【黒沙】乾坤一擲
マスター名:
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 難しい
参加人数: 8人
サポート: 2人
リプレイ完成日時: 2010/11/05 11:37



■オープニング本文

 白髪の老人が黒沙洗脳機関の重鎮、出資者達の前に進み出る。
「まずは三日前に脱走を試みた少年が居た事を思い出して欲しい」
 まだ五歳児程度であった小僧は、捕らえられ痛めつけられた後だというのに、まるで獣のように暴れ続けたのだ。
「あんな扱いに困る物件をどうにかしろとか抜かして来た拉致部への文句はさておき、おいっ!」
 老人の合図で、薄暗い室内に少年が一人入ってくる。
「お手」
 少年は老人の前に進み出ると、片膝をつき手を差し出す。
「お回り」
 くるくるとその場で回る少年。
 そう、彼こそ三日前に大暴れしてくれた少年であった。
「どうかね! まさに劇的びふぉーあふたー! これこそ我が研究フ成果!」
 少年の頭部に刻まれた傷がその跡であるらしく、列席者はしげしげと少年を見つめる。
「そもそも精神改造とは、頭部に微細にして繊細な瘴気を打ち込む事で、練力の回りを変化させようと始まった発想だが、幾百幾千の試行錯誤の末これにより著しい思考力の低下が見られるようになり、そこに洗脳技術を組み合わせる事で劇的な効果が見込めると‥‥」
 プレゼンを行なってるとはとても思えぬ尊大な態度も、慣れているのか出資者達は次々質問を開始する。
 精神改造に必要な時間は、条件は、記憶の有無等々、皆ロクでもない事に用いる気満々である。
 老人はそれら一つ一つに丁寧に、かつ尊大な口調で答えてやった。

 八王の一人、劉の執務室で、白髪の老人ドクター鳥居が不機嫌そうに口の端を歪めている。
「で、資金繰りは順調なのであろうな?」
「一応な。しかし、精神改造は必要な実験が多すぎだ。拉致部が悲鳴を上げているぞ」
「ふんっ、ぐだぐだ抜かさず村の一つでも丸々潰して来んかい。無改造洗脳におけるリスクは既に伝えた通りだしの」
「改善の余地は無いのか? 無改造型も販売が軌道に乗って来た所なのだが」
「洗脳後の外部よりの影響は無視出来ぬ。出来ると断言したのはわしの誤りであったわ‥‥まったく、人間というものは大した生き物だぞ」
「定期的な調整で改善が見込めるという話はどうした?」
「可能ではあるが、それはお主が目指す洗脳からはかけ離れた姿であろう。商売としては有難いが、購買意欲を著しく削ぐと言ったのは貴様じゃろ」
 新たな資料をドクター鳥居に渡す劉。
「無改造型の量産体制を広げ、生産数を二割り増しにしろ。そろそろ在庫が尽きかけている」
 ドクター鳥居は小馬鹿にしたように笑う。
「出荷時は十歳前後だというのに、良くもまあこれだけの発注が上がるものじゃな」
「我等が考える以上に、天儀は腐っていたというだけだろう。予算は生産数向上に回すぞ」
「半月後に改造型の予定実験は一通り完了する見込みだ。その時までに工場拡大の金を用意しておけよ」
 言いたい事を言って退室するドクター鳥居。
 劉には、どれだけ金がかかってもこの事業を成功させる必要があった。
 黒沙の主要産業である人材派遣業はそもそも陰殻と被る部分が多かったのだが、更に開拓者ギルドというものが幅を利かせるようになってきた。
 受ける仕事の違いからこれまで住み分けは出来てきたが、これから先もそうあり続ける保証は無い。
 黒沙は、ただちに新たな事業に取り掛かる必要性に迫られていたのだ。
 開拓者ギルドにも、陰殻にも出来ぬ黒沙のみ可能な商品の生産と、需要の創造。
 他所では、人を洗脳しようなんて真似を平然とする人材がこれ程揃う事はあるまい。
 正に悪徳の街黒沙ならではの産業、ここに稀代の天才、ドクター鳥居が加わり、他所では百年はかかるだろう域にまで研究は進んでいた。
 劉はひとりごちる。
「他所を黙らせられる程の需要はまだ無い。犬神が乗り出して来た時は肝を冷やしたが、どうやら世界の悪意は、善意を容易く上回ってくれていそうだな」
 いずれ黒沙の洗脳人に頼る組織が増えて来よう。そうすれば他所が何を言ってきてもかわしきれる程の力となる。
 そう見込める程、利便性の高い技術であると劉は確信しているのだった。


 ギルド係員の栄は、ここ数日は眠れない夜を過ごす。
 手にした情報によると、黒沙はギルド上層部に手打ちを持ちかけているとの事だ。
 これが成ってしまえば、栄には最早どうする事も出来なくなってしまう。
 開拓者達の強い意志と強靭な力により、どうにかこうにかここまで戦えて来たが、これ以上はどうにもこうにも動きようが無い。
 引くしかないのか、そんな決め難い判断を迫られる中、栄の元に思わぬ場所より救援要請が入った。
 黒沙内部に潜入したが、目標である洗脳施設攻撃の戦力が足りない、手を貸してくれというものだ。
 如何に黒沙の悪事がひどいとはいえ、ギルドが国の要請もない状態でアヤカシではなく人間の組織に総がかりで攻撃を仕掛けるような真似は、そうそう出来ぬであろう。
 であれば、ギルド上層部もそれなりの形で話を収めようとするはず。
 ならばこれが、最後の機会。
 この機に洗脳施設を再起不能になるまで叩き潰すしか、黒沙の洗脳を止める事は出来なくなるだろう。
 黒紗に潜入した狐火というシノビの働きで黒沙への侵入路は確保出来ているらしいが、多数を送り込むのは無理がある。
 出来れば十チームでも二十チームでも金が許す限り放り込んでやりたい所だが、精鋭を送りこの任を頼む。
 また、栄が手配出来る限りのシノビを集め、黒沙周辺に潜ませ、攻撃部隊を少しでも援護出来るよう備える。
「‥‥この件終わったら、ボスに絞め殺るな‥‥」
 書類を誤魔化し、ありったけの詐術を用いてがんがんギルドの金を使ってるのだから、当然といえば当然なのだが。

 黒沙潜入組からの情報により、洗脳施設は東棟と西棟にわかれている事がわかる。
 ギルド派遣組はこの東棟を担当する。
 ここには被験者用の施設が集中しており、多数の被験者もここに収容されているらしい。
 しかし目標はあくまで彼等ではなく、研究員である。
 取替えの利く施設や護衛ではなく、替えの利かぬ無くてはならない存在である研究員を斬る事が、施設の機能停止に繋がるのだ。
 殊にこれらをまとめ管理している研究者の長は、何としてでも倒さねばならない。
 五階から成る建物を、下から順に昇っていきつつ研究者をしとめ、最後は屋上に出て船に回収してもらう手はずとなっている。
 この建物だが、内部の大まかな構成はわかっていても、細部は不明のまま、その上、敵戦力がどれだけいるのか、大まかな予測しか立てられていない。
 危険な任務だが、これしか残された手は無いのだ。
 犬神は独自に高速船を用意したらしいが、栄も特に足の速い船を引っ張り出す。
 以上の任務をこなした上でなら、被験者の救出も視野に入れて良いという話だ。
 こんな注釈を入れた後、栄は筆を止める。
「被験者の数は二百か、三百か、全てを救出するなんて出来るはずないんだがな。皆には何時も、辛い思いばかりさせてしまう」


■参加者一覧
劉 厳靖(ia2423
33歳・男・志
フェルル=グライフ(ia4572
19歳・女・騎
野乃原・那美(ia5377
15歳・女・シ
鬼灯 恵那(ia6686
15歳・女・泰
染井 吉野(ia8620
25歳・女・志
龍威 光(ia9081
14歳・男・志
レイシア・ティラミス(ib0127
23歳・女・騎
ネネ(ib0892
15歳・女・陰


■リプレイ本文

 一丸となって東棟上階を目指す一行。
 この施設は敵の襲撃を想定したものでないのか、一階はさして苦労もせずに突破する。
 しかし敵もさるもの。
 二階に戦力を集中させ開拓者達に対抗してきた。
 殊に、指揮をしている陰陽師九輪が人壁の向こうより放つ術は強力無比で、開拓者達の強引な突破を妨げていた。
 そこに、更なる凶報が届く。
 支援を行なう女シノビ華玉が、外から増援が来ていると報せて来たのだ。
 劉 厳靖(ia2423)は、ふぅと息をもらす。
「っと、敵さんも必死だねぇ‥‥ここは時間稼ぐんで、お前さん達は親玉を頼むぜ」
 染井 吉野(ia8620)が同行を申し出るも、厳靖はひらひらと手を振って断る。
「これ以上人減らせないだろ」
「しかし‥‥」
「華玉に手伝わせて、シノビ二枚ならあの陰陽師も何とかなるだろ。心配すんな、上には間に合うようにするさ」
 通路が狭くなっている場所で増援を迎え撃つべく、厳靖は東棟入り口まで下がる。
 皆、不安そうにこれを見送るも、野乃原・那美(ia5377)は陽気に言った。
「さて、それじゃあささっと行こうかな♪」
 フェルル=グライフ(ia4572)は鬼灯 恵那(ia6686)、レイシア・ティラミス(ib0127)の二人を交互に見た後大きく頷く。
 三人はそれを合図に目の前の敵を同時に斬り倒し、敵集団へ深く踏み込む。
 陰陽師が三人への術の行使を考えた瞬間、龍威 光(ia9081)の放つ炎の矢が九輪を貫く。
 と同時に、那美は飛び込んだ三人の脇を抜け、雑兵をすり抜けるように九輪へと。
 華玉は壁を利して天井近くまで飛ぶ事で雑兵の頭上を越える。
 それまでほぼ無傷だった九輪はこの攻撃で半死半生にまで追い込まれてしまう。
 これに動揺したのが雑兵達だ。
 引くか進むかの判断も出来ぬまま、次々蹴散らされていく。
 ネネ(ib0892)は隊の半ばにあって、ひたすら味方の治癒を続ける。
 現状は何とか隊列を維持出来ているが、この乱戦模様では何時までそうし続けられるか。
 為さねばならぬ事の多さに対し、思う通りにいかぬ現実はネネの焦燥感を掻き立てるも、努めて冷静でいられるよう自らに言い聞かせるのだった。


 三階。
 雲霞のごとく沸いて出る敵に対し、光は既に弓ではなく剣を用いねばならなくなっていた。
 並ぶ吉野も疲労の色は隠せず。
 通路、階段を進む一行の前後より攻め寄せる敵に対している内に、知らず知らず一行は分断されていってしまう。
「あ」
 と思った時には、光の背に、シノビの業が短刀を突き立てていた。
「龍威様!」
 吉野が一閃し業を突き放すと、二人は背中合わせに立つ。
「お怪我は?」
「な、何とか。それより、このシノビはここで倒しておかないとマズイですねぃ」
 二人が孤立している事を見つけたネネが、皆に戻るよう声をかけるが、二人はそれを固辞する。
 時間がかかりすぎている。早く上階に居るだろう強者を倒しておかないと、手遅れになるかもしれない。
 レイシアは、雑兵達の動きに綿密で精緻な指揮を感じていた。
 さして腕も無さそうな雑兵がこうも有効に動くのは、恐らく全体を指揮している者が優れているためであろうと。
 一刻も早くそいつを黙らせられなければ、光、吉野以上に厳靖が保たなくなるだろう。
 レイシアは渋る数人をけしかけ、無理に上階へと進む。

 四階。
 敵最終防衛ラインと思しき階であるここには、大鎌を構えた大善と不健康に細身の怒髪を先頭に、十人の兵と、三人の訓練生が待ち構えていた。
 志体持ちが五人。だが、別れた三人が最上階へと至る手間を考えれば、指揮官を叩き敵を崩す事をより優先しなければならない。
 レイシアが那美を見る。
「頼むわよ」
「おまかせっ♪」
 フェルルは恵那を頼る。
「どうか」
「うん」
 ネネは二人の勝率を少しでも上げるべく閃癒を施し、ここでも、更に二隊に分かれるのだった。


 戦力を分ける是非はともかく、これによって最上階で指揮を執る劉の計算を崩した事は確かである。
「みーつけた♪ あなたの斬り心地ちはどんな感じかな♪」
 辿り着いたは二振りの狂剣。
「ふふ‥‥八王のあの感触、今度はしっかり味わいたいなぁ」
 劉を戦闘に巻き込む事で、指揮を封じる役目は果たしているのだが、二人はそれで満足などしない。
 間合いを計る、そんな悠長な事はせず、那美はいきなり水遁で仕掛ける。
 噴出す水流は劉を取り囲み、姿勢を崩す。
 そして仕掛けたくてたまらないのは恵那も同じ。
 わき目もふらず飛び込んで連撃を。
 陽動も釣りも牽制も無い。
 全撃全力。全ては急所を引き千切らんが為。受ける劉の刀が鈍い音を立て、かわされた一撃が空を裂く。
 劉は器用にいなしつつ流れるように恵那の二の腕に剣を走らせる。
 これで下がらせ、踏み込んで来ている那美に対するつもりだ。
 それがわかっているわけでもなかろうに、恵那はこの斬撃ならばもらっても腕は落ちないと上段より斬り下ろす。
 究極の話、死ななければ安いのである。
 後退が間に合わず、胴前面に斜め傷を受ける劉。
「貴方は私のものだよ」
 肘撃ちを真後ろに飛ばす劉は、舞い散る木の葉に惑わされこれを外す。
 腿を貫く那美の刃。
「そこは僕達って言わないとダメだぞっ♪」
 二人の少女は年相応の笑みを交わす。
 指揮を聞く為部屋に足を踏み入れた連絡員は、その光景に絶句する。
 黒沙が誇る恐怖の代名詞、八王劉に剣を向けておきながら、あどけないとさえ言える程の笑顔で立ち回る二人を見たせいだ。
 那美がこれに気付き、ちらっと視線を流す。
「はいはーい♪ 僕たちの邪魔すると‥‥皆斬っちゃうんだぞ? 死にたい人からどんどんどうぞ♪」
 菜の花畑をオニごっこしながら駆ける可憐な少女二人。
「野乃原さん、そっちだよ」
「はーい、次恵那さんの番ね♪」
 赤い紋と流れる紅の着物。
「わわっ、あぶないあぶない」
「おーっ、さすが八王がんばるっ」
 手に持つ棒を無邪気に振り回し、飽きる事なく走り続ける。
 日が暮れ始め、斜陽が黄色の花を全て朱に染めるまで。
「あれ?」
「ん?」
 二人のオニは、捕まえた彼を見下ろし、顔を見合わせ首を傾げる。
「お終い?」
「お終いだね♪」


 厳靖が陣取った入り口は、一度に大量の数が入る事の出来ぬ、少数で防ぐに適した場所である。
 またこういった場所の有利な点として、押し寄せる敵の誰より腕が立つのなら、ある程度斬って見せれば敵が前に出るのを嫌がる点だ。
「さて、死にたい奴からかかって来い」
 リップサービスも交えてみると、何やら雑兵達の中で揉めだしてくれた。
 このままだべっててくれるのなら楽なんだが、と荒い息を漏らしつつ暢気な事を考えたのだが、やはりそう上手くはいかない。
 巨大な肉斬り包丁を手にした志士、蓮太が前に出てきたのだ。
「今夜の肉はお前か」
 今回劉の名は人斬りと縁があるらしい。
 可憐な二人と蓮太とでは比べるべくもないが。
 重量のある大包丁に対し、あくまで自然体を崩さぬまま刃横を撫で上げるように逸らす。
 受けは万全であると、絶対的な壁であると、押し寄せる者達に思い知らせてやらなければならない。
 工夫を凝らし総力で雪崩のように押し込まれたら、厳靖に打つ手はないのだから。
 丁寧な術技、正確な剣捌き、そして、一瞬で急所を貫く鋭さを。
 神経が悲鳴を上げている。
 極度の集中が疲労を加速させるのは理解しているが、今は集中故の疲労忘却に頼らざるを得ない。
 ふと、背中に友の気配を感じる。
『幻覚? こりゃ相当疲れてるな‥‥だが‥‥』
 例え幻でも、少しだけ元気は出てくれた。


 周囲を完全に取り囲まれながら、光と吉野は建物やら階段やらを利用しながら死角を無くしつつ戦闘を続けている。
 一番厄介なのは、雑兵に混ざって極端に鋭い攻撃を仕掛ける業の存在だ。
 投擲を主とする業に対し、雑兵を盾にされてはこちらも為す術がない。
 光は焦れた声で言う。
「う〜、まずいです、まずいです、まずいですねぃ」
 これに対し吉野は険しい顔のまま。
「焦ってはいけません。機は必ず訪れます」
 ちょっと堅っ苦しいかなと思えた吉野の性格も、こういう時は逆に頼もしく見える。
 一人づつ、確実に片付けていくと、次第に数が減ってきてくれた。
 当然といえば当然なのだが、これまではそう感じられぬ程、余裕が持てなかったのだ。
 劉からの指揮が途絶えた事が原因なのだが、戦闘においてはこの余裕というものが極めて重要である。
 視野が広がり、戦に反則なんて無い事を思い出させてくれるのだ。
 光はぽんと上に弓を放り投げる。
 ゆっくりと弧を描いて舞う弓。
 吉野が同時に床に何かを放り投げると、ばらばらと金属音が。
 つい弓に目がいってしまった者は、慌てて音を確認し動きが止まる。
 光は刀をくわえ、矢を手に持ち、弓を取り即座に放つ。
 ロクに狙いも定めぬ一撃、当たるわけがないのだが、驚いた雑兵は道を開けてしまう。
 開いた道の先には業が居た。
 吉野が駆け業に隣接すると、これを取り囲もうとする雑兵に光が弓を捨て斬りかかる。
 焦る雑兵が邪魔で下がるに下がれぬ業は、炎を噴く吉野の刀に打ち倒されてしまった。
 同時にかなりの怪我を負ってしまっているのだが、吉野はやはり表情を崩さぬまま雑兵を睨みつける。
 こうして士気と指揮を失った雑兵を打ち倒し、二人は上階に向かう。
「もう時間が無いのですねぃ! 研究員探しは諦めるしかありませんねぃ!」
「‥‥そう、ですね」
 そこで初めて、吉野の表情に変化が見られた。
 何処か安堵しているような、悔いているような顔。
 訓練生を斬らずに済んだ安堵、途中で見かけた捕らえられた少年少女達を捨て置く後悔。
 今、光が感じているものを吉野も共有している。そう思えた時、吉野が少し近くに来てくれた気がした。


 レイシアは戦闘開始前に予想した展開通りになっている事に、苦虫を噛み潰したような顔をする。
 フェルルに子供を斬れというのがそもそも無理があるのだ。
 かといって二人の志体持ちを抑えたまま、訓練生を捕らえるのは不可能に近い。
 満身相違になりながらも燦へと手を伸ばし続けた姿を目にしているレイシアは、フェルルは決して引かないとネネに目をやる。
 これからやる事を見ても、絶対に動じるなと目で釘を刺し、レイシアは訓練生にオーラ漲る全身で剣を腰だめに構え渾身の体当たりを見舞う。
 倒れる訓練生。フェルルの悲痛な声が聞こえるが、身を切られる思いでこれを無視。
 ネネを護らねばならない配置をすら越え、無理矢理敵のど真ん中に飛び込んで行く。
 八方を囲まれ文字通り袋叩きとなるが、その位置を動かず。仁王立ちで迎え撃つ。
 敵サムライ大善、泰拳士怒髪がこちらの弱点を察する前にケリをつけるしかないとレイシアは腹をくくったのだ。
 フェルル、ネネもまた、そんなレイシアの覚悟を感じ取る。
 ネネは自らをすら囮にする勢いで前進し、練力切れも恐れず閃癒を唱え続ける。
 訓練生の一人が、ネネに目を付け刀を振るう。
 剣術もロクに修めていないネネが、剣を構えたとて何程のことがあろう。
 防がんとかざした剣は弾かれ、肌を幾筋も斬り傷が走る。
 それでも急所だけはと必死に防ぎながら、治癒の術を続ける。
 フェルル=グライフの戦いは、やはり攻め手には圧倒的に向いていない。
 優位を優位のまま敵を押し潰す、ただ敵を消す事を目的に是非を問わず武器を振るう、そういった戦い方に、心底から向いていないのだ。
 しかし、それが友を、仲間を、大切なものを護るためとなれば、その刃は荒れ狂う金色の暴風と化す。
 ならば、必死に歯を食いしばり戦うレイシアを、ネネを見て、フェルルの武が動かぬはずはない。
「生きて治療を受けている子、今ここに捕らわれて苦しんでいる子‥‥子供達の未来をもうあなた方黒沙の好きにはさせません!」
 まずは一斬。大善の構える大鎌ごと、その体を彼方まで吹っ飛ばす。
 更に出来た隙に、ネネを狙う訓練生に石突の一撃。
「私もっ」
 ネネはレイシアにまとわりつく訓練生の足に、力の歪みを生じさせる。
 捻ったように足が腫れあがり、軸足をそうされた訓練生は大きく体勢を崩す。
 そこにレイシアの腕が伸びる。
 顔を力づくでひっ掴み、体重を乗せきり床に押し倒す。
 訓練生は転倒とのしかかられたレイシアの体重に息が詰まる。
 膝を折り曲げ、みぞおちの上に落ちるようにされたのだから、訓練生もたまらなかっただろう。
 しかも、レイシアは床につく瞬間、膝に力を込め跳ね上がる反動を得る。
 背を向けたレイシアに対し、襲い掛かる怒髪。
 これを、思いっきり跳ねた事で背中でぶつかりにかかり、全ての攻撃を封じつつ、脇の下を通して大剣を突き刺す。
 吹っ飛ばされた大善が怒りと共に走り来る。
 これを迎え撃とうとしたフェルルは、自分が手にしている薙刀が動かない事に気付いた。
 最初にレイシアが斬った訓練生が、薙刀にしがみついていた。
 迫る大鎌、身動き取れぬフェルル。

「使って!」

 声と共に側に突き刺さる長巻を、フェルルは考えるより先に掴み、振るっていた。


 五階に残っていた研究者やらを相手に大暴れしていた恵那と那美に連れられ、長巻を投じたのは、詩であった。
「詩ぃちゃん!? どうしてここに!」
 フェルルの驚きの声にも詩は悪びれもせず言う。
「えへへー、来ちゃった」
 レイシアはしゃがみ込みながら心配げな顔をする。
「‥‥大丈夫?」
「うん。えっとね、アルーシュお姉ちゃんがずっとうたをうたってくれたの。そしたら、何か、その、頑張らなきゃって、そう、思えて‥‥」
 ネネは、こんな所に来てしまった事に言いたい事はあるにしても、思ったよりずっと元気そうな顔が見れたのは嬉しいと、ちょっと複雑な顔である。
 光と吉野も合流し、一番最後に怪訝そうな顔の厳靖と、逆側の入り口を押さえていた華玉が現れる。
「一体どうなってんだ? 連中引き上げて行っちまったが」
 詩はくすくすと笑った。
「だってね、来たのは私だけじゃないんだもん」



 黒沙の街から無数の黒点が群となり湧き出してくる。
 時折日の光に照らされ銀光を放つのは、それが、武器鎧をまとった戦士の集団であるからだろう。
 彼らが一様に見据える先、そこには旗を掲げた一団が集っていた。
 その先頭に立つ、この規模の軍を率いるには若すぎる女、薮紫は馬上にて腕を組んだままにやりと笑った。

「犬神、参上」