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■オープニング本文 アヤカシ界の中でも、吊狐(つりぎつね)はその高い技量により、皆から一目置かれる存在であった。 彼は愛情をもってこれを育て、時に厳しく、時に優しく、硬軟交えた絶妙のバランス感覚で成長と繁殖を促す。 また手間をかける事を惜しまず、餌の質にも配慮し、住環境を整え、優れた固体を生み出す事に貪欲であった。 そう、吊狐は、ヒトを飼い育てる術に長けたアヤカシなのであった。 胃袋を押さえた者に大きな発言権があるのはアヤカシでも変わりは無い。 吊狐は於裂狐配下のアヤカシの中でもかなりの優遇を受けており、彼が直接従えるアヤカシの数は百を超える。 もっとも、その大半はヒトの餌の作成やヒトの管理、新たなヒト場の作成に用いられており、戦闘に向いた個体は半分もいない。 この珍しい嗜好を持つアヤカシは、ヒトを如何に増やし維持していくかにアヤカシ生の大半を費やしてきた為、ヒトという生き物がどういった存在なのかを熟知していた。 そんな彼を憤慨させたのが、外の人間が、彼の庭にちょっかいを出して来た事だ。 当然、吊狐の飼うヒトは吊狐に極めて忠実であり、またヒトの中でも統率する立場に置いてある者は知能も高く判断力に優れるので、接触してきた人間を上手く騙す事に成功していた。 吊狐は彼等への褒美を決して忘れない。 「素晴らしい。今月の収穫は、君達が誘い入れた者で補うという事で無しにしましょう。ああ、後以前申し出ていた家を一軒増やしたいという話、許可しますよ。良い家を作ってくださいね」 ヒトのリーダーは、喜色満面で吊狐に礼を言う。 戦況を考えるに、人間達はかなりの戦力を冥越へと差し向けているようだ。 ならこれからしばらくはこのヒト達の動向は、全体に大きく影響してこよう。 人間は何故か、アヤカシと対峙した時、同じ人間に裏切られるという事に思い至らないものなのだから。 吊狐は今回の策がつつがなく終了したら、彼等に宴の許可を出してやろうと決めた。 血の滴る肉、頬がとろける砂糖、気分が高揚する酒、年に一回のみこれらを供出してやっていたのだが、特別にもう一回だ。 ここで一つ飴をくれてやり人間からの誘惑に抗する理由を用意してやるつもりである。 ヒトは弱いのだからこういう時こそ強く出るべし、なんてものは強者の理屈だ。 ヒトの立場になって彼等の目線で考えれば、こんな時こそ信頼と友愛をもって接すべきなのだ。と吊狐はほくそ笑む。 彼には、たった一つだけ誤算があった。 それはヒト達が招いた者が、開拓者という人間達の中でも特に戦闘能力に優れた者達であり、その力は吊狐の想像を遥かに超えていたということだ。 開拓者達に冥越で辛うじて生き残っていた村から、救出の依頼が届く。 冥越への斥候活動が多くなる事で、こうした村との接触が取れたのだ。救出作戦はすぐに立てられた。 村人の数が八十人と多い事から飛空船が二隻用意されたが、この人数全て載せたら船の速度は落ちざるをえない。 なので夜間のみの航行で昼間は着陸して機体を隠し、見つからぬようにしながら現場の村まで向かい、同じように見つからぬようにしながらの脱出となった。 これ以上の船を回せない事から、同乗させる兵力はあまり多く出来ない。 なので全員が志体を持つ開拓者がこの護衛に適任である、となった。 緊張感のある任務だ。しかし、基本的に戦闘を避ける方針であるし、船足と空戦アヤカシとの速さ比べが主な勝負所となろう。 開拓者の仕事は追いすがって来た空アヤカシを蹴散らす事と、村人の避難誘導ぐらいのもの、であるはずだった。 二隻の船が村へと降り立ったのは、ちょうど夜明け前の時間で、ぎりぎり間に合ったかと船長は安堵したものだ。 開拓者達が船から降り立ち避難誘導を、といった所でそれは来た。 船に向けてアヤカシからのものと思しき火矢が放たれたのだ。 見つかっていたのか、と皆周囲を探るが、船長は何やら違和感を覚える。 アヤカシが、火矢を? 船長は船におり、それなりに高い位置に居た為、遠くまで視線が通る。 その為、火矢を撃つべく構える弓手達を見る事が出来た。 「……馬鹿、な……」 アヤカシにも人に似た固体がいる。その類と考える事も出来ようが、一人が矢の先に油を浸し、一人が火をつけ弓手に手渡し、そして弓手が火矢を射る。これが十組程あるのだ。 この統率された動きは、アヤカシのそれとは思い難い。 そして地上に降りた開拓者達に、アヤカシ達が襲い掛かっている。 こちらはもう見るからにアヤカシだ。アヤカシにしか見えぬし、ならばわざわざ弓手だけ人に似たアヤカシを集める意味がわからない。 そして何より船長が恐怖に震えたのは、弓手達、そしてこれを手伝う者達は、意欲を持ってこちらに射掛けてきているようにしか見えない事だ。 船長はすぐに決断した。 「開拓者に引き上げの合図を送れ! 村人の回収は諦める! 即座に撤収するぞ! 俺達は騙されたんだ!」 既に開拓者達はアヤカシに包囲されており、二隻の船にもそれぞれアヤカシが取り付き始めている。 船長が引けといった所で簡単に引かせてもらえる状況ではないが、このままではまず先に船を潰されてしまうだろう。 そうなれば、ここから人間の領域まで開拓者達は歩いて行かねばならず、それは、想像を絶する程の困難を伴うだろう。 船長や船員は、当然その道程に耐えられようはずもない。 何としてでも船を守りぬき、開拓者達を収容して飛び立つ事さえ出来れば、荷物も無い事だし最大船速でぶっとばして逃げ帰れるのだ。 |
■参加者一覧
羅喉丸(ia0347)
22歳・男・泰
八十神 蔵人(ia1422)
24歳・男・サ
叢雲・暁(ia5363)
16歳・女・シ
不破 颯(ib0495)
25歳・男・弓
椿鬼 蜜鈴(ib6311)
21歳・女・魔
ジェーン・ドゥ(ib7955)
25歳・女・砂
ナツキ(ic0988)
17歳・男・騎
病葉 雅樂(ic1370)
23歳・女・陰 |
■リプレイ本文 アヤカシの襲撃を受け、船からの撤退指示が来ると、ナツキ(ic0988)は驚きの声を上げる。 「くそっ、何の冗談だよ……!」 人間らしき者達が船に火矢を射掛けているのも見てとれる。 椿鬼 蜜鈴(ib6311)はそちらを皮肉げに見やる。 「……人が人よりアヤカシを選ぶか……」 さして驚いたようにも見えないジェーン・ドゥ(ib7955)は、淡々と迎撃に備え敵の動きを観察する。 「罠ですか」 迫るアヤカシには目も向けず、不破 颯(ib0495)は火矢を放つ人かもしれぬものを凝視する。 「……見た感じ、あやつられてるっぽくはないんだよなぁ。どういうことなんだか」 不穏極まりない気配漂う戦場で、八十神 蔵人(ia1422)は何時も通りの何処か人を食ったような口調で言った。 「まあ迂闊やったな、要は生成姫がやっとったことと大して変わらん。術かけられたか、そう育てられたかは知らんけどな」 蔵人のそんな台詞に病葉 雅樂(ic1370)が大きく手を振ってこれを否定する。 「いやいやいやいや迂闊とかじゃない……こ、この私、大天才たる病葉雅樂が騙される筈ないだろ?」 蔵人は、厳密には騙されたんわ斥候やけどな、後でどついたる、とか言っているが、聞こえていないのかぶんぶん首を横に振る雅樂。 「よ、よく聞け、そこのアヤカシ共!! 貴君達は私達を騙して死地に追い込んだのではない、貴君達はこの大天才の手によって誘き出され、殲滅される為に自ら死地を作り出したに相違ないのさ!!」 どーよ、的にアヤカシ指差してどや顔してみる雅樂であったが、当然アヤカシはスルーであるし、基本シリアス時空在住の羅喉丸(ia0347)もまたさらっと聞き流すわけで。 四方より殺到してくるアヤカシ達の中から、特に手強そうなのを見定めその進路前に立つ。 「俺は、俺にできる事をしよう」 こちらもまた罠にハメられたとは到底思えぬ落ち着いた様子で構えを取る。 完全に包囲される形となった開拓者達であるが、このままではヒドクまずい。船にも敵が取り付き始めているのだ。 蜜鈴は二振りの短剣をそれぞれ両手に持ち、これを手の内で回しながら問う。 「さて雅楽よ、準備は出来て居るかの?」 当初は若干の焦りが見えた雅樂も、今では落ち着いたもので、昂然と胸を張り答える。 「この大天才に、それは愚問というものだ」 なればよろし、と蜜鈴が右の短剣で紋様を宙に描き、左の短剣にてこれを真っ二つに切り裂くと、裂けた紋様から火の玉が現れる。 雅樂もまた同時に金蛟剪を天へ高々と放り投げるとこれが中空でぴたりと止まり、鋏は獣のように大きくその口を開く。 「狂い咲け大輪の炎華よ」 「祓い散れ滂沱の氷樹よ」 蜜鈴が短剣で指し示す先へ炎弾が、雅樂が指を鳴らすのに合わせ氷の龍が、アヤカシによる包囲の一角を強引に弾き散らす。 すぐにわき目もふらず駆け出す二人、ジェーンとナツキ。 タイミング、方向をジェーンは細かく指示しつつ、一度だけ振り返り後方の確認をすると、後は一直線に二隻の船の防御に向かう。 当然、追いすがるアヤカシ達。 蔵人はこれらのアヤカシ達に並び、長大な片鎌槍を体の後ろにまで大きく引きまわす。 腰も砕けよとばかりに捻り上げた体を、両足で大地を蹴り出す勢いに乗せ、一瞬で全周囲をなぎ払う。 三体のアヤカシがまとめて斬り飛ばされる。 そして上空に位置し、これらの指示をしていたと思しき狐アヤカシに向かって叫ぶ。 「んな狡い罠でどうにかなると勘違いした間抜けな狐ども、かかってこいやあああ!」 この挑発に、上空の狐が一匹勢い良く降下をはじめ、またこれに乗ってか地上のアヤカシ達も蔵人を包囲にかかる。 不意に空の狐は身を翻す。見ると、その足に矢が一本刺さっているではないか。 颯はひとまず一射で注意をこちらに向けさせておきながら、自身は次のターゲットへ目を向ける。 流れ作業で火矢を作ってこれを射掛ける人間達。 油を満たしたと思われる大きな壺は、射手一人につき一つある。これを全て同時に射抜くのはまともな方法では無理だろう。 颯は引き絞った弓に矢を添えながら、練力を指先より番えた矢へと流し込み放つ。 空を一直線に貫くこの矢は、矢のみならず周囲一体をも衝撃でなぎ倒す強烈無比なもの。 狙うは火矢を用意するための壺であるが、もちろんこの衝撃は、そこに居る射手達をも巻き込む事になる。 盛大な音を立てて割れた油壺が三割程。悲鳴を上げて崩れ落ちた射手が二人。残りもこの衝撃に巻き込まれた射手は見るからに集中力が低下している。 「すまないねぇ。俺らも必死なんだわ」 颯のすぐ後ろから重苦しい衝撃音が響く。羅喉丸が突っ込んで来た吊狐の突きを受け止めた音だ。 「アレは! 出荷までは全て私のモノです! それを傷つけようなどと!」 激怒しながら吊狐は連撃を見舞い、羅喉丸をどかしにかかる。よほど颯を殴りたいようだ。 しかるに、羅喉丸は一打一打を丁寧に捌き、連撃全てを受けきった。 吊狐はその見事な技術に驚き、一度後退する。 息を吸って、吐いて。 直後の踏み出しと、右の回し蹴り。羅喉丸の腕が受けに回る。が、上段への蹴りが下段に変化する。 腿で受けるべく硬化。それすらフェイクで、吊狐の蹴りは羅喉丸の脇腹へと吸い込まれていった。 「これは、少し危ないかもしれませんね」 この蹴りを受けても倒れぬ羅喉丸に、吊狐は自身の目論見が崩れ始めている事を悟った。 船の甲板まで昇りきろうとしていたアヤカシは、ジェーンの銃撃により叩き落される。 銃撃、とわかったのは火薬の炸裂音のおかげで、ジェーンが銃を手にしている様子は見られない。 飛び掛る狐アヤカシの下を潜る。この時左の手の平の中にある銃を、指先の操作のみで開く。中から煙と共に火薬の煤が零れてくる。 腰につけた弾丸を一つ、剣を持つ手の指先でつまみあげる。これをしながらくるりと横回転しつつ食屍鬼の伸ばした腕をいなす。 いなす動作がそのまま弾丸を左手の平の内に運ぶ動きに繋がり、装填。左手はこの前に懐の内より火薬を取り出しており、弾丸装填と同時に指先で火薬を押し込む。 開いた手を握り締める事で蓋が閉じ、射撃準備完了。即座に発射。 撃ち抜かれて落下するアヤカシ。この二体を除けば、後は船上の甲板にジェーンより先に辿り着けるアヤカシは居ない。 思い切りよく船を登って甲板に至ると、狼煙銃を撃ち皆に知らせつつ、刀を抜く。 甲板上には、泣きそうな顔で昇って来るアヤカシをモップにて叩き落そうとしていた船員がいた。 「後は任せてください」 「いやアンタ、撤退指示出たと思ったらあっという間に戻って来たなおい。一体どんな魔法使ったんだよ」 速さとは、砂迅騎にとっては特に、手際の良さでもあるのだ。 颯は悠長に止まったままで弓を引くような猶予を与えてもらえなかった。 雷狐からの狙いを少しでも逸らすため、縦横に走り回りながら空を射る。 必中を確信させる間合い。しかし、足元から飛び上がってきた狐アヤカシに腕に食いつかれる。 近接組である羅喉丸も蔵人も頑張っていると思うが、敵の数が数なだけに、全てを前衛のみで防ぐのは物理的に不可能だ。 と、こちらの必殺の間を外した雷狐の雷撃が襲いかかる。 まともにやっては駄目だ。 颯は逆に、矢を射る瞬間まで一切弓や構え、八節全てを忘れ戦況把握と回避に努める。 そして駆け回りながら雷狐の隙を見つけた瞬間、瞬く間に弓を構えて矢を番える。そして射放つまで僅かな停滞も無し。 雷狐はこの速さに驚き回避の動きが遅れる。更に驚きに目を見張る雷狐。矢は、三本放たれていたのだ。 雷狐は刺さった矢を口でくわえ、強く引いて強引に引き抜きにかかる。 その雷狐の口に、矢から蔦が伸びて来る。 矢は変化を続け、今やその口を覆い尽くす程の蔦の塊となり雷狐を締め上げる。 また体内に侵入した鏃にも変化が起こる。赤熱し、体内で蒸発を始める鉄の鏃。その温度は一体どれほどのものとなっているのか。 遂には狂ったように暴れだし始めた雷狐は、そのまま大地に落下していき、激突して果てた。 蜜鈴は地上より襲い来る狐アヤカシ、食屍鬼に対する為、背後に鉄の壁を作り出す。 魔術士とはいえ開拓者である以上、近接戦闘が全く出来ないという事はないが、当然得意分野でもない。 四方八方から襲いかかられてはさしもの蜜鈴も術に集中出来ぬ。 鉄壁にて敵の攻撃包囲を制限させてから、一網打尽メテオストライクを叩き込む。 この術、狙いは雑だが広範囲を一度に吹っ飛ばせるのが魅力だ。先の突破の時も放ったこの術に、雷狐が目をつけた。 メテオストライク発射の直後、空からの雷撃が蜜鈴を貫く。 体表を残った電流が這い動く中、蜜鈴は頭上を見上げ僅かに微笑んだ。 「塵と為せ灰燼球よ」 本来ならばごっそりと標的を削りとる灰色の光球は、大きく雷狐を弾き飛ばすに留まる。 それでも以降、雷狐は蜜鈴の術の射程内には自身ではなく下級アヤカシを仕向けるようになったのだから、それなりに痛かったのだろうとは思えた。 後は、地上の有象無象だ。 「醜き首なれど落としてやろう。さぁおいで」 術具であるはずの二振りの短剣が閃き、狐アヤカシ、食屍鬼の別無くこれらを切り裂いていった。 本来、ほぼ包囲が完成している状況で人が二人もこれを抜けるなど、そう容易く出来る事ではない。 ナツキはこれを指揮したジェーンを感嘆の思いで見送る。 しかも彼女、銃なんて面倒な武器使ってるワリにやったら手際がよく、あっという間に船上の人となっている。 「っと、感心ばかりもしてらんないか」 自分が受け持つ船に駆け寄り、これを登り船べりに手をかけているアヤカシに向かって飛び上がる。 オーラを漲らせた必殺の一閃が縦に閃くと、アヤカシは真下より二つに裂け落下する。 一瞬、自分もジェーンがそうしたように流れるように甲板上に昇ろうかとも思ったが、似合わぬ事はしないのが一番と思い直し、丁寧に群がる敵を処理してから、梯子を下ろしてもらってこれを昇る。 火矢は、一時止んでいたのだが、時期に持ち直したようでぱらぱらとだが降り注いで来る。 息を一つ吸い込んで、気合とオーラを全身に漲らせながらナツキは飛んで来る火矢に対し、自分の体をすら盾としながらこれを防ぐ。 もちろんよじ登ってくるアヤカシ達も、突いて蹴飛ばし叩き落す。 余裕なんてなくって、かっこよくもない、傷も汚れも無数に残る中、ただひたすらに船を守るという事のみを考え行動する。 それは、ただ一人の戦士のあり方ではなく、たくさんの仲間と共に困難に挑む、兵士の姿であった。 蔵人は少し焦っていた。 不意打ち食らった事もそうだが、敵が案外に統率が取れているのだ。 ケモノとアンデッドという統率とは縁の無さそうなアヤカシを、上空の雷狐と地上の吊狐が見事に指揮している。 そうなってくると、狙われるのは近接職ではなく、後衛職だ。 蜜鈴同様、障壁を作って敵の動きを制限する雅樂であったが、やはり、そもそも魔術士やら陰陽師は接近戦をするものではない。 何とかこれを守り、その火力を最大限に活かしたい蔵人は、氷龍の脇を抜け雅樂へと迫るアヤカシを斬り倒しながら両手の武器を地面に突き立て手を組む。 「飛べ! 上や!」 腰を落とした蔵人の考えを即座に見抜いた雅樂は、三歩の助走で勢いをつけ、蔵人が組んだ手の上に足と重心を乗せる。 盛大な掛け声と共に蔵人は全身を用いて両腕を振り上げる。後方宙返りをさせるならこのまま振り抜くだけの話だが、上方へ投げ上げるとなると工夫がいる。 腕は振り切らず、動きを止めた反動で上へと飛ばす。雅樂がこの動きを理解して、全身の骨格を硬く固定してくれていたおかげで少し楽が出来た。 飛び上がった雅樂は、自らが作り出した白い壁の上に片腕を伸ばす。 届いた。 これをよじ登ると、危うさを乗り越えただけの実利を得る。 即ち、この高さにあれば地上からの攻撃はほぼ受けないという事だ。 壁の下に群がるアヤカシ達を見下ろすと、実に愉快な気分になれる。 更に言うならばこれらに向かって斬撃符を打ち込みまくると、それこそもう最高にハイって奴になれよう。 一方、壁下でとりあえず一息つけた蔵人はというと。 「……楽しそうで何よりや」 何処か諦めたような顔で、そちらから目を逸らしてたり。 空へは颯と蜜鈴が牽制し攻撃を仕掛けてくれているので、雅樂はかなりフリーに術を行使する事が出来る。 こきりと首を鳴らす蔵人。 「さあて、潰してこかい」 後ろを一切気にせず、ただ敵を駆逐する事のみに専心し走る。 それだけで片鎌槍、魔剣の伸びが数寸から違って来る。 元々防ぐ守るを得意とすれど、だからと攻めるが苦手な訳ではない。 斬り、突き、薙ぎ、払い、ついでに蹴飛ばしたり突き飛ばしたりと忙しなくアヤカシを倒していく。 思った以上に敵の数が残っている。 それは、多分、と蔵人はその場所に目をやる。 開戦直後からひたすら吊狐に絡まれ続けている羅喉丸の居る場所を。 「お前がヒト達の長だ」 吊狐の言葉を、一々正してやる程羅喉丸はお人よしではない。 それにこの拳を振るう技だ。信じられないぐらい速く、羅喉丸をもってすら半分もかわせない。 「お前さえ封じておけば、いずれヒトは追い詰められる。そしてお前では私を突破する事は出来ない」 羅喉丸も返事はしないが後半部分に異論は無い。拳と独特の歩法の素早さが、吊狐の極めて高い身体能力に支えられ、羅喉丸をもってしても崩しきれぬ強固な壁として立ちふさがる。 右拳が弧を描き、すぐさま左拳が逆側より羅喉丸を襲い、更に先に放った右拳が流れるように連撃を繋ぎ、途切れた、と思った次の瞬間左の後ろ回し蹴りが羅喉丸の頭部を狙う。 羅喉丸は、敵の攻撃ではなく全身の勁道を意識しつつ、ただ見るに務めた。 見て、考えて避けるのでは、追いつかない。体の反応を上げる事に注力しつつ、後は何も考えず自身の体のみを信じる。 吊狐の後ろ回し蹴りを潜りながら全く同じ形で後ろ回し蹴りを放ち、吊狐の側頭部を蹴り飛ばす。 さしもの吊狐もこれには驚いた模様。 「……信じられん。こんな真似が出来るヒトが居るというのか……」 羅喉丸はこれに対し、ようやく一言返してやる。 「俺を止めた所で、ヒトは止まらんよ」 下級アヤカシを蹴散らしながら、蔵人が羅喉丸の元へと駆け寄って来ていた。 「引くで!」 蔵人を筆頭に、開拓者達が暴れまわったせいで半数にまで討ち減らされたアヤカシ達。 これに衝撃を受ける吊狐へ牽制の一撃をくれた後、二人は即座に撤収する。 ナツキは遠ざかっていく村を船より見下ろす。 蔵人も言っていたが、騙されたからと、あのみすぼらしい村を、村人達を、彼等の行く末を、案じずにはいられないのだから。 |