走る男
マスター名:
シナリオ形態: ショート
無料
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/07/13 03:51



■オープニング本文

 飛脚の市蔵は、仲間内で一番の足の速さが自慢であったし、故に重要な荷物や手紙を頼まれる事も多く、それが密かな誇りとなっていた。
 万事に控えめであれと頭領から教え込まれた市蔵はこれを表に出す事は滅多に無いが、それでもこの誇りを守るべく、日々体調の維持に気を使い、仕事もまた訓練と心得えどんな簡単な仕事でも決して手、いや足を抜かずこなしてきた。
 足が速く、出すぎる事もなく、口も堅く、仕事には誠実と、飛脚として言う事のない極めて優れた男であり、それが逆に今回は裏目に出てしまった。
 この街の長が山を越えた先の街の長に、お互いの産業の提携に関する手紙を送るとなり、ではこの重要な手紙を誰に頼むか、と考えればもう市蔵になるのだ。
 だからこの手紙を狙う一党は、街長達がどんなに隠れて提携を進めようとしても、手紙のやりとりの所で必ず市蔵を通るとわかっているので、後は市蔵を見張り続ければいい話だ。
 この提携話、市蔵の街の方では問題無いが、山向こうの街ではこの提携が成ると甚大な被害を被る商人達が出るのだ。
 もともと、この商人達は倫理観念に欠けた者達で商売の仁義を無視する事が多く、彼等を排除する為の提携でもある。彼等と利害が相反するのは当然といえば当然であろう。
 とはいえ商人達も表向きはまっとうな商売をして見せねばならず、街長も彼等だけを理不尽に排除したり逮捕するような不公平な真似は出来ぬ。
 だから街長は隣街からの要請に応えるという形を取るし、商人達は街の決定だと言われれば抗する術が無い。
 本来、立場の違いを考えれば商人達が街長に逆らうなぞ出来るはずもないのだが、商人達はそれを可能にする手段を用意してあった。
 志体を持つヤクザ達だ。
 公には当然なっていないが、この街では彼等ヤクザの後ろに商人達が居るのは周知の事実だ。
 そして今回の場合、彼等の活躍の場は飛脚が山に入った時。山道を全て見張るのは不可能であり、ここで起こった事は、それがどんなに疑わしかろうと事故として処理する事になる。
 確かに市蔵の足は速い。しかし市蔵に志体は無く、速いというのもあくまで一般人の枠の中での話だ。志体持ちに狙われれば、市蔵とてひとたまりも無かろう。

 山向こうの街、桐里。
 並の街ならば、とうに件の商人達に実権を奪われていただろう。
 だがこの街の街長、井田健作は海千山千の商人達を向こうに回して尚、その上を取れる稀有な知恵者であった。
 商人達が抱えるヤクザの中で、最も危険な八人の志体持ちが全て山を越えそちらの街に向かった。
 八人全てが山に入ったのを確認すると、井田は即座に動いた。
 街の与力達を引き連れ、彼ら商人の家に押し入ったのだ。
 力づくで来られると、志体持ちが居ない商人達は逆らう事が出来ず、あっけなく証拠品を抑えられてしまった。
 引っ立てられた商人は、井田を憎憎しげににらみつける。
「貴様! こんな真似をしてお上がお許しになると思うか!」
「思うさ。帳簿も、隠し蔵も、あるはずのない金の山も、数多の証文も、全て抑えた。これだけ揃えば私の権限で逮捕するに十二分だろうに」
「ふざけるな! 貴様等が乗り込んだ時点で証拠は揃ってなかっただろう! 違法捜査だぞ!」
「それをお前が証言するか。ふむ、そうしたいのならすればいい。上が聞き届けるかどうかは私が軽々に判断すべき事ではないから、まあ止めはせんさ」
 何を言おうと、井田がここまで思い切った手に出ると読めなかった商人達の負けなのである。
 商人はそれでも強い態度を崩さない。
「このままで済むと思うなよ。柿崎達が戻ったら、貴様等全員血の海に沈めてやる。せいぜいそれまでの短い余生を楽しむんだな」
 井田は事も無げに言った。
「ああ、その件なら問題ない。既に開拓者を手配済みだからな」
「なにいいい! 開拓者を雇う金なんて何処にあったというのだ!」
 井田は笑みを深くして言った。
「金ならそれそこに、お前達が溜め込んでいたものがあろうて」

 この即興劇は井田の独断で行われたものだ。
 なので山向こうの街ではこんな事が行われているなぞわからぬままで、そちらの街長はヤクザ者が来ているからと特に注意をしながら手紙を市蔵に預ける。
 市蔵もまた充分な注意を払い、手紙を受け取る所はもちろん、家を出る所すら誰にも見られぬようにし、すぐに山越えにかかった。
 しかし八人の志体持ちヤクザは、市蔵の家ではなく、途上の必ず通らざるをえない道を見張っていたのだ。
 市蔵が駆けていくのを見たシノビの神田が、大声で皆を呼び寄せる。
 旅籠の一室に遊女を呼び寄せ遊興にふけっていたヤクザ達はこれを聞き、側に居た女達を突き飛ばし武器を取る。
 彼等のまとめ役、柿崎が先頭を走る。
「さあ仕事の時間だ。野郎共、追いかけっこといこうか」

 市蔵は追って来る八人組を見て、大いに驚き慌てる。
 目の良い市蔵は彼等が武装している事にも気付いており、とにかく必死に逃げるべし、と走る速度を上げる。
 しかしただの一人も振り切れない。だとすれば理由は一つ、八人全員が、志体を持っているという事だ。
 背筋が寒くなる。たった一人だとて市蔵にはどうしようもないというのに、それが八人。掴まったなら確実に終わりだ。
 殺される。そう思うと全身が恐怖に震える。
 既に市蔵はありったけの速さであるが、彼らを振り切る事は出来ず、そしてこのままの速さで山を越えきる事は絶対に出来ないと思う。途中で必ず力尽きると。
 荷物が狙いならこの右肩に背負っている箱を彼等に譲れば、命は助けてくれるかもしれない。
 この荷物を彼等にもわかるよう放り投げて逃げれば、もう追っては来ないかもしれない。
 そうすれば、きっと命は助かる。
 そこまで考えても、市蔵の手はしっかりと荷物を支える棒を握って離そうとしない。
 市蔵は命乞いのやり方なんて知らない。今までやった事なぞないのだから。
 市蔵が知っているのはたった一つ。走る事、それだけだ。
 だから市蔵は、どれがよりマシな手段かどうかなんて考えるのは止め、ただ自分が出来る事を必死にやる事にした。
『限界まで、走ってやる。俺が何処まで走れるか、ここで死んじまうってんだったら、俺はそれを確かめてから死んでやる』

 開拓者達に井田は山を越えて隣街に行くよう頼む。
 あのヤクザ共が向こうの街で問題を起こす前に対処して欲しいというのが一つと、山越えの道は一本道で入れ違いようがないからというのが一つ。
 特に逆らう理由もないのでそうして山を登る開拓者達の前に、凄まじい速さで男が一人走ってきた。
 彼は皆を見るなり言った。
「た、旅人!? ……な、何てこった。アンタ等、今すぐ、逃げろっ……」
 彼、市蔵は今にも死にそうな程疲労した様子でそう勧める。その後ろから、標的である八人とぴたり人相の合う八人組みが走って来るのが見えた。


■参加者一覧
珠々(ia5322
10歳・女・シ
叢雲・暁(ia5363
16歳・女・シ
不破 颯(ib0495
25歳・男・弓
帚木 黒初(ic0064
21歳・男・志
綺堂 琥鳥(ic1214
16歳・女・ジ
フルール・リ・フルーフ(ic1218
16歳・女・シ
白爪 睡恋(ic1219
11歳・女・吟
サライ・バトゥール(ic1447
12歳・男・シ


■リプレイ本文


 市蔵は前方からぞろぞろと出て来た集団に驚き、大慌てで彼等に声をかける。
「お、おいアンタ等!」
 珠々(ia5322)は特に感情を込めぬ淡々とした口調で言う。
「ああ、お忙しいようですね。お仕事がんばってください」
「へ? え、ああ、いや、どうも……じゃなくてだな!」
 市蔵を追って来る八人を見やりながら不破 颯(ib0495)が。
「やあお兄さん、大変だったねぇ。早くここから逃げるといい。これから戦場になるからなぁ」
 そう言いながら颯が弓を番えるのを見て目を丸くする市蔵。
 そこにフルール・リ・フルーフ(ic1218)があどけない様で言った。
「あの人達はフルール達が殺っつけちゃいますので、もう安心して良いのですー」
「は、はあ、おやりになられるんで……って、いやだから連中は志体を……」
 脇から市蔵に水を差し出すサライ(ic1447)は、シノビらしい配慮でまず自分がこれを口にして見せる。
「かなりお疲れの様ですね、どうぞ召し上がって下さい♪」
 実際めちゃくちゃ喉が渇いていた市蔵はこれをありがたくいただく。
 消耗した体に染み入るその水のあまりの美味さに悶絶しかけた市蔵を他所に、開拓者達はさっさと迎撃準備に入る。
「……え? 本気、か?」

 サライは対峙しむき出しの殺意を向けてくる杉井に明るく言った。
「こんにちは! 僕は開拓者になってまだ半年足らずの駆け出しですがお手合わせ宜しくお願いします!」
 杉井は眉根を寄せる。サライは続けた。
「あの、出来れば何もしないでいてくれませんか? すぐ済ませちゃいますから♪」
「……お前は動いていいぞ。始めは暴れるぐらいがちょうど良いんでな」
 踏み込んだサライの苦無を杉井はカトラスをぬきざまに弾く。
 跳ねるように側面へと回り込むサライ。杉井はカトラスを薙いで仕掛けるが、右手の苦無を左に持ち替えサライは斬撃を防ぐ。
 甲高い金属音と共にカトラスが弾かれると、再び苦無を右手に放りつつ突き出しながら、体を開いて切っ先を大きく伸ばす。
 慌てて杉井はカトラスを盾代わりにするが、体勢が悪すぎる為これを弾き飛ばされてしまう。
「ふん、少しはやるか。ならば……」
 懐より銃を抜きかけた所で、杉井とサライとの体感時間に差が生じ始める。
 杉井の目では、サライの姿を捉える事が出来ない。
 左肩に激痛が走ったかと思えば、今度は右の腿が斬り裂かれ、下腹部を背なより刺し貫かれた後、うなじの辺りがばっくりと裂ける。
「キサマ! 一体何をした!?」
 その可能性に思い至れぬ、その程度の知識しかない段階で、杉井は、終わっているのである。
 傷を受けた後、そちらの方へと銃撃を行うも既にサライはその場所に無い。
 両手足の動脈を深々と切られた杉井は、感覚を失った手で武器を手にしている事が出来ず、銃を取り落とす。
 サライはその杉井の首を正面から抉り斬りつつ訊ねる。
「ならば、何です?」

 帚木 黒初(ic0064)の太刀が流れると、橘はその間合いから上体を引いて外れる。
 太刀の間合いに、橘は無理をして入ろうとせず、細かな出入りを駆使してひたすら黒初が崩れるのを待ち続ける。
 今のような空振りを誘発するのも、長丁場になった時の為の布石である。
 対する黒初もまた隙を生じぬ細かな剣を繰り返し、決して間合い内に入る余地を与えない。
 いずれもが余裕を持っているように見えるが、さにあらず。両者共に、必殺の間を虎視眈々と狙い続けているのだ。
 黒初が袈裟に一つ、橘後退。突き一つ、橘、動く。
 伸びた剣先を真上からはたき落とす事で黒初を崩しにかかる。切っ先の伸びを、それまでの攻防で見切っていたのだ。
 両腕に炎を纏いながら飛び込んで来る橘。迎え撃つ黒初の両腕も紅に輝き、赤光は太刀先にまで至る。
 踏み込みを許して尚、橘の拳打の前に黒初の一閃が間に合う。
 袈裟に薙ぐ形で振り下ろせばそれで橘は止まる。否、橘はこの袈裟を読んでおり、黒初が振るった刀の裏側へと回り込む。
 橘は、右半面を照らす赤光が、突如失われた事に怪訝さを覚えるも、何をするより自分が速いと必殺の奥義を撃ち放つ。
 いや、放てず。
 橘の胴に深々と斬り入っているのは、黒初が腰に下げていた赤く輝く冷涼な刀。太刀を捨て、こちらに持ち替えたのだ。
 あの一瞬での判断、いやありえぬ。これは、予めそのつもりで構えてなくば橘の拳が先であったろう。
「……見事」
 黒初が振りぬいた刀の軌跡は赤く描かれ、雫のような、燐光のような煌びやかな彩りが橘の視界に映る。
「紅葉の中から雪が降るとは、趣があっていいでしょう?」

 颯は真っ先に攻撃を開始し、皆が突っ込んで来た連中を迎え撃つ為前へ出た時も、射ち始めた位置から動かず射撃を続ける。
 じっと走りくる敵の様子を颯は観察する。そしてきっとアイツが来るだろうな、という奴が来た。
 戦術的な優位性云々ではなく、いきなり射掛けられた事に激怒して突っ込んで来る馬鹿。
 とはいえ、真っ向からぶつかるのは弓術師とサムライでは分が悪い。
 ある程度まで距離を詰めた所で、敵サムライ田口に背を向ける颯。
 勢い込んだろう、そんなタイミングで再度振り返って矢を番え射る。
 腿に矢が突き立つと、たたらを踏んだ田口は顔を真っ赤にして颯を睨む。くわばらくわばら、と再び背を向け走り出す颯。
 こうしてさんざっぱら振り回し、ようやく田口が近接を果たす頃には彼はもう針ねずみのような有様となっていた。
「弓術師が真っ向勝負とかするわけないだろぉ? ぼこぼこにされちゃうからねぇ……ま、当たった相手が悪かったと思って諦めてほしいかなぁ」
「ぬ、かせ。一撃、当ればこちらの勝ちよ!」
 紅蓮の炎を纏った刃が颯を襲う。
 番えんと手にした矢を、鞭のようにしならせ真横から剣を叩く颯。
 先端の鏃が刃にぶつかって鳴る金属音と、身をかがめた颯の左方を剣が切り裂く風切り音が連続で起こる。
 間合いは近ければ近い方がと踏み込みすぎる田口の目元に、颯が手にした矢の鏃を打ち付ける。
 悲鳴と共に後退する田口の額に、大きく弓を構え射放った颯の矢が突き刺さる。
「いやまあ、それが当らないから君は負けるんだけどね」

 叢雲・暁(ia5363)は決して足を止めず。
 神田とのすれ違いざまに忍刀を一閃する。
 神田は急所の前に刀を置き致命の一撃を防ぐが、その時には既に暁は神田の後方へと駆け抜けている。
 踵を立てて急減速する暁は、神田の後ろに回り込むよう方向転換しつつまた走る。
 神田もまたシノビであり、縦横に駆け回る暁に対処すべく同じ動きを、などとはとても出来そうにない。
 暁の移動は弧を描き直線ではなく、その上まるで予測出来ぬタイミングで急転換してくる。
 何よりも、運動量が異常だ。
 瞬間的にこれだけの動きを見せるのは神田にも可能だが、いつまでもいつまでもそうし続ける事なぞ出来ようはずが無い。
 交錯の瞬間、急所を射抜きに動いたと見せ裏をかいて手足を取りに。
 完全に翻弄されるがままの神田の正面で、何故か暁は足を止める。
「得意技の一つや二つ、あるんだろう?」
 そう言われてすぐに出せる技なぞ限られている。奇襲以外で、一撃に賭ける類のものでもなく、ただ純粋に能力を上げるような、そんな技。
 神田得意の奇闘術は、そういう技の一つであるが、いざ出さんとした神田の視界から一瞬で暁の姿が消え失せる。
 神田の腿に深く食い込んだ刃。
 時をすら欺き、背後に回りこんだ暁の一撃だ。
 動脈を切り裂いた一撃は、あっという間に神田の左足膝下を真っ赤に染め上げ、神田から移動の自由を奪う。
 更に命を奪うまでの猶予の間に、暁は言った。
「まあ得意技があったとして、見てやると言った覚えはないがなぁ」
 最後の命の雫を搾り出しての神田の一撃を、暁はシノビ同士の戦いらしく、距離を取る事で間合いを外し僅かな可能性も奪い、彼の死を見取る。
 神田もまたシノビらしく、余計な辞世の句なぞ残さず、そのまま静かに死を迎えた。

「あれは……悪漢、ですの……あ、あぁ、アアァァァァァッ!! 殺す。殺す、コロスコロスコロスコロス、皆殺す……!」
 白爪 睡恋(ic1219)が明らかに精神の平衡を失っている。
 隣に居た綺堂 琥鳥(ic1214)はその変貌っぷりにもそれほど驚いた様子は無い。
「ん、睡恋、どうどう……堂々巡り……。落ち着いて……餅搗いて?」
 発言内容を鑑みるに、琥鳥にもまた落ち着きを取り戻すべき部分が散見されると思われ。
 フルールも琥鳥の逆側よりその肩に手を載せる。
「睡恋さん、大丈夫なのです。フルール達が一緒なのです」
 二人に声をかけられそれなりに落ち着きを取り戻す睡恋であったが、その瞳から憎悪の色が失われる事は無い。
「……問題ありませんの。ですが、奴等の好きにはさせませんの」
 睡恋は自分を落ち着けるつもりか、はたまた単純に効率を考えたか、まずは剣の舞にて迎撃に向かう二人の援護を。
 フルールは正面から敵に挑む。
 敵は三人、川上、井上、菊地。まずは菊地の前面を。
 同時に踏み込んでいた琥鳥の二人をまとめてなぎ払いに大剣を振るう菊地。
 琥鳥は低く低く下へと潜り、フルールは両足を畳みながら跳躍し飛び越す。
 フルールの足は止まらない。菊地の奥に居た井上の脇を抜きにかかる。
 井上の長大な太刀がこれを襲う。
 片手で受けられる威力ではないと悟ったフルールは、大地に刀を突き刺し刀の背を足裏で抑える。
 しかし、足狙いで振るわれた井上の剣撃の威力はフルールの受けを上回る。
 地面に立てた刀が内側に弾かれ、太刀はそのまま振り抜かれる。
 いや、これは受けではない。
 フルールは受けの形を見せる事で、逆に井上の太刀筋を制限したのだ。
 受けの姿勢から一瞬で跳躍へと変化し、先端を弾かれた刀とは逆手に持った手裏剣を放つ。
 井上は勢い良く前方へ飛び込み前転してこれを回避。この間にフルールは本来の目標である、川上へと至る。
「てっ! てめっ!?」
 川上は驚き慌てながら蹴りを放つ。
 川上による上段の回し蹴りをフルールは自らも同じ方向に回転し、蹴りを外しつつ両手持ちに握った刀を川上の頭部に向け横薙ぐ。
 しかしそこは流石に泰拳士。腕は頭部の防御に残してある。篭手にてこの刀を受ける川上。
 その表情が凍りついたのは、篭手に当った刀がくにゃりと変形したせいだ。
 咄嗟に頭部を後ろに逸らし、首の皮と肉僅かで済ますが、冷や汗が止まらない川上。
 こちらに半身を向けるフルールを、川上も井上も無視出来ず両者が襲い掛かっていく。
 琥鳥のダガーと菊地の大剣と、両極端な二つの武器での戦いは、極めてわかりやすい形になる。
 避ける琥鳥を菊地は如何に近寄らせないか、である。
 しかし、巨大な剣を容易く振るう膂力を持つ菊地は、体の周囲を振り回し遠心力を得る事で剣撃の継ぎ目を消しての連続攻撃を仕掛けてくる。
 さながら台風の如き剣。琥鳥は連続攻撃の合間を狙い鞭を飛ばすが、鎧で弾かれ効果をまるで発揮しえず。
 もちろん、ダガーの間合いには入れてもらえず。好機を待つ。
 琥鳥の眼前に縦に大剣が振るわれる。この剣は強く大地を打った反動で跳ね上がり、その勢いで再び彼の頭上に振り上げられるのだ。
 これを、琥鳥は待っていた。
 大剣の先端に、鞭を巻きつけ後退し剣を外す。振り上げられる大剣。
 しかし、菊地の頭上を通って背後に回りそこから振り出される、そんな予定のこの剣は彼の頭上少し後ろでぴたりと止まってしまう。
「なっ!?」
 彼が大剣を凄まじい膂力で振り上げる。この力を利用し、鞭に引っ張られ琥鳥の体が宙を舞ったのだ。
 菊地の背後に綺麗に着地を決める琥鳥であったが、場所が良く無い。
 ちょうど川上と井上が並んでいた場所の側に降りてしまったのだ。
「ただ動きまわるだけじゃないよ……。こういう事も出来る……」
 殺到する三人をラティ・ハレオシャンで足止めしつつ、最後の一回転目で鞭を外へと伸ばす。
 フルールの右腕がこれを掴み、全力で引っ張ると、三人の包囲から琥鳥は勢い良く飛び出す。
 直後、睡恋が動く。
「……此れを受ける良い、ですの」
 今度は味方を鼓舞するだの仲間を支えるだの、そんな陽の要素がまるで無い、怨の一時のみが刻まれた歌。
 竪琴の弾かれた弦から黒い染みが滴り落ちるような、大気を震わす残響が冥府の底より届いた呪いの言葉であるような。
 人を精緻に象っているはずの睡恋の姿が、ヒトガタにしか見えなくなる。
 血涙を流し怒髪を立てながらノミを振るいヒトの面を造る職人の姿が、睡恋の背後に見える。
 彼が決死の想いで削り続ける面は、睡恋の容貌そのもので。
 決して、吟遊なぞしてはならない詩を、人型が奏で続ける。
 変化は急激にではなく、忍び寄るようにそっと、起こる。
 菊地、川上、井上の三人は両肩に、重くのしかかる感じを受ける。
 この重量は体の表面ではなく、体の奥底にずしりと響く、悪意の塊だ。
 睡恋は既にこの曲の演奏を止めているが、三人に張り付いた悪意は失われぬまま。
 ここぞと琥鳥とフルールが仕留めに動く。
 この二人を援護しながら、睡恋は呟いた。
「……其のようなことをしているから、怨まれる……当然のこと、ですの」

 柿崎は正眼に刀を構えたままで、じっと珠々を見つめる。
 対する珠々はというと、少し神経質に見えるぐらい細かく足元の土を蹴って確かめている。
 確認がすむと、よし、とそこで初めて柿崎に目を向けた。
「こういうときは、捕まえてごらんなさい、とかいうんでしたっけ?」
 最初の五歩までは、足元を確認出来た。
 柿崎はそれから先、珠々の足がどう動いているのかを見る事が出来なかった。
 視界の正面から左に流れた、と思い左を見るもそこには居ない。
 いつの間にか、ぐるりと回って右側にその姿が見えるではないか。
 瞬間移動を疑いながら、刀を受けに回す。この時には既に視界の内から消え失せている。
 いや、見えた。眼前を真横から走り抜けていく。なのに、すぐに逆側からもう一人の珠々が柿崎の目の前を走り抜けている。
 目で捉えられず、耳を澄ますと聞こえてくるのは風の音。
 ひやりと冷たい風が高速で、柿崎の周囲を不規則に吹き荒れるのが聞こえる。
 どの風が珠々なのか、柿崎には判別が出来ない。いや、或いは、全てが、そうなのか。
 柿崎にはもう、刃の冷たさと風の冷たさとの区別がつかなくなっていた。
 珠々は、速度で圧倒しながらも決して油断をせず、柿崎起死回生の一撃に備え慎重に事を進める。
 しかし、既に柿崎の精神は平衡を失っており、珠々の誘いの動きに吸い寄せられるように刀を振り上げ、振り下ろす。
 柿崎の首に杭が刺さると、ようやく珠々は動きを止める。
「諦めの早い鬼ですね」