【急変】新たな道を作るため
マスター名:菊ノ小唄
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや易
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/07/30 22:37



■オープニング本文

 雨の上がった空は思っていた以上に青く広く、朝露に濡れている足元の草がきらきらと輝いていた。そしてそれ以上に輝いていたのは自分の足元から北へ広がる湖の水面。それを囲む、緑の林まで光を映して眩しい。思わず口から声が漏れた。
「………なんて、きれいな……」

 ここは理穴国、平野部のとある湖。理穴東部の急変に際し、東部から避難してきた者たちが一時的に身を寄せている場所だった。避難の手伝いの仕事をこなした後、一昨日の迷子騒動を経て、ここに数日留まることにした山県 フミ(iz0304)。朝起きたフミは湖に見とれていたのだった。
 彼女はなんとなく、本当に何の理由も無く、かけていた眼鏡を外す。隻眼で、視力が残っている目もあまりよく見えないため、眼鏡を取れば全てがぼやけ、風に吹かれて幾重も波立つ水面もただの平面となる。だが、それでも水色の光が広がるさまは美しいと思えた。それがなんだかとても嬉しくて、フミは笑いがこみ上げてくるのを感じる。
「ふふっ」
 その小さな声に反応したのか、隣に居た炎龍がフミの顔を覗き込んできた。フミは自分の大事な相棒であるその龍、楼焔の首を撫でる。撫でながら、湖のほうを見た。
「楼焔、見て。とってもきれい。きらきらして、まぶしいわね。眼鏡無しでも気にならないくらいきれい」
 龍には美しさを楽しむ感性など無いであろう。しかし楼焔はフミを見て嬉しそうにしている。ゆらりゆらりと尾が揺れ、機嫌が良い。自分が楽しければ楼焔も楽しいのね、と改めて思ったフミは余計に楽しくなった。

 湖を暫く眺めていたフミは、ふと、あることを思い出す。
「あの人たちがここで行きていくには、どうしたらいいかしら。人が生活できるようにするためには」
 故郷へ戻る心づもりをしている者には、ギルドや国からの支援があるそうだ。だが、東部へ戻らぬつもりの者も少なからず居るという。 『故郷へ戻らぬ決意を固め始めた人たちを応援したい』
 数日をこの地で過ごした彼女の中では、そんな気持ちが強くなっていた。

 ああでも、とフミは顎に軽く手をやって考える。
「賑やかな場所にはしたくないわね。汚れてしまいそうで、嫌」
 現状、ほとんど人の手が入っていない、自然の広がる美しい場所。理穴国民の宝のひとつとも言える場所である。そこを踏み荒らしてしまうようなことだけは避けたい、とフミは思った。

「ここで何ができるかしら。この湖と、周りの林を美しいまま残して、人が住める場所にするには何が要る?」
 自分だけでは、正直なところよく分からない。そのため張り紙を十枚ほど用意した。

『お節介な、隻眼の駆け出し開拓者より
 ここに残ることを考えておられる避難民の方々へ

 この地に残るために必要な物、場所、仕事。
 どうしたらいいか、集まって考えてみませんか?
 非力な身で僭越ながら、何かお手伝いができないかと考えています。

 何人でも構いません、老若男女も問いません。
 日時と場所は以下の通りです。よろしくお願いします。』


 張り紙が湖周辺に点在する天幕郡に張り出されてから数日後、十数名が集まって話し合いが行われた。また、フミが聞いてみた限りでは、残留を希望するのは今のところ五十人前後と思われる。
 ここに残りたい者たちの中で一致していたのは、まず『故郷を見捨てるようで後ろめたい気持ちはあるが、安全な場所へ来る機会もそうそう無いので残りたい』と少し迷いは残れど前向きな気持ち。また、『この湖と林は大事にしていきたい』という思い。そして『ここで作ったものを、ここから飛空船で送り出し、ここで必要な物を手に入れる手段にできないか』という考えだった。

 そんな話に対して、フミは思い切ってこんな提案をしてみた。
「ここで、生き物を育ててみるのはどうですか」
 と。
「龍の仔を育てたり、我々の相棒となってくれそうな精霊やケモノを探してみたり。
 ……どれがうまくいくかわかりませんし、簡単なことでもないと思いますが」
 言い終えてから、静かになってしまった周囲を恐る恐る窺うフミ。大それたことを言ってしまったかしら、と。緊張しながらもよく見てみると、集まっている避難民たちの顔に否定の色は少ない。ほっとしながら、フミは反応を待つ。そして、口を開いた避難民たちの言葉に耳を傾けるのだった。



■参加者一覧
羽喰 琥珀(ib3263
12歳・男・志
ソウェル ノイラート(ib5397
24歳・女・砲
白葵(ic0085
22歳・女・シ
桃李 泉華(ic0104
15歳・女・巫
ラサース(ic0406
24歳・男・砂
源三郎(ic0735
38歳・男・サ


■リプレイ本文


●一日目、触れ合いの時間
 朝靄が消え、昼の日差しが地面を温め始める頃。
 理穴西部の平野、とある湖と林の間に、東部から避難してきた理穴国民たちの天幕郡に賑やかな子供のはしゃぎ声が響き始めた。
「でっけー! かまない?」
「噛まない噛まない。イタズラとかしなけりゃ、すっげえ優しいんだぜ」
「そっかー!」
 その子供達に紛れ、楽しそうにあれやこれやと喋っているのは、虎の丸い耳と縞の尾が特徴的な羽喰 琥珀(ib3263)だ。そして、琥珀や子供達を見守るように視線を巡らせているのはラサース(ic0406)。しかし、彼の銀灰色の耳からは布が垂らされ、その表情を隠していた。寡黙さも相まって、彼のそばには琥珀の周囲ほどの賑やかさは無いが、大人しい子供や内気な子供にとってはむしろその静かな雰囲気が気安かったらしい。数名が、彼の走龍、アシュラカに触っていいかと尋ねてきた。
「構わない。首の辺りを撫でてやるといい」
 恐る恐る、硬めの羽毛が生えたアシュラカの首を撫で始める子供達の後ろから、あの……、と少女の小さな声がかかった。年の頃は十を少し越えたほど。
「もしかして、この龍が、足の速い龍ですか?」
「知っているのか」
「亡くなったおばあちゃんに、聞いたんです。………あの、わたしにも、乗れますか?」
「ああ、構わない」
 少女の顔が、ぱっと明るくなる。
「但し俺が同乗することになるが」
 という言葉にも、少女はすぐ、こくりと頷く。
 その少し後、突如広がった視界に目を見開く少女と、面布で視界を自ら狭める雪豹の獣人を乗せ、風を切って湖畔を疾駆する走龍アシュラカの姿があった。

●出発する者、見送る者
 さてその頃、源三郎(ic0735)は、相棒の炎龍、鶴吉の背に鞍を置き、鐙を確かめ、怪我や不調が無いか確認し、調査の準備を済ませていた。筆記用具を持った彼は、今日の調査を共にする琥珀が、駿龍の菫青と一緒に戻ってきたのを見て軽く手を挙げる。
「あっしのほうは準備万端整っとりやす」
「おう。俺も、あと紙だけ持ったら行けるぜ」
「でしたら、こいつを使っておくんなせえ」
 ここの方々から貰ってきやした、と言って源三郎は手にしていた数枚の紙を分け、琥珀に渡す。
「助かる! 後でみんなにもお礼言わねえと」
「全くでありやすな」
 頷き合う二人の少し向こうでは、白葵(ic0085)が人を募って林の野草や木の実といった食材になりそうな物を探しに行く準備をしていた。子供から大人まで、手の空いている者が全部で十名ほど集まっている。大なり小なり、各自無理なく持てるだけの土嚢を担ぎ、林の中の泥濘対策とする。
「野草見よー、いうて、泥濘だらけやったら困るし、な」
 実は、先日この林で自身が泥濘にはまってしまったが故の、しっかりとした準備なのであった。

「時報代わりに銃を鳴らすから、帰ってくる目安にして」
 と、ソウェル ノイラート(ib5397)は調査に出発する一行を見送った。

 そしてソウェルは相棒の手入れをしている桃李 泉華(ic0104)の所へ。気付いた泉華が手を止める。
「ソウェルさん、この後どないしよん?」
「周りの警戒用に、この辺の人たちと鳴子の準備してくるよ」
「せやったらウチ、このあと精霊とかケモノの話、しよるよって、小さい天幕声かけて回っとく」
 それじゃあ、と二人は時間を決める。
 そこへ、走龍が軽快な足取りで駆け込んできた。背にラサースと子供を乗せたアシュラカだ。
「おかえり」
 ソウェルから声をかけられたラサースが、アシュラカから身軽に降りつつ尋ねる。
「他の者はもう出たか」
「うん、ついさっき。そっちは、この後どうする?」
「ケモノの生息状況を調べに」
 明るい表情の少女をアシュラカから降ろして答えるラサース。少女はラサースとアシュラカに礼を言い、自分の簡易天幕へ駆けていった。ソウェルは時報のことをラサースにも伝えると、少女を追いかけるように鳴子の準備に出かけていったのだった。

●調査、また調査
 ラサースがケモノの調査へ、ソウェルが鳴子作りへ行き、泉華は湖周辺の天幕郡へ。三人がそれぞれ動き始めた頃、先に調査へ出発していた者たちも少しずつ収穫を得始めていた。
 琥珀と源三郎は、龍に跨り空からの調査。源三郎がまず簡易な図を書いて回り、その間に琥珀が川と土地の様子を観察していく。田畑に出来そうな場所にいくつか目星をつけてきた琥珀が、源三郎と合流し図を受け取った。
「こんなもんで?」
「おう! ありがとなっ」
「礼には及びやせん。では、あっしは森に降りてケモノの様子を見てきやしょう」
 先日見かけたケモノの他に、どんなものが居るか調べに行くという。琥珀は頷く。
「俺は、これもっと細かく書き込んでくる。そんじゃ、またあとで!」
「よろしく頼みやす」
 と言って二人は別れたのだった。

 源三郎が降りていく前。森の中では白葵と避難民の人々が野草探しに精を出していた。白葵も人々も、緑が深い場所の出身であるため、野草の扱いにはそれなりに慣れている。だが、見知らぬ土地に育つ植物は見てみないとわからない。また、幼い子供たちも混ざって野草探しをしているため、彼らが変な物を見つけて何かしでかさぬよう注意する必要もあった。
「な、これ知っとる?」
「いえ、見たことないです。白葵さんは?」
「似たもんなら知っとる、煎じると毒消しになるねんけど……こっちは確認せえへんとな」
 白葵と子連れの女性が話していると、女性の子供が言った。
「にてるんなら、おなじよーなのにならないの?」
「なるかも、ならんかも、わからへん。ただの毒になってもーたら、人が死んでまうやも」
 そんなんあかんやろー? と白葵が話し、子供はそっかーと頷く。
「なんでも使う前に調べな、な。わかったひとー?」
「はーい!」
 素直な返事を聞いて頷き返し、白葵は周囲を見回す。蔦や茂みの多い林の中は、探せばかなりの種類の植物があった。
「採り尽くさんと、うまく使っていけたらええやんなぁ」
「そうですね」

 ラサースはその頃、林に住むケモノの調査のため、アシュラカを走らせていた。何が居るのか、何が危険か。いつ、どのように動き回っているのか。確認すべきことは多く、多大な労力と時間が必要だが、使える時間は限られている。
 彼は小さな狐のようなケモノの観察をしていた。偶然にも、それが動物を捕食する瞬間に居合わせたのだ。捕食したのが自分の体より大きな猪であったこと、そして林に紛れるくすんだ緑色の毛並みが明らかに通常の狐と違うことから、肉食のケモノであると分かったのである。
 言葉が通じなかったため観察するしかなかったが、家族単位で巣を作っている様子。行動範囲が意外に狭いこと、そして湖を囲む林の北半分にしか生息していないことを確認した。さて他に調べられることはないか、とラサースが考えていると、
「もし、ラサースさん」
 と声がかかる。龍から降りて近付いてきたのは源三郎。
「今は何をしてらっしゃるんで?」
「小さな狐型のケモノの調査を。肉食だ、猪を捕食していた」
「ほう、そいつぁ大物でござんすな」
 しばらく立ち話をして行動範囲などの情報を共有し、二人はまた別々に調査へ。

 源三郎が調べるのは、先日この林で迷子捜しをした際、彼が討伐したケモノの居た辺り。動物の糞や足跡を頼りに気配を探る。
 細い獣道を見つけたが、細すぎる。これはハズレかと思った直後、この道と交差している別の獣道が見えた。
 こちらは、かなり大きな動物が幾度も行き来しているようで辿るのは容易。慎重に進むと、その先に巨大な生き物の気配が。息を詰め、静かに様子を探ろうとすると、奥から低い声がした。
「そこの男、私に、用かね」
 焦りの欠片も感じられぬ低い声に、源三郎は息を詰める。だが彼には、焦ることなく応対することができる度胸があった。
「湖のそばで人が住めるか、調べている。そちらは何者か」
「私は、この林の主、荒事は好まぬ、老いた黒熊だ」
 前方の茂みの塊に見えた場所から出てきたのは、見事な体躯の黒い熊。牙は目立たず、代わりにしなやかな体格と器用そうな爪を四肢に持つ。褐色の組紐にも蔦にも見えるものが胴を幾重にも飾り、長い年月を過ごしてきたケモノであることを示していた。
「先日、ケモノを殺したのは、お前か」
 単刀直入な言葉を投げてくるケモノを、源三郎は見つめ返す。そして
「ご慧眼で」
 臆せず、静かに言った。黒熊が少しの間沈黙する。風が吹いて、口を開いた。
「お前の中に、偽りは無いようだ」
「ご理解に、感謝いたしやす。……人が、ここに住むことは可能でござんしょうか」
 源三郎が尋ねると、返ってきた答えは短かった。
「対話の、結果如何である」
 そして、行け、と言って林の主はぐるりと背を向け姿を消した。
 数秒して、源三郎は深く深く息を吸い、そして長く吐き出し、茂みに向かって頭を垂れたのだった。

●ケモノとは、精霊とは
 源三郎が林の主と遭遇していた頃。湖のそばでは開拓者の相棒たちを囲んで人々が言葉を交わしていた。
 ケモノや精霊のことを知りたいと集まった人々が、猫又に興味津々の眼差しを向ける。一人の少年が、猫又ハバキの前で細長い葉を振った。ハバキはそれを見てちらっと目を上げ、言う。
「なに? 遊ぶの?」
「わ、しゃべった!!」
 叫ぶ少年。ハバキが、なにいってんの、という顔をして、
「そりゃ喋るよ」
「お、おお!?」
 少年が腰を抜かしているのを横で見ていたソウェルが小さく笑った。
「ああ、猫又は賢いよ。人並みに話せる。ケモノは長く生きると喋れるようになることがあるらしい」
「へええ」
 驚きからなんとか立ち直って感心している少年に、一言、ハバキに断れば触って構わないと伝えてから、ソウェルは注意事項を付け加えた。
「ただね、猫又は一般的にケモノの性が強いから、他の猫又を見たときは無闇に近づかないほうがいい」
 その辺りについてハバキはちょっと参考にならないかも、と。
「そっかー。ええと、ハバキ? さわっていい?」
 少年がハバキに尋ねると、少し不服そうに
「男かぁ。……どーぞ」
 と言って地面に伏せた。首を傾げながらも、そっとハバキを撫でる少年。ソウェルはまた口の端に笑みを乗せながら、
「何か美味いものでも見せれば、もう少し愛想良くなるかもね」
 と少年に言うのだった。

 少し離れた場所で、地面に寝そべる駿龍の灯夏に寄りかかり、避難民たちと話をしているのは泉華。内容は主に、彼女自らが用いる精霊術の話だ。
「精霊はいっつも側に居る。見えへんだけで、ちょっとずつ手ぇ貸してくれとるねん」
 例えばこうやって……と泉華は目の前に小さな火を出現させる。
「これもな、そこらに居よる精霊の力借りよん」
「精霊に、言うこと聞かせるんですか?」
 すごい、という顔で問い返した女性に対して泉華は首を横に振った。
「ちゃう。精霊に助けてもろてん」
「助けてもらう……」
「上下やのて、協力関係やな」
 ああなるほどと女性が頷き、では、と続けた。
「協力してくれる精霊を見つけないといけない、と」
「せやね。……ゆーても、ウチはそこまで深ぁ考えんと手ぇ借りとるさかいなぁ」
「きっと、志体があるから簡単なんでしょうねぇ」
 少し羨ましげな目をして笑う女性だが、まぁ人は人だし自分は自分よね、と呟いて気持ちを切り替えた様子。別の者が、一定時間毎に銃声で時刻を知らせに行くソウェルを見送りながら、
「あの人のケモノは、喋るよね。精霊も喋る?」
「ある程度、力のある精霊なら。もふら様とかも精霊や。あれも喋りよるしな」
「あ、そうか」

 林に会話可能な精霊やケモノがいれば話してみたい、協力してくれるものが居るだろうか、そんなふうに話題が広がっていくのだった。

●情報交換
 幾度目かの銃声が湖周辺に鳴り響いてから少し経ち、林へ調査に行っていた人々が帰ってくる。湖南側の中央天幕に集まった。
 琥珀は地図の写しを作る。
 白葵は林の野草の一覧を用意する。
 ラサースと源三郎は森の生き物やどこに何があったか情報をまとめ、把握する。
 泉華とソウェル、そこにフミも加わって、今日の話を元に村の考えを書き出す。
 そうしてまとまった情報を更に共有しあい、天幕に集まった者たちは明日の行動を考える。

 明日、川のほうまで調査に行かないか、という琥珀の募集を聞いて、この地に残留を希望する者の一人が首を傾げた。
「具体的には、何をしに?」
「うん。俺は農業したことねーしさ、みんなの方が知識豊富だろ? だから、あの辺が田んぼとか畑にちゃんと使える場所かどうか、調べてほしいんだ」
「ああ、そういうことでしたら、何人か経験者を集めましょう」
「おう、よろしく!」

 ラサースは、源三郎から林の主の話を聞いて、明日、挨拶へ行くことに。同行を申し出たのは、精霊やケモノについて話をしていた、泉華と残留希望の避難民たち。避難民らは緊張気味に明日の話を始める。
「林の主は、我々と対話をするつもりがあるんだと」
「何を話したらいいんだろうね」
 そんな彼らに、泉華とラサースは話す。
「共存したいねんて伝えるんが大事やな」
「それが伝われば、この地について教えてもらえる可能性もある」
 面々は、夕食の時間だと外から呼ばれるまで、あれやこれやと意見を出し合うのだった。


●二日目、再調査
 朝一番、炎龍の柳に土嚢を持たせ、その背に乗って林上空からの調査へ向かった白葵に続き、琥珀と源三郎、そして避難民たち十数名が川と湖の調査へ出発。

 彼らを見送ってから、徒歩で林へ入っていくのはラサースと泉華、そして同行を希望した避難民五名。五名は緊張した面持ちで開拓者たちの後を負う。
 しばらく歩いて一行は太い獣道に辿りついた。恐らくこれが、とラサースは位置を確認する。
「この先のようだ」
「ほな行こか」
 ラサースに避難民五名が続き、泉華が殿を歩く。源三郎が話していた茂みに着くより先に、声がした。
「何の用か」
 ゆったりとした低い声。一行は歩みを止める。
「この地に住もうと考えている人々を連れてきた」
 言ったラサースは、あとは五名が話すよう促した。
「この地に住んで、何がしたい」
 低い声の問いに、口々に答える避難民たち。
「新たな住処を得たく思うております」
「生きていくために何ができるのか、探っているところです」
「この地の恩恵に与って、糧を得ることも必要となります」
「そのためには、この地の者と共存していくこともまた必要」

 それを聞いて、突如、威風堂々とした黒熊が姿を現した。
 腹に響く低い声が、一行の間近に迫る。
「お前たちが、頂点に立って、下のものを取り尽くす、それは無いと、言い切れるか」
「それをしないことこそが、ここに住まうための必要事項と考えます」
 一人の娘が、きっぱりと言った。背に蔦のような飾り紐を纏う黒熊が、目を細める。
「その言葉、忘れるな、忘れたとき、お前たちに対し、私は、この林の主として、責務を果たさねばならぬ」
 ひと呼吸おいて、林の主は続けた。
「お前たちと、家族、友人、仲間、全てに伝えよ」
 娘が、はい、と答えた。
「生きるに必要な分だけ得よ、それより多くを得たならば、更に多くを失うと」
 はい、と再度答えた娘の後ろから、泉華が言った。
「みんな、喧嘩する気ぃは無いで。きっと約束して、守ってくれよる」
 泉華の言葉に頷いてから、ラサースが言う。
「助力を頼みたい。この地の天候、災害、気をつけねばならぬこと、そういった知識が欲しい」
「この地に住む者全てが、約束を果たす気になれば、必ず伝えよう」
 林の主はラサースに向けてそう約束すると、背を向け、歩み去っていった。

●膝突き合わせ
 その日の仕事を終えた面々が、再び南の天幕に集まった。

 天幕の外で始まるのは、ラサースによる狩りで使える道具の作り方講座。
 彼は林の主との約束を伝えた上で、
「これに同意できる者のみ残るように」
 と静かに言う。
「そして、少しでも異論があるなら、作り方を学ぶのは別の機会にするように」
 はっきり述べ、集まった者たち一人一人の顔を見て、同意を得てから開始した。

 天幕の中で始まるのは、今後ここで何ができそうか、何がしたいか、そういった意見の出し合いである。
 まず、琥珀が話し始めた。
「開拓者が連れてる朋友の、保養地にするってのはどうだ?」
「保養地か、悪くない」
 頷く避難民たち。琥珀は続ける。
「だろ。体を休めるのには良い場所じゃねーかなって思うんだ。他にやるべきなのは、火事に備えることかな」
「林は生命線だしね。土地柄、湿度は高めだけど非常時の対策は要る」
 ソウェルが相槌を打つ。それを聞いて、あ、と琥珀が話を変えた。
「林といえばさ、落ち葉を集めて腐葉土して使えるぜ」
「せやな。あと、やっぱ林の沼は幾つか埋めてもうたほうがええんと違う?」
 泉華の言葉には、今日黒熊に会った者たちが
「どれを埋めてもいいのか、林の主に聞いたほうが良いだろうかねぇ」
 と頷く。その話を紙に書き留めているのはフミ。
「フミさん、湖のことどない思う?」
 泉華から話を振られて、フミが少し考えるふうに小首を傾げてから言う。
「必要最低限の利用に留めるべきかなって」
 でもこれは私の意見ね、と断るフミ。だが、それに同意する避難民たちの声は多かった。
「白も、湖はずっと綺麗であってほしい」
 白葵が口を開いた。
「よそん人が来て近寄らんよう、長とか決めて管理するのんとか、どないやろ」
 彼女の提案にも、周囲は深く頷いた。
「勝手に来て、勝手に汚されたら敵わないし」
「西の川沿いにさ、湖まで行ける歩道を作るのはどうだ? 途中に神社か管理所も建てて、来た人に注意したり説明したりする」
 と説明。泉華が
「神社、悪うないなぁ。年にいっぺん、神事として祭をすんねん。そん時だけは、よその人も歓迎で」
 何を祀るかは改めて考えよう、湖畔に奉納舞のための舞台を、と話が盛り上がる。出店もあればいいが湖のそばでの飲食は禁止にしよう、と話が進むと、源三郎が少し身を乗り出した。
「今日、川を見て参りやしたが美味い鮎が漁れやした。これを特産として売るのはいかがで?」
 アラを取って塩を振った丸焼きなら出店でも簡単にできやすよ、と源三郎。ソウェルがそれを聞いて頷きながら、
「林の主に尋ねることが増えたね」
 と紙にいろいろ書き込んでいるフミに言う。その言葉に、眼帯に眼鏡をかけた娘が頷く。
「こんなにたくさん、できそうことがあるなんて思ってもみなかった」
 今書き込んだ紙と、これまで残留希望者たちから聞いた意見を書きためた紙を改めて眺め、フミは言う。
「なんだか、楽しみ。しばらく神楽には帰らないからよろしく、って家に連絡しよう」
 眼鏡の奥の左目を細め、いたずらっぽく笑う。それを見て泉華が
「あーあ、あの人も可哀想に」
 と言って笑う。神楽の家で留守番をしているというフミの乳母の気苦労は如何ばかりか。
「誰であれ、自由はあるのでごぜえやすよ」
 源三郎が、そのいかつい顔に笑い皺を作る。そして正座したまま背筋を伸ばし、周囲の残留希望者たちを見回して言った。
「生き方を変える機会は一度きりなんてことは無く、早過ぎると言うことも遅過ぎると言うことも無い。あっしはそう聞き及んでおりやす」
 どうぞ頑張っておくんなせえ、と源三郎は微笑んだ。


 一寸先は闇、そう思っていた残留希望者たち。しかし、灯火が幾つも集い、灯明が大きくなって、様々な道を敷いていける地面が足元に広がっていたことを知る。
 大きく変わる生活、大きく変わる未来。彼らは期待に胸を膨らませ、一歩、足を踏み出した。