【爪痕】白嶺に響く咆哮
マスター名:きっこ
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや難
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/11/16 21:38



■オープニング本文


 森から響く梟の鳴き声も、茂る草むらのいたるところから鳴る虫の声も。
 毎夜聞こえていた音はなく、まるで村のある空間が丸ごと外界から閉ざされてしまったのではないかと思えるほどの静寂。
 それを破ったのは白い真円の浮かぶ夜空から飛来した大きな羽音。間を置かず、空を裂く烈風と肉裂く爪が巻き起こす悲鳴が次々と響きわたる。
 弟を抱えた母があたしの手を引いて駆けた。突然襲った強大な力に逃げ惑う村人に揉まれるようにして。いつしか周囲の人はひとり、また一人と倒れ。いつのまにか村中を炎が包んでいた。
 幼かったあたしは顔を上げることもできずに走っていた。繋いでいた手が強く引かれたのは、どのくらい走った後の事だろうか。泣きじゃくる弟と共に母の胸に抱き寄せられたその時。すぐそばに羽音が聞こえた。
 ほんの一瞬で、引き裂かれる。
 母の、弟の身体。泣いていた弟の声はもう聞こえない。
 宙を舞ったあたしは草むらに投げ出され。仰向けに倒れたまま動けなかった。
 静かにこちらを見下ろす月。顔のすぐ横に生えた鬼灯が見上げた白い月に鮮やかな朱を差している。それを最後に薄れゆく意識──そしてかつての記憶を写した悪夢は醒め、志士・鬼灯として生きている自分が目を覚ます。
 鬼灯は細く息を吐き、額の汗を隻腕で拭う。
 夢は‥‥過去の記憶は、完全と言っていいほど鮮明さをとりもどしている。
 十年前、幼かった自分は意図せぬままに村での記憶を閉ざしてしまっていた。だが今夢で見た通り、『あたし』は確かに見ている。裂かれた影の向こう。大きな、四枚の翼を背に持つ人とも獣ともつかぬ異形の姿を。
 村と、家族と、この左腕と右目を奪った爪と翼を持つ半人半獣のアヤカシ。
 奴をこの手で仕留める事で、夜毎現れる悪夢は消えると思い爪を持つアヤカシを追い始めた。しかし追うほどに蘇る記憶は、それまで心の奥底に封じていた奪われた家族の姿をも思い出させたのだ。
 ようやく探していた姿を眼前にした時、胸の内に激しい感情がいくつも溢れ、渦巻き、刀を握る手が震えた。
 ずっと、皆が感情と呼ぶものに実感を持たず過ごしてきた自分には、その感情の正体はまだ見えない。もし、また
奴を前にした時──戦えるのだろうか。
「それでも‥‥行かなければ」
 小さく声に出したのは自らの背を押すために。
 あのアヤカシを追っていたのは、その道しか自分には見つけられなかったから。今思えば、奴を討たんとするのは、心の奥底で『あたし』が急きたてるからなのかもしれない。
 あたたかな家族に包まれていた『あたし』の暮らし。それを奪われた記憶を夜毎夢に見せつけられる。仇を討て、恨みを晴らせと言わんばかりに。
 だが心の奥底で壁を隔てたむこうにいる『あたし』の悲しみも怒りも、『鬼灯』にはわからない。
 もし奴を討てたとしてその後、『鬼灯』は、『あたし』は‥‥。道の先は、まだ見えぬまま──。


 朱藩北部、武天との国境として東西に連なる白嶺山脈。その最高峰として中心にそびえる白嶺山山頂付近に、並ならぬ力を持つ半人半獣のアヤカシが住み着いている。
 この事実がもたらされてすぐに、山頂に近い集落の住民は白嶺山麓にある疾風盆地とその周辺に避難を開始した。
「盆地には白嶺山脈一帯を所領に持つ氏族、八十八騎家の住む里があるの」
 周辺の地図を広げて該当の個所を指し示しながら言うのは、開拓者ギルドの受付係・龍風 四葉(iz0058)だ。
「避難に際しては八十八騎家の警邏兵達が住人を移送・護衛してる。でも、武天から国境を越えて来たアヤカシや空を渡って来たアヤカシが増えていて‥‥避難は難航しているのが現状だよ」
 白嶺山には他地域には無い固有種が見られる。小動物や獣人、妖精のようであったり一見して愛らしい外見のものばかりである。また植物に擬態しているアヤカシも多い。
 しかし最近山頂付近にて目撃されたアヤカシの影響か、小鬼や剣狼、大怪鳥他、天儀全域で見られるアヤカシも流れてきていてアヤカシそのものの数が増加傾向にある。
 そこで八十八騎家から開拓者ギルドへ依頼が寄せられたのだ。
「山道のアヤカシだけなら八十八騎家だけでも何とか対処してくれるみたい。ともかく皆が無事に避難できるようにアヤカシからの護衛を、相棒の龍と一緒にお願いしたいの」
 四葉は地図にある白嶺山脈の六合目から七合目にかけての一点を指さした。
「この谷にある村から、疾風盆地まで。村人が避難する上空を龍に乗って護衛して。ただ‥‥」
 一度言葉を切って、四葉は地図上から視線をあげた。その先には、隻眼隻腕の志士が表情ひとつ変えずたたずんでいる。
「例の四枚羽のアヤカシが来る可能性もある。でも、無理はしないで。この依頼の目的は、村人の護衛だから」
 鬼灯が以前向かった依頼で出会った、仇のアヤカシ。
 虎の如き獣毛に包まれた七尺近い身体は、頭部から背、尾まで鬣状の長毛を靡かせ背には二対の蝙蝠様の翼──その左肩の一枚のみ黒い鳥の翼を持つ。強靱な獣の後肢と、細長く肥大した手指に備わった鋭い爪による攻撃に加え、風と炎の術を駆使する。
 その力は下級のアヤカシの比ではない。朱藩ギルドでは便宜上『焔爪翔』と名付け警戒を強めている。ずっとそのアヤカシだけを追い続けている鬼灯の姿を知っているからこそ、四葉は鬼灯が気掛かりでならない。
「鬼灯さん。仇のアヤカシを討つために、八十八騎家にも協力してもらって準備を進めてるから。だから──」
 しかし四葉の言葉を最後まで待たず、鬼灯は踵を返す。
「鬼灯さん!」
 思わず受付卓から身を乗り出した四葉を僅かに振り返り、
「わかった‥‥皆に迷惑を掛けるような真似はしない。出発までには戻る」
 そう言い残して鬼灯はギルドを後にした。

●白嶺山のアヤカシ
 受付係の四葉だよ。今回は空からの護衛だから、白嶺山上空で目撃されているアヤカシについてまとめてみたんだ。戦いの準備や作戦相談に役立ててね!


・彩鴉:周囲の光を巧みに反射する事でその場にいないかのように見せる羽毛に包まれた体長1m未満の小型の怪鳥。
 上昇気流を捉えた滑空により羽音も無く近づき嘴や爪で攻撃する。

・大怪鳥:体長1〜2mの恐ろしい風貌をした鳥型のアヤカシ。
 素早い動きで爪、嘴により攻撃を仕掛ける。

・焔爪翔:八合目〜山頂にかけて塒を持つと推測される中級アヤカシ。
 四枚の翼で空を舞い、風と炎の術、また手足の爪を用いた斬撃を駆使する。能力の詳細については不明点が多い。


 地上のアヤカシは八十八騎家で対応してくれるみたいだから、必要ないかな?
 もし確認したかったら、作戦卓で四葉に聞いてくれたらいつでも教えるから。皆、気をつけて行って来てね!


■参加者一覧
天津疾也(ia0019
20歳・男・志
風雅 哲心(ia0135
22歳・男・魔
羅喉丸(ia0347
22歳・男・泰
桔梗(ia0439
18歳・男・巫
真珠朗(ia3553
27歳・男・泰
慄罹(ia3634
31歳・男・志
和紗・彼方(ia9767
16歳・女・シ
朽葉・生(ib2229
19歳・女・魔


■リプレイ本文


 白嶺山七合目付近。谷底に位置するその村では出発を控え、八十八騎家の兵達が村人を誘導し一カ所へと集めていた。
 山を下る道へ続く村はずれでは、道中空の護衛を務める開拓者達の龍が羽を休めている。そこを護衛の兵を束ねる部隊長と部下二人が訪れていた。
「では我々が助力を請う時には呼子で知らせれば良いのだな」
 隊長の言葉に和紗・彼方(ia9767)が頷く。
「上からは視界の事もあるからね、なるべくは下の様子も見ておくけど。見えない範囲で何かあれば合図で駆け付けられるし」
 彼女の手にあるのは四葉から借り受けた白嶺山の地図とアヤカシの資料だ。先の依頼までの情報が書き込まれたそれを活用し、今回も何かあれば補足更新し今後に生かすためである。
 羅喉丸(ia0347)も加えて言う。
「有事には隊を甲・乙・丙の三つに分け対処する。そちらの合図で乙班が応援に向かい、それでも対処しきれない場合は丙班が。上空は常に甲班が哨戒・撃退を行なう手筈だ」
「わかった。我々も出来得る限り力を尽くすが、もしもの時はよろしく頼む」
 下山路、休憩地点等を含め打ち合わせを終えて、出発を指揮するために場を離れた隊長と桔梗(ia0439)がすれ違う。桔梗は村人を誘導する兵達と共に、白嶺山に現れる固有種──特に眠りなど術の対処法を村人に聞かせて回っていたのだ。
「いつぞやの山か‥‥」
 渓谷にそびえる断崖を見上げて慄罹(ia3634)が呟く。彼も以前アヤカシ調査でこの山を訪れていた。前回とは違い、今回は相棒が共にある。
「空は合戦以来だな。頼りにしてるぜ、興覇」
 慄罹が首をなでてやるが、当の興覇は気のない振りで視線を逸らす。人目のあるところではいつもこの調子なのだ。
 駿龍のあがたにぽつりぽつりと声をかけている鬼灯に羅喉丸が歩み寄る。
「鬼灯さん、久しぶりだな。元気そうで何よりだ」
 振り向き、知った顔であると確認した鬼灯はこくりと頷く。羅喉丸に続いて彼方も駆け寄る。
「鬼灯さん、又宜しくだよー。仇のアヤカシだったんだね、この前のあれ。大丈夫?」
 心配そうにのぞき込む彼方に鬼灯は無言を返す。
「今の鬼灯さんなら、ちゃんと状況を見て行動してくれると信じてるからねっ」
 かつての鬼灯なら単騎特攻しかねないが、今なら仲間を頼ってくれる。その願いを込めての言葉だった。
 しかし鬼灯は僅かに眉根を寄せ視線を落とす。焔爪翔を前にしたらどうなるのか、自分にもわからない。
 返答がないことに対し少しだけ不安を抱いた彼方の肩を羅喉丸が叩く。
「人事を尽くして天命を待つのみだ。皆で力を尽くそう」
「うん! じゃ、天舞。いっくよー。避難の人達を絶対守るんだからっ」
 泰国風の鎧を纏う天舞の背に跨った彼方を乗せ、黒い翼が宙に舞う。
 鬼灯を乗せたあがたの横に騎士鎧を思わせる純白の龍が近づく。その背から風雅 哲心(ia0135)が言う。
「家族の敵のアヤカシか。気持ちはわかるが、無謀な真似だけはするなよ」
「‥‥」
 わかってはいる。わかってはいるが──。得体の知れない焦燥感に包まれる鬼灯に桔梗が呼びかける。駿龍の風音を鬼灯の左側に寄せたのは、左眼と左腕を失った鬼灯の死角を意識しての事だ。
「鬼灯。護衛の間、俺達と一緒に内側を飛んで。地上からの要請があったら、一番に応援に向かう、役。頼めるだろうか?」
「わかった」
 桔梗はひとり安堵の息を漏らすと鬼灯の龍に柔らかな視線を送る。
「‥‥あがた、宜しく」
 あがたは、くぅ、と小さく声を返した。
 焔爪翔はかつて鬼灯の家族を、故郷を、彼女自身さえも、奪った。これ以上は奪わせない。奪われるものを無くす──。
(それは鬼灯にとって、自らの心の一部も守る事になる‥‥きっと)
 桔梗の想いを感じ取ってか、風音は夜明色の身体を力強く峡谷に舞わせた。


 村人達の歩みは決して速くない。それを村の数少ない男手と八十八騎兵が囲み、上空には九騎の龍が飛翔する。
 地上の隊列を中心に見下ろし、内側に桔梗、真珠朗(ia3553)、生、鬼灯、天津疾也(ia0019)。外側に哲心、羅喉丸、慄罹、彼方と地上から見上げて扇状に展開し、上空での哨戒に努める。
「さすがに森に入られては目視で確認するのは難しいですねぇ」
 真珠朗は覗いていたギルド貸与の遠眼鏡から眼を離す。
 峡谷を抜けるとすぐに鬱蒼と茂った森が広がっているのだ。
「森ん中は動くモンが仰山おるわ。ほとんどがアヤカシなんやろな」
 疾也が心の眼で探りながら言う。事実、地上隊を狙ったアヤカシと交戦している地上隊の剣戟が聞こえ始める。
「音に誘われたか──こちらも戦わねばならぬようだ」
 朽葉・生(ib2229)の声に応えるようにボレアが一声あげる。森の外れから無数の黒い影が舞い上がり、一塊となってこちらへ向かって飛んできたのだ。
 真珠朗は遠眼鏡をそちらに向ける。飛来するのは巨大な鳥だった。
「ギルドで聞いた大怪鳥ってやつですかね」
「よっしゃ、行くでぇ疾風!」
 疾也が仕掛けやすいよう隊列の中でゆるりと旋回する駿龍の背で、疾也は漆黒の角弓を構え矢を番えた。
 すっと心を研ぎ澄ました一瞬。放たれた矢は弧を描き先頭を飛んでいた一体に突き立つ。最長の射程を持つ弓から放つ、弓技・朝顔を乗せた矢。敵がこちらに接触する前に一体でも多く相手を手負いに、かつ味方の攻撃を通りやすくする。
「さて。少々遅ればせながらですが‥‥」
 真珠朗も戦弓「夏侯妙才」を構え素早く射掛ける。空戦で弓を多用することを鑑み、弓掛鎧を纏って依頼に臨んでいた。
 狙いは疾也が手負いにした大怪鳥。真珠朗の矢がその眼に突き立つとほぼ同時に、怪鳥の翼を光の矢が撃ち抜く。
 生が放った聖なる矢に穿たれた怪鳥は失速し、落下する身体は梢に達する前に瘴気へと崩れた。その合間にも生の詠唱が紡がれる。
「精霊よ、清らかなるその力にて悪しきものを穿て!」
 一体、ニ体と撃ち落としはしたが、残りの十体程が周囲を取り囲む。刹那、澄んだ山の空気を呼子の鋭い音が裂いた。
「ここは俺達が引き受ける!」
 羅喉丸は鋭い嘴を向けてくる怪鳥に拳の一撃を放つ。柔らかい腹を狙った深藍色の篭手が深く食い込み、怪鳥は耳障りな悲鳴を上げる。
「心得た」
「行こう、鬼灯」
 生と桔梗に続き、鬼灯も龍を旋回させる。
 地上からの応援に真っ先に駆けつける乙班は、上記三人に慄罹、疾也を加えた駿龍乗り五人だ。
「興覇、食らいつけ!」
「ギャース!」
 慄罹の声に咆哮を上げ、大きく開いた骨牙を填めた口で地上への道を塞ぐ大怪鳥の喉元に興覇が牙を立てる。
 強く羽ばたき何とか逃れたそれに、哲心が駆る極光牙が下降の勢いのまま頭から飛び込む。頭に装備した獅子頭鉄角の尖角が貫いた怪鳥を討ち砕く。
「地上は頼んだ! 必要ならばすぐ呼んでくれ」
 二次応援の丙班に属する哲心の言葉に片手を上げて応え、慄罹と疾也も他の乙班同様全力移動で地上へ急ぐ。
 下山路は当初の予定を数カ所変更し、木々がまばらな場所を迂回していくように打ち合わせてある。少し遠回りでも龍で応援に入れる地形も考慮してのことだ。
 地上班はアヤカシから住民達を護りながら、上空から援護を受けられるよう開けた場所へ移動しているようだ。が
、徐々に防壁を崩されつつある
「村のモンには触れさせへんわ!」
 狙い定めた疾也の矢が空を切る。足を掬われ倒れた八十八騎兵に襲いかからんとしていた剣狼の鼻先を貫く。
 剣狼の群と八十八騎兵との間に、龍から樹上、樹上から地上へと慄罹が降り立った。
「助太刀するぜ!」
 背にベルトで固定していた旋棍「竜巻」を抜き様に後続の剣狼を打ち据える。
 慄罹に続いて龍から降りた鬼灯も、剣狼の攻撃を素早くかわしながら白鞘の刃を流れるように閃かせた。
 雷龍の獣衣をはためかせ風を切るボレアの背で、生は藍色の杖を剣狼の群に向ける。
「極寒の冷気よ、氷雪の女王より吹き荒れよ!」
 先端から放たれた吹雪が遠巻きに群がる剣狼に吹き荒れる。
 その隙に後方へ撤退した負傷者を空から差した柔らかな光が包むと、受けた傷は見る間に回復する。
 彼らが見上げた上空には低空で翼をはためかせる風音と桔梗の姿があった。
 開拓者の支援で地上班は体勢を立て直し、上空で大怪鳥が片づく頃には地上の剣狼の撃退も済み。
 慄罹と鬼灯も龍と共に空へと戻った。


 村人には目立った怪我もなく、予定していた休息地点へと到着した。休憩とはいえ休むのは村人達。出来得る限り限り事前察知できた場合はアヤカシを迂回しては来たものの、八十八騎兵達にも疲労の色が見えた。
 生がストーンウォールで住人達の周囲に防壁を作り、その周囲を開拓者を含む護衛団で囲む形で護衛する。
「多いとは聞いていたけど、本当に多いねアヤカシ」
 彼方が真剣な面持ちで言う。
 耳に届くのは木々の下でアヤカシの蠢く音。森を横切ろうとする獲物のにおいを嗅ぎつけ、押し寄せる。陸から、空から、樹上から。
「こっから先は道も険しいしな、村の皆には踏ん張ってもらわな。もちろん俺らもな」
 疾也が言った矢先に哲心の声が上がる。
「南東から来るぞ!」
 心眼に反応を関知し鬼神の名を持つ刀を抜き放つ哲心に羅喉丸が問う。
「数は?」
「えと‥‥十三。動きはそんなに速くない、から‥‥」
 答えたのは瘴索結界を発動した桔梗。それに頷き彼方が言う。
「この足音からすると小鬼じゃないかな。武装もしてる」
 推察通り現れた小鬼を難なく撃退し、しかし逃れた数体が仲間を引き連れて戻る事も考慮し予定よりもやや早めの出発となった。


 傾斜の険しく木々も茂る岩場に続き、下山路で最大の難所とも言えるのが切り立った断崖沿いの細道だ。
 右手を見下ろすと目がくらみそうな程遠くに崖下の森が。左手に高くそびえる岩肌に村人を寄せ、断崖側に八十八騎兵が護衛につく。
 その崖をやや遠巻きに九騎の龍が飛ぶ。
「ここさえ抜ければ後はそんなにつらい道じゃないよ。里までももう少しだから、頑張ってー」
 彼方は崖を恐れる老人達を笑顔で励ます。その一方で、この危険な場所で彼らをアヤカシから護るべく、微かな異常も聞き逃さぬよう警戒を強める。
「嫌な風ですねぇ」
 ぽつりと真珠朗が呟いた。乞食暗愚の身につけた大猪の毛皮と共に風に揺れているのは、棒に布切れを括った小さな吹き流しだ。断崖へ向けて吹きつける風は、空を飛ぶアヤカシからは追い風になる。
「断崖を渡りきった村人は半数を超えたな。このまま何事もなければ良いが」
 羅喉丸が言った矢先、疾也が傾きかけた太陽を振り向く。確かに察知したはずの気配。しかしそこに動くものは見られない。
「来よったわ。おそらく彩烏っちゅう奴ちゃうか?」
「方角は?」
 フロストクイーンを構え詠唱を始める生。桔梗が発動させた結界に感知した反応を指で指し示す。
「そっちに、五‥‥こっちから、三」
 岩壁から見て右前方。太陽の方角に向けて生が放ったブリザーストームに巻かれ、何もなかった空中に鳥の形が浮かび上がる。
「ったく、姿隠してこそこそと、うっとおしいことこの上ないわ。とっととうせろや!!」
 言いながら疾也が狙い射た。葛の絡みついた矢は狙い通り彩烏の眉間を穿つ。疾也が弓を引く合間に近寄る彩烏は、疾風が素早い旋回でかわしつつボレイシャスを填めた牙で応戦する。
 慄罹が鋭く放ったダーツが他の彩烏に命中する。眼の位置に深々と突き刺さったそれには赤い布切れが結ばれていた。赤く染めた鉢巻を切って括ったものだ。
「これでもう隠れたりはできねぇ〜だろ」
 慄罹は次々と雪にまみれた彩烏に印を付けていく。
 左から近づく三体が羅喉丸と頑鉄に、足の鉤爪か嘴か攻撃を仕掛けて来る。
「これを食らえ!」
 羅喉丸は攻撃を受けると同時に鞍につけていた小さな袋を叩きつける。袋の口からぶちまけられた染料が姿無きアヤカシの姿を露わにした。
「居場所さえわかれば──」
 哲心は心を研ぎ澄まし利き手に握った鬼神丸を神速で閃かせる。
「こいつで決める。すべてを穿つ天狼の牙、その身に刻め!」
 その一太刀で彩烏は縦に両断され姿を消した。
 次々と現れる彩烏を疾也、哲心の心眼と桔梗の瘴索結界で探知し、生のブリザーストームと羅喉丸の染料袋、慄罹のダーツで隠身を暴いて一体ずつ着実に仕留めていく。
 一旦群れから外れ滑空した数体が、岩壁に当たり上昇する気流に乗って細道の村人たちを狙う。
「天舞、急いで!」
 彼方の声で天舞は力の限り旋回・急降下し、上から回り込むようにして彩烏の行く手を塞ぐ。
「皆には指一本触れさせないよ!」
 天舞が彩烏の攻撃を受け止めたところに、彼方が苦無「獄導」を放つ。
 桔梗も、村人を護りながら誘導する八十八騎兵を翼で煽らぬよう気遣いながら急ぎ盾となる位置へ風音を回り込ませる。
「風音、援護を‥‥!」
 風音が力強く打った翼が生む衝撃派が彼方と天舞を襲う彩烏を吹き飛ばす。
 その時だった。遠くから獣の咆哮が響き渡る。低く荒々しいその声を聞いた村人達は怯えて駆け出し、またある者は足を竦ませ立ち止まる。
「炎爪翔、か?」
「こんな所で襲われたら──」
 住民達を宥め、誘導する護衛団にも動揺が広がっていく。峡谷に反響し、声の元はどこかわからない。それが余計に恐怖を駆り立てる。
 結界に彩烏以外の反応を探しながら、桔梗は鬼灯に視線を送った。一見すると変わらない様子に見える。
 鬼灯に声を掛けようとしたその時、結界無数の反応があった。もちろんその場所を仰いでも姿は見えない。
「皆、彩烏の群れが‥‥」
 桔梗が指し示すが早いか、その方向から無数の風刃が飛来する。
 慄罹は興覇を翔けさせ、もう少しで細道を渡り終える人々を背にする形で軌道上に割り込ませた。
「わりぃ‥‥興覇、耐えてくれっ!」
 硬質化しているにも関わらず、興覇の鎧が受け止めた衝撃が慄罹にも伝わる。一瞬動きの止まった興覇に群がってくる彩烏。
「おまえの背は俺が守る!」
 慄罹が嘴を受け流し、そのまま振るう旋棍の竜巻が彩烏を怯ませ。その間に体勢を立て直した興覇が彩烏に尻尾を打ちつける。
「残念だったな‥‥好きにはさせねぇ〜ぜ‥‥」
 各々身をかわし、または村人の盾となって風刃の嵐をやり過ごして見上げたその先。一所に固まっていた彩烏が一斉に展開する中心から姿を現したのは四枚の羽根を持つ大きな影だ。
 刹那、鬼灯があがたを駆って飛び出した。
「待つんだ、鬼灯さん!」
「鬼灯さん、だめだよ!」
 羅喉丸と彼方が言うが耳を貸さず。
 より敵側にいた哲心、疾也が行く手を塞ぎ。風音を寄せていた桔梗は鬼灯に声が届かないと見るや、その龍に話しかける。
「あがた、炎爪翔から離れて。鬼灯を守る為だから、頼む‥‥!」
「邪魔をするな!!」
 寡黙な鬼灯が普段発しない荒々しい声をあげる。刹那、飛来した矢が鋭い痛みと共に鬼灯の左肩を掠め、上空へ抜けた。
「俺、は‥‥?」
 鬼灯に満ちていた先程までの激情は消え、平時の彼女を取り戻していた。
 焔爪翔は両の拳に炎を纏わせ、大きく翼を打ち一気に下降した。
「来るぞ‥‥極光牙!」
 哲心の意を解し、極光牙はその身を精霊力で強化する。
 彩烏の群を従え襲い来る炎爪翔は、住人達のいる場所を狙っていた。駿龍組が先行しその進路を塞ぐ。
「村の連中が安全域に行くまでの時間くらい稼がんとな」
「うん! いっくよー!」
 疾也の矢と彼方が攻撃を放つ。葛流の矢と颯により加速する苦無を左で払い除け、もう一方の炎の拳で二人を薙ぐ。
 高速回避で直撃は避けたが炎の熱が身を焦がす。
「聖なる矢よ、悪しき翼を奪え!」
 生が放ったホーリーアローは空を貫いた。炎爪翔が自ら生んだ風で一気に下降したのだ。
「追うぞ、興覇!」
 言われるまでも無く加速し焔爪翔を追う興覇。
 焔爪翔を相手取るうちにも彩烏が爪や嘴で仕掛けて来るが、それを構う余裕はない。
 村人の下山路を塞ぐ形で、焔爪翔の前に甲龍組が立ちはだかる。
「状況は不利。だがな、天地が逆転しようが御前を通すわけにはいかないな」
 自らを覚醒させる羅喉丸の身体が赤く染まっていく。
 突撃してきた炎の爪を、頑鉄が硬質化させた身体で受け止め頭突きを食らわせる。
「玄亀鉄山靠!」
 龍と敵が密着した状態で、羅喉丸が練力を込めて技を撃ち込む。
 素早く距離を取ろうとした焔爪翔の行く手を矢が塞いだ。泰錬気法壱により高められた命中力が焔爪翔の素早い動きにも的確に矢を当てていく。
「とと、こっちに来ますか」
 乞食暗愚は『お前のせいだ』と言わんばかりの不服そうな声を上げる。
 焔爪翔の攻撃を受け止めてもなお、乞食暗愚の身体に衝撃が通る。それでも、相手が離れる前に爪の一撃を食らわせた。
「これ以上はやらせるか」
 哲心が極光牙の頭突きと共に突進してくる。身を翻してかわした焔爪翔を、慄罹が徒歩弓で放った矢と風音のソニックブームが止める。
 その隙に哲心が迅雷の如き刃を振るう。
「これ以上はやらせるか。雷撃纏いし豪竜の牙、その身に刻め! 奥義・雷光豪竜斬!!」
 雷を纏った刀身が虎毛の身体に届くその時、哲心の眼前で爆炎が炸裂する。
「哲心、退がって」
 桔梗が清杖「白兎」を手に精霊に念じる。その声は炎爪翔の咆哮にかき消された。
 炎爪翔を中心とした円形に次々と起こる爆炎に全員が巻き込まれる。
「くっ──焔爪翔は‥‥!?」
 生が上昇し周囲を窺ったが、既にその姿は見あたらなかった。 
 癒しの光が桔梗の身体から広がり、炎による熱傷を受けた仲間達の傷を塞いでいく。爆煙が晴れた時には、彩烏も焔爪翔の炎に巻き込まれ大幅に数を減らしていた。


 彩烏の追撃を退けながら地上組と合流し、安全を確保した場所で村人達を休ませる。
 村人や八十八騎兵は皆言葉少なく、疲弊もあったろうが焔爪翔の姿や力を目の当たりにした為だろう。
 鬼灯もまた。寡黙なのは常と変わらず、しかし心なしか顔色は悪い。
「迷っているんですか?」
 不意に掛けられた声に、鬼灯は隻眼を向けた。その奥にあるものを見通そうとするかのようにしながら真珠朗が言う。
「迷って迷ってそれでも足掻いて立ち上がる。『人』とはそうでなくてはねぇ。それでこそ美しい」
 視線を外し、その言葉を自身の中で繰り返す鬼灯に彼方は持ち前の明るさで話しかける。
「もし、何か手助けが必要なら遠慮なく言ってね、その為の仲間なんだもん。ボクが何か力になれたら嬉しいな」
 その様子を少し離れた位置から眺めていた慄罹は、普段は見られない真剣な表情をしていた。
(俺も判らなくはないんだよな‥‥あの気持ち‥‥)
 大切な者を奪われた過去。そして、奪った者への執心。
 こちらに気遣うような視線を向ける興覇に気づき、その首を撫でる。
「お疲れさんっ。後、一踏ん張りだ‥‥頑張ろうぜ」
 再び村人を護衛しながらの下山が始まろうとしていた。崖沿いの細道を抜ければ、後は比較的なだらかな山道が続く。
 乞食暗愚の背に乗り飛び立ちながら、真珠朗は少し前を行く鬼灯の背を見る。
「あれで自分を取り戻せない時は、どうしようかと思いましたけどね」
 鬼灯が我を忘れて焔爪翔に向かった時、鬼灯を狙った矢は真珠朗が放ったものだった。
「陶器にゃね。金継ぎって技法があるんすが。ぶっ壊れた陶器を欠けた部分に別な陶器やらをはめ込んで、金と漆で修繕し景色として楽しむってモノなんすが。欠けた場所に何を埋め込んで。『鬼灯』って器が完成した時、どんな風になるのか。そこに何が入るのか。楽しみですよねぇ」
 彼の呟きを聞くのは相棒だけだった。
 その後、アヤカシを退けながら無事に村人を疾風盆地まで送り届ける事に成功した。村人には目立った怪我もなく、また八十八騎兵も負傷者はあったが誰一人欠けることはなかった。