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■オープニング本文 ● 神楽より程近い場所に、小さな農村がある。 村には小高い裏山があり、この山のてっぺんにはこれまた小さな寺がある。 檀家が集まって小さな集落を形成してから、多くを望まず慎ましい暮らしを守ってきた穏やかな地だ。 村の中は新年を祝う朗らかな空気に包まれている。通り過ぎた家からは、男達が集まり酒を酌み交わす賑やかな声が漏れ出る。子供達は寒い中でも元気に駆け回り、母達はその傍らで他愛もない話に花を咲かせていた。 龍風 四葉(iz0058)はそんな光景に自然と口元がほころばせる。いつもの四葉を知っている者が近くにいたなら、そこに潜む哀しみに気付いただろうか。 いつもは淡色の着物を膝丈裾にしているのだが、今日は黒と赤の地に白い大輪の牡丹が咲く大人びた小振袖を身につけていた。金銀の帯を華やかに結んだ背の上で、高く結い上げて流した銀糸の髪が歩みに合わせて揺れる。 母と子のありふれた光景は、もはやおぼろげでしかない幼い頃の記憶と共に、十年前母を失った痛みをも呼び起こす。 天儀本島を愛し、ジルベリア人でありながら着物を愛用していた母。母の着物に袖を通し母を偲ぶ。自分にはそうすることでしか想いを返すことができないから──。 四葉は道を一歩一歩踏みしめるように、寺への道を登っていった。 小さな門から奥へと続く石畳には、うっすらと雪が積もっている。それを箒で掃いていた法衣姿の老人が四葉に気付き手を止めた。 「おお、そろそろ来る頃かと思っておった所じゃ」 「和尚さん、あけましておめでとうございます」 しとやかに一礼する姿に、この水淵寺の住職である鉄斎は艶やかな頭部をなでながら快活に笑う。 「はっはっは、さすがにその姿ではいつものようには駆け回れんか」 「えー、四葉そんなに走り回ってるかなぁ‥‥あ、これ頼まれてたお届け物」 「おお、済まぬな。せっかく来たんじゃ、ゆっくりしていくがええ」 和尚に続いて、四葉は見慣れた母屋へと向かった。 ● 母屋の茶室は静かだった。 茶室だけでなく、この寺そのものが柔らかな静寂に包まれている。時折聞こえてくる鳥の声や風・水の音、肌に触れる冬の冷気だけが、開け放たれた障子の向こうにある外界と眼を閉じた自分とを繋ぐ。 神楽の賑やかさよりも、こういった静けさの方が性に合っている。そうして眼を閉じているのは、一人の志士だった。 背中まである黒褐色の髪を後ろで無造作に束ね、着崩した山吹色の着物の袖は小菊紋があしらわれている。左袖が通されていないが、それは肩から先、通すべき左腕が失われているからだ。 男女どちらともとれる中性的な顔立ち。その左半分は頬までを覆う眼帯で隠されている。その下部から隠しきれない爪痕が頬に覗いていた。 「鬼灯さん!?」 突然名を呼ばれ、鬼灯は振り向く。 この部屋に人が近づいているのは悟っていたが、訪れたのは予想外の人物だった。 しかし、その顔には驚きの色は見られない。日頃から、鬼灯の顔に感情が表れる事はほとんどないのだ。 「なんじゃ、お主ら知り合いじゃったか。先日、村の近くで腹を空かしているのを見つけてな。拾ってきたんじゃ」 まるで犬か猫のような鉄斎の言いように、四葉は思わず苦笑する。 「どれ、お主らにもわしの特製雑煮を食わせてやるとするかの」 鉄斎が席を外し、四葉は鬼灯から少し離れた位置に座った。 ギルドの受付係として見かける四葉と様子が違うことに気付き、鳶色の右眼が四葉の顔と小振袖を交互に見つめる。 「あ、いつもと違うでしょ? お正月だから。四葉の着物は、お母さんの形見の着物、なんだ」 「形見‥‥」 「うん。お母さんは開拓者だったんだけど‥‥開拓者だったから、アヤカシに──」 沈みかけた表情に努めて笑顔を戻しながら、四葉は言う。 「着物、着る人がいないとかわいそうだからね」 「この寺は‥‥よく来るのか?」 「うーん。最近はたまに、かな。でも昔はね、ここに住まわせてもらってたりしたから」 続けて鉄斎の人柄について語る四葉の言葉を、鬼灯は黙って聞いていた。 自分も、過去に家族を失った。家族だけではない。生まれ育った村ごとすべて──この左眼と左腕を奪ったアヤカシに奪い去られてしまった。 その忌まわしき月夜の記憶が、眠る度に悪夢として訪れて鬼灯を苛む。悪夢を止めるには、この身に刻まれた爪痕の主を討つしかない。そんな確信めいた思いを抱え、ずっと爪のアヤカシを追っている。 昨夜、爪のアヤカシに心当たりがないかを訪ねた鬼灯に、鉄斎は昔この寺で預かっていた子供の話を聞かせた。 とある母子が、突然現れたアヤカシの群に襲われた。開拓者である母は、子供達を逃がすために一人立ち向かい命を落とした。 母を失った哀しみと、母を奪ったアヤカシへの憎しみ。そして、逃げるしかできなかった幼い自分への憤り。あまりにも大きすぎる感情の奔流に、幼かった末の子は耐えきれなかった。 結果、その子供は自分という存在を自己の中から消し去ってしまったのだ。傷が癒えるまでは母の思い出が詰まった家から離れた方がいいだろうと、それまでの間を寺で過ごしたのだという。 話し終えて、鉄斎は鬼灯にこう告げた。 『まぁ、今は嘘のように元気なもんじゃがな。それでも未だに傷を引きずっておる。お主はあの子供によう似とるわい』 鬼灯は明るく話す四葉を見る。とてもかつてそのような状態にあったようには思えない。それに──。 (「自分を消し去った‥‥俺、も‥‥?」) 八年前。惨劇に見舞われた夜、意識を取り戻した時には旅の志士に命を救われていた。その時には既に記憶は曖昧で。自分の名すら覚えていなかったのだ。意識を手放す直前に見た鬼灯の朱が強く残っていて、志士に名を尋ねられてそう答えた。 失われた記憶は、自らが封じたものなのだろうか。 鬼灯が口を開きかけたその時、鉄斎が渋い表情で戻ってきた。 「いやはや、まさかこの寺付近にアヤカシが出るとはのう」 「アヤカシ!?」 思わず腰を浮かす四葉の横で、鬼灯は傍らに置いていた白鞘に右手をかける。 「うむ。墓地の外れに動く泥の如きアヤカシが現れおってな‥‥」 「ちょ、ちょっと待って鬼灯さん!」 鉄斎が話し終わらないうちに茶室を出ようとする鬼灯の前に、四葉が回り込む。 「一人で行くのは危ないよ」 「‥‥ここで世話になった。それは、この刀で返す」 「気持ちはありがたいがの。怪我人や死人が出ようものなら、わしには余計手間と言うものじゃ。今村の若い者に神楽に遣いに行ってもらっておる。駆けつけた開拓者と行く分には、止めたりせん」 鉄斎の言葉に、鬼灯は元いた位置に再び腰を下ろした。それを見て、鉄斎は満足気に頷く。 「よしよし。皆で協力してさっと倒すが良かろう。わしの雑煮が待ってるからのう」 |
■参加者一覧
櫻庭 貴臣(ia0077)
18歳・男・巫
羅喉丸(ia0347)
22歳・男・泰
桔梗(ia0439)
18歳・男・巫
那木 照日(ia0623)
16歳・男・サ
篠田 紅雪(ia0704)
21歳・女・サ
天寿院 源三(ia0866)
17歳・女・志
虚祁 祀(ia0870)
17歳・女・志
水月(ia2566)
10歳・女・吟 |
■リプレイ本文 ● 鉄斎の案内を受けながら羅喉丸(ia0347)が問う。 「アヤカシの数が増えたりはしていないだろうか?」 「うむ。今のところは数も場所も変わらずじゃ。開拓者を一人客人として迎えておってな」 「あ‥‥」 桔梗(ia0439)は驚きを映した瞳を瞬かせる。母屋から出てきたのは鬼灯と四葉だった。 「四葉も、鬼灯も、明けまして、おめでと」 急ぎながらも新年の挨拶と共に頭を下げる桔梗。 虚祁 祀(ia0870)も偶然の出会いに驚く。鬼灯とは縁があるのか、少し前に依頼を共にした事があった。 (その時掛けた言葉が鬼灯の中でどうなってるか、少し興味はあったから‥‥良い機会、かな?) 「アヤカシ、毒を持ってるって聞いた、けど‥‥」 桔梗の問いに四葉が頷く。 「うん。粘泥から傷を受けたらそこから毒が入り込むんだ。毒液を飛ばしたりはしないみたいだけど、気をつけて」 真剣な面持ちから紡がれる口調はギルドの受付で見られるものと変わらない。 鉄斎は母屋の脇から続く林道を指した。 「この道を少し行けばすぐ墓地じゃ。頼んだぞ」 鬼灯を一行に加えて林道を墓地へと向かう。見え始めた墓地の柵越しに、未だ見えぬ粘泥を睨み据えて天寿院 源三(ia0866)が言う。 「こちらのような綺麗なお寺がアヤカシに汚されるのは我慢なりません。怪我人がでているなら、尚更です」 怒りを秘めた言葉を発するも、その身からは迫力よりもかわいらしさを醸し出している。名からは想像し難いが、小柄な十七歳の少女なのだ。 ● 墓地の最奥部、柵の外側に三尺強はあろうかという不定形のアヤカシが群れていた。地を這いずり回る姿を見れば、その名が付けられたのがよくわかる。 篠田 紅雪(ia0704)珠刀「阿見」を両手に構え言う。 「まずは、あれらを片付けてしまわねばな」 こくこくと頷きながら、水月(ia2566)も遠目からその様子を窺う。 強敵という気配は感じないが、毒を持つアヤカシだけに四葉の言うとおり油断は禁物だ。 桔梗は足元を見て言う。 「‥‥雪、残ってる、から‥‥滑らぬよう気をつけて」 「柵の中に入られる前に、こちらに引きつける」 弓を所持している中でも射程の長い「朏」を持つ祀が弓を引き絞り狙いを定める。 矢に絡む葛は宿りし精霊力の見せる幻影。放たれたと同時に紅い燐光を散らし弧を描く。技により命中力を高めたのも、柵や墓に被害を出さぬ為だ。 射程ぎりぎりからの射撃は見事粘泥の一体を穿つ。 自らの弓の間合に入れば、羅喉丸と天寿院も矢を射掛ける。 (──! ニ体、墓地の中に入り込んでる‥‥) それに気づいた那木 照日(ia0623)は珠刀「阿見」ニ刀を左右に抜き放つ。 「鬼さんこちら‥‥手の鳴る方へ‥‥」 よく通る声で奏でる歌に乗せた咆哮に触発され、粘泥達は墓地の中のニ体も含め照日を目指す。 動きの遅い粘泥が近づくまでの間、矢で少しで体力を削ろうとしたのだが、 「矢は、あまり効いていないのか?」 羅喉丸の言うとおり、突き立った矢は粘泥が動くと抜け落ちる。 「刺さった時の反応からして、全く効いていないという訳ではないようだが‥‥」 「これはどう──?」 祀の弓矢が青白く輝く。先刻よりも半分に縮んだ間合い。この距離なら外さない。 矢を受けた粘泥は、それまでに無い程身を波立たせた。 「効いてる‥‥? なら‥‥」 霊木の杖を構えた桔梗の視線を受けて、水月も扇子「巫女」を手に頷く。 「‥‥精霊よ、我に力を‥‥」 「‥‥悪しき者を呑み込む歪みを、ここに顕せ──」 二人が生み出した歪みに、祀の矢を受けた粘泥は大きく波打つ。そこに駆け込むのは紅雪。 「滅べ‥‥はっ!」 渾身の力を込めた袈裟掛けの一刀が粘泥を両断した。二つに分かれたそれは蒸発するように瘴気へと変わる。 咆哮が効いている粘泥達の狙いは照日一人。間合いに入った瞬間、それまでとうって変わった俊敏さで跳びかかる。身体の一部は隆起し、数本の大きな棘を形作った。 一体は身体を開いてかわし、もう一体を交差したニ刀で受け止める。 「──っ!」 一体を押さえる為に、左足を充分に引ききれず。棘がかすめた腕に焼け付くような痛みを覚えた。 「照日!」 弓での援護の為後方に退がっていた祀が反射的に声を上げた。 刹那、照日が囲まれぬよう横を補う形で割って入ったのは鬼灯と天寿院だった。鬼灯は鞭の如く振るわれた粘泥の攻撃を白鞘で受け流し、天寿院は左手の団牌で払い除ける。 両手の構えを崩すのは不本意なのだが、盾片手に戦いに臨むのもまた修行の一環。 「片手で突きは不利。ならば斬るのみ! です」 全身を槍に見立てて突進してくる粘泥を横踏でかわし、平正眼に構えた「河内善貞」を鋭く突き入れる。 「清き力よ、身の内に淀むけがれを祓いたまえ‥‥」 水月が送り込む浄化の力に、照日の身体が淡く発光し体内を蝕む毒が消えていく。 遠巻きに彼らに近づこうとする粘泥には、前衛の攻撃の切れ間を狙って祀が矢を射掛ける。 「これ以上、照日を傷つけさせない‥‥!」 その声に照日は思わず口元を僅かながらほころばせた。 桔梗は後衛から解毒と神風恩寵で援護を行ないつつ、鬼灯の様子に気を配っていた。 鬼灯は左の隙をかばうよう、半身に開いた構えは右側を前に、左右どちらからも対応できるように。 それでも視界の狭さは否め無い。前方の粘泥を相手取る鬼灯の、左後方から別の一体から伸びた棘が迫る。 「──!」 鬼灯への呼びかけを、桔梗は呑み込んだ。攻撃が鬼灯に達する前に、羅喉丸の振るう長槍「羅漢」が払いのけたからだ。 変形する粘液状の身体が受け流すのを見、羅喉丸は長槍で押し退け間合いを離す。 「直接攻撃が効き難いなら、これだ!」 放たれた気功波が粘泥の一部を吹き飛ばした。 「泥め、こちらだ‥‥!」 紅雪が「阿見」で空を横に一閃、咆哮の効果から解放され逃れようとする粘泥達を睨み据えた。 彼女へ向かう粘泥の一体をめがけ、鬼灯が大きく一歩を踏み込む。粘泥が放った鞭を、横に踏み込んでかわし。斜に斬り上げ、さらに返す刀で流れるような一撃を打ち込む。 「疾い‥‥拙者が目指すべき形の一つなのかも知れません」 感嘆の声を漏らしたのは天寿院だ。 彼女は流水の如く流動的で速度を生かした戦法の中に、自らの形を見出そうとしている。 隻眼隻腕の不利を補うために、軽い白鞘を用いて防御よりも回避を。重い一撃よりも手数の多さを求めた鬼灯の戦い方は、天寿院のそれと通ずるものがある。 そんな鬼灯と共に戦える事を喜ばしく思いつつ、天寿院も極力鬼灯の死角を補う位置取りを心がけていた。 「‥‥これより先へは‥‥行かせません‥‥!」 照日は粘泥の攻撃が後衛に及ばぬよう、進んで盾となる。 受けた傷や毒は桔梗と水月が癒し、二人の術や羅喉丸の気功波など精霊力による攻撃を主軸に据え。攻守連携を計った戦法に粘泥はその数を減らし、すべて討伐し終えるまでにはさほど時間は掛からなかった。 最後の一体が瘴気となり地に還るのを見届けて、刀を納めた紅雪は墓地を見やる。柵にも、その向こうに立ち並ぶ墓石にも、被害が及ぶ事は無く。 「‥‥騒がせたな‥‥」 眠りを妨げられてしまったであろう者達に小さく告げて、紅雪は母屋へと戻る皆の後へ続いた。 ● 討伐を終えて戻った皆を、四葉が迎える。 「お帰りー! 皆無事でよかった。和尚さんがお雑煮をごちそうしてくれるって!」 四葉の満面の笑みにつられたか、羅喉丸も笑顔を見せる。 「雑煮か、楽しみだな」 「和尚様、手伝います」 天寿院が鉄斎に申し出ると、水月もすかさず挙手。祀も同じく。 ふと思い出したように四葉が言う。 「うちのお雑煮って塩味なんだよね。和尚さんとこも醤油だけど、やっぱり皆のとこもそう?」 それがきっかけで各自の家の雑煮談義が始まり、 「皆で我が家のお雑煮を作って、お雑煮会‥‥とか」 我ながら名案、と目を輝かせる水月。祀はちらと照日に視線を送る。 「なら、私は照日と一緒に‥‥照日の分、いつも作ってるから」 言ってしまってから仄かに頬を染め俯く祀の後ろで、照日は赤くなった顔を着物の袖で隠した。 母屋へ向かう皆から離れ、表門の方へ向かう桔梗に四葉が声を掛ける。 「どこ行くのー?」 「んと、七草、探す‥‥」 天涯孤独の桔梗には家庭の味を知らずに育った。皆に知れては興が冷めるかと気を遣ったのだ。探しがてら村へ行き、怪我をしたという村人の治療をする為でもあった。 雑煮制作組は鉄斎について厨へ向かう。そこでは既に小坊主たちが火を起こし終えていた。 「和尚様の作られるお雑煮は、何を使われてますか?」 天寿院が小坊主から受け取った鍋に水を注ぎながら尋ねる。 「わしのところは、野菜ばかりじゃな。殺生を禁ずる寺の事、肉や魚の類は使わんからのう」 たすきを掛け大根をまな板に乗せる鉄斎の言葉に、祀が呟く。 「そうか‥‥魚は無理、かな?」 「そうじゃのう‥‥ここに無い材料は、村へ行けば分けてもらえるかもしれんぞ?」 「わかった。行ってみる」 「あ、祀‥‥私も、行きます‥‥」 照日においしい雑煮を食べてもらうためと、意気込んで 駆け出した祀の後を照日が追いかけた。 ● 茶室の縁側に腰掛け庭を臨むと、泉を護るように枝を伸ばす立派な松は雪化粧が施され。枝の奥、雪の少ない場所を選んで止まった雀がさえずりを響かせる。 「見事な庭だな‥‥」 紅雪はぽつりと漏らした。さほど広くはないが、澄んだ泉を中心に調和のとれた美しい庭だ。愛用の煙管は、寺院内という遠慮もあり煙草入れと共に仕舞われたままだ。 「鬼灯さん、久しぶりだな。息災のようで何よりだ」 先刻はゆっくり挨拶もできなかったからと、羅喉丸が呼びかける。庭を見たままこくりと頷く鬼灯の横に、彼は腰掛けた。 「鬼灯さんは、爪のアヤカシを見つけて倒すことができたら‥‥その後はどうするんだ?」 「‥‥その、後?」 初めてこちらを振り向いた鬼灯に、羅喉丸は頷いた。 今彼女を進ませているのは、爪のアヤカシを倒すという一念。それが達せられたら、彼女は道を失ってしまうのではないか。それが少し気掛かりだったのだ。 「わからない‥‥奴を見つけ、倒す以外の事は‥‥考えた事がない」 「そうか‥‥でも、時折でいいから、その事を考えてくれると嬉しい」 この会話で、彼女が未来の自分について考えるきっかけになってくれれば──。 「お茶、どうぞ!」 「あ、あの‥‥」 二人の会話が途切れるのを待っていた四葉と桔梗の声が室内と庭先とで重なった。 「おかえりー! 桔梗くんの分もお茶淹れるね」 「ありがと‥‥えと、これ‥‥」 桔梗は白い水仙の花を手にしていた。赤い花を避けたのは、鬼灯の血の記憶にふれぬ為。それを、そっと鬼灯の帯に挟み込む。 「晴れ着の、代わり‥‥あと、四葉にも。今日の着物に、似合いそうだから」 黄梅の花枝を髪に挿してもらい、四葉は少女のような微笑みを鬼灯にも向ける。 「ありがと! 鬼灯さんも、良く似合ってるよ」 「できましたよ。皆さん一緒に食べましょ?」 天寿院の声と共に、雑煮の鍋を持った面々が入室すると美味しそうな香りが広がる。 「このお雑煮、削節が入ってるんだね」 四葉が覗き込んだ鍋には、他に醤油味の澄汁に煮餅と餅菜が入っている。椀によそいながら水月が嬉しそうに頷く。 「削った鰹節をわっとかけると、湯気でゆらゆら〜ってするのがたのしいのです。お母さんの味、思い出して‥‥頑張って作りました」 「うちのお雑煮も、水月の所と同じ澄汁仕立て」 祀がよそった椀を隣にいる照日に渡す。別茹での丸餅に蒲鉾、鰤の切身、蛤、ほうれん草の入った豪勢な雑煮だ。 「美味しい‥‥です‥‥流石は、祀、です‥‥!」 見るからに美味しそうに食べる照日に、祀は柔らかな笑みを向ける。材料を調達するのに少し奮発した甲斐があったというものだ。 天寿院家の雑煮は油揚げと餅菜が沢山入っている。 「柔らかい菜っ葉は美味しいですけど『沢山食わんと強くならん』と祖父や父上に勧められたものでした‥‥太っちゃうのに」 だがこうして皆で食べると、楽しさも相まってつい箸が進んでしまう。 皆の雑煮にまつわる思い出話を聞きながら、皆の家庭の味を味わう桔梗の瞳も穏やかな色を湛えていた。 水月も数種類の美味しい雑煮に幸せの気を漂わせていたが、自分の雑煮を口にしてふと寂しげな顔を見せた。 「どしたの?」 四葉に問われ、水月は小さく微笑む。 「お雑煮って、わたしにとっては『故郷』や『家庭』を思い出させる食べ物で‥‥うちのお雑煮は、お母さんの思い出の味、ですから」 しかし水月の為に雑煮を作ってくれる母は既にこの世にはいない。 祀はふと鬼灯を見る。彼女には故郷も家族も無いのだろう。だが、できることなら──。 (痛い、悲しい過去じゃなく。皆のいる、賑やかな今、見て欲しい‥‥) 鬼灯はその胸に何を思うのか、ただ黙々と皆の雑煮を食べていた。 ● 後片づけを手伝う天寿院は、鉄斎の言葉を聞いて驚く。 「龍風様は男性、だったのですか‥‥女の子だとばかり思っておりました」 「あの姿では無理もなかろう。奴の髪と瞳は母親に生き写しでな‥‥ああして母の着物を身につけた自分の姿に、母のそれを見ておるのじゃろう」 天寿院は部屋を出る前に、縁側で鬼灯の隣に座る四葉を振り返る。その姿は、似合うが故に生まれた悲しみなのだろう。 四葉は鬼灯に問う。 「ねぇ、どうして爪のアヤカシを探すの? 仇を討ちたくても、討つ力の無い人がほとんどで‥‥皆、それでも日々を暮らしてる。仇討ちにこだわらなくたって、生きていけるでしょう?」 最初は穏やかだった口調は、次第に強さを増していく。言葉に込められたのは、母の仇を討つ事叶わぬ自分自身への憤りと――鬼灯への羨望。 鬼灯はこれまでの歩みを振り返る。気づいたとき、鬼灯の前には既にその道しかなかった。だから今は。 「この道を、行けるところまで行くしかない‥‥」 「‥‥鬼灯さん、雰囲気が似てるの。四葉のお母さんに。鬼灯さんが傷つくのは、辛いから。無理はしないで」 その言葉に、鬼灯は知らず拳を握りしめた。 嬉しい、辛いと、何故、他人の事をそう思える。 何故、自分の為に他が傷つくと苦しいのか。 自身も、周囲にも、これ以上傷を増やさないように──? これまでに自分に向けられた数々の言葉が、想いが内に溢れる。ともすれば溺れてしまいそうな感覚に、鬼灯は僅かに眉を寄せた。 (わからない‥‥失った記憶を取り戻せば、全て解るのだろうか──?) この時、鬼灯の中にはある決意が生まれていた。 二人の会話を聞くともなしに聞きながら、紅雪はひらり雪を舞わせ始めた空を見上げた。 アヤカシがいる限り、こうして痛みを抱く者はなくならない。ひとの命と営みを守り、悲しみを減らす。自身の剣はその為にあるのだから。 |