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■オープニング本文 四月。天儀における季節でいえば、春と言えよう。 しかしここジルベリアの山間においては、四月と言えど未だ多くの雪が残る。春らしいと言えば、ひとつの花が咲いた事。そしてもう一つ、春らしい催しが控えていた。 結婚式である。 正確には、その花嫁を送り出す為の祭だ。通常、この辺りの村や町では、その町中での婚姻が多い。故に、生まれた町を一歩も出ることなく生涯を終える事も少なくない。しかし、此度は山裾の村と山中の村、タルゴヴィッツ村とヴァルータ村での婚姻である。雪深いこの山で、村同士での婚姻は一年に一度あるかないか。その為、タルゴヴィッツ村では村を挙げて盛大な祭の準備に大忙しだ。村中の飾り付けはもちろん、中央広場に村中から集められたテーブル、その上にはたくさんのご馳走や祝い酒。大道芸なども披露される予定であり、その舞台作りも忙しい。 雪に沈む村は、にわかに活気付いていた。 しかし、その花嫁の家では、一つの騒動が起きていた。 「返しなさい、ヴィー」 「やだっ」 「ヴィー!」 「かえさないからっ! ぜったい、‥‥ぜったい、かえさない!」 「待ちなさい、ヴィー! ヴィスタ!」 声を振り切って、ヴィスタは家を飛び出す。その手には、生花をあしらったティアラを抱きしめていた。 飛び出してそのまま、薪小屋に駆け込む。冬の寒さをしのぐ為の薪を保管しておく場所だ。息を吐いて、ずるずると座り込む。ヴィスタは手の中のティアラを見やった。 美しい銀細工に、この地方でこの季節にしか咲かない花が彩りを添えている。このティアラを身に付けた姉は、さぞや美しいだろう。村一番の美人と言われる、自慢の姉だ。 膝を抱えて、ヴィスタは俯く。 あの青年と並んでいる時の姉の顔を、ヴィスタは悔しくも知っている。幸せそうに、誇らしそうに微笑んでいた姉の顔。それが姉の幸せなのだと、幼心にも理解していた。けれど、それでも寂しさは変わらない。 ‥‥まだ、八つを数えたばかりの少年なのだ。 戸口で少年の名を叫んだ少女は、遠ざかる小さな背中を見つめ、俯いた。 「‥‥花嫁が、そう顔を曇らせるものじゃないよ。ノーシェ」 声に顔を上げると、困ったように微笑んだ村長がいた。ノーシェと呼ばれた少女は少し微笑んで、それから少年の駆け去った方を見やる。 「ヴィスタか」 「はい。‥‥ティアラを持って行ってしまいました」 「花嫁の証を。困ったものだ」 苦笑いしながら村長は同じように目線をやる。村の外へは出ていないだろう。外を知らない、少年だ。 そして今、両親を知らない少年は、ただ一人の姉と別れなければならない。遠い山奥の村に嫁げば、そう簡単には会いに行けない。幼い少年には、それは永遠の別れにも近しい気持ちであろう。 「此度の祭、実は開拓者たちを呼ぼうと思っている。近頃世話になる事が多かった故な」 ノーシェは黙って村長を見上げている。村長は小さく息を吐き、口を開いた。 「‥‥後悔、しているか」 「いいえ」 きっぱりと言って、ノーシェは微笑む。 「私が決めた事ですから。それに、あの子は父と同じテイワズ(志体持ち)‥‥近い将来この村を出て、一人で生きていかなければなりません」 真っ直ぐな瞳を、村長は複雑そうな顔で見返した。 「ヴィスタは私の光です。あの子がいるから、私は嫁ぐ事も決心できました。あの子なら大丈夫、少し我の強い所がありますが、私の弟ですもの」 自分の幸せを選んだ。その為に、たった一人の家族を、かわいい弟を残していく事。 それは、きっと傲慢だと言われるだろう。捨てていくのだと、蔑まれても仕方ない。 それでも願う。 生きていける強さを。 立ち上がれる強さを。 進んでいける強さを。 立ち向かえる強さを。 彼が、テイワズである為に。 |
■参加者一覧
天津疾也(ia0019)
20歳・男・志
玖堂 柚李葉(ia0859)
20歳・女・巫
喪越(ia1670)
33歳・男・陰
ユリゼ(ib1147)
22歳・女・魔 |
■リプレイ本文 春らしい陽射しが白い雪に反射する頃。 男たちの威勢の良い声と、女たちの笑う声が響く中、天津疾也(ia0019)はタルゴヴィッツ村に辿り着いた。 「村挙げての結婚式やもんな、そら盛り上がるわ」 結婚式の準備を見つめ、疾也は気さくに村人たちの中へ入っていく。 「おおい、手伝いに来たで。これ運べばええか?」 「あ‥‥? ああ、開拓者の人か。なんだ、あんたらは一応お客なんだから手伝わなくても良かったのに」 「手伝い大歓迎書いてあったで。むしろ手伝えゆうことやろ」 「はは、バレてらぁ」 「あんちゃん、力仕事に自信があるんなら、こっちの柱支えててくれ!」 「よっしゃ!」 あっという間に溶け込んで、花嫁がメインなんだから、と花嫁の席に段を付けたり、火の位置で村男たちと喧々囂々しながら会場の設営に取り組んでいく。 「お花は貴重でしょうから‥‥こういうのは、どうでしょう?」 テーブルなどに飾り付けをする女たちに交じるのは、佐伯 柚李葉(ia0859)だ。 「まぁ、綺麗! あなた、とても器用なのね」 「お祭りの後も、女の子たちがコサージュや髪飾りとして使えるかな、と思いまして」 女たちは顔を見合わせる。 「花嫁さんは村一番の美人さん、なんですよね? そのお祝いの席で使ったものなら、ご利益もありそうです」 ぽわ、と微笑む柚李葉に、女たちは声を上げて笑った。 「そうねぇ、いい人がいればいいんだけど」 「ほら、ここの男たちって力ばかりだしねぇ」 遠くから「男は力強くてなんぼだろーが」「見ろ、この筋肉!」と野次が。それに「脳みそまで筋肉じゃ困るよ」と女が答え、中央広場にドッと笑い声が広がる。柚李葉も思わず声を上げて笑った。 そんな笑い声の中、広場の一角になにやら怪しげな出店がひとつ。 「よーしよしよしよし。今日はここで一稼ぎとイこうか」 反物やぬいぐるみを並べた奧でにんまりと笑うのは、自称フーテンこと喪越(ia1670)である。 結婚式と言えば花嫁強奪、物語の展開としては略奪愛なんかも捨てがたいよなぁ、と不埒な事を考えていることが漏れて出でているだろうか、若干が人が遠巻きなのは見ないフリをしておこう。だってそんなことを考えたって、ラブ&ピースが信条の喪越としては、祝福するしか道はないのだから。良いじゃないの、考えるだけなら! その頃、花嫁の自宅では。 「この度はおめでとうございます」 「どうもありがとう」 ふうわりと微笑むノーシェの笑顔に仄かな翳りを見て取って、ユリゼ(ib1147)は首を傾げた。 「‥‥花嫁さんがそんな顔をしては、折角の花も萎れてしまうわ」 ユリゼの言葉に、ノーシェは突かれたように紫の目を開いた。青の瞳を真っ直ぐに見上げて、それから唇を引き結んだ。ユリゼは握られた拳の上にそっと手を乗せ、目線を合わせるように跪く。 「なにか、心に閊えていることがあるなら教えて。役に立てるかもしれないわ」 ノーシェは口を開きかけ、それからまた噤み、少し目線を遠くにやるようにしてから、口を開いた。 「ん?」 村男たちと会場の設営を手伝っていた疾也だが、後は女の仕事だから、と追い出されてしまった。時間をもてあましてそれじゃあと村を散歩している時だった。 かたん、と何か音が聞こえた気がして、ひとつの小屋に歩み寄る。ひょいと戸口を覗けば、十かそこらの少年が蹲っているのが見えた。 「こんなところでどうした、坊。腹でも痛いんか?」 声をかけると、少年は飛び上がって疾也を振り返った。深い紫のまん丸い目が疾也を仰いでいる。 「せっかくの結婚式やろ、盛り上がらんと損やで」 言うと、幼い顔に皺を寄せて、ぷいと俯いてしまった。ぽりぽりと頬を掻いていると、人の気配がして顔を上げる。 スノウ・ハットに水帝の外套を着た女。水帝の外套の隙間から見えるのは、隠神刑部の外套。お互いに同業者か、と見て取って、軽く会釈する。 「私はユリゼ。宜しく。この辺りで八歳くらいの少年を見なかったかしら?」 「天津疾也。よろしゅう。ふてくされた少年やったら、ここにおるで」 「ふてくされてなんか、ない!」 子供特有の高い声が響く。ユリゼは戸口から中を覗くと、なるほどノーシェによく似た紫の瞳をした少年がいた。その手に銀のティアラが大事そうに抱えられているのを見て、口を開く。 「ヴィスタ君ね? お姉さんが心配してたわよ」 言うと、少年‥‥ヴィスタはびくりと肩を振るわせてユリゼを見やった。 「お姉さんに頼まれてきたの」 「‥‥はなよめのあかしをとりかえして、って?」 ぎゅっとティアラを抱きしめるヴィスタに、ユリゼは首を振る。 「それは‥‥聞いてないわ。取ってきてしまったの?」 紫の瞳を揺らして、ヴィスタは再び俯いた。 「なんや、よぉわからんけど。花嫁の弟なん? こらまたずいぶんちっさいな」 「ちいさくないっ!」 ムキになって言うヴィスタに疾也は方眉を上げる。 「姉の晴れの舞台やっちゅうに、そうやって拗ねて大事なもん隠してしまうんは、ちっさいやろ」 「天津さん」 ユリゼの声に、疾也は肩を竦めた。 ヴィスタは唇を引き結び、ティアラをじっと見つめている。その肩が小さく震えているのを見て、ユリゼは屈む。 「‥‥ってるもん」 「え?」 小さな声に、聞き返す。ティアラを抱えるその手に、ぽたぽたと大粒の涙がこぼれ落ちた。 「かくしたって、ねえちゃんがオレをおいていっちゃうの、わかってるもん‥‥」 一度決めた事を簡単に覆すような、そんな姉ではない。 悩んでいたのも、知っている。その悩みが、自分であった事も。自分の為で、あったことも、わかってる。 それでも。 「‥‥おいてかれる、って、思ってるんだ?」 「だってそうだもん」 どんな風に言い換えても、それは事実。それを否定する言葉を、ユリゼも疾也も持ってはいなかった。 「ねえちゃん、いっちゃうもん‥‥」 声を、振るわせて。 それでも嗚咽を漏らさないよう堪えているのが、二人には痛いほどよくわかった。 唇を噛み締めるヴィスタの肩を、ユリゼはそっと抱いた。びくりと体を震わせるヴィスタに、イタズラっぽく微笑む。 「一緒だからって事で‥‥内緒よ?」 ユリゼに導かれるままに、ヴィスタは足を動かす。村を出てしまうところで少し躊躇するが、ユリゼと疾也に促されて、おそるおそる村と外の境界を越えた。急に心細くなって、何度も振り返る。大丈夫、と声に励まされて、三人は山中へと続く雪道の上に出た。 「この道をずっと行くと、ヴァルータ村があるそうよ」 ユリゼは木々に囲まれる道の先を見ながら言う。それに倣うように、ヴィスタもその向こうを見た。 「ね。お姉さんは遠くへ行っちゃうけど‥‥その遠い所から、お婿さんはお姉さんに会いに来ていたのでしょう?」 小さく肩が揺れるのを感じて、ユリゼは続ける。 「それだけ、素敵なお姉さんなんでしょう?」 もう一度肩が揺れるのを感じる。小さく鼻を啜る音がする。疾也が口を開いた。 「姉が嫁ぐのは寂しいやろうな、大好きならなおさらな。それ自体は悪いことやないで」 鼻を啜る音がする。 疾也はポンとヴィスタの小さな頭に手を乗せた。 「ただ‥‥人間はいつかは別れるもんや、家族であろうと恋人であろうとな」 小さな頭に乗せた手に、細かな震えが伝わってくる。 「でもな、だからこそ、そんな時はどうせなら笑顔でわかれた方がいい思い出になるもんや」 柔らかな薄い蒼の髪をぐしゃぐしゃと撫でくる。 ユリゼはしゃがみ、その紫の目を覗き込んだ。 「遠くに離れていても、家族が一人‥‥いつかはもっと増えるってことじゃない?」 まん丸い紫の瞳が青い瞳を見つめ返す。 ユリゼは微笑んだ。 「だからね、会いに行けばいいわ」 紫の瞳がきょとんとする。 「あいに‥‥? あいにいって、いいの?」 「勿論よ。勿論、行ける。‥‥時間は掛かったって、何時かきっと」 ヴィスタは大きく瞬きをする。ユリゼはにっこりと微笑んだ。 「諦めるなんて事、しないでしょ?」 陽が傾き、中央広場では既に祭が始まっていた。 テーブルにはスープから鳥の丸焼き、パン、サラダ、スイーツが並び、ヴォトカを始めビールやウイスキーなど酒類も多く並ぶ。既に顔を真っ赤にした男たちもいるほどだ。女たちに呆れられているのは、言うまでもない。 そして主役、白い雪に映える深紅のドレスを纏った花嫁は、少し高い段に作られた席にいた。 柚李葉は見慣れない料理に目をキラキラとさせ、そして壇上の花嫁にほうと息を吐いた。 「花嫁さん‥‥素敵‥‥綺麗」 段の作られたそのすぐ脇にある植木の傍には、雪兎が並んでいる。その耳には布で作られた花が飾られており、愛らしさを増している。柚李葉満足のひとそろいだ。 ノーシェが会場を見回していると、遠くに探していた姿を見つけた。 ヴィスタもまた、自分を見つめる姉の姿を見つけ、ふいと視線を反らした。恥ずかしさとよくわからないもやもやしたもので、顔を上げられない。 「あー、見れば見るほど美人だねェ。あれが他の男と一緒になって、‥‥くぅっ、世の中不公平だ! もっさん泣いちゃう!」 突然の声に振り返れば、怪しげな店の中で天儀の服を着た男が大声で嘆いている。その視線に気が付いたのか、男は店からしゅばっと飛び出し、ヴィスタの肩をがしっと抱く。 「分かるか少年! 美人の幸せを願いながらも嫉妬の炎に身を燃やされ、悶え苦しむ俺のこの葛藤が! 愛しさと」 「やめんかい、その花嫁の弟に向かって」 「アウチ!」 その頭を疾也がぺしんとはたく。ずれた眼鏡を直しながら男が顔を上げると、呆れ顔の疾也がため息を吐いている。 「相変わらずやんなぁ、喪越」 「変われたってそりゃ無理な話だぜ、アミーゴ。‥‥にしても弟か。ああ、目がそっくりだな。そうか、うん、まぁお前さんも似たような心境だろうな。──取り敢えずこっち来いや。そして飲もう、とことん」 「え、えっと」 「未成年にお酒を勧めないの」 ヴィスタのグラスを取り上げるのはユリゼ。「えー」と哀しそうにしている喪越の頭を疾也がはたいて、それからヴィスタの背中を押してやる。 振り返りながら、ユリゼに伴われてヴィスタはノーシェの前まで歩いた。 賑やかな声がしている。祭だ。姉の結婚を祝う為の。村中が祝福している。 ただいまは、とユリゼが背中を押す。一歩二歩と前へ出て。ノーシェの紫の瞳が真っ直ぐにヴィスタの瞳を見つめている。 「た‥‥ただいま」 「おかえり」 「‥‥ごめんなさい」 「うん」 「‥‥あの、」 「うん?」 「あの‥‥」 口籠もるヴィスタの頬に、小さな灯りがひとつ。ふたつ。見やればほうわりと光る何かが辺り一面に広がっていた。そして耳には、小鳥が囀るような軽やかな音色。 笛の音は、柚李葉のものだ。春の芽生え、幸せの旅路を祈る優しい音。それに重ねるのは、ユリゼ。目線で頷き合って、音色は優しく会場を包むようだ。 我慢しなくてはいけないこともある。 けれど、家族はいるだけで幸せなのだと。 だからこそ、ともに願おう。 大好きな人が、大好きな人と、ずっとずっと一緒に幸せで居られますように。 「夜光虫、か。なんや案外ロマンチックやね」 「何を! 俺はいつだってロマンチックだYo!」 「それが全てを台無しにしてるっちゅうねん」 肩を竦めつつ、それじゃ自分もひとつ、と果物を手に取る。何だ何だと人が集まると、にっと笑ってそれを中に放り投げ、かと思えば目にも止まらぬ早さで腕を振る。何、と見やればその手には目を疑うほど美しい刀身の刀。そしてすとん、とテーブルに落ちたそれは、その瞬間に綺麗に真っ二つ。歓声が上がり、疾也は満足げに礼をする。 「ねえちゃん」 歓声に背を押されたように、ヴィスタは真っ直ぐにノーシェを見つめた。 「‥‥はなれても、だいすき」 その手に、銀細工のティアラを乗せて。 鼻の頭を赤くして笑うヴィスタに、ノーシェは何度も頷きながら、その小さな体を抱きしめた。 「姉さんも、ヴィスタのこと大好き」 姉弟の抱擁を、村中が見守る。その目に涙を浮かべる者もいた。 篝火が、夜光虫が照らし出す中、笛の音が響いている。 幸せを願って── 「まぁそれはさて置き」 喪越はぽん、と手を打つ。と、幻想的に漂っていた夜光虫がぱしゅんと消える。 「そこ行く美人さん、天儀からはるばる持ってきた反物はどうだい? 『もふらさまのぬいぐるみ』なんてラブリーな品物もあるYo!」 「だからなんだってあんたはそう台無しにするんや!」 疾也の張り手が喪越の額に見事に決まり、中央広場には明るい笑い声が満ちた。 |