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■オープニング本文 ●浮小厄 自分が何をしているのか、思い出せなかった。 誰かに命令されて来た気もするし、何となく集まってしまっただけかもしれない。 途中で同じような奴らを見た覚えがあった。ということはやっぱり、最初からここにいた訳ではないのだ。 ‥‥で、自分は何をしようとしているのだったっけ。 不安は無かった。地に足が付いていないのは気にならなかったし、他の奴らも同じらしいし。 それに周りを舞っている雪も、暖かくて気持ちがいい。 ‥‥でも腹の足しにはならないと思ったら、全部台無しだった。とても悲しい。どうしよう? 不意に、何かに押された気がした。 ‥‥ああ、そうか。この先には、ここには無いものがあるんだ。 なんだか踊りたくなった。叫んだり、腕を振り回すのも良いかもしれない。 ‥‥でもどうしても。どうすれば良いのか、思い出せなかった。 ●速侵攻 「白牧の、西?」 「遠くからですけど、望遠鏡で確認したので間違いないです。相変わらず、雪は降っていません。でも何時の間にか、旗も荒縄も消えていました」 西渦はしばらく放心したものの。風信術の先の相手に問われる前に問い返していた。 「東側は?」 「指示通り、近寄っていないので分かりません。でもすく少なくとも、南西から南に掛けては柵は残っています」 西渦は唇を噛むが、発した声に焦りは感じさせなかった。 「監視は今まで以上に密に、でも距離は取って行うように。それから宗樹と早瀬の隊にも知らせておいて」 「分かりました」 風信術が切れた後、しばらく黙り込んだ西渦だったが。何かに思いついたように顔を跳ね上げると、席に戻り掛けてから、書庫に駆け込んでいった。 「厄介な事になりそうね」 地図の写しに筆を入れながら、西渦は考え込んだ。氏族「冬葛」と但し書きの付いた図には、四つの地域と二つの川、そして三つの印が打たれていた。 地域はおよそ北から時計回りに「二瀬川」「早瀬」「宗樹」「白牧」と並んでいて、早瀬の北を流れる「来見川」と白牧の西を流れる「灯実川」が二瀬川で合流している。 印はそれなりに離れているものの、白牧・宗樹・早瀬の近くに打たれていた。 「てっきり、魔の森は合流する風に動くと思っていたんだけど。このままだと、灯実川が飲み込まれる‥‥」 魔の森には生物が極端に少ない。詳しい原因は分かっていないが、下流域の水源に影響がでないと考えない方がおかしい。魔の森を迂回するための治水工事など、資金の面でもアヤカシ襲撃の危険性からも、到底一氏族の手に負える話ではなくなるだろう。 「もう少しで賞金首の申請も通るっていうのに。‥‥流石にもう『高級料亭お二人様宿泊券』は通用しないわよね」 少し額を欲張りすぎたかしら、と一瞬だけ省みてみたものの。頭を振ってそれを追い出すと、残っている予算で集められる開拓者の数を計算し始めた。 |
■参加者一覧 / 恵皇(ia0150) / 葛城 深墨(ia0422) / 桔梗(ia0439) / 柚乃(ia0638) / 鬼啼里 鎮璃(ia0871) / 天河 ふしぎ(ia1037) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 和奏(ia8807) / オラース・カノーヴァ(ib0141) / 无(ib1198) / 羊飼い(ib1762) / 志宝(ib1898) / 十 砂魚(ib5408) / 黒木 桜(ib6086) / 羽紫 稚空(ib6914) |
■リプレイ本文 ●再検討 「早瀬の西にある社は、栗の精霊を祀ったものらしい。去年は豊作、今年の春先にも掃除には出向いているって話だ」 无(ib1198)が懐から手帳を取り出すと、代わりに狐のようなケモノが胸元に潜り込んで、それから顔を覗かせて鳴いた。 「栗の‥‥ 精霊様?」 首を傾げる柚乃(ia0638)に、无は続けて応えた。 「ああ。御神木に注連縄、それから小さな石の祠があるだけって話らしい。‥‥どうだろうな、今年も間に合うと良いんだが」 突然話を振られた礼野 真夢紀(ia1144)は真剣に頷くが、何かに気付いたように赤面してしまった。 「焼き栗、栗きんとん。甘露煮の乗った善哉も美味しいもの。‥‥柚乃も頑張るの」 柚乃に熱心に見つめられると、真夢紀は更に真っ赤になって俯いてしまう。 「そうですねぇ。いわくが無いにしても、良い目標に違いないとは思うんですよねぇ。どうですか、まずは仮の目標にしてみては」 秋じゃないのが残念ですと首を振るのは鬼啼里 鎮璃(ia0871)。だが上目遣いの真夢紀に気付くとのんびり謝り、僕も栗は好きですよと屈託無く笑ってみせた。 「なぁ、西渦。今日は『高級料亭お二人様宿泊券』って出ないのか?」 「えっ、そんな副賞があるんですか?」 頃合いを見計らった恵皇(ia0150)の問いは、一緒に地図を囲んでいた志宝(ib1898)の注意を隣の卓から引き戻した。 「あなたには前回渡したじゃない。‥‥ま、換金したのを頭分けじゃあ、あんまり意味も無かったかしら」 書き掛けの書類を前に唸る西渦の前に、紙束と巻物を抱えた葛城 深墨(ia0422)と桔梗(ia0439)が相談を持ち込んだ。 「西渦さん。壷の破片が見つかった場所って分かるかな。あと、実物も見れると嬉しいんだけど」 「俺は蜂っていうの、少し気になってる。以前依頼で行方不明になった蜜蜂って、淵東のどの辺りだろう」 広げた巻物は、書庫から持ち出してきたらしき冬葛の全体地図。紙束は先の依頼で開拓者が作った部分的な測量図。全体図の写しを取りながら、西渦が手際良く朱を入れる。 「賞品は二班と四班が発見と。二瀬川と白牧の北部で、ここは一応安全地帯ってことですね。壷の破片は宗樹の北で‥‥」 手と一緒に声を止めてしまった深墨の後を、じっと地図を見つめていた桔梗が継ぐ。 「‥‥淵東の、西?」 「少し南よりだけど。うん、確かに西ね」 ふむ、と考え込む一行だったが。その中で志宝だけは、やっぱり隣の卓の甘見の話が気になるようだった。 「虎口であることは百も承知ですの。でも、向こう側には黒幕が潜んでいると思いますの」 「そうだよね! 白牧だけ雪が降ってないのも、変な術が絡んでいるのは間違いないんだし」 十 砂魚(ib5408)の口振りに、天河 ふしぎ(ia1037)は両手を握り締めて、力一杯同意する。 「少し人数が少ないように思います。‥‥でも、こんな所で手を引く訳には参りません」 心配な素振りを見せながらも、黒木 桜(ib6086)も引き下がるつもりはないようだった。 (「こりゃ、ちょっとやばいかも知れねぇな」) 少し離れた位置から、桜の後ろ姿を見つめていた羽紫 稚空(ib6914)が心の中で呟いた。敵の正体は分からず、だが危険な事だけは確実だった。そこに最愛の人が躊躇わずに向かおうとしている。 (「覚悟、しといた方が良いんだろうな」) だがふわりと翻る袴を目で追ってしまってから、慌ててそれに気付いて目を逸らす。 「てめえ、何見てやがんだ!」 桜に背を撫でられていた管狐が、その仕草を見逃さずに頭突きをくれてきた。 「‥‥纏まらないですぅ。ま、仕方ないっかなーとは思いますケド」 むー、とふくれて一行を眺めていた羊飼い(ib1762)は、だがそれでもこっそりと、ため息をついた。開拓者が攻めに回る性分というのは、人に言われるまでも無く自明であって。だからこそ、今回は一歩引いて事態を見ておこうと思ってみた。 「そういう役回りも必要なのですよー」 少しも寂しくないですよーと強がる羊飼いの後ろから、男の声が掛かった。 「気になることがあってな。少し広範囲の調査をしたいと思っているんだが、おまえも同じ考えなのかな?」 オラース・カノーヴァ(ib0141)の言い様に羊飼いが驚いていると、ちょこんと付いてきていた和奏(ia8807)が続ける。 「久しぶりに颯を連れ出してやるのも良いかなと思いまして。あと多分、一人で動くのは危険ですよ」 帰るまでが依頼ですよねー、と極上の笑みを浮かべながら二人の手を取ると。あっという間に機嫌を直した羊飼いだった。 ●宗樹塒 下草の上に薄く積もった雪を踏みながら、恵皇は宗樹の北西に留まる魔の森を一人で歩いていた。そう遠くない空を、志宝と相棒たちが旋回しているはずだった。だが足を止めて耳を澄ましても、届くのは痛いほどの静寂のみ。微かに降る雪も目の前で解けて消えて、地に積もる音すらない。 (「‥‥少し早まったか?」) 包帯で覆った口元を撫でながらも、恵皇は再び足を進めた。一旦戻るより、このまま突っ切った方が早い。それでも、まず森を出ることを考えた方が良いだろうか。断斧は名を呼べば、それこそ空を翔け付けて来るはずだった。 「まさか声が届かねえ、ってことはないよな」 思った以上に乾いた笑いに驚いたのと同時に、踏み出した左足が空を切った。咄嗟に抜くより足を踏み込んだが、返ってきたのはぐにゃりとした足応え。そして引こうとした時には既に足首の辺りまでがっちりと、何かに包み込まれて寸毫たりとも動かなかった。 踏み込んだ右足だけが地にめり込む。脱力するという訳でもない。だが左足の感覚が、いや意識自体が徐々に、遠退き始めた。 (「拙いっ」) 声を張り上げようと吸い込んだ息が、喉に絡みつく。だから肺に残った呼気を、口先に当てた指に力一杯吹き付けた。そしてわずかに残した余力を全て、固めた拳と共に地に叩きつけていた。 空を舞う志宝は度々意識を凝らしてみたが、何かを捉えることはなかった。 雪は不思議なことに、足元から吹き上がってくる。掬ってみようといくら手を延ばしても掠りもしなかった。下にかざした手の平は温かく、日差しに溶けているのではないように思えた。 「これが普通の雪なら、涼しくて良かったんだけどね」 恵皇の相棒である断斧が、不意に身を翻した急降下を始めた。耳は澄ましていたつもりだったが、合図が聞こえた覚えは無い。それでも、志宝は即座に辰風の首筋を軽く叩いた。正しくその意を汲んだ相棒が、一声鳴いて宙に身を躍らせる。 すぐに断斧と、その先に地を打った姿勢を変えない恵皇の姿が目に入った。断斧から垂らした荒縄は恵皇の目の前を、掴まれる事無く通り過ぎしまった。 「辰風、ここで待ってて!」 志宝は返事を待たず、飛び降りながら抜刀した。恵皇が固めた両手は、左足と一緒に半ば地に隠れている。もう一度意識を凝らすが、その先に何かがいるようには思えなかった。それでも、何もいない訳がない。 「当たったらごめんなさい!」 逆手に持ち直した刀に青白い燐光を宿らせ、志宝は一思いに突き立てる。土よりは硬い、だが石とも鉄とも違う手応え。練り上げた水飴のような感触ながら、その先には透明な何かがたゆたっていた。恵皇の手足も埋もれるというより、唐突に消えて無くなっているように見えた。 徐々に進む刀身に、志宝は何度も気を込め直す。息を吸うのを忘れるほど、手元に意識を研ぎ澄まし続けた。 不意に両手が突き抜けて前のめりに身体が流れたが、まだ恵皇はぴくりとも動かない。だが透明な何かは動き続けていて、ついには恵皇の肘先までが透けていた。志宝は思わず叫びながらも、両手を添えた柄に力を込め続ける。 「恵皇さん‥‥ 恵皇さんっ!」 最後の最後まで力を振り絞ったその先で、ようやく手の先の抵抗が弱まって消えた。そして同時にぐらりと、恵皇の身体が傾く。物も言わずに仰向けに倒れた恵皇は、だが手足共に外傷は無く、その視線を志宝に向けていた。言葉を発する余力は無い様だったが、弱々しくとも目を細めて苦笑いをしている。 「‥‥二人して、無茶しちゃいましたね」 まだ強張ったままの声で志宝が呟くと、空から龍の呼ぶ声が重なった。 見上げた空は雪が薄れ始め、淀んでいた瘴気も薄れ始めているようだった。 ●早瀬社 早瀬の村に寄らず、魔の森には北側から入ることになった。入り口でまず、持参した容器に『雪』を詰める。 「この『雪』を届けるのは、陰陽寮‥‥ それとも、開拓者ギルドが良いのでしょうか?」 「両方に送れば良いじゃないか。互いに気にする所は違うだろうし、量を確保すれば済むことだしな」 小さな壷を用意した柚乃に対して、无は水筒にみっちりと詰めている。 「あの、あんまり触らないようにしてくださいね。気分が悪くなったら言ってくださいね?」 真夢紀は用意した木箱で、直接地面を掻いている。積もった『雪』は案外固まっていたが、すぐにさらさらと崩れ始めていた。そしてわずかな風に白粉のように舞い上がるが、宙にある間に空に解けてしまう。 「中々趣はあるみたいですが、油断は禁物というところですねぇ。さて、そろそろ社に向かいましょうか」 鎮璃は各々が荷物を抱え直したことを見て取ると、先立って魔の森に入っていった。 しばらく歩くと、やっと茣蓙を敷けるくらいの空き地が見えてきた。地には一面、雪が積もっている。並ぶ木立の一つに注連縄が掛かっているのが見て取れ、その根元には石の祠が半ば雪に埋もれていた。そしてその前に。確かに木箱のようなものが一つ、無造作に転がっていた。 「どう? あたしはよくわかんないんだけど、ぜったいあやしいよね?」 耳をひくつかせた管狐の伊邪那が、柚乃の耳元で囁いた。瘴気を辿る結界は森全体に薄く反応が合って、雪を被っている木箱が特に怪しいかは判別できない。術を見抜く術視でも、何か掛かっているようには思えない。柚乃が答えに窮していると、无が符から狐に似た小動物を作り出した。 「木箱を調べない訳にはいかないが、足場も広い方が安心だろう。ちょっと待ってな」 まずは人魂を数往復させて木箱までの安全を確認する。そして再び召喚した人魂を木箱に近づけた。 最初はちょんと足先で突かせる。だが反応が無いと見て取ると、鼻面を押し当て転がしてみせた。かちゃりとなった音から、布か何かと一緒に詰められた、陶器の類が連想出来た。 顔を見合わせた一行は、无を先頭にそろりと木箱に近付く。木箱と戯れるようにその周りをぐるぐる回っていた式が消えると、无がその木箱を掴み上げた。 「封緘は付いたまま。智里って商人らしき名前も残ってる。当たりだな」 「无‥‥さん?」 震えた真夢紀の声に、皆の視線が集まった。だがすぐにその先、无の手元に移ると、誰もが息を呑んだ。木箱から透明な何かが音も無く滴り始め、それを受けた无の右手は木箱と一緒に、徐々に霞んで透け始める。 「二人とも! 術ですか?」 上がり掛ける悲鳴を遮って、鎮璃が抜刀しながら二人の巫女に問う。真夢紀も柚乃も祝詞を上げて、わずかに躊躇してから首を振った。その間に无は木箱が有った位置を振り払おうとしたが、何も無い空で左の手の平が止まると、続けてその先も消え始める。 「ナイ、符を口元まで」 それまで一度も顔を出さなかったケモノが、勢い良く胸元から飛び出して无の腰元まで駆け下りる。そこから符を一枚引き抜き、鼻先まで駆け戻って差し出した。无は一度唇に挟んでから吹いて飛ばす。それは球形の瘴気の塊りへと変わり、わずかに无の腕を削ぎながら、透明な何かを抉った。 一瞬だけ、右の手首が覗いて、また消える。続けて差し出された符から視線を切り、无は鎮璃に声を掛ける。 「実体はある。やってくれ」 最後まで待たずに振り下ろされた刀は、鈍い音を立てて宙にめり込んで止まる。 「柚乃さん! アヤカシがいます、まだ閃癒は駄目です!」 「あたしにまかせてよ!」 柚乃が構えた杖を真夢紀が押さえると、泣き出しそうな柚乃の肩口で伊邪那が胸を張る。刀が引かれたその跡に、雷撃が走った。続けて真夢紀が閉じたままの扇を振り抜き、その先端に集めていた力を尾を引かせながら打ち付けた。 无は既に膝を付いている。手首を飲み込んだ何かは動きを止めずに、少しずつ腕を這い登っていた。それでも次第にその奥に、无の手が霞み現れ始めた。 「もう一息です! 伊邪那も、皆も、頑張って!」 柚乃の懸命な応援に後押しされて、一行は持てる力を振り絞った。 「これだけじゃないと、思うんですよねぇ」 木箱を放り投げてへたり込む无。その元に駆け寄ろうとする柚乃を、鎮璃は押さえて呟いた。意識を澄ませても、何ら反応は無い。けれども目線は、広場の地面に向けられていた。 「私は、まだ大丈夫だろう。きみたちも、鎮璃を手伝ってくれ」 動かない手の代わりに、ナイが小瓶を口元に運び、腕に薬草を当てて回っている。鎮璃が放った包帯をナイが巻き始めるのを見て、ようやく柚乃と真夢紀が踵を返した。 「あれです。どう思いますか?」 鎮璃が指す先。広場の縁に当たる部分に、両手で囲めるくらいの水溜りらしきものがあった。それはどうやら、氷が張っているように見える。 「‥‥え? あの辺りって、先程まで『雪』が積もっていませんでしたか?」 真夢紀が思わず声に出していた。視線を巡らせると、慌てて術を唱えた柚乃に続いて、伊邪那も耳を澄ます。 「あの氷、瘴気を感じるのね」 「そうなんだよね。あからさまに、へんだよね」 「とりあえず、手伝ってくれるかな? 无さんの手当て、早くしたいしね」 やれやれと呟く鎮璃は、木立の奥にも似たような凍ったように見える水溜りを見付けていた。だが最初の一つに手早く刀を突き立て離れると。わずかながら、辺りの瘴気が晴れるのを確かに感じ取っていた。 ●白牧風 一行は街道筋で飛空船を降り、なだらかな道無き丘を進んでいた。生い茂った牧草の上を、ゆるやかに風が流れている。左奥には杭と縄で作られた柵が見え始め、それが途中で切れているのも見て取れた。 先頭を歩くふしぎが、唐突に手を横に伸ばした。俯き加減の表情は見えない。 「何かが風を遮ってる。‥‥あの辺かな」 真正面を指されても、桔梗は首を振り、稚空も肩を竦めた。 「瘴気は流れてる、けど」 「ああ、何かいるって感じじゃねえぜ。‥‥でも、いるんだな?」 ふしぎはしゃがみ込んで小石をいくつか拾うと、皆に向けていた視線を前に戻した。 風が吹き抜けた後を見計らって、その左腕が振り抜かれた。小石は何もない空で、ぽふっ、と音を立てて受け止められ、そして地に転がった。 「あ‥‥れ?」 予想外の反応に、ふしぎは思わず右手で抜き掛けた霊剣を途中で止めてしまう。だが間髪入れずに桔梗が祓った先では、仮初めの景色が崩れた。青々とした草原には薄い白化粧が施されてゆく。緑はくすみ、それは乾いて枯れていた。そして小石が止められた場所には、竿をしならせた旗が姿を現した。 「付喪神の、それも擬態って奴かな?」 物珍しそうな声を上げつつも、深墨は術を編み始めていた。だが旗が飛び跳ねる前に、その竿が銃撃に叩き折られる。 我に返ったふしぎが更に手を閃かせ、その後を桔梗が続けて杖を振るう。すると似たような景色が次々と露わになった。 「杭に、縄‥‥ですか。その、邪気の割には‥‥」 口籠もる桜の気持ちは、皆の気持ちを正しく代弁していたのだが。だからといって、誰も気を抜くつもりは微塵もなかった。 「すまねぇ、相手を変わってくれ!」 「任せてくださいですの!」 稚空が下がると、返事と同時に砂魚の銃撃が響いた。縄の付喪神は簡単に断ち切ることが出来たが、その切れ端が次々と動き始めていた。短く身を捩る厄介な的だったが、砂魚は正確に相手を穿つ。相応に数を増やしていたが、ふしぎや深墨の援護が加わると、その数をあっさり減っていった。 「ははっ、わりぃ‥‥」 最初の違和感は、その独特の硝煙の香り。だが気付いたのは、唯一後ろを振り向いていた稚空だけだった。風に流れて舞い散る、白くて小さな、華のような欠片。その中を横切る、薄い影。言葉の途中で、稚空は砂魚の後ろに向けて、咄嗟に剣を投げていた。刀身を柄まで埋めて、両手剣は影を宙に縫い付ける。 「桜っ!」 続いて目に映った影を追って、稚空は躊躇いもせず、桜の背との間に体を割り込ませていた。受ける得物は手元に無い。何かを考え付く前に、稚空は固めた両手で宙を薙ぎ払っていた。 「稚空っ?!」 半ば突き飛ばされた桜はその行動に驚き、そして相手の姿を認めて悲鳴を上げた。稚空は苦悶を零しながら身を捩らせている。その両手は手首から先が見えず、半ば透き通る雪玉に見えるそれは、稚空に振り回される度に雪を撒いていた。 「桜さん、稚空君を抑え込んで!」 不意に動きを止めた稚空の腰に、桜は必死になって抱きついた。その横を走り抜けた風が稚空の腕ごと、その雪玉を跳ね上げた。ぼろり、と何かが剥がれて落ちる。それは地に落ちる前に溶けて消えてしまう。だが誰も、それを見ていなかった。 「‥‥小鬼、ですの?」 出来た隙間は、すぐに埋められて見えなくなった。だがその奥に見えたのは、何の変哲も無い小鬼。手足を丸めていたが、決して見間違えようが無い、小物のアヤカシだった。 黒髪を靡かせた銀色の式が、雪玉に絡み付いて囁いた。今度は稚空の手ごと、ぼろりと表面が剥がれる。深墨が声を掛けるまでも無く、砂魚がその隙間を打ち抜いて広げる。その雪球は動きを止めて、その姿を薄めてゆく。 「まだだ! ここで逃がしちゃ、いけない!」 桔梗がその光景を祓うと、空に消えかける雪玉の一部が急に鮮明になった。白い破片を曳いて遠ざかる雪玉は、その奥にやはり小鬼が透けて見える。 不意に、空から雪が舞い始めた。その雪が、崩れかけた雪玉を掠める影の軌跡を残して見せた。三つ、四つ、五つと通り抜けた先に、最初の雪玉は残っていなかった。雪は、次第に強くなっていく。 「桜、治療は後回しだ。俺の手に武器を縛り付けてくれ」 鞘しかねえなと舌を打った稚空は、涙を溜める桜に気付いて表情を緩める。 「使ってください。‥‥後で、ちゃんと返してくださいね」 包帯と共に槍を放った深墨は穏やかな声を掛けながらも、他の面子と厳しい顔を見合わせていた。どの顔にも『数が多い』と書かれている。 (「これで大体、正体は分かったかな。問題は帰れるか‥‥ って違うか。どれだけ数を減らせるか、だよね」) 少し人事のように考えて少し気を紛らせると。深墨は最適を求めて、策を練り始めた。 ●隣接空 何かを考え込んでいた羊飼いは、ぽんと手を打って叫んでいた。 「分かっちゃーいましたよ。風です、お天気! 実は単なる偶然と見ました!」 「‥‥そうだとして? その考察は今現在、何かの役に立つのかな?」 オラースの口調には皮肉が篭っていたが、何処と無く楽しげだった。 (「ま、大きな魔術は使う機会も少ないでしょし、まだまだ余力もありそだし」) 羊飼いは勝手にそう解釈すると、次の答えを探すために観察と思考に戻った。 「えっと、それは‥‥ その‥‥ 風下は危ないと?」 颯に乗って雪舞う空を駆けながら、和奏が切れ切れに尋ねた。相手は小さいが、とにかく数が多い。それでも無造作に刀を振るっては、一刀の元に切り捨て続けていた。 「‥‥そう簡単にはいくまい。基本的に自動的なのは認めるが、それは龍の羽ばたき一つで影響が出るということだろう?」 オラースが詠唱を終えてから口を挟んだ。空には火炎が巻き起こり、それが大きく爆ぜて弾けて降り注ぐ。宙に舞う何もかもを、一瞬で焼き尽くして浄化する。それでもすぐに、その場には雪が舞い始める。 「見た目に反してー、吹雪の方が効っくみったいっと♪」 何だか羊飼いは嬉しくなって、歌うように声を掛けていた。 「勝機は我々にありですぅ! ここで迎撃するだけの攻撃力と余力は、あると判断しましたっ!」 主に勘ですけどっ、とまでは声に出さない。けれども、ある高度以上からは雪が降ってこない。明確な悪意が見られない以上、退路は確保できたと見て良い‥‥ と思うことにした。 「さーあさあ、追い込むのはお任せなのでーすよぅ! 景気良く、薙ぎ払っちゃってください〜」 一応確認のために上空に人魂を飛ばしつつ。羊飼いは小さく透明な氷玉の大群に向かって、遠慮の欠片も見せずに、容赦なく二人をけしかけた。 |