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■オープニング本文 「泰国はどう? 今なら劉の‥‥ ああ、遠すぎるわね」 答えが返って来る前に、西渦(iz0072)は自己完結して唸り始めてしまった。遠く距離を隔てた風信術の先では、調(iz0121)も開きかけた口から笑みを零していた。 「劉の桃園見物なら、立派な商いになるでしょうね。でも損得は抜きなので、今回も穴場の方が良いんですよ」 例の体の弱いお姫様ねと呟けば、調が軽くとはいえ珍しくため息をつく。花見といえば皐月も過ぎた頃、理穴の山徒(やまと)という霊山で満開の桜を見たのを思い出す。同じ時期を待てない理由は幾つも考えられたが‥‥ 第一そもそも、桜には季節が早すぎる。 (「出来れば開拓者も一緒の方が良いのよね? でも危険過ぎない依頼っていうと‥‥」) 取り出した【緊急】の書類入れを脇に避けると、西渦は天儀本島の地図と気候を思い出しながら書類の地名を次々と手繰る。 「えーと‥‥ 理穴の宗樹(そうじゅ)って分かるかしら? 灯実川(とうみがわ)の辺り、ちょっと山よりのところなんだけど」 「二枚橋が架かっている川ですよね? ‥‥ええ、覚えがあります。近くの山には綺麗な温泉付き鍾乳洞があるんです」 調のらしからぬ虚ろな声に気付きながらも、西渦は依頼書を斜め読みしつつ話を進める。 「桃の名産地で、村の外れに社があって、辺りは比較的温和なヌシが居ついているって‥‥ 調さん、聞いてる?」 あの蛇もヌシだったんですかねぇ、と少々逃避気味に呟いてから、調も我に返ったらしい。 「開拓者ギルドに話が来ているという事は、何か厄介事があるのではないですか?」 「最近ヌシの姿を見ないって噂を、依頼調役の人が拾ってきたみたい。代替わりかもしれないから、アヤカシが入り込んでいないか確認しておくように、ですって」 そういうこともあるんですかといぶかしみつつも、調は既に旅程の検討に入っていた。 (「‥‥かえさねば。かえ、さ‥‥ね‥‥」) 痛いのは、都合が良かった。眠ってしまえと囁く何かに逆らうことが出来る。 (「あの獣に。いや、銀髪の‥‥ ぬ? 最後に見たのは角ある獣か‥‥人か‥‥」) 零れる唸り声は力を失くして行くのだが、四肢を踏ん張る体躯は弛緩とは程遠く。その三本足の黒い獣は、内容すら定かでは無い自答を繰り返すことで、意識を保つことにのみ固執しているようだった。 |
■参加者一覧
桔梗(ia0439)
18歳・男・巫
慧(ia6088)
20歳・男・シ
趙 彩虹(ia8292)
21歳・女・泰
和奏(ia8807)
17歳・男・志
羽喰 琥珀(ib3263)
12歳・男・志
久坂・紅太郎(ib3825)
18歳・男・サ
十 砂魚(ib5408)
16歳・女・砲
雹(ib6449)
17歳・女・陰 |
■リプレイ本文 ●宗樹到着 飛空船から見渡すと、ありふれた村の隣に桃で作られた小さな都があるように見えた。見え隠れする地面は村より余程真っ直ぐ伸びていて、そこかしこで四辻を作っていた。そしてまだ茶もあれば、白から淡い桃、そして濃い紅に達しているところがあって、どうやら花は、場所によって五分咲きから満開過ぎまで、様々な表情を見せているらしい。 「‥‥俺、将虎にも知らせてくる!」 すげぇなー、と呟いて黙り込んでいた羽喰 琥珀(ib3263)が、我に返って艦橋を飛び出していった。入れ違いになった十 砂魚(ib5408)と雹(ib6449)も、窓から見える光景に目を見張る。だが調の視線に気付くと、二人とも軽く笑みを浮かべた。 「ちょっとした船酔いみたいですの」 「ずっと趙殿に付いていましたから、将虎殿も疲れてしまわれたのでしょう」 最初は互いに戸惑っていた趙 彩虹(ia8292)も将虎も、直ぐに打ち解けたようだった。彩虹の出身が泰国だと分かれば話は点心に移り、そして桃源郷の話に花を咲かせていた。 「うーん、多少無理してでも泰国に行くべきだったのでしょうかね‥‥」 珍しく考え込んでしまう調に、またも砂魚と雹が口を揃えた。 「そこじゃないと思いますですの」 「トラさんだと思いますわ」 顔を見合わせて笑ってしまう二人に、調も間の抜けた返事をしてしまってから、ああと頷いて照れたように頬を掻く。 「なるほど。では誕生日の贈り物には、特注品を用意することにしましょう」 あのままでは重過ぎますしねと問う調に、それは良い考えですと、またも声が揃って笑いがこぼれた。 村外れに係留されると、まず調と共に下調べを担当する一行だけが飛空船を降りた。一刻も早く降りたいと赤い瞳を潤ませる将虎は、久坂・紅太郎(ib3825)に宥められる。 「何もなけりゃそれに越した事はないんだけどな。ま、ここまで来たら、花も逃げたりしねえさ」 桔梗(ia0439)と和奏(ia8807)の二人もこくりと頷き、雹は笑みを浮かべて首を傾ける。複数の視線を受けて、将虎は思わず彩虹の背に隠れてしまったが、その視線に叱責は無いことには直ぐに気付いたようだった。躊躇いながらも、しおらしくお辞儀をしてから、宜しくお願いしますと一行を送り出す。 「春といえば、目覚めの季節。将虎さんやお付の女官さんたち、苦手そうなものにも気を配った方が良いの、かな」 桔梗の問いに、和奏はその目をじっと見つめて返してしまう。 「どうでしょう。見たこと無いと思いますけど‥‥ やっぱり、驚かせてしまいますかね?」 調の応えに、蛇とか蛙をですかと雹が驚けば、和奏もぽんと手を打つ。 「その辺は何事も経験だって、割り切るのもありだと思うけどな。‥‥ま、藪を突かない程度に用心するって事で」 役得もあるだろうしな、と紅太郎が皆の顔色を伺えば。まあ、そういうのもありですかね、と応える調共々、他の面子からは冷たい視線を浴びてしまうのだった。 ●遭遇 「この辺りは一度、荒れ野になりかけたと伝えられてます。最後に残った大樹が桃園の始まりで、村で祀る祠もその傍にあります」 疎らに、だが並ぶように植えられた果樹は、下草も綺麗に刈られていて見通しも良かった。たまに吹く風が花びらを舞い上げるが、視界を遮るほどではない。 「獣も滅多に出ませんし、毒を持った蛇や蛙もいません。桃の花と実くらいしかない、ただの静かな村ですよ」 案内する村人は若いながらも、少しも卑下する事無く言ってのけた。 「空からの眺めも良かったけど‥‥ 間近で見るとまた趣が違う、な」 「それに、この樹と土の香り。器に映える花には無い‥‥ これがそのままの春なのですね」 桔梗と和奏が感嘆の声を上げるが、その声に我に返ったのは紅太郎だった。 「もしかしてヌシって、その頃からいるのかい?」 中々に太い桃の幹を軽く叩けば、洞からげこりと蛙の鳴く声が聞こえたが、飛び出してくる気配は無かった。 「桃が残ったのはヌシがいたお陰と聞いてはいますが、どこまで本当の事かは分かりません。村人が果樹を植え直したのは確かな様ですが、ご覧の通りの古木揃い。もう随分昔のことですから」 「でもただ恐れてきた訳ではなく、敬意を持って接してくるだけの心象はあったというわけですよね?」 雹の問いに、村人は曖昧に頷く。 「私は遠目にしか見たことがありませんが、あの大きさですからね。でもお供えの桃は何時も綺麗に無くなっていますから、案外気性は‥‥」 不自然に止まった村人の視線の先には、一際太い古木と祠が並ぶ広場が見えていた。丁度その間に、黒い毛並みが丸まっている。こちらに背を向けて、頭は腹に突っ込んでいるのだろう。呼吸のたびに緩やかに膨れる体躯は、丸まっていても優に一メートルは越えてみえた。 「‥‥狼というには、少し無理があると思いませんか?」 「代替わり直後は、普通の狼くらいらしいですよ」 調の呆れるような問いは小声だったが皆の意見を代弁していたし、村人の答えに説得力は全く無かった。 広場の入口まで達すると、ヌシはのそりと頭を上げて一行をじっと見た。だがふと視線を外すと、緩慢な仕草で元の体勢に戻ってしまう。しばらくそのまま待ってみたが、ヌシはその姿勢を崩さない。 試しに紅太郎が広場に入ってみると、中央まで達したところでヌシの耳がぴくりと動いた。唸り声一つ無かったが、それ以上は近付くなと背が告げていた。一歩後ずさってから慎重に振り向いた紅太郎は、だが空を仰いでしばし固まってしまった。皆もそちらを見遣れば、群を抜いて高い幹の先を、白い天蓋が覆っていた。 両手で抱えきれないほどの大木には、人の手によって刈り込まれた跡は無かった。それでいて、どの枝も見事に花をたたえている。その全てが真白いようで、だが日を透かして舞う花びらは、手元まで降ってきてやっと、ほんのり紅が差しているのが分かるほどに色付いていた。風が吹いても靡くだけの絹の衣から、光を含んで熟れたものがわずかに綻ぶように、ほんのささやかに花びらを散らしている。 「ここで騒がしくするのは、流石に得策じゃねえよなぁ」 戻ってきた紅太郎が小声で告げれば、皆車座になって声を潜めた。 「ヌシ様の機嫌は悪く無さそうですが‥‥ 何か少し気になります」 雹が呟けば、桔梗もしばらく考え込んでからぽつりと零す。 「桃園に入って、何度か瘴気を感じてる。えと、けど直ぐに薄れて消えるくらい。きっと、ここは瘴気が留まり難いところ、なのだと思う」 不安はあるが、春の息吹は生命力に満ちていた。見事な宗樹を見ると、ここまで来て花見を取り止める方がどうにかしているように思えてくる。 「宴はもっと村に近いところでも良いと思います」 何気ない和奏の一言を最後に、誰も反対しないことを確認すると。まずは一旦、村まで戻ることになったのだった。 ●白華、二つ もう少しだけという将虎の言葉に。留守を預かっていた一行は飛空船から降り、村長の縁側を借り、結局桃園に面する作業小屋まで近付いていた。既に将虎は白い肌を上気させて、琥珀や砂魚と一緒になって桃の花を眺めている。 「その、特に合図もありませんでしたし、入口までなら大丈夫かな、と。‥‥あのお願い攻撃は反則です、本当に」 先行していた四人から視線を逸らすのを諦めて、彩虹は本音を白状した。調の強権によってあわや中止となりかけた花見だったが、将虎が十二分に反省すれば、そのか細い謝罪の声に、他の者も取り成しに回ってしまう。結局調も矛を収めると、その場で落ち着いて花見をしてから、最後に祠にお参りに行こうという話にまとまった。 早速女官と開拓者一行の手伝いによって茣蓙が敷かれ、小さいながらも火が焚かれる。 「桃の花見には白酒と行きたいところですが、今回は甘酒でご勘弁を。その代わり、村の水場を借りて暖かい料理を、点心なども用意させていただきました」 そのまま皆に器が配られると、調の乾杯の音頭に続き、そして静かに花見の宴が始まった。 将虎はやはり少し興奮しすぎて疲れたのだろう。何枚も長着を重ねた上に緋色の丹前を纏って、火の傍でしばらく花を眺めていた。隣には彩虹が、まるで仲の良い姉妹の様に肩を寄せ合っている。 甘酒を注いで回っていた紅太郎が、ぼうっと眺める琥珀を小突いた。 「どうした、桃の精霊でも見つけたような顔してるぜ?」 「ほんと。似合ってるなーって見蕩れちまった」 悪びれない笑みで返されると、紅太郎は毒気を抜かれてしまい、それを見ていた砂魚も苦笑いしてしまう。 「でも声掛けるのは、もう少し休んでからの方が良いと思いますですの」 琥珀はそれもそうだと頷く。じゃあ一足先に偵察しとくかと屈託の無い笑みを浮かべると。雹も誘って将虎に視線が届く範囲を、探検、もとい索敵し始めるのだった。 「‥‥ん?」 気付いたのは、桔梗だけだった。白く果敢無い、花びらに紛れた欠片の幾つかが、淡い瘴気を帯びていた。それに続いたのは、ぱきりと枯れ枝を踏み折る音。振り向いた先には、祠の前でまどろんでいたはずの黒狼が、辺りを見渡すように立っていた。一番近くにいたのは、桃の木に登って枝を揺らしていた琥珀と、その下で杯に花びらを受けようとしていた将虎。少し離れた位置で樹にもたれて二人を眺めていた彩虹は、斜め後ろから聞こえた音に、危うく器を落としかけた。 その場の誰もが、迷いを見せていた。黒狼に敵意がある様には見えず、そして当の黒狼すら、戸惑っているようだった。だがその逡巡は短く、彩虹から視線を切ると、将虎に向かって右前足を一歩進めた。 作業小屋近く、桃園から一番遠くにいた砂魚は長銃を構える素振りを見せたが、射線が将虎に近過ぎた。雹も隠しに手を入れたところで、迷うように視線を辺りに向ける。誰もが手を出せる間合いにいながら、いや、いたからこそ、敵意の見えない黒狼に対して手を出し兼ねていた。一歩、二歩、三歩。軽やかとは言い難いが、将虎の前まで歩を進めると。黒狼は腰を落として、将虎の姿を見据えた。その視線は色の無い髪と肌、そして真っ赤な瞳を認めて、まるで首を垂れるように姿勢を低くする。 その後の行動は、更に不可解だった。黒狼は、まるで左前足を捧げるように、その肩口を将虎に向ける。だがその先は、二の足も半ばまでしかない。何かを差し出しているようには勿論見えない。 良く分からなかったが、和奏は片膝を立てて目を瞑る。この場の、ありとあらゆるものから気配が返って来た。だが黒狼の左足からは‥‥ 何かあるようには感じない。 何かが反射して煌いたのを、樹上から見た琥珀は気のせいだと思った。だが目を擦ったわずかな隙に将虎が一歩踏み出し、桔梗は白いと見えた黒狼の左足が、淡く光っていることに漸く気付く。 「将虎、駄目だ!」 がくり、と黒狼が傾ぐと、その左足から吹雪が噴き出した。花ではない、そして雪でも無い。爆発的に膨れ上がった中心へ、樹上からは琥珀、側面からは彩虹がその間合いを瞬時に詰める。だが二人ともが、踏み込んだ勢いそのままに、何かに弾き飛ばされるように後ろに吹き飛んだ。痛みよりも何より、その見えなかった何かに衝撃を隠せない。 砂魚が咄嗟に放った空気撃は、広がる吹雪を散らしもしなかった。そして間髪入れずに撃たれた実弾は、何も無い宙にめり込んで止まる。紅太郎が我に返って槍を構える最中、和奏は間合いを詰めつつ、刀を抜き撃った。その一撃は弾丸を二つに断ち割ると、そのまま左右の景色が一緒にずれる。 ぱきりと音を立てて、次第に蜘蛛の巣のようなひびを走らせた吹雪は、目の前で粉々に砕けてしまった。その先には、吹雪く前と変わらない、花びらが舞う景色が広がっていた。違うのは緋色の丹前と、まるで眠っているかのような黒狼。その二つだけが、地に重なるように伏しているということだけだった。 ●幕間 「この辺りで、近頃『溶けない雪』が降りませんでしたか?」 宗樹の村の入口で、若者が女の声に呼び止められた。深く被っていた厚司織を背に落とすと、豊かな銀髪を結い上げた、透けるような白い顔が笑みを浮かべていた。 「‥‥この辺りは、もう雪なんて降らないよ。山徒の辺りなら、別かもしれないけどな」 鼻で笑いかけた態度を改めてしまうほど、目は魅惑的に細められ、唇はその端を緩やかに釣り上げていた。 「不躾な質問でしたかしら? 私、これでも商いを生業としていますの。珍しい品があると噂に聞いて、こちらに参ったのです」 困ったように首を傾げる仕草に、若者は慌てて心当たりを探ってみるが、思い当たりは全く無い。 「いや、その、この辺りは桃の花と実くらいしか‥‥ あとは最近、花見に来た姫様が神隠しにあったってくらいで‥‥」 しどろもどろに若者の口から出た言葉に、思いがけずに女が反応した。 「そんな‥‥ その、大変なことが起きていたのですか? 申し訳ありません、事情も知らずに呼び止めてしまいまして。まだ捜索が続いていたりするのですか?」 女が表情を曇らせると、若者の方が逆に動転してしまう。 「いえ、それは一段落したところなので、別に全然! ああ、でもしばらく、この辺りは慌しくなりそうです。ギルド経由で山狩りをするって話もあるし、桃の世話にも一番大事な時期だし‥‥」 「そうですか。‥‥しばらく、間を置いた方が賢明みたいですね。とても残念ですけど‥‥」 しおらしく、それでも未練ありそうに見上げられた若者は、名案を思いついて目を輝かせた。 「その、そういう話、俺の方で集めておきましょうか? 今度の寄り合いで話をすれば手間も掛からないし、何なら手掛かりが見つかり次第、連絡をしても‥‥」 流石に厚かましいか、と尻すぼみになった若者の口調は、だが女の顔に笑みを取り戻した。 「それは助かりますわ! でも連絡先となると、一つ所に留まっている訳ではありませんので‥‥」 どうしたものかしらと考え込む女の返事を、若者は固唾を呑んで見守る。 「その、しばらくしたらまた尋ねに来る心算ですが‥‥ もしかしたら私の友人に頼むことになるかも知れません。それでも、言伝をしていただけますか?」 勿論、と頷く若者に、一度見開いた真っ赤な瞳を、再び細めて応えた。 「私、智里(さとり)と申します。あなたのお名前も、伺ってよろしいかしら?」 |