように吉田さんに相談したいとさくらさんからおばあ様にお願いして貰えませんか?」 「おばあ様に? うん、やくそく」 さくらが差し出した小指に佐上が小指を絡めた。 そして門の前でさくらと別れる。 「おばーさまーただいまーー」 響き渡るさくらの元気な声。 数日後、吉田から開拓者達に松子とさくらからのお礼の手紙が届けられた。 |