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■オープニング本文 ●久々の旅路 大粘泥「瘴海」討伐の次に控えていたのは、主を失った魔の森の浄化だった。 前例は「緑茂の戦い」の一件しかない。 だが停滞した瘴気ごと焼き払うことで、生命を拒む不毛な森は甦ることが証明されている。 「対象は立花家領地を含む、武天と朱藩の国境付近。かなりの広い範囲になりますが、一部の軍と氏族は展開を終え、既に魔の森の焼き払いに移っています。アヤカシによる被害報告は、今のところありません」 開拓者ギルドで不寝番を預かる東湖(iz0073)が、手元の資料を見ながら状況を説明する。結夏(iz0039)に手渡されていたのは、職員用の回覧資料。開拓者ギルドに通達された指示を中心に、ここ数か月の動向が大雑把に記されていた。 「入念な準備をされた結果、ということなのでしょうね」 慎重に書面に目を通していた結夏は、幾度か頷いてから顔を上げた。 「結夏さん。経路が被っているかと思うのですが、変更されたりはしないのですか?」 「変更する理由がありません。危険は無いようですけれど、だからといって揉め事が起こらない訳ではありませんし」 そんなものですかと首を傾げる東湖に、結夏は懐から取り出した書付を広げて確認する。 「予定通り旅程は十日ほど。南に出てから焼き払いの西側を回ってくることになります。何かあれば風信術で連絡を入れますので、手配をお願いしますね」 結夏は目を細めて席を立つ。部屋の奥から掛けられた挨拶に丁寧に頭を下げると、軽い足取りで戸口から外に出ていった。 ●爪痕 「冬眠の準備には、少し時期が早いと思うのですが」 「えーとな。いろいろ、様子がだいぶ違うんですわ」 柿の木を見上げた結夏に、おどおどと辺りを見回す男が答えた。結夏が伸ばした手は柿の実を通り過ぎ、歩を詰めて幹に触れる。その指の先、背伸びをしても辛うじて届かないところに、四本の溝が刻まれていた。斜めに付けられた跡一本一本は指が差し込めるほどに深く、結夏がかざす指先から肘ほどに長い。 「わいは熊やと睨んでるんや。えらい高いとこなんが気になるんやけど、まあ、熊は木に登るって聞いたこともあるしなぁ」 結夏は体の影になるように、符を取り出して印を結ぶ。形を失った符が黒い子猫を象り、木を駆け上がって付けられた傷跡に取り付く。結夏は眇める視線を地に落とし、そのままゆっくりと男を振り返った。 「麓にもだいぶ近いですよね。この辺まで熊が降りてくることはあるのですか?」 辺りを窺う姿勢を崩さず、男は唸り始める。 「そういや、ないなぁ。そもそも熊見るの向こうの山やし、反対側いうたら魔の森やったしなぁ」 男が見やる先、山一つ向こうで煙が上がっていた。わずかにこちらになびかせる風が、生木を燻すいがらっぽさを届けている。 「どないする? 他にも何ヶ所か見つけたんやけど、そこも回るか?」 「よろしくお願いします。大丈夫ですよ。熊除けの鈴は鳴らしていますし、火の気配もあります。熊なんて、そうそう出てきません」 結夏は欠片も素振りを見せずに符を放ちながら、男を次へと促した。 ●お八つ時 山から戻ってきた結夏は、村の入り口で三人の子供たちと出会った。警戒を解かない様子を見ても、結夏は逆に笑みを深くする。 「やきいもやきいも。おいしーおいしー」 すれ違う最中、そんな言葉が聞こえてきた。結夏が何気なく足を止めると、子供たちは一斉に体を強張らせ、そして袖や袂からぼろぼろと何かを零す。転がったのは、まだ火を通していない芋や栗の類。視線を向けた結夏を、子供たちはおずおずと見上げている。 「焼き芋は美味しいけど、焚き火は出来る? 手伝わなくても大丈夫?」 子供たちはぶんぶんと首を振ると、慌てて地面にしゃがみこむ。 「あら、かわいい子ね」 一人だけ、まだお腹を膨らませていた子供の胸元から、小さな顔が覗いていた。すんすんと鳴らす鼻は短い。濃く茶色い毛並みをしたそれは、猫のような狸のような顔つきをしていたが、とても長い耳を背に垂らしていた。とろんと潤んだ瞳は黒く、あどけない。 だがあくびをし掛けた顔は、割って入った別の子供の影に隠れてしまった。 「芋は兄ちゃんに届けるんや。朝から畑に落ち葉を積んでるさかい。その、大丈夫なんや!」 それだけ言い切ると、返事を待たずに一斉に駆け出してしまう。 「どうしましょう。合流するまでもないと思っていましたが‥‥」 子供たちを見送ってしまった結夏は、そのまま顎に指を当てて思案するのだった。 |
■参加者一覧
恵皇(ia0150)
25歳・男・泰
葛切 カズラ(ia0725)
26歳・女・陰
菊池 志郎(ia5584)
23歳・男・シ
サガラ・ディヤーナ(ib6644)
14歳・女・ジ
熾弦(ib7860)
17歳・女・巫 |
■リプレイ本文 ●日暮れ前 村に入った一行を迎えたのは、手に鍋ふたとお玉を持った結夏だった。旅装は解いていないが、その上から割烹着を被っている。 「こんな時間にお疲れさまです。既に出立したと聞いて耳を疑いました」 両手のものに気付いた結夏はわずかに口篭もるが、菊池 志郎(ia5584)は気にせず言葉を返す。 「明日の昼過ぎを予定してましたが、物資を運ぶという飛空船を見つけまして。折角なので便乗させていただきました」 「便乗と言うには、随分遠回りだと渋っていた気もするけれど」 不可解そうに首を傾げる熾弦(ib7860)の肩を、葛切 カズラ(ia0725)がぽんぽん叩いて笑う。 「馬も龍も使えないんじゃ仕方ないじゃない。それに結局、皆が嬉しい思いをしたんだし」 隣のサガラ・ディヤーナ(ib6644)が何か尋ねようとするのを、恵皇(ia0150)は不自然な咳払いで制する。 「あー、どうしたもんかな。腹拵えを済ませたいのも山々なんだが‥‥ まずは色々、片付けた方が飯も美味いんだろうな」 恵皇が顎で示した先で、遠巻きに出来ていた村人の輪をゆっくりと割る人影があった。幾分白髪の混じった年輩の男は、足取りこそ落ち着いているが顔色は余り良くない。結夏が村長さんですと小さく告げると、改めて自分の格好に目を向けてから困ったような笑みを浮かべた。 「村長さんのお話は、この集会場で伺うと良いと思います。私はその、火の始末をしてきますね?」 そそくさと水場に向かう結夏を目で追う恵皇は、カズラの問いた気な視線を受けても怯まなかった。 「献立を聞き忘れたなって思ってよ?」 「何が出てきたって喜ぶくせに」 呆れた様子でため息をつくカズラに、恵皇は堂々と違いねえと頷いてみせた。 「もう少しでええから、お互い距離を取れたらなあ思っとります」 挨拶もそこそこに、まずこの騒動をどう考えているかを尋ねると、村長は静かな口調で切り出した。 「この村にも煙は届いとります。辺りが火と煙で溢れたら、縄張り移ろうっちゅう気持ちも分かるんですわ。魔の森がのうなれば焼き払いも終わるし、元の森かて住み良くなる。それまでほんのちょっと、時間と距離が必要なんやないか、そう考えとります」 「うーん。村長さんは、話が通じる相手だとと思っているのですか〜?」 「まさかアヤカシ相手にそれで済むと思っていないのだろう」 サガラと熾弦の問いには、ゆっくりと首を振る。 「ここも山一つ向こうは魔の森、アヤカシやないとは見当付けとります。そやけど、滅多ない大物いうんも間違いないんですわ」 「懸念も意向も尤もだと思います。妥当かどうかは、今のところ相手によるとしか言い様がありませんか‥‥」 志郎が慎重に言葉を選ぶ。カズラが思案しながら口を開きかけると、賑やかな声が表を駆け抜けた。 「明日は僕たちの番や!」 「栗も焼くでー」 「かきももぐー」 思わず顔を見合わせ中、熾弦は軽く手を挙げて問う。 「柿と聞くと、あまり穏やかではないのだけれど」 志郎も静かに頷くが、視線の先の村長は笑って首を振る。 「山とは村を挟んで反対側の畑ですわ。ここ数日、山に入るん止めさせて、代わりにそこで焼き芋させてますんや」 ふむと呟いたのは恵皇だったが、サガラは更に首を傾げてその袖を引くのだった。 ●森の朝は短く 「勤勉なのは良い事だと思うのですが」 「本当に厄介な煙ね。朝の気配も台無し」 志郎の独り言に、熾弦も口元を押さえてため息をこぼす。山の空気は冷たく乾いていたが、既に薄く煙っている。 「尾根はそろそろ越えるはず、多分相手の縄張りは目の前よ? まあ煙の溜まり具合によっては、作戦立て直しもあるかもだけど」 カズラは丸めていた紙束を解いて指で辿る。村と書かれた丸印から沢に下り、そのまま尾根を登っている。道行きには幾つか注釈が付いていたが、基本的に真っ直ぐと言って良い線が引かれていた。他には三つの朱印を緩く繋いだ線が引かれていて、これは二つ目の尾根の背の部分で交わっている。 「今のところ瘴気は感じられないけれど‥‥ 油断は禁物」 熾弦の言葉を聞き止めて、カズラはそれを地図に書き付ける。 「一筋縄って訳には、いかないかなぁ」 カズラが丸め直した地図で肩を叩いたけれども、気の抜けるような音は濃くなる煙に紛れてしまうだけだった。 先頭を歩いていた志郎の視界が急に開けた。木々が途切れて日が差し込み始め、数歩の間に白い視界も晴れる。斜面は下りに変わり、見下ろす先は赤や黄に色付いている。晴天に映える、鮮やかな秋の山が広がっていた。 「この眺め‥‥ いえ、惜しんでる場合では無いみたいですね」 我に返ったように志郎が目を閉じると、熾弦が手近な木の周りを探り始める。 「瘴気も変わりないかしら?」 尋ねるカズラと応える熾弦に、志郎は振り向きながら口前に指を立てて注意を促す。二人の視線を受けると、しゃがみ込んで指で地をなぞる。 『声が聞こえます』 少し間を置いて志郎が綴り続ける。その顔には困惑が浮かんでいて、それは直ぐに二人にも移った。 『焼き払えって聞こえます』 『どっち?』 短く書いて聞くカズラに、志郎は風上に広がる森を示す。道は無いが、それは今までと変わらない。下草は枯れていたが、落ち葉は以外と少ない。 短く口の中で呟いた熾弦は、首を振ってから無言で問う。カズラが躊躇いもなく志郎が差した方向を示すと、一行は慎重に歩を進め始めた。 最初聞こえたのは、ふいごがわずかに軋むような音だった。それは近寄るにつれて、無防備に幾つかの音に分かれた。低く喉を鳴らす音、甘い寝息、それから掠れたような言葉の切れ端。 「やきはらえ」 不意に熾弦が身体を強ばらせた。隣のカズラの顔にも、同じく驚きが張り付いている。志郎だけが平然と、木々の合間を指差して振り返る。 (「見えますか。もこもこしたものが垂れてます」) 口の形だけで伝える志郎に、カズラは腰の後ろに手を伸ばしてくねらせる。志郎は顔を赤らめて頷くが、カズラは首を振って指を二本立てる。三人の顔から疑問が消える前に、また小さな声が聞こえた。 「ちくしょう、けむりがめにしみるぜ」 顔を見合わせた三人は、それぞれ静かに地面に字を書く。 『尻尾ですよね』 『大きな猫又かしら?』 『寝言っぽい』 三人はしゃがんだまま各々の字を追って、そのまましばらく動きを止める。 (「話し掛けます? 寝起きが悪くないと良いんですが」) 頬を掻く志郎が動きを止める。丁度木々の奥では、揺れる毛並みがふっくりと膨らんでぱしりと幹を打ち据えた。 ●煙立ち込める畑 「わー、本当に焚き火でお芋を焼いてます〜♪ 煙もすごいけど、いい匂いです〜♪」 木枝で焚き火をつつく子供たちが見えてくると、サガラは満面の笑みを浮かべて駆け出していた。 「ねえねえ、ボク焼き芋って初めてなんです、混ぜてくださいです〜?」 その一途に舞い上がった様子に、子供たちは身構える暇もなかったらしい。焚き火を囲んだ一団からぎこちないながらも、直ぐに歌が聞こえ始める。 「焚き火は予定通りとして。‥‥どうしたもんかな」 サガラを見送った恵皇は、手近な木に背を預けてようとして止まった。 周りに幾つか残る焚き火の跡は、丁寧に水を掛けられていて危険の心配はない。竹竿を持って駆け回る子供も、高いところにしか残っていない柿の実を取る為なのは分かる。 奇妙なのは、その間を駆け回る一つの小さな毛玉だった。ふさふさ丸くて子供が抱えられるくらいの大きさをしたそれは、色は黒っぽいが背には濃い茶色の縞模様が出ている。 尻尾は丸く太い。短くはないが、頭から尻尾まで届く耳の方が、細く長く風になびいている。かと思えばその耳を大きく膨らませて、ばたばたと扇いでみせたりする。そのまま前足を浮かせて二本の足で立つこともあって、よく見れば後ろ足の方ががっしりしている。 「やきいも、もぐー?」 何よりその黒っぽいモノは、何故か人の声を発していた。ほとんどが掛け声で言葉として意味を成していなかったが、舌足らずな調子は可愛らしくて楽しげで、迫力といえば全く無い。 「‥‥爪は良く見えねえんだけどな。まあ、それはどうでも良いか。いや、良いのか?」 「恵皇さん!」 一通り観察を終えて背を伸ばす恵皇の元に、サガラが慌てて戻ってきた。 「その、やっぱり山の方で見つけたらしいんです」 「まあ普通の里にはいねえよな、多分。危険は無さそうだが‥‥ まあ野に返した方が良いんだろうな」 何気なく頷く恵皇に、サガラは激しく首を振った。 「あの子じゃなくて、あの子『たち』って。子供たちは何匹か拾ってきていて、まだ他にも居残りの子たちと村にいるって」 唐突に遠くから、低く鈍く間の抜けた音が響いて、そして途切れた。 勢い良く吸い込んだ息を、恵皇は殊更ゆっくりと吐いたようだった。 「どっちかっていうと、風上はこっちだ。あの毛玉はここに置いていくより、届けた方が安全だと思う。どうだ」 姿勢を屈めた恵皇は、静かに足裏を地にめり込ませる。だがわずかに思案したサガラも負けずにその目を見上げる。 「いきなりお別れは寂しい‥‥ いえ、やっぱりないと思いますです」 「殴り飛ばして終いも無しか。まあ、ケモノの一匹くらいなら何とか」 サガラが声を上げると、恵皇も途中で顔をしかめた。 「‥‥先に行かせてくれ。時間は稼ぐが、長く待てるか分からねえ」 「分かりました。直ぐにあの子は連れていきますです。だから」 恵皇は最後まで聞かずに畑を飛び出す。サガラもそこまで言って口を閉じると、懐から出した銃を空に向けた。 ●跳び鳴く毛玉 「めしすくない」 紅葉を盛大に散らしながら、樹上を影が跳び回っていた。 「りょうまずい」 時々吐息に混じる言葉は平坦で、意味を読めなければ意図も伝わってこない。 「でも不思議と荒んだ感じはしませんよね。あと変な訛りもないです」 「遊んでるつもりなのかしら」 志郎は落ち着いたまま、熾弦も仕方ないという仕草を崩さない。 「悪気はなくても迷惑でしょ。んー、史郎さん軌道読めそう? 熾弦さん葉っぱだけ払えない?」 志郎は苦笑しながらも頷くと、指を振りつつ間を計る。 呼吸を合わせた熾弦が扇子を構えた掌を捻り込むと、舞い散る木の葉が吹き抜けて青空が覗いた。 そこに飛び込んできたのは、人よりも大きく黒い毛並みだった。四つ足を伸ばした無防備な格好は、だが丸まるよりも速く視界から消える。 「‥‥ええと。何もない宙を、蹴った?」 熾弦が言い淀むと、カズラがそれを引き取る。 「蹴ったは正しくないかも。位置的には耳だったし、何か膨らんでたけど」 志郎が首を振るそばから、また木々を跳ね回る音と共に紅葉が降り始める。 「向こうはもう、こちらに興味津々みたいですね。先程より少し離れているところが余計に始末に負えないと言いますか」 少し考えたカズラは、それでも悪びれもせずに言い切った。 「でもまあ。そのくらいの方が仕置きのしがいもあるってものじゃない」 満面の笑みで同意を求められたが、志郎と熾弦は曖昧に受けて木々の奥に視線を逸らした。 「ひゃう?!」 小屋を回り込んだサガラに、黒い影が飛び付いた。額にへばりついたそれは、高らかに一声鳴く。 「やき、ぐーりー」 そのまま肩に降りて首筋を回り始めると、両手に抱えられていた毛玉もその後を追う。何とか踏み留まりながらもよろけるサガラに、今度は賑やかな笑い声が弾けた。 「え、え、え?!」 伸ばされた手が、無造作に二匹の毛玉を引き剥がす。二、三度目を瞬かせたサガラが、他に村の大人たちがいることに気が付いて動きを止めた。一呼吸置いてから顔を向けた先では、恵皇は苦虫を潰したような顔をしている。 「いや、なんかこのちっこい毛玉に和んじまっててよ。ブブゼラ鳴らしたのも、これを知らせるためだけだったってよ」 「はぁ。‥‥そうなんです、か?」 ぽかんと開いた口が、次第にへの時に結ばれる。だが手足をじたばたと振る毛玉が無邪気に鳴いて止めを刺す。 「ぷー」 「ぷうって‥‥」 「深く考えたら負けなんだろうさ」 恵皇が投げやりに応えると。サガラは遠慮のないため息をついて肩を落とした。 |