始めは誰も普通人
マスター名:
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/07/29 15:16



■オープニング本文

※【運営より】7月15日 事情によりNPCの名称を変更いたしました。ご了承願います。

 その男、河野一正が山中深くに山篭りを始めた時、まだ彼は社会というものに対して、無意識ではあれど敬意のようなものを持っていた。
 朝早くから日が暮れるまで農作業に精を出す農夫も、おしりにできものが出来るぐらい座り続けて初めて一人前と言われるような両替商にも、籠をかつぎすぎて腕と肩が片側だけ異常に盛り上がってしまっている人夫も、皆それぞれに社会を構成するに必要な人達で、彼等は彼等で頑張って生きていると理屈ではなく肌で知っていたのだ。
 彼らがそうやって生きるように、河野は武の道にて立身を考えた。
 もちろんのし上がっていくには並大抵の腕や覚悟ではだめだ。なればこその山篭り。
 しかし、河野が考える以上に、山というものは厳しく険しい存在であった。
 修行も何もあったものではない。ただ生き抜くだけで日中のほとんどの時間を費やさねばならない。
 これは河野が全く山の知識をもたぬ状態で山に入ったせいもあろう。なればこそ、食料の手配も寝床の確保も考えず山に入ったのだから。
 日に日にやせ衰えていく河野。彼がそのままのたれ死なずに済んだのは、偶々山道を行く商人に出会えたからだ。
 彼は商人であり損得勘定に長けた者であったが、流石に行き倒れを見過ごすのは心苦しいと思い、彼に食べ物を与えた。
 そして河野から事情を聞くと、商人はもう心底から呆れ、山が如何に厳しい環境かを、修行をするのなら衣食住を整えてからそうすべきだと当たり前の事を当たり前に言ってやった。
 常の河野ならこれを聞き恥じ入っていただろうが、今の河野は山での無理な生活のせいで心に余裕が無くなっていた。
 憤慨し商人に言い返す河野。厳しいからこその修行だろう、と。そして当たり前に、それで行き倒れては意味が無かろうと返され反論に窮する。
 商人は河野が黙り込むとそれ以上追い詰めるような事は言わず、あまり無理はするものでないよ、とだけ残し立ち去って行った。
 河野は、それまではただ空腹の解決のみを考えていたが、それが収まってみると、自らの有様がより鮮明に見えてくる。
 惨めで無様な、そんな自分を、河野は受け入れられない。志体を持ち、何処に行ってもその武に敬意と羨望を向けられてきたというのに。
 恩も忘れ商人を追う河野。
「おい待て! お主の言い様聞き捨てならん! 訂正してもらおうか! 俺の修行を馬鹿にするのは許さんぞ!」
 追いかけるとすぐに追いつき、商人は目を丸くしてこれを迎える。
「……何を言ってるのか良くわからんが、アンタが気を悪くするような事があったのなら謝ろう。ではな」
 それだけ言うとさっさとその場を立ち去る。もう面倒くさくなっているのだろう。
 そんなおざなりな態度も河野には気に入らない。ここであっさりと謝る大人っぷりは彼には見えないようだ。
「ふざけるな!」
 そう言うと河野は商人を勢い良く突き飛ばした。
 商人はその一打で大地を転がり、地に伏したまま激しく咳き込む。
 文句を言ってやろうと立ち上がりかけた商人は、背負っていたはずの荷物が外れてしまった事に気付き、慌てて周囲を見回す。
 荷物は、道を外れた林の中に転がっていく。
 急ぎこれを追おうと走る商人は、すぐに荷物が見えなくなった事に驚く。
 まさかと林の中に入ると、商人が危惧した通り、その先は深い崖になっており、荷物は下に落ちていってしまっていた。
 しばし呆然と崖下を見ていた商人は、振り返り正真正銘怒りの目で河野を睨み付ける。
「この恩知らずが……覚えておけよ、今から街におり今あった事を訴え出てやる。お前のせいで失ったアレがどれほどの価値を持つか、せいぜい自身の軽挙妄動を悔むがいい」
 怒り肩で街道に戻り、来た道を引き返す商人。
 河野は、どうするかと悩んだ後で、この許せぬ男はまるで反省しているようには見えないし、ならば河野の力を更に見せ付けるしかない、と考えた。
 山の、せいだと全てを環境のせいにするのは卑怯な言い草ではあろうが、常の河野であったなら、ここまで愚かな真似はしなかったというのも事実であろう。

 背後に背負った荷物以外に商人が持っていた手荷物には、食べ物が入っており、河野はこれを回収すると商人の遺体を崖下に放り捨てる。
「口ほどにも、無い奴、であったな。次は、もっと優れた武芸者、である、といいの、だが」
 かたかたと小刻みに震えながら、河野はそんな言葉を呟く。
 河野の脳内で、幾つかの情報整理が行われる。
 河野は山に篭って修行するだけでなく、山道を通る武芸者に力比べを挑み腕を磨いている、という事に。
 倒した武芸者の荷物は、もう彼には不要であろうから、河野が回収しても構わないだろう、と。
 こうしてこの山に、一人の賊が居座る事となった。
 流石に一月も山での暮らしが続くと、河野もここでの過ごし方を学ぶようになった。
 住居は洞窟の中、食料は山の幸と山道を通る旅人から頂く。
 もちろん名目は力比べであるから、相手の前に堂々と姿を現し自らの名を名乗り相手の流派を問う。
 しかる後、返って来る答えが何であれ叩きのめして荷物を奪うのだ。
 生活の仕方がわかってくると、山での修行もはかどりはじめる。
 既に河野に、街で暮らしていた頃のヒトとしての感覚は無い。
 止める者もないまま肥大化した自我と、自分が生きる為、自分が強くなる為にどうするかしか考慮せぬ身勝手な考えのみが河野を支配する。
 そんな河野が山を下り、最初にした事は貯まりに貯まった金を使っての豪遊である。
 三人四人は当たり前。一晩に六人なんていう店舗開業以来の新記録まで樹立する始末。
 そのあまりの遊びっぷりに地元のヤクザ達に目を付けられるが、今の修行を終えた河野を止められる者なぞ居ようはずもない。
 彼等を蹴散らし自らの力を確認するのも、この上無い愉悦であった。
 こうして暴力の申し子と言われた最凶のヤクザ、河野一正は生まれたのだ。

 基本的に、河野は自分が最強でないと我慢が出来ないので、目に付く所で河野より強い、という顔をしている者は軒並み張り倒している。
 なので河野配下の志体持ちは皆河野以下だが、放蕩を続けても訓練だけは決して欠かさぬ河野に触発されて、彼等もまた日常の訓練を積んでおり、ただのチンピラとは一味違う。
 つまり、実に、やっかいな相手だという事。
 地元の官憲は純粋にこれを制圧する戦力を持たぬ為、仕方なく開拓者の手を借りる事にした。


 河野は定期的に修行の為に、かつて篭った山に向かう。
 この時、彼配下の志体持ち主力は皆これに付き従うのが通例となっていた。
 狙うはこの時。洞窟の中で眠る彼等を強襲する。
 河野が過去そうしてきたように、誰一人下山を許さねば、問題は発生しないだろう。


■参加者一覧
川那辺 由愛(ia0068
24歳・女・陰
叢雲・暁(ia5363
16歳・女・シ
野乃原・那美(ia5377
15歳・女・シ
リンスガルト・ギーベリ(ib5184
10歳・女・泰
フランヴェル・ギーベリ(ib5897
20歳・女・サ
草薙 早矢(ic0072
21歳・女・弓


■リプレイ本文

 洞窟の奥から恐れる気もなく出て来た彼等を迎えるフランヴェル・ギーベリ(ib5897)は、姪っこに気安く語りかける。
「ユニークなやくざ達だね。鍛錬しただけでは追いつけない高みがあると言う事を教えてあげようか♪」
 ついでにおしりに手を伸ばしてたり。
「ち、近寄るでないっ」
 速攻、愛する姪である所のリンスガルト・ギーベリ(ib5184)に伸ばした手をつねり上げられるのだが。
 長閑な雰囲気の二人であるが、残る開拓者達は既に影の仕置人気配を漂わせている。
 野乃原・那美(ia5377)が、
「僕と同じ匂いがするねー♪」
 と目を輝かせれば、川那辺 由愛(ia0068)は、
「まっ、自分で選んだ末路への道なんだから、諦めて死になさいよ」
 とハナっから降伏勧告なんぞ思考の彼方へ投げ捨ててたり。
 叢雲・暁(ia5363)は、彼等の事情も何も知った事か、と悪党外道と一緒くたに。
「山賊なんてこんなもんだよね!」
 草薙 早矢(ic0072)もまた問答だのをする気は欠片もない。
「悪漢どもが。早く殺そう」
 もちろん河野一党も話し合いのつもりなぞなく、早々に戦闘は始められるのだった。

 抜き放った刀を真横に伸ばし、リンスガルトは棍を構えた平井に向け歩を進める。
 その伸ばした切っ先が、リンスガルトの体が動くのにもまるで揺れる様子が無いのを見て、平井は警戒を深める。
 平井の棍が突き出される。その鋭さ、正確さは特筆に価しよう。
 更に、リンスガルトが刀で先端を払うと棍先は刀を触れ抑えながら引き戻される。
 敢えて逆らわず、リンスガルトは数歩前進しつつ棍先を外す。平井は棍の逆先を回転させ下段から掬い上げる。
 真横にステップする事でこれを外すが、かわしきれず腕の端をかすめる。
 平井は棍の中央付近を持ち、棍の先と柄尻を交互に打ち込む。
 これら全てをステップとスウェーのみでかわしきり、リンスガルトは数歩後退してにやりと笑う。
「悪くないのぅ」
 リンスガルトの纏う布地の表面が数箇所擦り切れており、その中の皮膚に赤黒い痣が刻まれている。
 リンスガルトは腰を落とし、剣士のそれではなく、泰拳士の構えを見せた後、深く、早く、踏み出した。
 手刀の一撃のように刀を薙ぎ下ろすと、平井は棍中央部で受け弾く。
 これで揺れる体に逆らわず、リンスガルトは上に伸び上がりながら上段蹴りを。棍の逆先を盾に受ける平井。
 直後、全く同じ蹴りの軌道を逆足の後ろ回し蹴りにて辿る。
 連続の打撃により棍が押し切られ、平井の頭部に棍の端が当る。そこに、とどめとばかりにリンスガルトが手にした刀が回転しながら叩き込まれる。
 リンスガルトの三連撃後、平井は額から血を流しつつ反撃。
 上段を薙ぐ一撃を、リンスガルトは低く潜りながら足払い。また彼方より飛来した矢が平井の上半身を射抜きその重心を持ち上げる。
 リンスガルトの全身は練力の輝きに赤く染まっており、平井もまた同じ技を用いているが動きについていけない。
 必死に超至近距離からの突きを打ち放つが、起死回生のこの一撃が、平井に致命打を呼び招く。
 リンスガルトは右肩への一撃をわざと受け、棍の攻撃による勢いを用いてその場で半回転し背後に向けて刀を突き出す。
 命中とほぼ同時に反撃に平井は反応出来ず、胸下に深々と刀が刺さる。
「技を磨くのは良い事じゃが、基礎能力は大事じゃぞ」
 リンスガルトがゆっくり刀を抜くと、少し後に平井は全身が破裂したかのように血を噴出し、絶命した。

 フランヴェルの重装甲に対し、藤崎のそれは比較的軽装に見える。
 とはいえ藤崎の身のこなしについていきかねるのは、やはり一重に藤崎の技量故であろう。
 のっけからハイペースで飛ばす藤崎のフットワークと体裁きに、フランヴェルは受けに回らざるをえない。
 一歩を踏み出してからの藤崎の面打ち。
 盾で受け止めるが、すぐに藤崎は横に回りこみながら二の腕を狙い逆手に薙ぐ。
 手にした刀の根元で受けるフランヴェル。藤崎は止まらず、更に後ろに回り込むよう動く。道場剣術にはありえぬ実践的な立ち回り。
 とはいえフランヴェルもまた開拓者。片手で扱っているとは思えぬ速度で刀が閃き、生じた隙を埋める。
 それでもその速度に追いつきかねるフランヴェルを、嘲笑うかのように藤崎は更に速度を上げていく。
 撒いたエサは十二分。後は、ウキが沈むを待つばかり。
 完全に背後を取った、そう錯覚した藤崎が必殺を込めた一撃を、大上段に振り上げ飛び込んで来る。
 そちらを見もせぬまま盾を押し付けるようにしてフランヴェルは真後ろに飛び、藤崎の一撃の間合いを外す。
 この時、援護の矢が藤崎を射抜く事でその反撃を封じていた。
「これぞ流星斬・ゼロスタイル!」
 同時に、密着位置から掬い上げるような一斬を見舞う。
 刀だけではなく体ごと突き上げるように一撃は藤崎の股間を狙ったものであるが、咄嗟に押し上げられた刀を手離し両腕を交差させ篭手にて受ける藤崎。
 藤崎は、受けた姿勢のまま真上へと斬り飛ばされる。
 いや藤崎だけではない、切り上げる勢いそのままに、フランヴェルもまた大きく大地を蹴り出していた。
 滾る練力の為せる技か、二人は重なり合ったまま天井にまで突っ込む。
 短い藤崎の悲鳴は、天井に押し付けられたせいか。そのまま落下する藤崎と、フランヴェルは速度を殺しきれず天井に張り付く時間が少し長くなる。
 それでも、問題は無い。
 再び、天井を強く蹴り出して藤崎を今度は上から切り下ろし、その姿勢のまま二人は落着。
 それでも切れず、大きく大地を跳ねる藤崎と、両足で着地し既に態勢を整えているフランヴェル。
 即座にフランヴェルより放たれた無数の剣光に、藤崎は為す術が無かった。

 早矢による仲間達への援護矢が放たれる中、福沢は右に左に進路を変えながら走るが、早矢は彼女の目が早矢を捉えて離さない事に気付いていた。
 福沢が他の標的に目を向け踏み出し、急に方向転換をした所で早矢は機先を制する。
 福沢もまた、早矢がきっちり福沢に向け弓を構えていた所で見抜かれたのを察したのだろう。一矢はもらってやると覚悟を決める。
 右腕に矢が突き刺さる。急所でないのは、当然そこを福沢が防いでいたからだ。
 一瞬、矢の鋭い痛みが予想以上でなかった事に安堵する福沢。なのですぐ後に鏃から爆発したような衝撃が走った事で動揺し、苦痛を表に出してしまう。
 すぐに次の矢を番えるよう手を上げると、福沢は早矢の狙いを外させるよう斜めに走り出す。
 とりあえず、一番嫌な一直線に接敵してくる、を避けえた早矢。
 福沢とは反対側に向かって走る。
 早矢の矢が一発、二発、福沢の剣がこれを弾き飛ばす。
 走りながらなので狙いが甘い。もちろん福沢も走りながらなので、時折弾き損ねて矢がその身を削る。
 それでも攻守ははっきりとしている。早矢の一瞬の緩みをついて福沢が踏み込む。早矢の矢を弾きながら隼のように素早く間合いの内へと。
 一つ。横っ飛びに剣の間合いから外れる。
 二つ。更なる一歩を踏み出した福沢の一撃をかわしきれず。
 三つ。執拗に腕を狙ってくる刀から逃れえず、深く左腕に傷を追う。
 弓矢は片腕を奪われてもその威力を発揮する事は出来なくなる。福沢は更にしつこくその腕を狙い続ける。
 早矢は近接距離からでも必死に矢を番え射放つが、近すぎるのと挙動が大きすぎるのとで、福沢への命中矢とはならない。
 それでもしぶとくしつこく食い下がっていた早矢であったが、福沢の蹴りをまともにもらい、壁際へと叩き付けられる。
 壁によりかかるようにして座り込んでしまった早矢を見下ろし、福沢は勝利を確信するのだったが、早矢の表情を見て、より正確にはその瞳に映る景色を見て、ゆっくりと背後を振り向く。
 そこには、早矢が援護矢を放ち、速攻を支援したリンスガルトとフランヴェルの二人が居た。
 福沢の攻撃を凌ぎながら放っていた矢は、福沢への攻撃ではなく彼等への援護射撃なのであった。

 千駄ヶ谷の動きは、野乃原那美のそれと比較しても遜色無いレベルであった。
 放置は極めて危険であろう。シノビのそれとはまた違った身の軽さを誇る相手に、那美は逆にシノビらしさを煮詰めたような動きで張り合う。
「おねーさん身軽すぎー。もうちょっとゆっくりいこうよー」
 千駄ヶ谷はそう言って、剣の間合いから壁を蹴って離れた那美にぶーたれる。
 離れ際の一刀にて腿を浅くだが切り裂かれていながら、千駄ヶ谷から焦った様子は見られない。
 何故なら、千駄ヶ谷もまた那美に手傷を負わせていたから。
 那美が笑みを深くする。もっとも彼女が笑っていない事など滅多に無いのだが。
 両者はお互い踏み込みすぎぬ間合いを維持しつつ、表皮を削りあうような斬り合いを続ける。
 どちらも体表に数多の傷を負い、それでもどちらも止まらず、譲らず、愉しむ事を已めず。
「おねーさん良いよ。ボクと同じとか、素敵だよね、本当」
 そう口にした千駄ヶ谷が違和感を覚えたのは、思っていた以上に出血による体力低下が早い事に気付いたからだ。
 そこでようやく、千駄ヶ谷がソレに気付けたかとくすくすと声に出して笑い出す那美。
「あはは♪ 他人にしたってことは自分にも同じことされる覚悟くらいできてるよね? そうでないとこんなことしてないよねー?」
 同じ傷を与えあっていたと思っていたのは錯覚で、那美はより深く、より正確に、千駄ヶ谷の血流を切り裂き、その出血を促していた。
「あはは、まだまだなのだ♪ もっと斬り心地楽しませて貰わないとね♪ 僕達が満足するまで付き合って貰うよー?」
 千駄ヶ谷はそれでも、この思いつきこそが錯覚だと無理矢理に笑みを作り出して戦闘を続けるも、劣勢は時を追う毎にはっきりとしていく。
「や、やだ。やだやだやだやだー!」
 遂に悲鳴をあげ逃げ出し始める千駄ヶ谷。
「だぁめ♪」
 その背中から、深々と二本の刀を突き刺した那美は、震える千駄ヶ谷の反応を愉しむようにゆっくりとこれを引き、そして、また刺す。
 宣言した通り那美は、これを飽きるまで繰り返すのであった。

 冬月の豪快な斬撃を、まず那美が標的となってこれをかわす。直後、千駄ヶ谷が那美にまとわりつく。
 その速さと技に、由愛は那美に、千駄ヶ谷に集中するよう言うと、素直にはーいと那美は答えた。
 そして、陰陽師が相手とわかった冬月は、女らしさを投げ捨てた獰猛な笑みを由愛へと向ける。
 もちろん由愛に、冬月に付き合うつもりなぞ欠片も無い。
 ありったけの呪いを言の葉に載せて、瘴気漂う詠唱とは思えぬ奇妙な程に陽気な調子で音を刻む。
 足先で軽快なリズムを踏みながら、最後の一節をゆっくり丁寧に唱えて調子を合わせる。
「ばんっ」
 人差し指を冬月へと向け、短銃がそうなるように銃声と共に人差し指を斜め上へと上げる。
 冬月は、刀を片手に持ち替え、残る手を口元に当てる。が、間に合わず、口の端からぼろぼろと何かがこぼれる。
 それは由愛が誘う瘴気の虫。これが冬月の体内からあふれ口から漏れ出して来たのだ。
 吐血も共にあるはずなのだが、まるで手品のように次々溢れかえる虫達に埋もれてかそんな様子は見えず、激痛を伴う強烈な術にもかかわらず、何処か滑稽に見えてならない。
 ぐらりと揺れる冬月の巨体は、しかし、冬月自身が一歩を踏み出した足で転倒を堪える。
 それどころか、口から溢れる虫達をばりばりと噛み砕きながら逆に飲み込みにかかるではないか。
「アンタそれ、女どころか人間も捨ててるでしょ」
「ひるかぼへ! ぶっほろひひゃる!」
「……口の中に物入れたまましゃべっちゃいけませんて教わんなかった?」
 物ぶちこんだのは由愛ではあるが。
 じりじりと由愛が後退すると、それに倍する速度で冬月は由愛との間合いを詰める。
 そこで、足元から這い上がる瘴気の闇に、冬月は足を取られる。
 口汚く罵りながら足を引き上げ強引に突破を図る冬月が再び目を上げると、先ほどそうしてように、由愛が伸ばした指先がまっすぐ、冬月に向けられていた。
 先は気合いと根性で耐えた。しかし、もう一度、今の状態でこれをもらって生き残る自信が冬月にはなかった。
 首を横に振る冬月。
「存分に怨んで頂戴な。それだけは、あたしが貰ってあげるから」
 恨みはしない、だから助けてくれ。そう言葉ではなく目で言っているのが理解出来ていながらも、由愛が詠唱を止める事はなかった。

 叢雲暁は見た目や言動のせいで誤解されがちであるが、彼女は決して愚かでも浅はかでもない。
 戦闘に際し、敵の技量を見定める事の重要性を当然のように認識しているし、その技量を見極めるまで不用意な真似をしないのも当然である。
 投擲による牽制を繰り返し、踏み込みすぎぬ間合いにての戦闘で暁が得た情報は、河野一正という男の極めて高い能力であった。
 暁は、ふうと一つ息を吐いた後、とてもわかりやすい顔で河野と対する。河野もそれを見て、暁の意図を察し、自信に満ち溢れた態度で迎える。
 双方一歩も引かぬ、剣対無手の戦いが始まる。
 接近戦開始直後、攻防の天秤はいずれかに偏る事はなかった。
 暁の刀が河野をかすめれば、河野の蹴りが暁を浅く削る。
 どちらも強烈な命中打を与えぬまま、行き交う烈風の如き戦いが続くが、時期に二人に明確な差が生じてくる。
 暁の斬撃をもらった河野は舌打ちしながら即座に攻撃を返すのだが、河野の拳を食らった暁はあまりの痛撃に一瞬身動きが取れなくなる。
 これは攻撃の威力ではなく、防御能力の差であろう。
 叢雲暁というシノビの特性は、高い攻撃能力と回避能力にある。
 泰拳士はこれに匹敵する能力を得易くかつ、防御能力ではシノビの暁を上回る。今回はモロにそれが出た形だ。
 かくして劣勢に立たされた暁はどうするか。
 河野の五段突きは、特に最後の二発をかわすのはほぼ不可能。これを理を通り越した超常の理にて時を塗り替え、拳を外しながら刀を突き立てる。
 河野怖じず怯えず慌てる事なく、蹴りに切り替え間合いを伸ばす。
 飛び後ろ回し蹴りで〆る竜巻の如き連蹴りを、暁は後退を繰り返し最後の一発までをかわしきる。が、バランスを崩して転倒。
 したはずの暁が、河野の頭上高くに舞い上がり逆襲の飛び回し蹴り。
 『夜』を知る河野をこの技のみで崩しきる事は出来ず。それでも、攻防を一進一退に引きずり戻す事だけは出来る。
 暁は、河野の弱点を見抜いていた。
 ただの一撃で全てを決するような強烈な技を、彼は持ち合わせていない。彼の拳打には怖さが足りず、持久戦に持ち込んでも消耗は少ないのだ。
 最後に暁は、少し悔しそうに言った。
「うーむ。倒しきれなかったか」
 河野の周囲には、残る敵を殲滅した開拓者達がおり、彼らは当然、河野に対し加減も容赦もするつもりはないのだった。