餓狼
マスター名:
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/01/03 23:41



■オープニング本文

 弦月は、幼い頃より乱暴者で通っていた。
 目が合ったといっては半殺しにし、肩が触れたといっては川に放り込み、少しでも気に入らない事があれば、全て腕づくで叩き潰してきた。
 元より狼藉を嗜めるような親もなく、泥水をすするような生活が続いた事が、その凶暴さに拍車をかける。
 それでも、そんな弦月を気にかけてくれる存在も居た。
 近所に住む、同じく親の無い労苦を背負った少女は、スリで生計を立てていたのだが、弦月はこの少女にだけは暴力を振るおうとはしなかった。
 しかし、少女はいずれスリでの生活に限界を感じ、とある屋敷に奉公に出るようになる。
 荒れ果てた生活から離れ、文化的な営みを行なえるようになった少女に、弦月は激しい怒りを覚えた。
 ある夜、弦月は少女を呼び出し、さんざんに彼女を詰ったのだが、少女は静かに、冷静なまま弦月を諭す。
 少女の言葉は弦月のそれまでの生活全てを否定するものであったが、彼は、少女の言葉にだけは真摯に耳を傾けた。
 その上で、怒った。
 少女は何処までも弦月を思いやった言葉を重ねたのだが、自分が如何に下らぬ存在かと思い知らされた弦月は激昂し、少女を突き飛ばす。
 志体を持つ弦月の腕力は、ただそれだけで、容易く少女の命を奪ってしまったのだった。

 それからの弦月は、何かに追われるように悪事を重ねる。
 殊に彼の武をけなす者に対し、弦月は容赦しなかった。
 自分は強いと自らに言って聞かせ、如何に強大な相手であろうと決して臆する事はなかった。
 敵が強いのなら、どうすれば勝てるのか。強敵を向こうに回してはこればかり考え続け、いつしか近隣に敵う者無しという所にまで自らを鍛え上げる。
 それでも弦月は止まらなかった。
 強敵を欲し続け、チンピラのように暴れ回る。
 もう充分に良い暮らしを出来るだけの力を身に付けていながら、弦月は何処までも強敵を求め続けた。
 粗野で粗暴な振る舞いは、力をつけた事で集まって来た人間全てを周囲から遠ざける。
 弦月を侮蔑する者を許さなかった。
 弦月を利用しようとする者を許さなかった。
 弦月に媚び諂う者を許さなかった。
 野獣のような弦月を飼いならせる者もなく、猛獣のように荒れ狂う弦月を止められる者もない。
 そして、遂に弦月に対し討伐の令が下る。
 百人近い兵を相手にしては、さしもの弦月もこれに抗しきれず、山中深くに逃げ込んだ。
 かの山の奥地にはアヤカシすら現れるという。
 いずれのたれ死んで終わりだろう、それが皆の見解であった。

ほら、やっぱり弦ちゃんは強いね。弦ちゃんこんなに強いんだもん、きっと何だって出来るようになるよ。だから‥‥

 アヤカシが出るとはいえ、山の幸は危険を冒すに充分な見返りを用意してくれる。
 山師の一人が、弦月追放から半年程経ったある日、弦月が逃げ込んだ山に入った。
 ?ノ数十回に渡って山に入った事のある山師は、慎重に危険を避けながら、山を奥へと進んでいく。
 そこで山師はありえないものを見た。
 追放より半年の時が経っているにも関わらず、かつてより一回りも二回りも大きくなった弦月は、山の奥で生きのびていたのだ。
 それはちょうど弦月が、山奥のアヤカシを相手に単身で暴れ回っている所であった。
 並み居るアヤカシを全て倒した弦月は、山頂に向かい雄叫びを上げる。
 この大声にも、山に居るはずの他のアヤカシはまるで反応してこなかった。
 山師はこけつまろびつ逃げ出したが、これに気付いた弦月はすぐに山師を捕まえこう言った。
「俺を追い詰めた百人、耳を揃えて用意しておけ。全員、殺しに行ってやるからな」
 弦月は、アヤカシの徘徊する山中で生きて尚、牙を失う事なく、更なる戦いを求め続けるのだった。

 話を聞いた兵士長は、震え上がって怯えた後、恥も外聞もかなぐり捨て、ありったけの金で開拓者を雇う。
 かつて追い詰めた時も、信じられぬ損害を出したのだ。
 それこそ悪夢を見る程の相手がより強力になって襲ってくるとなれば、兵士長の醜態も笑えはすまい。
 彼は、報せを聞いて開拓者を手配した後、屋敷に篭もって出てこなくなってしまった。
 また彼の率いた兵士達も次々と隊を抜け、ある者は遠くの親戚を頼り、ある者は一家総出で町を離れた。
 まるで天災か何かのような扱いだが、弦月とは、彼等にとってそれ以上の存在であったのだろう。


■参加者一覧
北條 黯羽(ia0072
25歳・女・陰
音有・兵真(ia0221
21歳・男・泰
真亡・雫(ia0432
16歳・男・志
鬼灯 仄(ia1257
35歳・男・サ
痕離(ia6954
26歳・女・シ
オドゥノール(ib0479
15歳・女・騎
クリスティア・クロイツ(ib5414
18歳・女・砲
郭 雪華(ib5506
20歳・女・砲


■リプレイ本文

 ソレが現れた時、掛け値無しに周辺を漂う空気の色が変わった。
 大気が歪んで見える程の殺意と鬼気は、どれだけ斬ればこうなれるのか、想像すら出来ぬ程。
 優れた技量を持つ者であればあるほど、この底知れぬ脅威を感じ取れるだろう。
 郭 雪華(ib5506)は背筋を突き抜ける寒気と共に言葉を漏らす。
「‥‥! 凄い威圧感‥‥」
 鬼灯 仄(ia1257)が、吹き荒れる殺意の中、何処か緊張感の無い顔で隣の仲間に問う。
「あれ、止められるか?」
 問われたオドゥノール(ib0479)は、頬を滴る一筋の汗のみで恐怖と緊張を抑え込む。
「それが役目だ」
 ご立派、とやはりやる気があるんだか無いんだかな仄。
 後衛三人が身構える気配がわかる。
 正しい。
 奴は、あの羅刹のごときヒトっぽい何かは、最早戦う以外何も考えてはいないだろう。
 かなりの遠間でありながら、怪物弦月が動いた。
 初撃は自分が防ぐと考えていたオドゥノールに出来たのは、剣をかざすのみ。
 切っ先をその目に捉えられたのも距離があった故、それでも尚、受けるのみしか為しえない程の踏み込みと斬撃。
 打ち合う前にわかった。これは、抑え切れるものではないと。
 いきなりの深手を覚悟していたオドゥノールは、しかし脇より伸びるもう一本の刀により救われた。
「こ、これは‥‥洒落になって、ねぇぞ‥‥」
 仄は咄嗟にオドゥノールと共に二振りの剣で剣撃を防ぎにかかったのだ。
 二対一、真っ向からの力比べは、ほんの僅かのみしか維持しえず。
 仄が叫ぶ。
「流せ!」
 まるでこの練習を数年に渡って繰り返してきたかのような、息ぴったりの間で二人は剣を刀を逸らしながら体を流す。
 ここに一番気を遣った。
 気を抜いた真似をすれば、刃に体ごと持っていかれそうになるのだから。
 どうにかこうにか初撃を防いだ二人は、後ろより迫る仲間達と包囲を完成させる。
「前評判以上だなこりゃ」
「‥‥問題ない。防ぐだけなら次は一人で抑えて見せる」
 仄はちらとオドゥノールを見やる。
 そこに強がりの気配は見られない。
「だから、次は攻めろ」
「了解だ」


 待ち受ける形が出来るならそれに越した事は無いと、街の人間に話を通して迎撃の形を取った開拓者一行。
 前から五人、後ろから囲むように残る三人。
 歴戦と言って過言で無い面々を揃え、ここまでしておきながら、真亡・雫(ia0432)は、しかしこの男に勝てる自分がまるで想像出来ないでいた。
 受け止めた刀越しに響く振動、重さ、殺意の量はどれをとっても比類すべき物が思いつかない。
 しかも速い。
 雫へと振り下ろしたはずの刀が、何時の間にか懐に引き寄せられ、痕離(ia6954)が放つ苦無を弾く。
 容易くやっているように見えるが、痕離の打剣はそんなに甘い一撃ではないはずだ。
 それでも、二人がかりの仕掛けは音有・兵真(ia0221)が懐へと踏み入る余地を作り出す。
 波状攻撃とはこういう事なのだが、大気をすら斬り裂くだろう剣撃の間合いへ恐れる気もなく飛び込むのは、誰にでも出来る事ではない。
 兵真は肌があわ立つ感覚を、どうやら好ましいものと思っているらしい。
 口の端が上がる。
 最速の牽制、左拳を頭部へ。
 予備動作も最小、起こりから挙動までが極端に短いかわしずらいこの一撃を、首を捻ってかわす弦月。
 同時に放つは右足下段。
 最も避けずらいと言われている対角線の攻撃を、複数が乱戦となっている状態で丁寧に仕掛ける兵真の慎重さ、勝負勘は大したものであろう。
 弦月は、左膝を少し立てるのみでこれを受ける。
 剣術に長けた者が、下段蹴りの受け方を知っている、いやさその道の匠である兵真のコレを完璧に受け切って見せるのだ。
 近接距離でありながら、弦月は刃の根元を押し付けるように刀を振るう。
 兵真が右拳を振り上げるのと同時。
 いや、この右拳にも仕掛けがある。
 兵真の肩上より、同時に飛来するは痕離の放つ苦無。
 攻撃に出ているはずの弦月ではこれは防げまい。
 ふっ、と兵真の頭上に陰りが見えた。
 マズイ。そう思った時には、弦月の左足が頭上に迫っていた。
 理解出来ない。
 刀を右より袈裟に振り下ろしていた弦月が、何をどうやったら左回し蹴りを上から降らせるような大きな動きにこれを切り替えられるのか。
 振るった右拳、痕離の苦無ごと弦月の蹴りはしたたかに兵真を撃ちつける。
 追撃が来る。動かねばならないのだが、剣士のそれとは思えぬ強烈な蹴りに、視界が歪み、体が震える。
 雫の背後よりの刀が辛うじて間に合ってくれた。
 弦月はこれを飛んでかわしたので、何とか追撃を受けるのだけは免れた。
 もちろん、コイツの刀での一撃を、無防備に近い今の状態でもらっては致命傷は免れ得まい。
 すぐに仄とオドゥノールが続いてくれた。
 雫は兵真の様子を確認するが、何故か、笑ったままであった。
「‥‥少し、楽しくなってきたかもな」
「僕は冥越辺りに迷い込んだ気分ですよ」
 痕離は牽制の苦無を放ちながら、自分も軽口のやり取りに加わりたいのをぐっと堪える。
 今下手に口を開いたら、泣き言ばかりが出てしまいそうで怖かったのだ。


 クリスティア・クロイツ(ib5414)は、筒先と標的を繋ぐか細い一本の線を、より正確に確保すべく神経繊維の全てを注ぎ込む。
 乱戦の最中、全部で六人が必死全力で動き回る中、六分の一にきっちり当ててやらなければ、外れた弾は残る六分の五に当たってしまうだろうから。
 隣で同じように構える雪華も似たような気持ちなのだろう。
 出来るなら、このまま前衛だけで戦闘が終わってくれれば、そんな腑抜けた考えが頭の何処かに存在しないとは言い切れない。
 早く、一発命中させるのだ。
 それだけで、乱戦の最中でも命中する射撃があると知った敵の動きは、間違いなく鈍るはずなのだから。
 その為には確実な命中打が必要だ。
 雪華が自分でもそれと気付かず言葉を漏らす。
「初撃が大事‥‥。外すわけにはいかない‥‥」
 遠間から見てすら異常に速い弦月の動きに、筒先を揺らしながら合わせ、その時を。
 轟音が一つ、いや二つが重なっていた。
 二人は期せずして同時に、弦月が大上段に振りかぶった瞬間を狙ったのだ。
 不意打ちでもあり、どうにかこうにか当たってくれた。
 弦月は驚いた顔で、しかし闘志を失わぬままきっちりこちらを目線で捉えている。
 次からはこう簡単に当たってはくれないだろう。
 それでもクリスティアは視線を鋭く、挑むような姿勢は崩さず。
 理由は、仲間の助けになる、それもあるが、それだけではなかったりする。
「何とか、当たったね‥‥」
 同じ銃を持ち、全く同じ条件で射撃の重圧に耐えている者が隣に居るのだ。
 これまた心の何処かで、負けられないと思う部分があるのも仕方ない事だろうし、それ自体は、お互いにとって良い影響となろう。
 同時に立ち上がり、狙撃位置を移動しつつ弾を込めながら、クリスティアはそんな事を考えていた。


 これまで開拓者として幾多の仕事をこなしてきた北條 黯羽(ia0072)は、今回集まった面々が、特に劣った者であるなどと欠片も思っていなかった。
 志体を持つ者として恥ずかしくない、いやさ、優れたと称しても構わない程腕の立つ者も居る事を知っている。
 だが、これは何だと。
 八方を取り囲まれながら、人でしかないはずの身が五分以上に抗しているではないか。
 まず速さで皆を越え、次に膂力で圧倒し、後は理解不能な理屈で背後より迫る敵にすら対する。
 まずあの次元からして違う速さを何とかすべく、呪縛の符を撃ち放つ。
 利いたり利かなかったりだ。
 陰陽師相手に、あのバケモノは平然と五分で抵抗してくる。
 気を抜いたつもりはない。
 それでも、続く緊張の最中、ほんの僅かそれが弱まる瞬間はどうしても存在してしまう。
 距離もある、そもそも自分は取り囲まれていて、他所に注意を払う余裕もないはず。
 そんな理屈知った事かと、弦月は、突然中空へと跳ね上がった。
 やはり呪縛符は弦月にとっても厄介なシロモノであったらしい。
 これを黙らせるべく、一直線に黯羽を狙い飛び込んで来たのだ。
 クリスティアと雪華が、弾込めすら終わっていない銃を振り上げ、引き金を引く。
 砲術士のみに許された神秘の技により、瞬間的に弾を込めた状態を作り上げこれを放つ。
 空中で弦月は更に跳ねる。
 動きを止める意図を持って放った銃は、しかしかすめるに留まる。
 ほぼ同時に反応出来た前衛は一人だけ。
 体術に優れるシノビ、痕離のみであった。
「‥‥此処から先は進ませない‥‥手は、出させない、よ」
「馬鹿っ! 無茶だ!」
 全身を伸ばし、空中を舞う弦月の足をつかみにかかる。
 弦月の体術ならばその状態でも、無防備に伸ばした痕離の手を斬りおとす事すら可能であろう。
 閃く白刃。
 痕離もまた、空中で身を翻す。
 交錯し、体勢を整えていたのも僅かの間。
 痕離は着地が出来ぬ傷を負ったのか、大地に堕ちた。
「‥‥この野朗‥‥」
 びきりと、黯羽の額に青筋が走る。
 空中にて二回転。速度が落ちるには充分だ。
 一撃だ。重いだろうし、斬れるだろうし、下手すれば死ぬだろうが、一撃はもらってやると腹をくくる。
 その代わり、こっちも相応の仕返しをくれてやる。
 降り注ぐ死の刃。同時に斬撃の符を叩き込んでやろうとしていた黯羽の視界が、真横に物凄い勢いで吹っ飛んでいった。
「何?」
 腰に何か巻きついている、というか胴の横がちょっと痛い。
「守るのが、騎士だ」
 黯羽の腹の下で苦しそうな顔をしながら、オドゥノールはそう言った。
 弦月がすぐに続いてかかってこなかったのは、弦月と同じ距離を大きく跳んだ兵真が居たからだ。
 飛び右回し蹴り。
 が、変化しくるりと兵真の体が回転する。
 右足は蹴りではなく振り。
 本命は回転にて勢いをつけた左足、これを腰やら足やらの筋が切れそうになる勢いで急激に変化させ、横回転の最中縦に踵を振り下ろし頭頂に一撃を。
 雫が走る。
 それまで手を抜いていたわけではないが、ここ一番で切っ先の速度が更に上がるのは雫が一流である証であろう。
 刃が歪んで見える程の速度は、弦月をして受けも避けも適わず。
 血飛沫を上げる弦月に、雫がトドメとばかりに精霊力漲る刃を振るう。
 これをすら、受けて止める弦月の力とは、一体何なのだろうか。
 しかし、三連撃目は、どうしようもなかった。
 雫の脇の下より伸びる刀が、弦月の腹部を深く貫く。
 雫の腕は二本共ある。というか弦月と刃の押し合いをしておきながら、片腕とかありえない。
「正面から奇襲喰らうってな、初めてだろ」
 仄の声が雫の背後より聞こえる。
 彼は、雫の体で出来た死角より踏み込み、その脇の下を通して刃を突き出していたのだ。

 黯羽は皆の状態を確認する。幸い痕離もオドゥノールも、戦闘続行可能であるようだ。
 正直呆れる程だ。
 あの包囲を一瞬で抜けた弦月も弦月なら、あっという間に再包囲してしまう皆も皆だ。
 無理がたたったのか、弦月はこの一連の動きでかなりの怪我を負ってしまっている。
 そしてこちらはというと、怪我も何のそので前衛に加わったオドゥノール援護の元、ちょっと意外すぎる仄の隠し玉閃癒が光り、黯羽の治癒符が飛ぶ。
 それでも、弦月は引かなかった。
 手負いの狂獣となって暴れまわる姿からは、とても損傷を負っているようには見えない。
 確信を持って、黯羽は呟く。
「近接と援護術のみだったら、こっちも一人二人やられてたかもな」
 
「僕は狙いを外すわけには行かない‥‥それが例え‥‥どんな相手であっても‥‥。あの場で直接刃を交える皆の為にも‥‥」
 強力な剣撃と変わらぬ威力を持つ狙撃。この存在に、弦月は最後まで有効な対処手段を持ち得なかった。
 意識をそちらに向けざるをえなく、その上で、弓射とも違うこの独特の呼吸を読みきる事が出来なかったのだ。
 雪華が引き金を引くと、バカンッと音が響き、筒先より煙が上がる。
 同時に跳ねる弦月の体。
 その口惜しそうな表情を見て、クリスティアは何処か共感めいた思いを抱く。
「噂に違わぬ化物――ですが間違いなく『人』ですわね」
 その射撃は間接部を撃ち抜く、というより引き千切った。
 利き腕を失った弦月は、逆の腕に刀を持つ。
 足は既に動かずその場にて迎え撃つ構え。後は、射撃のみでケリが着くだろう。
 しかし、そこで皆手を止めてしまった。
 弦月はじっと射撃、そして不意の踏み込みに対応すべく集中し続けているが、誰もその場を動かない。
「‥‥何だ? 嬲る‥‥ってのも違う顔だが‥‥」
 兵真は静かに問う。
「弦月、強くなってどうするんだ?」
「何? いきなり何言い出すんだお前は」
 仄が弦月に斬られた傷を、痛そうに覗き込みながら答えてやる。
「惜しい、って話だよ。これだけの力、他に生かし様があっただろうに」
 弦月は油断せぬまま、滴るというより流れ落ちるといった調子の血にも姿勢は全く崩さず。
「どうするも生かすも、強くなきゃ死んじまうだろうが」
 オドゥノールは冷徹な表情で。
「刃を握り締めたままの拳で、何か掬えるものはあったか?」
 こんな台詞、常の弦月ならば激昂して襲い掛かる所であろうが、今はそう出来る程の余力が無い。
 弦月にも、開拓者達が油断しているでもなく、弦月がもうどうしようもない所まで来ている事がわかっていると理解出来た。
 それでも僅かな勝機にしがみ付くのが弦月であったが、これまでの戦闘で、こいつ等相手にそれは心底ありえないとわかっていたのだ。
「‥‥そうか、俺は死ぬのか」
 危険があるのは承知の上で、雫は刀を一振りし、弦月の間合いへと歩み寄る。
 銃で確実に殺すのもいいが、弦月にはきっとこうするのが一番だと信じて。
 言いたい言葉は胸の内で色々と渦巻いているが、それを今更言った所で詮無いと雫は無言を保つ。
 弦月は皆の言葉で最後の一暴れを諦めたのか、周囲を満たしていた鬼気が消え失せる。
「強くなってどうするかか、さあな、そんな事ぁ考えた事も無かったさ。だがな、お前等‥‥」
 雫が振り上げた刀が陽光を照り返し輝く。
「そんだけ強いんだ、お前等ならきっと何だって出来るようになるぜ。くそっ、俺に勝ったんだ、この先簡単に負けたりするんじゃねえぞ」
 振り下ろされた刃は、これ以上の苦痛より弦月を開放してやった。
「はい。強さなら、僕達にもあります。貴方と違う強さが」

 皆の治療が一段落すると、黯羽は痕離の体を無言で包み込んでやる。
 心配してるのに無茶するなとか、想ってくれている事への感謝や、色々なものが詰まった抱擁であった。
 残った皆は、街の者に遺体を好きにさせるのも忍びないと、その場に埋葬してやる。
 その強さと、それを育てた強靭な意志への敬意を忘れずに。