|
■オープニング本文 諸侯「双和」の開催する科挙試験の一、「序試」の最終日。その受け取り方は悲喜交々であったが。見上げる空は透き通るほど晴れ渡っていた。 今年から序試が地元で行われるとあって、近隣諸侯地域からの受験者も増えたという。初受験の伊鈷(iz0122)には違いが分からなかったが、思った以上に活気があるのはそれだけで嬉しい。 (「これも、去年頑張った成果だよね?」) 協力してくれた開拓者の人たちには、幾ら感謝しても足りない。でも一番の恩返しが何かは、決まりきっている。 「まずは試験に受かってこそ、だよ」 思った以上に爽快な目覚めと一緒に、一切の不安を吹き飛ばすと。伊鈷は最後の支度に取り掛かった。 対して、計名(けいな)の寝覚めは最悪だった。酒を飲んだ訳でもないのに妙に眠りが浅く、昨夜から張り詰めた雰囲気が妙に居心地悪い。 (「何か剣呑なんだよなぁ。受験する奴らに仙人骨持ちがいるのは分かるけど‥‥ 見たこと無い奴だよなぁ」) 近隣なら顔ぐらい合わせるか噂くらいは聞こえてくるものだ。わざわざこんな山奥までご苦労なこった、では納得出来ない何かが癇に障った。 「それでも霧は相変わらずか。‥‥気のせいってことにしとくか?」 そういえば、今日は開拓者が何人か来る予定になっているらしい。話だけでもしておくかと、漠然と浮かぶ不安を無理矢理打ち消した。 「確かに、ここは中々良い寨ですねぇ‥‥ 勿論、試験会場としてですよ?」 聞きとがめられた言葉に、一言付け加えておどけてみせれば。歩いて通うには難儀ですけどねと苦笑が返って来た。 適度に隔離された山中、一年を通してほとんど晴れることが無い霧。改装された兵舎は居心地が良く、頑丈な外壁も補修されている。 「ここなら、快適に過ごせそうです。ええ、試験が終わるまでというのが残念なくらいです」 「やや?! ‥‥いやいや。この辺りで雪など、降る訳ありませんな?」 確かに顔の脇を、何か白く軽やかなものが舞った様に感じた錫箕(すずみ)であったが。空を見上げても青空が広がるばかり、左右は外壁の外を霧が覆うばかり。一応辺りを見回してもそんな形跡が無いことを確かめてから。気のせいでござろうと呟くと、見回りを終えて雲龍舎へ戻るのだった。 |
■参加者一覧 / 皇 りょう(ia1673) / 千古(ia9622) / 不破 颯(ib0495) / リィムナ・ピサレット(ib5201) / 樹螺(ib6180) |
■リプレイ本文 ●最後の追い込み 雲龍舎右翼、宿泊用の大部屋。朝食を済ませた面々は、概ね明暗が分かれた感があった。試験も三日目、順調そのものと余裕ある者もいれば、挽回は難しいと既に諦める者いる。 そんな中、小声ながら熱の篭ったやり取りを続けているのは、リィムナ・ピサレット(ib5201)と伊鈷(iz0122)の二人。リィムナが短い番号を囁けば、伊鈷が白文をさらりと書いてみせ、傍から見ていたリィムナが小さな記号を打ちながらそれを読んでみせれば、伊鈷が時には頷き、時には訂正を入れる。 「今更基本中の基本かよ?」 そんな声を掛ける不埒な受験生は少なからずいたが、開拓者がやんわり間に入る前に大抵計名(けいな)が突き付ける文章に困惑する。 「見たことあるなら、顔洗って出直して来な。‥‥それとも、ここで読んでみるかい?」 直ぐに気付いた者は顔色を変えて立ち去る。一目で分からないまでも読み始めた者は、決まり悪そうな表情でもごもごと意見を述べて去っていく。始末に終えないのは、それを読めさえもしない者だ。 「お前、試験に受かる心算‥‥ 本当にあんのか?」 通常は書き下され、解釈が付いたものを読んでいる三書「戦立」の原文。明かされてまでふんぞり返る者、が居ないのは幸いだったかもしれない。だが周りで行われるどんなやり取りも、二人は最初から気にしていない。リィムナに言わせれば「基本が大事」なのは確かだったし、伊鈷に言わせれば「文字数が少ない方が暗記は楽」だという。それに読み下した文について互いに意見を挙げれば、同じことも違うこともあり、そこには新しい発見すらあった。時間が過ぎていくことを勿体無いと思いつつ、だが試験前だからこそ維持できる類の緊張感であることを理解している。だから事が起こる度互いに顔を見合わせては、少し言葉を止めて笑みを浮かべてしまうのだった。 「さてと、それでは私達は準備に向かうとしようか。伊鈷殿とリィムナ殿。二人にどうか、御武運があらんことを」 柄ではないかと少々照れつつも、皇 りょう(ia1673)は激励してから扉へ向かう。それを見送る二人に、不破 颯(ib0495)もへらりと笑顔を浮かべて手を振った。その時、手振りの鐘が一つ鳴る。開場の準備開始の合図だった。 「あと三問は行けるかな?」 リィムナが問えば、伊鈷も頷いて筆を構えてみせた。 ●試験開始 試験会場には、受験証を兼ねた『六開』の札以外、何物も持ち込みは禁止されていた。だから札に書き込まれた人相風体と筆跡が一致すること、つまり替え玉ではないかを確認した後には、身体検査が控えていた。これは開拓者を含め、担当官吏が連れてきた忍犬まで動員しての大作業となる。万が一に備えてとの念の入れ様だったが、身に覚えが無い者はそういうものかと言うばかりで、むしろ子供達は日頃見掛ける事の無い忍犬を撫でまくり、もしくは思い掛けない位置に飛び跳ねた墨の跡に驚くか苦笑するかしていた。 そうしてから向かう先には、まだ新品といってよい、作りつけの机と椅子が用意されていた。詰めれば大人でも三人座れるところに一人ずつ座っても、座席に余裕は十分にあった。子供には少し大きめだが、綿入りの座布団と背凭れを重ねる手つきも、三日目となれば大分手馴れたもの。勿論、開場前に落書きの類はないことを確認済みであり、座る場所も官吏の指示があり、一見乱雑に見えても、毎日同じ席にはならぬ様に決められていた。最後に受験が決まったリィムナも例外ではなかったが、流石に他の席順まで変更する余裕は無く、最後列を移動する形となっていた。これが実際不正への抑止力となってはいたものの、リィムナ本人には他人を見張る心算も余力も、これっぽっちもない。今まで詰め込んだ物事が浮かんでは、その先へ先へと思考が進んでしまう。 (「っと、こういう時こそ、平常心平常心‥‥ うん。やれることは、全部やったよね?」) 最後の問いに、元気良く頷いてみると、俯いていた自分に気付いて背を伸ばす。その先では、筆頭の担当官吏が中央の教壇に立ち、あれこれ指図を始めるところだった。 全員が席に着くと、まずは解答用紙が配られ、各自の受験番号と名前を書くように声が掛けられた。それ以外に何か書くことを禁じられてはいないが、ただの白紙であるために問題を類推することは出来ず、配られる枚数は厳密で、余分な落書きも減点対象になる旨が告げられている。初日には数名、ぎりぎりまで何かを書き出す者もいたが、その内一名が書き損じで用紙が足りなくなったと悶着を起してから、ぱたりと止んでしまった。勿論申し出は受け入れられず、山は当たっていたものの最初から減点が確定された回答を出すという、かなり不本意な結果となっていた。だから各自は指示に従うと、墨が乾くのを静かに待つしかない。 その後は一枚ずつ、名前が隠れるように数回折られた用紙の端を、『六開』の札と蝋を使って封印してゆく。それを見回る担当官吏の多さに誰もが萎縮したものだが、高圧的なものは無く、見知った間柄では声こそ無かったが、確かに視線が交わされていた。‥‥その中に何人、現諸侯が紛れていることに気付いたかどうか分からない。それ故に、悟った者は事の重大さを噛み締めるのだが、そうした短くは無い時間の後、漸く一枚の紙が裏返しのまま配られた。 全ての用意が整うと、昨日までと同じ諸注意が読み上げられ、午前の部開始が宣言された。一斉に問題が裏返されるが、受験者が取る態度は様々だった。先頭から熟読を始めるもの、問題をとりあえず全部眺めるもの。前から順に解き始めるもの、逆に最後の問題から取り組み始めるもの。 (「問題は三問。正試と同じ形式で、傾向も読んだ通り、と。‥‥配点高そうな、『戦立』から行っとくか?」) 計名は問題文に誤字脱字が無いことを確認して鼻を鳴らすと、更に数回、二問目を読み直した。 (「いきなり『至徳』かぁ‥‥ リィムナ、気にしてないといいけど」) 第一問目は「四経」の四冊目からの出題だった。問題文は口語で、しかも短い。だがそれはただ章と番号が記され、その根拠を述べよという、ある意味白文より性質が悪いものだった。だが人の心配をする余裕は無いと考え直した伊鈷は、確か小国の政治論だったはずと記憶を辿り始める。 (「『戦立』と、最後の問題は行けそうかな‥‥ って詩作?」) 何度か問題を読み返したリィムナは、全く覚えが無い一問目は潔く諦め、残りに絞ることにしたが。最後の問題は過去の政治に関する詩を作れというものだった。 (「えっと、名前は聞いたことある、よね。確か十代くらい前の‥‥ あれあれ、もっと前だっけ、後だっけ?」) でも確か、曹孫劉・割拠時代が終わるくらいの、中々評価の分かれる政治を行った天帝の名前だったと思い当たる。 しばらく、そのまま腕を組んで考え込むリィムナだったが。一つ頷くと問題用紙を裏返し、徐に思いついた単語を書き連ね始めるのだった。 ●一時休憩 一旦、全ての道具と用紙が回収されると、部屋の雰囲気が目に見えて緩んだ。そして前の扉が開いて湯気立つ蒸篭が運び入れられると、歓声が上げた子供達がこぞって戸口に集まる。それとは逆に、後ろの戸口にも数名の受験生が、だが少々異なる面持ちで居心地悪げに順番を待っている。試験開始から二時間、準備から数えれば三時間以上も出入り禁止が原則であった以上、どちらも当然の欲求といえるかもしれない。 まだ上手く頭を切り替えられずに難しい顔をして席に座る伊鈷の前に、まず計名が竹の皮に包まれたおこわを頬張りながら、次いで具無しの饅頭を割って料理を挟んだものをお盆に積んだリィムナがやってきた。甘辛く炒めた具沢山の挽肉炒め、茹でた温野菜に塩胡椒で味を調えたもの、とろみをつけた煮込みは具材の烏賊や貝の旨味が想像できる。一種類では物足りないし勿体無いが、全種類となると食べきれない。だから休み時間も暗唱に費やす極僅かな者を除いて、概ね数人で集まり饅頭を分けながら、大体は気楽なひと時を過ごしているようだった。 「これで鶏がらの湯でもあれば文句なし、なんだけどな」 相変わらず口の減らない計名に苦笑いをするしかないリィムナは、だが機嫌の良い様子に不思議そうに尋ねた。 「あれ、計名は去年も試験受けたんだよね? その時もこんな感じだったの?」 「去年なぁ‥‥ 思い出したくねぇんだけど‥‥」 そのままおこわを一口、良く噛んで飲み込んでも二人が続きを待っている様子に、観念したように声を潜めて先を続けた。 「色々あった事は省いてだ。結局受けたのは東隣の諸侯の序試だったんだけどな?」 呆気に取られる伊鈷の口を一応塞ごうとしたが、その必要が無さそうなので、計名は腕を組んでそのまま先を続ける。 「受験生は三日間個室に閉じ込められてさ、食事も全部自炊。試験中に料理なんて面倒だから、持ち込んだのは炒った豆と眠気覚まし用のお茶で凌いだんだけどな。あれは酷かった」 うんうんと頷く計名に、伊鈷は頭に両手を当てて唸る。まあ小腹が空いたら摘める分、気楽ではあったと続いた空笑いに、リィムナは首を傾げて疑問をぶつけた。 「あれ、見回りとか無いの?」 「無いんだ、これが。いや、部屋の外はたまに巡回していたけど、中までは見ねえんだよ。ああ、その代わりな。身体検査がしっかりしてて、余計な物は持ち込みは出来ねえ様になってる」 身を乗り出して、計名が続けた。 「試験が始まる時間は大体同じだったけど、夜が明ける前から大行列さ。前例があったとか何とか、豆もお茶も、米なんかも全部、片っ端から検査だぜ?」 どっちも馬鹿だよなぁ、としみじみ呟く計名と頭を抱えたままの伊鈷に。リィムナは複雑な顔で曖昧に頷くしかなかった。 ●もう一つの戦い? 試験会場に当てられた左翼の大教室を除くと、雲龍舎に人の気配は余り無かった。極力試験の邪魔をしないようにと通達されているため、担当官吏の詰める控え室に私語は無く、歩哨が擦違っても目配せ程度の合図を交わすのみ。受験生の態度が良いことは嬉しい誤算であったが、国政を担う大事であること、主催側に手落ちがないことに腐心している関係者は、自らの成果であることに満足しつつも慢心せず、細心の注意を払い続けていた。だから、手に余りそうな事柄については開拓者に一任していたし、その方が有り難く、都合も良かったのは確かである。解答用紙が保管されている部屋の前に仰々しい護衛は置かず、定時に巡回する者が無用心に過ぎるのではないかと思いつつも。取り決め通り、毎回扉の前で引き返すだけに留めていた。 (「そろそろ、仕掛けてきても良い頃合いなのだが‥‥」) 数度目かの巡回を僅かな物陰に息を潜めてやり過ごしたてから、りょうはそっと気配を表して颯に目配せをする。颯も雲龍舎の入口付近、二階に続く階段から姿を表すと、こちらも首を傾げてから手招きして合流した。 「人数が違ったのは確かだった。右翼に反応があったのも確かだとすると‥‥ 本当にただの鼠だったのかねぇ」 潜めた声で問う颯に、りょうは目を瞑って意識を集中させる。身体検査が始まっても出てくる気配が無かった小部屋に、今現在気配は無い。気にし過ぎだろうか、確認するべきだろうか。だが丁度通りかかった歩哨に尋ねると、軽い調子で答えが返って来た。 「ああ、途中で帰ってしまったんじゃないですか? 結構いるんですよ、早々に折り合いを付けてしまう人も、逆に全然付けられない人も」 一旦会場に入ってしまうと中々出ることはできない。だから身体検査のごたごたの間に姿を隠し、試験が終わる前にこっそりと、もしくは堂々と会場を去る者。例年少なからず居るのだと訳知り顔で頷いた相手は、一礼をして巡回に戻ってしまう。その理由に納得出来なかった二人は、解答が保管されている部屋に見張りを頼んでから、十分警戒しつつ全ての小部屋を回ってみたものの。やはり不審な人物は一人も見つけられなかった。 「ふむ。色々疑問は残るが‥‥ 杞憂に過ぎなかったという事だろうか?」 「もしかしたら、戦力が足りないって思ったのかねぇ。それは光栄の至り、ってあんまり嬉しくないか」 帰り道の待ち伏せも考えた方が良いと意見が一致すると。とりあえず控え室に赴き、細々とした相談を始めるのだった。 ●依頼終了のお知らせ 手振りの鐘が三回鳴らされると、最後の最後まで足掻いていた数人の筆も止まった。そして続いたのは、子供と大人、受験する者と監督する者、そして安堵と失望。様々なものが混ざったため息だった。だが解答用紙が回収されるまで私語は厳禁であり、担当官吏が回る中、僅かな緊張感がその場に残っていた。それは回収が終わって枚数が数えられ始めてもそのままで、試験終了が宣告されて担当官吏が全員退出されて漸く、唐突にぷつりと途切れた。 「「「終わったー!」」」 含む意味は様々であったが、唐突に弾けた歓声に。扉を閉めた首席担当官吏も、それを聞いて首を竦めた。毎回試験が終わったことを実感して労いの言葉を掛けたくもなるのだが、再び顔を出すなど野暮なことだし、第一自分の仕事はこれからが本番。やはり何時ものようにため息を一つしてから勢い良く息を吸い込み。墨の香りに気持ちを一新させて、次の仕事の算段を始めるのだった。 「ふーん、『大同小異』とは正反対の主張かぁ‥‥ リィムナらしいね」 伊鈷だけでなく計名まで腕を組んで考え込み始めると、流石にリィムナも面映い気がしてくる。だが反論する前に、雲龍舎の窓から先、白霞寨の広場に飛空船が浮いているのを見つけると、表情を引き締めた。そこに入ってくる開拓者の一行の表情も僅かながら曇っている。りょうが告げるに、答案を運ぶ予定の飛空船が、麓から直接乗り付けてきたのだという。 「どうやら、定時連絡が無いことを訝しく思ったらしい。答案破棄を狙う不届き者はいざ知らず、アヤカシが出ているのではないかと‥‥」 過剰に反応したらしいのだがと聞けば、伊鈷と計名は何とも言いがたい表情を見合わせた。定時連絡が途切れたのは、計名に仕える錫箕の番であったらしい。 「居なくなったのは錫箕だけか? ‥‥ならとりあえず、ほっといて良いんじゃねえか?」 その内帰ってくるだろと気軽に応える計名に対して、伊鈷は頭を抱えていた。これはまた、後で開拓者の人たちに迷惑を掛けることになるかもしれない。 「まあ、答案を運ぶ依頼はここまでで良いって話だし、どの道大勢麓まで送ることに変わりは無いんだし?」 家に帰るまでが試験だしねぇと颯が茶化せば、その場は和んだ。 「全く、どこで油を売ってるのやら‥‥ まああれだ。仙人骨持ちの奴らは、絶叫草だけには気を付けてくれな?」 りょうと颯は苦笑してみせるが。事情を知らないその他の面々は、その苦笑と計名の顰めた顔を、不思議そうに眺めるのだった。 |