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■オープニング本文 ● 「トラトラトーラ、トーラ!」 縁台を囲んだ人から、威勢の良い掛け声が上がった。 ここは朱藩の首都安州、花街近くの湯屋の前だ。風呂上り、仕事帰り様々な者が縁台を囲み騒いでいる。 縁台では男が二人、真剣な顔をして向かい合っていた。男達の間にあるのは将棋でもなければ碁でもない。 絵札が二枚。 「負けたぁああ」 化物を描いた札を出した男が頭を抱える。 「よっし、次挑む奴はいるかい?」 銃を構えた男、少し興志王に似ている、の札を出した男が得意そうに周囲を見渡す。 「じゃあ、次は俺がやろうじゃないか」 湯屋から出てきたばかりの男が懐から札を取り出す。 そして再び「トラトラトーラ、トーラ!」という掛け声が響いた。 「ふふふふ…睨んだ通りだわ!」 その光景を少しはなれた所から観察している三人の娘がいた。 真ん中に立っている娘が肩を揺らして不敵に笑う。三人は『朱藩百景』という知る人ぞ知る若者向けの情報を扱った瓦版の記者であった。 真ん中のふわふわ頭に何本も簪を挿した娘が椙乃、右の泣き黒子が色っぽい娘が栗子、そして左の天儀風とジルベリア風を合わせたような不思議な衣装を着ている娘が雛である。 「虎拳札…人気が出ると思ったのよ」 虎拳札とは縁台で皆が遊んでいる札のことである。元々は花街のお座敷遊びである『虎拳』を札にして誰でも気軽に遊べるようにしたものだ。 虎拳とは屏風を挟んだ二人が「トラトラトーラ、トーラ」の掛け声に合わせてそれぞれ『虎』、『猟師』、『老母』の格好を取って勝敗を決める遊びだ。虎は猟師に負け、猟師は老母に負け、老母は虎に負けるといった三竦みの関係である。 それを札遊びにしたのが『虎拳札』であった。虎、猟師、老母の描かれた札から皆それぞれ五枚を選び、掛け声に合わせて一枚、場に出す。そして勝った方はそのまま場に残り、負けた方はその札を捨てる。札を捨てた方は再び掛け声に合わせて一枚出す。『待った』は一回だけ使用可能。そして最終的に手持ちの札が先になくなった方が負けである。 遊んでいる集団ごとに色々と決まり事はあるが大まかな決まり事はこんなところだ。 花街に遊びに行きたいが、そうそう遊びに行く金がないという男達が、ちょっとした暇つぶし程度に始めたのが切っ掛けである。 子供でも分かる簡単な遊び方でありつつも、札を出す順番、どの場面で待ったを使用するのか、など中々夢中になってしまう。 「私達の目に狂いは無かった!」 椙乃が誰かに誇るように椙乃が胸を逸らす。逸らしたところでちょっと寂しいのが悲しいところだ。 ともかく『朱藩百景』はそんな虎拳札に目をつけ一工夫加えたのだ。 札に描かれていた絵を虎、猟師、老母からアヤカシ、開拓者、姫にした。若手の画工に版下絵を描いてもらいそれを多色刷りで刷り上げる。しかも画工は複数、同じアヤカシでも画工の数だけ種類があるというわけだ。 それが受けた。遊ぶだけではなく、札を集める者も出てきたのだ。現在順調に売り上げを伸ばしてる、尤も朱藩百景自体が大して売れていないので、こうして湯屋の側でひっそりと遊ばれている程度なのだが。 「でもそれも問題ないわっ」 椙乃がばっと手を振った。 「ええ、『海産祭』ね」 栗子が頷く。『海産祭』というのは毎年安州で行われる収穫祭の事である。そこで扱われる新鮮な魚介類、千代ヶ原諸島で採れた塩などは質が良いと評判で他国から買い付けに来る者がいるほどである。 そしてその会場には誰でも自由に使用可能な舞台があった。その舞台を使用して虎拳札の宣伝を兼ね、大会をやろうというのだ。 「舞台もちゃあんと押さえておいたよ〜」 雛がおっとりとした調子で言う。 「準備万端! そこで一気に盛り上げて、私達の手で新しい流行を作り出すわよ!」 おー!と三人娘が拳を威勢良く天に向かって突き上げた。 |
■参加者一覧 / 佐上 久野都(ia0826) / 鳳・陽媛(ia0920) / 大淀 悠志郎(ia8787) / 和奏(ia8807) / 紅咬 幽矢(ia9197) / 鍔樹(ib9058) |
■リプレイ本文 ● 「大変危機的状況だわ…」 朱藩百景記者の椙乃はできることなら頭を抱えて座り込みたい状況に追い込まれていた。 朱藩安州、海産祭会場にある舞台の裏側での出来事である。一応『関係者控え室』という名がついている場所だが壁や天井はなく、床几がいくつか置いてあるだけの簡素な青空控え室といったものだ。 椙乃達、朱藩百景編集部は海産祭にて鋭意宣伝中の札遊び『虎拳札』の大会を開催している…のだが、参加者が集まらない。 午前中に行った子供の部はそれなりの人数を集め一応成功したと言えるのだが、午後に行う大人の部に関しては…。椙乃はそっと背後を見た。 「これが朱藩百景ですか」 床几に腰掛けた和奏(ia8807)が朗らかな笑顔を浮かべ参考として置いてある虎拳札の特集を組んだ朱藩百景を手にとって眺めていた。そう、現在のところ参加者は彼一人であった。 午前の部開催中に『参加者募集』の立て札の前にいた彼を半ば拉致するように捕まえたのだ。彼に声を掛けた理由は、と問えば椙乃は胸を張って答えるだろう、「いけめんだったから」と。ちなみに『いけめん』とはいけてるご面相…即ち魅力的なお顔立ちという意味の若者言葉である…少なくとも朱藩百景内においては。 ともかく和奏は「せっかくなので参加させていただきます」と非常に丁寧に了承してくれたのだ。いけめんは性格も良い、椙乃が自説を再確認した瞬間でもある。 「朱藩は前にもいらしたことがありますか?」 札の準備している栗子が尋ねた。彼女も朱藩百景の記者の一人だ。返答がない。どうしたのかと顔を上げれば、朱藩百景を手にしたままうつらうつらしている和奏の姿が…。 「寝顔もステキ……」と見惚れていると視線に気付いたのか、はっと和奏が顔を上げる。 「えっと…」 「朱藩は前にも?」 「はい、海とかお城とかに」 開拓者としての仕事で来たことがあるらしい。お人形さんのように整った外見とは違い、非常に大らかな返答である。ひょっとしたらのんびりさんなのかもしれない、と栗子は感想を抱きつつ虎拳札の山を手に取った。 「では遊び方の説明をいたしますね」 「綺麗な絵ですね…。あぁ、此方のアヤカシは中々の迫力です」 和気藹々と虎拳札の説明が進んでいく。 「ではお好きな札を五枚選んでくださいな」 説明を一通り終えた栗子が札を和奏に差し出す。和奏は何を思ったか、上からひょいひょいと札を五枚取り上げた。 「開拓者が一枚しか出ませんでした…」 札を表に返して内容を確認し、肩を落とす。そして律儀にもう一度札を引いた順番どおりに重ねなおした。 「絵札を上から順番に出していけばいいのですよね?」 何か違う。違うのだが…一度決めた札の順番は変更不可能とした今回の大会に関してはそれで問題はない。なので栗子は笑顔で頷くことにした。 直感型というのは大番狂わせを巻き起こすものなのだ。それに少し控えめな笑顔が素敵だったのでそれだけでいいのではないか、という気もしていた。 和奏に対する説明が終わってしまった。これはいよいよもってどうにかしないといけない。 それにしても遅い、と椙乃は懐中時計の蓋を開く。念のために普段虎拳札で遊んでいる顔見知りたちに大会に出てくれるように頼んでいたのだ。なのに誰も現れない。 同僚の雛を探しにやっているのだが、彼女も戻ってこない。 「ひょっとして…」 迷子になった?という言葉に「大変なの」とちっとも大変そうではないおっとりとした声が重なる。雛が戻ってきた。 雛が言うには、顔見知り達を探しに行ったところ、祭の休憩所にて虎拳札で盛り上がっており大会どころではない状態らしい。 「なんだかね、とても強い人がいるの。皆ぼろぼろに負けちゃってるからすっごいムキになっていて」 「強い人? それはぜひとも大会に誘いたいところね」 「ついでに参加者を探して来ましょうよ」 三人娘は和奏に暫く待ってもらえるように頼み、大会参加者を求めて旅立った。 「いってらっしゃい」 和奏が三人を笑顔で送り出す。 ● 休憩所では件の人物をすぐに見つけることが出来た。 床几に男が二人、片足を上げて腰掛けている。一人は三人の顔馴染みの大工、もう一人は初めて見る男。彼がその『強い人』であろう。二人の周囲には見物客が集まっている。 「トラトラトーラトーラ」 二人は手にした札を真ん中に出した。 「…また負けたぁ」 アヤカシの札を出した大工が後ろに倒れ込んだ。 「ほらほら、先程の勢いはどうした? 今度こそ自分を止めるんじゃなかったのかい」 勝利した男の方は涼しい顔で札を持ち札に戻す。 「十人牛蒡抜きだってよ」そんな囁きが聞こえてきた。虎拳札に勝利するには運と札の読み合い二つが必要である。それで十人相手にして負け知らずとは紛れもない強者だ。 見物客の一人が三人に気付いて声を掛ける。 「こっちの兄さんが強いのなんのって、もう自信なくしちまうよ」 などと言いつつ、「大淀 悠志郎(ia8787)さんだ」とその『兄さん』を紹介する様子はどこか誇らしげであった。 早速三人は大淀に大会の参加を依頼する。 「出るのは構わないが…」 大淀は慣れた手つきで札を弄びつつ三人に視線を向けた。 「愉しませてくれるんだろうな?」 「…もちろん」 一瞬間が空けてから、三人は頭を縦に大きく振った。 そして大淀の気が変わる前にと、栗子が控え室に連れて行く。顔見知り達は悉く「大淀の兄さんの応援に回るよ」と大会参加を取りやめたのであった。 椙乃と雛は別れて参加者を探す。 「押しの弱…いや優しそうな人を…」 そう言っていた矢先、椙乃は一人発見した。押しの弱…否、穏やかで優しそうな人物、佐上 久野都(ia0826)を。 「おやお嬢さん何か御用ですか?」 案の定、佐上は話を聞いてくれそうだ。椙乃は大層困った様子で大会の事を話した。 「その大会に私がですか?」 尋ねる佐上に椙乃は期待に満ちた眼差しを向ける。 「…良いでしょう中々面白そうだ」 佐上は笑顔と共に頷く。 「ありがとうございます。では早速会場に…」 「少々お待ちください。義妹が一緒に来ているのですが」 佐上が周囲を見渡す。 「にいさーん、向こうにとても大きな蟹がありました」 ひょいと屋台の影から黒髪の大きな瞳の可愛らしい女性が顔を覗かせる。彼女が佐上の義妹鳳・陽媛(ia0920)だ。 「歌い手の鳳・陽媛と言います。よろしくお願いしますね」 佐上に紹介された鳳に頭を下げられ、慌てて椙乃も挨拶を返した。そして…。 「私もですか?」 鳳も大会に誘う。 「面白そうじゃないか。私に勝てたら…そうだね珊瑚の簪でも買ってあげよう」 佐上からも誘われ鳳が首を傾げ考え込む。 「兄さんからの贈り物。それは素敵……あら…」 何かに気付き、佐上の背後を覗き込んだ。 紅咬 幽矢(ia9197)は物見遊山で海産祭にやってきた。息抜きに丁度良いかと思ったのだ。 そこで虎拳札大会というのに出くわした。子供達が舞台の上でわいわいと札遊びに興じている。舞台の横に立て札があった。「虎拳札大会、大人の部参加者募集中」と。 「ばかばかしい、子供じゃあるまいし」 その時は呆れて舞台を後にしたのだ。 そして祭をぶらついている時によく知った顔を見つけたのは本当に偶然であった。 「ん? 陽媛に久野都…!」 二人は見知らぬ女と話しており此方に気付いてはいなさそうだが、身構えてしまう。何を話しているのかと気になっていると、鳳と目があった。 「ユウくん」 鳳が嬉しそうな声を上げて手を振る。 「幽矢じゃないか。奇遇だね」 椙乃が誰かと問えば鳳が満面の笑みで答える。 「お友達のユウくんです」 紅咬がほんの僅かだが、微妙な表情を浮かべたのを椙乃は見逃さなかった。女の子はそういうところに敏感なのである。 二人の友達ならばと早速虎拳札の大会に誘う。 「え? 札遊び?」 戸惑う紅咬に「はい」と返事をしたのは鳳である。椙乃が「私達を助けると思って」と紅咬に向かって手を合わせた。 「ボ、ボクは別に…」 紅咬は鳳の笑顔に弱い、そして自覚はないが頼られる事にも。そのため「ばかばかしい」と言っていた勢いが殺がれていた。勿論それは本人しかわからないことだが。 「兄さんも出場するのですよ」 楽しそうに鳳が手を叩く。 「あまり興味が…」 「逃げるのかな?」 ないから、と断ろうと振りかけていた手を止める。 「…逃げるのか…だと…?!」 紅咬が唇を引き結ぶ。 「自信が無い?」 「二人の事を頑張って応援しますね」 佐上、鳳の兄妹が笑顔を紅咬に向ける。紅咬は鳳、佐上、そしてまた鳳といった順に顔を見た。 「いいぜ、後悔させてやるよ…!」 紅咬は不敵な笑みを浮かべる。 雛も参加者を探していた。 「他国からやって来た人で、お祭騒ぎが好きそうな人がいいなぁ」 虎拳札を寄り広く伝えるために他国出身と思われる人がいいと会場を見渡す。更に祭と聞けば血が騒ぐような人物ならば大会が盛り上がる。 「なぁ、オススメはなんだい?」 「コイツか。おっ、いいねぇ、身に張りがあるし、目も濁っちゃいねぇ」 若い男の声が聞こえる。少し先の屋台に修羅の青年がいた。屋台の親爺と会話しているようだが、青年の声ばかり良く通る。 屋台に並んでる魚介類を指差しては賑やかに調理方法などを語ったり漁について聞いたりしている。 小気味良い調子でぽんぽんと言葉を繰り出す様子は、祭の喧騒に負けない華がある。 「見つけた」 雛は人を掻き分けてその青年を目指す。 鍔樹(ib9058)は開拓者になるまで漁師をしていた。亡くなった父も漁師である。さらに祭好きだ。と、なれば『海産祭』などという言葉を聞けば血が騒ぐのも当然の事であろう。一体海産祭とはどんな祭なのか、とふらりとやって来たのだ。 ずらりと並ぶ屋台には今朝獲りたての魚から魚介類を使った加工食品が所狭しと売られている。 朱藩の魚は質が良いと聞いていたが納得だ。 そしてとある屋台で魚を見ていた時にいきなり声を掛けられた。 「あの、虎拳札ご存知ですか?」 「虎拳札?」 それはなんだ?と首を傾げる鍔樹に雛と名乗った少女が説明をする。 「なんだか面白そーじゃん、虎拳札」 鍔樹が身を乗り出す。 「鍔樹さんが出場したらきっと盛り上がると思います」 ぜひとも、と雛が両手を握りしめる。 「折角だし、参加してみっか!」 ばんざーい、と雛が両手を挙げる。鍔樹も付き合ってくれた。ノリが良い。 そして集まった五人は図らずとも全員開拓者ということで、急遽開拓者の部として大会を開催する事となった。 組み合わせは椙乃曰く厳選なる抽選の結果、第一試合 大淀 対 鍔樹、第二試合 佐上 対 紅咬、そして第一試合の勝利者が和奏と勝負することになった。 「紅咬さんと和奏さんが入れ替わっていない?」 「そっちの方が面白いから良いの」 というやり取りがあったことは参加者には内緒である。 ● 「第一試合、流離いの博徒 大淀悠志郎 対 大海原を駆ける男 鍔樹〜!!」 椙乃の高らかな紹介の後、舞台に上がる大淀と鍔樹を声援が迎えた。開拓者同士の勝負、ということもあって中々に客の入りも良い。当初予想しなかった若い娘の姿もちらほら見かける。開拓者効果だ。 二人が舞台中央の台を挟んで向かい合う。 「よっしゃ、んじゃひとつお手柔らかに頼まぁ」 鍔樹は札を顔の高さに構える。 「こちらこそ」 対する大淀は自然体だ。 「では試合開始!!」 椙乃の宣言と共に「トラトラトーラトーラ」と掛け声があがる。先程、大淀と虎拳札で遊んでいた男達であった。 一回目は鍔樹が姫、大淀が開拓者で鍔樹が勝利した。しかしそのあと立て続けに三回負けてしまう。 そして五回目鍔樹が開拓者、そして大淀が姫。 「あ、やべ。こりゃ旗色悪い感じか?」 待ったを掛けるか…相手の手札をと自分の手札を見比べる。持ち札は二枚、相手は三枚。相手の札は…と考えようとして止めた。 「俺ァ、複雑な駆け引きとかあんまし向かねぇタチだからなあ…」 次の札を掴み「待った」を宣言する。 「難しく考えねーで、ドンといかせてもらうぜ」 「どうぞ」 大淀は余裕とも取られる態度を崩さない。 開拓者とアヤカシの札を入れ替える。これで持ち札は互いに二枚。 最後は共に開拓者を出し、同時に持ち札がなくなるという結果になった。同時に無くなった場合、「待った」をしていない方が勝利である。 大淀の名が舞台に響き渡った。 「楽しかったぜ、ありがとさんっ」 礼を言うとひらりと舞台を飛び降りる鍔樹を栗子と雛が止めた。まだ試合はあるのだ。 ● 「第二試合、笑顔の策士 佐上 久野都 対 静かなる闘志 紅咬 幽矢〜!」 最前列の鳳は二人に差し入れるために買ってきたお茶の容器を握り締めながら舞台を見守っている。 血は繋がっていないが小さい頃から、憧れている大好きな兄と大切な友達の勝負だ。 「にいさーん、頑張ってーー!」 「ユウくんも頑張れーー!」 二人に向かって精一杯の声援を投げかける。 佐上が鳳の声援に応えて壇上から手を振ってくれた。そんな小さなことでも鳳にとっては嬉しい。 何故なら兄はずっと大好きで憧れている人なのだから。 (「届かなくとも、思い続けてる」) 「頑張って、兄さん」 鳳はもう一度小さく佐上に声援を送った。 (「照れてる、照れてる」) 司会の椙乃はにやつきそうになる口元を押さえるのに苦労していた。鳳の声援に照れて少々怒ったような顔になっている紅咬。二人の関係がとても甘酸っぱい。 必要以上に表情を引き締めた椙乃が厳粛に「試合開始」を宣言する。 互いに礼をしたあと、すっと佐上が一枚札指に挟んで眼前に構えた。陰陽師が呪符を扱う時の格好である。堂に入っており風格すら感じさせる姿であった。。 「私に勝って良い所を見せて貰わねばね…おいで?」 札越しに半分顔を覗かせた佐上が、一度鳳に視線をやってから眼鏡の奥の目を細めて微笑んだ。 「望むところ…。後悔するなっ」 紅咬も札を一枚抜く。 第二試合は熱い展開で始まった。 二人とも次の札には前の札に勝利した札に勝てる札を用意する、といった同じ思想で手札を構成している。故に一進一退で勝負は進んでいく。 故に展開が読めてしまう。 鳳はどちらが勝っても負けても喜んだり、心配したり大忙しだ。 互いに三枚目の札、アヤカシに対し紅咬が開拓者を出した時点で、佐上は何処で「待った」を掛けるか考えていた。 (「待ったをかけるなら此処…。でも多分次に姫とアヤカシが控えているはず…」) 自分の手持ちは開拓者と姫である。同じ思想で構成しているが組み合わせの妙というべきか、一枚目で自分が姫を出し、紅咬がアヤカシを出した時点でこの勝負、見えていたのかもしれない。 (「これは幽矢の出方を見てみてみようか…」) 佐上の開拓者の札が流される。このまま行けば自分が勝てる、紅咬はそう確信した。 ちらりと鳳の様子を見れば、手持ちの札が少なくなった兄を心配そうに見つめている姿が…。それでも次の掛け声が始まれば「二人とも、頑張ってー」と声を上げる。その度に揺れるお茶の容器。中身がなくなってしまわないか心配であった。 試合は番狂わせはなく、そのまま紅咬が勝利した。 「ユウくん、おめでとう。兄さま、お疲れ様でした」 鳳の拍手に釣られて、周囲も二人に拍手を送る。 ● 「第三試合、勝負師 大淀悠志郎 対 天然王子 和奏ー!」 この大会、札の順番は変更不可能なのだ。ということは一度手の内を見せてしまった自分が圧倒的に不利であることを大淀は知っていた。相手は自分の持ち札の順番を全て知っている、ということはどこで「待った」を掛ければいいか始めから分かっているということだ。 「よろしくお願いします」 まるで武術における手合わせのように背筋を正し礼をする和奏に気負った様子はない。時として命のやりとりをすることもある開拓者ならば当然なのかもしれないが……。 大淀は和奏が山の上から適当に札を五枚選んだということを知らなかった。 当の和奏は何も考えずに札を選んだというのに、運がいいのか「アヤカシ、姫、開拓者」と中々良い組み合わせになっている。そのため前半は勝っては負けての良い勝負だ。 さらに札を出す時にまるで先を見越してるかのように躊躇いがない。その点は一回戦の鍔樹に似ているのだが、自分と同じというか中々感情が見えてこない。 (「待ったをどこでかける気だ?」) 四回目の掛け声とともに和奏は開拓者を出す。大淀の札はアヤカシである。此処で大淀は一か八か賭けに出た。「待った」をかけ、札を姫と入れ替えたのだ。 最終的に開拓者とアヤカシで大淀が札を一枚残して勝利を収めた。 「ありがとうございました」 やはり手合わせが終わった後のように和奏は見本のような美しい礼をする。 舞台を降りる時大淀は和奏に「どうして待ったを使わなかったのか?」と尋ねた。 「あ…」 和奏が驚いたように声を上げて、それから「そうでした」と少しばかり照れたように笑う。 「待ったがあることを忘れていました」 紹介にあった天然王子とはこのことだったらしい、と大淀は理解した。 ● 「決勝の前に三位決定戦を行います。三位決定戦は鍔樹、佐上、和奏の三人による変則試合でーす」 遊び方は三人でも代わりませんから、と三人は舞台に送り出された。 「お手柔らかにお願いします」 佐上が微笑みを浮かべ、指で挟んだ札を構えた。その姿はやはり強そうだ。 「こっちこそ、よろしく頼まァ」 鍔樹がぐっと袖を捲くる真似をする。 「お願いします」 和奏はやはり手合わせの開始のように綺麗に礼をする。 三位決定性は爽やかに始まった。 四回目の勝負、一回、三回目を和奏に二回目を佐上に取られた鍔樹が動く。 「漁と同じだ、もたもたしてると勝ち獲り逃しちまいそうだわな。此処で待った、だ」 開拓者とアヤカシの札を入れ替える。奇しくも大淀の対戦と同じであった。 「これで大漁、獲らせてもらうぜ!」 そして二人の札を流す。 次は場の札は佐上がアヤカシ、鍔樹は引き続きアヤカシ、和奏が開拓者。このままでは和奏の開拓者の勝利だ。 「頑張ってー!」 舞台袖では紅咬にお茶の差し入れを渡していた鳳が応援している。妹の声援に応えるように札を一枚抜く。 (「二人の手持ちの札は…」) 佐上は先の二人の勝負を思い出す。鍔樹の次の札は開拓者であったはず。ならば…。 「待った」 開拓者の札を場に出し、鍔樹の札を流す。 「コレ位は頂かないと、ね」 六回目の掛け声が響いた。全員の札が開拓者で揃った。結果……。 「大物取り逃がしたかっ」 鍔樹の手札が無くなり、佐上と和奏の勝負となった。 場にある札は佐上がアヤカシで和奏が姫、そして手札はお互い逆である。 このまま行けば佐上の勝利であるが、ここで「待った」をかければ勝負は延長にもつれ込む。 当然「待った」がかかるものだと思っていたのだが…。 「あぁ、負けてしまいました」 と、おっとりとした様子で和奏が姫の札を流す。そうまたもや「待った」の存在を忘れているのだ。大淀と同じく佐上もそれを知る由もないのだが。 そして呆気なく決着が着いた。 佐上が姫の札を一枚残して勝利である。 佐上の勝利が決定した瞬間、鳳が飛び跳ねて喜んだ。 「楽しかったぜ。ありがとさんっ」 鍔樹がトンと佐上の胸を軽く拳で叩き勝利を祝い、和奏は「おめでとうございます」と拍手する。 三位決定戦はやはり結末も爽やかであった。 ● 「果たして勝利の女神はどちらに微笑むのか。 決勝を戦うのはこの二人…」 いつの間にか増えた観客が沸く。 「その目には果たしてどこまで見えているのか? 大淀 悠志郎。その鋭い牙で一気に喉元を食い千切るか? 紅咬 幽矢」 最前列の鳳と隣に立つ佐上が舞台へとやってきた紅咬に声援を送った。 勝負開始の声を合図に、観客が「トラトラトーラトーラ」と唱和する。 紅咬が勢い良く一枚目の札を場に出した。 大淀も一枚目を出す。アヤカシと開拓者、最初の勝負は大淀の勝ちだ。互いに持ち札は把握しているだろう。ならばどうする?と言わんばかりに大淀は紅咬に視線だけを向けた。 紅咬は躊躇い無く一枚目を流した。 (「これはより愚図が落ちていく…っ」) そして二回目は紅咬の勝利。三回目に流れが止まる。 紅咬が姫、大淀がアヤカシ。ここで紅咬の動きが止まったのだ。 睨みつけるような強い視線を場と大淀に送った後、姫の札を見つめる。 (「アイツに開拓者の札はもう無かったはずだ」) 紅咬は頭の中でこれからの流れを考えている。 眉間の皺が深くなり、頬がぴくりと震えた。無意識のうちに奥歯を咬み締める。 舞台の上を吹きぬける風は秋の爽やかな風だというのに、頬を汗が伝う。 空気がざわめいた。 大淀も十分に考える時間を与えるほどお人よしではない。 すっと姫の札の上に指を置く。 「早くしなよ…時の流れはあんただけのものじゃない」 顔を上げた紅咬に向かって唇の端を上げてみせた。 「ひめ…」 呟いた後、紅咬はぐっと唇を引き結ぶ。『ひめ』に重ねているのは言わずもがなだ。 「くっ…持たざるアヤカシが…陽媛を奪う…! なんてゲーム…っ」 真剣な顔で自分を見つめている鳳の姿が視界に入る。 「だがこれは…っ運否天賦の戦いではない…っ!」 何かを振り払うように言い切った。 「知力の勝負っ…!」 情け無用、とばかりに姫の札を流しアヤカシを出す紅咬。 「同意はするよ…だが、合理を積み重ねた先にある、不合理…。それこそが博打の本質さ」 大淀も受けて立つ。 次に紅咬が出したのは開拓者、大淀は考える素振りすら見せずに「待った」を掛けた。 アヤカシと姫を入れ替える。紅咬の開拓者が流れた。 (「ボクの手持ちは姫とアヤカシ…」) 掛け声に合わせて、姫を場に出した。札は共に姫。 再び紅咬の動きが止まる。 (「待ったをかけるなら此処しかない…っ」) しかし大淀はまだ全ての種類の札を持っているはずだ。此処で「待った」をしてもどこかで破れる…。 「……っ」 握った拳を台に押し付ける。 暫しの沈黙の後…。 「参った」 押し殺した声で紅咬が告げた。 「優勝は大淀!!! 初代虎拳王は大淀だー!」 一拍遅れて歓声と拍手が巻き起こった。 「あの時、『ひめ』を守っていれば…っ!」 ドンと台を叩く。 「それはあくまであんたの理さ」 大淀が札をまとめる。 「だが、自分にそれに付き合う義理はない。そんな理じゃぁ自分は縛れないよ」 そしてまとめた札を懐にしまう。 ● 優勝した大淀には金一封、そして紅咬には天儀酒が贈られ、無事大会は終了する。 「じゃあ、互いに祭を楽しもうなっ」 片手を挙げ、海の幸求めて再び祭に向かおうとする鍔樹を大淀が呼び止めた。 「どうせなら一緒に呑まないか?」 こういう金はぱっと使うに限る、と。 「いーね、そいつぁ豪気じゃねーか。よっしゃ、酒の肴に丁度いいモン探して来てやるぜっ」 そう請け負うと鍔樹はあとで合流するから楽しみにしてろよ、と言い残し去っていく。 「…ってことでだ、そちらさん方もどうだい?」 椙乃達三人に依存は無い。和奏も「急ぐ用事もありませんから」と頷く。 「お誘いありがとうございます。…ですが私達は三人で祭を見て回ろうかと」 佐上、紅咬、鳳も屋台が並ぶ方へと。 「兄さん方、また一勝負といこうか?」 大淀は、祝いに駆けつけた自分が散々に負かした男達にも声を掛け連れ立って飲みに行く。 「兄さん、ユウくん、二人とも素敵でした。そしてユウくん、準優勝おめでとうございます」 鳳が二人を称えてから恥ずかしそうに笑う。 「応援頑張りすぎて、兄さんに渡すお茶が半分くらいに減ってしまいました」 「陽媛、応援ありがとう」 佐上に視線で促され紅咬も「ありがとうっ」と早口気味に礼を述べた。 「そういえば陽媛は蟹がどうとか…。皆で焼き蟹でも食べに行こうか」 「本当に大きな蟹だったのですよ」 こっちです、と鳳が小走りで向かう。 「…誘うなら行っておいで?」 前を行く鳳の背を見守っていた佐上が不意に声を落とし紅咬に耳打ちする。 「っ……」 紅咬は咄嗟に言葉が出てこない。 「二人とも、どうしたんですか?」 鳳が振り返り二人を招く。 「で、蟹はどこに売っているんだい?」 佐上が鳳へと向かう。 「ユウくーん」 鳳が呼んでいる。 「今、行くっ」 紅咬が応えた。佐上が苦笑しているように見えたのは気のせいだろう。 |