雲耀の太刀
マスター名:
シナリオ形態: ショート
EX
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/05/09 00:50



■オープニング本文

 示現流に属する一派、川上道場の川上新平は若くしてその剣技の冴えを認められ、皆伝を許された男である。
 示現流をこそ最強と信じ、一撃必殺を磨いてきた新平は、開拓者として登録をし他剣術への対策を考えるべくこれを学ぶ。
 彼はそこで、生涯で最も大きな衝撃を受ける事となる。
 両断剣。この術理の見事さはどうだ。
 示現の技では多くの犠牲を払わねばならぬ必殺の一撃を、いとも容易くなしうる洗練し尽くされた流麗にして無双の剛剣。
 氏族に教えを請い、自ら身に着けてみて更にその想いは強くなる。
 自身が最強と信じていた示現流雲耀の太刀は、その術理において両断剣に劣ると。
 意固地になって雲耀こそ最強と言い放つには、彼はあまりに剣を愛しすぎていた。
 示現流の最強を疑ってもいなかったが、同時に彼が信じた剣が教えてくれる事を、裏切れもしなかったのだ。
 気も狂わんばかりに悶え苦しみ、心配する妻をすら遠ざけ、道場の奥に引きこもる日々が続く。
 目の下に隈を作りながら書物を読みふけり、道場に出ては狂ったように剣を振るう。
 余りの奇行に同僚や仲間達、遂には師匠にすら呆れられても、新平はがむしゃらに剣を求め続ける。
 そしてある日、新平は道場を出て家へと向かう。
 ようやく戻って来てくれた夫に、妻は喜びこれを迎えるも、新平は冷淡に告げる。
「済まぬ。屋敷の家財は全て譲る故、実家に戻ってはくれぬか」
 離縁を一方的に宣言し、襖の隙間から顔を覗かせる我が子にも目をくれず、家を後にした。

 嘆き悲しむはずの所であるが、妻のお凜が動揺を表に出す事は無かった。
 一言の抗弁もせぬままこれを見送り、一人息子を連れて実家へ向かう。
 今は新平の兄の居る、新平の実家へと。
 お凜は義兄に一部始終を説明し、深々と頭を下げる。
「どうぞ、旦那様をお救い下さいませ」
 十年近い年を共にしていた妻お凜は、新平の表情と前後の状況から、新平は決死の覚悟で技を磨きに行ったと推測していた。
 ここらで命を賭けて技を磨くとなれば場所は決まっている。
 アヤカシが徘徊する国外れにある森林地帯だ。
 新兵の兄は、ふむと一考した後、人をやって新平の足取りを探らせる。
 それが見事お凜の予想通りであったと知るや、お凜を呼び寄せ彼女の前で力強く頷いてみせた。
「俺に任せろ。新平には剣の天分がある。むざむざ死地になぞやりはせぬ」
 お凜は、新平が家を出てから、いや、新平が剣に狂った時より一度も見せなかった涙を零した。

 件のアヤカシが徘徊する森林地帯は、奥地に向かえば向かう程危険度を増すが、そこまで単身でたどり着けるはずもない。
 街道筋に近く、水の手配が出来る場所。
 新平の兄は地図を片手に絞り込んだ地域に、開拓者を派遣する。
 ここらには厚い皮膚と強靭な体力を持つ猪のアヤカシが多数出ると言われており、新平が剛剣を試すにはもってこいの相手である。
 だが、ここに居るのは猪アヤカシだけではない。
 狂馬と呼ばれる巨大馬のアヤカシも居ると言われており、もしこれに新平が遭遇していたなら命は無いであろう。
 嘘か真か、狂馬の口からは絶えず吐息と共に炎が漏れており、その逆鱗に触れると炎の柱を噴出すらしい。
 開拓者達には隊伍を組み、アヤカシの森から流れ出る川に沿ってこれをさかのぼり、新平の探索が行なうよう依頼されている。
 もし発見できぬ場合、見つけるまで戻って来るなと新平の兄は喚いたものだが、ギルド係員はそんな話聞けるかボケと一蹴し、捜索範囲を全て調べたら戻ってくるよう言われている。
 川沿いは大小様々な石が転がっており、中には六尺を越える大岩もあるという。
 つまり足場はあまりよろしくないという事だ。
 移動もそうだが、戦闘に関しても注意が必要だろう。
 もちろん野生魂溢れるケダモノっぽさを秘めたアヤカシ達は、この悪い足場をものともせぬだろうが。


「駄目だ! これではまだ至らぬ! 私の望む雲耀の太刀はこんなものではないっ!」
 新平は会心の手ごたえにも満足せず、岩の上に膝をつく。
 防御が疎かになるのは無視する。だが、一撃の威力を上げる為、全ての力をそこに込めたとて大上段よりの一撃はさして威力を変えぬ。
 攻撃の為の術理は良いのだ。
 一撃に賭ける姿勢も間違いではないが、それだけでは実用に耐えぬ。
 示現の技にて対するは、人のみではないのだから。
 威力を落とさぬままより鋭い剣撃を為すため、丁寧に一つ一つの所作を見直し、試行錯誤を繰り返す。
 この身は示現の剣に捧げる。雲耀の太刀が新たな境地へと達しうるのなら、他は何もいらぬと、ただその瞬間をこの目で、この腕で成し遂げんとそれのみを考え剣を振るう。
 その姿は、まるで決して届かぬ天へと向け、刀を振り上げているかのように見えた。


■参加者一覧
小野 咬竜(ia0038
24歳・男・サ
犬神・彼方(ia0218
25歳・女・陰
真亡・雫(ia0432
16歳・男・志
氷(ia1083
29歳・男・陰
シエラ・ダグラス(ia4429
20歳・女・砂
風鬼(ia5399
23歳・女・シ
ワーレンベルギア(ia8611
18歳・女・陰
シャンテ・ラインハルト(ib0069
16歳・女・吟


■リプレイ本文

 川沿いを歩く開拓者一行。小野 咬竜(ia0038)は時折川沿いにしゃがみこんでは、人の居た気配を丹念に調べる。
 元々野外活動は苦手ではない風鬼(ia5399)は、彼が注視すべき所は漏らさず見ているので特に口を挟む事はしなかった。
 代わりに、超が付く地獄耳にて周辺警戒と捜索を。
「‥‥北東、数は三、四、といった所ですか」
 風鬼の警告に従い、真亡・雫(ia0432)はすらりと刀を抜く。
 これで四度目の襲撃、流石にこの面々での動きにも慣れて来ていた。
 現れるは一種、猪アヤカシのみ。
 ごつい見た目そのままにしぶとく力任せな敵ではあるが、これを右に左にいなす雫。
 すると雫同様、やはり綺麗に受け流しつつ戦うシエラ・ダグラス(ia4429)の姿が目に入る。
 被救助者である川上新平が、一撃必殺の剛剣を求め山に篭ったという話は聞いている。
 同じく刀を手にする者として、気にならないといえば嘘になる。
 しかし、と突進してくる猪に向き直る。
 攻撃は面であるが、良く見れば角、頭部、肩、とそれぞれ攻撃の種類が異なる。
 刺し貫く角、打撃を狙う頭と肩、形状も違うこれらを如何に捌くか。
 それ次第で、放つ一撃も変わってくるものではないだろうか。
 横っ飛びにかわしつつ、足元に低く刀を走らせ左前足を斬り裂く。
 もちろんここで急所を一撃出来ればそれに越した事は無いが、状況に応じて四肢を狙う等、より適切な攻撃も変わってくるものではないかとも思う。
 シエラは突進に対し、これを体裁きでかわしにかかるが、それだけでは肩が引っかかってしまう。
 だから足を引きつつ猪の横っ面に一撃くらわせ、これを捌く。
 攻撃を目的とせぬ一撃であり、与えたのはかすり傷程度であるが、ああして充分な体勢を維持していれば、直後、手首を翻すように放った胴への一撃に大きく力が乗せられるのだ。
 練力温存を考え、陰陽師の三人は動かぬまま‥‥
「あぁらよっと」
 犬神・彼方(ia0218)は突進してくる猪に対し、真っ向より槍を振り下ろす。
 助走をつけた体重もある猪の突進を、彼方はその場を一歩も動かぬままに受け止めてしまった。
「‥‥あの人は別扱いって事で」
 誰に言うともなく雫はそんな事を呟いた。

 襲撃を退けると、再び捜索が再開される。
 ワーレンベルギア(ia8611)は、ふと思っていた事を口にしてみる。
「妻子を捨ててまで剣の道とはちょっと理解しがたいものがありますね‥‥」
 やる気なさそうにあくびを漏らす氷(ia1083)。
「どーにも、目的と手段を見失うのが多いのかね」
 小首をかしげるワーレンベルギア。
「私にはそこまで熱中する剣の道というものが理解できません。困りました。ただ強さだけを求めるのであればそれこそ両断剣どころか、相手によっては陰陽師の知覚攻撃の方が有効でもありますし」
 この中では一番新平に近しい存在かもしれない咬竜は、くわえていた煙管を手に持ち直す。
「剣の道と言うのは、まぁ。大きく言うとみっつに大別されるな」
 一つ一つ指折りしながら説明する。
「一つは、武の道として己の心の柱とするもの。一つは戦のための手段とすること。そしてもうひとつは‥‥剣に総てを捧げる修羅と成ること」
 やはりワーレンベルギアは首をかしげたままである。
「‥‥この身は示現の剣に捧げる、とかいって死んだりしたらどうにもならないでしょうし‥‥」
 シエラは雫と並んで歩く。
 二人の剣術もまた系統は違えど、剛剣にて一撃でという発想の元に生まれたものでないのだけは確かだ。
「一撃の威力に総てを賭ける剣‥‥正直、私にはよく判らないです」
「同感です」
 即座の返答が嬉しかったのか、多少饒舌になるシエラ。
「攻撃は最大の防御、と申しますが。この考えは‥‥その、言い方は悪いかもしれませんが、ある種の臆病さを併せ持つのではと」
 二人はあまり大きな声で話をしていたのではないが、超越聴覚を用いている風鬼の耳には良く聞こえてくる。
 内心のみで、騎士、鎧の発達したジルベリアの方らしいご意見ですな、と呟く。
 風鬼自身も一撃で倒せるのは相手が弱い証拠、と思っている部分があるのだが。
 志士同士だからと吐露している部分もあろうと、風鬼は口を挟むような真似はしなかった。
 雫もまた丁寧に言葉を選ぶ。
「確かに、攻撃は相手を倒す事しか出来ません。それで万事を解決と出来る程、単純な戦場に僕達は居ませんね。シエラさんは、新平さんがそういった方だと?」
「実は繊細な方なのでは、と思いました」
 と、二人の会話が止まる。
 皆がそれぞれ新平という人物像を語っている中、シャンテ・ラインハルト(ib0069)もまた彼に思いを馳せていた。
 口元に寄せた横笛からシャンテの心があふれ出す。
 何処か童謡を思わせる旋律は聞く者に、子供、そして家族を想起させた。
 しかし、それは単純な童謡ではなく、半音ずらしたような音で、はっきりとした旋律ではあるが、何処までも小さく今にも消え入りそうな音。
 拍子はぎこちなさの残る複雑な間で刻まれ、音階を上がり調子を変えようと試みる度、都度また低音に戻り旋律を一から繰り返す。
 彼女の想い、その全てを伝えきれる程、シャンテはまだ音楽を身につけきってはいない。
 それでも、言葉だけでは決して伝わらぬ、正直にすぎる感情は皆に染み渡るように伝わっていった。
 彼方は笛にて歌うシャンテの頭にぽんと手を乗せる。
 そういった事に慣れていないシャンテは驚き目を丸くするが、彼方は子供をあやすように優しく言葉をかける。
「出来た奥さんみたいだぁしな。ならきっと旦那も良い男さ。そう心配する事ぁ無いって」
 更に声をかけようとする彼方に、風鬼が遮るように口を挟んで来た。
「失礼、真北の方角から騒ぎの音が。数は六か、七か、その辺でさ」
 表情を険しい物に変えた彼方が問い返す。
「川上か?」
「そこまでは」
 風鬼はそう答えつつ、氷とワーレンベルギアを交互に見やる。
 心得たと二人はそれぞれ人魂の符により偵察を飛ばす。
 氷の放った符は小さな虎となり、符術故か恐ろしい身軽さで巨岩を登り、伸びていた木の枝の飛び移るとこれを昇って行く。
「‥‥んー、猪が五と‥‥居た。こんな所でアヤカシ相手に刀振ってるよーな酔狂な奴、例の川下だかカラカサだかぐらいだろうしな」
 ワーレンベルギアが宙へと放った符は、小さな天道虫になり、開いた外殻の内にある羽を高速で羽ばたかせる。
 皆既に移動を始めている。
 走りながら、ワーレンベルギアは更に不吉な報告を上げる。
「崖の上に‥‥馬? まさか‥‥」
 額に深い皺を寄せて咬竜。
「狂馬か?」
「おそらくは。背後には更に多数の猪を引き連れて‥‥いけません、今にも動き出しそうです」

 川上新平はこれこそ待ち望んだ好機と、刀を握る手に力を込める。
 五体のアヤカシとなれば新平とて生き残れるかわからぬ難敵。
 そんな窮地をこそ、新平は望んでいたのだ。
 心に描く理想像に従って、振り上げた刀を叩き付ける。
 より鋭い斬撃により、逆にこちらの体勢を崩さぬまま敵を迎え撃つ。
 脇より迫る猪アヤカシに、振り下ろした刀をずらすように当て受け流し、逆側より突進してきた猪を転がりながらかわす。
 地を転がりつつ身を起こし、自らの動きを脳内で反芻した後、新平は喝采を上げた。
「これだ! 我、更なる雲耀の奥技を極めたり!」
 この瞬間の為に、これあるを確信したいが為に、どれ程の間もがき苦しんだ事か。
 しかし、新平の信じる示現の技は、やはり信じた通りより以上の深みを持っていてくれた。
 それをこの手で確信出来た事が、何よりも嬉しかったのだ。
 と、背後より別の猪が新平を突き飛ばす。
 再び地面を転がる新平は、起き上がるなり眼前へと迫っていたほかの猪の角を大慌てでかわした。
 荒い息を漏らしながら刀を構え、身につけたばかりの新たな雲耀の太刀にて斬りかかる。
 無論、その一撃で倒れてくれるような事もない。
 確かにこの森に足を踏み入れた時は、この瞬間を得られるのなら直後に死んでも後悔なぞない、そう思っていた。
 しかし、新平の体は死を拒否し、必死にこれより逃れんと動き続ける。
 いや、体だけではなかった。
「そ、そうだ。この技をギルドに伝えねば。示現の技の素晴らしさを天儀中に知らしめる役目が‥‥私には‥‥」
 顔を上げた新平の視界の端に、巨大な馬の姿が見えた。
 馬が一声いななくと、引き連れていた多数の猪アヤカシが新平目掛けて突っ込んで来る。
 五体ですらこれ程てこずっているというのに、これ以上増えたらどうなってしまうのか。
 そこに想像が至った時、新平は心の底から叫んだ。
「い、嫌だ。わ、わわ、私は死にたくないっ!」

「そいつは結構ですな」
 不意に背後より聞こえて来た声に、新平はぎょっとして振り向く。
「貴方に死なれるとこちらの仕事が果たせなくなるんでさ」
 風鬼はその背を守るように、手斧を構えた。
「き、貴殿は‥‥」
「じきに仲間も来ます。それまでぐらいは保ちますよね、川上流皆伝、川上新平殿」
 刀を構えなおす新平。
「あ、当たり前だ」
 敵の増援がより早かったが、それでも二人が削り取られる程遅くも無かった。
 早駆にて先行した風鬼に残る皆が追いついて来ると、崖上より見ているだけだった狂馬も参加し、戦場は大混戦となった。

 戦場にシャンテの笛の音が響き渡る。
 音量ではない。戦場の喧騒にあってその音が掻き消えぬのは、一重に彼女が届けたいと欲するが故である。
 苦難にあっても決して挫けぬ騎士の心を、何処までも戦い抜ける勇気をと、吟遊詩人に出来る精一杯を奏で続ける。
 シャンテの内面に溢れる豊かな情感を乗せた音色は、彼女がそうあれと願う限り、戦士達を奮い立たせ続けるのだ。
 シエラは踏みこまんとしていた狂馬の前足を強く打ちつけ動きを制する。
 これにより強力無比なはずの噛み付きは、狙いが逸れ鎧をこするにとどまった。
 すぐさま片手に持った刀を眼前に立てると、その内なる力に応え翠の刀身が輝きを増す。
 淡い月のような光を伴い狂馬に痛撃を与えたシエラは、しかし僅かに表情を曇らせる。
「どうしました?」
 雫が声をかけると、不満そうにシエラは答える。
「‥‥精霊力を用いる技ですから、もしかしたら精神的な攻撃も可能かと思ったのですが‥‥」
 苦笑する雫。
「あの巨馬に対して肉体の及ばぬ攻撃をというのは良い手だと思いますが、そう上手くは行きませんね。やはり‥‥」
 雫は同じく精霊力を刀身に漲らせるが、こちらはより強い閃光にも似た輝きを伴う。
 穏やかな雫の性格そのものな踏み込みから、攻撃範囲に入る直前、最後の一歩のみ爆発的な距離を飛び込む。
 斬るに足る以上の踏み込みは、斬った後、脇をすり抜ける為のもの。
「そうあるよう備えた精霊力でないと、難しいと思いますよ」
 攻撃は一瞬、その瞬間以外は危険な間合いには決して近寄らぬ雫。
 前衛は狂馬に攻撃を集中させながらも、後衛への侵攻を決して許さぬ立ち回りを続けていた。
 ワーレンベルギアは味方の頼もしさに感謝しながら、雷撃を操る符を取り出す。
 雫の攻撃を見る限り、狂馬は知覚攻撃をあまり好まないらしい。
 何でも炎を吐くらしいし、その攻撃力は脅威である。
 早々に退場願うべきだとワーレンベルギアも集中攻撃に参加する。
 狙いを外しさえしなければ決して外れぬ速度で、ワーレンベルギアの雷閃が狂馬を貫く。
 氷は陰陽師でありながら前線を支える彼方とは真逆の意味で、やはり陰陽師らしからぬ動きを見せる。
 まるで泰拳士のような手数で符術を放ち続ける様は、やはり彼もまた非凡な陰陽師である証であろう。
 豊富な練力と消費効率の良い魂喰を用い、ありったけの符術を狂馬へと叩き込む。
「うぃ、後は任せたよん」
 任されたのは彼方だ。
 両手に持った槍を顔の前に突き出しているのは、狂馬が彼方に噛み付こうとしているのを槍で阻止しているからである。
 このままでは埒が明かぬと思ったか、狂馬は首を振って槍ごと彼方を弾き飛ばす。
 地に膝をすく彼方。そこに狂馬の前足が振り下ろされる。
 彼方が素早い挙動で符を走らせると、槍にアヤカシのごとき瘴気がまとわりつく。
 そのまま、体重を乗せて圧し掛かって来る狂馬に向けて槍を突き出す。
 狂馬の皮膚は常の馬のそれを遙かに凌ぐ堅さを持つ。
 そのおかげで槍の穂先に斬り裂かれたのは表皮と肉の半ばまでであったが、槍の瘴気と彼方の突きは、狂馬の巨体をすら弾き飛ばしてしまう。
 大きく崩れる狂馬に、咬竜は新平の方を向き大声を張り上げる。
「折角じゃ、俺の剣も一つ。とくと見て行かれよ!」
 全身を激しくよじり、咬竜の攻撃を少しでも避けようと試みる狂馬であったが、咬竜は真横に飛ぶ事でその正面に位置し、その喉元目掛けて刀を突き出す。
 常の馬ならこれで決着だが、これほどの巨体ならば、もう一声かと刀を背に担ぐ。
 放つ一撃は新平が越えんと欲して止まぬ両断剣。
 剣術の王道、袈裟に振り下ろした刀は、大人の胴体より太い狂馬の首を、一刀で斬り落とすのだった。
「参考にはならぬじゃろうが、な。ククッ」

 新平はようやく手にした新たな雲耀への自信が、粉々に砕け散るのを自覚する。
 風鬼の神速の移動術、シャンテの歌、シエラのカウンター、雫の知覚斬撃、ワーレンベルギアの符術、氷の連術、彼方の剛槍、そして咬竜の両断剣。
 これら全てより、新平の放つ雲耀の剣撃は劣っていると思えてしまったのだ。
 このままおめおめ街になど戻れぬと、皆の説得にも耳を貸そうとはしない。
 シャンテは興奮している新平の心をまず落ち着かせるため、言葉ではなく心で語るため、笛を手に取る。
 どうか家族の事を思い出して欲しいと。
 しかし、その曲は何処か不自然であった。
 何時しか誰もが黙り込みこれに聞き入るが、やはり新平も違和感覚え、充分に落ち着いた時、ふと何が変なのかを理解する。
 シャンテはわざと幾つかの音を抜いていた。
 新平は確かめるように口を開いた。
「‥‥我が、雲耀の技もそうであると、言うのか。絶対の一ではなく、形を為すための一部分であると‥‥」
 彼方がシャンテの頭にぽんと手を置く。
 今度もまた驚いたが、手の平より伝わってくる子を慈しむような心を、今度こそ感じ取る事が出来た。
「あんた自身も、だ」
「私も?」
「家族も大事、それでぇも男にゃひけぬ何かがある‥‥つってぇも、ほんとに大事なものが何か‥‥そこにあるものをちゃんと見ないとな」
 くしゃくしゃとシャンテの頭を撫でる彼方を見て、新平は一つ思い出した事がある。
 死を前に無様に逃げ惑ったあの時、最後の最後で脳裏に浮かんだのは剣の道ではなく、妻と息子の顔であったと。
 皆が口にした、家族の事であったと。