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■オープニング本文 犬神の里に属する薮紫というシノビは、敵対する組織を潰すのに里のシノビではなく開拓者を主力に用いる事にした。 開拓者ギルドは人殺しの依頼などは受けないものだが、この組織が年端もいかぬ子供をさらい洗脳教育した挙句、売りに出してるとなれば話は別である。 囮による陽動で敵組織の戦力を分散させ、雇った開拓者により本拠への強襲を行なう作戦だ。 襲撃失敗時の開拓者回収や、戦闘中余計な横槍が入らぬよう周囲の警戒に当たる役は、薮紫がシノビを手配してある。 開拓者ギルドとの付き合いが長い薮紫は、常のシノビより各職による役割分担というものを良く考えていた。 諜報活動の派生としての戦闘ならともかく、倒す為の戦力としては他職がより適切であろうと。 燦(さん)と呼ばれた少女は薮紫の姿を見つけると、装備の点検をしていた手を止め、立ち上がって頭を下げる。 彼女は、これより襲撃しようという組織に捕らえられ、洗脳教育を受けていた。 先の戦闘で五人の仲間と共に薮紫の手に捕らえられたのだが、この燦と詩(しい)の二人は洗脳の度合いが薄かったのか、或いは別の理由があるのか、新たな主をすんなりと認めてくれた。 「‥‥ねえ燦。別に貴女が出なくてもいいのよ。詩は、ほら、ああして勉強してるんだし」 薮紫はこの五人の身柄を敵組織から秘匿するため、先の戦闘において五人は死亡したと偽装していた。 敵にこちらが敵本拠の情報を入手していると知られぬ為の処置でもあるのだが。 故にむしろ何処ぞに篭っていてくれる方がありがたいのだが、燦は、彼女らしい控えめにすぎる声で、自分もシノビとして役に立たせてくれと言い出したのだ。 駄目だと言えば、顔を伏せて引き下がるのだが、装備品の手入れを決して怠らず、自由にしていいと言っても厳しい訓練を自らに課し続け、有事に備えるのを止めようとはしない。 洗脳を解く一環として仮の主として薮紫を認めさせているのだが、ここから彼女達の自主性を促す教育を施していく予定であるため、希望を無碍に断る事もしずらい。 洗脳は心の問題が大きくその割合を占める。 犬神の里よりその道の専門家に来てもらってはいるが、燦と詩の他にもより状態の悪い三人が居る。あまり無理も言えまい。 どうしたものかと庭先を見やる。 庭にある大きな池で、詩と世話役を頼んでいるシノビが、石を投げて水面を跳ねさせている。 「ぎゃああああああ! また負けたああああああ!」 より熱くなっているのは世話役のシノビの方らしい。 ムキになって再度挑むシノビに、詩はくすくす笑いながら付き合っている。 この屋敷に来た当初は何を言ってもロクに反応すらしてくれなかった詩は、専門家の治療によりこうして笑えるようになっていた。 劇的な効果に驚いた薮紫だったが、これはあくまで表層的なもので、一番大変なのは心の奥底に根付いた、絶対遵守すべしと定められた命令を解く事らしい。 と、子供達の治療を頼んでいる犬神の医師が薮紫に声をかけてきた。 一体何事かと問うと、医師は燦の希望を叶えるよう言ってきたのだ。 「それを望んでおるでな。自分の意思で何かを成し遂げたいと強く思うのは実に良い傾向じゃ。決意の強い内に思うようにさせてやるのが良いじゃろ」 「‥‥今のあの子の状況わかって言ってます?」 「知らん。あくまで医者としての観点からの意見じゃて」 「あの子、例の連中の諜報に動きたいって言ってるんですよ?」 「じゃあそれで一つ」 「あの子は死んだ事になってるんです! それがのこのこ敵の前に出て行けますか!」 「そこはほれ、御主の裁量で何とか上手くやらんか」 結局、燦の希望の件も薮紫が背負うことになったのであった。 燦の顔を知っているのは営業担当であった風水という男と、既に死亡と同義の状態になっている元主人の重三、後は何処にあるかわからぬ洗脳機関の人間ぐらいである。 重三に売り飛ばされてからは色々と動いてはいたのだが、シノビの役割上、余人に顔を晒す事は皆無であったのだ。 様々な事を鑑みた薮紫は、襲撃時の周辺警戒を彼女に頼む事にした。 これは襲撃時不足の事態が起こった場合、開拓者達の援護に入る役目でもあるのだが、絶対に戦闘行為は避けるよう燦にだけは厳命してある。 顔の半ばを隠す忍装束に身を包んだ燦は、襲撃相手である無骸老の事を考える。 かつての主が言っていた、決して捕らえられてはならない相手、それが無骸老であった。 無骸老と敵対するのはもっての他として、彼と会うだけでも、一呼吸で即座に自らの命を絶てるよう準備をしておくよう言われていた。 彼の前で口を割らぬ者はおらずといわれており、その拷問の様を最後まで正視出来る者すら稀有であるそうな。 また、老いて力の衰えた彼には、四人の強力な側近と、全盛期の彼に勝るとも劣らぬ狂気と実力を秘めた跡取りが居る。 薮紫にこれを伝えてはあるし、相応の戦力を用意するのであろうが、難敵を相手に必勝を確約なぞは出来まい。 「だから‥‥私が、やらなきゃ‥‥」 忍者刀を抜き、鈍く光る刀身を見つめる。 自分は洗脳されていると言われても、正直ぴんと来ない。 だが、命賭けで自分にそう伝えてくれた人が居る。 あの時の、胸の奥がほんわりと温まる感じが忘れられない。 無性に誰かの為に何かをしたくてたまらなくなる。 燦は初めて感じたこの気持ちの御し方を、まだ知らなかったのだ。 薮紫は潜入した斥候の報告を受け、作戦を決定する。 陽動により、最も注意すべき人物である無骸老の孫娘魅優はこの場にはいない。 後は雑兵と四人の側近、そして無骸老だ。 仕掛けもあるだろう建物への先行突入は犬神のシノビが行い、彼等が道を開き、雑兵を抑えている間に、開拓者達が無骸老を斬る。 四人の側近は決して無骸老の側を離れようとしないので、これも同時に撃破する必要がある。 無骸老の強烈なカリスマで率いている集団であり、彼さえ倒れれば雑兵は逃げ去るであろう。 開拓者達は如何に四人の側近と無骸老を倒すかだけを考えればいい形だ。 側近の四人、鬼騎士アルド、侍の恥さらし奇兵、虎拳士ホングァイ、餓狼志士孔雀、いずれも名の知れた一騎当千の兵である。 これに往年の力は失ったとはいえ、まだまだ現役のサムライ無骸老が加わる。 それぞれの職に合わせたより細かな戦闘方法が必要とされるだろう。 仲間のシノビより、燦が単独で偵察に潜入したという報告を受けた薮紫は、くらっと倒れかけ、何とか持ち直して全力で叫ぶ。 「あんのじじいいいいいいいい! 私の言う事は聞くって話じゃなかったの!?」 恐らく敵の情報を仕入れて突入隊にこれを伝え、より戦闘を有利に導くつもりであろう。 薮紫は開拓者に追加で、燦が現れたら間違っても戦闘には参加させず、戻るよう説得してくれと伝える。 苦労の絶えない人である。 |
■参加者一覧
真亡・雫(ia0432)
16歳・男・志
酒々井 統真(ia0893)
19歳・男・泰
鬼灯 仄(ia1257)
35歳・男・サ
フェルル=グライフ(ia4572)
19歳・女・騎
鬼灯 恵那(ia6686)
15歳・女・泰
グリムバルド(ib0608)
18歳・男・騎
ネネ(ib0892)
15歳・女・陰
ノエル・A・イェーガー(ib0951)
13歳・女・陰 |
■リプレイ本文 犬神シノビ達の導きに従い、開拓者一行は建物の奥へと向かう。 「斬っれるっ、斬っれるー、相手が斬っれるー♪」 これから命を賭した戦いに赴くとはとても思えぬ陽気な声は、鬼灯 恵那(ia6686)のものだ。 じと目のグリムバルド(ib0608)は、感心したような呆れた様な声を出す。 「‥‥歪みねぇよなお前」 「そう?」 そんな二人を苦々しい顔で見る鬼灯 仄(ia1257)。 思わず声をかけそうになるが、自嘲気味に笑い、それだけに留める。 各所では既に剣撃の音が響きはじめており、フェルル=グライフ(ia4572)が燦へと呼びかけたのはそんな最中であった。 何処かで派手に何かをぶっ壊した音が聞こえたかと思うと、隠れる気配すらない猛烈な勢いで燦が走り寄って来る。 酒々井 統真(ia0893)は呆れ顔だ。 「大丈夫かあいつ?」 苦笑しているのは真亡・雫(ia0432)だ。 「あ、あはは‥‥フェルルさんはあの子と以前に何か?」 「まあ、な」 フェルルの前に駆け寄った燦は驚き慌てすぎて声も出ないのだが、忙しなく両手がちょこちょこと動いており、以前の傷の心配をしつつ敵の強力さを伝えつつ危ないから止めてと主張してるように見える。 恵那が手持ちの水を飲ませると、ようやく落ち着いてくれた。 「わ、私が、刺し違えてでも倒すから‥‥」 などと余計な事を口走ったおかげで、皆からエライ怒られた。 まあ概ね怒るというよりは窘めるといった空気であったのだが、皆が心配をしてくれている事が痛い程に伝わってきて、燦にはその方が余程効くらしく、しゅんと小さくなってしまう。 ネネ(ib0892)は、静かに燦の手を取る。 二の腕に僅かにある傷に治療を施しにっこり笑うと、燦は照れたように顔を伏せる。 それが良い切欠になり、燦は自分が得た情報を伝えはじめた。 大した、内容じゃないけど、と控えめに言った燦を、フェルルはぎゅっと抱きしめてやる。 「情報ありがと‥‥燦ちゃんのお陰であの人たちと闘える」 自分で考え、自分で決めてやった事を、こうして認めてもらえたのが燦には何より嬉しかった。 そんな様子を眺めながら、ノエル・A・イェーガー(ib0951)はかつての自分を思い出し、誰にも聞こえないような小声で呟いた。 「‥‥燦さんは友達も全員助かってるんですから、大切にしないといけませんよ?」 燦は驚く程素直に言う事を聞いてくれた。 皆で戻るという約束を、心の底から信じているのだろう。 ならば後は、勝って帰るのみ。 シノビ達が必死に足止めをしていた五人の猛者達に、開拓者達は攻撃を開始した。 仄の刀を真っ向より受け止めながら孔雀は体勢を崩さず、その後の鍔迫り合いでもぴくりとも動かぬ。 「俺としちゃ、女を殺したがる巫山戯た野郎を斬りたかったんだが。ま、そっちは恵那に任せとくか。つーわけで、不本意ながらお前さんの相手をしてやるよ」 「そういう台詞は俺を斬ってからにしな」 この程度で動じるような相手ではなく、それは仄にもわかっていた。 仄が咥えていた喧嘩煙管を噛み締め、顔を振って孔雀の顔面めがけて突き出すと、器用に刀を捌いて鍔迫り合いを外し距離を取る孔雀。 「‥‥主を斬るってこたあ、それなりの志があっただろうに。こんなけたくそ悪い組織で何やってんだかねえ」 「志‥‥ね。追っ手を斬り殺してる間に、そんなもの忘れちまったよ」 いずれもが熟達の志士である。 ただ一斬を取っても、素人には理解しえぬ駆け引きが存在する。 仄のわき腹を薄く薙いだ一撃も、十三のやりとりをした読み負けの結果であり、孔雀の腿に一文字の筋を作った斬撃も、剣術そのものの裏をかいた剣士には決してかわせぬはずの一撃であった。 滴る汗の雫一つすら見逃さぬ。 それほどに集中せねば、瞬く間に斬り伏せられるだろう二人の対決。 首の皮を剣がかすめるような思いを両者どれ程繰り返したか、時間の感覚が希薄になる中、孔雀は一瞬だけ、全身の力を抜いた。 しまった、仄がそう思った時にはもう遅い。 緊張の糸を強引に断ち切る所作はあくまで見せ掛けで、極限にまで精霊の力を集めた必殺の斬撃が仄を襲う。 これに、仄は何も考えず体のみで反応する。 下段から掬い上げるような一撃を、刀の柄側に全体重を乗せ、強引に止めにかかる。 それで止まったのは一瞬のみ。 仄の全身ごと弾き飛ばす威力の剣は、しかし一瞬の間の内に体を低く落とした仄を捉える事は出来ず、逆に仄の桜色の刃が孔雀を捉えた。 「ば、かな‥‥あの刹那の間に、俺の剣を‥‥読んだの、か‥‥」 剛剣を力任せに受け止めたせいで両肩を痛めた仄は、痛みに片眉を潜めながら答える。 「ここ一番でそいつが来る事だけは、わかってたんだよ」 「まず、男と女じゃ肉の質が違うんだ。コイツを切っ先から感じ取れる奴ぁ俺だけだね」 斬り結びながら延々口を開いているのは奇兵である。 これに対する恵那はというと、半ば感心したように聞き入ってたりする。 人斬り、事に女を斬る事に対する奇兵の情熱は、何とも比較しようが無い程熱く、激しいものであった。 「次に骨だ。これもまた違いがあってだな‥‥」 奇兵は恵那の全身を切り刻む所を想像しながらそんな事を言っているのだが、嫌悪感しか呼ばぬはずのこの視線にも恵那が臆した様子は無い。 むしろほのかな笑みすら浮かべているではないか。 「本当に、人を斬るのが好きなんだねぇ」 「おうよっ!」 ぎぃんと大きく刃同士が打ち合い、二人の間合いが開く。 「人を‥‥」 「あん?」 「鍛えぬいた人を斬る時って、筋が次々絶たれるあの感触が独特だよね。動物やアヤカシとは違う、丁寧に束ねた糸を斬るみたいで」 奇兵は驚いた顔をした後、顔中に満面の笑みを浮かべる。 「お前それ、わかるのか?」 「うん」 話の内容にまるでそぐわぬ、屈託の無い恵那の微笑みを見て、奇兵は歓喜の雄叫びと共に斬りかかっていく。 女で、人斬りをわかってくれて、挙句、斬り殺していい相手なぞそうそう出会えるわけがないのだから。 その動きの早さは、まるで地に下りたむささびを相手にしているようだ。 押さば引き、引かば押すを繰り返し、死角となるような位置に一瞬で移動するホングァイとの戦闘は、剣技の比べあいではなく、空間の奪い合いである。 ホングァイが跳ねるような運足にて攻撃に備えれば、雫は鉄壁の防御術にて踏み込みを待ち構える。 互いに良き位置取りをした瞬間攻撃に移るつもりなのだが、双方が練達の士。そう容易く有利な位置にはつけさせてくれない。 また連続で技を繋げるホングァイの拳と、止まる事なく常に次の次を考え動き続ける雫の剣の相性が合ってしまっている事もあり、戦況は膠着状態に陥る。 まだ、気付かれてはいない。 しかし遠からずわかるだろう。雫は現状を維持するのに相当の無理を重ねている事を。 無理をさせすぎた両腕の筋肉は異常な熱を持ち、いい加減休ませろと悲鳴を上げる。 急な方向転換、無茶な重心移動を何度も繰り返した両足は、何時引きつってもおかしくない程に硬直してしまっている。 と、金色の風が吹き抜ける。 「代わります!」 フェルルがそう叫びながらホングァイに向かって踏み込む。 彼女は、雫の危機に気付いていたのだ。 だからこそ同時攻撃ではなく、交代と口にしたのだろう。 一時とはいえ緊張から開放された事で、無理をさせ続けた筋肉が一斉に抗議の声を上げてきた。 へたり込みそうになったのを救ったのは、ネネの治癒術であった。 「すみません遅れて。他所もギリギリだったもので‥‥」 「いや、ありがたいよ」 後衛の位置にあり、全ての戦いを隙無く伺っていたせいであろう、ネネもまた全身汗だくになりながら、神楽舞を雫に贈る。 疲れから鉛のごとく重くなっていた全身が、嘘のように軽くなる。 「助かる。さぁて、もう一頑張り‥‥」 同時に、フェルルがホングァイに蹴り飛ばされてくる。 「強い、です。これは統真さんの拳足か、雫さんの剣質でないと捉え切れません」 「わかってる、相性ってのがあるしね。多分君の剣は騎士とは良く噛み合う。よろしく頼むよ」 「はいっ!」 グリムバルドは、彼我の力量差がわからぬ程愚か者ではない。 だからこそ双方が槍を使っているにも関わらず、超がつく近距離を維持し続けて来たのだ。 コイツを後ろにやらない事、それが自らの役目だと必死の形相で敵騎士アルドに張り付き続ける。 しかし、明らかに上の力量の者を相手にそうし続けるのが、どれ程の負担であるか。 アルドは冷静に一つ一つの動きをいなし続けているだけなのに、グリムバルドは肩で息をする程に疲労していた。 「‥‥無駄な事を。それで俺の動きを封じたつもりか?」 荒い息を漏らしながら、それでも、グリムバルドの闘志が絶える事はない。 「良いからかかってこいよオッサン。油断してると胴に風穴開けんぞ」 「やってみろ」 アルドは槍の柄を力任せにグリムバルドへと押し付けにかかる。 首の上でそうされると、力を込め続けている事もあり、呼吸が出来なくなる。 ノエルは、効きずらいのを承知で呪縛符を放つ。 頑強な騎士を相手に、多少の傷では牽制にすらなってくれないのだ。 ノエルはこの敵を絶対に潰すと決めていた。 その強い意志が乗り移ったような鎖の蛇は見事アルドの動きを封じ、グリムバルドは呼吸を取り戻す事に成功する。 しかし、意識は朦朧とし、視界すら覚束ぬまま。 アルドは、全身を鎖に巻きつかれたまま、槍を特異な形に構えていた。 これを見たノエルは全霊を込め鎖に力を送り込む。 ぎしりと一際大きな音を立てる符術の蛇は、しかし、それだけでアルドの突進を防ぎうるものではなかった。 寸前でグリムバルドが意識を取り戻したのは決して幸運などではなく、殺意に体が反応したもの。 身をよじり急所だけは回避し、自らの体をぶつけて後ろへの侵攻を防ぎにかかる。 断じてさせん、そんなグリムバルドの強い意志は、しかし熟練の騎士にのみ操れる大技の前に、僅かづつ後退していく。 「‥‥く、そっ‥‥」 槍先がわき腹を抉っているのも気にならない。ただただ、この男に押し切られるのが悔しくてならなかった。 ここでグリムバルドが弾かれれば、その後ろには皆への治癒に専念しているネネが居る。 それがわかっているからこそ、ノエルもまた額に汗する程無理をしてでも蛇の鎖を維持しているのだ。 二人が必死に稼いだ時間は、無駄ではなかった。 雫の援護に向かっていたフェルルが間に合ったのだ。 真横からアルドに体当たりをしてやると、真正面で抑えていたグリムバルドの横をすりぬけ、あらぬ方へと吹っ飛んで行く。 グリムバルドとフェルルはその勢いで床を転がり、ノエルは強烈な脱力感にへたり込みそうになるが、視線のみで互いに笑いあう。 壁に激突し、憤怒の表情でこちらを向く騎士に、グリムバルドは誇らしげに言ってやった。 「ざまぁ見やがれ」 無骸老を相手に、統真は手数の多さで対抗する以外術が無かった。 技のキレ一つ取っても、神域と言っていい程の熟練サムライ。 強力無比な斬撃は、容易く相手の戦意を奪いうる程の鋭さと共に襲い掛かり、これに敗れるならば仕方ないとまで思えてしまう珠玉の剣技。 ほんの僅かの間に幾度も剣と拳を交わし、都度、及ばぬと思い知らされる事がどれほど恐ろしいか。 そんな相手に、怯まず拳を放ち続けるのに必要な精神の力は、一体どれほどのものであろうか。 後ろからネネが心配げにこちらを見ているのがわかる。 他でも苦戦が続く中、全ての戦況を把握しきり適切な援護を続ける彼女には、しばらく頭が上がりそうにない。 もう何度目になるか、自身の体を無理に覚醒させる大技を用いる。 阿吽の呼吸で神楽の舞がネネより。 『勝負所、良くわかってんじゃねえか』 残った余力全てを注ぎ込んだ連続攻撃。 防御もへったくれもない。これで倒せねば後は知らぬとただひたすらに攻撃へと注力する必死必殺の連撃に、無骸老は更にその先を取る隼のごとき動きで統真の出鼻を挫く。 目で捉えるのも難しい程の速度に対し、統真の動きの基点となる右足の踏み込みを、足を伸ばして踏みつけ止める。 頭上には踏み付けと踏み込みを同時にこなした必殺の刀が既に振り上げられている。 この近距離でも、老人の殺傷能力は衰えぬ事は確認済み。 完全に崩れきった姿勢の統真に、回避の術はない。 『なら前に出るだけだっての!』 待ちに待った、最初で最後の勝機。 物理的にありえぬと断じられる程の特異な動きで、統真の左足が振り上がる。 全ての気力を注ぎ込み、今までの戦い全てがこれへの布石だったと言わんばかりに。 無骸老の長きに渡る戦歴の中でも、ここまでに、最後の一撃に全てを賭け組み立てて来たのは、統真が初めてだったのだろう。 その圧倒的なまでの覚悟を見誤ったのが、彼の敗因であった。 「俺1人じゃ無理そうなんでな、相棒の「技」借りて2人がかりだ。悪く思うなよ」 真白き閃光に急所を貫かれながら、同時に雫の全身に輝きが満ちる。 暖かき癒しの光が無くば絶命も覚悟せねばならぬ強烈な一撃であったが、だからこそ、そこにようやく隙が生じてくれる。 既に練力も残り少ないノエルは、練力の最後の一絞りに至るまで、やはり冷静なまま勝機を捉える。 鎖の蛇がホングァイの足元に巻き付き、俊敏さを誇る彼の足かせとなった。 そして、雫による満を持した銀光一閃。 「貴方達の様な戦士‥‥僕は絶対認めない」 ここに、ようやく最後の一人も倒れ伏した。 前衛のみではこうはいかなかったろう。 決着を確認するなり倒れかけたネネをノエルが支えるが、小柄な彼女をすら支えきれぬ程に、自身も消耗していた。 極度の集中は身体に強烈な負担をかける。 それを知る誰が彼女達の覚束ぬ足元を責められよう。 最早敵で動く者はただ一人。 床に仰向けに倒れた奇兵は、それでも刀から手を離さず、ぶるぶると震えながら中空にこれを伸ばし、何事かを呟く。 恵那は何を思ったか、左の袖をたくしあげ、白い肌を顕にして彼に歩み寄る。 「‥‥いいよ、斬っても」 虚ろであった奇兵の目が輝きを取り戻す。 ゆっくりと、ゆっくりと刃は恵那の腕に寄り添い、薄皮一枚を裂いた所で、今度は皆に聞こえるはっきりとした声で奇兵は言った。 「おまえ‥‥いいおんなだなぁ」 かたんと音を立て、奇兵の刀が床に落ちた。 開拓者達が無骸老を撃破したと聞き、建物に残った者達は皆逃げ出し始める。 大まかな後始末を処理し、建物を後にした皆を、燦と薮紫の二人が出迎える。 皆でフェルルの店に行こう、そんな打ち上げの話をしていた彼等に、燦は少し照れくさそうにしながら、慣れないながらも精一杯の笑顔で言った。 「‥‥お、おかえり、なさい‥‥」 |