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■オープニング本文 見渡す限り地平の果てまで真っ白。 といって雪ではない。塩だ。地面が全部塩なのだ。 ここはアル=カマルにあるイタラ塩湖。イタラの塩と言えば食通の間でかなり名の知れた存在。辛さの中にまろやかなうまみと甘みを有し、高級料理によく使われる。 それはともかくとして、塩に埋め尽くされた地には草一本生えず虫一匹生存出来ない。 砂漠よりもなお空虚な地。 しかしそこには美がある。一度目にしたら忘れられないような美が。ことに――滅多にはないが――雨上がりの日などに。 ● 塩湖の表面に浅く張った水は、混じりけなしの透明さで空を映す。 頭の上にも足元にも空と雲。前後左右どこまでも青また青。 開拓者たちはしばし時を忘れ、目の前に広がる光景に見入る。 「すごいなこれは…この世のものじゃないみたいだ」 視界を遮るものは何もない。地面は鏡のようにまっ平ら。ひたすら変化のないまま広がっているだけ。 不慣れなものにはこの地の遠近感が掴みにくい。自分がいる位置を正確に測れなくなる。まだ来た村が見えるからと安心して塩湖の奥へ奥へ入ってしまい、日のあるうちに戻れなくなり、過酷な野宿を余儀なくされるといったことが、よくあるらしい。 そうなるとひどく危険だ。 アル=カマルにはありがちな話だが、ここも夜になった途端氷が張るほどの寒さに襲われる。 その上――こちらのほうが寒さよりはるかに危険なのだが――アヤカシが出る。 「アヤカシは吸血性だったな」 「ええ。死んだ人は皆、体中の血を抜かれていたそうです…」 「何にしても、姿かたちがよく分からないってのは、困るよなあ」 開拓者たちがそうやって話をしていた最中である。何かの気配を間近に感じた。 ふと見れば、青い地面に影が伸びている。その出所である空間には何もいないのに。 針金のように細く長い無数の足。 その天辺に吊り下げられ支えられた小さな塊。 塊の四方八方から、これまた細く長くぶら下がっている無数の管―― 次の瞬間その影が、ぱっと動いた。 飛ぶような速さで遠ざかっていく。 明らかに開拓者たちの気配を察知し、逃げたのだ。 「ま、待てっ!」 |
■参加者一覧
ファムニス・ピサレット(ib5896)
10歳・女・巫
霧雁(ib6739)
30歳・男・シ
雁久良 霧依(ib9706)
23歳・女・魔
八壁 伏路(ic0499)
18歳・男・吟 |
■リプレイ本文 「はやっ!」 霧雁(ib6739)は舌を巻く。いきなり現れた(前からその位置にいたのだろうが)櫓のように高い足を持ったアヤカシの影が、たちまちのうち遠ざかってしまったので。 青と青の狭間へ波紋と共に消え去って、後には何も残らない。 霧雁は早々に追跡を打ち切った。捕まえきれるものでもなさそうだと踏んで。 「幾ら拙者が時を止められるとはいえ、あの駿足には追いつけそうにないでござる…」 水を跳ね上げながら追いついてきたファムニス・ピサレット(ib5896)は手を額にかざし、彼方に向け両目をすがめる。 「あのアヤカシ、ぴゅん太より速かったですよ…? 追いかけっこではまず勝てそうにないです」 雁久良 霧依(ib9706)は頬を膨らませた。 「やぁん…早過ぎよぉ。嫌われちゃうわよ?」 借り物である塩運搬用のラクダ車を引いてきた八壁 伏路(ic0499)も目をこらすが、真っ青な空と真っ青な大地の外には何もない。 見つめ続けていると空間の広さに影響され、頭がぼんやりしてきたので、かぶりを振って頬を叩く。 意外と速かった。そして大きかった。悪い意味で裏切られた気持ちにならなくもない。 「吸血というからには、てっきりヒルとかダニとかそんな感じの奴かと思っておったんだが…」 リィムナは目で痕跡を辿るのを諦め、皆に向き直った。 「…やはり、事前の作戦通り、出現するという時間帯の夜まで待ち、襲ってきたところを迎撃するのがいいと思います」 「そうね…やっぱりお泊りした方がよさそうね♪」 賛意を示す霧依の頭には、この塩湖の長さが南北約100キロ、東西約250キロある代物だという事前情報が浮かんでいた。 そんな広い空間の中、俊足かつ姿の見えない相手を歩いて探し回るなど、およそ現実的でない。 「では、ここは当初の予定通り、夜戦の構えにて敵の襲撃を待ち受けるということで…。夜行性のアヤカシの中には、夜にならないと姿を全く見せないのもいるでござるからな。あのアヤカシも、あるいはそのタイプかも知れぬでござる」 昼間遭遇できなかった場合を考え、霧雁は、備えを万端にしてきていた。薪、松明はもちろんのこと野営用のテントもラクダ車に乗せお持ち込み。 ただ網を張って待ち受けるにあたり、問題点がひとつ。塩湖は本日、海と化しているのである。 「テントは水の上には張れないでござるから…どこか乾燥している場所を探さなければならんでござるな。どこぞに高台でもあればよいのでござるが」 それを聞いた伏路はすかさず、事前に用意していた塩湖の地図を取り出した。 「それならちょうどよい所があるぞ」 広げた地図の真ん中には、ぽつんと小さな島が描かれている。『魚の島』とあるが、実のところその形、魚というよりひょうたんに近い。 「ここは湖の中にある唯一の陸地でな、昔から宿営地に使われておるそうな。現在はアヤカシがおるのでその限りではないが――とにかく砂漠よりも過酷な塩湖ならば、島はいわばオアシス。集まった生物を狙いアヤカシもまた顔を出すであろう。これまでに出た被害者の遺留品は、全てこの近辺から見つかっておるそうだしの」 地図をのぞき込んだファムニスは、ラクダの背をぽんと叩く。 「とすると、間違いなく敵のテリトリー内でしょうね。見込みはかなりありそうです。それじゃあ、日が沈む前につくよう急ぎましょう」 「うむ。そうすべきだの。幸いわしらのおる地点からそう離れてはおらぬ。このまま真っすぐ西へ向かえば見えてくるはずだ。固まっておけば迷子にもならぬでな」 と言う次第で、一同は島を目指す。 広いのにやたら静かだ。自分たちの話し声とぱちゃぱちゃ水のはねる音だけが、やけに大きく聞こえる。 「この塩湖の湖畔にはね、塩のホテルっていうのがあるのよ。建物が全部切り出した塩で出来ているの。青空の下に立つ真っ白な姿もいいけど、夜に照明で照らされるところなんか、幻想的でロマンチックよぉ♪」 「わあ、いいですねえ。私も一度泊まってみたいなあ…」 「拙者観光案内で見たのでござるが、ここには神代の昔使われていたとおぼしき大型運搬車の残骸が、多数残っているそうでござる。現地では墓場と呼ばれているとか」 「ほお、ええのう。そういうのわし好きだわ。神代のからくりは男のロマンだのう。計器とかボルトとかパイプとかたくさんついてて機関剥き出しみたいなタイプが特にいい。何とも言えん」 「同意でござる。デザインがスマートすぎると男心は燃えないのでござる」 言い合っているうちに島らしきものが見えてきた。 開拓者らはほっとし、足を速める。 「後少しでござるな」 その『後少し』、結構長かった。 「ぐぬぬ、歩いても歩いても全然近づかん…」 見えてるから近いとは限らない。それが塩湖である。 ● たどり着いた島は石ころだらけの荒れ地であったが、背の高いサボテンがたちがすくすく生い茂り、花を咲かせている。花にはどこから来たものか蜂や虻がたかり、ぶんぶん唸っている。 自分たち以外にも生きているものがいるのだと知れば、なんとなく気が楽になるものだ。 とりあえずやるべきはテントの設営。隣り合わせて2つ。入り口にそれぞれ『男』『女』と書いた張り紙をつけておく。 霧依はそれが残念そうである。 「あら、霧雁さん。男女別なの?」 「まあ幕を隔てていれば襲いかかる事もないでござろうし」 「あら、誰が誰に?」 「それは勿論雁久良さ…いや、何でもないでござる」 次はテントの周囲に隙間なく、トリモチを塗った矢盾を並べていく(ちなみにラクダ車はテントの近くに繋いでおく)。これで忍び寄ってきたアヤカシの足を取る算段なのだ。 影を見る限り足が多かったから、近くに忍び寄ってこようものなら最低1つや2つや3つくらいは引っ掛かるはず。 そうなれば動きを阻害出来るし、位置を特定することも可能。一石二鳥。 「すばやく、かつ待ち伏せが主体か。手ごわいのう。しかしこのアヤカシホイホイ作戦なら、まずやり損なうことあるまいて」 外側から矢盾を敷き詰めていきながら、霧依が言う。 「みんな、踏むと酷い事になるから気を付けてね♪」 「触れるだけでも駄目でござるぞ…」 うっかり尻尾の先についてしまったトリモチを剥がそうと難儀している霧雁。 ファムニスは同情の眼差しを注ぐ。 「ああ、これはもう毛を切らないと駄目ですねー。私もずっと前、双子のお姉ちゃんのいたずらで蠅取り紙が髪の毛についたことありましたけど、そのときは何をやっても剥がれませんでしたもの…」 遠い目をする彼女へ、伏路が言う。 「それは難儀なことだったの。双子の姉上とやらは、ちといたずらが過ぎるようだな」 「ええ、いつもそう思います。でも気にしてませんよ。その後お姉ちゃん、上のお姉ちゃんにも同じことをやって、バリカンで丸坊主にされてましたから」 「さよか…」 トリモチ地獄も出来上がり。 後は天幕の周囲にムスタシュイルと瘴索結界を仕掛ければ完成。 作業が一段落してから皆は、改めて周囲の景色に見入った。 空のただ中に生身の体が浮いているようだ。爽快でもあり心細くもある。 思えば天儀そのものが、こういった状態にある。 (そういえば、ギルドで地上の探索を行うとかいう話も、聞いたのう…瘴気が渦巻く中に大護うんたらいう代物がいるとか…そいつをどうにかせんと天儀が危険だとかなんとか…) 壮大な鏡写しの光景に浸っていると、一切が瑣末事に思えてくる。 伏路の口から思わず知らずため息が漏れた。 「ほー……」 ファムニスがうっとり呟いている。 「すごい…綺麗なところですね…観光で来たかったです」 霧雁も天然の美に感じ入らないわけではなかったが、水の下にある物の方に、より気をとられる。 (これがイタラの塩…) 高級料理店ではグラム単位で取引されるものが、かくも野放図に存在しているとは。 「すごいでござるな…秋刀魚の塩焼きがたくさん作れそうでござる!」 霧依は夜に備えテントに引きこもり、早寝を始めた。冷え込み対策として、防寒具を用意しておいて。 ファムニスもまた彼女を見習い、仮眠を取っておくとする。 「それじゃあ、夜になったら起こしてくださいね」 「承ったでござる。拙者完徹使い不寝番にござる故、何かあればすぐに皆を起こせるでござる」 霧雁から太鼓判を押されたので、霧依の隣に潜りこみ、枕を被って明るさを遮断する。 しかれども、起こしてくれと念を押す必要はなかったかもしれない。日が沈み星が出てきた途端、勝手に目が覚めてしまった。 (ウッ…さ、寒い…) 急いでしろくまんとを着込み毛布を追加したが、急には温もらない。 隣を見ると霧依の大きなおっぱいがあった。 これ触ったら暖かいのではなかろうか。 唐突な思いつきを彼女は、実行に移す。 「さて…ちょ、ちょっとくらいいいですよね?」 ふにふにした感触にかじかんだ手も顔も緩む。 「霧依さんは…いつ触ってもおっきくて柔らかくて素敵です! もっといいですかいいですよね? にゃーん♪」 頬をすりよせたところ、いきなり後頭部に手を回され、窒息しそうなほど顔を押し付けられた。 「むぶっ!?」 霧依が薄目を開け笑っている。どうも最初から目が覚めていたらしい。 「あんっ…もう、悪戯っ子ね♪ んふふ、お返しよっ♪」 「はにゃあああん!」 (…何をやっているのでござろうか) テントから聞こえる妖しげな物音に汗をかく霧雁。 伏路はラクダにくっつき、暖を取っている。 (ぬかったわ…こうも冷え込むとはな…) 息が白い。一面の湖は今や、一面の薄氷だ。 「やはり防寒着がいったかのう…」 ぼやいた彼は、はたと顔を上げる。 四方八方果てなく広がる星空以外何も見えないが、気配がする。 ほどなくテントの入り口から、髪を乱した霧依とファムニスが這い出してきた。 「どうやら来たようね」 「ちょっと離れたところで、様子を見てるみたいです…」 せっかく罠を仕掛けたのだから是非ともかかってもらわねば。 というわけで伏路は、おびき出しをかって出る。 「よし、わしが少し離れてみよう。普通、群れからはぐれたものから狙おうとするはずだからの。皆、ラクダ車の中に身を潜めとってくれるか」 他のメンバーは居残り。彼1人そろそろ、矢盾を並べた方に近づいて行く。 耳もとでさらさらという音が聞こえた。風に吹かれた紐のれんが鳴るような。 直後うなじに、針の刺さる痛みが走る。 「あいっぎゃ!」 もしアヤカシがおびき出しにかかったなら、取り逃がさないよう大人しくしていようと決めていたのだが、それにしても容赦なく痛い。 おまけに耳の後ろや腕なんかにも次々刺さってくる。はっきり分かるくらいちゅうちゅう血が吸われている。 「いだだだだ! あだだだ! 何すんじゃい!」 思わず宙へ手を振り回すと、ちくちくする産毛がついた触手らしきものが絡みついてきた。 設置された矢盾が音を立て、動く。 「む! くせ者、そこにいたのでござるな!」 霧雁が松明を掲げた先に、長い足の影がかいまみえた。 霧依のマシャラエイトが周囲を照らす。 昼間見た化け物の姿全体が、影として現れた。 「さあ、2回目なんだから少しは長持ちしてちょうだいね♪」 『ゴールデングローリー』から発生した吹雪がアヤカシに襲いかかる。 ついでに伏路にも襲いかかる。 「待てわしまで凍るっ、凍るーっ! 寒いー!」 とはいえそのおかげで触手が取れた。 ほうほうの態で後衛に戻った彼に、ファムニスは、閃癒をかけてやる。 「伏路さん、生きてますかー!」 多少貧血気味ながら起き上がる伏路。 アヤカシの動きを静めようと、『ホーリー・ハンドベル』を鳴らしまくる。 「眠れ〜眠れ〜眠りおれ〜」 くっつつけたままの矢盾をへし折りながら、アヤカシが逃げようとする。だが光によって照らされているので、居場所をごまかすことが出来ない。 霧雁は影を目当てにトリモチのついていない脚を、次々なぎ払った。 霧依は高所にある胴体目がけ、ブリザーストームを放つ。 支える部分を失った体はバランスを崩し、地表に向かって倒れ込んだ。 数本残った足と触手を駆使するも、それはただ動いているだけで、走ることにも歩くことにもならなかった。 「天誅でござる!」 かくしてあえなく真っ二つにされたアヤカシは、アヤカシとしての一生を終える。 残ったのは夜の塩湖だけ。 頭の上に広がる星空、足の下から湧いてくる星空。昼にも増して天地の境は消え果て、島だけが宙に浮かんでいる。 伏路は飽きる様子もなくいつまでもそれらを眺め続ける。 「地の果てまで続く鏡か、美しいのう。なーんもしたくないのー」 降るような星空という決まり文句が口から出かけたが、陳腐に過ぎるかと思って止めた。 真の美の前では言葉など役に立たない。それよりもこの景色を切り取ることができれば…。 (待てよ。アイズならそれ、出来るのではないか? むらむらとアイズが欲しくなったぞ。アイズがほしい! 十年後かわしの目の黒いうちかは知らんが、いつか実用化したら買い取ってやる! その頃には多分性能が上がっておろう。記憶容量も増えておろうし、あるいは色も再現出来るようになっておるやも知れぬのう…) あれこれ夢想する彼の横では、ファムニスと霧依が神秘的な光景に見とれている。 霧雁は湖の薄氷を割り、お持ち帰りのために塩を少しばかり削り取る。 水面をじっと見つめていると、そこを突き抜けもう一つの夜空の下に立てそうな気さえしてくる。 「まこと絶景にござるなあ…」 目映い夜の中にはただ沈黙あるのみ。 後は冷え込みも。 しばらくしてファムニスが、くしゃんと一つくしゃみした。 |