町の殺し屋さん
マスター名:
シナリオ形態: ショート
危険
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/05/31 06:32



■オープニング本文

 彼は仕事に必要な事以外、極力意に介さぬよう生きてきた。
 それは理に適った行為であったし、これまで成果を上げられたのも、このおかげであると彼は信じていた。
 ところが、都合によりとある先達と共に仕事をした所、彼よりよほど優秀であると思えた先達達は、仕事以外の事を良く話し合っていた。

「参ったな、今日のコンソメスープは絶品な予定だったんだ」
「そりゃ災難だ。アンタの料理はどれも最低だが、スープだけは辛うじて吐き出さずに済むレベルだしな」
「頼むからウチのカミさんには近づかないでくれよ。料理下手がうつるといけない」
「ああ、ああ、君等何時もそうだ。そうやって私だけ悪者に仕立て上げるんだ。先週バーベキューに招いてやった恩も忘れてな」
 ふと、男は思い出したようにうつ伏せに倒れる男に目をやる。
「おっと、すまない忘れていたよ。トドメが欲しいかい?」
「‥‥‥‥一つ、疑問が、ある」
 二人目の男が大仰に肩をすくめる。
「一緒に仕事した仲だ、一言二言までなら付き合うさ」
「アンタ等‥‥正気、なのか?」
 三人目の男は、心外そうに眉を潜める。
「失礼な事を言う奴だな。まあいい、最後だし好きな事を言うがいいさ」
 うつ伏せに倒れた男は世界の広さを思い知りながら、息を引き取った。
 がさりと茂みが揺れる。
 残った三人が同時にそちらに目と剣を向けるが、出て来たのは彼等が見知った顔であった。
「こっちは終わったよ。ふぅ、何とか晩飯には間に合いそうだな。子供には家族は一緒に食事を取るものだと教えてる手前、親父がこれを破るわけにもいかんしな」
 千切り取ったような傷跡の生首が五つ、ごとりと地に落ちた。
 二人目の男は、返り血に塗れたままにやにやとしまりの無い笑みを浮かべる。
「そういやノエの所はまだ息子も小さかったな。五つだったか?」
「おいおい、娘だ。娘。息子は三年前に自立したよ」
 一人目の男は刃に付いた血糊を丁寧に拭き取ると、どっこいせと重そうに腰を上げる。
「この間久しぶりに顔を見たよ。やんちゃな子に育ったもんだな」
 はぁと嘆息する四人目の男。
「時と場は弁えろと何時も言ってるんだがね。若さだろうなぁ」
 三人目が四人目の男の脇を突く。
「アンタの若い頃にそっくりじゃないか」
「馬鹿言え、私が同じ年の頃はもっとひどかったさ」
 はははと笑いながら、そこら中に血飛沫が飛び散る惨劇の場を後にする四人組。
 先程息絶えた同業者以外、ここにある遺体は誰一人、戦う意志も能力も持たぬ者ばかりであったが、四人がだからと躊躇する事は無かった。

 農夫は畑を耕し、鍛冶屋は鉄を鍛え、徴税人は税を集めて、殺し屋は人を殺す。
 彼等にとってはその程度の認識であったし、彼らの家族もまた同様であった。
 また国の中央から離れている土地であり、昔から殺し殺されが日常化する程治安のよろしくない地域である為、住人の価値観もそれなりであったのも影響していよう。
 これらを端的に示している数字がある。
 彼等四人の殺し屋が殺しの報酬として受け取る金額は、もちろん標的の社会的地位や戦力も関係してくるが、基本的には首都から遠ければ遠いほど下がっていき、この街周辺での額は平均的な農夫の月収程度にまで落ち込んでしまう。
 信念の元そうしているのではなく、単に、殺し易いか否かを判別していったら自然とそうなったというだけの話である。


 栄枯盛衰はある日突然やってくる。
 四人組が良く世話になっている有力犯罪組織が、内部抗争を始めたのだ。
 これに目をつけたのは、この地区の開拓者ギルドの係員である。
 既に四度、殺しだからという理由で断っている四人組の殺害依頼。
 彼等による被害が座視出来ぬものでありながらそうしてきたのは、一重にこの四人組の所在が割れていなかったせいだ。
 だが、抗争の隙を縫い、この組織自体より余程厄介な殺し屋達を、ギルド係員はここで仕留めると腹をくくる。
 涙ながらに依頼をしてきた依頼人を、血を吐くような思いでギルドを詰る依頼人を、そして、幾多の浮かばれぬ魂達を、係員は決して忘れていなかった。
 上に話を通し、黙認を勝ち取った係員は、誰からの依頼でもないこの仕事の為、開拓者を集める。
 屋敷を一軒丸々買い取り、ここに開拓者を住まわせ、四人組にこの屋敷に住む者の皆殺しを依頼する。
 常ならば見抜かれたかもしれぬ係員の策略は、ごたごたに揺れる組織を通し、四人組への正式な依頼として成立した。
 後は、開拓者達が迎え撃つのみだ。


■参加者一覧
犬神・彼方(ia0218
25歳・女・陰
叢雲・暁(ia5363
16歳・女・シ
鬼灯 恵那(ia6686
15歳・女・泰
詐欺マン(ia6851
23歳・男・シ
紫焔 鹿之助(ib0888
16歳・男・志
言ノ葉 薺(ib3225
10歳・男・志
朱月(ib3328
15歳・男・砂
サイラス・グリフィン(ib6024
28歳・男・騎


■リプレイ本文

 ぐっでーとソファーに寝っ転がっているのは鬼灯 恵那(ia6686)である。
「ひーまー」
 恵那の抗議も聞こえないフリで流し、サイラス・グリフィン(ib6024)はカードをテーブルに二枚放る。
 対面に居るのは犬神・彼方(ia0218)と紫焔 鹿之助(ib0888)の二人。
 彼方は渡されたカードをちらりと見た後、残る四枚とまとめ場に伏せる。
「悪ぃがオリだ」
 鹿之助はというと、頬がにやけそうになるのを必死に堪えている様が良くわかる顔で、カードを伏せる。
「う、うーん、どうしよっかなぁ。ま、いいや、コールだぜ」
 何だかんだ言いつついっぱいまで上がり、サイラスが自分のカードを開く。
 ダイヤのフォーカードを提示すると、鹿之助が椅子から飛び上がった。
「何いいいいいい!?」
 はあと嘆息する彼方。
「‥‥鹿之助、お前ぇ絶対ポーカーに向いてないと思うぞ」
「くっそおおおお! 何だよ! 今度こそ勝てると思ったのに!」
 恵那はやはりつまんなそうにカードを切りなおすサイラスの手元を見ている。
「ねー、いかさまとかしないのー?」
「そんな技術俺にはない。というか、して欲しいのかイカサマ?」
「だっていかさましたら、『サマやろーぶっころしてやるー』って斬りかかっていいんでしょ?」
「どんだけ斬りたいんだお前は‥‥」

 言ノ葉 薺(ib3225)は、盛り付けを終えた皿をテーブルに置きなおす。
「こっちはこれで完了ですー」
 はいはい、と朱月(ib3328)は彩り鮮やかな皿を片手で抱える。
「‥‥しかし、随分と待たせるんだね」
 最後に寸胴からスープをよそっている薺は、そちらを見ぬまま応える。
「慎重なんでしょう。ただこの手の手合いは動くとなれば一息に全てを終わらせにかかりますから」
「気は抜けないね。せめても、このまま一月待機とか言われないだけマシと思おうか」
 薺がお盆にスープを載せ終わるのを待ち、一緒に移動しようとする朱月。
 屋内だとて、気は抜かないのである。皆もそうしているだろうと思っていたのだが、どたどたと賑々しい音が聞こえてくると、ちょっとその辺の自信がなくなったりする今日この頃。

 どたどたの主二人、詐欺マン(ia6851)と叢雲・暁(ia5363)は、二人競うように掃除を行なっていた。
「ふっふっふ、この詐欺マンと掃除対決とは無謀にも程があるでおじゃるよ」
 ぴょーんと跳ねながら天井の煤をはたきで払い落とす詐欺マン。
「へんっだ、NINJAの動きについて来れるかな?」
 しゃーかしゃかしゃかしゃかと箒で床を払い走る暁。
 実にやかましいのだが、仕事は速いので文句言うのも何だと皆放置である。
 時は真昼間。
 燦々と陽光の照る時間であったが、暁はぎにゅーっと雑巾を絞っていた手を止める。
「やっと、かな」
 詐欺マンもちりとりの中身が毀れぬようそっとこれを床に置く。
「はてさて、お手並み拝見でおじゃる」



「いやいや、参ったねどうも」
 状況がわかっているのかいないのか、のほほんとした声でノエはぼやく。
 完全に待ち構えられていた事に気付いたのは、宿へと踏み込んだ後だ。
 そしてノエが対する二人。
 一刀を肩に乗せ、もう一刀を下段に下ろす鹿之助。
 構えすら取らず、だらりと刀先を落とす恵那。
 一人前と呼ぶにはいささか年輪の足りぬ二人であったが、発する鬼気は並大抵のソレではない。
 恵那は剣先をゆっくり上げながら、にこりと笑った。
「ふふっ、待ってたよー♪」
 ノエの視界が歪む。
 甘く蕩けるような声、刀身より立ち上る鬼気、全身何処もかしこも隙だらけに見える構え。
 吸い寄せられるようにノエは剣を抜き、恵那に一歩、一歩と歩み寄る。
 恵那の間合い寸前で我に返ったノエは、横合いより斬りつけてきた鹿之助の刀を払い落とした。
「あれ、やるね中々」
 暢気な恵那の声を聞いたノエは、やはり暢気な口調で返す。
「やれやれ、どうにも面倒な相手みたいだねぇ」
 鹿之助はノエの気配が変容を遂げた事に気付き頬を緩める。
「成程な‥‥懐かしい匂いだぜ」
 お綺麗な道場剣術ではありえぬ、泥を食み、汚水で口をすすぎ手にした力を、鹿之助はノエより感じ取っていた。

 恵那の招く声に抗しきれぬ時もあり、ノエの攻撃はかなりの数が恵那へと向けられていた。
 元々防御より攻撃に偏重した恵那であったが、それでも凌ぎきれているのは今回は珍しく受けに回っているせいだ。
 この間に鹿之助の双刀がじわりとノエを削り取っていく。
 鎧の隙間を縫う、鎧ごと大きく打ち付ける、結果として削るという形ではあっても、恵那と鹿之助の剣は全てが急所を狙う必殺の斬撃。
 瞬きすら許されぬ極限の緊張を強いられ続けたノエは、それ故に、遂にたった一撃のみを受け誤ってしまう。
 この瞬間、意識すら置き去りにする速度で恵那と鹿之助が反応した。
 受けを投げ捨て恵那の刀が走る。
 ノエの目には、まっすぐ伸びているはずの刀身が奇妙に歪んで見えた。
 ようやく刀の存在を認識出来たのは、袈裟に鎧を斬り裂かれた衝撃によってだった。
 それでも尚動きが止まらぬは頑強な騎士故か。
 視界の隅に居た鹿之助の踏み込みに対処すべく剣をそちらに向ける。
 鹿之助は、二本の刀を鞘に収め、両腕を交差した特異な構えであった。
『右か左か!?』
 読みきれず双方に対応するべくど真ん中に構えた剣に対し、鹿之助は同時に二刀を抜き放つ。
 双頭の蛇がうねるように交錯し、ノエの剣は半ばより叩き折られる。
 更に二刀は頭上よりノエへと降り注ぎ、鎧で受けるべく上げた腕ごと、深く胴を切り裂いた。
「あれ、もう終わり?」
 追撃を狙っていた恵那であったが、ノエがぴくりとも動かないのを見てつまらなそうにこれを見下ろす。
 鹿之助は大きく息を吐いて一言。
「‥‥鎧も原型留めない程ぼこぼこにぶっ叩いといて、もうとか言うなっ」



 セレドニオの剛刀を真正面より受け止めたサイラスは、たたらを踏んで後退する。
 両腕が斬りおとされでもしたかのように痺れ、感覚がない。
 これほどの剣撃の持ち主相手にそうするのはあまり気が進まないが、硬い装甲を併せ持つこの男相手には致し方なしとサイラスも腹をくくる。
 痺れる腕に鞭打って、両肩を僅かに上げてやる。
 そして、失望したかのように鼻で笑う。
 セレドニオの表情に変化は無し。
 失敗かと思われたが、セレドニオが更に一歩と踏み出した足の強さが、挑発は効果を発揮していたと教えてくれた。
 先を上回る一撃を覚悟したサイラスであったが、セレドニオの踏み込みが一歩のみでぴたりと止まる。
 見ると、朱月が中空の何かを掴むように手を伸ばしている。
 室内に差し込む光は朱月の影を常より伸ばしていたが、より以上に、奇妙な程伸びた腕の影がセレドニオの足を掴んでいた。
 すぐにサイラスの剣が伸び、セレドニオを捉える。
 セレドニオは鈍った動きも構わずサイラスへと剣を振るう。
 雑にしか見えぬ斬撃は容易に回避が可能であったが、サイラスはすぐに自らの失策を悟る。
 サイラスへの攻撃と見えたこれは、あくまで牽制であり、大きく振るう事で勢いをつけた剣を、セレドニオは朱月へと向けたのである。
 胴を上下に真っ二つ。
 一瞬だがサイラスは眼を見張り、セレドニオは会心の振りに付属する手ごたえの無さに驚く。
 そのまま朱月の姿はぼうと消え去り、気がついた時には懐へ。
 セレドニオの脇を刀で抉るも、敵もさるもの。鎧の隙間を抜く事は出来なかった。

 朱月は撹乱も、サイラスの騎士としての重装をも、コレを圧倒しきる要因にはなりえなかった。
 剛刀を受けすぎて、サイラスは刀を上げる事も出来ぬ程腕を痛めていた。
 逆手のマインゴーシュは、弾き飛ばされ天井に突き刺さったまま。
 この状態で上段よりの斬り下ろしを防ぐには、前へと出るより他は無い。
 肩口で敵刀を受け止め、頭突きをくれてやろうと踏み込むのだが、根元での一撃ながらサイラスは壁際まで弾き飛ばされてしまう。
 残る朱月も、一対一では極めて分が悪い。
 それでも、ゆっくりと刀を振りかぶり、朱月は挑む。
 セレドニオは既に見切っている朱月の刀が、何故か二つにブレて見える事に気付く。
 咄嗟に刀を止めたのは彼が一流である証か。そう、朱月の刀はフェイク。
 左のリードブロウでセレドニオの刀の持ち手を強かに打ち付ける。
 すぐに左に飛ぶと、刀がブレて見えた理由、もう一本の剣を掲げたサイラスの姿が。
 握力の失せた手に首飾りで無理矢理剣を固定し、体当たりのように叩き付ける。
 ずぶりと肉に食い込む音が聞こえた。
 舌打ち一つと共にサイラスを弾き飛ばすセレドニオであったが、その無駄な挙動が彼の生死を分けた。
 天井近くまで飛び上がる朱月。
 その手には先程弾き飛ばされ天井に刺さっていたはずのサイラスのマインゴーシュが。
 朱月は落下しながらセレドニオの頭を掴み捻り、短刀をそのむき出しとなった首元に突き刺した。



 黄金の鉄の塊ちっくなガビノを相手取るのは詐欺マンと暁だ。
 ガビノは、正直、心底、気分の悪い思いを味わっていた。
「ふふふ、NINJAの動きについてこれないみたいだねー」
 屋内狭しと走り回りながら斬っては離れ、離れては踏み込んでを繰り返し、常にガビノの剣の間合いから外れて戦う暁。
「黄金の鉄の塊といえど汚いシノビの前には無力。この畳の恐ろしさを思い知るがいいでおじゃる」
 やたらめったら畳み返して物理的な障害、視覚を妨げる壁として用い、隙々に苦無を打ち込む詐欺マン。
 つまる所、ガビノはまともに攻撃出来ない状況が続いているのだ。
 こんな汚いシノビ見た事無い。
 元より装甲が硬い分速度に劣るガビノである。装甲を盾に踏ん張るも、じわじわとかすり傷が増えていけば、如何ともしがたい事になろう。
 ガビノが詐欺マンへと突進し、詐欺マンは扇子で口元を覆いながら足先のみで畳を跳ね上げる。
 怒りの声と共に立ち上がった畳を切り裂く。
「残念無念、また来週でおじゃる」
 既に移動を済ませていた詐欺マンは、ほほと笑いながら部屋の逆隅まで移動し終えている。
 突如、ガビノの背後より声が上がる。
「はちのよーにさしー!」
 ガビノの鎧にずんと重い衝撃が来たのは、刀か何かを突き立てたせいと思われる。
 振り返りざまに剣を振るうガビノであったが、既にこれを為した暁はすたこらと逃走中だ。
「黒悪魔のよーに逃げるー!」
 汚い、流石忍者汚い。

 実にクールなシノビ二人のちくちくとした攻撃は、鉄塊を覆う金箔を剥ぎ取りきる段になって、動きを変える。
「そろそろ、充分でおじゃるかな」
「ヤっちゃえたーいむ」
 かすり傷の山とはいえ、出血量は馬鹿にならない。
 二人がかりで徹底的にリズムと距離感を狂わされたガビノは、当たるはずもない間合いで必殺の剣を振るう。
 閃光のごときオーラも、当たらなければ行灯と一緒だ。
 詐欺マンの両手がだらりと下ろされる。
 まず手先がたっぷりとした服の裾に隠され出所が見えない。
 次に手を振り上げる速度と放たれた苦無の速度差に惑わされる。
 最後に、ほんの一歩のみ敵に見えぬよう踏み込む歩法を用いて距離をすら欺く。
 幻のような一打は、ガビノの左手首を切り裂き、他の部位ではありえぬ出血を強いる。
 そしてうって代わって暁の一打。
 垂直に、真上に向け伸びているのは、暁の左足である。
 爪先が天を指し、胴向きが真横になっているにも関わらず、ぴくりとも揺れぬバランス感覚は見事の一言。
 奇妙にねじくれる形になった胴を腕の振りと共に回しつつ、振り上げた足を前方へと大きく倒す。
 ここまで大きな予備動作を見せられれば、ガビノとて対応する。
 放たれた手裏剣を充分な余裕をもって打ち落とそうと振るい、コレがすり抜ける錯覚に目を大きく見開く。
 眼前で急激に速度を上げただけの話なのだが、気付いた時には手遅れである。
 ガビノの視界は大きくブレた後、次第に世界を斜めに傾かせ、完全に真横になった時、暗転した。



 薺は腰を落とした深い構えではなく、踵を上げ軽快にリズムを取る。
 ソレが動くや否や、右足先の力のみで飛ぶ。
 風切り音、というよりもはや風唸り音か。
 後ろに一歩下がった直後、弾けるように敵ヘラルドへと飛び込む。
 追撃にと踏み込んで来ていたヘラルドもまた速度を落とさずこれを迎え撃つ。
 煌くような銀光は薺の剣閃、雄牛の突進を思わせる打ち込みはヘラルドの剛斧。
 いずれもが紙一重でお互いの武器をかわし、各々背後へと駆け抜ける。
 どちらが早く振り返り体勢を整えるかが次撃の肝となる。
 全身のバネを用いて無理矢理突進を止めるヘラルドに対し、薺は低く駆けながら剣先を床に突き刺す。
 畳がゾリゾリと削り取られるが、斜めに突き刺した七支刀と枝刃に片足を乗せる事で常以上の反転速度を得る。
 ヘラルドは振り返っているものの、得物である大斧を振りかぶるのが間に合わない。
 薺はそのまま飛び足刀を顔面に叩き込み、ヘラルドを蹴り飛ばす反動で剣の元へ戻り、これを抜いた。
 直後、部屋の壁が轟音と共に吹き飛ぶ。
「悪ぃ、遅れぇたな」
 十文字槍をかついだ彼方が姿を現したのだ。

 技より速さより力に傾倒した動きは、しかし充分な年季を重ねる事で技や速さをも凌ぐ戦いを可能とする。
 並の剣術ではありえぬ崩しは、敵より速度も技も奪い去るのだ。
 彼方は、以前戦った男を思い出す。
 彼もまた剛斧を自在に操る怪物であった。
 彼方の槍先を片腕で払うなぞ、ともすればその時の男より手強いやもしれない。
 それでも随所で薺の援護をもらい、じわりとヘラルドを追い詰めていく。
 薺が走る。
 逆手に剣を持つ事で長さを隠し間合いを外させる。
 剣撃の瞬間、くるりと順手に持ち替え、そして、剣ではなく下段の蹴りで攻撃した。
 膝裏よりの一撃は、骨まで響く足応えを残す。
 この機に踏み込む彼方。
 だがヘラルドは、痛めた足を用いず、片腕のみ床につき大きく縦に回りながら彼方へと飛び込んだ。
 間合いの内に入り込まれた彼方は、委細構わず槍を振り下ろす。
 斧と槍が斧の間合いでぶつかった時、槍は当然柄の部分で迎え撃つ事になる。
『あの時とはぁ違うんだよ俺はぁ!』
 斧の刃と槍の柄が触れ合ったのはほんの一瞬。
 ヘラルドの握力限界を容易くぶっちぎり、斧は彼方へ跳ね飛ばされる。
 それでも、止まらない。
 ヘラルドの肩口に叩きつけられた丸みを帯びたはずの槍の柄は、しかし彼方の膂力か、肩口で止まってくれない。
 鎧をひしゃげさせ尚も突き進む槍の柄は、物理の枠を飛び越え、ヘラルドの肩口から脇腹までを千切り斬った。
 速度、威力、技、全てが極めて高い次元にあって初めて為し得る奇跡の一撃。
 槍の柄で人を真っ二つにするというありえぬ出来事に、薺も目を丸くする。
「‥‥信じられない事しますね」
「俺ぇのとっておきだ」
 そう言って、彼方は口の端を上げた。