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■オープニング本文 ● まだ煙りっぽさは残っていて、それは畑のために焼き広げたようにも見えた。 だが白く固まる地味薄い泥も、大きな草鞋の縄目の跡も、干からび濁ったなずなに紛れている。 柱の陰の先に見える緑は、たぶんれんげ草。 「やっぱり花かんむりは定番ね。まあ、最後のつなぎ方は分からないんだけど」 眺める草むらで、縞の入った小さく丸いしっぽが揺れた。 さして大きくもない緑の園は、あっさりと、乾いて退屈な灰色をさらけ出してゆく。 満足そうなおくびを空に残して、しっぽは垂れて丸くなる。 「まあ、お貴族様の庭だと思っておけば良いのかな。石の庭なんて殺風景だろうし、屋根はあるし、まあ体が冷えないのは悪くないし」 四本の柱には梁が渡され、茅まで掛けてある。 床は板張りだが、撫でるとわずかに、ほんのかすかに、ふるえる。 「あの子も、こっちに来ればいいのに。ああ、でも…… この天気だもの。そろそろ流石に、ちょっと、辛いかも」 床下に首を突っ込んでいるのは、赤みの強い鱗の、大きな大きな翼に爪を生やしたケモノ。 ぺったりと地面に体を伏せて沈めて、涼を取っているようにも見えなくない。 「天気も良いし。……もう、飲んじゃおうかな」 手元の湯飲みの縁を、ゆっくりと指先が撫でる。 鈍く震える水面が、こぼれた言葉を掻き消した。 ● 「西渦さーん、こんにちは! ……あれ、この時間ならいると思ったのに」 受付に手を突いた実祝(iz0120)に、書類を捌いていたギルド職員が怪訝そうに片眉をつり上げ、視線だけで問い掛けた。 「いえ、約束はしてないんですけど、少し前から氷の奉納で相談してて。今年は切っ掛けがないって悩んでたら、良い笑顔で面白そうって」 手を振りながら苦笑う実織に、その同僚も西渦(iz0072)が取るであろう振る舞いに一片の疑いも挟まない。 「それは確かに楽しむだろうな。けど間が悪かったな、西渦は知人のお祝いだって、何日か前から有休取ってる」 とっておきで心臓止めるくらい驚かせてやると、随分物騒に笑いながら書類と格闘していたらしい。 「不寝番は妹が引継。ちょっと張り切り過ぎって気はするけど、まあその内慣れるだろ」 東湖(iz0072)の仮眠は邪魔してやるなと、先輩らしい気遣いを見せつつも。職員は急ぐ素振りも無いのに、書類を抱えてあっさりと席を離れてしまった。 「のっけから躓いちゃったかな。他に相談できそうなのは結夏さんくらいなんだけど…… 相談役忙しそうだし」 念のためと相談室まで覗いてみるが、結夏(iz0039)どころか暇そうな相手すら見つからない。 とうとう裏口までたどり着いた実織は肩を落とすが、聞き慣れた言葉が飛び込んできた。 『何迷っているのよ、こんな面白そうな依頼!』 「あれ、西渦さん帰ってきた? ……また荷物持ちに使ったのかな。いきなり乗り付けたら、そりゃ驚くし。案外、質も悪いんだよね」 いつかの惨状を追いやるような息をつきながら。 実祝は沈痛な面持ちを作りながらも軽い足取りを隠さず、楽しい成果を聞く気満々で裏口の扉を押した。 ● ひょいとのぞき込んだ龍舎に、人影はなかった。 真新しい寝藁に丸くなる龍たちは、一様に迷惑そうな表情を浮かべている。 「あれ?」 『あれー?』 『あれーぇ?』 肩を震わせた実祝が、そのまま体を強ばらせた。 だだ漏れした呟きからは、きれいに感情が抜け落ちている。 「脅かさないでよ、西渦さん。いくら職員だからって、『声』まで記録しなくても……」 いつも当然のように耳にしていながら、決して他人からは掛けられることは無いはずの『実祝』の声。 少し間延びしていて、だから気付いたのに、何が違うのか分からない。 音が出そうなほど眉と口の端を軋ませた実祝は、涙を浮かべながら振り返る。 だが視線の先にあったのは、奥の壁に寄せられた黒い箱だけ。 いや、実祝の胸元まであるそれは、良く見れば目の細かい金網を張り巡らせた、格子も鋼造りの檻だった。 正面に張られた紙切れの下から、二対のつぶらな瞳が実祝のことを見上げている。 掴み立ちしている前足の先に、柔らかそうな桃色の肉球が押し付けられている。 「何これ」 『何これ』 『何これ?』 『何ぃこぉれ〜?』 『なぁぁに』 隣の敷居から首だけ出した龍が、無言で実祝をつついた。鼻先で筆書きを指してから、念を押すように再度実祝の目をのぞき込む。 下げられていたのは、書き損じた依頼書の裏紙らしかった。そこにはギルドで良く見る、知り合いの字が二行。 《木霊狸 勝手にものまねをするので注意》 《特に会話厳禁。鬱陶しいから!》 下段は雑な上に大きく、珍しく見栄えが悪かった。周囲の正論には散々渋りながらも、結局慌てて追加したのが丸わかりだった。 『うーん…… これはちょっと、厄介ね』 『西渦』の声で、狸が鳴く。 (「確かに鬱陶しいよね。でもここでさぼってまで、仕事の話なんてしなくてもいいのに」) 達筆なのは相変わらずだけど、などと場違いな感心に納得しながら。 勝手に得心した実祝は龍舎を離れると、一切をすぐさま、きれいさっぱりと忘れた。 ● ゆっくり傾けられ竹筒が、それでもこぷりと鳴った。 まだ青い瓜を絞ったような、堅く甘く香る滴。ほんの一口分だけ、無骨な飴色の湯飲みに注がれる。 丁寧に栓をして懐にしまってから、殊更ゆっくりと手が伸ばされる。 胸元まで引き寄せられたところで、器が止まる。 しばらくそのままに、やがて手の中で緩く回され始めた。 『お見合いで、足なんか崩さないでくださいね』 それは甘くとろけるような、まどろみに身を任せているような『結夏』の声。 応じるのは心の底から絞り出された、小さな笑み。 「なんて平和なのかしら。そこまで空気、読まなくても良いのに。ねぇ?」 「……み……せん」 今にも眠りに落ちそうな、小さな小さな囁き。それは驚くほど熱がこもっていながら、絶望的なまでにかさついていた。 「一合なんて、一人で呑んでも酔えないし。で、でも一升あったからって、そういうのはどうかって思うのよね」 頑なな明るさが、ほんの一息だけ裏返った。 応えたのは、寝息のように密やかな風のみ。 それも辺りの上面を撫でただけで、日に透ける空に淀みを広げた。 |
■参加者一覧
恵皇(ia0150)
25歳・男・泰
葛城 深墨(ia0422)
21歳・男・陰
柚乃(ia0638)
17歳・女・巫
森フラノ(ib9633)
15歳・男・サ |
■リプレイ本文 ● そろりそろりと、平たい皿に山と盛られたかき氷が歩いていた。 森フラノ(ib9633)は片時も、耳と尻尾が動くのを止められないようだった。 「まあ、順当な懐柔ってとこか」 恵皇(ia0150)は片手を懐に突っ込んだまま、頭を掻いた。 「なっ、これはただのご褒美で、兵糧を抉る立派な策の一つなのです。せしめた紹介状もこの通り、実祝ちゃんの姉上を」 裾をたくし上げた拍子に傾く皿を、恵皇が危なげなく押さえる。 「まずはそれを片付けちまうこったな。急ぐ用でもないんだ、ゆっくり味わってからで良いと思うぞ?」 元気の良い返事に傾く皿を、恵皇は苦笑混じりにもう一度支えた。 軽く拳で鳴らしてから、恵皇は扉を開けた。奥に長い机には思いの外、行儀良く紙束が並べられていた。 「久しぶりだな、実祝。って、何やってんだ?」 しきりに目を押さえる実祝(iz0120)が、少し鼻をぐずらせながら顔を上げた。 「かき氷ってさ。一度にたくさん食べると、頭がきーんってなるじゃない?」 「あ? ……まあ、良く聞く話だな」 「そういうのって、人に見せたくないと思う? 印象悪くなっちゃうかな?」 今まさに氷をかき込んでいたから、では無いようだった。実祝の顔は暗く青く、何かを思い詰めている様には見えた。 恵皇は何気なく実祝の手元に視線を走らせ、そのまま机に突っ伏す。 「あのな? 労力っていうのは、もっと…… いや、待てよ」 一人勝手に俯くままの実祝の肩を、大股に歩み寄った恵皇ががしりと掴んだ。 手にした書類に軽く目を通しただけで、葛城 深墨(ia0422)は戸口から覗く柚乃(ia0638)を差し招いた。 柚乃はおずおずと辺りを見回し、不意に口を綻ばせる。そっと袖で隠そうとする仕草に、深墨が差し出す紙片が割り込んだ。 「えっと。巨勢王への感謝の気持ちと…… 氷の奉納?」 「酒杯の手配に、口上の草稿、それに行動予定の問い合わせ先と。随分前から準備してたみたいだね」 早くも三つ目の山に手を掛けながら、深墨は更に二枚の暦を指し示した。書かれた内容を信じるのなら、少なくとも去年の春先から、様々な祝いや祭りに『計画』なるものが持ち上がっていたらしい。 「うん、何をしたいのかは分かったと思うんだけど。……参ったな、結局本人を捕まえないとやっぱり分からない」 深墨が指で弾いた暦は手書きで、何故か先月の末日という中途なところで終わっていた。その上、生誕祝いという見出しには線が引かれ、余白は聞き取りめいた書き付けで埋められている。 「……からくり、かな」 卓の反対側に回り込んでいた柚乃が小さく呟き、そして安堵の息をついた。 手を止めた深墨に気付いて、柚乃は更に頬を緩める。 「この依頼書とか報告書。古いのも合戦のも混ざってるけど、遺跡のことばっかり」 「なるほどね。どっちにしろ、迷走に違いないけど」 走り書きを手に取り、一息置いてから肩を竦める。柚乃も頷き返し、だが途中でその笑みが小さく震えた。 「実祝さんは遺跡に入れないだろうし、ここでしばらく…… どうかした?」 「いえその、あれが気になるなって」 あたふたと柚乃が指したのは、少し古めかしい上に幾分大振りな手回しのかき氷機だった。すり減った刃は濡れてもいないのに、妙な艶と硬さと、貫禄を醸し出している。 「職人の削る氷か。うん、悪くないんじゃないかな」 深墨は感心するが、柚乃は曖昧に視線を逸らしてから頷いた。 ● 手押し車の傾いた荷台に、フラノが裾を気にしながら座っていた。その膝の上に丸くなるのは、二股の尻尾を気持ちよさそうにくゆらす、茶虎の猫又。 「涼も酔も分け合うから楽しい、だろ?」 「分かりました、それで良いです。だからそろそろ、子分さんたち連れて来て欲しいです」 「分かったのなら、つべこべ言うな」 調子だけは良い返事に、フラノは目元を震わせ、煤けた息をこぼす。 目を開けた深墨は、構えていた印を解いて肩の力を抜いた。 「中庭も平和そのものと。いや、別に騒動を探せばそこにいるって訳でもないけど。……ないと思うけど」 言い直してしまってから、考え過ぎだと二度呟く。 「一旦戻ってみようか。行き違ったで済むなら、それに越した」 深墨の視界の端を、見慣れた形がよぎった。 黒地に小紋が浮いたような、黒揚羽を思わせる膨らみ。それを追って、銀糸がなびく。 「……人妖でも紛れ込んでるのかな」 何かが過ぎった辺りは、窓もない平坦な壁で屋根も少し高い。 庇の陰に隙間はあるが人が隠れるには少し狭く、子供の手が届く高さでもない。 仮にそれが人型をしていたとしても、人妖であるという理屈は場所柄的に、納得出来ないことでもない。 深墨は槍を肩に乗せたままだが足を止めると、ゆっくり辺りを見回した。 恵皇と実祝が通されたのは、窓口からは目の届かない、奥まった場所にある資料室だった。 三方の壁には本棚が並び、紐で綴じられた上に背表紙まで付けられた書類が見事に分類されている。 なのに中央に置かれた机の上は、まるで歪な石垣だった。 単に書類が積み上がっているのではない。 厚さも形も向きも違う紙束が、それぞれはみ出し割り込み、当たり前のように他の束と融合している。 「この部屋、何で黴臭かったり埃っぽくないのかな?」 「何でだろうな。整理してからの方が、掃除も随分楽だろうにな」 恵皇が無造作に摘んだ書類には、職員の予算申請なるものが認められていた。 機材や朋友の貸し出しに続いて、初期投資や維持費といった数字が続く。交通費の割引渡航に及んだ辺りで、のぞき込む実祝に資料を押し付けた。 「この緑野って、去年合戦があったところだよね。あれ、違った?」 恵皇は隣の壁を向いたまま動きを止めていた。 実祝も一息遅れて、薄い壁の向こうから声が聞こえるのに気付いた。 「何ですぐ出てこないんだ、意味が無いだろう」 「それを言うなら先輩こそです。窓口に聞けば済むとか」 「無駄口はいらん。網があると言ったのはお前だ」 壁際の棚か箱を雑に漁っているのであろう、壁を小突く音がひとしきり続く。 「網って、これかな」 実祝が歩み寄った棚に、虫取り網が立て掛けられていた。 華奢な竹竿から垂れているのは、目の細かい艶やかな白布。振り回せばすぐにでも折れるか破れるに違いない代物だった。 「探してるんだ、届けてやればいいさ。このまま雪崩を見過ごすのは寝覚めが悪い」 面倒は起こさないに限ると、恵皇は実祝を促し部屋を出た。 ● 柚乃は緩んだ息吹の一つ一つに、目を細めて頷き返していた。 喜びを惜しむように噛みしめるように旋律だけを繰り返し、ゆっくりと静かに口を閉ざしてゆく。 最後に優しく撫でられた弦が、わずかに余韻を響かせた。 「こんなところかな。みんな機嫌は直ったようだし、そろそろ誰か戻ってるだろうし」 藁を払いながら、柚乃は仕切りの中を見回した。 まだ自分の腹に頭を突っ込んだままの龍は多いが、強ばりは随分ほぐれたように見える。 背負い袋を拾い上げたところで、柚乃の動きが止まった。 ついさっき結んだはずの旋律が、途切れ途切れの吐息のように、小さく流れた。 すぐに弦の音が重なり、柚乃の声が続く。 そして確かに、精霊がざわめく。 「誰? ……猫又さんですか、それとも人妖さん?」 柚乃の囁きに、ぴたりと唄が止まった。続く問いに、くきゅる、と何かが鳴る。 『ええい、そんな目で見上げるな。お前らには矜持というものが…… 仕方ないな』 随分伝法ながら、孫を前にしたような甘さがにじむ台詞が返ってきた。 『ほんとに良く食う奴だな、お前は』 「面倒見の良さそうな方ですね……」 柚乃は目を細めて日差しを突っ切り、その先の暗がりに踏み出す。 大きな格子の檻の奥から二対のつぶらな瞳が、地面に寝ころんだまま柚乃を見上げていた。全体茶色の体は綿毛のようにふわりとしていて、そこに警戒は欠片もない。 息を呑む柚乃の前で、きゅりゅ、と茶色の毛玉が鳴った。 『もう一つちょうだいって? おせんべ?』 「ごめんね、お煎餅はないの。でも干し飯と…… あ、甘いの好き?」 握っていた琵琶を地面に置き、抱え直した背負い袋の紐を緩めた。 しゃがんだまま取り出した甘刀の端を小さく欠いて、手の平に乗せて差し出す。 『……甘いの、好き』 すんすんと鼻を鳴らす毛玉が、ゆるりと顔を振った。長い耳がゆっくりとなびいて漂う。 その最中に、頭が鉄格子をするりと抜けた。 開いた口が、大きい方の甘刀を一息にほおばる。 わずかに身を反らせた柚乃の、その手の平と一緒に。 「え?」 もう一匹がのそのそと、膨らんだ毛並みをへこむに任せて、こちらも簡単に格子を潜り抜けた。 柚乃の傍で歩みを止めると、わずかにその首を傾げる。 『ねえ、おいしい? ふーん、果物好きって聞いてたけど、ほんとに何でも食べるのね』 二匹は柚乃だけを見つめていた。さっきまでと変わらない、つぶらな瞳。けれどそこに表情は無く無機質で、まるで河原の石ころのような艶やかさだった。 「っ、だめっ!」 反射的に振るった左手は、たおやかな白い手に逸らされていた。 そのまま手首は逆の肘は一つにまとめて、捻られる。かがみ込んだ体勢のまま吊り上げられる格好で、柚乃は身動きが取れなくなった。 「い、痛…… 何がどうなってる、の……」 底冷えのする月のような麗人が、間近から柚乃を見下ろしている。 だが音がするのは、その背の向こう側だった。わずかに覗く茶色の毛並みの辺りから、滴をすくい取るような音がこぼれ続けている。 「柚乃さん、落ち着いて。力んじゃだめだ、でも力は抜かないで。……無茶を言ってるのは分かってるけど、大丈夫、そのまま」 わずかに逸らした視線の先に、構えを取る影が映った。 ● 「全く。何だって俺が餌当番って話になるんだよ」 水場を出た職員に、幾分強張った声が届いた。 「無茶を言ってるのは分かってるけど、大丈夫、そのまま」 『大丈夫、何ともないわ』 『お前を連れて行ければ良いのにね』 だが続いたのは、全く気の抜けた声だった。 「なんだ、帰ってるのか? 結夏も西渦も長旅お疲れさん、狸は大人しいもんだったぜ?」 無造作に近づいた職員は、符と槍を構えた深墨を横目に中を覗いた。 蝙蝠の羽を背負う女性が、少女の両腕を引き寄せるように端座している。 背負い袋からばらまかれた干し飯を、狸の一匹が一粒一粒、舌を伸ばして口に運んでいる。その小さな茶色の毛玉を、やはり黒い着物の女性が抱きしめていた。 「……何の冗談だ?」 「そうあって欲しいのは山々なんだけど。……あんまり騒がないでくれ。それから聞きたいことがある」 深墨は視線を逸らさず、口元に符を当てて声を職員に向ける。 「あんたがこいつらの…… 狸の担当なのかな?」 「いや、たまたま今日は当番で。ほら」 中身を掲げようとする職員の動きを、深墨は見もせずに手で押し止めた。 そのまま短く挟んだ間に、『結夏』の声だけが紛れる。 『何が気に入らないの?』 『そんなに怒らないの』 「落ち着いて聞いてほしい。狸を捕まえないといけない。荒縄はあるけど、一本じゃ足りない。……詳しい説明はしている暇がないから納得してくれ」 職員は目を白黒させながらも、小さな声を作った。 「良く分からんが、続けてくれ」 「網もあると安心かな、目が出来るだけ細かい奴。それからこれが一番重要なんだけど…… 用意が出来たら、一人で戻ってきて欲しいんだ」 職員が視線を何度も動かしてから、おそるおそる尋ねる。 「なあ。もしかしてその娘、危ないんじゃないのか?」 「余裕は無いけど、俺だけだから何とかなってるってところかな。人が集まれば必ず騒動になる。そこに開拓者が混ざっていたら、待っているのは多分最悪の展開だ」 聞き返すまでもなく、職員が全身を震わせた。 「そうか、今日は俺の責任ってことに…… 五分、いや十分くれ」 不安を飲み込んで駆け出す職員を、深墨は黙って見送る。 『何が気に入らないの?』 「責任云々は関係ないんだけど…… ああ、全部俺の面子の問題か」 簡単なことじゃないかと無理矢理な笑みを浮かべて。腰に下げていた竹筒と荒縄を引き寄せた。 ● まだ藁の焦げる匂いがくすぶっていた。 破れて折れた虫取り網に、咬み跡の残った竹筒。 他にも桶だか柵だかの破片が散らばっていて、中には周りの土共々黒焦げ、炭になりかけているものもあった。 「ごめんね、柚乃の方が怪我してるのに……」 謝る実祝に包帯を巻きながら、柚乃はそっと首を振る。 金網を張り直した檻の中には、二匹の木霊狸が転がっていた。手足を一つに縛られ、口にも縄が咬ませてある。 「諸々は職員さんが事故って線で話を進めてる。龍が苛立ってたのは本当だし、金網外した猫又も示談で片付くそうだ」 龍舎に戻ってきた深墨が、仏頂面で格子に寄りかかる恵皇に捉っていた。 「残る問題は、責任者の不在ってことになりそうだって」 狸を睨みつけていたフラノが耳を揺らし、間を置いてから振り向いた。 「唄を歌うとか、銀色のきれいな人を呼ぶのは大丈夫なのです?」 フラノが心底不思議そうに問いながら、柚乃と深墨を上目に窺う。 「それは後で思い出すことにしてだな。……いやまあ、かなり問題なのは認めるけどな?」 歯切れの悪い恵皇の助け船に、深墨は強引に乗って話を戻した。 「この狸たち、誰が担当してるか知ってる人は?」 「西渦さんだよね。しばらく休みを取ってるって聞いたけど」 納得したように頷く実祝に、深墨は表情を緩めず首を振る。 「違うんだ。西渦さんは勝手に引き受けただけで、本来は相談役預かりだったって。結夏さんは知ってるよね」 「もちろん。最近ご無沙汰だけど、忙しいそうなのはいつものことだし」 突然、恵皇が眉を顰めて口を押えた。 「なあ、実祝。ほらさっきの、いるかもしれないって通された資料室の」 「書類の山? それがどうか…… え、あれ結夏さんが溜めてるの?」 実祝はしばらく、思考が上手く噛み合わないようだった。 「だって一ヶ月前のとかあったよ? そのまま放置とか、全然らしくないよ、ね」 途中で眉根を顰めた実祝が、間の抜けた声を上げた。 「えっと? ボク、何かおかしなこと言って…… 言ったかも!?」 動転した実祝はフラノが目を回すまで、その肩を掴んで揺さぶり続けた。 |