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■オープニング本文 ●出立 「お屋形様、出立前の御挨拶に参りました」 「ご苦労。此隅までの道中は気をつけてるのだよ、元信。巨勢王にお目通りする機会があれば、天見家当主代行として御礼を申し上げるのを忘れぬよう」 「はいっ」 天見家当主、天見基時(あまみ・もととき)の言葉に、今年元服を迎えた天見元信(もとのぶ)が緊張した面持ちで応じる。 武天の一部を納める天見家は、同時に『若年寄』の役目にある。だが当主の基時は病身で、城勤めを免除される代わりに元信が当主代行として此隅へ出向するのだ。 「巨勢王は『赤入道』とも呼ばれる御仁、粗相のないようにな」 脇から天見元重(もとしげ)が助言をすれば、にわかに元信の表情が強張った。 「今から驚かさないで下さい、兄上っ」 「ははっ。恐れたか、元信」 砕けた弟達の会話に、肘掛けにもたれた基時も小さく笑う。 「そう身構える事はない。王は豪胆で気さくな御方だからね。だが当主代行は重責、気を抜かぬよう」 「はいっ」 神妙な顔で元信は居住まいを正し、頷いた。 「では、行って参ります」 「俺は見送りを」 一礼をした二人は下がり、残った基時は大きく息を吐く。 「後は、此隅勤めの者が元信を支えてくれる。世継ぎの件も安泰したし、これで……」 いつ自分の命が尽きても問題ないと、基時は目を閉じた。 混乱はあっても、天見家が揺らぐ事はない。領地を治める天見家が揺らがなければ、数多ヶ原もまた安泰だ。 うららかな春の午後に、安堵した基時もうつらうつらと浅い眠りに誘われる。 だが穏やかにまどろむひと時を、短い炸裂音が打ち破った。 ●災いは重なりて 表門から元信の駕籠と家臣の行列が見えなくなると、元重は険しい表情で踵を返した。 屋敷へ戻らず庭を横切り、敷地にある牢へ到る。頭を下げて錠前の鍵を外す牢番に人払いと中に入らぬよう言い付け、腰の刀を確かめてから元重は牢へ足を踏み入れた。 「……鷹取。お前に聞きたい事がある」 牢には、元家臣の鷹取佐門(たかとり・さもん)が座している。かつての主を前にしても応じないが、元重は構わず先を続けた。 「開拓者が言った。お前の目的が兄の命を削り、俺を排する事にあったと……答えよ。お前は誰の差し金で、何を企んでいた? 『顔無』とは何だ」 その時、何を問われても口を開かず、表情を変えなかった男が薄く笑い。 「答えよ、鷹取。さもなくば」 硬い言葉の代わりに、鯉口を切る。 答えねば斬り捨てると言外に詰め寄る元重へ、佐門が顔を上げ。 「今頃、気付かれたか」 嘲笑と共に、蔑んだ。 元重がかっと目を見開き、格子窓より差す光に白刃が閃く。 同時に佐門もまた、懐中より素早く手を翻し。 ――バンッ!! 両者の間に、火花が散った。 「元重様、今のは何の音で……!?」 耳慣れぬ音に驚き、飛び込んだ牢番は床へ広がった血に目を剥く。 折れた刀を深々と胸に突き立てた左門が、仰向けに転がり。 その傍らでは元重が膝をつき、肩で息をしていた。 「も、元重様!? いま医者を!」 転がるように外へ飛び出す牢番を、かすむ目で見送る。 感覚のない左腕を裂けた着物の上から押さえ、立ち上がろうとするが叶わず。 「あ、ぁ……あに、う……」 頭を垂れた呟きを最後に、元重の意識は途絶えた。 「佐門を質(ただ)していた元重が、重傷を!?」 狼狽した家臣の報せに、基時の顔から血の気が失せた。 ほんの数刻前、兄弟で笑って話をしていたばかりだというのに……耳を疑い、珍しく声を荒げた基時は、平伏した家臣を前に動揺を抑えようと何度か深く息をした。 「生きては、いるのだな。それで、元重の傷はどうなのだ」 苦心しながら落ち着いた声で問えば、家臣は青い顔を上げる。 「只今、医者が看ております。牢番の話では、お一人で鷹取の調べをされようと牢に入ったご様子。何らかの理由で刀を抜かれた元重様に、鷹取めが短銃を使い……それが、暴発したようでございます」 「鷹取が、短銃を?」 「はっ。しかし入牢の際に改めているはずですので、隠し持つなどありませぬ。もしや、間者が……」 「いや。確か、鷹取は……陰陽師の技を体得していたと聞く。屋敷の事を良く知り、時間も十分にあっただのだ。牢番の隙を窺って式を使い、何処からか牢に運ばせていたのやもしれぬ」 未だ謀反の意がある者が屋敷に潜んでいるのかと家臣が抱く不安を、即座に基時は否定した。元重が重傷を負ったという動揺に加え、疑心暗鬼まで広がれば収拾が付かなくなる。 「して、鷹取はどうなった?」 「死にました。元重様の刀を胸に受け、医者が駆けつけた時には事切れておりました」 「そうか」 もう一度、深く深く息を吐く。 そこへ、ばたばたと廊下を走ってくる慌ただしい足音が一つ。 「兄様! 西の山近い村に、アヤカシの群れが出ました!」 勢いよく障子を開け放った妹の津々(つつ)が膝をつき、息を切らして告げた。 「数はどの程度だ。被害は?」 「正確な数は分かりませんが、蛾みたいなのが十匹以上はいるとか。村の者は避難を始めたばかりで……私、元重兄様の代わりに討伐隊と参ります!」 「早まってはならぬ」 「でも……!」 基時に叱咤された津々は、腰を浮かせたまま口ごもる。 「急ぎ、開拓者ギルドに依頼を手配する。だから一日……せめて半日、待ちなさい」 「ならば、その半日の間にアヤカシ勢の調べを。無理はしません、村人の身を守る事を最優先と致します故に」 「津々!」 「なりませぬ、津々様っ」 基時や家臣の制止も振り切り、アヤカシ討伐隊の詰め所がある城町へと津々は飛び出していった。 「致し方ない。三枝伊之助を、これへ」 「は!」 急いで家臣の一人が呼び出しに向かい、もどかしく基時は唇を噛んだ。 ●風雲急を告げ 「急ぎ、小型飛空船を貸りたい! 幾ら必要だ!?」 神楽の都、多数の飛空船が浮かぶ港の一角で、ゼロの荒げた声が響いた。 「はぁ!?」 「急いで飛空船を借りるのに、金が幾ら必要かって聞いてんだッ。有り金で足が出るなら、コイツを担保に……」 目を白黒させる飛空船の受付係の前へ有り金を詰めた財布を放り出し、更には鞘に納めた宝珠刀を手に取る。 「お、落ち着いて下さい。事情は知りませんけど、刀がないとゼロさんが困るんじゃ……!」 「そりゃあ、困るけどよっ」 開拓者世話役の三枝伊之助(さえぐさ・いのすけ)から風信機で報せを受けたゼロは、その足で港に来ていた。最も早く数多ヶ原に着く手段は飛空船しかなく、しかも半日はかかる。 「事情があるみたいですし、船はすぐ手配します。依頼なら同行の方が揃うのもありますでしょうし、少し待って下さい」 「……頼んだ。すまねぇ」 いま足掻いてもどうともならず、ようやく少し落ち着いたゼロが苦い表情で受付係に応じた。 事情は厄介だが、何をすべきかは違えてはならない、と。 苛立ちをつのらせながら、じっとゼロは時を待つ――。 |
■参加者一覧
有栖川 那由多(ia0923)
23歳・男・陰
鬼灯 仄(ia1257)
35歳・男・サ
七神蒼牙(ia1430)
28歳・男・サ
以心 伝助(ia9077)
22歳・男・シ
劫光(ia9510)
22歳・男・陰
リーディア(ia9818)
21歳・女・巫
アグネス・ユーリ(ib0058)
23歳・女・吟
琥龍 蒼羅(ib0214)
18歳・男・シ |
■リプレイ本文 ●助けの手 「くそっ……遅かったか!」 月のない空を不気味な紅蓮が照らし、七神蒼牙(ia1430)は歯噛みをした。 「炎蛾の火の粉か。いよいよ、陽動を思わせるが……ほっておく訳にもいかん」 「先に、討伐隊が村人を避難させている筈……ですよね」 早足で歩く劫光(ia9510)が眉根を寄せ、有栖川 那由多(ia0923)は先を急ぐ親友の横顔を窺う。 (俺でさえ、気が急いてんだ、あいつに「焦んな」とか絶対言わねぇし、言いたくねぇ) つまらない言葉をかける位なら、一刻でも早くアヤカシを葬る方がいい……そう、那由多は心に決めていた。 「本当に、数多ヶ原は騒動が多いというか……大丈夫か? ただでさえ状況が状況なのに、村まで焼かれて」 「そりゃあ、な」 訊ねる蒼牙に、ゼロの表情は険しいが。 「だが、村人が無事なら何とかなる。天見屋敷は伝とリーディアが向かってくれたし、身体が一つしかねぇ以上は、まず目の前の厄介事を片付けろ……だよな?」 「あら、ゼロ。見ない間に少しは成長した?」 「どういう意味だっ」 むぅとゼロが言葉に詰まり、アグネス・ユーリ(ib0058)は黒い瞳を細めた。 「そのまんまよ。元重は重体で、同時にアヤカシの群。明らかに群は陽動に見えるけど、危機に瀕してる人達を先ず助けないと」 「村人が避難しているのを、祈るか」 アヤカシに気取られるだろうが、夜明け前の闇に鬼灯 仄(ia1257)は松明をかざし、琥龍 蒼羅(ib0214)も前を見据える。 「急ぎ討伐隊を探し、合流すべきだな。居場所の予想はしているが……」 「何処だ? 合流の合図や目印は、何かあるのか?」 鋭いゼロの視線に、蒼羅は答えに窮した。 「いや、明確には。アヤカシの足止めなら村の近辺か、見通しのいい田畑か。避難した山の可能性も……」 「それ、全部じゃあねぇか」 「あくまで予想だ」 「まずは村へ行き、偵察だな」 横から劫光は蒼羅へ助け舟を出し、じれたゼロが不機嫌そうに唸る。 「派手に暴れた方が、手っ取り早い気もするが」 「焦るな、と無茶は言わん。だが心がけろ」 言い含める劫光に、口を結んだゼロはやがて駆け出し。那由多も遅れぬを取らぬよう、後に続いた……せめて親友が後ろの心配だけはしなくて済むようにと、胸の内で決めながら。 「どうか皆さん、ご無事で……」 遠ざかる炎を飛空船より見つめ、深呼吸をしたリーディア(ia9818)は武運と無事を祈って手を合わせる。 「ゼロさん……暫く離れる事になりますが、私がいないからって無茶しないで下さいね? その上で、さっと終わらせちゃいましょう」 二手に分かれる前。笑顔で言葉をかければ、黙ったままゼロは彼女の手を握った。言葉はなかったが、握る強さと温もりに『家族』を託された気がして、感触の残る手をリーディアは胸に当てる。 ――既に鷹取はアヤカシ化してるかも知れんし、死体に取り憑く奴もいる。気をつけろ。 そんな劫光の忠告も思い返せば、時を待つ現状がもどかしい。 「間に合うといいですね」 「ええ……これ以上、あちらの好きにはさせやせん」 返事をした以心 伝助(ia9077)の面に表情は無く、ただ拳を強く握り込んだ。 ――お前の事だから上手く立ち回るだろうが、基宗にも気を掛けてくれ。それから、元重もな……気に食わんが、気に入ってるから死なれては困る。 仄から冗談まじりに託されたが、伝助としても天見元重を死なせる訳にはいかなかった。鷹取左門の術中に陥るのも癪(しゃく)だし、アヤカシに組していた左門が「よもやアヤカシ化するのでは」という懸念もある。 (結局……あっしの『答え』には、本人から何もありやせんでしたが) 心残りにを胸に、しばし伝助は目を閉じた。休息は取れる時に取っておくものと、諸事を含めて叩き込まれた身ならばこそ。 ●アヤカシ討伐 「津々様、加勢の開拓者が参りました!」 山の麓、森との境界。負傷した隊士の手当てをする天見津々に隊士が報告し、遅れて斥候が拾った開拓者を連れ戻った。 「状況はともかく、無事のようだな」 夜を徹し、疲弊した者達を劫光が見回す。 「村人は?」 「一足先に山へ。逃げ切れなかった者もいましたが……」 言葉を濁した津々が目を伏せ、一度だけと『閃癒』の術を使った仄は髪を掻いた。 「ともあれ、だ。死んだ連中を弔うにも、まず生き残らねぇとな」 「津々様、村を焼いたアヤカシがこちらへ向かっております!」 別の隊士が報告し、場に緊張が走る。僅かでもと深手を負った隊士へ『治癒符』を使っていた那由多が、津々へ顔を上げた。 「討伐隊は後方へ下がって……万が一、開拓者を抜けるアヤカシがでた時の為の、最後の砦になって貰えますか」 「……お言葉に甘えて」 小さく津々は頭を下げ、隊士達をまとめるべく立ち上がる。 「ああ、津々」 呼び止めた仄は、不意に少女の頭をわしわしと撫でた。 「あ、あの!?」 「褒めてんだ。浮足立たず、ちゃんと立ち回っているようだからな」 「志体持ちでも無いのに、大変だったろ……よく頑張ったな」 強張った表情の津々だったが、仄と劫光へぴょこりと頭を下げ。 「飛び出してきた以上、しっかり務めないと兄様に顔向けできませんから。でも、ありがとうございます」 照れくさそうに踵を返す背へ、劫光が声を飛ばす。 「後は動ける者で、火消し用の水を用意してくれ。万一に備えてな」 「承知しました!」 「それにしても……流石に、ゼロの妹だな」 討伐隊と飛び出した話を劫光は思い出し、憮然とゼロが口を尖らせ。 「村の連中や討伐隊の前で言ったら、てめぇでもブッ飛ばすからな」 「一番、心配してる癖になぁ」 面倒なもどかしさに蒼牙が苦笑し、討伐隊と山へ後退する津々を見送った。 「ほらっ、のんびりしている暇はないわよ」 隊士から話を聞き集めたアグネスが、パンッと両手を打つ。 「餓鬼蜘蛛は逃げる村人が見たらしいけど、所在はハッキリしないって」 縄張り意識の強い餓鬼蜘蛛が、何故に他のアヤカシと行動しているのか……隊士らの話からは、懸念を解く糸口すら掴めなかったという。 「蛾の群れに、群れぬアヤカシが徒党を組んで、ねぇ。そも蛾の群れ自体、嫌な時に現れやがる……裏でもあるのかと疑っちまうくらいな」 「それが囮であれ何であれ、アヤカシが出れば斬るだけだ」 仄が渋い表情をする理由を蒼羅は知らず、訊ねる気もなく。ただ『アヤカシ退治』に備え、携えた斬竜刀「天墜」を握り直した。 「開拓者殿っ、蛾どもが迫っております」 「ありがと。ここはあたし達に任せて、先へ!」 顔色が悪いながらも駆け寄った斥候にアグネスは礼を告げ、森の奥を指差す。 「ああ、ちょっと待て」 神威の木刀を手に仄が念を凝らし、斥候は微かな淡い光に包まれた。毒が抜けて軽くなった身体に、男は頭を下げる。 「かたじけない」 「礼はいい、早く行け」 「こっちは俺らが預かるから、足元と頭上に気をつけて!」 前を見据え、符「幻影」をかざした那由多が警告し、朱刀を鞘走らせたゼロが彼の脇を駆け抜け。 「ヒラヒラと面倒だぜ。まとめてかかって来やがれッ!」 怒声に、森が騒いだ。 羽ばたいて群がる蛾に、足元でも不自然に土が盛り上がる。 「ちと吼えろとか、言うまでもなかったか」 『咆哮』するゼロへ向かうアヤカシに仄は五人張に矢を番え、霊魂の式を那由多が銃弾のように撃つ。 「珍しいな。炎の式じゃあねぇのか」 「ここで火炎獣とか使ったら、森まで燃えるだろ。馬鹿っ!」 気付いた友人を見向きもせずに、蛾の動きを追う那由多は式を放ち。 朱刀を振るうゼロが、からからと放笑した。 「ゼロ! 飛んでる奴は俺が落とすから、自分の身くらい守れよっ」 「そりゃあ、逆だろうがっ」 軽口で返しながら、霊魂砲で羽を破られた炎蛾をゼロが一閃し。 土を割って伸びる蜘蛛の足を、蒼牙が斬り飛ばす。 「蛾とかって、この間の敵と関わりがありそうだよなぁ……にしても、まるでモグラを叩くが如しだぜ」 「……そのようだ」 野太刀に手を置いた蒼羅は『雪折』の構えで小土蜘蛛に対していたが、自身が狙われなければ効果は薄く。 大蛾が放つ衝撃波が、頭上の木の枝を砕いた。 「そういえば、餓鬼蜘蛛はいたか?」 袖を払い、降りかかる木の破片を避けた蒼羅が問えば、蜘蛛の相手をするアグネスは黒髪を左右に揺らす。 「それが見てないのよね。劫光はどう?」 「人魂の目でも、今のところは見当たらない。ゼロの『咆哮』にも釣られていないようだし、近くにいないのかもしれん」 「餓鬼蜘蛛……常の性質と異なる行動だよな? 何が起きてる? 誰か操ってる奴がいる……とか?」 自問しながら、アヤカシの動きに那由多が眉根を寄せた。 「どこぞで糸を引いている、妙なアヤカシがいるとして。ソイツを引きずり出せれば、御の字だが」 炎蛾の数が減ったのを見て、仄は引き絞る弓の標的を毒蛾に変える。 その時、村人らが避難する山の方から、遠く悲鳴が響いた。 ●影、落ちて 「以前、鷹取の告げた目的から……襲撃を囮にし、本来の予定通りに元重さんを抹殺しに動く可能性がありやす」 張り詰めた空気に包まれた天見屋敷の謁見の間で、手をついた伝助は真っ直ぐに当主の天見基時へ視線を上げて進言した。 「あっしらは、天見家の方々を守る為に参りやした。屋敷を守る手が足りなければ、先代の御子達を集めた方がいいっす。あと出来れば一度、鷹取の遺体を改めさせて頂きたく」 「そうだな。気になるというのなら、三枝に案内させよう」 すぐさま三枝伊之助が呼びつけられ、席を立つ寸前に伝助はリーディアと小声を交わす。 「そちらは、お願いしやす」 「伝助さんも気をつけて」 二人の背を見送ったリーディアは基時へ向き直り、にっこりと笑んだ。 「基時さんも、くれぐれも無理はせぬよう。出来る事はすべきですが……あんまり無理をなさると、皆さん怒っちゃいますよ?」 「とはいえ、状況が状況だからね」 全く休んでいないのか顔色は悪いものの、「致し方ないものだよ」と基時が苦笑う。 「出来る限り、天見家に連なる方々の守りを固めて下さい。特に、基時さん御自身と御子の基宗さんの身辺は厳重に」 諌めても聞かない性分に心当たりを覚えながら、頭を下げてリーディアも謁見の間を辞去した。 屋敷に到着して早々に彼女は『瘴索結界』を使ったが、アヤカシと思しきほどの瘴気の澱みは今のところ感じない。廊下に面した庭では夜通しの篝火に蛾などの虫が未だ集り(たかり)、弓や槍を手にした家臣らが警戒にあたっている。 元重の容態を聞けば、未だ予断は許さぬ状態で、ここ数日が峠だという。 「元重さん……あなたという支えがなくなってしまったら……基時さんは、どうなってしまうのです? まだ逝っては、ダメですよ」 届くか定かではないが声をかけ、見舞ったリーディアは邪魔をせぬよう早々に治療の場を後にした。 「何も起こらなければ、一番ですが」 不安を胸に、すっかり明るい――飛空船が向かった西の空を彼女は仰ぐ。 謀反を企て、元重を殺そうとした罪人の遺体は、牢の一角でムシロの上に横たわり、無残を晒していた。 右腕は千切れて骨が剥き出しになり、腹からは戻す気もない臓物がそのままになっている。供えられた線香では隠し切らない臭気が鼻をつき、後ろで伊之助が顔を背けた。近寄れば暗い石畳の上を小さな虫が散って逃げ、伝助は感情のない骸(むくろ)の表情をじっと窺う。 (そこまでして、貴方は一体何を求めていたのですか?) 銃の暴発は果たして事故か、口封じか。はたまた己の死すら、策略の一部か……疑い出せばキリがなく、あるのは物言わぬ骸のみ。だが香の一つを取っても、屋敷内にアヤカシと通じる者の気配は薄かった。 「怒るだろうけど……今なら誰も、いない……から」 乾いた声に振り返れば、落ちつかなげに伊之助が小さな巻紙を差し出す。伝書鳩の足に付ける程の紙を伝助は手の平で転がし、遺体と少年を見比べた。 「誰にも気取られず、伝助にって……俺、ゼロを……刺したし……。あっ、預かった時のままで、中身は……」 無名の輩に『踊らされた』過去を思い出した伝助は、黙って首を横に振る。短い紙を広げれば、「空に在りて空に無く 人ヶ道、袋之小路が如し 妖ヶ道、人外之修羅道にて候」と一文だけがあった。 「これが、答え……でやすか」 遺体に問うても、返事はなく。 巻紙を懐へ仕舞い、屋敷の守りを固める為に伝助は牢を出る。 ただ一度、鋭い耳が多足の虫が這うような音を捉えたが、振り返ってもアヤカシに組した男の骸が静かに朽ちるばかりだった。 「かは……ッ!」 蜘蛛の鉤爪を正面から弾いた蒼羅の胴を、別の手が深々と貫いた。 間合いを取ろうにも鉤爪は抜けず、更に鋭い痛みが背に走る。 「放し、なさい!」 舞うようにアグネスは爪を紙一重で避け、餓鬼蜘蛛の懐へ飛び込み。 手足の付け根を狙い、短銃「黒牙」の引き金を引いた。 ギチギチと軋む音を立てるも、動きの鈍った足は獲物は捉えたまま。 「でえぇいッ!」 力を溜めた一撃を蒼牙が加え、アヤカシは蒼羅を解放する。 「よしッ」 今が好機と仄は深手の蒼羅を抱えて退き、追う鉤爪は黒い障壁に遮られた。 「この先は通さない!」 結界呪符「黒」で背後の村人や討伐隊を守っていた那由多が、続けて蒼羅に治癒符を飛ばす。 獲物を奪われて吠える背中の口に、鋭い氷柱が槍の如く打ち込まれた。 「こいつも、おまけだっ」 式を放った劫光は、加えて天狗礫を投げつける。 並ぶ目をアグネスが撃ち、蒼牙や仄が動きの鈍った足を一本ずつ断ち。 足掻きに足掻いた末、ようやく不気味な蜘蛛アヤカシは塵と化した。 仄が蒼羅の傷を改める間に、劫光や蒼牙も津々らに怪我がないか確かめに行く。 緊張を解かず、何者かの『目』がないかアグネスと那由多が周囲を警戒していると。 ――ククッ。 微かに、嘲笑う気配がした。 「……誰?」 「この声、は……」 空耳か否か、確信もないまま視線を走らせる二人の上に、巨大な影が落ちる。 多足の長い蟲を思わせるそれは、緊張に身を強張らせた二人の影を覆い隠し、音もなくスルスルと移動した。 金縛りの如く動けぬ身を振り切るように、意を決して頭上を仰げば。 そこには木漏れ日が差し込む梢が折り重なり、広がっている。 「今の、幻じゃないわよね?」 「だと思います。あの声……『野良』、か?」 しかし仲間にも討伐隊にも、声や影に気付いた者はなく。 「てめぇら、無事か?」 山裾で残る蛾を引き受けたゼロが追いつき、悲鳴に駆けつけた者達へ首尾を訊ねた。 ○ 多少の犠牲はあったが、最小限の被害でアヤカシの襲撃は退けられた。 天見屋敷でも開拓者の動きに警戒したのか、異変が起きる事はなく。 元重は一命を取り留め、左門の遺体も早々に荼毘に付す事となる。 そして幾人かの胸中には、不穏な気配が重い影を落としていた――。 |