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■オープニング本文 一生の恋をしよう。 水無月美由紀は剣客としては性格に難があり、大よそ他人と競う事をしない性質であった為、志体があるとはいえ、道場に通っていた頃も十人並みと言われていた。 そんな美由紀が心惹かれた相手が、同じく志体を持つ相手であるのも自然な流れであろう。 ただし、美由紀が心惹かれ、その想いを受け入れてくれた男は、何処に出しても恥ずかしいだろう、所謂ヤクザの一人であった。 付き合ったのを後悔したのは最初の二、三ヶ月の話。 それ以降は考える事すら放棄し、ただただ耐えるのみの日々が続く。 男が博打で背負った借金を返す為、客を取らされたのも一度や二度ではない。 男の機嫌が悪ければ罵倒され殴り飛ばされ、美由紀がどのような努力を積み重ねた所で、男は美由紀の言葉なぞ歯牙にもかけない。 お気に入りの女郎が居る店に男が通うため、美由紀は稼いだ金のほとんどを取り上げられた。 それでも、美由紀は、男の側から離れるなぞ考えも及ばなかった。 美由紀にとっての世界とは男と共に過ごす日々のみであり、時折、男が思い出したように優しくしてくれる時を楽しみに、毎日を過ごしているのだ。 痛いのも、苦しいのも、耐えられる。男が美由紀を愛してくれる、そう信じられさえすればどんな事だって我慢出来ると三年の時をかけ美由紀は学んだのだ。 男、能登小太郎は、世間一般では所謂クズと称される類の人間であった。 自制心に欠け、虚栄心ばかりが強く、他者との単純比較によってのみ自己の位置や存在意義を確認出来る、そんな男であった。 それでも彼が所属する前野組に対して、そして前野組長に対してだけは忠節を尽くそうと努力していた。 そんな彼が、前野組長が病床に伏すに至って、二代目の重要ポストに組み込まれなかったのは、志体を持つ故の戦闘能力の高さを鼻にかけ、金を稼ぐ能力をまるで磨こうとしてこなかったせいだ。 その当時の小太郎の荒れっぷりは筆舌に尽くしがたく、その矛先のほとんどを美由紀が受ける事となった。 ちなみに美由紀が愛の悟りを開いたのもこの時期である。 滅私奉公を極限まで煮詰めたような美由紀理論に従い、小太郎の世話を全力で見続けた結果、小太郎はそれ以前より、あくまで比較しての話だが、穏やかになったようだ。 しかし、組の主流より外れた小太郎は、徐々に冷や飯食いの立場に置かれるようになり、ある時、とうとう組幹部の身代わりで官憲に逮捕されるよう言い渡されてしまった。 穏やかになったと言われていた小太郎であったが、これにはさしもの彼も激怒する。 話を持ってきた男をまず怒りのままに殺害し、更にこれを指示した小太郎直接の兄貴分である組幹部宅に押し入ると当たるを幸い斬り倒し、屋敷に火をかけてしまった。 一しきり暴れて回りようやく溜飲が下がった小太郎であったが、家に戻る道中で、ようやく自分がしてしまった事の大きさに気付いた。 組内でも良く小太郎の面倒を見てくれた二代目前野組組長、有沢忠光の下にこけつまろびつ小太郎は向かう。 他の誰にも見つからぬように、有沢を探し彼の屋敷に忍び込んだ小太郎は、そこで有沢が組幹部と相談をしているのを見つけた。 有沢は、しみじみと語る。 「小太郎の奴ぁ、ともかく組の仕事させねぇとな。これで務所から出てくりゃ大手を振って幹部待遇で迎えてやれるぜ」 「おやっさんも寺元も本当アイツに目をかけてましたからねぇ。寺元なんてアイツの兄貴分なんだから、何としてでも小太郎を男にしてやらにゃあって張り切ってましたし」 「ははははは、寺元の奴ぁ、ああいう一本気な所のある男だからな」 寺元とは、たった今、小太郎が殺害し屋敷に火をかけた、彼の兄貴分であった。 号泣し、有沢の前に土下座する小太郎。 有沢は小太郎のやってしまった所業を聞きつけ天を仰ぐも、すぐに判断を下す。 ともかくこの土地を離れろと。 小太郎の起こした事件は洒落にならない大罪であるが、何せ相手はヤクザである。 官憲の動きも一般人と比すれば多少ではあるが鈍くもなろう。 その隙にとにかく逃げるのだ。捕まれば死罪は免れぬだろうから。 当座の逃走資金を受け取ると、小太郎はすぐに有沢宅を飛び出して行った。 数日後、事件の全容を確認した有沢は両手で顔を覆う。 あの事件の日。寺元の屋敷には番所の班長が来ていたのだ。 そう、小太郎は、偶然とはいえヤクザのみならず、官憲にまで手をかけてしまっていたのだ。 無論ヤクザの屋敷に番所の人間が居たなぞとあってはならない為、班長は別の場所で小太郎に殺された、と処理される。 その辺の身内を庇う処置を知っているのは現場のほんの一握りであろう。 残る小太郎追捕に当たる面々は、ただ仲間が殺されたとのみ認識し、憤怒と共にこれを追う事になる。 有沢は小太郎を逃がしてやったが、これを公言する事も出来ぬ。当たり前だ、組幹部を襲撃した奴の味方を、組長自らする訳にもいかぬのだから。 事情を知らぬ組の人間も、幹部の仇を番所如きに先を越されてたまるかと小太郎を探しつけ狙う。 もう、誰であろうと、小太郎をどうする事も出来なくなっていた。 「どうして!? どうして誰もウチの人を助けようとしてくれないの! ねえ! 組長さん! 何でみんながみんな口をそろえてウチの人を悪く言うの!」 美由紀は有沢を前に絶叫する。 有沢は情理を尽くして彼女を説得しようとするが、美由紀にとって、小太郎を諦めるという選択だけは、存在しえないのだ。 「悪いのはウチの人だけなの!? これまで何度も何度も! あの人組の為に危ない橋を渡って来たじゃない! それなのに! どうして誰も! 誰一人としてあの人を助けようとしてくれないの!?」 有沢に出来る限りの事はした。又組長の気持ちを知った組幹部の数人もまた便宜を図ろうとはしてくれたのだが、最早、誰にもどうしようも無くなっていたのだ。 「いいわ! この世全てがあの人の敵に回ろうと! 私は何処までだってあの人の味方よ! 私だけは! 決してあの人を裏切らないわ!」 そう叫び、組長の持っていた刀をひったくると、美由紀は何処へともなく駆け去っていった。 ギルド係員は以上の報告内容を確認した後、書類を乱雑に机の上に放り投げる。 「これが、羅刹女誕生秘話って訳ですか」 もう一人のギルド係員栄は、書類を手に取り器用に紐でまとめる。 「根城は割れましたし、後は彼女に勝る戦力で押しきるのみですね」 「彼女の相方も一緒にいるんですか?」 「とっくに亡くなってますよ。それでも彼女は探す事を止めないそうで、そのせいで被害がいつまで経っても収まらない、と」 栄は同僚に書類を渡し、後の処理を任せる。 手の空いている者が他におらず、休日出勤してまでやった仕事がこれでは、もう何というか人生に疲れてしまいそうになる栄であった。 |
■参加者一覧
天津疾也(ia0019)
20歳・男・志
霧崎 灯華(ia1054)
18歳・女・陰
御凪 祥(ia5285)
23歳・男・志
劉 星晶(ib3478)
20歳・男・泰
玖雀(ib6816)
29歳・男・シ
須賀 なだち(ib9686)
23歳・女・シ
須賀 廣峯(ib9687)
25歳・男・サ
ディラン・フォーガス(ib9718)
52歳・男・魔 |
■リプレイ本文 鍾乳洞の入り口で、開拓者達はこの内部に向け挑発の呼びかけを行なうつもりであった。 余り気分の良い役割ではないが、致し方なしと御凪 祥(ia5285)が声を張り上げんとするが、これを須賀 なだち(ib9686)が止める。 「女同士、相通じ合う部分もあるかと。どうぞお任せ下さい」 小さく嘆息すると、祥はなだちの申し出を受け入れる。 そして語り始めるなだちの言葉は、挑発と呼ぶには若干の物足りなさを感じるものであったかもしれないが、真摯に語りかける態度は羅刹女と化した美由紀への深い同情を感じさせるものであった。 ほんの僅かな反応も逃すまい、そう構えていた劉 星晶(ib3478)、玖雀(ib6816)の二人は、同時にその気配に気付く。 星晶が走る。 「……なるほど、出入り口はここだけではないと」 並んで玖雀もまた。 「チッ、にしたって動き速すぎだ。こりゃ言葉を聞いてたってより、声が聞こえて即座に動いたって話だろうな」 後衛に位置していた二人、霧崎 灯華(ia1054)とディラン・フォーガス(ib9718)の内、より肉体強度の低そうな灯華へと、ソレは狙いを定めた。 灯華が振り返り姿を視認するのと、ソレが両腕にそれぞれ持った刀を振り上げるのがほぼ同時であった。 右の刀を星晶の振り上げた足の脚甲が、左の刀を玖雀が両腕で引っ張りぴんと張った流星錘の紐部が、それぞれ受け止め防ぐ。 不意を打たれた灯華であったが、そも不意打ちはシノビ二人が警戒している事を知っている。 慌てず騒がず、懐より抜き出した短銃スレッジハンマーEXをソレ、羅刹女の眼前に突き出す。 「じゃあ、鬼退治を始めましょうか」 「わぁお、やるやる」 目の前に短銃突きつけられていながら、銃ではなく灯華の引き金を引く指をきっちり見ていた羅刹女は、体を沈ませ銃弾をかわしたかと思うと、天高くへと舞い上がる。 飛んだ先には岩壁が。これを蹴り更なる方向変換を為されては、動く先なぞ読みようもない。 上機嫌に羅刹女を見送る灯華。 眼前に羅刹女を置いた時の圧迫感、威圧感はなるほど依頼書の通りであった。 体中の表皮がぴりりと痺れる感覚は、灯華の意識を戦時のソレへと変化させる。 凍えるような恐怖に燃え上がるような殺意は、他の何をしても決して辿り着けぬ境地だ。 尤も、これを羅刹女が楽しんでいるようには見えない。 アレはバンシー(泣き女)の類であろうと、灯華は羅刹女の放つ鬼気の正体を分類する。 ならば、我が身を厭わぬ戦いぶりを見せてくれようと、式を握る手に力が篭もる。 一方、羅刹女の次なる狙いである。 間合いの広い大きな槍を備えた祥へと飛び込んだのだ。 さしもの祥も、羅刹女の動きが見切れぬ間にこんな飛び込みをされては、対応が遅れざるを得ない。 槍の懐に踏み込まれた祥はしかし、槍の半ばを手に取ると柄尻の方を半回転させ、短めの棍として槍を用いる。 この判断の早さが、歴戦の歴戦たる所以。 一挙動で二振りの刀を弾く。 「くっ!?」 弾くのみしか出来ぬ。 咄嗟に、天津疾也(ia0019)が動いた。 納刀した状態で手は柄に添えたまま、大きく前傾に体を倒して疾走の体勢。 これを、潰す形で羅刹女が跳ねる。 疾也は体を大きく前傾している為、逆に突進されては対応しきれまい。そんな羅刹女の狙いであったが、殊、戦に関しては疾也の方が一枚上手だ。 前傾姿勢はそもそも羅刹女をこちらにおびき寄せる誘い水。故に、その前傾は疾走の為ではなく、深く沈みこむ事による斬撃への溜めであった。 半身を大きく前に出す事で、抜刀の瞬間を羅刹女の視界より隠す疾也。 常の抜刀術とは異なるも、ぐるりと体を開きながらの一閃は、抜刀術でありながら、下、側面、鞘を返せば上からすら攻撃しうるのだ。 此度は側方より真一文字の一撃。 羅刹女は、この技術の集大成をすら凌いでみせる。 残像すら残す速度でこの一撃をくぐり、疾也の内懐深くに入り込む。 脇腹に刀を当て、抜き胴を狙う羅刹女。 「抜かせるかい!」 低く落としすぎた羅刹女の頭部に、抜刀術を半ばで放棄した疾也の膝蹴りがまともに決まる。 カウンターでぶちこまれた膝に羅刹女は大きく跳ね飛ばされるも、疾也は直前で羅刹女は自ら横に飛びクリーンヒットだけは回避していた事に気付いていた。 「しぶっとい女やで」 大地をごろごろと転がる羅刹女に、須賀 廣峯(ib9687)が飛び上がりながら刀を斬り下ろす。 受けるなんぞ許さぬと全体重を刀に乗せた一撃を、羅刹女は片方の刀を体に沿わせ、廣峯の刀を流し逸らす。 この流す技には逆らえぬと悟った廣峯は、下手に逆らわず流されるままに体を回す。 これは考えての行動ではなく、直感的な動きであろう。 そのまま刀を流されていれば、崩れた体勢の廣峯にもう一本の刀が襲い掛かって来たはずだ。 廣峯は刀での一撃に固執せず、ぐるりと体を半回転させ肘を羅刹女の顔面へと見舞う。 大きく仰け反りかわす羅刹女。しかし、この直後放たれるはずだった必中必殺に近い一撃は、これでおじゃんとなる。 双方体勢を崩した為、一度大きく下がって仕切り直し。 ここで、ディランが動いた。 ディランの故郷ジルベリア、その山岳地深くに存在する永久凍土を導いた精霊は、例え灼熱地獄の只中であろうと、確実に氷点下の世界を顕現させる。 そこは人が住む事を許されぬ局地の一つ。 殺人的な自然という、この世の厳しさを体現したかのような冷気は、殺傷目的で作り上げられた刀とサムライの組み合わせと比しても、遜色ない殺意を生み出せよう。 無論、ディランの狙いは攻撃のみではない。如何な屈強の兵であろうと、一定以上温度が下がれば必ずその動きは鈍るものだ。 後衛、支援、そういった役割を過不足なく果たす、これがディラン・フォーガスの冷凍術(フローズ)である。 機を見るに敏な開拓者達は、ディランの意図を把握するなり即座に援護に動く。 祥が刀を眼前に翳し、灯華が呪符を大地へと放ち、星晶はゆっくりとその手を前方へ伸ばす。 星晶が伸ばす手に合わせその影が前方へ翳されるが、突如影は持ち主をなぞる行為を拒否し、何処何処までも伸び進む。 如何に俊敏な羅刹女とて、影が伸びる速度に抗うなぞ不可能だ。 首元に二重に巻きつき、その動きを封じる。 動けぬ羅刹女は、祥の幻惑の刀身から目を離す事が出来ない。 視界の端に、きらきらと明滅する奇妙な輝きが残り、更に彼女の動きを縛る。 そして最後に、土中を突き破るように現れた漆黒の腕、腕、腕。 これらが羅刹女の下半身にまとわりつき、もうまともな人間なら身動き取れぬだろう有様に。 羅刹女は、首を気持ち上に向け、少しづつ、口を開く。 「アアアアアアアアァァッ!!」 悲鳴、絶叫、雄叫び、いずれも不十分な表現だ。 伝説に聞く泣き女の叫びの如く、聞く者の精神、いやさ存在そのものをすら揺さぶりにかかるような、苦痛と悲哀に満ちた声。 羅刹女の二刀が薄紅色に輝くと、彼女は数多の束縛そのままに歩を進める。 隙なぞ何処にも見られない。束縛なぞ無きが如く、何処何処までも吹き上がる憎悪を燃やし、生けとし生ける者全てを斬り絶やさんと。 疾也は、油断出来ぬ洒落にならない現状であるのをどうしようもなく認識していて尚、羅刹女がたった今用いた技術の危険さ、抵抗能力の高さを理解して尚、一言言わずにはおれなかった。 「こない気分の悪ぅなる紅焔桜、初めてやで」 鍾乳洞の入り口付近であるこの場所は、起伏のある山岳地帯に位置する。鍾乳洞内部に比べれば遙かにマシではあるが。 予め足に縄を巻いておき滑り止めにするという案を実行しておいたおかげで、足元を気にはしなければならないが、滑る事は考えなくてもいいのは戦う側からすれば実にありがたい話だ。 だが、それも、足元そのものが崩れてしまえば意味は無い。 羅刹女の斬撃が勢い余って大地に叩きつけられると、数瞬の間の後、轟音と共に大地が崩れ落ちる。 こうして発生した地滑りは、まるで予測もつかぬ、そう、後衛に控えていたなだちの足元を奪い去ったのだ。 それは、偶々であったのだろう。 前衛の廣峯が羅刹女に吹っ飛ばされ後衛側に居たのも、手を伸ばせば届く場所に居たのも。 「チィッ!」 左手を全力で伸ばしなだちの腕を掴むと同時に、廣峯は足元がズレ滑るのを上手くとっかかりとなるでっぱりを見つけ必死に堪える。 咄嗟の事に、なだちは何が起こったのか良く理解出来ない。 それでも、どうやら廣峯が助けてくれたらしいとわかると、こんな状況でありながらなだちは頬が紅潮するのが自分でもわかった。 だがそんな興奮も、なだちの視線の先に、逆光を受け人影の形となっている羅刹女の姿を認めた瞬間、氷水を頭頂より流し込まれたように冷え凍えてしまう。 同じく羅刹女を見上げている廣峯の表情は見えない。が、声を聞けば何を考えてるのかはよーくわかった。 「はははっ! 今度はそっちが上からかよ! 面白ぇ! 俺もてめぇみたいに流してやらぁ!」 この動きに反応出来た玖雀君の脳内を如何に記す。 無理だおい相手の技量見ろっていうか刀二本だろ同じじゃねえよおまえそれより片腕塞がってんじゃねえかその女どーすんだよアンタの嫁だろああでもこれ他にどーしよーもねえかくそったれわかったよ俺が何とかすらぁ! 玖雀は全身を、両腕を差し出す形で前に放り出し、両手持ちにしていた流星錘を全力で放つ。 「届けっ!」 先端の金属部三つ分。ぎりぎり届いてくれた流星錘は、一回転半程して羅刹女の足に巻きつく。 それでも、羅刹女の全てを止める事は出来ない。 伸び上がるようにして放たれた羅刹女の斬撃。 これを流す、なんて丁寧なやり方ではなく刀がへし折れるかという勢いで逆にこちらからも刀を叩き付ける事で廣峯は受け止める。 落下の勢いの分押し返されるも、刀の背を肩に当てる事でどうにか羅刹女の斬撃の威力を殺しきる事に成功した。 先の羅刹女はこの後残る片腕で斬りかかるつもりであったが、廣峯はというと、気合の声一発と共に片腕のみでなだちを引っ張り上げる。 他の面々も羅刹女の包囲にかかり、ようやくなだちもとりあえずの安全域に避難を終える。 そこでなだちは、戦闘の最中、不謹慎であるのも重々承知だが、自らの腕をそっと取る。 触れると痛みが走る程赤く染まった腕。これは、天空に羅刹女の姿が認められた瞬間ですら決して力抜けるような事はなく、万力のようになだちを支え続けてくれた証だ。 ほんの一瞬のみ。と自らに言い訳し、なだちはその腕をぎゅっと抱きしめた。 ディランは意識して外の情報を除外する。 術の詠唱には精神の集中が不可欠であり、戦闘の最中にそうするのは、訓練を行なった上で尚難しい事であった。 出来ないとはいわないが、常より遙かに消耗する。 が、弱音は吐かない。 暴風のように振り回される羅刹女の刀が恐ろしくない訳なぞないが、そんな恐怖を心の内に押し殺し、あるべき心のありようを維持する。 それが、自分の為だけではないと思える行為なら、案外、限界とやらまで何とか頑張れるものなのだ。 羅刹女は、戦闘開始から延々延々投擲武器にてちくちくと攻撃してきている星晶に対し、本格的に対処すべしと動き出す。 だが星晶もそれがわかっているのか、刀の攻撃範囲内から外れるよう動く。 「……あなた、何故まだこの世に居るのでしょうか」 羅刹女により岩肌が壁となる場所に追い込まれるも、直角に近い壁をひょいひょいと飛んで移動する星晶とこれを追う羅刹女。 「きっと待っているでしょうから、早く行ってあげると良いのに」 壁の頂点にて、星晶は大きく壁面より離れる形で跳躍しつつ、羅刹女の顔を中心に飛礫を放つ。 飛礫を跳ね返しながら羅刹女もこれを追い大きく跳ぶが、その先には、槍を手に跳躍する祥が居た。 槍の先端を大地に刺し、柔軟性に富むこの槍の特性を利して、しなる槍の反動を用いて大きく直上に跳んだのだ。 落下する星晶と上昇する祥の二人は空中にて交錯する。 「よろしくお願いします」 「任された!」 突き、いや違う。そうと見せかけ祥は羅刹女とすら交錯したのだ。 そして有利な上方より渾身の力を込め槍を叩き付けると、羅刹女は着地受身すら出来ず大地に激突する。 そこで、これで何度目になるか、羅刹女が大量の吐血をする。 予兆も脈絡も一切無く、突如起こるそんな現象は、灯華の放つ必殺術。 当人曰く地味に削るだそーだが、こんな馬鹿威力の術を地味なぞと形容する神経がわからない、そんな事を考えながら疾也は転倒した羅刹女へと迫る。 ほんの一呼吸で跳ね起きる羅刹女であったが、その眼前には疾也よりも先に、玖雀が立っていた。 左の正拳。予備動作で羅刹女はこの軌道を察し回避するも、かわせず、頬を真横より張られる。 右拳を側方より回すように、しかし拳先は羅刹女に届かぬので彼女は動かなかったが、やはり今度は逆の頬を張られる。 ようやく羅刹女は気付く。玖雀は左の手の平に流星錘の端を握っており、拳打にあわせこれを振るっていたのだ。 然るに、わかっていてもかわせぬ変幻自在な軌道が流星錘の売りだ。 ある時は拳の内より、肘を引っ掛け上より回転しながら、八の字を描き左右双方を、中距離から近接、超接近まで自在に間合いを操る事の出来る武器なのだ。 これらの複雑怪奇な攻撃を羅刹女は嫌って、大きく飛び出す。 これこそが、玖雀の狙いであった。 大雑把でそれまでの精妙さが失われた移動は、待ち構える疾也にとって格好の標的となる。 「羅刹になるほど愛して思われるっちゅうのは男冥利に尽きるんやろうけど、終わったもんにはけじめつけへんといかんしな」 何時もどおりの何処かおどけた口調でそう言いながら、刀を握る手に力を入れた瞬間、全くの別人格へと変貌する。 そう評する他無い程、疾也の集中が極まっているのだ。 悟りを得た高僧の如き精神性へと、ほんの一瞬で辿り着けてしまうのだから、何をか言わんやであろう。 無論、羅刹女の感情に満ち満ちた認識力では、この剣筋を見切る事なぞ不可能。 綺麗に両断された羅刹女は、最後の最後まで、死をすら認識出来ぬままであった。 羅刹女の亡骸を葬り、せめてもの墓標にと簪を一つ。なだちは誰にともなく一句を溢す。 ふとこれに気付いたディランが問う。 「古今集か?」 驚いた顔のなだち。 「あら、博識ですのね」 何処へ召されたか分からぬ羅刹女の魂を詠ったものであったが、二人のみならず残る皆も、せめても、男の元へと迷わず辿り着けるよう祈らずにはいられないのであった。 |