【爪痕】影を追って‥‥
マスター名:きっこ
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/07/01 19:24



■オープニング本文


──その娘は村に死を招く──

 訪れた旅の老婆が、そう言ってあたしを指さした。
 老婆は流浪の占師で、毎年同じ時期に村を訪れては予言めいた言葉を残していく。外れた事のない占師の言葉は村人を色めき立たせた。

──娘を魔の森へ追放しろ──

 そう言い出す者と、家族を始めそれに反対する者とで対立すること数日。
 両親はあたしにいつも通り笑顔で優しかった。不安を与えまいとしていたのだろう。必ず守るから大丈夫だ、と。
 あたしも占師の言葉より両親の言葉を信じた。

 だけどあの夜。占師の言葉通り村は死に包まれた。
 たった一体のアヤカシに為す術もなく。
 村を埋め尽くす、一面の赤。
 点々と散らばる黒い固まりは至る所に転がっている。
 ある塊は縦に、または横に分断され。ある塊は原型も留めないほどに寸断され。
 母親に手を引かれて逃げた。
 どうなったのか、よく覚えていない。
 気がついた時には右目と右腕を失った状態で、深い草の中に倒れていた。
 動かせない身体で、残された左目に見えるのは仰向けに転がった先の世界だけ。夜闇に光る白く大きな月と、風に震える朱い鬼灯の実。
 音は聞こえない。夜とはいえ、静かすぎるほどに。理由はわかりきっている。生きている者が、いないからだろう。
 大きな翼が空を打つ音だけが微かに聞こえてくる。それが遠くなっていくのは翼の主が離れていくからか、自らの意識が遠のいているからなのか──。

──あたしさえ村にいなければ、村は‥‥家族は救われた──?

 深く沈んでいた意識はゆっくりと夢──過去の記憶の断片から浮上する。
 夢で感じた奪われた腕の痛みがまだ残っているように感じられ、身体を起こした鬼灯は左腕で腕を奪われた右肩を押さえた。
 かつて故郷の村があった場所を訪ね理穴の魔の森へ踏み入ったあの時。奥底に封じられていた記憶が内に溢れ、その場で意識を失った。
 その後、四葉や開拓者達の声により呼び覚まされるまでの間、ずっと過去の記憶の中にいた。
 自分がかつて見聞きしたはずの事でありながら、まるで第三者のようにそれを眺め、感じる今の自分自身がいる。そんな妙な感覚の中、自らが無意識のうちに封じ込めていた記憶を目の当たりにした。
 それ以来、眠りの度に訪れる悪夢は、より過去の真実へと近づいている。
(俺が、死を──あのアヤカシを、村に招いた‥‥?)
 占師の言葉が的中したのは偶然なのか、それとも──
(あのアヤカシが村へ来る以前に、俺が何かを──?)
 思い出せない。
 長く意識を失っている間に見ていたはずの記憶は、今は夢の中に現れるばかり。自らの意志でそれ以上を掘り起こす事はできなかった。
 まだ少し重たく感じる身体を起こし、鬼灯はふらりと殺風景な長屋の一室を後にした。


 慌ただしく職員の行き交うギルド内の一角、山と積んだ帳面の中に埋もれるようにして小柄な職員が資料を読みあさっている。
 年の頃十三、四。裾上げした女物の着物を来た少女と見紛う容貌の受付係は、名を龍風 四葉(iz0058)という。
 四葉が調べているのは過去の依頼報告書だ。ずっと同じ姿勢で文字を追っていた為に凝り固まった身体を大きく上に伸ばすと、先輩の女性職員が頭を小突く。
「熱心なのはいいけれど、あまり根詰めすぎないようにね。今日は非番でしょう?」
「うん。当番日だと受付の仕事が忙しくて手が回らないから‥‥あ、鬼灯さん?」
 四葉の視線はギルドの出入口に向けられていた。山吹色の単衣に身を包んだ志士はいつものように依頼書が張り出された壁に向かうのではなく、真っ直ぐにこちらへ歩いてくる。
 受付卓よりこちら側をさまよっていた鬼灯の視線が自分で止まったのを見て、四葉は資料の山を抜け出して受付卓で鬼灯を迎えた。
「その後、体調はどう? 顔色は‥‥そんなに悪くないみたいだけど」
「もう問題ない‥‥迎えに来てくれた皆には、何も言えなかった──」
「ん‥‥? あー大丈夫大丈夫! 鬼灯さんが無事に戻ってきてくれて、みんなも喜んでたもん。心配しなくても鬼灯さんの感謝の気持ち、ちゃんとわかってくれてるよ」
 長い黒褐色の前髪の下、右目から頬にかけてを覆う眼帯が彼女の顔を半分隠しているが、初めて会った時よりも大分表情が読めるようになってきた。 しかし当の鬼灯は少し驚いた様子で四葉を見る。
「心配──感謝? 俺が‥‥?」
「うん! そういう感じの顔、してたよ?」
 嬉しそうに四葉は頷く。元々感情が表に出ない鬼灯だったが、微かでも感情が滲むということは、鬼灯自身を縛り付けている枷が緩んできているということなのではないだろうか。
 四葉は笑顔を引き締めて鬼灯を見上げた。
「あの、鬼灯さん。四葉たちが鬼灯さんを迎えに行く途中で、アヤカシの影が飛んでいくのを見たって言ったでしょ?」
 鬼灯の村があった廃墟付近から飛び立っていくのを、魔の森の外から確認したものだった。遠目ではあったが持参していた望遠鏡で、鳥ではなく四枚の翼を持つ人型らしきもの──アヤカシであろう事がわかっている。
「そのアヤカシによく似た影が、朱藩の白嶺山中で目撃されたの」
 言うべきか言わぬべきかと迷ってはいたのだが、過去に遡って調書を辿ってもめぼしい手がかりは得られなかった。ならば今ある僅かな望みにすがるしかない。
「同じアヤカシかはわからないし、何より鬼灯さんが探しているアヤカシかどうかもわからない。それに、もし相手が力のあるアヤカシなら危険も伴うと思う」
 言いながら、四葉は鬼灯の鳶色の瞳に宿る決意を見ていた。たとえ危険が待っているとしても鬼灯は行くのだ。
「‥‥だから、一緒に行ってくれる人を探そう? 空を飛ぶ相手だし、何かあった時の為にも龍に乗って行くのがいいと思う」
「わかった‥‥連絡を待つ」
 頷いて去っていく鬼灯がギルドを出るまで見送り、四葉は依頼書の作成に取りかかった。
 もし、件のアヤカシが鬼灯の探しているそれだったら──。
 その姿を契機に、また鬼灯の記憶が溢れたりしないだろうか。もしくは鬼灯がアヤカシに向かっていったりしないだろうか‥‥。
 不安が四葉の胸をよぎったが、今回ばかりはついていくわけにも行かない。鬼灯を含めた皆が無事に行って戻ってこれるよう、祈りを込めて筆を走らせた。


■参加者一覧
桔梗(ia0439
18歳・男・巫
樹邑 鴻(ia0483
21歳・男・泰
焔 龍牙(ia0904
25歳・男・サ
向井・智(ia1140
16歳・女・サ
四方山 連徳(ia1719
17歳・女・陰
真珠朗(ia3553
27歳・男・泰
からす(ia6525
13歳・女・弓
和紗・彼方(ia9767
16歳・女・シ


■リプレイ本文


 神楽から北西へ向かい龍の群れが飛ぶ。流れ行く眼下の景色は野から山へと移り、前方に白霧を冠した高峰が近づいてくる。
 鬼灯は自らの駿龍に跨りギルドを発つ時の事を思い出していた。
『また、会えて、話せて、嬉しい』
 と、瞳を輝かせて桔梗(ia0439)が告げた。
『鬼灯さん、はじめましてー』
 屈託ない笑顔で話しかけてきた和紗・彼方(ia9767)とは初見だったが、友人の頼みで同行してくれるのだという。
『んと、伝言だよ。「元気になって嬉しいわ、今ある命は何か意味があるはずだから、辛い事も多いけれど進みましょう」‥‥だって。一緒にがんばろーねっ』
 そう聞いて、思い当たる人物があった。
 皆、様々な言葉をくれる。それに何度も救われた。自分は、言葉を上手く使う事ができない、けれど――。
 鬼灯は言葉の大切さを、重みを感じている。この駿龍も『あがた』と名付け話しかけるうちに、随分こちらの気持ちを汲んでくれるようになった。今では手綱が無くとも操れる程だ。
 言葉で返せぬ分は、別の形で返さなくては。
 向井・智(ia1140)が甲龍・盾丸の背で呟く。
「平和になったら、普通にこの山にも登りたいですね‥‥」
 草木がそれぞれの緑で山肌を彩り、その中を縫う白銀川が陽光を水面にきらめかせている。一見穏やかに見える白嶺山脈だが、他の地に漏れずアヤカシの脅威に晒されているのだ。
「この白嶺山近辺に有翼アヤカシが身を隠しているでござるね。張り切って探したり退治したり調査したりするでござるー」
 四方山 連徳(ia1719)は自分の発言にふと疑問を抱く。が、
「‥‥退治したら調査できないような気がするけど、気のせいでござるね!」
「えーっ、駄目だよ退治しちゃったら」
 彼方に突っ込まれたものの、連徳はまだぴんと来ていない様子だった。
 目指しているのは白嶺山八合目付近。先に調査に向かった一団がそれらしき影を見たという場所を中心に捜索を行なうのだ。
 八合目の山肌が近づき、焔 龍牙(ia0904)が言う。
「最近は人型が多くなってきたのは、何かの前兆なのか? それを見極めるためにも、まずは見つけることが先決だな」
「色々と不明点は多いですが、弱い強いに関係なく、アヤカシを放っておく訳にもいきませんよね。この向井・智、微力ながら、今回も全力で見つけさせていただきますよっ」
 皆で編隊を組み高度を下げ、八合目上空を周回する。
 詳細な調査は地上に降りる必要があるが、くまなく調べているのではきりが無い。探査スキルと目視とで地上の生物及びアヤカシの分布を調べ、生物のいない、または極端に少ない区域の地図上に印をつけていく。
 アヤカシが蔓延る地域では自ずと生物は少なくなる。そのほとんどがアヤカシの餌食となり、それ以外は危険を察して安全域へ逃れるからだ。
 そしてアヤカシが四枚羽をめがけて集まっているのであれば、そのどこかに塒があるはずと踏んでいた。
 桔梗、連徳の術師二人と、心眼を使用する龍牙を中心に据え、他の皆で周囲を固める。
 その際も、桔梗が自らの左側を守ってもらえるよう鬼灯に頼むことで隻腕の鬼灯が右側に位置する不利をなくすように気遣った。
「少しでも変化や異変があればお互い声を掛け合って行きましょうっ」
 智が言い、編隊の中央にいる連徳も、
「皆が周囲を警戒してくれるなら、拙者は上下を主に確認するでござる!」
 眼突鴉や怪鳥など白嶺山以外でも見られる飛行アヤカシが時折襲い来るが、極力周囲の者で対応することで調査を円滑に進めていく。
「ずいぶんと霧が濃くなってきましたねぇ‥‥」
 真珠朗(ia3553)は覗いていた望遠鏡を外す。
 山肌を滑るように白い霧が山頂から流れている。九合目を過ぎてからは高度が上がるにつれて濃くなっていくようだ。
「霧の中ってのは厄介だな。慎重にな、振山」
 樹邑 鴻(ia0483)は振山の様子を窺う。標高が高くかつ上空ということもあり気温がかなり低くなっているが、相棒の甲龍は暖かそうな猪の毛皮に包まれ寒さは気にならないようだ。
「ここより山頂を上空から探索するのは、難しいであろうな」
 幼い外見に似合わぬ落ち着いた口調でからす(ia6525)が言う。自身の駿龍・鬼鴉も含め龍達は匂い等で互いの位置は把握できるだろう。しかし山頂に向けてより濃くなる霧の中を行くのは危険も伴う。
 桔梗は前回の調査で作成された白嶺山の地図を風で飛ばされぬよう広げながら言う。
「大体の分布、地図に書き込めた‥‥それに四枚羽根は、山頂の方に飛んだみたい、だから‥‥」
「八合目から山頂へ向けて探せば可能性は高い、と‥‥続きは下に降りて、ですかね」
 桔梗の言葉を真珠朗が受ける。皆もそれに同意し、最初の探索地を目指して降下を始める。
「うおおお、高い!高いですよ、これ‥‥!?」
 かくん、と目的地めがけ急降下を始めた盾丸にしがみつく智の声が響き渡った。


 降り立ったのは八合目から九合目の間。開けた場所に一旦降り立ち、上空偵察を元に話し合う。
「優先順位を決定し、順次詳細な探索をしていくのが良いだろうな」
 龍牙の言葉に桔梗も頷く。
「大型で、羽ばたいて飛ぶアヤカシだから、飛び立ち難い樹木の密集した場所は塒には使わない‥‥と思う」
「前の調査で調べた所は、もう調べる必要ないよね? じゃあ‥‥この辺、とか?」
 地図をのぞき込んだ彼方が指したのは、絶壁に囲まれた窪地だった。龍、つまりは翼のある者しか出入りはできないような場所だ。
 実際のその場書は地図上で見るよりも広い。龍を降ろした中央は開けているが、股の高さまで草が茂り絶壁に近くなる程に木々が増えている。
「塒を作るなら木の影、岩の影‥‥でしょうか」
 上空同様の隊列で行く事を進言しながら、智はいつでも皆の盾になる心構えで大斧「塵風」の長柄を握る。
 木々の間を行きながら、足元には足跡や踏み固められた草、獣の襲われた痕跡や落ち羽が無いかを。上には不自然に折れた枝や幹に刻まれた爪痕などを中心に手掛かりを探す。
「目に付きやすい大型の獣や鳥なんて真っ先に襲われそうですし。そうした痕跡がありゃ、敵の通り道や縄張りになってる可能性も高いと思うんですけどねぇ」
 真珠朗は地上へ降りると同時に武器を長槍「羅漢」に持ち替えている。
 自らの力量は充分弁えている。不足があれば補えばいい。拳足よりも武器──それも地形や状況に適した物を。
 鴻の合図で皆が足を止めた。音で危険を察知するために時折行っているのだが、今回はこれまでと違う。鴻の視線を受けて、彼方が頷き小声で告げる。
「複数の移動音と‥‥多分、微かだけど矢筒が鳴る音」
 超越聴覚を持ってしても足音は聞こえない。しかし草木がそよぐ音に紛れて不規則な葉鳴りが存在を知らせていた。
 皆が武器を構えるのとほぼ同時。風を切って複数の矢が飛来する。
「こんな矢など、悉く受け止めて見せますっ」
「この花粉‥‥気を付けろ、智!」
 果敢に皆を庇う位置へ出た智に鴻が言うより早く、その背後で甘い香りをかいだ彼方の意識がふっと遠のく。
「危険でござるー!」
「──痛っ!?」
 すぱーん! と。盾で矢を受け止めながら、連徳は強力の巻物で彼方の後頭部に一撃食らわせた。
 その合間にからすは口と鼻を布で覆い、開けた場所へ駆け抜け相棒を呼ぶ。
「鬼鴉、飛べ」
 足をつけず地面すれすれの高度を保ち極力近くにいるようにと命じられていた鬼鴉は、鎧に手を掛け飛び乗る主を乗せて舞い上がる。
 丈の高い草に身を潜め、花粉と矢を飛ばして来るのは植物がそのまま人の姿になったような小人アヤカシ・草人だ。後方から矢を射掛け、木を削っただけの槍を手にした草人が列を成して押し寄せてくる。
 桔梗の目はつい鬼灯に向く。鼻と口を覆う布を結わえさせてもらった甲斐あってか花粉を受けることもなく、皆から突出し無理をする様子もなく安堵する。
「邪魔をするな!」
 声と共に、龍牙が「疾風」の名を持つ槍を横に薙ぐ。炎を纏った穂先が飛び掛かってくる草人二体を一度に払い落とす。
「上か!」
 気配を察した鴻は身を引いて落下してきた草人の槍をかわす。自然の中で気配を消すのに長けている草人は密かに樹上に回り込んでいたのだ。
「花粉の届く範囲にいては危険だ。風上に距離を取るぞ!」
 言いながら鴻は降ってきた草人を気功波で撃ち、均衡を崩し草の中に転がったそれに連徳が符を打つ。
「大人しく南無ちーんしてもらうでござるよ!」
 光に融けた符は鎌鼬へと姿を変えて草人を瘴気に切り刻む。
 一度上空に逃れたからすは黒色赤眼の駿龍に問う。
「いけるか、鬼鴉」
 無言のまま、答えの代わりに翼を返しぐんと速度を上げる。
 樹上を掠め地上と平行に翔ける鬼鴉の背で、自身の倍近くある藍色の弓を引き絞り数本纏めて番えた矢を放った。からすの矢は草人の射撃隊を次々と穿つ。再び上昇した鬼鴉は主の第二射に備え旋回する。
 地上では樹上からの攻撃と花粉を避けて、風上から回り込むようにして中央の草地へと出る。
 草人の群が多勢でも龍が戦いに加われば敵ではない。殲滅までにそう時間は掛からなかった。
 ひと仕事終えた長槍を肩に担ぎ、真珠朗が誰にともなく言う。
「僅かな傷でも治療しておいた方がいいでしょう。ひっかき傷やらの出血で余計なアヤカシとか寄ってきたりすると面倒ですし」
「ん‥‥精霊よ、癒しの光を──」
 清杖「白兎」を掲げる桔梗の身体から発する柔光が、皆の傷を塞いだ。
 その後調査を進めたが、岩壁に草人が通れる程度の洞穴入口があるだけだった。
 別の場所を調査するため龍に乗ってその場を離れる。
 乞食暗愚を飛び立たせ、真珠朗は逆端を行く鬼灯の横顔を見た。
 仇を追い続ける鬼灯は、着実にその存在に近づいている。閉ざされた記憶の断片を取り戻しながら。
 奪われたものを、刻まれた爪痕を、彼女は何で埋めるのだろうか。
(復讐に飲まれて、それを糧に生きていくなんて選択しちゃうと、正直興醒めなんですけど)
 少なくとも、今の彼女の横顔からそれを窺い知ることはできなかった。
(ま‥‥答えを急ぐわけでもなし。適当に楽しませてもらいましょうかね)


「怪しいのはやはり山頂か」
 からすの言うとおり残る数カ所の探索候補地は、いずれも霧に包まれた山頂近い場所ばかりだ。
 絶えず山頂から流れ落ちる霧は濃くなったり薄くなったりを繰り返す。濃くなれば隣の龍の影を見るのがやっとだ。
「霧の中は、ぶつからない様、逸れないよう、注意しないと。難しい、けど‥‥頼むな、風音」
 桔梗が背を撫でると、夜明色の駿龍は低くも暖かな声を返した。
「あ、この谷がそうじゃないかな?」
 霧の隙間から彼方が見つけた渓谷に、用心深く舞い降りていく。
 渓谷は幅が狭く十〜二十メートル程しかない。一方長さは緩やかな孤を描きながら数百メートルにも渡っているようだ。
 下からの風が霧を巻き上げているのだろう。十メートルも降りると視界が晴れた。しかし天を霧に遮られた渓谷内は陽光届かず、下に行く程闇に閉ざされていく。
「備えあれば憂いなしでござるー」
 連徳が松明の灯りを頼りに渓谷内に巣や洞穴が無いかを探索していく。迫り出した岩壁の影、断崖に生じた窪みなど、不意打ちにも対応できるよう警戒を怠らず。
 時折岩の隙間に黒い鳥の羽が挟まっているのが見つかった。結構な大きさの翼から落ちたもののようだが、果たして件のアヤカシのものなのか──。
(ん? あれ‥‥)
 暗視により不自由無い彼方は、視界の端に動くものを見た気がして天舞を向かわせた。単身行動する危険は承知しているが、皆に知らせてからでは見失うかもしれない。
 そこは岩壁に生じた天然の亀裂だった。縦に細く裂けたそこに龍では入ることはできない。
「天舞はちょっと待ってて」
 背から飛び降り亀裂に音もなく着地した彼方を、泰国風の鎧に包まれた駿龍は心配気な青眼で亀裂に消える彼方を見つめる。
 ごう、と。
 嵐が巻き起こしたような突風と轟音。亀裂から吹き出した衝撃と共に彼方が放り出され渓谷の底へと落下する。
「──!」
 黒い翼が空を打つ。急降下した天舞の背に落下した彼方は全身の裂傷も厭わず呼子笛を鳴らした。
 下から舞い上がった皆が天舞を庇うように展開する。
「いたよ‥‥四枚の羽を持つ、人型のアヤカシ!」
 桔梗の癒術を受けながら彼方が言うが早いか、再び轟風が皆を襲う。真空の刃を含む風が複数の傷を生む。
 轟風が岩壁に当たり、谷底からの風も巻き込んで上昇する。散らされた霧の間から差し込む光が、亀裂の入口に立つ姿を照らす。
 七尺はある細身の身体は虎に似た毛に包まれ、頭部から背、尾までは鬣の如き長毛が。獣の後肢と、長く細い手指に備わった強靱な爪。
 人とも獣ともつかぬその顔で、笑ったように見えた。
 刹那、亀裂を蹴り宙へ躍り出たそれは閉じていた翼を広げる。四枚の蝙蝠様の翼の中で、左肩の一枚だけが黒い鳥の翼──見つけた羽は、やはりこの四枚羽のものだったのだ。
「蒼隼、お前の力が今回は必要だ! 相手の力量が判らんからな! それを見極めたい。頼んだぞ」
 幼い頃から焔家に遣える駿龍であり、兄弟さながらに育った蒼隼は任せろと言わんばかりに低く唸り声を返す。
 龍牙の近くで連徳が言う。
「前回の調査では四枚羽目撃直後にアヤカシの襲撃を受けた様子。もしかすると今回も──」
「ご名答。さっきの陽光で霧の中に影が落ちてましたからね。彩烏とかいう奴じゃないですか」
 真珠朗は風魔手裏剣を手に油断無く辺りの気配を窺う。
 最前列で盾丸と共に四枚羽を見上げる形に対峙し、智は突撃してくる彩烏の嘴を斧と鎧で受け止める。
「暗さに目が慣れて来たとはいえ、相手の姿が見えないとは‥‥っ」
 上昇気流に乗って滑空する彩烏は羽音すら立てないのだ。
「見えないなら見えないで、やりようはあるってな?」
 いつもの明朗な鴻は影を潜め静かに呟く。意識は周囲の気配に集中されている。
「右だ、振山!」
 硬質化させた鱗で彩烏の突進を振山が受け止めたのを狙って、鴻が朱槍を突き入れる。もう一体は振山の牙に倒れた。
「行け、鬼鴉」
 からすの声に応え大きく翼を打つ。衝撃波に煽られ発した彩烏の悲鳴を頼りに放たれたのは、からすの朧月と真珠朗の骨法起承拳を乗せた手裏剣だ。
 彩烏がしきりに攻撃を仕掛けて来るその奥で、四枚羽はただこちらを見下ろしている。
「こちらの出方を窺っているのか‥‥?」
 龍牙が零したその時、
「鬼灯‥‥鬼灯!」
 それは桔梗の声だった。騎上でうずくまるように左肩を押さえた鬼灯は、呻くように呟く。
「あれが、爪痕の──」
 顔を上げ抜刀と同時に上昇させようとした駿龍の前に彼方が天舞を回り込ませる。
「一人で突っ込んじゃダメだよ」
 一瞬とはいえ、一人で相対したからこそわかる、その恐ろしさ。
 桔梗も瞳に必死さを滲ませて訴える。
「鬼灯‥‥今は、堪えて」
 うつむきふりかかる髪に隠れた表情。唇を、血が滲む程に噛みしめ。
「‥‥わかった」
 しかし彩烏の数はまるで減る様子も無く。加えて時折四枚羽が轟風刃を仕掛けてくる。
「このままじゃ埒が開かねぇ。一気に突破するか?」
 鴻の提案に異論を唱える者はいなかった。
 彩烏の攻撃を払い除けながら、岩壁沿いに四枚羽を回り込んで上昇する。
「きしゃー丸、行くでござるよ!」
 連徳の掛け声に、名を呼ばれた炎龍は獄鉄冥牙を剥きひと吼えすると旋回し四枚羽向き直る。
 投じた符から発した巨大な蛇が四枚羽に襲いかかった。
 翼を盾にするように回転した四枚羽の周囲を炎が渦巻く。炎に当たって砕けた蛇神の影から迫るのは迅雷の如き蒼影。
 蒼隼の爪をひらりとかわし、間髪入れずに繰り出された龍牙の平突を左の尖爪で逸らす。その隙に振り下ろされた右の尖爪。それは龍牙を襲うこと無く、すれ違い様に彼方が投じた苦無「獄導」を弾く。
 重ねて連徳が呪縛符を打つ。
 連徳と龍牙が攻撃を仕掛けている間に、皆は谷の入口へと迫り濃い霧が立ちこめる中へ突入する。右へ左へと、翻弄するように轟風刃が襲い来る中、殿を務める智の背後に気配が迫った。
「どんなとこだろうと、盾根性ォ――――ッ!」
 術師二人に四枚羽の攻撃を通す訳には行かない。盾丸ごと旋回し振り向いた智が、炎纏う爪の一撃を身を挺して受け止めた。堅固な鎧を通して直、衝撃が身体を襲う。
 智から敵を引き離すべく双方向から迫るからすの矢と鴻の気功波に、四枚羽は再び間合いを取る。
 しかし離れられれば霧の中に姿は隠れてしまう。
 上からの気配を察した鬼鴉が素早く身体を傾けた。振り落とされぬようしかと疾風の手綱を握ったからすのねこみみ頭巾を四枚羽の爪がかすめていく。
 八合目が近づくにつれ霧は薄まり、やがて完全に晴れた頃。四枚羽の気配も辺りから消え去っていた。
 おそらくは本気を出していなかったであろう──こちらの出方を窺うような、あるいは試すような戦いぶり。
 片鱗とはいえ、機動力といい一撃の威力の高さといい、並のアヤカシで無い事は充分感じ取れた。
 消耗した状態で霧の中へ戻り四枚羽と取り巻きを相手取るのは得策ではない。
 鬼灯は霧に霞む山頂をじっと見つめている。抑え切れぬ激情の為か、蘇った過去の恐怖の為か。刀の柄を握る右手は微かに震えているようだった。


 ギルドに戻った皆を、四葉ははちきれんばかりの笑顔で迎える。
「おかえりー! 皆無事で良かった」
「四葉くん、これありがとね!」
 彼方は借り出していた地図と資料を四葉に手渡す。
 前回の調査報告に加えて、今回の調査で得た情報を地図と資料に書き加えてある。
 四枚羽の姿、能力、行動様式など、知り得た範囲で詳細に記された最後の一枚。末尾の文章に四葉の表情が変わる。
『九合目南稜に位置する深谷を塒としている。高い戦闘能力を持ち、少なくとも風と炎の術を駆使する。知能も決して低くは無いと予想される。
 かつて村一つを一夜にして喰らい尽くしたアヤカシであり、今後早急な対応が必要となるだろう。』
「これ‥‥鬼灯さんが探してた‥‥?」
「そうみたいですねぇ。あたしは、あのまま一人で突っ込んで行くかと思ったんですが」
 冗談とも本気ともつかぬ口調で真珠朗が言う。
 最初に会った頃の鬼灯なら、きっとそうしていただろう。しかし今の彼女は思い留まった。
 それは蘇った記憶や心境の変化から生じる迷いなのか。それとも復讐の道へと心を定め、確実に仕留めんとするが故なのか──。
「最終的に奴を倒すにしても、そこに至る道は一つじゃありませんから。あたしの興味は、鬼灯のお嬢さんがこれからどんな選択をしてくかなんですよねぇ」
「道‥‥」
 謎掛けにも似た真珠朗の言葉に、鬼灯はそれきり黙り込む。そんな彼女に桔梗が言う。
「‥‥受け止めるものが大きいなら、ゆっくり、進も。出口の明かりに、目を慣らすように。でも、目が眩んでも、支えになれると良い‥‥って、思ってる。きっと、皆」
 彼方もそれに大きく頷いて見せる。
「よく分からないけど、心配する人がいるってのは幸せな事だよ。ひとりぼっちはさびしいもん」
 鬼灯は無言のまま、自らの胸の内に繰り返し響かせる。皆の言葉の意味を、言葉に込められた心を確かめるように。