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■オープニング本文 目の焦点が常にあっていない、何処をみているのかわからないような呆とした顔の男。 基本的には単身で行動し、結果得られる利益は全て自分のものとする。 稀に戦力の不足から知人を呼び出す事はあっても、彼等もまた金銭の授受が無ければ決して男と付き合おうとはしない。 脅しの達人。人は彼をそう呼ぶ。 他者を脅迫する事にかけては、彼に及ぶ者なぞいないのではと思える程、見事巧みに人を脅す。 バックに何者をも付けぬままでありながら、標的を見つけては骨まで吸い尽くし、不要となれば躊躇無く処分し次へ向かう。 用心深く、知恵が回る。常に脅迫対象への下調べを済ませてから事に望む。 実際に会話してみると、単なる気の狂ったクソ外道にしか見えないのだが、強力な組織や厄介な相手とは決してぶつからぬよう立ち回る様はいっぱしのシノビですらかくやと思える程の巧みさである。 美濃啓介とは、そういった男であった。 別段特異な部分は無い顔立ちであっても、その表情があまりに歪んでいたのなら、醜い男、と称されてしまうであろう。 彼、陣内作次郎は他者と会話する際はどうしても、相手を見下し嘲笑うような顔になってしまう。 間違いなく、実際にそうしている事が多いのが原因である。 口を利くのも気分が悪いとは正にこの事。 そんな人間でありながら作次郎がこうして人生をこなしてこれたのは、彼が志体を持ち、更に言うなれば腕も立つサムライであるからだろう。 作次郎は何時でも他者を貶しており、そうする事で自分の肥大した矜持を満足させているのだ。 ただ同時に臆病者でもある作次郎は、超えてはならない一線を越える度胸もなく、これを超える時は確実にそれを他人のせいに出来ると確信した時のみ。 だから作次郎は、自分の矜持に見合った金を用意してくれ、更に超えてはならない一線を越えてもソイツのせいに出来る美濃啓介からの依頼は、来れば二つ返事で引き受けるのだ。 金が無ければ女も抱けない。 木場善次は、だからと働くのは嫌いであり、何とか口八丁で女を口説いてものにしようとするが、やはり金の無い男にそうそう女は靡かない。 暴力に訴えれば簡単にそう出来るが、大抵の場合において後でヒドイ目に遭うのがわかっている。 これは自らの体を持って思い知った事であり、木場程のクズでもこれを覆して簡単に暴力に訴えようとはしない。 しかし、女は欲しい。何時でも欲しい。何人でも欲しい。というか目に付いた良い女は全部欲しい。 だから美濃啓介が時折仕事を手伝えと言ってくれた時は、嬉々としてこれを引き受ける。 美濃は話のわかる男で、仕事の最中に目に付いた良い女を、実に見事に都合してみせてくれるのだ。 木場善次と何故かウマが合う、熊井宗太という男がいる。 木場と熊井は女の好みが妙に噛み合っており、酒が入ると二人は楽しげに女の話をする。 今までの女性遍歴を語り合い、細かな嗜好を認め合い、新たな刺激を模索し合う。 もちろん熊井も木場と同じぐらい女好きであり、通常、女好き同士が好みが一緒の場合、同じ女を巡って争いが起こるものなのだが、 この二人に関してだけは絶対にそれはありえない。たった一点の好みが相容れぬ為に。 木場善次は普通に暖かい女が好きなのであり、熊井はそもそも、生きた女にはまるで興味が無いのだから。 「むしむしころころー♪」 と童謡のような歌を口ずさむのは良い年した中年のおっさんである。 「むっしーむしむしいんせくとー♪」 意味がわからないが、とりあえず彼が上機嫌な事だけはわかる。 「むし……って、おいっ! もう死んだのかよ! はやいよ! もうちょっと頑張ろうよ、まだまだいけるがんばれがんばれ、やれば出来るって!」 彼、陰陽師飯島景清は、眼前に縛り付けられている青年に向かってそう何度も声をかけるが、青年からの返事は無い。 「うむ、ご臨終か。しかたないのー、とりあえず聞く事は聞いたし良しとするか」 飯島景清はその筋では有名な、拷問屋であった。 相手が嫌がる事を獣の如き嗅覚で察知し、的確無比な所作で対象の精神的急所を射抜いていくまさに職人芸。 この根っこには、他者が嫌がる事を心底の楽しみとする飯島の薄暗い欲求があった。 彼もまた、こういった口を割らせる仕事とは別に幾ら遊んでも良い物件を手配してくれる美濃啓介には、好意的に接し必要とあれば手も貸すのであった。 音楽性の違いにより解散します、といった文句は既にこれで三度目である。 最早界隈で音楽をやってる者にとっては知らぬ者もいない程有名になった話だ。 歌手須藤俊夫は、どうしようもないクズ野朗だと。 須藤のやり口は、他所の演奏会を聞きに行き、優れた技量を持つ演奏家を見つけると彼を引き抜きにかかる。 それは金であったり、女であったり、時には脅迫紛いの事も行い、とにかく引き抜いてしまうのだ。 しかる後、何やかやと言い訳をつけ約束した金も女も全てを反古にする。 そして当然の如く怒る彼等とごちゃごちゃと揉めながらも、ともかく優れた技術を持った者達に演奏させて、自分の歌を披露するのだ。 そして下手、という程でもないが、須藤が引き抜いた者達に見合う程の歌い手でもない須藤に、完全に怒った残ったメンバー全員が同時に辞める。これが、三度あったという話だ。 更には、こうして須藤の下を去った音楽家達の中でかなりの者が、その後演奏活動が出来なくなるような大怪我を負う事になっている。 証拠は一切残っていないが、状況から考えるに須藤が手配させたのだろう、と業界の人間は確信している。 事実は違う。 皆に秘密にしている須藤の正体、陰殻の里の生まれのシノビである自らの技を用いて、須藤は自分で彼等を襲っていたのだ。 彼の活動資金を折々手助けしてくれる美濃啓介とは、まあ、金さえ払えばその分ぐらいは働いてやるのである。秘密も握られてる事であるし。 美濃啓介を打倒すべし。 またこの依頼を調査する段階で既に、美濃は危機を察している模様。 現在美濃は陣内作次郎、木場善次、熊井宗太、飯島景清、須藤俊夫の五名を護衛に連れている。 彼等が頼もしい護衛であるが故に、好機なり。 これが美濃の手配しうる最大戦力であり、これら全てを撃破し、後顧の憂いごと全てを絶つべし。 用心深い美濃は隠れ屋敷に潜み、静かに嵐が過ぎるのを待っている。 もちろん隠れ屋敷は発見済みであり、彼等六人がここに入り、出て来ていないのも見張りを配して確認済み。 後はこの屋敷に火を放ち、炙り出されて来た六人を、ただの一人も残さず斬り倒す、これが、依頼である。 |
■参加者一覧
相川・勝一(ia0675)
12歳・男・サ
劫光(ia9510)
22歳・男・陰
フィーナ・ウェンカー(ib0389)
20歳・女・魔
九条・颯(ib3144)
17歳・女・泰
玖雀(ib6816)
29歳・男・シ
唐州馬 シノ(ib7735)
37歳・女・志
中書令(ib9408)
20歳・男・吟
ミヒャエル・ラウ(ic0806)
38歳・男・シ |
■リプレイ本文 屋敷に放たれた火はミヒャエル・ラウ(ic0806)が着火点を指示しており、この通りに順につけていくと、面白いぐらい速く火が回ってくれた。 劫光(ia9510)と玖雀(ib6816)は互いに拳を打ち合わせる。 「打ち合わせどおりだ。じゃあな、この程度の奴らに遅れをとってんじゃねえぞ?」 「お前もな」 火に煽られ飛び出して来た男達。彼等の内、玖雀は飯島景清と名乗る陰陽師を相手取る。 陰陽術の主力、斬撃符による攻撃が玖雀を襲う。 これに対し玖雀は鋼線を用いて迎撃する。 斬撃符が玖雀を捉えるのとほぼ同時に、玖雀が伸ばした鋼線が景清の腕に絡みつく。 両者は同時に血飛沫を上げるが、次なる一手をこれにより得たのは景清の方であった。 「ほう、その髪が、そんなに大事か?」 この男の他人が嫌がる事を察する嗅覚は尋常ではない。 標的が僅かにズレてはいたものの、微かな挙動で玖雀のそれを看破したのは大したものであろう。 「女子のような髪に、女々しき髪紐。くくく、何やら思い出でもありそうじゃの」 玖雀の鋼線が景清を捉えるも、景清の言葉は止まらず。 「死に別れたと見たぞ。くっくくく、なるほど、なるほど、さぞや惨たらしく死んだのであろうな。是非この目で見たかったぞ」 どうしても、急所を狙う事が出来ない。 ならば、と玖雀は鋼線を手元に収納しきり、片腕のみ眼前に振り上げた姿勢でぴたりと止まる。 「惨めに、無様に、哀れな程に……」 斬撃の符が真正面から玖雀へと走り出すのにあわせ、肘より先をスナップを効かせながら振り下ろす。 細く鋭い一点となった鋼線は、斬撃符をすり抜け伸びる。当然、斬撃符はまともに玖雀を痛打する。 景清は挑発の言葉により攻撃の瞬間を誘い、ギリギリで顔を背け回避。 しきれず。玖雀が手首を揺らすと、伸びた鋼線は軌道を変化させ、景清の頭部を囲むようにぐるっと回り込む。 それはちょうど口の位置。幾本かの歯を砕きながら景清の口を裂いた玖雀は、隠しきれぬ憤怒を漏らすように言った。 「少し、黙れ」 九条・颯(ib3144)は、間合いを計りながら不用意な踏み込みをせず、木場善次の動きを見切りにかかる。 しかし、その間颯は全身を襲う不気味な嫌悪感と戦い続けなければならなかった。 戦闘の最中だというのに、木場のねめつけるような視線は、倒すべき敵を前にしたものではなく、下卑た欲望を顕にしたオスの目をしていた。 生理的な所でどうしようもなく受け付けられそうに無いこの男に対し、颯は殊更にワンピースの下端が跳ねるよう激しく動く事で、更にその奥への夢想を誘うよう立ち回る。 手甲の部分で刀の先端を弾きながら、時に踏み出し正拳を放つ。 体を捻りかわすのは、類稀な反射神経の証。 木場には、これまでの戦闘で颯の特性を掴んだという自信があった。 身の軽さを身上に、薄い防御を高い攻撃力で補う形。この高い攻撃力の部分を、木場は自らの鎧ならば防げると見ていた。 木場の動きを観察し終えた颯は、木場がそう考えているだろうと、その浅はかさを、始めて見せる蹴りにて粉砕してやる。 氷上を滑るように地面すれすれを飛び、下段の回し蹴りを放つ颯。 一瞬での飛び込み、また全身も低く入っていたので、木場は低く深く構えてこれを防ぐ形をとる。 が、木場の脛へと伸びていた颯の足は急遽跳ね上がりその頭部を真横より強打する。 当然、こんな無茶な動きをすれば颯も体勢が崩れよう。 これを翼と尻尾の挙動で立て直す技は、獣人ならではの動き。 木場が蹴りの衝撃によって視界を失っている間に、颯の右足が木場の顎を蹴り上げる。 終わらず、すぐ様左足が再度振りあがり再び木場の顎を蹴り飛ばすと、木場は大きく後ろに回転し落下する。 「手なら確かに防ぎきれたかもしれんが、足技はそうもいかんだろ」 熊井宗太の動きは、相川・勝一(ia0675)の腕を持ってしても、容易く圧倒できるものではないと思えた。 槍を片手に残る手に曲刀をという膂力に富んだスタイルは、女性と見紛うばかりに小柄な勝一には見合わぬ形かもしれないが、熊井の速い剣をこの二つの武器にて確実に受けきっていた。 「剣の道からは随分と外れた形であるが、なるほど、中々にやるではないか開拓者」 上から目線な熊井に対し、勝一もまた負けてはいない。 「剣の道を語れるような人間か、俺が見極めてやろう」 「ふん、大言の責は体で払ってもらうぞ」 言うなり熊井は連撃による攻勢に出る。 やはりと言うべきか、腐った趣味を押し通すだけの実力はある。勝一は防戦一方になって尚、全ての剣を止め切れぬ。 堪らず勝一は大きく後退を。当然許さず踏み込み押し込む熊井。 これを槍を投げつける事で防ぐ勝一。主武器を躊躇無く手放す様に、一瞬驚いた熊井であったが、型通りの綺麗な受けにてこれを捌く。 槍を大きく弾き飛ばした熊井は、開いた距離を詰めにかかる。 『ふっ、流石だな』 そこに勝一の曲刀が。しかし、間合いが明らかに外れている。 『だがっ!』 不意に、熊井の視界に、曲刀の刃が巨大化しつつ迫り寄って来た。 自分の目の遠近感が狂ったとしか思えぬこの技の種は、勝一の曲刀は手元の操作一つでワイヤーに繋がれた刃が飛び出す仕掛けになっているという事だ。 胸板を強打され、たたらを踏む熊井。 「甘いのだよ!」 それでも、伸びきった刃が戻るのには間が必要で、それは熊井が体勢を立て直す時間を与えてくれるはずであった。 しかし勝一の手には、先ほど放り投げた槍が、いつの間にか納まっていたのだ。 「ま! 待て!」 熊井の叫び声。 「お前は命乞いした者を助けた事があるのか?」 槍先が熊井の頭部を縦に割る。 「またつまらない者を斬ってしまったな……。お前の剣の道、大したことなかったようだな」 唐州馬 シノ(ib7735)は脇差を握りながら、もう何度目になるか、陣内作次郎の刀をいなし懐へと飛び込む。 この時が一番、生きた心地がしない。 本来の脇差の間合いから更に内へと。 まるで泰拳士が殴り合いをするような間合いに居座るのは、一重に陣内の刀を恐れるが故だ。 初撃にて初見殺しを仕掛けたのだが、この男、勘のみで見切り受けきってみせた。 だからと真っ向勝負ではお話にならない。陣内とは、そういう剣士なのである。 「こざかしいぞ! 所詮十把一絡げの雑兵が、生汚く堪えるな!」 「私が気に入らねぇか。なら遠慮はいらん、とっとと斬り捨ててみせろよ。それとも、ナマクラ刀とヤクザ剣術じゃぁ女一人斬れないか、ええ?」 「貴様如きが、我が天の剣を評するか! この無礼者め!」 片腕を刀より外し、陣内はシノの頭部を肘打ちにて痛打して距離を開かせる。 すぐ様襲い来る刀に、シノは脇差を伸ばし刀ではなく小手を狙い刀を伸ばす。 距離が開いたとはいえ、まだまだ刀には近すぎる距離。この距離ならば短い脇差の方が小回りが効く分速いのだ。 小手が先か面が先か、これを刹那の間で見切る陣内の目は流石であろう。 小手を外しつつ、再び両手に握った刀を振り下ろす。 刀の柄側を用い撫でるような形で斬るこの一撃を防いだのは、フィーナ・ウェンカー(ib0389)の強烈な雷撃である。 陣内の全身が総毛立つ威力であるが、彼はそんな痛撃にも怯まず怒鳴り散らす。 「おのれ卑怯者め! 自ら武器を振るう勇気も持てぬクズ如きが、この俺に歯向かうなどと不届きにも程がある! この女を斬った後、存分になぶってから殺してやるぞ!」 「あらあら」 それはそれは、と防戦に徹するシノの代わりに攻撃を担当するフィーナは容赦なく雷撃を叩き付ける。 「殺してやる! 四肢を引きちぎって殺してやる!」 「あらまあ」 「クズめ! クズめ!」 「おやおや」 シノは驚嘆を禁じえない。 シノの目から見てもフィーナの術は強力無比なものだとわかる。それを、何発もその身に浴びて尚、動きも闘志も鈍る気配がないのだ。 妄執にも似た意思の力であろう。 「死ななきゃ治らねぇ……ってクチか」 しかし、とフィーナの術を見て思う。 「あんたも意地が悪いねぇ」 弱ってきたと見るや雷撃ではなく魔法の蔦による拘束に切り替えてきたのである。 蔦に引きずり倒される陣内。フィーナは口元に手を当て笑う。 「クズは、見上げるものではなく見下ろすものでは? 一体どうしたのですか、そんな、地べたの上に這いつくばって。まるで土下座でもしているようではないですか」 「許さん! 絶対に許さんぞ貴様!」 この期に及んでも、陣内から強気の発言が失われる事はない。 フィーナの雷撃の術が走る。 「ふふ……普段見下している側に回る気分はどんな感じでしょうね」 「この俺を見下ろすなぞと! 女! 貴様は木場に嬲らせた後! 熊井の餌にしてくれるわ!」 フィーナは陣内の額の前に、ゆっくりとその手の平を持っていく。 「ええ、是非そうなさいな。ほら、早くしませんと、貴方のお命が尽きてしまいます、ほら、ほら、ほら、ほら」 「うううういひいいいいあがあああああああ!!」 陣内の絶叫は苦痛故か憤怒故か。 結局、陣内は最後の最後まで、怒りの言葉を吐き続けており、或いは彼は本当に、自分が殺されるなんて事考えてすら居なかったのかもしれない。 シノは、最早物言わぬ泥袋と化した陣内を見下ろし、呟いた。 「北面に居た頃に、こういう連中は沢山見たが、最期はどいつも大体一緒だ、碌な死に方はしねぇ。私も踏み違えりゃこうなったと思うと……嫌になるね、全く」 「お前が須藤俊夫か」 炎に包まれた屋敷から飛び出して来た男に向け、劫光は不愉快げに言い放つ。 「その下手な曲を二度と奏でられない様にしてやるよ。来な」 須藤は眉根を寄せた後、薄ら笑いを浮かべた。 「はっ、下手な曲だって? そいつは今流れてるクソみてぇな曲の事か?」 中書令(ib9408)は一瞬耳がぴくりと動くも、流れる曲に動揺は見られず。 劫光は思わず言葉に詰まる。 明らかに、聞けば誰しもがわかる程に、中書令の曲は素晴らしいものだ。 これを、僅かな停滞もなく平然と、けなし見下す須藤の音楽への無理解に、呆れ果ててしまったのだ。 中書令はちょうど一曲終えた所で一区切りをつけつつ、須藤に言ってやる。 「奇遇ですね。貴方と私とでは確かに音楽性が違います。ですがご安心を。貴方を引き抜きたいと熱烈に歓迎する世界にあてがございますので、貴方はもう疲れませんよ」 「あん?」 言いたいだけ言うと、さっさと皆への支援曲を奏で始める中書令。 劫光も、改めて聞くとやっぱり上手い、と僅かに気が引けてしまうのだが、劫光の用意するものとは方向性が違う、という事で構わず曲を流しにかかる。 呪符を二本の指の間に挟んだまま、中空に文様を描く。 指先に瘴気を漂わせながらこうすると、軌跡に沿って瘴気の魔方陣が生じる。 後は、何時も通りに招くだけ。 龍を象った瘴気の塊が顕現すると、龍の口が開き、喉の奥を鳴らす。 「お前に竜の歌を聞かせてやるよ!」 ここで、龍の奏でる音楽を中書令が現在流している音に合わせてしまうのは、やはり音楽を嗜む者の常でもあろう。 中書令のそれはアップテンポの曲で、かなりの距離があっても耳にする事が出来、かつ、吟遊詩人ならではの神秘の歌の効果を発揮出来るであろう。 リズミカルに跳ねる音の波に、劫光はアクセントを付ける形で龍の咆哮を加えてやる。 咆哮のみでは都度途切れる音が、中書令の拙速にすら聞こえる曲調により一つの流れに埋め込まれる。 また跳ねる駆けるを主体とした中書令の音楽に、劫光の龍の叫びは重みと深みを与えてくれる。 いずれもが後衛に属する動き。須藤はその駿足にて踏み込み、まずは攻撃術の使い手である劫光を狙う。 須藤の刃は、劫光の霊剣にて捌かれる。 と同時に、受け流した形のまま須藤の腕を縦に切り裂く。 「キサマッ!」 「悪いな、俺はこっちのが得意でよ」 劫光は常より身が軽い自らを自覚していた。 元より音楽を好む劫光だ、中書令の神秘の歌に乗っかるのもさほど抵抗は無いのだろう。 そのテンポにあわせると、不思議と体も剣先も常より速く、動いてくれる。 須藤は所詮は生兵法よと甘く見ていたものだが、中書令の支援を受けた劫光の身のこなしは、シノビである須藤と比しても遜色ないレベルにまで到っていた。 一合毎に、須藤が顔色を変えていくのが見て取れた。 仕方なく、須藤は標的を切り替える。 まず隠密技術により、劫光の前より姿を隠す。これはシノビ特有のものであり、こればかりは劫光にも真似しようもないものだ。 しかし劫光は慌てず騒がず、呪符を大地に貼り付け、呪詞を唱える。 「お前の聞く最後の曲だ。死者の嘆きを味わって逝け」 地の底より現れしは、真白き龍。いや、よくみれば龍を象った無数の怨念、その集合体だ。 辺り一体を、何処といわずこの悲鳴がなぎ払う。 これに吹き飛ばされた須藤は、標的と定めていたはずの中書令に向けあえぐように手を突き出し、助けを請う。 中書令はやはり、曲の切れ目まで返答せず、曲が一段落ついてからようやく返事してやる。 「貴方を歓迎する世界が追いついてきましたよ。地獄という名前の世界です。そちらで好きなだけ歌って下さいね」 ミヒャエルは、殺しに赴いた者とはとても思えぬロングコートにシルクハット、モノクルといったいでたちで美濃啓介を迎えた。 美濃はその姿を見ても、不用意に斬りかかるような真似はせず、笑みを浮かべながら声をかけてきた。 「よう、一つ聞くが交渉の余地はあるか? こちらには開拓者二十人分の金の用意があるが」 「ふむ、それを私に問うか。きみは実に正しい、ただ惜しむらくはその判断が遅きに逸したという事であるが」 「遅い? いや、まだ俺もお前も生きている。命がある間は決して手遅れなどではないものだ。お互い、命は大事にしないとな。特に、ロクな護衛もいないお前には身につまされる話だろう」 「これは驚いた。きみはまだ、この状況下にありながら命があるつもりだったとは。いやいや実に剛毅だ」 美濃は、感触を確かめながらゆっくりと剣を抜く。 「……残念だ。彼我の戦力差を見切れぬとあっては、交渉の余地も無かろう。ただ、何時でも降伏は受け付けている。その気になったら声をかけるんだな」 ミヒャエルは、自らの目的が時間稼ぎである事を悟られぬよう、全力を注いだ。 まず、自身の職が何であるかを隠し、中書令よりの支援歌を使って地力を底上げしつつ、互角に打ち合ってると錯覚させる。 そして、最後に、他を倒した皆が援軍として駆けつけるのを見て、窮地を脱する策を考え出した美濃の隙をつき。 「私も鬼ではないのでね、怖い思いを長引かせはしないさ」 シノビの技にて、シノビならではの武具にて、頚椎を一突きにするのであった。 |