黄泉
マスター名:
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/11/01 20:14



■オープニング本文

 旅の侠客、そういえば聞こえが良いが、実際の所はただの根無し草だ。
 それでも志体を持ってるだけで、好き勝手させてもらえるというのだから、こんなありがたい話は無い。
 行く先々でそれらしい連中の庇護を受け、時折出入りの手助けをしてやる。仕事といえばそんな程度。
 それだけで先生呼ばわりされもてはやされる。いやはや、世の中ってな楽に出来てる。
 それでもあまりに弱すぎれば恥をかく。だから修練は怠らずやってきた。
 自分で言うのも何だが、結構な腕前だと思うぜ、俺は。
 そんな適当な人生を送ってきた俺が、彼女と出会っスのは一体幸運だったのか不運だったのか、今でも良くわからない。
 ただ一つはっきりしてる事は、この女から逃げようなんて気はとうの昔に失せているという事だけだ。

 木根昭三が何時もどおりねぐらに戻ると、昭三の主である女、黄泉が庭で桜の木を見上げていた。
 端正に整った顔は、こうして真横から見ても非の打ち所がなく、感情の無い目で見上げる様は、何処か現実離れした風景に感じられる。
「昭三?」
「‥‥今戻りました。食い物と酒とありますんで、すぐ用意します」
 黄泉は、その端正な顔を、にやりと歪ませる。
 何度も見ているはずのこの表情にも、昭三はやはり都度走る悪寒に震える事になる。
「ねえ、今日は私、お寿司が食べたいわ」
 希望ではない。これは決定である。
 昭三はすぐに街にある寿司屋の中で、特に昭三達と仲の良く無い連中と繋がりの深い寿司屋を選び、黄泉に勧める。
 二人が向かったのは組の親分のような連中が出入りする寿司屋だ。
 黄泉が店に入ると、明らかに従業員の空気が変わる。
 見ていて可愛そうになるぐらい震える女性店員は、別室に茶を持っていく最中であった。
「ねえ」
「ひっ!?」
 一言声をかけられただけで、女性店員はお茶を溢す程驚き、立ちすくむ。
 黄泉は無言でそのお茶を手に取り、一口だけ飲みすする。
「ふふっ、私、熱すぎるお茶好きじゃないの」
 この一言で、今日の餌食は彼女に決まった。
 彼女で遊び始めた黄泉を置いて、昭三は店の主に話を通しに行く。
 寿司を用意させ、彼女を諦めさせ、逆らう意志があるかどうかを訊ねる。
 店主は昭三の要求を全て呑み、ついでに風呂を用意しろという要求にも応える。
 双方の納得が得られた所で昭三は黄泉の所に戻る。
 廊下一面にぶちまけられた血潮、その中心には、かつて人であった残骸が転がっていた。
 黄泉は刀を抜いていない。
 素手で、この惨劇を演出したのだ。
 理由は特に無い。強いて言うならば、今日はそういう日であったという事だ。
「お風呂、ある?」
「はい」
 昭三は用意させた風呂に彼女を案内し、店主に命じて廊下を片付けさせた。

 稀に居るのだ。
 修行と実戦とを積み重ねなければ辿り着けぬはずの境地に、さしたる労苦も払わず至れる天才という存在が。
 ほとんどの場合、その優れた才能はより大きな場所で振るうべく、しかるべき場所に誘われていく。
 しかし、同時にどうしようもなく、ヒトであれなかった存在がこの力を手にしていたら。
 何処までいってもどんな相手であろうと相互理解は得られず、他者には決して理解しえぬ己が欲求のままに生きる、それだけの為にありあまる才能を振るうなんて悪夢も、この世にはありうるのかもしれない。
 街の衛兵なぞでは、何人がかりだろうと手になど負えず。
 志体を持った者ですら、その剣の前にはあまりに無力。
 何時しか彼女は存在自体が治外法権となる。
 如何に腕が立とうと、たった一人でそうしうる者は、それこそ人間ではない。
 彼女の回りには、その才を愛した者がいるのだ。
 昭三もそんな中の一人である。
 恐れもし、逃げ出そうともした。
 しかし、離れた安全な場所で思い出すのは、彼女の奇跡としか思えぬ剣の冴え、その輝きの軌跡であった。
 体系的に学んだものでは絶対にありえないが、彼女の剣には決して揺るがぬ理があった。
 彼女自身にも説明出来ぬ天賦の才を、惜しみ、慈しむ昭三含む五人の男達にとって、それ以外の事なぞ、例え人命であろうと瑣末であった。

 大曽根が大笑いしながら男の顔を掴み、片手で持ち上げると、男はくぐもった悲鳴を上げる。
 仕方ないといった顔で四郎がだんご屋の主に話をつけている間に、柿崎がこの男の腹部に刀を突き刺す。
 四郎が戻る頃には、男の無残な躯がだんご屋の前に転がっており、大曽根、柿崎がこれを前にけたけたと品の無い笑い声をあげていた。
 四郎は、目だけでだんご屋の主に片づけを命じると、どちらに言うともなく呟く。
「見た目だけ黄泉の真似をした所で、甲斐なぞないものを」
 ぎんっ、と鋭い視線を四郎に送る二人。
「黙れ犬」
「いずれ追いつかんとする姿勢あってこそ、あの方はお側においてくださるのだ」
「お前達はな」
 幼少のころより黄泉の下僕をやってる四郎に、彼等二人のような危機感は無い。
 黄泉と付き合う以上、常に危機感自体は必要なのだが。
「‥‥まあいい、そろそろ屋敷に戻るぞ。不穏な噂を耳にしたのでな」
「噂?」
「かみなりにも言っておけ。どうやら開拓者が黄泉を狙っているらしい」


■参加者一覧
北條 黯羽(ia0072
25歳・女・陰
佐久間 一(ia0503
22歳・男・志
空(ia1704
33歳・男・砂
野乃原・那美(ia5377
15歳・女・シ
浅井 灰音(ia7439
20歳・女・志
オドゥノール(ib0479
15歳・女・騎
風和 律(ib0749
21歳・女・騎
鬼灯 刹那(ib4289
19歳・女・サ


■リプレイ本文

 朝、黄泉が四郎を伴って屋敷を出ようとすると、ふと足を止める。
 何がおかしいのか黄泉はくすくすと笑い出した。
「ねえ、見て四郎。とても大きな鬼が見えるわ」
 四郎はその言葉を聞くなり青ざめ、屋敷にまだ居る他の仲間を呼び寄せる。
 一体何事かと集まる仲間達に四郎はこう説明した。
「‥‥お前達と出会う前にあった、俺と黄泉のみが生き残った戦い。その時も、黄泉は同じ事を言ったんだよ」

 奇襲にも完璧に対応されてしまい、佐久間 一(ia0503)がならばと牽制のつもりで放った焙烙玉には、敵の視界を奪うという意味もあった。
 湧き上がる煙を切り裂き、一の放つ赤光が柿崎へと。
 金属同士が打ち合う音が響く。
 まだ相互に煙に隠れて相手の位置が見えぬのだが、刀が弾かれる勢いから一は煙中にある柿崎の構えを想像する。
 左袈裟に、手首を返すようにしての一撃。
 そう読んだ一は半歩下がりながら払い落としを。
 刀の半ばに重量を感じた一は、最早反射の域であろう反応速度で刀を半円に回す。
 柿崎の刀を引っ掛けたまま、足元を回しつつ下げた足を踏み込み左逆袈裟に斬り上げる。
 弧を描いて伸びる紅の軌跡は、のけぞったらしい柿崎により鎧を切り裂くに留まる。
 煙が晴れ、互いに姿を確認する。
「チッ、それだけの腕がありゃ黄泉がどんな存在かもわかるだろ。その上で斬るってのか?」
「死と暴力と恐怖だけを振り撒く厄種に成り果てる前に‥‥必ず、斬ります」
 二人の刃が激突する。
 どちらも一歩も引かぬ激しい打ち合いが続く。
 そんな中、一は柿崎の呼吸を読む事に集中しつつ、間合いを計りながらその癖を見切りにかかる。
 若干だが伸びのある逆袈裟、技量に比して少々狭いと思える間合い。
 柿崎は連撃で一の疲労と焦りを誘い、不意に一手、いや半手分隙を見せる。
『ここです!』
 上段に構え一が踏み込むと、柿崎は一瞬で刀を鞘に収め、間髪入れず抜き放つ。
 何をどうやってもこの居合いに一の刀は間に合わない。
 が、一は手首を返して刀を真下に放る。
 柿崎の居合いは一の落とした刀にぶちあたり、これを裏側より一は肘と上げた膝で受け止める。
 一は最早力を失った居合いの刃を放置し、自身の刀の刃を素手で引っつかみつつ柿崎の胴を切り裂いた。
「キ! サマッ!?」
「仕掛ける間さえ読めれば、裏を取るのもさして難しくはありませんよ」

 騎士の剣技に小細工は不要であると考えるのは、浅薄な見方であろう。
 頑丈な盾鎧が発達していた背景から、力強い技であるのは疑いようもないが、騎士の全てがただ腕力自慢なわけではない。
 オドゥノール(ib0479)の振るう槍先が煌くと、かみなりは近寄る事すら出来ず大きく後退する。
 武器の利点を最大限利する戦い方は、槍先から横に伸びた鎌状の刃により更に厄介なシロモノとなる。
 かみなりは一度この鎌部に剣を当て槍先を防ごうとしたのだが、それを読んだオドゥノールが槍を回して受けをかわしにかかったせいで首の皮一枚を持っていかれてしまった。
 首元からは今もじくじくと出血が続いている。
 かわしずらい攻撃を、全力を込める事で受ける事すら許さず叩きつける。
 オドゥノールがこの攻撃を仕掛けるのに払っている技は、一つや二つではない。
 視線、踏み込む歩法、腕の挙動、槍先の位置、どれ一つ取っても訓練と試行錯誤の先にある技術の顕れだ。
 全体を見据えながらゆっくりと槍先を上げる。
 ちょうどかみなりの視界からオドゥノールの顔が、より正確には視線が隠れる高さだ。
 上体を僅かに後ろに引きつつ、踏み込む。
 一歩、二歩、三歩目で上体を前かがみに。
 それでもまだ前傾姿勢に余裕を持たせつつ、構えはそのまま。
 二度程左右の肘を順に動かす。
 刀の間合いに入る前、槍の間合いである距離で肘を動かせばかみなりは反応せざるをえない。
 刀の間合い、ぎりぎり届かぬ位置から、前傾いっぱいに体を倒し、足を上げず大地を滑るように槍を突き出す。
 何度も突きを受け間合いを見切り、返し技を仕掛けんとしていたかみなりは、くるりと体を回しかわしかけるもオドゥノールの槍術はこれを許さず、胴横を鎌部にて切り裂く。
 脇腹から噴出す血に大きく距離を取って仕切りなおしを考えたかみなりであったが、オドゥノールはそこから爆発したような踏み込みを見せる。
 一瞬で先端にまで満ちたオーラの槍は、受けるかみなりの刀を弾き飛ばし、その胸元に深く突き刺さった。

 大曽根の全身は鎧の隙間より漏れ伝う血に塗れていた。
 しかしそれは相対する空(ia1704)も同様で、ざっくりと抉られた二箇所の傷から滴る血が止まる様子はない。
 あくまで空は仕事としてこの殺し合いを引き受けていたはずである。
 しかし、その戦意たるやどうだ。サムライの剛剣を相手に、怯むという事を知らぬ。
 いや、戦意と呼ぶにはあまりに殺意が濃すぎる。
「‥‥ィ、キサマが憎い」
 必死の形相で空の殺気に抗い続ける大曽根は、空の口より漏れる言葉にびくりと体を震わせる。
「護りタいモノが残ッテいるノが憎イ慈しむモノを持っていルのガ憎い命ヲ賭けるモノが居るのガ憎いソの目が開くノが憎い貴様ガキサまヶき様ガァァッァァ‥‥ヒ、ヒヒッ、イイ、イイヒヒ」
 不条理極まりない呪いの文句。
 地の底より湧き出した黒き瘴気が全身にまとわりつくような感覚が、大曽根の体を縛る。
 大曽根は竦む足を叱咤すべく大声を張り上げる。
「例え狂人であろうと! 黄泉には指一本触れさせぬわ!」
 大曽根の絶叫に、空の口の端がひり上がる。
 一足で踏み込んだ空の刀を大曽根は刀をかざして防ぎ、力押しにて返さんと気を込める。
 と、逆腕で空は手裏剣を懐より抜き出す。
「ッヒヒッ‥‥ィィのかァ、大事なモノに傷が付くぞォ?」
「なっ!?」
 大曽根はぎりぎりと刀を押し込みにかかるも、空の手裏剣の方が早いに決まっている。
「サーン‥‥ニィイチ!」
「くそっ!」
 強引に空を振り払う事で投擲姿勢を崩しにかかるが、のけぞるように倒れながら空は手裏剣を振りかぶる。
 放たれた空の手裏剣は、咄嗟に射角を塞ぎにかかった大曽根に突き刺さるが、それだけでは済まない。
 飛び込んだのと痛撃をもらったので崩れる大曽根に、影にしか見えぬ素早さで空が迫る。
 一度刺し、急所を貫いた後も、空は二度、三度と大曽根の体に刀を突き刺し、完全に動きが止まるまで、何度でも刀を振るうのであった。

 昭三の攻勢を凌ぎながら、風和 律(ib0749)はその力量を見切る。
 奇をてらわぬ剣。両断剣を駆使してくるその組み立ては、実力相応の武を遺憾なく発揮しうる構成となっている。
『しかし、このままならば順当にお前が敗れるだけだぞ』
 律は昭三の攻撃が途切れる瞬間を狙い大剣を走らせ、痛打を積み重ねる。
 一つ一つの動作を丁寧に、正確に、受け、捌き、そして斬る。
 昭三は隙を見せぬ程度に、周囲の戦況を伺っているようだ。
 そこかしこでちゃんちゃんばらばらやってるせいで、剣を交えながら全てを見通すのは無理であろう。
 それでも昭三は、無理押しする事もなく、乗るか反るかの博打に出る事もなく、淡々と、しかし確実に傷を増やしていく。
 ひたひたと迫る死の恐怖。
 これを耐え忍ぶのは並大抵の理由では為しえない。
『‥‥仲間を、黄泉を信じているのだな』
 自分も盾として敵に立ちはだかる事を旨とする騎士であればこそ、昭三の恐怖も忍耐も、手に取るようにわかる。
 この敵にも心がある。そう思えた事は、律の更なる憤怒を呼び起こした。
『死の恐怖を、仲間の大切さを知る貴様が‥‥無体な狼藉の片棒をかつぐとは何事だ!』
 ここに来て、律の全身を力ある輝きが覆い尽くす。
 剣先は鋭く伸び行き、切っ先より飛び出す程に満たされたオーラは容易く鎧を切り裂いていく。
 昭三が見せる焦りの表情にも一切の加減をせず、受け止める刀ごと、防ぐ鎧ごと、かわさんとする挙動ごと、剛剣にて打ち砕く。
 何度大剣を叩き付けた事だろう。
 痺れ青みがかった昭三の両腕は、遂に自重を支える事すら出来なくなり、だらりと垂れ下がってしまう。
 哀れっぽく見上げる昭三の首筋に、剣を突きつける律。
「情けを請える立場でも無かろう」
「‥‥ちくしょう、俺はただ、死にたくなかっただけなんだ‥‥」
「街人も、そうであったろうな」

 鬼灯 刹那(ib4289)は、ともすれば取り落としてしまいそうな大鎌を構えなおす。
「あなたも案外強いわね」
 対する四郎は、足元に黯羽の式を張り付けながらも、だらりと刀を下ろした自然体で刹那を睨む。
「俺に黄泉のような才はないが、ガキの頃からアレを見ていたもので自然に、な」
「真似られるような類のものじゃないでしょうに」
「‥‥あれで昔は俺に剣を教えるつもりがあったと言ったら信じるか?」
 くすくすと笑う刹那。
「可愛い所あるのね」
「随分昔、黄泉を見てそう思ってしまったのが運の尽きだったな」
 ずいっと大鎌を引く刹那。
 大剣大斧等と一緒で、振るう軌道が制限されてしまう大物武器は、取り扱いが難しい。
 特に形状が特殊にすぎる大鎌は守りに入ると重量や奇妙な重心からとんでもなく不利になる。
 だから、攻める事で守る。これが大鎌使いの極意となる。
 一度攻勢に出たのなら、倒しきるまで決して止まってはならない。
 そしてくぐられればそれで終わり。先端に偏った重心、棍として用いるにも、右に左にくるりと回る刃のせいで安定させるのに余分な力が必要なのだ。
 だから踏み込んで来た四郎に対し、刹那は大鎌より片手を離し渾身の左拳を叩き込んだ。
 同時に四郎の刀も刹那を斬り裂くも、再びこれで距離を取る。
 すぐさま横薙ぎに振るわれた鎌は、寸前で直上に跳ね上がり、重力を利して振り下ろされる。
 黯羽の呪いが常に四郎を捉えている事、不意の縦の動きに四郎が付いていけなかった事、以上二点が四郎の敗因となる。
 背に突き刺さった刃はそのまま引き寄せるように振りぬかれ、肩裏から胸部を切断され、腕がぼろりと地に落ちる。
「我儘な姫様から解放してあげるわよ」
「‥‥うれしい、んだか、悲しいんだか、自分‥‥でも、良くわからん、な‥‥」

 半ば引きつった顔で北條 黯羽(ia0072)は安堵の息を漏らす。
「勝ったか刹那。まったく、心臓に悪い子だよ」
 黯羽は戦闘開始から、常時四郎と黄泉に呪縛をかけ続けていた。
 他でもひやりとする場面があったのだが、他所に手をかけている余裕がまるで取れない。
 この、黄泉という化物を相手にしていては。
 浅井 灰音(ia7439)は黄泉の剣を一合受ける度に、新たな驚きと恐怖に冷や汗を流す事になる。
 ただの一つとて凡庸な技は無い。
 振るう剣の全てが、いやさ体裁きや戦闘の組み立てまでも、全てが見た事もない異質なものに感じられる。
 激しく動き回り汗だくであるのだが、体の芯から凍えるような恐怖が常に付き纏う。
 同時に戦っている野乃原・那美(ia5377)が、もう幾度目になるか、斜め後方より斬りかかるのが見えた。
 いや、斬りかかるなんて生易しいものではない。
 当たれば彼方まで吹っ飛ばしかねない速度で飛び込んで行くが、灰音を目で封じつつ後ろも見ずに振り上げた刀は、踏み込んだ那美の首元を綺麗にかすめる流麗な斬り上げとなる。
 ぎりぎり四分の一歩で踏みとどまり、この切っ先の射程より離れる那美。
「あはは♪ いいね、この感覚♪ ぞくぞくしちゃうのだ☆ もっと、僕にその感覚を感じさせてよ♪」
 今この瞬間、九死に一生を得たと言っても過言ではない程の斬撃をかわしながら、那美から笑みが途絶える事はない。
 めぐり合う事すら稀な強敵を前に、戦闘を、生き死にを楽しめる戦友と共に剣を振るえる。
 その喜びが、灰音の全身を駆け抜ける。
 神経を何処までも鋭敏に滾らせ、動きではなく気配で察する。
 黄泉の斬撃に予備動作など無い。いや、あっても見てからでは絶対に間に合わない。
 来る気を察し、受けるか避けるかを考えずに判断し、次をすら考えず全力で凌ぐ。
 一撃凌ぐたび、背筋を電が流れる。
 快絶ここに極まれり。那美同様灰音もまた、黄泉の剣を心底堪能しているのだ。
 黯羽は既に斬撃符を使っていない。
 剣を当てるのは至難の業であり、術による攻撃が頼みの綱であるのだが、呪縛符を乱打した影響もあり、これ以上は攻撃に練力を回せなくなっているのだ。
 それでも、黄泉への呪縛符だけは切らせない。
 大地を嘗めるように飛び行く符が、鷹揚に構える黄泉の足元に突き刺さり、湧き上がる瘴気がその足を捉える。
 これまでに二度、黯羽を持ってすらこれをかわされているので、何とか成功すると肩の荷が僅かにだが下りた気になる。
「後少しだよ! 二人共踏ん張りな!」
 ようやく担当敵を倒した仲間達が駆け寄ってくる。
 那美は灰音を見、灰音は那美を見る。
『ここまで来て他の人にあげるのやだっ♪』
『コイツを斬るのは私達だよ』
 那美は真正面より黄泉へと迫る。
 黄泉の無造作に伸ばした刀は、しかし那美を捉えず舞い散る木の葉に惑わされる。
 はずであった。
 視界を誤魔化し、俊敏な動きで迫る那美であったが、黄泉は正確にその位置を刺し貫く。
 それでも、那美は笑っていた。
「どう? ねえ、自分が普段他人にしてることされる気分はどう?」
 苦痛を母親の胎内にでも置き忘れてきたのか、那美は刀に刺し貫かれたまま、明らかに遅れていたにもかかわらず振るった刀を黄泉に突き立てていたのだ。
 体で黄泉の刀を止める事は出来ない。
 薙ぎ払いながら那美は振りほどかれ、真後ろより迫る灰音に向け刃が走る。
「そう来ないと‥‥楽しめないよね?」
 灰音は上段よりの振り下ろし。
 黄泉もまた振り返りざま、上から刀を叩き下ろす。
 万全で構えていたはずの灰音より、黄泉が真後ろから振りかぶった刀が早いのはどういった理屈であろうか。
 見た目には、全く同時に振り下ろされた二本の刃。
 二人の肩口から胴にかけて、血潮が吹き上がる。
 そのまま二人は動きを止めるが、黄泉がぐらりと前に揺れる。
「ふふ、隙だらけだよ? この斬り心地‥‥か・い・か・ん♪」
 信じられぬ事だが、振り返った黄泉の背後から、引きずり倒されたはずの那美が刀を突き立てていたのだ。
「そろそろ終わりにしようか。貴女の様な相手に出会えた事を感謝するよ」
 動かぬ右腕の代わりに左腕にて剣を握り、灰音は黄泉の首を斬り飛ばした。
「でも‥‥貴女とは違う形で出会ってみたかったね。とても残念だよ」


 黯羽は全てが終わると煙草に火をつけ、大きく吸い込む。
「やっぱ戦闘後の煙草は美味ぇな‥‥そう思わないか?」
 応急手当にも関わらず全身包帯でぐるぐる巻きにされ煙草どころではない那美と灰音に、ちょっと厭味ったらしくそう言ってみたのだが、実に満足げな二人を見て、こりゃ処置無しだと再び煙草に口をつけるのだった。