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■オープニング本文 その城には、一匹の巨大な龍が居た。 陰殻と冥越との国境沿いにあり、人類の拠点となっていた城を、ただの一体で滅ぼし尽くした恐怖の邪龍。 以後、龍は勝ち誇るようにこの城に鎮座し、アヤカシ前線が陰殻側へと進んだせいで城はアヤカシの森深くに没していった。 しかし、ここ最近、城から一歩も出てこなかった龍がふらりと前線に姿を現すようになった。 龍と呼んでいるが、相手はれっきとしたアヤカシだ。 気まぐれに人を喰らいに来た所で、納得出来る出来ないはともかく、至極当然といえば当然な話だ。 だが、この龍程の戦力に気紛れでそこらを飛び回られては、最前線でアヤカシを支える戦士達にとってはたまったものではない。 即座の対応を、と望まれたが何せ敵は空を飛び、こちら迎撃体制を確認してから攻撃出来るのだからどうにもしようがない。 ならば、と一部の優れた戦士による強襲部隊を編成し、龍の根城を襲うべし、と作戦が決行される。 「……今でもまだ、夢を見ているようだ……」 命からがら逃げ出してきた男は、そう口火を切った。 十人の兵は皆が志体を持つ精兵であった。 なのに、城の中庭のようなやったらだだっぴろい広場に居る奴に襲い掛かった後、誰もが始めての経験を味わう。 まず吐き出された炎の玉、これの威力が、尋常ではない。 体力自慢のサムライが、運悪くかわせぬ位置にいたせいで直撃をもらってしまう。 頑丈な鎧に身を包んだ彼は、ただの一撃で、地に倒れ伏した。 全員が、意味がわからなかっただろうと彼は語る。 そこで彼は、この注意深さが彼を生き残らせたのだろう、自分が足をついている地面を確認してみたのだ。 硬い。並みの大地なぞ比べ物にならぬ、金属か何かかと思える程に。 龍の放つ炎の玉、その温度が尋常でない事は、着弾と同時に吹き付けてきた熱風が教えてくれた。 つまりこの大地は、そして恐らくは城壁も、この龍の炎の玉により焼き固められているのでは、と。 そしてこの無駄に広い中庭は、炎の玉による焼付けに耐えられぬ建物が全て消失した、滅びた城の馴れの果てなのでは、と。 そこで怖気に震えるのみならず、相手にとって不足無しと意気込む勇気が、更なる悲劇を招いた。 二人目の犠牲者は、攻撃の見切りに定評のあるシノビであった。 これまで彼が見切りを誤ったのを一度しか見た事がない、男はそう断った上で、その一度が、最後であったと告げる。 というより、シノビのみならず、その光景を見た誰もが信じられぬと我が目を疑った。 龍はその巨体をのそりと前に進めた、それだけだ。 どれだけ質量があろうと、あの速度がぶつかった所でさしたる痛痒も感じぬだろう。 かわすまでもないとこの体を踏み台に飛ぼうとしたシノビが、世界の断りから外れていくかのごとく、凄まじい勢いで跳ね飛ばされたのだ。 そして、俊敏さがウリであるとはいえ、十二分に鍛えていただろうシノビの彼も、一撃の元に倒れ伏す。 三人目の犠牲者、となるはずだった騎士は、不可思議な現象にも恐れず怖じず踏み込み、斬り付ける。 俺は耐えてみせる。だから我が戦いをこやつの謎を解く一助とせよ。そんな言葉にならぬ彼の声が聞こえてくるような気迫であった。 謎は、解けない。 騎士が斬りかかると、今度はもう、どうにも言い訳のしようもない、理不尽現象に遭遇する。 足の後ろ側から斬りかかる事で、前進による跳ね飛ばしを食らわぬよう戦っていた騎士は、龍の足の構造から後退は苦手であろうとの読みの元その位置にいたのだ。 そして思い通り、龍は前進していく。 何故か、どうしてか、足の後ろに居る騎士を跳ね飛ばしながら、である。 彼は、サムライより更に頑強な体と重厚な鎧に身を包んだ騎士の彼は、その一撃をどうにかこうにか耐え切った。 残る七人は、即座に撤退を決意。仲間を回収しつつ、城を後にしたのだった。 「振るった剣に引きずられるように、自分の体も前方へと引き寄せられた、ってのが騎士の奴の言葉だ。こいつを元に、俺なりに奴の攻撃を推測してみた」 曰く、龍は攻撃の瞬間、全身を覆うように攻撃空間のような何かが発生するのだろうと。 見た目に威力を感じずとも吹っ飛ばされるのは、この攻撃空間なるものの効果ではないかと。 そしてこの攻撃空間は術的な要素を持つが、実際発生する衝撃は純粋な物理に近い何かで、故に騎士は辛うじて堪えられたのではないかと。 更にこの攻撃空間は、龍の体のすぐ側にしか発生しないもののようだ。 つまり、遠距離攻撃を用いるならば、ブレスのみを注意すればいいという話だ。 近接が複数いなければ、龍は当然攻撃者へと踏み込むだろうし、そうなれば遠距離攻撃が遠距離攻撃でなくなってしまうだろうが。 男は首を何度も横に振る。 「無理だ。アレは、まともにやってどうこう出来る相手じゃない。軍を動かし、数で揉み潰すしかあるまい」 「それが出来れば苦労は無い、と」 ギルド係員栄は依頼人の言葉をそう繋ぐ。 彼の説明にあったような攻撃空間なんてものが本当にあるのかどうか、ギルドの資料を栄はあさってみると、あった。多分、これだというものが。 その資料では、水龍と呼ばれるアヤカシが同じように理不尽な空間を周囲に展開していたそうな。 もちろん違う名称で『アタリハンテイリキガク』とか『アクウカンタックル』とか意味のわからない呼び名になっていたが。 「理不尽なアヤカシには、まあ確かにウチの連中は慣れてますけどね。そういうの抜きにしても、そのアヤカシ相当危険な固体なんでしょ?」 「……まあ、な。志体持ちが比喩でなく一撃で墜ちるなどと、しかも、敵の頑強さは見た目相応と考えるべきであろうしな」 栄は資料に目を通しながら応える。 「見た目、以上じゃないんですか? ともかく、その攻撃空間の間合いを見切れば、戦えない相手ではなさそうですね。城に他のアヤカシも居ないようですし」 ただ、と嘆息する栄。 敵の攻撃力が尋常ではない、死ななきゃ安いレベルで話をしなければならない相手との戦闘を、おいそれと引き受ける事なぞ出来ようか。 とはいえ、状況を鑑みるに開拓者でもなければこのアヤカシ打倒の条件を整えられる者もおるまい。 厳しい表情で栄は依頼人を見返す。 「条件付、になります」 「聞こう」 「もう一度、そちらで精鋭部隊出して下さい。私も同行して、敵の動きを見極めます。その上でなければ、とてもではありませんが皆に死線を越えろなどと言えませんよ」 依頼人も即答出来ず。顔中に皺を寄せながら問い返す。 「君、志体を持っていたのか」 「ありませんよ。ですが、私は、開拓者ギルドの係員ですから」 |
■参加者一覧
鷲尾天斗(ia0371)
25歳・男・砂
秋桜(ia2482)
17歳・女・シ
ジークリンデ(ib0258)
20歳・女・魔
椿鬼 蜜鈴(ib6311)
21歳・女・魔
ジャリード(ib6682)
20歳・男・砂
ブリジット・オーティス(ib9549)
20歳・女・騎
ペコ(ic0037)
22歳・女・サ
草薙 早矢(ic0072)
21歳・女・弓 |
■リプレイ本文 調査の通り、暗黒龍は城の中央に鎮座しており、開拓者達が姿を現すと低く唸り声をあげる。 その巨体もさる事ながら、発する鬼気が尋常ではない。 歴戦の勇者をして、いやさ歴戦であるが故に足が止まる。 そんな自らの防衛本能に逆らうかのように、開拓者達は同時に武器を抜く。 篠崎早矢(ic0072)は背負った弓を手元に引き寄せ矢を添える。 矢先は地面を向いており、両手で弓矢を保持したまま容易く動ける構えだ。 椿鬼 蜜鈴(ib6311)は両の手で同時に二本の短刀を抜き放つ。 鞘から離れた瞬間、刀身から漏れる鈍い輝きは精霊の導きか、血の香りか。 秋桜(ia2482)が素早く手首を返すと、音も無く手裏剣が手の平に収まる。 再度振ると一瞬で消えてなくなり、これを二度づつ繰り返し手先の調子を確認する。 ペコ(ic0037)が天へと翳すように抜き放った大剣は、小気味の良い音と共に周囲を輝き照らす。 右手で支え、左手を添える。剣先は背後に向けて走る邪魔にならぬように。 ジークリンデ(ib0258)に構えは必要ない。 自然体のまま両手をだらりと垂らし、しかし頭頂から足先に至るまで、瞬時に反応出来るよう意識を張り巡らせる。 鷲尾天斗(ia0371)は肩にかついでいた魔槍砲を脇の下に抱え直す。 この瞬間のパーツとパーツがぶつかりあって鳴るガシャリという音の重さが、高ぶる心に心地良く響く。 ジャリード(ib6682)は剣を抜き放ちながら、同時に逆腕に持った銃に親指を滑らせる。 剣が鞘走る音と、銃の撃鉄が跳ねる音が重なり、心を切り替える合図となる。 ブリジット・オーティス(ib9549)は既にしてから血に塗れているかの如き剣を抜き、告げる。 「では各々方、参りましょう」 ありったけの勇気を振り絞り、開拓者達は暗黒龍へと向かい駆け出した。 暗黒龍の首が突然、ぎょろりと秋桜の方を向いた時、秋桜はもうそれ以外の手がありえぬといった勢いで走り出す。 顔を引きつらせながら走り、周囲を取り囲む城壁に繋がる小塔へと向かう。 『まっ、間に合いませんっ!?』 蜜鈴が術を唱えるのが見えた秋桜は、咄嗟に叫んだ。 「後ろではなく前へ!」 言葉の意味を理解出来たかどうかすら定かでないが、秋桜は構わず大地を蹴る。 蜜鈴はそこでようやく意図を察し、ぎりっぎりで術の発揮位置をズラせた。 地面より生え伸びるは鉄の壁。これをせめてもの盾にしようとしたのだが、秋桜は別の使い道を考えたらしい。 跳躍は高く、鉄壁をすら飛び越しそうな勢いであり、秋桜はそこから更に、鉄壁上端を蹴って飛び上がる。 城壁上には走り込んでいた早矢が身を乗り出して手を伸ばしている。 とど、かない。 秋桜は空中で上着を脱ぎ、これをロープ代わりに早矢へと飛ばす。 早矢は、腕にぐるりと巻きつくのに間を合わせ、全力で引き上げる。 秋桜の足元から凄まじい熱風がふきつけてきたのは、鉄壁をぶちぬいて炎弾が城壁に激突したせいだろう。 上着がほつれ腕から外れる前に、秋桜の全身は城壁上へひらりと舞い降りた。 同時に、秋桜と早矢は真逆の方向へ走り出す。 二人の顔は暗黒龍へと向けたまま。二分の一の確率でハズレを引いたのは早矢であった。 暗黒龍の首は早矢を向き、近接職の攻撃をものともせぬまま再度ブレスを。 心底から、自分の足が四本でない事が悔やまれる。 顔は既に正面、小塔の入り口を向いている。横を向くより少しでも早く、速く、ハヤク。 低い姿勢で、頭から転がり込むように、小塔へと飛び込んだ。 『ッ!?』 全身を熱波が襲う。更に奥へと転がり立ち上がる。 すぐに足を見下ろす。あった。直撃はどーにか回避出来た模様。 それでも小塔内だけ真夏の砂浜にでも化けたようなクソ暑さが漂う。一歩踏み入れただけで、頬がひりりと染みる程に。 早矢は自らに言い聞かせる。早矢はこの地に、逃げに来たのではなく戦いに来たのだと。 熱ではなく恐怖を堪える為に奥歯を食いしばり、小塔を飛び出す。 弓を引き絞る会を常より大きく、雄大に、豪壮に、誇り高く。 比較対象物の無い空中一発勝負という、愚痴りたくなるような悪条件も、必中を期した集中力をかき乱す事能わず。 狙うは一点、暗黒龍の翼の付け根を、これを外さば命でも奪われるかのような必死さで、早矢は己の魂をすら込め矢を放った。 秋桜は早矢の集中力を見て、この一撃に賭ける事にした。 秋桜を取り囲む空間が、徐々に、速度を失っていく。 まるで世界全てを粘土で塗り固めていくような重苦しさの中、ただ一人秋桜のみが神速を得て胸壁上を駆ける。 世界は既に動きを完全に止めており、秋桜の見つめる先には、ぴたりと中空にて止まった一本の矢があった。 胸壁を蹴った秋桜は、更にこの矢を蹴って暗黒龍の翼へと肉薄する。 忍刀を斬り上げると、翼の表面を滑り金属のような音が響く。 突如、世界は時を取り戻し、早矢の矢は秋桜が斬り込みを入れた箇所へと。 そのまま高すぎる位置から落下する秋桜は、大地よりせりあがってきた鉄壁の上に着地し、蜜鈴に目で謝意を送るのだった。 ブリジットの背筋が凍りつく。 暗黒龍の這いずる速度が、急にぐんと跳ね上がったのだ。 『あ……』 次に気がついたのは、全身に凄まじい剛風が吹き付ける場所であった。 そう、最初の一撃で意識を失ったブリジットの体は、這いずる前足の上へと跳ね、そのまま龍の背の上に、そこでも、更に跳ね飛ばされ大きく中空へと投げ出されたのだ。 準備中の術を中断し治癒術を飛ばしたジークリンデと蜜鈴のおかげか、ちょうどふっ飛ばされた頂点にてブリジットは意識を取り戻したのだ。 「くっ……。流石のバカ力……」 跳ね飛ばされたのはわかったのでそう溢したが、ぐるりと回転し大地が見えた所で言葉が止まる。 『た、高っ!? これ受身とかそういう次元の高さじゃありませんよ!』 何か手は、そう思い必死に周囲を見渡すと、更に驚くものが見えた。 ジャリードが、空中のブリジットへ狙いを定め、短銃を構えていたのだ。 首を回し一度後ろを確認した後、ブリジットはオーラを全身に漲らせ盾を体の前に添える。直後、ジャリードの短銃が火を噴いた。 轟音、衝撃、激突、のわりに、結構柔らかめな感触が背中から。 「大丈夫、ですか?」 城壁上へと銃撃によってぶっ飛ばされたブリジットは、その身で支えとなってくれた早矢にまだどきどきしてる心臓を確認しながら言った。 「本当に、開拓者という仕事は、新鮮な刺激に事欠きません」 暗黒龍は弱った者に容赦がない。 まだ息があるとわかると、空中のブリジットに追撃をかけんとするのだから。 これに立ちはだかるは勇敢なる者略して勇者、ペコである。 「待てェェェイ! そこな大トカゲェ!」 その存在感にて人間だろうとアヤカシだろうと無視出来ぬであろう大声を張り上げる。 術への対抗能力もかなりのものがある暗黒龍であったが、この大声に応えぎろりとペコを睨み付ける。 「いざ尋常に、拙者、と……」 誰に口きいてんだてめぇ、的な視線に、少なくともペコは感じられた。大口開いて首を伸ばして来たのだから、概ね間違ってはいないと思うが。 「いやぁ、無理でござるな! ハッハー!」 実に正しい選択、即座の逃走を選ぶペコ。 そんなペコにジャリードからの指示が飛ぶ。 「回り込むように背後を! 奴は自らの巨体が仇となって振り返りが遅い!」 おっけーまかせろべいべー、とばかりに走るペコは、ジャリードの武器が長銃に変わっている事に少し驚く。 これでは近接の数が減りすぎるのでは、と気になったが、今は彼の指示を信じて走る。 小塔の中へ駆け込め、そう言われその通りにすると、入れ違うように塔より天斗が姿を現す。 大柄な彼の体格から見ても巨大と言い切れる槍を携えて。この大きな武器を持った天斗に対し、暗黒龍は突進の勢いを緩めず。いや、緩められず、だ。 「さて、そろそろこちらのターンだァ!」 炎で焼き固められ異常な硬度となった城壁に魔槍砲の台尻を押し付ける。 まだ一度も天斗は魔槍砲の砲撃を見せていない。 である以上間合い取りのアドバンテージは天斗にあるのもわかるが、にしたって、この巨龍の突進に対し真っ向から立ち向かうのは正気の沙汰とは思えない。 既に戦闘開始よりかなりの時が経過している。 その間、観察を怠らなかった天斗は暗黒龍の間合いをほぼ正確に把握していた。 だから後は度胸一発。そしてこれを試させて天斗の右に並ぶ者なぞそうはいまいて。 禍々しい凶相をこちらへ突き出し、如何な天斗とて喰らえばタダでは済まぬ強烈な攻撃を仕掛けてくる邪龍。 「こんなゾクゾクする様な龍の首を掻き取って『暗黒龍殺』の称号を手にするのも悪くねェなァ!」 そんな存在に、ほんの僅かすら怖じぬ天斗は、小型の狼アヤカシと対した時のように、弱りきった鬼アヤカシにトドメを刺した時のように、これで倒せねばこちらがヤられる強アヤカシに斬りかかった時のように、魔槍砲を放った。 生じた反動は全て背後の壁に弾き返され、それをすら威力に乗せてぶちかました魔槍砲は、暗黒龍の伸ばして来た顔面の半ばを削り取って見せた。 そこまで出来る程に首が迫っていたというのだから、恐ろしい話である。 ペコは小塔の中ほどの窓からずいっと体を乗り出す。 眼下にはのたうち回る暗黒龍が。 「こうでござったかなぁ……?」 剣の振りを一度だけ確かめた後、この窓より飛び出した。 「ちょいやァァっ!!」 ペコは、地断撃の威力を込めた刀を、飛び降りざま暗黒龍の翼へと叩き込んだのだ。 そしてこんな好機を、治癒に援護にと八面六臂の活躍をしてきた蜜鈴が見逃すはずもない。 蜜鈴は手にしたアゾットを上に向け放り投げる。 そのまま振り上げた手を、アゾット剣の落下に合わせゆっくりと揃え、人差し指を伸ばす。 くるくると回りながら落ちてきた短剣は、ちょうど、蜜鈴がぴんと伸ばした腕、指先が、短剣の柄尻を指し、剣先は同様一直線に暗黒龍を指した位置で一瞬のみ、中空に静止する。 閃光、轟音。 偉大なる魔術の雷は暗黒龍の翼を貫き尚も止まらず、空の彼方へまで吸い込まれていった。 空中に留まったままふよふよと浮いている短剣を蜜鈴が手にすると、僅かにだがぴりっと痺れる。 構わず手元に寄せると、暗黒龍の動きに注視する。翼を奪われる危険は奴も理解しているはず、ならば、落とすのならば一息に落とさねばならない。 後は、ジャリードの一撃が決まるか否かであった。 「ああ、いるもんだな。……存在自体が冗談みたいな奴が」 そんな言葉をつぶやいていたジャリードであったが、これを退治せんとする自分もまた、あまりまっとうではないのかもな、と銃を構えながら考える。 天斗の強烈な一撃を切欠に、皆が翼を叩き折りにきている。狙うは秋桜と早矢が作ってくれていた傷跡だ。 アヤカシとてその全てを理不尽で作り上げているわけではない。 ならばあの巨大な翼を形作る構成も、理に適ったものである可能性はある。 ジャリードはむき出しになった暗黒龍の特に太い骨格に狙いを絞る。 暗黒龍の口がこちらを向いている。あの体勢はブレスであろう。しかしジャリードの構えは微動だにせず。 翼の骨を狙うが、もちろん暗黒龍も動いているのだから、狙いを定めるのは難しかろう。 その挙動を読むのが一番だが、では何処を読むか。そう、ジャリードはブレスの挙動を読んだのだ。 口中に炎の輝きが見えた瞬間、体を乗り出すようにしてきた暗黒龍目掛けジャリードは銃弾を放つ。 遅い、ブレスは放たれた後。いや、間に合った、のだ。 着弾により翼が千切れ、バランスを崩した暗黒龍のブレスはジャリードの上方へ。 城壁側に居たため、壁を跳ねた火の弾が雨のようにジャリードへと降り注ぐ。 それでもジャリードは静かに銃を引き寄せ、火炎のシャワーの中我が身で雨を防ぎながら再装填までしてのけるのだった。 ちょうどジークリンデも、出来る全ての仕掛けが終わった所であった。 仕上げは翼を奪ってからでなくば出来なかったのだが、どうやら、最後の一手を打つ事が出来るようだ。 指先を眼前真一文字に引くと、青白い輝きが流れる。 それだけの所作で魔力はジークリンデの全身を通り抜け、両の足を伝って大地へと流れる。 これで、完成。 ジークリンデは皆に散開するよう伝え、そして、暗黒龍の封じ込めに成功したと語った。 そう、ジークリンデは開戦直後よりこの結界の作成を行っていたのだ。 用いるはフロストマインの術式、その数、何と二十。 二十の頂点を持つ氷結結界、魔法円『ドゥヴァッツァッチ』は、二十の術が複雑に絡み合った位置関係にあり、結界外に出ようとすると、必ず内の一つを踏まねばならず、一つを踏んだなら、その間にジークリンデが再びフロストマインを置けば、前と変わらぬ状態に陥ってしまう脱出不能の術式である。 唯一の脱出路は上であるのだが、これは翼を叩き折った以上暗黒龍には不可能な話である。 通常、このような大きな術を一人で為す事はない。 しかし、手順を熟知し、膨大な魔力を用意出来、これを使わねばならぬ程の強力な敵を側に置きながら恐れず術を行う勇気を持つ者ならば、たった一人だとて不可能な事ではない。 同じ魔術師である蜜鈴は、驚いたような、呆れたような声で言った。 「……この短時間でよくもまあ、こんな大掛かりな術式を」 蜜鈴の常識では通常この数のフロストマインを揃えるのに、倍は時間がかかる。 「この場所で、皆さんが居てこそ出来た術式ですよ」 確かに、相手が巨大な暗黒龍でこの場が広い空間になっており、更に周囲を城壁が取り囲んでいるという極めて特殊な条件もあっての事であるが、良く言うわ、と蜜鈴は笑う。 「溢れ出る才能が眩しゅうて仕方が無いぞ。大した術士だの」 率直な蜜鈴の賛辞にジークリンデもまた微笑で返す。 つまり、と早速一個目のフロストマインに引っかかった暗黒龍を見ながら、状況をどうにか理解出来た早矢が問う。 「後はブレスのみ注意すれば……」 抜き放った銃を構えながらブリジットが続ける。 「鴨撃ちというわけですか」 それでも、仕留めきるのに随分と時間はかかってしまった。 それほどの相手であったのだが、充分に備え、考えを巡らせておけば勝利はそう遠い目標ではない。 幸い「ハメ許さない、絶対」などと抜かすよーな口は、暗黒龍には無かった事であるし。 暗黒龍を退治し、城外で待っていた城までの護衛に皆が無事な姿を見せると、彼等は大層驚いたそうな。 開拓者達は、そんな彼等の反応が少し、誇らしく思えるのだった。 |