覚えのない忘れ物
マスター名:機月
シナリオ形態: ショート
危険 :相棒
難易度: やや難
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/02/14 19:38



■オープニング本文


「あんた、開拓者なの?」
 書面に目を通していた少年が、首を捻ってから顔を上げた。じろじろと無遠慮に向けてくる視線に、結夏(iz0039)は落ち着いて頷き返した。
「はい。と言っても、下調べ担当ですね。何か変わったことが起きていないか、聞いて回ってます」
 紫紺の外套を解きながら、何もないに越したことはありませんけれどと継ぐ。何やら引っかかり、外套は引っ張っても取れない。
 少年はしばらく口を閉ざしていたが、眉を傾けてから指さし尋ねた。
「背負っているのは何。厄介事は御免だよ」
 結夏が外套を腕に畳みながら横を向くと、平たい籠の中でかたりと音が鳴った。
 竹で組まれた格子の奥に、古びた茶釜と茶碗が収まっている。茶碗の方は口広で底が浅く、中程まで水が張られていた。茶釜は使い込まれていて、絡まる蔦草のような装飾は随分すり減っている。
「茶碗と茶釜、ですよね? 大丈夫、アヤカシの類ではありませんから」
「……俺が確かめて、問題なかったら通してやるよ」
 わずかに目を細めた少年は、ぶっきらぼうに言い放った。どうぞと背を向けた穏やかな声に、少年は少し嫌そうに舌を打った。


「そうですなあ。変わったこというても、別に困ってる訳ではないんですわ」
 結夏に問われて、村長と紹介された男が腕を組んで唸った。片隅では、籠を受け取った少年が茶釜と茶碗を枝でつついている。
 思わず綻ばせた顔を、結夏は引き締めて村長の言葉に意識を向けた。
「ごっつい兄さんたちが最初に来たんは、まだ涼しいくらいのときやったかな。随分手間取った感じやったけど…… せやな、寒うなる前には煙も流れて来んようになったんかなあ」
「武天・朱藩主導で行われた『魔の森の焼き払い』ですね」
 大粘泥『瘴海』は去年の夏に討伐されたが、広大な魔の森を残していった。その脅威を払拭するために、大量の人員が投入されていたのは確かだった。
 もう二月も前やと、指折り数えた村長が改めて唸る。
「普通に考えて、もう誰もいんはずや。なのにな、何や天幕とか木の柵とか見たって話が流れてるんや。しかも火の気もないのんに、人の声が聞こえたとか何とか」
 結夏は荷物から取り出した地図を広げ、一瞥しただけで別の紙を次々と重ねた。少しいびつな線で描かれた地図は三枚目で止まり、指が下から真ん中右端まで×印を辿る。
「そうそう、その辺りや。度胸試しが流行りそうになったんやけど、それは厳しく言い含めてやめさせたとこや」
「位置的に間違いありません。撤収の報告もギルドまで届いていますから、『焼き払い』は間違いなく無事に終わっています」
 しばらく間を置いて目を伏せると、村長に続けて問う。
「秋頃のことです。山二つほど向こうの柿の木に、大きな熊に似た爪痕が見つかりました。いえ、大事には至りませんでしたが、その時のことをご存じありませんか?」
「この時期、熊はないんちゃいますか? ……はて。それに熊やなかった聞いたような」
 泣く豆狸なら聞いたかもしれんけどと、村長は顎に手を当て宙を睨む。
「ええ。『木霊狸』という仮名が付けられてます。人懐っこくていたずら好きで、どうやら熊くらい大きなのもいるそうです」
「なあ、やっぱり山は危ないと思うてる? 狩りとかも控えた方がええかな」
 危機感の欠片も無い様子ながら、村長は訝しそうな視線で見上げる。結夏は目を細めて胸元に手を当てた。
「放っておいても構わないと思いますが…… 一度ギルドに判断を仰ぐことにしましょう。飛空船を出して貰えれば、荷物もお願いできますし」
 結夏が籠を見やると、少年が器の水を入れ替えていた。


■参加者一覧
柊沢 霞澄(ia0067
17歳・女・巫
羅喉丸(ia0347
22歳・男・泰
葛城 深墨(ia0422
21歳・男・陰
天河 ふしぎ(ia1037
17歳・男・シ
向井・奏(ia9817
18歳・女・シ
无(ib1198
18歳・男・陰


■リプレイ本文

●風を交わす
 柊沢 霞澄(ia0067)は随分待たされてから、風信術を備えた相談室に通された。
 待合室は十分暖かく、出されたお茶は香りの良いものだったけれど。とっくに日も落ちたというのに、とにかく人の出入りが多くて気忙しい。
 扉が閉まって外の音が途切れると、霞澄は知らず知らずの内に安堵の吐息がこぼしていた。
「お待たせしましたか? ええと」
 突然の声と共に、紙束をめくるような音が被さった。短く詰めた息を解きながら、軽く頭を下げる。
「柊沢 霞澄、です。その、わざわざお忙しいところすみません。でも事前に連絡が付いて良かったです……」
 その矢先、扉が続けて開いた。入ってきた人影は、どちらも大きな荷物を背負っている。
「餌付けの準備は揃ったな。甘藷に干し柿は安い割に出物。桜で燻した肉と魚は、酒の肴にも良さそう…… っておい?!」
 羅喉丸(ia0347)が下ろした荷物から、竹筒と紐に吊された半身の鳥が勢い良く逃げてゆく。
「泰国の栗は美味いでゴザルなー 簡単に皮が剥けるし、朱春の名前が付くだけのことはむぐもぐ」
「ほら着いたよ、奏。重、くはないけどっ。ほら降りて…… ちょっ、それボクの耳だからね?!」
 賑やかですね、と風信術から流れてくる声は悠長に笑っていたが。
 霞澄は結局誰からも目を逸らすと、顔を真っ赤にして俯いてしまった。

「ほう。これは随分でかいな」
 馬車に積まれた鋼の格子は、无(ib1198)が手を広げたよりも大きく、しかも宝珠がふんだんに取り付けられていた。視線を追うように、懐から小さくとがった顔のケモノが首を傾げて見上げている。
「ギルド謹製、大型ケモノ用の檻だからね。組立前でこれだから、帰りは誰か甲板に出ることになるんじゃないかな」
 葛城 深墨(ia0422)が何でもないように告げるが、霞澄と天河 ふしぎ(ia1037)は顔色を変えた。羅喉丸も不味そうに顔をしかめるが、向井・奏(ia9817)だけは狸をもふり倒す好機と息巻いていた。
「随分気楽そうだな。使わずに済めば良いだけとはいえ、そんなに楽観は出来ないだろう」
 无のそんな問いを、深墨は思わず聞き返していた。その上で何度か瞬いてから、小さく視線を逸らす。
「まあ、そうなんだけど。そのくらいはどうで…… いや、どうとでもなるんじゃないかな?」
 相談室は時間切れと早々に追い出されていた。だから依頼に関して新たに聞けた話は、彦三という少年の名前や、茶釜の蓋が取れないという中途半端なものでしかなかったが。
(「見回りは明日で一旦切り上げって話だし。多少寒いくらい、どうってことないよな」)
 この幸運が諸々の準備が遅れたおかげなら、ちょっとは感謝しても良い気分かな、などと。益体もない思いを、深墨はどうにか頭の隅に追いやった。

●行方色々
 村の入り口で焚き火に当たっていたのは、御包みを抱えた老婆だった。切り株に腰掛け、今日は暖かいねぇと目尻を下げる。
「これから山に入るんだな、お前さんたち。昼飯は食べなさったか?」
 何度も頷いてから、伝言を預かっているよと顔中の皺をさらに深めた。

「それでは井戸端と寺子屋…… あとは村長さんにもお話を伺う、ことになるでしょうか……」
 霞澄は抱いた赤子をあやしながら、話の接ぎ穂を引き取った。
 老婆が預かったという伝言は二つ。
 村長からの、地図を預かっているというもの。
 先に村を訪れていた結夏からは、他の荷物も一旦預けて、少し村を離れるというもの。
 どちらもこの場所に陣取った後、本人から頼まれたということだった。
「地図以外の荷物…… 山に持って行く理由は、特に無いよね」
 ふしぎが小さく首を傾げれば、隣で奏が大きく頷いた。不自然に前のめりになった姿勢が、何事もなかったかのように元に戻る。
「理由は気になるんだけどね。いないなら仕方ないか…… 俺は子供たちに話を聞いてみたいかな」
 深墨は表情を改めて気楽な口調を作るが、无は眉を寄せたまま立ち上がった。
「念のため、その辺りも聞いてみようか。井戸端は二人に任せて良いか?」
 威勢良い羅喉丸と、慌てて口元に人差し指を立てる霞澄。思わずこぼれる笑みを堪えながら、一行は三手に分かれた。

 大人が抱えられるほどの籠は、古びた小さな物置の軒下に置かれていた。年端もいかない幼子が、一歩離れて屈み込んでいる。しきりに自分の歯を気にしながらも、じっと籠の中から目を離さない。
 小屋は山を背にしている上に、母屋は少し離れている。ふしぎは辺りを見回すが、人の気配は他になかった。隣を歩く奏も、後ろに手を組んだまま首を振る。
「えっと、何してるのかな。楽しいこと?」
 顔を上げた子供は、ぽかんと口を開けた。二つの顔を交互に見るが、驚きをゆっくりと曇らせた。
「ここで、おるすばん。おべんきょうも、どじょうとりも、まだむりだって」
 思い出したように、手に持った棒を籠の中へと差し入れる。
「きのうね。にーちゃんがつついたら、たぬきになってやきいも食べたの。でもきょうは、うごいてくれない」
 子供は懐から金柑を取り出すと、おっかなびっくり籠の中に落とす。茶釜に当たって転がった金柑を、棒でつついて押しつける。
「きんかんだって、あまくておいしいのに」
「うーん、蜜柑とかが苦手なのかな。奏、甘栗持ってたでしょ?」
「それはいつの話でゴザルか」
 堂々と胸を揺らす奏から、ふしぎは顔ごと目を逸らした。
「えっとその…… そう! 狸どんなだった? 鳴いたりした?」
 奏は無言で詰め寄るが、ふしぎは返ってきた言葉を聞いて抵抗を止めた。
「あのね、『はやくおっかあにあいたい』ってないてたの。へんなこえだったんだよ」
 浮かぶ笑顔は無邪気だったが、可愛らしいと思う余裕は消し飛んでいた。
「奏。これ聞いて、大人しく勉強とか泥鰌取り、行ってると思う?」
 表情を引き締めたふしぎに、奏も目を細めた。
「惜しいでゴザル。ここは本来、茶器を使って茶道の心得を見せつけるところ。旦那を惚れ直させるのがシノビのお約束なのでゴザルが」
「な、何言ってるの?!」
「まあ狸を丸焼きにしかねないから、最後の手段でゴザルかな」
 二人は各々脱力を振り払って、来た道を急いで戻った。

●大歓迎?
 村長が禁ずるまでもなく、この季節は山への出入りが少ないらしい。井戸端でも寺子屋でも、山の噂はほとんど聞けなかった。
 辛うじて得られた気になる話は、一つずつ。
 今朝早く、風呂敷包みを背負った彦三が井戸端を通ったらしいこと。
 そして寺子屋で持ち切りの噂は、彦三が今度は村外れに秘密基地を作っているらしいというものだった。
「彦三っての、なかなか良い根性をしているじゃないか。こうも枯れ木ばかりじゃ、風避けるのだって一苦労だろ」
 わずかに枯れ葉の残った藪をかき分けながら、羅喉丸が小さく呟いた。
「寒いくらいで、浪漫が消えたりしないからねっ」
 ふしぎが拳を握りしめると、深墨と无も分からなくもないと頷いている。
(「えと…… 私が考え過ぎなのでしょうか……」)
 霞澄が口篭もった矢先、肩が掴まれ口元に指が突きつけられた。
 息を飲む音に全員が振り向くが、奏はその視線に全く動じない。軽く目を瞑ったまま、耳を澄ます。
 无と深墨が符を抜き出す間に、ふしぎと羅喉丸が望遠鏡を探る。霞澄も杖を構え直すと、声に出さずに祝詞を上げた。
(「枝を揺らす風、だけでは無い気がしますけど…… 木が邪魔です。奥は少し開けているようですね……」)
 霞澄の視界に、深墨と无の放った式が反応する。銀糸をまとう蝙蝠の翼は奥へと舞い進み、青い毛並みは右脇に逸れてすぐ動きを止めた。
 どちらもわずかな間を置いて消えると、二人は顔を見合わせしゃがみ込む。
 全員が倣うと、額を突き合わせた円陣が出来上がった。
「目の前の椎の木を抜けると、ちょっとした広場になってるな。天幕張るために拓いたのかもしれないが、今は何もなさそうだ」
 羅喉丸が確かめるように皆を見渡せば、その後を深墨が継いだ。
「広場は大体二十メートルってところかな。一番奥に何故か木の柵が一間だけ立ってて、あとは随分落とし穴があるみたいだ」
 ふしぎは困ったように、広場に面した右端の茂みを指さす。
「見える? 茶色いもこもこが、たまに風と逆に動いてるの。尻尾かな、もしかしたら耳かもしれないけど」
 眉を寄せた无は、こめかみを押さえつつ手を挙げる。
「実は子供の声らしきものが聞こえる。それも『秘密基地』とか『罠だって仕掛けた』とか。『これに化けてみ』ってのも……」
 そちらに向き直るまでもなく、一行は沈みそうになるのを堪えた。それでもにじみ出た安堵が、場を和ませる。
「やはり野営の跡地に向かって正解でした……」
「手間は省けたので良しとしてやろうでゴザル。あとは如何に始末、違う料理……も違うでゴザルな」
 霞澄が胸を撫で下ろす中。奏が更に緩ませそうになる雰囲気を、まずは全力で締め直した。

 怪しい柵ともこもこが覗く茂みは、おおよそ二十メートル離れていた。
 開拓者なら一息掛けずに詰められる距離で、辺りは比較的遮蔽も少ない。もし仮に不意を突かれても、移動阻害の術は何段にも備えてある。
 だから、羅喉丸と无は正面から木柵に近づいて、餌になりそうな食べ物を広げて誘うことになった。
 念のため、ふしぎと奏は広場を避けて後ろに回り込んでおく。深墨と霞澄は、どちらも対応できる場所で援護に備える。
 穏便で友好的、なおかつ確実な手段を取るとなれば、人懐っこく食いしん坊という線を活用しない手はない。皆の見解は簡単に一致した。
「あの落とし穴」
 霞澄が隣を窺うと、深墨は柔らかく笑みをくぐもらせた。
「最後は作るのが楽しかったんだろうなって。数が多すぎるし、茂みから遠い方が上手だなって考えてたらね」
 防衛線のように並んでいるのは、かなり歪な右端の四つだけ。残りは中程に固まっていて、罠として効果があるとは思えない。
 視線を戻した霞澄は、それだけ見て取って納得して。思わずこぼれた笑みを、慌てて袖で押さえた。

(「流石に冷えるな。ヴォトカなら大丈夫だと思うんだが、警戒させてからでは遅いか」)
 无は懐で小瓶を転がしていたが、潔く諦めて手を離した。
 途端に寒風が耳元で鳴るが、堪えてやり過ごすしかない。
(「火でも焚ければ違うんだが。ケモノを手懐けようというのだから、な」)
 網を担いだ羅喉丸が、無言で空いている手を動かした。指さす先を最後に、そこから奥に落とし穴は見当たらない。
(「木柵まで十メートルか。逃げる気なら動いているし、必要以上に刺激する意味も無いな」)
 无は一つ頷くと、静かに背負い袋に手を掛けた。

 奏は目を細めていたが、眠気を堪えているようではなかった。何より、手がわきわきと動いている。
「ちょっと奏、前に出過ぎだよ。もふりたいのは分かるけど、もう少し位置ずらさないと…… ど、どしたの?!」
 ふしぎが奏の肩を揺さぶると、逆にその手を強く握り返された。驚く間もなく、奏の顔が近付く。
「彦三って、拙者やふしぎ殿と同じくらいの年頃だと思っていたでゴザルが……」
 ふしぎはどきばくする胸を気にしつつ、聞いたはずの人となりを思い起こす。
「そう……なのか、な。寺子屋通うくらいだから、勝手に年下だろうって思ってたけど」
 何か思い出しそうになったのに、妙なものを聞いた途端に全て吹き飛んでいた。
 ざらついて低くいけれど。
 何を言っているか全然聞き取れなかったけれども、それは間違いなく人の声。
「あの茂み、思った以上にえぐれているでゴザルよ。ふしぎ殿ほど細くても、隠れるなんて到底無理でゴザル」
 ふしぎが理解し切る前に。
 茂みの向こうの広場から、大きさだけは悲鳴のような、何とも緊張感に欠ける音が響き渡った。

●落とし穴
 反射的に踏み留まった羅喉丸は、足元で何かが破裂したと感じていた。
 同時に、自分より大きな何かが驚いて飛び上がっただけとも理解する。
(「あれだな、水の張った風呂桶に落ちた猫。待ち構えてた訳じゃない。悪気は無いか?」)
 気が抜けそうになる大絶叫に、そんな暢気な考えを浮かべながらも。
 今ここを抜かれたら空を飛ばれるという想像が、羅喉丸を焦らせた。
(「でかいのに結構速い。受け身をとった方が早い、けど間に合うか?」)
 軸のぶれた体が、為す術もなく視線を切る。慌てて割り込ませる踏切の最中に、視界の端で巨躯が撓み、ぶつかる音が重なった。
 だから羅喉丸は肩に担いでいた得物を手繰り寄せ、それを打つ瞬間を計る。

 いきなり地面から膨れ上がった毛並み。蓋が外れて開いた穴には、誰も注意を払わない。
 最初に飛びかかったのは、真正面に立っていた无。
 間髪入れずに走ったのは、深墨の指先から放たれた符。疾く迫る銀の滝に、霞澄が振るった榊と乾いた柏手が後を追った。
 続けて鳴ったのは、梢を揺らす風の音。それは束の間、茶色い熊のような毛並みから弾けて、唐突に消える。
 気付けば羅喉丸の腕に、白銀の戒めが絡み付いていた。
 振り向き様に腕を振り抜いてから。羅喉丸は手を離れない網に呆気に取られ、続いて凛と響いた神気に更に動きを縛られる。
「何が起きてる! 一体……」
 羅喉丸は網を握ったまま、拳を振り払う。拳圧に呪縛は歪むが、解けるには至らない。
 間を置かず、大咆哮が上がった。
 それは一際高く大きく。けれども緊迫感を削ぐ、甘い調子の鳴き声だった。

「何があったの、みんな大丈夫っ?」
 ふしぎと奏が、もがく小さな毛玉を抱えて飛び出した。だがその誰何は、そのまま歓声に変わった。
 膝立ちの无が、自分よりも大きな毛並みにぶら下がっていた。その太い首ごと大きな耳を押さえ込まれたケモノは、だがどうやら目を細めているらしい。
 无はその体勢のまま、片手で合図を送ってみせた。

「これも狸に化かされた、ってことになるんだろうか」
 首を傾げる羅喉丸に、无は擦り傷に包帯を巻きながら無言で応えた。
 取り押さえた狸のようなケモノは、大小合わせて都合三匹。しかし手当たり次第に食料を食べ散らかすと、いつの間にかその姿を消してしまっていた。
 後に残ったのは持ち込んだ覚えのない、天幕の一部に朱藩銃が一丁、そして茶釜が一つ。どれも一人で持ち運べるほどの大きさ重さでしか無く、また手触りも冷たく硬い。
「おかしいな、何か気になるっていうか」
 言葉を途切らせた深墨に、隣を歩く奏が指を振った。
「小狸のくせに渋い声。会いたいと言ったのは、実は兵士の木霊だったのでござろうな。……それはそれとして、結局どれが茶碗に化けていたのでゴザルかな」
 聞き返したのは深墨に留まらなかったが。
 茶碗に化けていた狸はどれか、そもそもこの中にいるのか。満腹なのか食べ物にも反応しなければ、それを安全に確かめる術はなかった。