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■オープニング本文 ● 明るい靄の合間から、神楽の街並みが覗き始めていた。 人通りこそ少ないが、活気と眠たさの混ざった朝の気配が漂っている。 「これだけやっても連絡取れないとか……」 紙束をめくる音に、ため息が重なった。 たすきを掛けたままの東湖(iz0073)が、力なく紙束を小脇に抱え直し、その途中で足を止めた。 目元は腫れぼったく、くまも随分と居座っている感がある。 だが口に手を当てたのは、単に欠伸をかみ殺すためだけだった。何事もなかったかのように涙を拭って歩き出す。 「叔母様だって、きちんと話せば分かってくれるのに。雲隠れとか大人気ない…… そうか、始めたら楽しくなってきたとみた」 折り返してあった紙袋の口を開いて、東湖は湯気立つ饅頭を取り出した。歩きながら小さくかじり、よく噛んでから飲み下す。 「どこまで周到に用意したんだろ。資料に細工は、さすがに無いと思うし……」 遠くを眺めたまま少しずつ、東湖は食べ続けた。 「こんなところにいたっ! もう、仕事終わったならさっさと寝なよ!」 すっかり明るくなっていた大通りに、甲高い叫び声が響いた。 最後の一口を頬張りながら振り向くと、風をはらんだ水色の千早が翻った。 「不寝番だってお腹は減るんです。問い合わせは途切れないし、すぐ書類はあふれるし。……どうしたんです、実祝さん」 ぺったりとへこんだお腹を空いた手で撫でてから、東湖は次の饅頭を取り出した。一口かじってから、動きを止めた相手を見やる。 実祝(iz0120)は眉を顰めて自分のお腹に手を当てていたが、我に返って声を張り上げた。 「違うよそこじゃないよ! 東湖が探してるなんて、ボク知らなかった! ぼろぼろになって帰ってきて、なのに肝心の東湖がいないし!」 「そうですか。……衣替えで、誂え直したばかりなのに」 何のてらいもなく呟く東湖に、頷きかけた実祝が慌てて首を振る。 「違うよ、帰ってきたのは西渦さんの龍だけ! 全身傷だらけで、手綱も鞍も残ってなくって!」 東湖の顔から一瞬の内に、血の気が失せた。 ● 野良の龍が開拓者ギルドを襲ったというのは誤報で、西渦(iz0072)の連れ出した駿龍が墜落気味に龍舎に飛び込んだ、というのが真相だった。 駿龍が固く握りしめていた耳飾りには、陰陽師が使う符が結ばれていたこと。 筆跡から、その符は結夏(iz0039)のものであること。 東湖は驚くほど短時間にそれだけの情報を集め、再び捕まえられた実祝に問われるままに語った。 「それでどうして、西渦さんが狸を捕まえに行ったって話になるの?」 半信半疑の体で尋ねる実祝に、東湖はじっと目を落としていた資料を差し出した。 却下と大きく朱書きされていたのは、朋友の貸し出し申請書。そこには堂々と『木霊狸』と書かれていた。 「【緑野】は魔の森の焼き払いも終わったし、付近の村から苦情が上がっている訳でもありません。担当は結夏さんだし、安心するのは分かるかなって。でも当の結夏さんが行方不明とか、ちょっと笑えない」 動かぬ証拠を突きつけられて、実祝は息を詰まらせていた。 そして観念したように、表情を改める。 「その書類、不寝番でも触れないんじゃないの? ……全部、聞いちゃった?」 「龍舎で狸が暴れて、火事になりかけたことなら、ついさっき。その後、狸がどうなったかまでは知りません。……馬鹿だな、私。事件の前から探してたのに。打てる手は全部、打ったつもりになってた」 ごめん愚痴だねと、東湖は照れたような笑みを浮かべた。 「ねえ、なら今は? 本当にもう、打つ手はないの?」 「【緑野】の村には姉さんの人相、結構無理言って回覧してもらってるの。飛行船場とか立ち寄りそうな航路も知り合いに見張ってもらってるし、人探しも掲示板に貼り出してる。闇雲に探したって見つかる訳ないし、第一アル=カマルで大事が起きたって、全然人手が足りてないし……」 思い詰めていた東湖の表情が、不意に呆けた。戸惑った様子で、そのまま口を閉ざす。 「そこは東湖の腕の見せ所じゃないの? それに西渦さんなら、少なくともそんな顔しないんじゃないかな」 ゆっくりと実祝の目をのぞき込み、東湖は静かに尋ねる。 「楽しむのは無理だし、うまく行かないかも知れないけど。……手伝ってくれる?」 もちろんと頷いておきながら。話を聞き初めてすぐに、実祝はどんどん青ざめていった。 ● 「私…… 沢の水は飲めたのかしら。それとも、飲めなかったのかしら」 『ふーん。そこは詳しく聞かせてもらわないと、ね』 思い出せないの? と小さく問うような声が枯れ野を渡る。 それを追うように、くきゅる、と音が鳴った。 |
■参加者一覧
恵皇(ia0150)
25歳・男・泰
葛城 深墨(ia0422)
21歳・男・陰
柚乃(ia0638)
17歳・女・巫
海月弥生(ia5351)
27歳・女・弓
和奏(ia8807)
17歳・男・志
久坂・紅太郎(ib3825)
18歳・男・サ |
■リプレイ本文 ● こつこつと鳴る音に、恵皇(ia0150)は顔を上げた。 入り口の木枠に寄りかかった海月弥生(ia5351)が、軽く握った拳を揺らしている。 「倉庫に怖い顔のお兄さんがいて、食事の準備が出来ないって。当番の人が困ってた」 「そいつは悪いことをしたな」 あっさりと木箱から腰を上げた恵皇が、そのまま一つ、ゆっくりと背を伸ばす。 「気になるなら、通信室に詰めてたら? 誰も文句言わないし、ここより余程静かだし」 「いや、逆に静かすぎて落ち着かなくてな。……こっちの方が速いって、理屈では分かってんだが」 歯切れの悪い返事に、弥生はわざとらしく息をつく。 「飛行船は補給不要で揺れも少ない。西渦さんの龍も連れてきてるし、風信術だって積んでる。まだ他に理由が必要?」 指折り数える弥生が睨みつける前に、葛城 深墨(ia0422)の声が被った。 「調査に進展ありだって。手が空いてる人はこっちに来てくれ」 最後まで聞かずに飛び出した恵皇を、弥生は手元の伝声管の蓋を閉めてから追いかけた。 柚乃(ia0638)が扉をそっと開く。 玻璃の入った窓には、山間から覗く夕陽が存分に射し込んでいた。 「こっちはもう【緑野】に入ったんじゃないかな。焼き払った跡って感じはないけど、茂みが所々途切れてるし、しばらく大きな木も見ていないから」 左壁を向く深墨の後ろで、弥生と恵皇が並べた椅子に地図を広げていた。弥生が指さす場所に、恵皇が難しい顔で印を入れている。 「どうだった、龍の様子」 顔を上げた弥生が、柚乃を小さく差し招いて席を譲る。 「包帯がきつかっただけみたい。随分深い刀傷もあるって聞いてたけど、そっちは大丈夫。手当ては念入りにされてて、傷もきれいに塞がってるの」 柚乃はゆっくりと顔を綻ばせるが、弥生は既に歩き出していた。 「弥生さん?」 「ちょっと様子を見てくる。話は二人に聞いてね」 それ以上声を掛ける間もなく、弥生は部屋を出てしまった。 丁度深墨が通信を終えると、恵皇が口火を切って地図をなぞる。 「結夏の目撃情報があった。これから【緑野】に向かって、そこで聞き込みだ」 神楽の都から北西に延びた線を辿り、今はこの辺だと指を止める。その北と南に、小さく書き込みがされていた。 「茶釜に焼き芋?」 「木霊狸絡みの依頼があった村だってよ。どっちも結夏が関わってて、だから顔というか格好というか、見覚えがあったってことらしい」 「他にも色々やってたみたいだけど、まあそれは置いておこうか」 口を挟む深墨の声は平坦だったが、恵皇の視線がふいに遠くなった。 「一人で魔の森とか、術の実験とか…… 本当、勘弁してくれ」 「後は、狸の物真似だね。条件がはっきりしないんだけど、術は全般怪しいって方向で。特に久坂さんと柚乃さんは、使い所に気を付けようか」 首を傾げる柚乃に、我に返った恵皇が後ろの壁の筒を指す。 「紅太郎は甲板で見張り中。ここでの話は聞こえているから心配するな」 「いえ、そうでは…… なんで?」 二人が戸惑う柚乃の視線を追う前に、呆れたような久坂・紅太郎(ib3825)の声が届いた。 「ああ、風向きが変わったからか、なるほど」 通信室が、束の間陰った。窓の鼻先にはためく包帯を残して、龍がゆっくりと横切った。堂々と翼を広げ、大きく弧を描きながらわずかに北へと逸れてゆく。 聞こえてくるのは伝声管を伝わる、少し遠くて聞き取りにくい紅太郎の声だけだった。 「滑空艇はどこだ! 脱出用のがあるだろ、すぐに出せ!」 紅太郎、とだけ呼びかけた恵皇が、伝声管に耳を澄ます。 窓に駆け寄る柚乃とは逆に、深墨は扉を開いて慌ただしい足音を迎え入れる。 「大変です、龍が格納庫から飛び出して! その、どうしましょう?!」 「ああ、うん。……とりあえず、落ち着こうか」 青ざめる若い船員を、深墨はとりあえず宥めにかかった。 ● 起伏の少ない丘の一つに、瀟洒な茅葺きの屋根が建っていた。 二間四方の壁のない東屋で、だが影が濃いのか中に何があるのか分からない。 少し離れて、竹で組まれた柵がぐるりと取り囲んでいる。そこに据え付けられた大小さまざまな竿が内側を向いているが、人一人、狸一匹動くものはない。 だが先に飛行船を飛び出した龍は、明らかにそこを目指していた。随分緩やかだが、綺麗な螺旋を描いて距離を詰めている。 滑空艇に膝を立てていた紅太郎が、手綱を握って立ち上がる。 「迷子の龍が吶喊するんだ、訳ありってことだよな」 何よりも、その周りは荒野だった。白く薄い泥と小石が転がるだけで緑は一片もなく、落ち葉も枯れ草も見当たらず、切り株すらも抜かれて根さえ残っていない。 「規模は小さい飛行船場くらいってところか。柵から突き出してるの、ありゃ全部銃だな。まさか撃ってきたりしないよなあ。……しないといいなあ」 紅太郎はそこまで確認してから、立ち位置に設えられた踏み板を動かす。振り向けば翼の縁が動いているが、滑空艇の軌道は全く変わらない。体ごと傾けることで、辛うじて旋回が始まった。 「付いてる宝珠は浮力補助だけ、自力の離陸は絶対無理と。まあ、飛行船が着陸出来る広さはあるし、龍が動けなくても何とかなる。滑空艇も、最悪経費ってことで」 全部言い終えると、紅太郎は大きく旋回を続ける龍を眼下に収め、額の汗を拭って小さく気合いを入れる。 手綱を引き絞り、そのまま体を固定する。 滑空艇の先端が持ち上がると、上向きに軌道がずれる。 わずかに高度を稼ぎながら速度を失い続けた滑空艇は、不意にその動きを止めた。 その瞬間を見計らって、紅太郎は足下の金具を弾いた。 両脇の翼が上に向かって勢いよく閉じる。 滑空艇は荒野に向かって、一直線に落下を始めた。 甲板から望遠鏡を覗いていた恵皇が、筒を深墨に渡して船員を呼びつける。 「飛行船を止め、いや、東屋の隣に」 「無理です、そう簡単に速度も高度も落とせません!」 恵皇も船員も、顔を真っ青にしながらどちらも譲らない。 「いや、これ以上は近づかない方が良いかな。東屋は大した高さじゃなくても足場になる。何よりあの銃が全部狸だとすると、流石に数が多い」 望遠鏡から目を離した深墨が静かに唇を噛む。 思わず口を閉じる恵皇の脇で、柚乃が舷側から顔を上げた。 「ここで旋回滞空で良いかって。あと空に出るなら、偵察用のグライダーが後部甲板で組立中だって」 無言で頷いた二人は、返事半ばの柚乃を引いて見張り台を走り抜けた。 (「単純な構造だから、その分、頑丈……だよな?!」) ほとんど錐揉みに落ちながらも、時機は計った通りにやってきた。 紅太郎は躊躇なく、滑空艇の前へと体を放り出した。一回転した足が宙に飛び出す瞬間、両腕に練力をつぎ込み、踏み板脇の取っ手を握り込む。 とうとう逆さにひっくり返った滑空艇の、閉じていた翼が乱暴に開く。色々と弾け飛ぶ音に混ざって、高く小さく金具がはまる音が鳴った。 それでも落下速度は、ほとんど変わらない。 (「これは流石に…… でも無理、耐えてくれよ?!」) 紅太郎の下に、一切の装備を外した駿龍の背があった。 鞍さえも無いその背を、久坂の両足はほとんど跳び蹴りの鋭さで抉る。 途端に、龍の絶叫が上がる。 「悪気は無かった、手違いだ!」 謝りながらも、紅太郎は更に足に力を込める。掠れる鳴き声を無視して、両手に掲げたままの滑空艇を前方に投げる要領でひっくり返す。 滑空艇に飛び移る紅太郎の足を、力ない尻尾に振り払った。だがそれが限界なのか、龍は悔しそうな嘶きを残して、東屋を避けるように高度を下げ始めた。 「動けりゃ十分、そのまま離れてろよな!」 「まったく…… 間一髪だったのは認めるけど、無茶だよ」 風を巻くグライダーが翼を広げたまま、紅太郎の隣に舞い降りた。 弥生は事もなく弓を弾きながら、ふらふらと風に翻弄される紅太郎の横にぴたりと付く。 「いや、本当は飛び乗るか、方向転換に背を借りるくらいのつもりだったんですよ?」 「まあ、準備が無駄にならなかっただけましって事か。……で? あからさまに怪しいあれ、アヤカシじゃないみたいだけど、どうする?」 紅太郎が感心したのは、ほんの数瞬だった。 「引き剥がすしかないだろ。流石に狸は空飛ばねえだろうし、いざとなったら援護して貰うってことで」 同意も得ずに体を乗り出す紅太郎に、弥生は矢をつがえることで応えた。 ● 滑空艇は東屋から随分と離れていたが、咆哮は覿面だった。 風に揺れていた銃は長短問わず、それを支えていた柵さえも狸に戻り、口々に野太い叫び声を上げながら紅太郎の後を追う。 中には地を走るそのままに宙を駆け上る狸もいたが、すぐさま長い耳を射抜かれ、あっさりと地に落ちて転がる。 騒々しい行進を見送った東屋は、屋根の下に黒々としたわだかまりを抱えたままだった。 その縁をぶち抜いて、恵皇が空から降ってくる。 宙を舞った茅の欠片が、茶色い毛並みに変わる。 ふさふさとした尻尾を掴んで引き寄せるが、狸はぐったりと動かない。目の前に吊したところで、恵皇は気の抜けた呟きをこぼした。 「酒臭え。……こいつ、酔ってやがるのか?」 辺りを見回しても、白い泥が乾いているだけで何もない。 狸を絞め落として放り投げると、だが返した踵に固いものが当たった。 「っと? ……あー、まさか本当に、酒盛りしてたのか?」 拾い上げたのは湯飲みで、そこには大きく『西渦の!』と絵付けされていた。 深墨と柚乃は黒いわだかまりと差し向かっていた。輪郭は一定しないがおおよそ丸く、夕陽を受けても透けたり消えるような気配はない。 「辺りに瘴気はほとんどないみたいです。……これ以外」 「結界呪符は形を変えられるって聞いたことないし。……実験してた術って、これの事なのかな」 そっと触る指は、一寸も潜らず止まる。そのまま無造作に手のひらをつけて滑らせるが、小さく頷いただけで一歩間合いを取った。 深墨は躊躇せずに槍を振り上げ、そのまま叩きつける。 薄い玻璃が割れたような軽く涼やかな音が鳴るが、見た目には何も変わらない。 柚乃と深墨の視線が、穂先と黒いわだかまりを行き来する。 深墨は表情を変えずに、槍を振りかぶった。 「……変、ですよね?」 規則正しく鳴る音に、柚乃の声が揺れる。 周囲を警戒していた恵皇も、不意に振り返った。 深墨は無言で、槍を振り下ろし続けたいた。その度に風鈴を落としたような、可憐で無惨な音が黒いわだかまりからこぼれる。 「術が解けて瘴気に戻って、だから瘴索結界の反応も強くなっているはずなのに……」 変わらぬ涼やかな音に、濃密な香りが紛れ込んだ。 爽やかさや硬さには、ほど遠い。 絡みつくような甘さは熟れた果実のようで、なのに、むせかえるほどに鉄臭い。 くきゅる、と何かが鳴る。 『思ったよりも、早かっ……』 『お酒に弱いことは、比較的早く…… でも手持ちが……くて』 一枚剥がれた黒いもやが、翻って茶色い毛皮になった。 地に伏せると背を反らし伸びを始めた狸が、所々途切れた『結夏』の声を鳴らす。 『術が未熟…… 浄化を優……し、でないと瘴気が抜け……』 固まる三人を余所目に、狸は涙を溜めた目を瞬かせながら続ける。 『申し訳ありませ……、外から結界を張られてしまったようです。……そろそろ……二人とも…… その、暗くて、もう良く見えなくて』 座って手をなめ始めていた狸の首筋に、白く細い腕がしなだれた。それは喉首に食い込み、口と鼻先をからめ取って空を仰がせる。 狸は手足をばたつかせるが、恵皇が胸元を軽く触れただけで動きを止めた。そのまま軽々と蹴り抜かれて、東屋から吹き飛ぶ。 走り込んだ柚乃が杖を振り抜くと、一際硬い音が響いた。編まれた瘴気がもやとなって、少しずつ宙に消えてゆく。 板張りの床に続いて、紺地に白の九曜紋が現れた。それはうつ伏せる女性の、腰から下に巻き付けられている。 その奥に、紫紺というには黒い、被り物が覗き始める。 濡れたような光沢ながら、その所々が固まっていた。縁取られた刺繍も、まだらに黒ずんでいる。 もやが黄昏に溶けて消える間、誰も動かなかったし動けなかった。 濡れた土に垂れる滴が止まり、小さく泡が弾けて、それも止む。 「待って!」 二人を制するように、柚乃が間に入って手を突きだした。 俯いたまま声を詰まらせ、だが上げた顔には欠片の迷いもなかった。 「ここは私に任せてください。船から担架と、それが運べる何かと、あと弥生さんにもこちらに早く来るようにって伝えてください」 逡巡を許さず、柚乃が小さく囁く。 「早く私に、二人の治療をさせてください」 そばから離れたのを見届けても。柚乃もすぐには、後ろを振り向けなかった。 ● 「格好良かったって言われてもな。大体、意識は無かったって話じゃないか」 拝借したのは白磁の上物でも、湯飲みは湯飲み。酒を飲むには少し大きく、小さな銚子はあっという間に空になった。 「まあ見舞いは届いて、返事もあった訳だし。……大丈夫って、ことにしておくしかないかあ」 雲間からは、蒼くて丸い月が覗いていた。 |