【爪痕】爪対爪 翼対翼
マスター名:きっこ
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2009/12/24 19:51



■オープニング本文


 辺り一帯に立ちこめる血の臭いに、嗅覚は既に麻痺していた。
 僅かに動く右の指先を握ると、ぬるりとした感触‥‥それも血、なのだろう。その感覚もすぐに遠のいていく。
 仰向けに倒れた身体は重く、残されたのは左肩と左眼の灼けるような熱さだけ。
 ──月が、出ている。
 深く濃い墨を一面に流したような闇夜にたった一つ、月だけが。
 村の皆は、家族はどうなったのか。その眼で、耳で確かめねば。
 意志とは裏腹に視界はゆっくりと閉ざされていく。
 景色が消える最後の瞬間まで。真円を描く天の白に、連なる鬼灯の実が朱に燃えていた。
 闇に呑まれる意識の中、微かに聞こえたのは翼の羽ばたき──。
 そう、風を打ち羽ばたく音が聞こえたように思う。
 峡谷で戦った、翼と爪を持つアヤカシ。その戦いの中で取り戻した記憶という名の手掛かり。
 爪痕を追って戦う内に、少しずつではあるが記憶が呼び起こされている。
 それは八年前の忌まわしい記憶。
 いや、幼かった当時の記憶は既に曖昧で。それはいつも悪夢という形で夜毎繰り返される。
 村を襲った突然の死。その死から唯一逃れた自分は、今も死に囚われている。死を振りほどくには、死を振りまいたアヤカシを討つ以外に無い。
 手がかりは顔の左半分と、腕を失った左肩に刻まれた爪痕のみ。
 必ず、あのアヤカシにたどりついてみせる。
 折から吹いた風に、後ろで無造作に束ねた黒褐色の髪が揺れる。風は同時に、山吹色の着物の左袖をもさらっていった。中身の無い袖は煽られるままにはためく。
 冬の乾いた風が吹く辻を抜けて、向かった先は開拓者ギルドだった。


 神楽の都にある開拓者ギルドは、各地にあるギルドをとりまとめる本部としての役割を果たしている。
 各国に置かれた支部に寄せられた依頼がここに集められ、神楽に住む開拓者達が派遣されて行くのだ。
 もちろん、神楽のギルドに直接持ち込まれる依頼も後を絶たない。ギルド職員は日々それらの対応に追われている。
「四葉ごめん、こっちお願い!」
 慌ただしく同僚の間を横切る女性職員が、抱えた書類の束から一枚を差し出した。
「はい、りょーかい!」
 受け取ったのは小さな受付係だ。淡藤色に水仙の咲く着物の裾を膝丈に上げて着こなし、鮮やかな藍の帯を文庫に結んでいる。
 髪を口にくわえ、高く結い上げて流した銀色の髪を結ぶ赤い綾紐を直すと、改めて紙面に碧色の瞳を向けた。
「‥‥飛空船が襲われた?」
 天儀本島各地は、定期連絡飛空船でも繋がっている。
 隣国辺りまでならば徒歩や馬車での旅が主流だが、それ以上の遠方となるとやはり飛空船が便利である。
 商家であれば個人で所有する船を使って商材を搬送する。天儀の空には、日々大小様々な飛空船が飛び交っているのだ。
 その航路に、翼のある異形のアヤカシが現れた。襲われた商船は積荷、乗員もろとも山間に墜落したという。
(「助かった人が近くの村へ何とか辿り着いて、風信術で知らせてくれたのか‥‥」)
 墜落前に船外に投げ出され、木の枝に受け止められる形で腕や胸を折る程度で済んだ。船を追ってアヤカシが降りてきていたそうだから、他の乗員は既に──。
 風信術のやりとりを書き留めた書類を依頼書として書き起こし、四葉はギルド内の掲示板へ向かう。
「あ‥‥鬼灯さん」
 足を止めた四葉の声に、掲示板の前にいた山吹色の着物姿の開拓者が静かに振り向いた。
 四葉を見つめる右目に宿る鳶色の瞳。左眼は大きめの眼帯に覆われ、それでも隠しきれない爪痕が頬にのぞいている。
「‥‥新しい依頼か?」
 整った中性的な顔立ちと声は、見る者によって男女どちらとも取れるだろう。が、四葉は隻眼隻腕の『彼女』が爪のアヤカシを探している志士である事を知っている。
「あ、うん‥‥飛行船を襲ったアヤカシの討伐依頼」
 仇らしき爪のアヤカシを探して無茶を重ねてきた彼女の過去を知っている四葉は、それを見せるのを一瞬ためらった。しかし、急ぎの依頼を貼り出さない訳にも行かず、掲示板の空きにそれを掲示する。
 さっとそれに目を通した鬼灯は、アヤカシについて書かれた部分を注視した。
「翼と、爪‥‥」
 予想通りの反応に、四葉は諦めた様子で帯の間から『アヤカシ一覧』と記された綴帳を取り出す。開いた頁には鷲と獅子を合わせたような異形の生物が描かれている。
「討伐対象はこのアヤカシだよ。『鷲翼獅子。三間(約6m)に及ぶ巨体は獅子の如く、その前半身は鷲そのものである。獅子の強靱な後肢、鷲の鋭き嘴と爪、空を舞う翼による攻撃は縦横無尽なり』」
 読み上げる四葉の声を聞きながら、鬼灯の眼は鷲翼獅子の姿絵に注がれている。だがその視線は鷲翼獅子の向こうに違う何かを見つめているように思えた。
「相手は長く高く飛べるみたいだし、いると思われる場所がかなりの山奥だから‥‥龍を使って行かなくてはいけない依頼なんだけど‥‥」
 四葉は言葉を切って、アヤカシ一覧から上げた視線を鬼灯に向けた。それに気づいた鬼灯も同じく。
「何か問題でも‥‥?」
 鬼灯の表情は動かない。それは動じないのではなく、忘れてしまったか──。
(「自分で殺してしまった、か──」)
 四葉は知らず唇を噛んだ。母を失ったばかりの自分が思い起こされたから。
 鬼灯の横顔に、四葉はどこかしら亡き母の面影があるように感じていた。しかしその心は、その頃の自分と似ているのかもしれない。
 自分に開拓者としての資質があったなら──あの頃の自分のまま、母を奪ったアヤカシを追っているのだろうか。
「その依頼、受けよう」
 鬼灯の声で、四葉は我に返る。いつの間にか消えてしまっていた笑顔を、少女の如き顔に浮かべて頷いた。
「わかったよ。じゃあ、登録しておくから」
 四葉が心配しようと彼女には関係の無いこと。止めても行くのだろうし、下手をすれば龍無しでも現地に向かいかねない。
(「それなら、開拓者の皆と一緒に行く方が安全だもんね」)
 依頼に行っても、無事にギルドへ帰って来てくれるように、と。旅立つ開拓者に向ける言葉を、鬼灯にも送る。
「気をつけて行って来てね!」


■参加者一覧
羅喉丸(ia0347
22歳・男・泰
桔梗(ia0439
18歳・男・巫
虚祁 祀(ia0870
17歳・女・志
橘 琉架(ia2058
25歳・女・志
幻斗(ia3320
16歳・男・志
真珠朗(ia3553
27歳・男・泰
与五郎佐(ia7245
25歳・男・弓
神咲 輪(ia8063
21歳・女・シ


■リプレイ本文


 開拓者達は急ぎ龍の元を訪れる。
「紫雲、初の一緒の依頼ね? やれとこまで、頑張るわよ?」
 橘 琉架(ia2058)が駿龍に呼びかける。紫雲は鼻面を撫でる琉架に頬を寄せた。
 この季節、山中のしかも上空となれば気温はかなり低いと予想される。衣服を重ねた桔梗(ia0439)の傍らにいるのも同じく駿龍だ。背を覆う鱗は漆黒だが白い腹に向けて藍が明るむ様子は明け方の空を思わせる。
「お前は寒くないのかな、風音」
 自らを見上げる桔梗を、風音の穏やかな瞳が見つめ返す。
 一方、与五郎佐(ia7245)の駿龍は赤と薄桃色の鱗に真珠色の鎧が栄える。
「訓練通りでいいんだからな? 迦稜頻伽」
 その言葉は、自らにも向けられたものだった。彼の緊張を悟ってか、迦稜頻伽は静かな声を返す。
「クオー‥‥」
 それをじっと見つめる鬼灯に気づき、与五郎佐は苦笑して見せる。
「空での戦いはこれが初陣なんです。龍の扱いに際して、助言をいただけると嬉しいのですが」
 鬼灯は僅かな沈黙の後に自らの駿龍を振り返る。
「俺も、龍で戦うのは初めてだ」
「そうなのですか?」
 与五郎佐は意外そうな声を出す。落ち着いているのでそうとは気づかなかったのだ。
 鬼灯は龍に鞍を乗せながら言う。
「言葉も通じないし‥‥まだよくわからない」
 隻腕のため、ベルトを締めたり紐を結わえるにも右手と口を使っての作業になる。
「鬼灯、俺が‥‥」
 結ぶのを替わるべく桔梗が手を差し伸べる。鬼灯は少し驚いたが、そのまま場所を譲った。
 探していた桔梗の姿を見つけた神咲 輪(ia8063)はそこへ駆け寄った。
「桔梗、お弁当‥‥」
 言葉を途切れさせたのは、桔梗が鬼灯と話していたからだ。
 鬼灯の龍に名が付いてないと聞き、桔梗は作業を進めながら言う。
「えと。龍が言う事を聞いてくれるようにするには、心を通わせないといけない。名前をあげて、何でも話すと良いと思う」
「名前‥‥話す‥‥」
 単語を繰り返す鬼灯に桔梗は頷く。
「龍から誰かに伝わったり、しないから」
 会話が途切れた機会を見計らって、輪が歩み寄る。鬼灯はお団子家族である桔梗が気にかけている相手。人見知りながらも意を決して話しかけた。
「あ、その‥‥鬼灯さんも‥‥」
「‥‥?」
「ええと、鬼灯さんの龍って、好きなものとかあるの?」
「‥‥あるのか?」
 鬼灯は質問をそのまま自らの龍に振り。龍は小さく首を傾げた。
(「‥‥言えなかったー」)
 輪は心の中でうなだれた。本当はそんなことを言いたかったのではないのだが。
(「アヤカシにつけられた、古い傷、か」)
 虚祁 祀(ia0870)は甲龍の褐色の肌を覆う純白の鎧に刻まれた傷の一つを指でなぞる。傷は古く、引き連れているのは成長に拠るものだ。
「……槐、怯えずにいこう。今ならきっと、勝てるから」
 言って祀が背に乗ると、槐は一声上げ。翼を羽ばたかせて空へと舞い上がる。彼女に続き一人、また一人と空へ飛び立った。


「さて、甲守。頑張りましょうね」
 相棒と共に戦うのは初めてと意気込む幻斗(ia3320)。銀防甲守の方は、戦いに赴くというよりも共に空を駆ける事が単純に嬉しいのだろう。幻斗の髪によく似た色の銀鱗は生き生きと躍動している。
 目指すのは神楽から北西に向かって飛んだ先。朱藩北部の山岳地帯だ。飛行船が墜落したのはその中程にある広葉樹林帯である。
 相手も空を自在に駆るアヤカシだ。いつ遭遇し、または奇襲を受けようとも対応できるよう編隊を組んで行く。
 その先頭を行くのは羅喉丸(ia0347)だ。
(「アヤカシに奪われた眼と腕‥‥俺は、運が良かったという事か」)
 鉱石のように頑強な体躯を持つ甲龍・頑鉄の背で彼は自らの過去を思う。
 幼き日、アヤカシの襲撃を受けて村を失った。泰拳士に救われたおかげで、こうして五体満足でいる事ができている。もし助けが来なかったら、遅れていたら、自分も彼女のようになっていたかもしれない。そう思うと他人事とは思えなかった。
 その後ろに続くのは輪だ。胸の前で両手を組み、全身に力を込める。
「うう〜っ。こ、怖くないもの‥‥大丈夫だからね、慧」
「‥‥」
 呼びかけた輪の声はかすかに震え、相棒の炎龍は微妙な沈黙を返す。
「輪、寒いのか?」
 後ろに続く桔梗が少し距離を詰めて問うのに対し、輪は自らを落ち着かせんと笛をお守り代わりに握りしめた。
 桔梗や、他の皆も空での戦闘経験が無い者が多い。自分だけではないのだ。
「ううん、大丈夫! ありがとう桔梗」
 辛い時こそ笑顔でいなくては。振り向いた輪は優雅な微笑みを桔梗に送った。
 三列目は回復役の桔梗を中心にして左右に与五郎佐と鬼灯で固め。中央の三人の左翼を祀が、右翼を幻斗が護る。
「護衛‥‥?」
 自身の申し入れに淡々とした声を返す鬼灯に、桔梗が頷く。
「俺は回復と皆への指示出しに専念する、から。頼めるだろうか」
「共に戦う者同士、互いが互いの役割を果たし補い合えば、自ずと勝利は見えてくるはずです」
 そう言ったのは与五郎佐だ。鬼灯が仇となるアヤカシを追っているという話は、四葉から聞いている。気持ちは分かるが、できれば無理はしてほしくない。
 過去、依頼を共にした事のある者は、彼女が仇を求める剰りに時に無理を承知で敵に向かう姿を目の当たりにしている。幻斗と真珠朗(ia3553)もその一人だ。
(「拙者も担当したかったのですが、今回の状況では任せるしかないですね」)
 片手で器用に手綱を捌く鬼灯を見つめ、幻斗は心の内に呟く。戦いとなればその右手は刀を取らねばならない。万一の場合は、桔梗や真珠朗が補佐に入る事となっている。
 その真珠朗は、中央三名のすぐ後ろを行く。
『また何時かご一緒したいですねぇ。ご縁があれば』
 そう告げて鬼灯と別れてから数ヶ月が過ぎていた。どうやら、縁の糸は切れてはいなかったらしい。
「ま、赤い糸かは解りませんが」
 本気とも冗談ともつかぬ呟きは、頬をすり抜ける風が後方へとさらっていく。
 真珠朗の後ろ、殿を務めるのは琉架だ。背後からの奇襲に特に気を配りながら、周囲を流れる風や雲を窺う。
「この季節は風も冷たいわね‥‥」
 天候が変われば戦況も変わってくるだろう。今の所は、雲も少なく空も晴れ渡っている。こちらが動きやすいという事は、相手にも同じ事が言える。
「この天候、吉と出るか凶となるか? 勝負、と言う感じかしら」
 琉架はふっと口元を緩ませる。
 その時、左翼で祀が声を張った。
「いた! 十時半の方向やや下‥‥三体!」
 山肌に潜んでいたのだろうか、巨大な三組の翼が遠くからこちらを目指して空を駆け上って来るのが見て取れた。
 先頭を翔けていた羅喉丸は手綱を引き、頑鉄を左に旋回させる。
「では、手筈通りに」
 左右から前へと出た祀、幻斗と目線で頷き合い、アヤカシを迎え撃つべく降下を始める。この三人の甲龍で一体ずつ当たり、動きを止める作戦だ。
 それに合わせて隊全体が方向転換する。
 少しでも早くその姿を見んと、鬼灯は知らず龍を速めた。その行く手を、真珠朗の操る乞食暗愚が遮った。
「おや、失礼。気づきませんで」
 真珠朗はおどけた口調で謝る。が、鬼灯の駿龍に対し乞食暗愚は甲龍。あえて先を塞ぐ位置取りを狙わなければ到底追いつくものではない。
 それで鬼灯は桔梗と並ぶよう速度を落とした。
「護衛、だったな‥‥」
 鬼灯は理穴の峡谷で戦った際、呼び起こされた記憶に戦うことが出来なくなった時があった。その時も、その前も、同行した者達に助けられた。いつも、助けられるばかりで──。
(「こんな事では、奴を討つ事など‥‥」)
 鬼灯は手綱を口にくわえて腰の白鞘を隻腕に抜き放った。


(「空中戦は不慣れな分、あちらが有利‥‥確実に倒すには、攻撃を集中しなくては」)
 祀は藍弓「朏」に矢を番える。そのためには、一体を確実に自身に引きつけておく必要がある。
 互いに詰める間合いはあっと言う間に縮み、鷲翼獅子は鋭い声を響かせて左右と下に展開する。
「連携を取られる前に、分断する‥‥!」
 同じ能力を底上げする技は同時に使う事が出来ない。より力を高めるものを選んで、引き絞った矢を放った。弓弦が鳴った瞬間、紅葉を思わせる燐光が舞う。
 左に回り込んだ鷲翼獅子めがけ飛翔する矢と、獅子が放った真空刃が交錯する。
 真空刃と矢はほぼ同時に互いを撃った。
「く‥‥!」
 祀が痛みを堪えた瞬間、槐が声を上げる。右に展開していた獅子が命中の瞬間を狙って突進して来たのだ。鷲の頭部に備わった鋭い嘴が迫る。 
 ぶつかり合う音に、衝撃は伴わなかった。間に羅喉丸と頑鉄が割り込んだのだ。瞬時に硬質化した頑鉄の表皮と龍鎧が、鷲の爪による痛手を軽減している。
「俺の相棒は頑丈なのが自慢でね」
 続けざまに振るわれた前肢の爪による第二撃は、羅喉丸が長槍「羅漢」でいなす。
「頑鉄!」
 爪の重い一撃に騎上で体勢を崩しかけた羅喉丸の声に応じて、頑鉄がその場で旋回するように尻尾で薙いだ。
 さほど遠くない位置で祀と獅子がまみえる音がするが、他の二体は彼女と幻斗が足止めしてくれることを信じて目の前の敵に意識を集中させる。
 翼で空を打ち上昇した獅子に、横合いから迫るのは輪と彗。
「これはどうかしら? 水柱よ、我が敵を討て!」
 輪の放った水遁の衝撃が翼を打つ。均衡を崩しながらの獅子の真空刃に、輪はとっさに手盾を翳した。
「ひゃっ!?」
 がつん、と激しい音と衝撃に輪はのけぞる。突如引かれる形となった手綱に彗も驚きの声を上げた。獅子の体勢が崩れていなかったら、直撃していただろう。
「いたた‥‥真空刃はできるだけかわした方が良さそうね」
 数段高度の低い位置では、幻斗と甲守がもう一体を押さえにかかっていた。
 甲守が硬質化で獅子の爪や牙に耐えつつ、幻斗も薙刀で攻撃を防ぎ盾としての務めに専念する。
「さあ、今の内に!」
 祀と幻斗がそれぞれ一体ずつを押さえ、羅喉丸には輪が加勢している。桔梗は皆に向けて言う。
「羅喉丸の所から先に倒してしまおう。皆、頼む」
「ええ。行くわよ紫雲」
 琉架と紫雲が桔梗と鬼灯の頭上を抜けて獅子へと迫る。
「アヤカシ騒動で、餌代も馬鹿にならねぇって話で。お前さんも気合いれてくだせぇよ」
 乞食暗愚は『命令するな』と言わんばかりの声を返しながらも、真珠朗に従って獅子の背後から回り込むように旋回する。
 与五郎佐は低空から理穴弓を構え、頭上の獅子を見上げた。翼を広げた大きさは龍のそれをも上回る。
「聞きしに勝る大きさだな‥‥」
 三度目の水遁を受けた獅子の隙を羅喉丸が捉えた。鋭い突きが獅子の喉元をえぐる。致命傷にはならずも、獅子はたまらず身を翻して間合いを取ろうと試みる。
 回り込ませようとした頑鉄は振り切られた。
「速い‥‥! 仲間と合流する気か」
「迦稜!」
 与五郎佐を乗せて、迦稜頻伽は獅子の下を水平に飛翔する。甲龍では追いつけない速度も駿龍ならば互角。
その速度でありながら、騎射を身につけた与五郎佐の狙いがぶれる事はない。
「与五郎佐の弓を喰らえ!」
 天に向けて放たれた矢は獅子の嘴を穿った。
 突然の事に、獅子は羽根を羽ばたかせて急停止する。一瞬だったが、それで充分だった。
「いや、お見事。鷲翼獅子さんは残念でしたねぇ」
 真珠朗が言う間にも、彼の放った円月輪が弧を描いて鷲の翼を裂いた。
 甲高い悲鳴と散った羽根を舞わせ、高度を下げる鷲翼獅子。それめがけ、琉架と紫雲が一体となって落下する。
「終わらせてあげるわ」
 すれ違い様に突き立てた珠刀「阿見」に、鷲翼獅子の身体は崩れ去った。


 琉架達が一体を仕留めている間、桔梗は風音を羅喉丸の近くへ寄せる。
「精霊よ、生命を満たす力を。彼の者の傷を癒す風を呼び起こせ」
 桔梗の巫術が頑鉄の傷を塞いでいく。
「有り難い。頑鉄が飛べなくなったら、戦線を離脱せざるを得ないからな」
 羅喉丸が背を撫でると、頑鉄はまだやれるとばかりに一声吼えた。
「っと、あちらも結構きつそうですかね」
 真珠朗の言うとおり、祀と幻斗はそれぞれ鷲翼獅子と一対一。集中攻撃を受けている仲間の元へ合流しようとするのを遮るのは自身よりも小さな相手と、獅子は真空刃を織り交ぜながら果敢に攻撃を仕掛けてくる。
「甲守、皆が来るまでもう少し堪えてくださいよ‥‥っ!」
 幻斗は前肢の爪を柄で受け止めた。極力自身で攻撃を受け、隙を見ては反撃をする事で相手の手数を減らす。銀防甲守に負担を掛けまいとする彼に答え、銀防甲守も傷つきながら良く動いている。
「私達がお相手するわ」
 琉架の声と同時に、紫雲が剛鉤爪の牽制を放つ。獅子が身を開いた隙に、幻斗が銀防甲守を退がらせた。彼らに真空刃を放とうとした獅子を羅喉丸の気功波が襲う。追撃を遮るように鴉丸の一撃を見舞った乞食暗愚を、真珠朗が幻斗達と獅子の間に移動させた。
「幻斗、待たせた」
 神風恩寵を唱える桔梗を乗せた風音が、普段の落ち着いた様子とは異なる素早さで横につける。
「助かります。先に甲守の治療を」
「ん、わかった」
 銀防甲守に続いて幻斗に治療を施す桔梗の側を離れ、鬼灯は龍を上昇させた。
「少し、行ってくる」
「鬼灯!? ・・・・終わったら、すぐ追いつくから」
 桔梗の声を背中に聞きながら単騎苦戦する祀の元へと向かう。
 祀が対峙する獅子は、甲龍に対し上回る速度を生かして離れた間合いから真空刃を中心に放ってくる。こちらを振り切ろうとする獅子の動きを、祀は葛流を放ち的確に行動を遮り槐の飛翔速度の遅れを補う。
 しかし、真空刃を完全に避けきる事はできず、槐の翼は徐々に動きを鈍らせていた。槐を退かせては、獅子の合流を許してしまう。
(「だけど、これ以上は‥‥」)
 その迷いを看破したか否か。獅子は嘴を振りかざして急降下してくる。
 刹那、行く手を横切った影に獅子は鋭く方向を変えた。全速力で駆け抜けた鬼灯の龍も、祀達に近づかせぬよう牽制するように旋回する。
 獅子は威嚇の声を上げて真空刃を放った。
(「避けたら、後ろに当たる‥‥!」)
 旋回しようとした龍を、鬼灯は加えた手綱を引き押し留める。
 突風と共に鋭い痛みが身体を駆け抜ける。突如として視界が揺らいだのは、今受けた傷のせいではない。
 この痛み、風の刃。あの夜確かに──。
 駆けつけた桔梗はすぐに鬼灯の異変に気がついた。動かない鬼灯を背に乗せたまま、彼女の龍は必死に獅子に応戦している。
「鬼灯!」
 下方から獅子が放った風刃と鬼灯の間に飛び込もうとした桔梗の前で、さらに低空から飛び込んできた真珠朗と幻斗が身体で刃を受け止めた。二人は一瞬だけ視線と笑みを交わす。
 幻斗は以前同行した依頼で鬼灯から受けた言葉の返しをすべく、この戦いに臨んだのだ。言葉で上手く伝えられないなら、行動で示すのみ。
「獅子は拙者が追います」
 言いおいて山間に向かう鷲翼獅子を追う幻斗を見送りつつ、真珠朗は生命波動で傷を癒す。
「あたしゃ身体を張るような柄じゃねぇんですがね‥‥」
 
 与五郎佐は下降してきた獅子をくい止める。低空に陣取っていたのは、山間に逃げ込もうとするのを防ぐ為なのだ。
 嘴での突進を避けきれず、大きく体勢を崩す。
「大丈夫か! 迦稜!」
 与五郎佐の切迫した声に、迦稜頻伽は闘志を失わぬ瞳で応える。獅子の脇に回り込み膝槍での一撃を食らわせた。
 真空刃での反撃は、追いついた幻斗が袖鎧で受け止める。
「この先に行きたければ、拙者等を倒してから行って下さい‥‥まぁ通じて無いでしょうけどね!!」
 渾身の力を込めて振るった薙刀は深く刺さって抜けなくなった。それを手放し、幻斗は物見槍へ持ち換える。
「とどめだ!」
 引き絞った弓弦に力を溜めて、与五郎佐は朔月を放つ。弧を描く矢が正面から眉間に突き立つと、下に回り込んだ幻斗の穂先が腹を貫く。
 瘴気に還ったアヤカシから落ちる武器二本を幻斗は左右の手で受け取った。

「──灯、鬼灯!」
 名を呼ぶ声に、鬼灯の意識は過去から引き戻された。受けたはずの傷は既に塞がっている。
「俺は‥‥」
「良かった、『戻って』くれて」
 安堵する桔梗の声は少し枯れていた。ずっと呼んでいたのだろうか。意識が戻るまで、どのくらいの間?
 鬼灯は胸の奥に疼く不可解な痛みに顔をしかめた。
 刹那、二人の横を上から下へ疾風が抜けた。逃亡を図る獅子を追って輪・彗と琉架・紫雲が同様に急下降していく。
「鬼灯さん、共に追撃を頼む!」
 遅れて二人の後を追う羅喉丸の声に、鬼灯は桔梗に視線を送る。彼の首肯を受けて、鬼灯は龍を駆った。
 下で待ち受けている幻斗、与五郎佐を避けて垂直から水平へ向きを変えた獅子の行く手を琉架と鬼灯が遮る。
「彗、思いっきり行きなさい!」
 蓄えた力を乗せた彗の棘蹄鉄での蹴りが炸裂。よろめいた所めがけ、祀を乗せた槐が甲龍の重みを生かして落下加速する。
「槐‥‥任せるよ!」
 周囲下方を囲まれ逃れる事のできない手負いの鷲翼獅子を、槐の双角骨が打ち砕いた。


 神楽に帰る途中、山地の中に手頃な平原を見つけて龍を休ませる。
「良くやったな、ラヴィ」
 与五郎佐が褒めそやすと、迦稜頻伽は甘えたように喉を鳴らす。
 琉架も無事に初陣を果たした紫雲と、仲間達を労う。
「逃がす事無く撃退できて良かったわ。お疲れ様」
「あ、あの‥‥お弁当、作ってきたの。良かったら皆一緒に‥‥ほ、鬼灯さんも!」
 輪は思い切って言い切ってしまってから、緊張して返答を待つ。鬼灯がこくりと頷くと、
「言えた〜! しかもいいって言ってもらえたー!」
 喜びの余り隣にいた桔梗を撫で回す。
「撫でる時‥‥先に、言って。断らない、から」
 突然の事に驚きながらも桔梗が言う。触れられるのが苦手な彼が許すのだから、輪には心を砕いているのだ。
 輪が開けたお弁当は色とりどりのおかずと、びっしり詰められた真っ白なお団子で構成されていた。半数以上の者が『米無くして何故団子?』と思う中、それでも鬼灯と、琉架も気にせず口に運ぶ。
「美味しいわ。甘いものを食べると、しょっぱいものも欲しくなるもの」
「これ、好きなのか‥‥?」
 鼻を寄せる自身の龍に鬼灯が団子を見せるとぱくりと食いついた。
 祀もお裾分けを貰いながら、鬼灯を見つめる。
「どれだけアヤカシを倒しても、刻み込まれた傷は消えない‥‥槐もそう、だから。大事なのは、これ以上傷を増やさない事、じゃないかな」
「‥‥」
 鬼灯は団子の甘みと共にその言葉を噛みしめる。
 いくら傷が増えようと、目的を達する事ができるなら構わない。ずっとそう思っていた、けれど。
 そうする事で、鬼灯が傷つかない為に代わりに傷を負う者がいる。
 再び去来した胸の痛みに鬼灯は押し黙った。
「あたしゃ『心』なんてモノは、とっくに摩耗しちゃってますしねぇ。ましてや他人のなんてさっぱりですが」
 真珠朗は手にした団子をこれ以上奪われないよう、もう一方の手で乞食暗愚を押し退けながら言う。
「でも、死んじゃったら其処で終わりですし。あたしゃ長い人生、手荷物は軽くいきたいんで」
 背負うものなど、無いに越したことはない。それでも鬼灯の枷は外れないのだろう。爪と翼を持つという、彼女に悪夢をもたらすアヤカシを討たぬ限り。少なくとも、当人がそれ以外に術が無いと思っている以上は。
 輪は頬張った団子を飲み込むと、笛を唇にあてがう。
 いつか鬼灯の心が解き放たれる日が来るといい。一緒に笑って甘味をつついたり、楽や舞を共に楽しむ事ができたら──。
 祈りを乗せた輪の澄んだ音色は峰の上に続く青い空へと昇っていく。
 その向こうに、鬼灯は新たに取り戻した過去の記憶を見つめていた。