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■オープニング本文 激しい雷雨に晒された船は、遠目に見てすら揺れ跳ねて見える。 近寄って見ると、より彼等の労苦が理解出来よう。 この状況で甲板に出るなど正気の沙汰ではないが、それでも、行かねばならぬが船乗りだ。 命綱のみを頼りに、斜めに傾いた飛沫の跳ねる甲板を走る。 必死に柱にしがみつき、新たな命綱をそこに縛りつけ、それまでの綱を切り落とす。 これを繰り返し、甲板端、更に突起のように突き出したプロペラへと。 這いずる手は、体は、僅かでも気を抜けば滑り外れてしまうだろう。 プロペラ修理において、一番注意しなければならないのは、回転するプロペラに命綱が巻き込まれる事だ。 特に今日のように風が強い日ヘ、その餌食になりやすい。 命綱がプロペラに触れ切れてしまう他、綱がプロペラに絡まり回転に引き寄せられ体をプロペラに切り裂かれる等。 長く空の仕事に従事しているベテランでも、事故は決して侮ってはならないのだ。 男は、顔面に叩きつけられる雨粒に視界を奪われながら、板を外し、中のシャフトを確認する。 外から見ていた時に、既に不調の当たりはつけてある。 案の定、シャフトを支える柱がへし折れてしまっていた。 これを強引に付け直し、太い縄で縛る。 この風雨の中では、ズボンの後ろに固定してあった補強用の板を取り出すのすら一苦労だ。 ふっ、と男は意識を失いかける。 強すぎる風と高度の高さから、酸素を得にくい状態であるせいだ。 風に対し、体を寝かせてこの強烈な風撃を逸らしていたのだが、意識を失った事により上体が僅かに持ち上がってしまう。 その衝撃で目が覚めた。 空の彼方から関取がぶっ飛んで来て、男にぶちかましをくれたような勢いであったが、意識を取り戻した男は慌てて身を伏せ風から逃れ、作業を続ける。 全ての作業が終わると、男は元来た道を、これまた普段の十倍の時間と百倍のリスクを背負って戻る。 男にとって、船乗りにとって、雷雲を突破するというのは、こういう事であった。 「いつまでかかっている! この程度の嵐、この船の速度ならば容易く突破出来よう!」 そう言ってわめき散らすのは今回の調査行における責任者、商人の弓枝である。 高い金を払って船と護衛の開拓者を雇い、勇躍新天地へと飛び出してみたのだが、行きの道中でとんでもない嵐にぶちあたってしまった。 せめてあちらに辿り着けさえすれば、僅かな発見物でも元は取れる。 だが、船長である大河内は彼の事情をわかった上で、堂々と言い放つ。 「これ以上の航行は無理だ。引き上げるぞ」 当然、弓枝はぶちキレる。 「ふざけるな! まだあるかまるのあの字も見えていないんだぞ! 貴様それでも船乗りか! この程度の嵐で怯むような腰抜けが偉そうに船乗りを名乗っていたとでもいうのか!?」 大河内は弓枝の激昂にも臆する事なく、淡々と告げる。 「既に三度の嵐と遭遇している。このままでは例え辿り着けたとしても、帰りも無事にとはいかなくなる」 「ええい腰抜けの逃げ口上なぞ聞きたくない! 貴様等この期に及んで命が惜しくなったな! だが、俺が雇い主である以上お前等の泣き言なぞ聞いたりはせんぞ! お前達も誇りある船乗りなら、ごたくはいいからさっさとこの嵐を突破してみせろ!」 大河内は静かに、しかしきっぱりとした口調で告げる。 「現時点をもって、あるかまる到達を断念。当船は鬼咲島へと帰還する」 目標を達しえぬ悔しさはもちろん大河内にも、他船員にもある。 自らの技量にも自信はあるし、命知らずの勇敢な船乗りであると言われる事は、彼等にとっても名誉な事であるのだから。 だが、現状で船員が弓枝と大河内のどちらに従うかは考えるまでもない。 そんな彼等の様子を見て、弓枝は腰の刀を抜いた。 「次は無いぞ。‥‥あるかまるへ向かえ」 「断る。俺はあんたも含む、全船員の命を預かっている。分の悪すぎる賭けなぞ許容出来ん」 刀がひらめき、大河内の肩口から血が噴出す。 弓枝は痛みにうずくまる大河内を蹴り飛ばし、船員達に向かって怒鳴った。 「これより船長は俺が引き継ぐ! この臆病者は船倉にでも閉じ込めておけ!」 数人の船員が大河内の下に駆け寄り、そして、彼が頷くのを見て艦橋に居た全船員が動いた。 あっという間もなく弓枝は組み伏せられ、船室に押し込まれてしまった。 船員達は大河内に治療を勧めるのだが、彼はこの程度かすり傷だと軽く包帯を巻く程度の治療で指揮を続ける。 弓枝が押し込まれた船室からは、途切れる事なく罵声が聞こえて来る。 開拓者にこの船を制圧しろだの、報酬を二割上げるから大河内を斬り殺せだの、えらい騒ぎである。 時期に並の指示ではこの状況を突破出来ぬと悟ったのか、今度は皆へと呪いの言葉を吐き出した。 「覚えていろ貴様等! 船員ども皆契約違反で訴えてやるからな! ただの違反程度では収めんぞ! どいつもこいつも二度と仕事出来ないようにしてやるからな!」 確かに、雇い主を閉じ込めその意向を全て無視するなど、無法もいい所である。 港に戻ったら、おそらく本当に厄介な事になるだろう。 が、荒れ狂う空を行く者達は、誰一人彼の言葉に耳を貸さず、戻る事すら困難な空を必死に進んでいく。 後の事なぞ、生き残らなければ全てが無駄であるのだから。 何とかこのヤケクソな嵐の中船首を翻す事に成功し、来た道で遭遇した二つ目の嵐に突入した時、見張りから報告が上がる。 「アヤカシが出たぞおおおおおおおお!」 艦橋にて、少し青ざめた顔で大河内は、半ば諦めるように深く嘆息する。 「‥‥ツイてない時はこんなもんだよな。開拓者を呼べ! アヤカシだろうとひやかしだろうと、船には指一本触れさせるなよ!」 同時に船外で作業している船員に引き上げるよう指示するが、全部で四機あるプロペラの内、二つ目が止まってしまった事でどうしても誰かが行かねばならなくなる。 これ以上一機でも止まってしまったら、嵐の中で航行不能となるからだ。 大河内は誰よりも先に艦橋を飛び出す。 「俺が行く! お前等は船の維持に努めろ!」 船長大河内は、同時にこの船で最も優秀でタフな船乗りであるのだ。 だとしても、アヤカシ襲来中の船で船外作業なぞ正気の沙汰ではないが。 副長が大慌てで後を追い、怪我を理由にどうにかこうにか大河内を艦橋に引きずり戻すと、特に屈強な船員を四人選び船外作業に当たらせる。 指名を受けた四人は、決然とした表情でこれを受け入れる。 船長を行かせるぐらいなら俺が行く、四人共がそんな顔でこの無茶な作業を引き受けたのだ。 |
■参加者一覧
焔 龍牙(ia0904)
25歳・男・サ
黎乃壬弥(ia3249)
38歳・男・志
シエラ・ダグラス(ia4429)
20歳・女・砂
鈴木 透子(ia5664)
13歳・女・陰
コルリス・フェネストラ(ia9657)
19歳・女・弓
オドゥノール(ib0479)
15歳・女・騎
ヴァナルガンド(ib3170)
20歳・女・弓
煉谷 耀(ib3229)
33歳・男・シ |
■リプレイ本文 真っ先に飛び込む役目ではないが、先制の一打はやはり射程の長い弓術師のものとなろう。 ヴァナルガンド(ib3170)がぎりぎりと引き絞った弓より矢を放つと、一群となっていたアヤカシ達は一斉に散開する。 その一糸乱れぬ流麗な動きは、嵐の最中とは思えぬ見事さである。 対する開拓者達だが、とりあえずヴァナルガンドは思った。 「‥‥弓打つ環境じゃありません、これ」 ただでさえ揺れる龍の上、それだけならば何とか狙い定める事も出来ようが、大嵐のおまけまでついているのだ。 騎龍レージングが今どちらからの風をどう受けているのかすらわからない。 前へと進んでいるのに、いきなり背後から強風を感じ失速したかと思えば、羽ばたいた翼いっぱいに風を受け猛加速を始めたり。 レージング自身もこの嵐をどう処理していいものか困っているようだ。 馬も龍もそうだが、騎射を行なう際は揺れるとはいえその揺れには一定のリズムがある。 それらを瞬時に察しうる弓術師の技もあるが、その技術無くともある程度は間を計れるものだ。 しかし、あまりに強すぎる風はレージングにすら御しえず、結果、龍上は荒れ狂う空そのまま無秩序に跳ね回る。 コルリス・フェネストラ(ia9657)は、同様に跳ねる龍の上で、上下左右に揺さぶられる視界の中、敢えて乱れに逆らわず全身を流れるに任せる。 広い空での戦いだ。地上でのそれと違い、陣を張って突破を阻止するのは不可能に近い。 散開した大怪鳥の一体が、高速でコルリスの脇をすり抜けるに合わせ、側面に向け矢を放つ。 最も接近した位置取り、絶妙の間合いにて放たれた矢は大怪鳥の羽を貫き更に奥へと飛びぬけて行った。 風の音でかき消されぬよう、ヴァナルガンドに向け大声を張り上げるコルリス。 「条件が悪すぎます! 龍が嵐に慣れるまでは牽制程度に留めて下さい!」 その悪条件の最中、あっさりと初撃を成功させた人の台詞ではないとヴァナルガンドは思ったが、言う事も尤もだと無理に命中打を狙うのは諦める。 これだけやけくそに揺れる龍の上で、むしろそちらの方がありがたいとばかりに弓を撃つコルリスを見て、世の中は広いとしみじみ頷くヴァナルガンドであった。 シエラ・ダグラス(ia4429)の駿龍パトリシアは、荒れ狂う風雨にもまるで動じた様子は無い。 シエラが指し示す方角へ正確に向かい、船への近接を試みる鷲頭獅子の頭を抑える。 その運動能力の高さは、鷲頭獅子の側面に並び平行して飛行するといった離れ業を見ても良くわかるだろう。 無論鷲頭獅子もこれを嫌がり進路変更を何度も繰り返すのだが、都度ひらりと翼を翻しぴたりと、シエラの剣の間合いにつけ続ける。 シエラと共に遊撃の任についている煉谷 耀(ib3229)は感心したように呟く。 「人龍一体、見事な動きだ。俺と若月は、この嵐の中でもその力を十二分に発揮できるよう尽力する」 少しづつ風の流れを掴めかけてきた所で、耀は急接近するその影に頬をひくつかせる。 後少しで大怪鳥に一撃を与えられる距離まで迫っていたのだが、同時に、正面視界全てを覆い尽くすような雲がせりあがってきたのだ。 かわす暇もない。 大怪鳥諸共雲中に突っ込む。 真っ暗、上も下も右も左もわからない。 そもそも若月は進んでいるのだろうか、突如中空にて静止してしまったのではなかろうか。 肌がぴりぴりと痺れるのは、もしかして落雷の前触れなのでは。 次々湧き上がる不幸な現状予測に、しかし恐怖にだけは敗れてなるものかと必死に手綱を握る。 頼りは若月の首にかけたランタンのか細い光のみ。 不意に視界が開けた。 急ぎ船の位置を確認、居た、斜め後方。 この時の安堵感たるや、比するものが思いつかぬ程だ。 と、前方の雲が盛り上がり、共に雲中に飛び込んだ大怪鳥が姿を現す。 こちらの姿勢も悪いが、耀は無理矢理に攻撃可能範囲にこれを収める。 案の定、大怪鳥も突如開けた視界に戸惑っていた。 千載一遇の機会に、円月輪を連続で放ち痛撃を与える事に成功する。 離脱していく大怪鳥。 そこで、耀はこんな時に極めて有効な技術、超越聴覚の事を思い出した。 「‥‥すまん若月、想像以上の悪環境に冷静さを欠いていたのは俺の方だったな」 少し不安そうにしながら、それでも耀に答えるように首を軽く捻る若月。 「案ずるな、最早迷いはない。どんな状況でも俺が目となり耳となろう」 鷲頭獅子につきっきりであったシエラは、突如見違えるように動きの良くなった耀に驚きを隠せない。 常に船を視界に納めつつ、視界によらぬ知覚で敵の位置を確認しながら、全体を俯瞰しつつ動く。 張り付き攻撃を仕掛け続けるシエラに、鷲頭獅子がたまらず雲中に避難したのを確認し、シエラは船の直衛に向かう。 と、耀とすれ違う。 「指示願います!」 「船の正面を頼む!」 龍首を翻すと、どんぴしゃのタイミングで大怪鳥が突っ込んでくる。 これを進路を防ぐような飛行で追い返しつつ表情を険しくする。 「まずいですね。敵の動きが鋭すぎます‥‥」 黎乃壬弥(ia3249)は船、特に修理に当たっている作業員含むプロペラ周辺を守るよう龍を駆る。 「嵐の中で飛ぶ経験なんざそう出来ないからな。修練代わりにゃ丁度いいさ、なぁ定國?」 龍を船に並べていると作業員達の顔が良く見える。 顔中を雨の雫に塗れさせているが、それ以上に、恐怖に引きつった顔が強く印象に残る。 吹き荒れる暴風、命綱をつけていても落下の恐怖がそうそう薄れるものでもない。 何より大怪鳥の攻撃的な鳴き声が、彼等の体を縛る。 それでも尚、手を動かし足を進める。勇気があるなどという簡単な一言でくくれぬ、恐るべき精神力である。 黎乃壬弥と同じく、彼等の顔をオドゥノール(ib0479)も見たのだろう、強い表情で迫る大怪鳥を睨みつけている。 位置取りが上手くいったおかげか、オドゥノールが矛を薙ぐと、身をかわそうとする大怪鳥の足を片方叩っ斬る事に成功する。 高速で飛行しながらの近接攻撃は、間合いが独特で地上のそれと同じように戦う事が出来ない。 だが、その術に長けた敵の動きを見れば、攻撃態勢に入り、実際に攻撃に移るまでの間の取り方を見ていれば、空中でのより適切な攻撃タイミングを計る事が出来る。 つまり、敵の間合いを盗むという事だ。 僅かな交戦時間でそう出来る程にオドゥノールは戦いに集中していた。 それでも、察しきれぬ、反応しきれぬ間合いがある。 「下だ! かわせ!」 風雨の音を貫いて黎乃壬弥の声がオドゥノールへ届いた時には、既に如何ともしがたい距離であった。 雲から突如姿を現した鷲頭獅子は、真下よりオドゥノールと騎龍ゾリグへと迫っていたのだ。 強烈無比な体当たりをまともにもらうゾリグ、そしてあまりの衝撃にオドゥノールは龍から弾き飛ばされてしまう。 鷲頭獅子は勢いそのままに船体に向け一直線に進む。 「させるものか!」 衝撃のせいで意識が薄れたのはほんの一瞬、オドゥノールは手に持った矛を鷲頭獅子へと投げつける。 思わぬ反撃に怯む鷲頭獅子。 その挙動で速度が落ちた所に、黎乃壬弥が甲龍定國と共に突っ込んでいく。 すれ違う瞬間、突き刺さったオドゥノールの矛を片腕で引っつかむ。 肩から先が抜けてしまいそうな重さに眉をしかめるも、皮膚深くに突き刺さった矛を腕力のみで強引に薙ぐ。 背なを大きく抉られた鷲頭獅子は、旗色悪しと船狙いを諦め一旦退く。 矛を放ったオドゥノールに、腰に巻いた命綱から骨がずれるかと思う程の衝撃が襲う。 落下はこれで防げるのだが、ゾリグがオドゥノールを引く力が綱をまいた腰の一点に集中しているのだ。 綱を基点にくるくると回り、まるで安定しない状態で、オドゥノールは力任せに命綱を握り、遠心力で吹っ飛ばされそうなのを堪えながらよじ登っていく。 志体を持って尚困難なこの作業を何とかこなして再び龍の上へと戻ったオドゥノールに、黎乃壬弥が龍を寄せ、アヤカシより奪い返した矛を渡す。 互いに笑みを交わし合ったのは僅かの間で、二人は再び戦士の顔に戻り戦いを続ける。 商人弓枝が閉じ込められている船室。 さんざ喚き散らした彼は現在大人しくなっているが、敗北を認めたわけではなかった。 弓枝謹製商人七つ道具を用い、扉の鍵穴をちょこちょこといじり船室よりの脱出を図っていたのだ。 周囲に人の気配はなし。 ききぃと音を立て、扉は開いた。 その瞬間、弓枝は見た。 小柄な犬が、己の顔と同じ高さで顔が見える程飛び上がり、左前足を後ろに引く勢いで右前足を振るってくるのを。 精妙無比な前足撃は弓枝のこめかみを捉え、ただの一打にて昏倒せしめる。 着地した鈴木 透子(ia5664)の朋友、忍犬遮那王は、倒れた弓枝をずるずると引っ張り部屋の奥に放り込んだ後、扉を閉めなおす。 そしてきょろきょろと周りを見回した後で、小声であおーんと鳴くのであった。 船外作業中の男は、遅々として進まぬ作業に焦りを感じていた。 アヤカシ飛び交う最中での作業は、彼のような歴戦の船乗りをして冷静さを失わせる程の重圧であったのだ。 風雨に対し、勇んで踏み出した足を滑らせたのもそのせいであろう。 そんなささいな出来事が命に関わるのが、船外作業である。 崩れた体勢を立て直そうとして身を起こしてしまい、風をもろに食らった男は船からすら吹っ飛ばされる。 「危ない!」 透子の術が間一髪間に合った。 白い壁が飛ばされる男の先に立ちはだかり、それ以上の転倒を防いだのだ。 命綱があろうとも一度飛ばされてしまえば、先程のオドゥノールのように再び作業を始めるのにとんでもない労苦を伴う。 「す、すまねえ」 「貴方達の後ろには命壁が控えておりますので、安心して作業に集中して下さい」 透子は周囲の戦況を探る。 プロペラのすぐ近くでは、焔 龍牙(ia0904)が奮闘していた。 「蒼隼、ソニックブームで攻撃だ! アヤカシを近づけるな!」 衝撃が大怪鳥に着弾し、大きく爆ぜる。 それでも、大怪鳥は進路を変えず。 奴には船の急所がわかるのか、一直線にプロペラへと迫る。 いや、狙いはプロペラではない。これを直す船乗りだ。 透子は見た。 迫るアヤカシの姿を見るも、奥歯をぎゅっとかみ締め、恐怖を堪えながら作業を続ける船乗りの姿を。 猶予は僅か、透子には適切な術を選ぶ余裕も与えられていない。 壁か、斬撃か。 透子が選んだのは斬撃であった。 壁は、大怪鳥の機動性では回避されかねない。 桜色の軌跡と共に放たれた符が大怪鳥を捉える。 しかし、止まらない。 二筋目の桜が放たれる。これで止まらねば船乗りは大怪鳥の餌食となろう。 狙い通り斬撃は大怪鳥の頭部を斬り裂くが、羽を撒き散らしながら、大怪鳥はアヤカシらしいしぶとさで突進を続ける。 「これ以上、接近を許す訳には行かないでな、大人しく消えてもらおうか!」 嵐に慣れた大怪鳥をすら凌駕する、駿龍蒼隼が追いすがっていた。 間合いはまだ遠い。しかし龍牙の闘志を伝えるかのように、鞘に収められた刀の鯉口より紅蓮の炎が漏れ出す。 気合の声と共に刀を抜き放つ。 龍牙の闘志は風雨の最中を絶える事なく突き進み、大怪鳥を真っ二つに斬り裂いた。 炎に包まれ落下していく大怪鳥。 ようやく一匹目を仕留めた所で、透子は船の進む先へと視線を向ける。 嵐は、まだまだ終わる気配すら見せてくれない。 コルリスの弓術は嵐の中でもその鋭さを失う事は無い。 しかしそれも射線が通っていればの話だ。 鷲頭獅子が雲を利して出入りを繰り返すのに対応するのは随分と骨が折れる作業であった。 それでもコイツは、フリーにしておくにはあまりに危険すぎる。 ともかく今は防戦に徹し、敵の数をきっちり減らす事が先決。 鷲頭獅子のリズムを読み、雲より飛び出す瞬間を捉えると練力を込めに込めた一矢を放つ。 「朧!」 鷲頭獅子の巨体すら揺らす強烈な一撃であったが、敵は一枚上手をいっていた。 その影より更に飛び出して来た大怪鳥がコルリスの警戒範囲を突破してきたのだ。 「ヴァナルカンドさん!」 あちらも厳しいのはわかっているが、ここで抑えてもらわないとコルリスは鷲頭獅子をすら突破させる事になってしまう。 「‥‥! 行かせませんっ」 ヴァナルガンドは矢でこれを止めるのは無理と判断、レージングごとぶち当てる勢いで大怪鳥へと突っ込んでいく。 自らを盾にするよう船と大怪鳥の間に龍を滑り込ませると、大怪鳥もまた近接攻撃を恐れて回避軌道に入る。 ニアミス直前、突然レージングが両翼を大きく開き、急減速をかける。 ヴァナルカンドはこの翼に隠れ、ここぞの位置を狙い弓を大きく引き絞る。 こちらからも大怪鳥の位置は見えなくなったが、あの回避運動では、減速したレージングをかわすにはここしかないという進路の上を狙う。 不敵な笑み、絶対の確信と共に一矢目を。 「その翼で‥‥何処まで耐えられます?」 一射目の衝撃でくるりと半回転した大怪鳥に二射目。 完全に片翼を奪われた大怪鳥はきりもみしながら落下していった。 透子の術、結界呪符「白」は、実際に落下を防ぐという事以上に、作業員に安心を与える効果があった。 いざという時には透子が控えていてくれる。それ思うだけで、船乗り達は常以上に作業に集中出来るのだ。 ふと、付近を護衛している龍牙が船尾へと急旋回を始めたのに気付く。 透子は心中に生じたえもいわれぬ不安を必死に打ち消し、自らのなすべき事に集中する。 船尾、尾翼に当たる部分に目をやった龍牙は、全身の血が凍りつくような衝撃に見舞われる。 尾翼と船体を繋ぐ柱が、しなりすぎているように見えたのだ。 瞬時に脳裏に浮かんだのは、今も船内で必死に船を維持しようとしているだろう船員達の姿。 龍首を翻し、船尾へと向かったのは何か考えあっての事ではない。 必死の形相で龍を操り、そして自らの命綱を切り落す。 みしみしと徐々に歪んでいく柱の音が、聞こえてくるようだ。 「周辺警戒を!」 蒼隼にそれだけを命じ、何と龍牙は龍より飛び降り、船尾の柱に飛びついた。 志体を持つ者ならではの剛力で、曲がる柱を力づくで押さえ込む。 風雨がどれほどの負担を柱に強いているのか、龍牙はその身をもって知る事となるが、体中が引き裂かれるような激痛にも、龍牙は必死の覚悟で食らいつく。 ほんの数秒が、永劫とも思える程の時間に思える。 舵の不調を感じ取った船員が後部扉より飛び出してくると、その光景を見て絶句する。 今にも折れんとする飛空船の柱を人力にて支えるなぞ想像の外だ。 龍牙は、駆けつけた船乗りが全ての補強作業を終えるまで、柱から手を離す事はなかった。 船員に抱えられ船内へと戻る道すがら、船乗りは無茶のせいでぼろぼろになった龍牙に語りかける。 「信じられねえ‥‥いや、助かった。尾翼がふっ飛んでたら舵がまともに効かなくなってた所だ」 「‥‥そうか。大事にならず、何よりだ」 船乗りも驚く程の無茶も、龍牙にとってはそれが仲間を守る為であるのなら、ごく自然に、当然のごとく行なえる程度の事であった。 戦闘は船体周囲に限られてきている。 残ったアヤカシの、船への近接を防ぎきれなくなってきているのだ。 耀も必死に若月を操るが、近接攻撃の間合いを掴んだのか、大怪鳥はひらりひらりと距離を取る。 敵を捉えられぬままに船体が近づいてくる。 一瞬、若月との出会いが頭をかすめるが、それも僅かの事で、より勇敢に、堂々と胸を張る。 耀の勇気は、きっと若月にも伝わると信じ。 「行け!」 雄々しき声に、若月は船体との衝突コースを突き進む。 船体周辺には船が生み出す独特の気流が存在する。 これを風の壁とし若月は急旋回、アヤカシとぎりぎりの間合いですれ違う。 そして耀は、旋回の勢いで龍より空へと飛び出していた。 若月を避けるべく回避軌道をとる大怪鳥に、耀は鞭を船体の突起部に撒き付け位置取りを確保しつつ、船の側面を蹴って奇襲を仕掛ける。 大怪鳥にとっても予想外すぎる動き、懐より取り出した短剣を耀は大怪鳥の喉元へと突き立てた。 「若月、こっちだ」 言われるまでもないとばかりに、若月は耀の落下地点に回りこんでおり、その背に見事着地する。 船体への衝突コースを取っていたはずの大怪鳥は、耀の体当たりのような一撃もあり、船にかする事もなく落下していった。 コルリスは執拗に鷲頭獅子を狙う事でその動きを誘導していた。 こいつばかりは大怪鳥のようにギリギリまで寄られても、一騎で追い返すなどという真似が通用しない。 他の大怪鳥は概ね叩き落した事で、シエラもまた鷲頭獅子へと。 コルリスの誘導により互いが真正面から交錯するよう位置し、鷲頭獅子が何をするより速くパトリシアのソニックブームを叩き込む。 顔面に叩き込む事で視界を奪うと、パトリシアは翼を折りたたみつつ進行方向とは逆側に頭部をねじる。 同時に尻尾を進行方向に振り、何と前に進みながら全身は後ろを向くという状態を作り上げた。 そして鷲頭獅子との交錯。 まだ前へと進む勢いが残っていたが、これをパトリシアは鷲頭獅子に爪を立てる事で強引に止める。 力学やら何やらを無視した動きはパトリシア、シエラにありえぬ程の負担を強いる。 全身にかかる圧力に視界が歪む中、それでもパトリシアの動きは僅かも乱れず。 両の爪を離しくるりと背面飛行に移ると、回る勢いをも用い、シエラの白く輝く刃が鷲頭獅子を斬り裂く。 更に攻撃は続く。 シエラの曲芸にしては曲がりすぎている攻撃は鷲頭獅子の動きを止めており、これを虎視眈々と狙い続けていた者が居るのだ。 駿龍ゾリグと共に一個の弾丸となって迫るはオドゥノール。 巨体に似合わぬ動きの良さでこれまで狙えなかった急所が、飛び込むオドゥノールの眼前に晒されている。 防ぎ、守り、堪えながら必殺の一撃を放つが騎士。 なればこの一撃、騎士オドゥノールが外すはずもなし。 突き出した輝く矛は鷲頭獅子の胴に深々と突き刺さり、尚勢い止まらず。 「押し切れゾリグ!」 ゾリグは横っ腹に突っ込んだ勢いそのままに、大きく羽ばたき鷲頭獅子を抱えて飛び続ける。 鷲頭獅子はオドゥノールが突き刺した矛が邪魔で身を翻す事すら出来ず。 「任せろ!」 反対側より飛び込んでくる黎乃壬弥と甲龍定國。 片鎌槍をぶるんと一回し、接触の瞬間に叩き込みにかかる。 ゾリグと鷲頭獅子、二頭の勢いをまともにぶちこまれる事になるが、黎乃壬弥は定國の鍛えに鍛え抜かれた頑健な体ならば恐るるに足らずと飛び込んだのだ。 完全に挟まれる形になった鷲頭獅子は、しかしアヤカシの意地とでもいうべきか、全身を震わせオドゥノールの矛を食い込んだ部位ごと引き千切る。 それまでの戦闘から間合いを見切られていたのか、空を切る片槍鎌。 黎乃壬弥は、にぃっと口の端を上げる。 片槍鎌を持つ手とは逆の腕、ぎりぎりと呪符を握り締めた拳が音を立てる。 鷲頭獅子と最接近した間合いにて、黎乃壬弥は渾身の拳を叩き込んだ。 「‥‥奥の手は最後まで取っとくもんさ」 抉り込まれた拳を中心に、黒い瘴気が渦を巻き、そして、跡形も無く消えてなくなった。 鬼咲島に帰還し船を下りた弓枝は、そこら中つぎはぎだらけになったぼろぼろの飛空船を青ざめた顔で見上げる。 船乗りでもない彼は、船を下りて始めてこの航海の厳しさを理解したのだ。 そんな弓枝の前に、大河内は歩を進め話しかける。 「‥‥俺達は、まだあんたを目的地に届けていない。船の修理が終わったら、開拓者雇いなおしてまた行くか?」 そう言って、大河内は右手を差し出した。 |