爪痕を追う者
マスター名:きっこ
シナリオ形態: ショート
無料
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2009/08/14 22:21



■オープニング本文

 神楽の開拓者ギルドには、四葉という名の受付係が勤めている。
 年の頃は十四・五、さらさらの銀髪を綾紐で高く結い上げて流し、瞳は吸い込まれるような深い碧色。いつも着物の裾を膝丈まで上げた着こなしをしており、今日は藤色に白百合をあしらったものに緑青色の帯を合わせていた。
 ここ最近、四葉が気にしている人物がいる。
 対応を終えた依頼人を見送ってから視線を送ると、その人物は依頼掲示板の前から受付卓を振り返った。眼が合い、一瞬はっと視線を反らせてしまったのがまずかった。
 壁際を離れ、こちらへと向かって来る。受付係である以上そこから離れるわけにも行かない。四葉は諦めてその人物と向き合った。
 それは、ギルドには幾人も訪れる開拓者の一人だ。
 背中まである黒褐色の髪を後ろで無造作に束ね、着崩した山吹色の着物の胸元からはきつく巻かれたさらしが覗いている。小菊を模した紋様が配された袖の左腕は、動くたび虚になびく。
 中性的だが端整な顔立ちは、見る者によって男女どちらとでも取れそうだ。鳶色の瞳は真っ直ぐ四葉を捉えていたが、左側は大き目の眼帯に覆われている。それでも隠しきれない傷が頬に覗いて見えた。獣の、爪痕のようだ。
「鬼灯さん、あの‥‥」
「新しい依頼が入っていたな。見せてくれ」
 凛としていながら淡々と響く声に促され、四葉は完成して間もない依頼書を鬼灯に見せた。
 それは、とある村に忍び寄らんとしているアヤカシの脅威を退けてほしいという依頼だ。
 村の近くにある林で、兎や鹿が食い散らかされた痕跡が次々見つかるようになった。最初はケモノの仕業かと思っていたのだが、そのうち薪取りや狩りなどに出かけた村人が被害に遭った。
 村人も警戒して遠出はせずにいたのだが、村から遠い位置に発生していたはずの痕跡が思いもよらぬほど短期間に接近していたのだ。
 鬼灯はアヤカシの痕跡についての記述に眼を留めた。
『抉られたような傷が数本並んで木に残されていた。鋭い爪を持つアヤカシである可能性有り』
 四葉に依頼書を返し、鬼灯は言った。
「この依頼を受けよう。俺の名前を登録しておいてくれ」
「でも、このアヤカシが鬼灯さんの探しているものかどうかわからないし‥‥」
 その言葉に、鬼灯はほんの少し表情を動かす。瞳には驚きの色が見て取れた。
「‥‥会えばわかる」
「あのっ‥‥」
 踵を返し立ち去ろうとする背中に、四葉は慌てて呼びかける。すると鬼灯は肩越しに僅かに振り返り、
「案ずるな。一人で行くような事はもうしない」
 ギルドの喧騒に紛れ辛うじて聞き取れる声を残して去っていった。


(「爪のある‥‥アヤカシ」)
 ギルドを出た鬼灯は夏の日差しを降らせる太陽を高く見上げた。完治したはずの古傷が痛むような感覚に、残った右腕で左肩を押さえる。
 あの日も、こんな蒸し暑い夏の日だった。
 星が瞬く事すら許さないくらいの輝きを放つ月だけがやけに綺麗な、妙に静かな夜。
 いつもうるさいくらいに鳴いていた虫の声すら止んで。
 静かなのは、辺りに動く者がいなくなったから。
 酷く濃い血の匂いに、鼻は麻痺してしまっている。
 夜露に濡れた草の中に投げ出された身体はいう事を聞かず。皆が無事なのか否か、声を出そうにもその力すら出ない。
 仰向けに倒れたすぐ上でころころと生る鬼灯の朱が、やけに赤く月に映えて。眼を閉じても脳裏に焼きついているように思えた。
 命は、肩から先と左眼を失った傷口から血と共に流れ出し。
 意識もすぐに零れ落ちていった。
 ――悪夢は、いつもそこで途切れる。
 薄らいでいった意識が巻き戻されるように、光を求めて深遠から浮上する。
 悪夢から覚めるときはいつも同じ。夢の中で幼い自分が意識を失うのと入れ替わりに、現在の自分が眠りから覚めるのだ。
 八年前に、村を襲った惨劇。最後に消えかけていた一つの命を救ったのは、全てが終わった村を訪れた旅の剣士だった。
 命を救われた自分は彼を師と仰ぎ剣術を学び、志体持ちであった事が幸いし開拓者となることもできた。
 今は亡き師は繰り返し言っていた。全ては済んでしまった事なのだと。失ったものは取り戻す事はできないのだ、と。
 わかっている。家族も、失った腕も眼も、取り戻す事などできない。
 だが今も自分の夢の中では夜な夜な惨劇が繰り返される。過去の記憶と片付けるにはあまりにも生々しく、その度に腕を、眼を、家族を奪われ続けるのだ。
 この悪夢を過去へと切り離すには、その元凶を断つしかない。
 あの夜に突然村を襲ったアヤカシを討つしかないのだと。
 理由も無く確信したまま、今もこうして生き永らえている。
 右手を方から離して歩き出した鬼灯の姿は、神楽の雑踏に紛れていった。


 その後四葉は、同じ依頼を受けんとする開拓者がいる度に密かに鬼灯の事を語る。
「あの人、きっと自分の腕と眼を奪ったアヤカシを探してるんじゃないかと思うんだ」
 神楽のギルドで顔を見るようになってから、ずっと爪を持つアヤカシを探している様子だったと四葉は言う。
「ちょっと前は、別のアヤカシのところに一人きりで行ったりもしちゃったくらいだから‥‥今回の依頼も、あんまり見せたくなかったんだけど」
 前回は正式に依頼を受けた開拓者達が遅れて追いついたので事なきを得た。流石に学習したのか、今回は依頼に入って向かう事にしたらしい。
「その時、右傷に傷を負って‥‥まだ完治していないみたいなのに。だからお願い! 鬼灯さんが無茶しないように、それとなく助けてあげてほしいんだ」
 大して親しくも無い一人の開拓者に何故それだけ必死になるのか。
 疑問を投じた開拓者に、四葉は少し笑って言った。
「アヤカシに家族を奪われる辛さや、そのアヤカシを自分の手で討ちたいって気持ちは四葉もよくわかるから。それにあの人の顔‥‥」
 一度言葉を切って、恥ずかしそうに小声でこう告げた。
「四葉の死んだお母さんにちょっとだけ似てる気がして」
 開拓者だった母は、敵わぬとわかっているアヤカシに一人立ち向かって命を落とした。幼い四葉達を、生きて逃がすために。
 自分も開拓者としての資質があったらなら、もしかしたら鬼灯のようになっていたかもしれない。
「無茶して死ぬのは絶対駄目だから! ね、お願いします!」
 四葉はもう一度、深々と頭を下げた。


■参加者一覧
万木・朱璃(ia0029
23歳・女・巫
野乃宮・涼霞(ia0176
23歳・女・巫
鷲尾天斗(ia0371
25歳・男・砂
桔梗(ia0439
18歳・男・巫
鶴嘴・毬(ia0680
24歳・女・泰
鬼灯 仄(ia1257
35歳・男・サ
空(ia1704
33歳・男・砂
千王寺 焔(ia1839
17歳・男・志


■リプレイ本文


 村に到着した開拓者達は、手分けして話を聞いて回った。
 討伐が済むまで森に入らぬよう、極力建物の外にも出ぬようにも告げ、人気の無くなった村の広場に集合する。
 村を回っている間は桔梗(ia0439)が同行し、鬼灯一人で林へ向かってしまう事は無かった。が、皆で情報交換する間も鬼灯はアヤカシがいる林の方をじっと見つめている。
(「子守つきの依頼か‥‥」)
 空(ia1704)は内心呟く。
 鬼灯の左を眼帯で覆った顔は、全ての感情が抜け落ちてしまったのか微かな表情も表れず、中身の虚ろな人形が在るようだった。意図してやっているなら大したものだが。
「鬼灯さん。探しているアヤカシの特徴などを聞かせてもらえないか」
 千王寺 焔(ia1839)が呼びかけると、鶴嘴・毬(ia0680)も頷いて言う。
「もしアヤカシが本当に鬼灯氏の仇なら、やっつけさせてやりたいからな」
「あまり、覚えていない」
「おいおい、嬢ちゃん。それじゃあどうやって見分けるってんだ?」
 鬼灯の返答に、からかうようなに鬼灯 仄(ia1257)が切り返す。彼女を名で呼ぶのには流石に抵抗がある。
「立ち合えば、わかる‥‥」
 蘇るあの夜の記憶に疼く傷に、鬼灯は左肩を抑えた。そこへ空が口を挟む。
「他人の事情に深入りする気なんてサラサラねぇし、相手を見りゃわかるってんならいいさ。が、傷を持ったまま行くっつーのだけはいただけねぇなァ」
「怪我のこと、四葉に聞いた。‥‥心配してた」
 空と桔梗に言われ、鬼灯は右腕の事だと理解した。
「巫女が三人もいるんだ、ちゃんと治療してもらえよ。言う事きかねぇと‥‥」
 仄が力に物言わせんとする素振りを見せると、鬼灯は大人しく従った。野乃宮・涼霞(ia0176)が神風恩寵で傷を癒しながら言う。
「さっきは辛い事を聞いてごめんなさい。仇を討ちたい気持ちも解るから‥‥けれど、一人で挑む事だけは決してしないで。皆と一緒に戦い、無茶をしない事」
「全ての傷を癒せるわけではありませんが‥‥少しくらいは楽に出来ますから。遠慮なく頼ってくださいね。貴女は一人ではないですから」
 万木・朱璃(ia0029)も言い聞かせるように言うが、鬼灯は沈黙を返す。
 鷲尾天斗(ia0371)はそんな鬼灯を右眼で見つめた。
「復讐ねぇ。まぁ、頑張ってや」
 さらりと言ったその実、眼帯の奥で空洞となった左の眼窩には疼きを覚えていた。仇に対する復讐を誓い自ら抉り取った天斗の左眼。仇に奪われた鬼灯のそれと差異はあるが、身内を奪われ仇討ちを成さんとする境遇は同じ。
 両者とも行くは修羅道。しかし同情はしない。復讐を果たすために必要な何かが、自分の中で壊れてしまうと解っているから。
「運が有る奴と強者は生き、運が無い奴と弱者は滅びる。この世の摂理っていうやつかね。事を成したきゃ死なない事だ。泥水をすすってもな」
 森へ向かう天斗の背中を見つめていた鬼灯は、すぐにその後を追って歩き出した。
「四葉ちゃんの心配も最もですね。失ったものを思えば復讐に走るのは仕方ない事。だからといえ、みすみす危険へと飛び込ませる訳には‥‥」
 涼霞は、自分の呼びかけに返事をもらえなかった事が気がかりでならない。妹分と共に歩き出しながら朱璃も言う。
「彼女の気持ちは分かりますが、それと無茶は別の話ですからね。しっかりとふぉろーしてあげますか」
「復讐を生きる糧に使うのもいいだろうけどな。ああいうのはちょっと構ってやってた方が後々いいんだよ。じゃねえと、復讐の後に何にも残らねえ空っぽの人形になっちまう」
 仄は同じ偽名を使う者同士、鬼灯を放って置く気にもなれない。
 遠ざかる鬼灯の背中を追いかける桔梗の瞳に決意の光が宿る。
「今の鬼灯は、アヤカシに、心まで奪われてる気がする。鬼灯の身体も、心も、未来も、鬼灯のものなのに」
 彼女がそれを大事にしないなら、この手で守らなければ。


 林の中へ少し入った所に、爪で幹を抉られた大木がある。村で聞いた話では、これが一番新しい痕跡だという。
「思っていた以上に村に近い。甚大な被害が出る前になんとかアヤカシを退治しておかないとな」
 毬が言うと、空は林の奥を見透かす鋭い瞳に愉悦の色を滲ませた。
「さぁ、狩りの時間といこうじゃねぇかァ」
 ここから、村で聞き出せたアヤカシの痕跡や被害発生場所を辿る。それらがアヤカシの行動範囲内ならば、途中で行き逢う可能性は高いはずだ。
(「似ている、けれど‥‥」)
 まだ確信は持てない。
 幹の爪痕を見つめたままの鬼灯に涼霞が声を掛けた。
「さ、遅れないうちに」
 涼霞が取ろうとした右手は思いもよらぬ勢いで振り払われた。驚く涼霞だったが、鬼灯もそれに負けぬ程驚いたようだ。が、一瞬浮かんだそれも、すぐに無表情の中に沈む。
「何かあった時に、即座に反応できない」
「‥‥あ。ごめんなさい」
 鬼灯の言わんとする事に思い当たり、涼霞は謝罪した。隻腕の鬼灯にとって、武器を持つ右腕だけが自らを守り敵を討つ唯一の手段なのだ。
「なら、こちらの袖を掴んでいても? ちょっと緊張していて、不安なの」
 言って、涼霞は鬼灯の左袖を摘んだが今度は拒否されなかった。言葉の後半は半分方便だ。こうする事で鬼灯が先走るのを少しでも防ぎたかった。
 桔梗は鬼灯が身を引いた時に聞こえた微かな声を思う。
(「死が、伝染する‥‥?」)
 だから触れてはいけない、と。確かに聞こえた訳ではなく、鬼灯に尋ねてもきっと答えは返って来ないだろう。
 しばらく奥へ向かいたどり着いたのは数日前に猟師が襲われたという場所。茂みが踏み荒らされている等、当時を思わせる痕跡が残っていた。
「さてさて、どんなアヤカシなのかねぇ」
 天斗は軽い口調で呟くが、常に周囲の警戒は怠らない。
 足跡は周辺に残っているだけで、どこかに続いている様子はなかった。
「林の樹木が、太くて立派な物なら、アヤカシが登って渡る可能性も在るだろうか」
 桔梗が陽の透ける木々の葉を見上げると、焔が頷く。
「ああ。樹上も注意するべきだろうな」
「だとよ。嬢ちゃんも気をつけろよ」
 仄が振ると、鬼灯はこくりと頷く。地面を調べていた毬は立ち上がり言った。
「アヤカシの足跡に新しいものが混ざっている‥‥追いかけているつもりが逆に待ち伏せされている、なんてのは勘弁願いたいな」
「ッヒヒ、安心しな。今この近くにいるって訳じゃねえようだからなァ」
 笑って言う空は既に心眼で周囲を確認していた。だがここにいる人間以外の気配もまるでない。動物達は危険を察知し林を離れたか、既に喰われたか‥‥。
 更に奥へと痕跡を辿る。理穴で山師の家に生まれ幼い頃から山に親しんでいた毬は、木の根が縦横無尽に這う歩きにくい足元も慣れた様子で進んでいく。茂みだけでなく木の影や枝の上などにも目を光らせながら。
 桔梗は鬼灯が失った左半分の視界を補うべく左隣を歩きながら、それと悟られぬように鬼灯が歩き易いよう誘導する。
 村人から得た情報以外にもそれらしい痕跡はいくつか見つけたが、林の中心を越えた辺りで足取りは途絶えてしまった。以降、心眼の心得のある者が交代で使用し僅かに察知された生物の気配を改めていく。
「これは‥‥」
 心眼で認められた場所を辿りながら瘴索結界を張り巡らせていた朱璃が声を上げた。
「いました! 南西の方角――」
 その声に、全員が気を一層引き締めてアヤカシがいると思われる方向へと急いだ。
「もうすぐ‥‥っ!?」
 アヤカシの元まであと少しという所で、結界が解けた。急ぎ結界を張りなおそうとした朱璃を仄の声が留めた。
「その必要は無さそうだぜ」
 彼の視線の先。大木の枝の上から、体長九尺(3m弱)はあろうかという巨大な虎がこちらを見下ろしている。
「こんにちわ、死に逝くモノさん」
 言って天斗は長槍「羅漢」を構え、声だけを鬼灯に向ける。
「鬼灯、あれはお前さんの仇かい?」
「‥‥確かめる」
 虎を右眼で睨みつけたまま鬼灯は白鞘を抜き放ち、枝から跳び下りた虎めがけて駆け出した。


「鬼灯ちゃん!」
 掴んでいた袖を逃した涼霞は反射的に声を上げる。
 鋭い白鞘の一太刀をかわし踏み込んだ勢いで振り下ろされた爪が鬼灯の腿を掠める。連続で繰り出された反対の爪は、焔が珠刀「阿見」と白鞘の二刀を交差させ受け止めた。
「あんたが無茶をするのは勝手だが、その為に仲間が危険に晒されるんだぞ」
 その隙に後方に跳んで距離を取った鬼灯に、ロングボウに矢を番えながら仄が言う。
「ただでさえ周りが見えてねえんだ。お前さんはもうちょい周囲を観る眼を養うべきだな」
「鬼灯さん、傷の手当を――精霊の慈愛よ、この手に宿れ」
 駆け寄った朱璃が鬼灯の浅からぬ傷を恋慈手で治療する。鬼灯が体勢を立て直した所で、全員で虎を囲い込むように動く。
 鬼灯の隣で、焔は虎から眼を離さずに告げた。
「別に憎しみを捨てろって言うんじゃない。せめて頭だけは平静を保て。でなければ仇撃つ前に死ぬぞ」
「仇は確実に討つもの。今こそ好機! という場面がやってくるまで、冷静に待っているのがいいと思うよ」
 言い置いて、毬は虎に向かい地を蹴った。
「無茶はしない事って、言ったのに」
「約束できないから、返事はしなかった」
 涼霞の声に淡々と答える鬼灯。涼霞が舞う緩やかな神楽舞に乗せた精霊の加護が、鬼灯の身を包む。
「これで多少の無茶は効く筈。‥‥生きて皆と帰りましょう」
「‥‥わかった」
 多勢に囲まれても、虎は悠然と皆を見回す。仄の矢を跳んでかわした先で木の幹を蹴る。咆哮と共に上から覆いかぶさるように飛び掛ってきた虎を、毬はぎりぎりでかわす。
「はっ!」
 脇腹に鉄甲の一撃を入れ、同時に反撃を避けて距離を取った。虎の爪が空を切ったその隙に、天斗の鋭い突きが虎めがけ放たれる。
「『攻め鷲』の槍、とくとご覧あれ」
 穂先が、飛び退った虎の首筋を掠めた。自在に振るえるならば逃しはしないのだが、木々が立ち並ぶ林の中では長柄を横に薙ぐ事はできない。
「動きにくくて仕方ありませんね‥‥」
 朱璃は精霊の小太刀を手に、虎に狙われぬ位置取りを心がけるが地を這う木の根が邪魔をする。
 林の中に少しでも開けた場所があったのならそこに誘い込む所だったのだが、それらしき場所もない以上どこで戦っても同じだ。
「――!」
 毬の攻撃をかわした虎が朱璃に狙いを定めた瞬間、折り悪く彼女が体勢を崩した。
「朱璃姉様っ!」
 涼霞が声を上げるのと、空が虎に槍の柄を押し付ける形で割って入ったのはほぼ同時だった。
「ヒヒッ、俺さァ‥‥猫、大嫌いなんだよ。懐かねェからなァ」
 腕に受けた傷もそのままに、退がった虎へ大きく踏み込んだフェイントの一突き。たまらず樹上に飛びあがろうとした虎の鼻先を、仄の矢が掠めて制する。
「ったく、少しはじっとしてろっての」
 幹を蹴り諦めて着地した虎へ鬼灯が斜に斬り上げる。相手の攻撃は受ける事はせずにかわす。左の閉じた視界を補うために右を前に半身にした構え。片手で戦う不利を軽い白鞘を使い速度で補う。
(「隻眼隻腕での戦い方を心得ているようだな」)
 鬼灯の補佐をすべく近くで戦っている焔は、予想よりも危なげない戦いを見せる鬼灯に感心する。
 進路は悉く断たれ、波状攻撃を受ける内に傷は増え、動きに精彩を欠いてきた虎は苛立ちを露に尾を振り回した。瞬間、無数の閃きが前方へ飛ぶ。
 正面にいた鬼灯が大半を、隣にいた焔も一部をその身に受けた。咄嗟に桔梗がガードで身を守りながら駆け寄る。二人の身体に突き立っていたのは無数の針だった。
 桔梗と涼霞が二人の傷を癒している間、そこへ近づかぬよう仄が矢で牽制する。毬と天斗の攻撃に虎が気をとられている隙に、立ち上がり回り込んだ焔が双刀を薙いで尻尾を斬り落とした。
「これでもう針は飛ばせまい」
 痛みに怯んだ虎に、朱璃と桔梗の歪みの力が追い討ちをかける。大勢が決したと見た空は鬼灯に尋ねた。
「ヒヒ‥‥嬢ちゃんはァ、奴さん追ってるんだっけ? どうよ、本命の相手かぁ?」
 鬼灯は首を横に振った。この虎は、悪夢を引き起こす爪痕の主ではない。 
「違うとよ。さっさと始末つけよーや」
 空は傷が癒えた鬼灯が無理に立ち回らないかと見ていたが、流石に学んだか皆の動きに合わせて刀を振るっている。
「今だ!」
 跳びかかって来た虎を迎え撃つ毬の掌底が顎を捉えた。体勢を崩した所に、追い討ちで鼻面に蛇拳を叩き込む。
「これで終わりだ!」
 炎魂縛武の炎を纏う天斗の矛先が虎の肩口から深々と突き刺さる。肉を割く手応えは途中で消え、虎の身体は瘴気に散っていった。
「俺は俺の目的の為に強くなる。誰にも邪魔されない位の強さを求めてな‥‥」
 鬼灯を振り向いた天斗の右眼には凪の如き静寂と強靭な狂気が同居していた。
 その言葉を、鬼灯は心に繰り返す。もしこの虎が探しているアヤカシだったなら、自らの手で討つ機会を逃していただろう。
 強くならなくては。自分の手で、悪夢に終止符を打つ為に。 


 ギルドで帰りを待つ四葉の胸に、出発時の焔の言葉が思い出される。
『心配するな。鬼灯さんに仇を撃たせてあげたい気持もあるが、仲間として無茶はさせない。危険であれば、俺たちでフォローする』
(「きっと無事で帰ってくるよね」)
 開けられたギルドの扉を見るのも何度目だろうか。
『帰ったら、あんたは笑顔で「お帰りなさい」と言ってあげな』
 だが今度は、振り仰いだ四葉の表情が笑顔に変わった。
「おかえりー! 皆お疲れ様‥‥もしかして、仇じゃなかった?」
 鬼灯の浮かない表情に問うと鬼灯は頷いた。だが思案顔の原因は他にもあったようだ。
「皆に、助けてもらった」
「そっか‥‥皆、鬼灯さんを助けてくれてありがとう」
「あり、がとう‥‥」
 微かな呟きを漏らした鬼灯は、ようやく腑に落ちたといった表情で皆に向き直る。師と別れ人との関りを断ち、一人で生きていた五年の間、久しく口にしていなかった言葉だった。
「ありがとう」
 そう告げた鬼灯の表情は初見よりも和らいでいた。それを嬉しく思いながら桔梗が尋ねる。
「これからも仇、探すのか?」
「探す。見つかるまで」
「なら腕を磨いておかねぇとな。いつも人のいい連中と退治に出れるとは限らんだろ?」
 仄はにっと口端を上げた。戦闘中も過保護になりすぎないよう、必要以上の援護はしないよう心掛けていたつもりだ。
 朱璃は気持ちを切り替えるように、ぱん、と一つ手を打った。
「それは明日からという事にして、まずは皆でぱーっと打ち上げしましょう。勿論鬼灯さんもですよ」
「ん。食える時に食う」
 素直に従う鬼灯を伴って、皆はギルドの扉へと向かう。
 ふと眼が合った四葉の笑みに桔梗は双眸を和らげた。きっとお互い似たような事を考えていたのだろう。
(「いつか、鬼灯の心が解放される日が来るといい」)
 桔梗は皆に追いつき、共に光溢れる戸の外へと踏み出した。