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■オープニング本文 空は青く澄んでいた。雪解け水が川となり凍った大地を溶かしていく。風は涼しく、一斉に芽吹いた緑や色取り取りの花々が咲き誇っている。 ジルベリアの山間にあるタルゴヴィッツ村にも、ようやく春が来たのであった。 そんな春の芽吹きに眼を細めながら、一人の猟師が山道を登っていた。相変わらず目深に帽子を被った山じいである。あの冬の日、大切な相棒たちを失ってから、早三ヶ月。いつまでも村長のダーチャ(小さな畑と山小屋)を借りている訳にもいかない。ゆっくりと、踏みしめるようにあの日の道を歩いていた。 ふいにその耳に、相棒の声に似た音が飛び込んできた。思わず足を止め、それから首を振る。音が多いのだ。張り詰めたような空気ではない。何か、じゃれ合っているような雰囲気だ。 山じいは思わず息を殺し、そろそろと歩を進めた。やがて見えてきた、崩れたダーチャ。その隣、ぽっかりと空いた広場のようになってしまった畑に、幾つかの影が見えた。 それは犬のように見えたが、すぐに違うとわかった。ピンと立った耳、精悍な顔つき、しなやかな肉体を覆うのは銀の毛並み。オオカミだ。それも、普通のオオカミと異なりかなり大きな。 「ああ、ここは本当に気持ちが良いね」 しかも喋った。山じいは確信する。 それは動物ではなく、ケモノだった。 「本当に。彼奴らがいなくなって、ようやく来られたね」 「こんなに良い所を独り占めするなんて、ずるいものね」 「でも、彼らがいなくなった原因はアヤカシだそうじゃないか」 「それはご愁傷様としか言えないね」 「彼らは忠実だったからね」 「そうそう。だから、ずっと独り占めしていたんだものね」 「でも、ヒトが戻ってきたらどうしよう?」 「どうしようね」 「でも離れたくないものね」 「こんなに気持ちいいのだものね」 山じいはそっと息を吐きながら、ゆっくりと背を向けて山を降りていった。 「ケモノが?」 例によって裏口から山じいを迎え入れ、タルゴヴィッツ村の村長は目を見開いた。 「うん。まぁ、彼らの言い分も分からないではないけど。あそこは冬でも雪が積もらないから、子供を育てるのに丁度良かったんだろうねぇ」 「地熱が高いのだったか。掘れば温泉でも出るのかね」 「可能性はあるかもしれん。でも、温泉じゃ腹は膨れないしの」 やんわりとした口調で言う山じいに、村長は苦笑いをする。 猟師を生業としている山じいの生活は、自給自足。時折、山を降りてきては野菜を分けてくれるのだ。この寒い土地において、冬にも農耕ができる場所は山じいのダーチャにおいてのみだと言っても過言ではない。それほど重要で稀少な場所なのだ。 「説得は難しいだろうか?」 「どうかの。やってみる価値はあると思うよ。応じるかどうかは、内容によるだろうが」 「最悪、退治になってしまうか‥‥だが、それも仕方あるまい」 山じいは「うん」と頷いて、ぽつりと呟いた。 「長く待たせているから、落ち着かせてあげたいのぅ」 そうして、開拓者ギルドに一つの依頼が舞い込んだ。 内容は稀少な農耕地に現れた、オオカミのケモノの説得または退治、及びダーチャの片付けである。 |
■参加者一覧
美空(ia0225)
13歳・女・砂
福幸 喜寿(ia0924)
20歳・女・ジ
サンダーソニア(ia8612)
22歳・女・サ
エレイン・F・クランツ(ib3909)
13歳・男・騎
南風(ib5487)
31歳・男・砲
ラティオ(ib6600)
15歳・女・ジ
ノース・ブラスト(ib6640)
19歳・男・魔
ソレイユ・クラルテ(ib6793)
18歳・女・巫 |
■リプレイ本文 開拓者たちは難しい顔をして、タルゴヴィッツ村の村長宅の門を叩いた。 「爺様はいるかい?」 三角の耳をぴんとさせて、南風(ib5487)が口を開いた。村長は短く頷くと、開拓者たちを招き入れた。中では、鼻まで隠すように深く帽子を被った山じいが穏やかな風体で茶を啜っている。 「ケモノさんたちのことで、先におじいちゃんに説得の条件を聞いて貰おうと思って来ました」 エレイン・F・クランツ(ib3909)が言うと、山じいは座り直し、開拓者たちを見回すように首をぐるりと巡らした。八人それぞれの顔色を見てとって、ふと口元をほころばせて頷く。 「聞こうかの」 肌寒く感じていた空気も、3時間ほど斜面を登れば暑いと感じるほどになる。 ソレイユ・クラルテ(ib6793)はローブの襟を開きながら、前を行く山じいの背中を見上げた。 説得の許可は、下りた。元々反対する気はなく、ダーチャに住めさえすれば構わないのだと微笑んでくれた。 山じいに向けていた視線をちらりと横に向ければ、深く面を被った美空(ia0225)が黙々と歩いている。 「狼と共存‥‥言葉にすると、やっぱりなにか変なのであります」 集まった開拓者たちの意見は概ね「共存」で一致していた。故に、美空の第一声は重かった。 「お互いの言い分ってのもあるし、難しいよね。こっちとしては人間優先で考えれば、追い払うだけでいいんだから」 サンダーソニア(ia8612)の明るい声も、ソレイユには突き刺さった。でも、彼女は言ったのだ。 「とりあえず話は聞いてみないとね。代替地があればよかったんだけど。でもま、お互いにメリットはあると思うんだよ。共通の敵としてアヤカシという存在もいるし、人間とケモノが見知っているなら争いを避ける事もできるだろうしさ」 ソレイユとて、簡単ではないと解っているつもりでいる。ただ、ゼロではないのだと信じている。信じたい。彼らはただ生きるのみのケモノではなく、ヒトの言葉を解するケモノなのだから。 「ただ、一緒にいる事の難しさってのはあるとは思うけどね」 そう。美空も同じ事を言っていた。 だから後は、自分たちの交渉次第。 山じいが足を止め、振り返る。顔を上げれば、銀の毛並みに覆われた狼のケモノたちが、子供たちを守るように立ち、こちらを伺っている。 エレインはソレイユを振り返ると、血約の剣を腰から外し差し出す。ソレイユはそれを受け取り、後ろへ下がった。 エレインが鶏を数羽手に提げて、前へ出る。南風とノース・ブラスト(ib6640)が続き、少し離れて福幸 喜寿(ia0924)、サンダーソニア、ソレイユ、美空と並んだ。 「むう、やはり聞くと見るとでは大違いでありますよう」 小さく呟き、美空は「皇帝」をそっと撫でた。美空の視界はぼんやりとしか見えない。しかしそれでも、相対すれば落ち着きが失われようとする。 最初に口を開いたのは、ノース。 「俺たちは、戦いではなく話し合いに来た」 「友好の証として、お土産を持ってきました」 エレインが数歩前に出でて、鶏をそっと置くとまた後ろへ下がった。ケモノたちは相変わらず、こちらをじっと見ている。 「山のヌシとも言える知恵ある者。こうして相見えたこと、光栄に思う」 南風が言うと、ケモノたちは顔を見合わせた。 「話の通じるケモノに会える機会は、開拓者と言えど、そうそうあるもんじゃない。話ができて嬉しいと思う」 ケモノは少し首を傾げた。 「嬉しいんだって」 「そうみたいだね」 「わざわざ餌を持ってきてくれたしね」 「春のなのにね」 「どうしてかな」 「どうだろうね」 「どうなのかな」 銀のケモノたちが開拓者を見回す。それには再び南風が応えた。 「開拓者‥‥という存在を、ご存じか?」 「かいたくしゃ」 「知ってる、ヒトだよ」 「僕たちと交じってるヒトも時々いるね」 「そうそう、君みたいなヒトもね」 「アヤカシを退治したりするね」 「僕たちを狩る事もあるね」 それに頷いて、続ける。 「村人達は‥‥山の下に住む人々は無力だが、僕達のような存在を呼ぶことは可能だ」 一度言葉を切り、南風はケモノたちを見回した。 「共存か、退避か。選んでは貰えないだろうか」 ケモノたちは耳をぴんと開拓者たちへと向けて、その言葉を聞いている。 もちろん、と言葉を続けたのはエレインだ。 「条件は必要だと思うんです。ボクたちから提案できるのは、2つ。ひとつは、食料の提供。子供もいるんだし、狩りに行くのは大変でしょう? だから、狩りの獲物を分けること、もしくは鶏とかを飼って、みんなに‥‥」 そこまで言って、ケモノたちはきゃらきゃらと笑い出した。 「狩りが大変だって」 「ヒトより簡単だよ」 「うん、簡単だ」 「僕たちが狩りをして困るのは、ヒトだもの」 「そうそう、だからヒトは僕らを狩るんだものね」 「子供も守れないと思われてるみたい」 「それは侮辱だね」 「うん、侮辱だ」 エレインは思わず叫ぶ。 「そんなつもりじゃ‥‥!」 「だから餌を持ってきてくれたんだね」 「じゃあいらないね」 「うん、いらない」 「待って、そんなつもりじゃないんだ! ケモノは‥‥ケモノは、山の恵みを守ってくれるものだから、だから‥‥!」 ケモノの一匹がすと目を細める。びくりとして口を噤むと、ケモノは静かに喋った。 「勘違いしてるみたいだね」 「うん、勘違いしてる」 「僕らは生きてるだけなんだ」 「そうそう、僕らは生きるだけだよ」 「ここは気持ちが良いからね」 「ここに来られて嬉しいんだ」 「彼らがいなくなったからね」 思わず口を開いたのは、喜寿だった。 「待って欲しいんさね。開拓者はケモノを狩ることもある事を知ってるって言うたよね。このままじゃうちらは、ケモノさんたちを討伐せんといけん。だから、できれば共存できないか、それを伝えに来たんよ」 それに続けて、ノースとソレイユも口を開く。 「人とケモノは共存できる‥‥俺は過去にそういう者たちを見てきた」 「お願いします。その‥‥私は、ケモノさん達は家族で。だから、なおさら家族と命を‥‥大切にして貰いたくて」 「かぞく?」 「誰と、誰が?」 「君と、僕とが?」 「君と、どこかのケモノが?」 「私は、遊牧民‥‥動物たちと共に暮らす方々を癒す巫女として、仲介者として生きてきました」 「それは、ケモノとじゃないね」 「そうだね、ヒトとだね」 ソレイユは口を噤む。そう、なのだろうか。自分は、ヒトの間で生きてきた? ケモノはノースへも顔を向ける。 「ヒトとケモノは、いまどうしてるの?」 「聞きたい聞きたい」 「幸せに暮らしてる?」 ノースは言葉に詰まった。今、どうしてる? 沈黙にケモノたちは「なぁんだ」と首を振るような動作をした。 「っ‥‥人も、ケモノも同じ命だ。無闇に奪いたくない」 ケモノたちの耳がぴくりとノースへと向けられた。 「この場所が、心地よい場所だという。ならば、この場所を一緒に使うことはできないだろうか。ケモノ達の目は、昼間は見えづらいと聞いた。ならば、昼間に人間がいればカバーできる。そうすれば子供達は昼間も安全に生活出来るだろう?」 ケモノたちは少し視線を交わし合う。 「昼間は、狩りに出かけないよ」 「ここに来られて、少しはしゃいでたかな」 「はしゃいでたね」 「だって気持ちいいものね」 「ずっと来たかったからね」 そこでエレインが思い切って口を開く。慎重に、その言葉を選ぶ。 「人間にとっても、ここは冬の間の食料を得る大事な土地なんだ。子育てのお邪魔はしないようにするから、畑、使わせてもらえないかな?」 「それじゃ、ダメなのであります」 美空が口を挟んだ。開拓者達は一斉に美空を振り返る。美空は自分の倍はあるだろうケモノたちに向かって一歩踏み出した。 「美空たちが来た目的は、そもそもここに住んでいた山じいさんが、このダーチャに再び住めるようにすることなのであります」 「だから、その為の条件を提示しているんじゃないか」 美空は首を振る。 「畑を使えるようにすることと、住むようにすることは全然違うのであります」 共存ができればいいと、美空も思う。もちろん、可能ならばその方が良いのだ。美空も手荒なことをしなくて済むのだから。 「たまたま元の住人が一時的に立ち退いてたので、無断侵入とかは責めません。けれど、今後の軋轢を避けて行くにはケモノさんたちには立ち退いてもらった方がよいのであります。大分春めいてきていることだし、子連れでも食っていくのにそんなに困らないでしょう。育ち盛りの子供達なら、ここでは手狭になるでありましょうし、そろそろ新しい土地を探した方がよいと思うのであります」 「待ってくれ」 制止をかけたのは南風だ。 「ケモノは牙を持つ。外敵と捕らえれば脅威だが、守り神としちゃ心強い」 「それをケモノさんたちが喜んで受け入れてくれるのなら、問題はないのであります。もう一度言うでありますが、美空たちが来たのは、山じいさんが、ここで再び住めるようにすることなのであります。自覚はあるようでありますが、立ち退いてもらえないのならば今後の軋轢を避ける為、美空たちは手荒なことをしなければならないのであります。とにもかくにも、美空たちが来た事が潮時なのであります」 「お、落ち着くんさね。仲間内で喧嘩してたら、まとまるものもまとまらないんさね」 喜寿が間に入ると、開拓者たちは沈黙する。 ぽつりと美空が呟く。 「ノースさん達も言っていたでありますが、ここがいいところであるのは、他のケモノや人間たちにとっても同じ事なのであります。‥‥いずれ平穏が破られるのは目に見えているのでありますよ」 だから、移り住んだ方が良い。 誰だって安全な場所で暮らしたい。心地よい場所で過ごしたい。その為の争いを、しないで済むならもちろんそれが最善なのだ。けれど、自分たちは開拓者だ。開拓者には、依頼人がいる。依頼を受けたからには、それを遂行しなければならない。依頼人の、最も良いように。 そう、この土地の重要性。それは、冬でも畑として機能することである。この極寒の土地で、野菜を栽培することができること。しかし、いくら雪が積もらないとはいえ、放っておいては野菜は育たない。世話をする必要があるのだ。村からここへ来るまで、3時間。往復するだけで活動時間の半分を移動に費やさなければならない。冬にはそれよりも多くの時間がかかることを、サンダーソニアは知っている。その上で作物の世話をし、外敵からもその要地を守らねばならない。自分も生きていかねばならないから、狩りにも出かけなければならないし、だからここに住めるようになること、それが最前なのだ。 「俺は‥‥俺は、無闇に命を奪うような事は、したくないんだ!」 思わず叫んだのは、ノース。 ただの理想かもしれない。偽善ですら。駄々をこねる子供のようですらある。それでも、命を失うよりはずっといい。 「子供の命を奪うことほど、罪深きこともない‥‥」 「‥‥ケモノは、アヤカシとは違うと思うけん。きみらとは話が通じて、だからちゃんと生きていける道を模索したい。追い払うだけでなく‥‥そう、山じいさんの相棒として生きていくことも、選択肢のひとつやないかと思うんさね」 喜寿は銀のケモノたちを見やる。その頭を軽く叩いたのは、南風だった。 「いずれにしろ、ここで生活してくのは僕達じゃない」 「だから‥‥だから、提示することしかできないんだけれど」 エレインは拳を握りしめる。 沈黙。 「ほら、ヒトが戻ってきたら困ったことになった」 ケモノの声。 「どうしてヒトは、こうなんだろうね」 ケモノたちの声が穏やかで、開拓者達は顔を上げた。その足下では、難しい話に飽きたのか、そもそもわかっていないのか、子供達がころころと転がって遊び始めている。 「僕たちは生きることしか知らないよ」 「彼らは忠実だったけどね」 「僕らは忠実じゃないからね」 「アヤカシが来たら逃げるよ」 「逃げ遅れたら仕方のないことだからね」 開拓者達は顔を見合わせ、それから山じいを振り返った。山じいは幹に体を預けていたが、やがてゆっくりと身を起こし、彼らの前へと出た。 「わたしはここに住み、畑を作る。一人で耕すには広すぎるから、手の行き届かない場所に関しては何も言わないことにしよう。アヤカシが出てここへ戻れなければ、わたしは開拓者を雇って追い払おう」 山じいが言うと、ケモノたちはひとつ尾を振った。 「僕たちはここにいるよ」 「僕たちが生きるのに困らないようにしよう」 「独り占めするのはずるいからね」 「アヤカシじゃないなら、僕たちは独り占めしないようにしよう」 それは緩やかな約束。 何度も繰り返された言葉は、生きていくこと。 力尽くで事を運ぼうと思えば出来たこと。それでもそれをしなかったこと。 最後の選択を、ここで生きる者たちに委ねたこと。 小さな積み重ねは確かに、言葉を解する者に届けられた。 「しかし、掘れば温泉‥‥か。爺様、掘ってみるのもいいんじゃないか。腹は膨れずとも、傷を癒し、活力を生む。身体が資本ってのは、皆共通だ」 ダーチャの片付けをしながら南風が言うと、山じいは笑った。 「傷が癒されても、腹が膨れなかったら生きていけないよ」 「お腹いっぱいなら、治ることもあるけどね」 それに、と山じいは笑う。 「ここを温泉にしてしまったら、君たちの努力が無駄になってしまうからね」 線は細いながらも男なのだしと、ノースとエレインが若干頼りない足つきながら、梁などを片付ける。女性陣はその下に隠れていた細かなものを拾い集めていった。 「ああ、ここにいたよ」 「こっちにも」 銀のオオカミたちが鼻先で示す所には、長い冬を越えた山じいの相棒たちの姿があった。 やがて、小さなダーチャは再建され。そのすぐ傍には優しい祈りに包まれた小さな墓が二つある。 畑は緑に覆われ、その向こうではころころと転がる小さな命があるだろう。 それは、もう少し先の話。 「ああ、またこの道を帰るのかー。だいぶあったかくなったとはいえ、結構遠いんだよね」 帰り道、サンダーソニアはやれやれと下りの山道を見やった。 それに微笑みながら、ソレイユはそっとノースに囁く。 「‥‥良かった、ですね」 ノースは少しバツが悪そうに頬を掻き、小さく、ほんの少しだけ微笑み返した。 |