春霞桜酔 温泉宿
マスター名:風華弓弦
シナリオ形態: イベント
危険
難易度: 普通
参加人数: 25人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/04/30 17:15



■オープニング本文

●春の誘い
「神楽の都も、すっかり春だな」
 一面に広がる桜の光景に、崎倉 禅(さきくら・ぜん)がしみじみと呟いた。
 ひらひらと散る花びらを追いかけて、藍一色の仔もふらさまが駆け回り。崎倉の足元には、相変わらず小柄な少女サラがくっついている。
 去年の年の瀬、師である小斉老人が隠居していた武天の佐和野村がアヤカシの鬼に襲われる騒ぎがあった。
 村人を逃がそうとアヤカシの足止めをした小斉老人は落命し、首謀の鬼が退治されたのは今年の二月。それから崎倉はずっと、佐和野村に残っていた。
 師の死を悼んで四十九日の喪に服していたのもあるし、動揺の収まらぬ村人を落ち着かせる為でもある。
 そんな田舎の小村にも春の兆しが訪れたのを見て、ようやく崎倉が居を構える神楽の都へ戻ってきたのだった。

 久し振りとなる神楽の街並みを崎倉は眺めながら、途中で酒の肴やサラの桜餅を買い求めたりして、ぶらぶらと歩き。
 見慣れた長屋へ辿り着くと、相も変らぬ顔に出くわした。
「よぅ、久しいな。まだ、無事に生きてたか」
「お? てめぇ、帰ってきやがったか。俺はまた、あのまま佐和野村で隠居するのかと思ったぜ」
 ちょうど井戸端で水を汲んでいたゼロは、崎倉の顔を見た途端にけらけらと笑う。
「んで、ちっこいのも変わりなく、くっついてんのか」
「そんなところだ」
「よかったな。鬼に浚われたり、はぐれたりしなくて」
 笑いながら釣瓶を引き上げたゼロは水を水瓶に移し、彼の動作を見ていた崎倉が奇妙な顔をした。
「その腹、どうかしたのか」
「あ〜……コイツは、ナンだ。ちっと依頼でいろいろあって、しくじった」
 苦笑しながら、ゼロは肌蹴た着物から覗く傷跡に手をやる。
「ふむ。良ければ、傷に効く温泉でも紹介するか? 今の時分なら、露天から見える桜が綺麗だろうしな」
「温泉で花見……のんびり湯に浸かって桜を眺めつつ、一杯引っ掛ける、か。寝ぼけていた春もやっとソレっぽくなってきたし、通り過ぎないうち湯治に行くのもいいかもしれねぇな」
「ほぅ? それはまた、お前らしくないというか。身体を気遣うようになったせいか、はたまた単に温泉浸りになりたいだけか……」
「うっ、うっせぇ、ほっとけ!」
 にやにや顔の崎倉に冷やかされ、乱暴に井戸へ釣瓶を落としながらゼロが口を尖らせた。
「でも温泉で花見で……とか言うと、汀なんかも喜んでついてくるだろうなぁ。それに、てめぇだって神楽に戻ってきたばかりだろうに、案内とかいいのか?」
「旅歩いているのは常からだし、構わないさ。汀にも声をかけてやればいい。節分に、佐和野村を賑やかしてくれた礼もあるからな」
「春の陽気に、賑やかなれば楽しかろう……か」
「そんなところだ。面倒なら、誘いは俺がかけておくぞ。お前の名だと遠慮するのがいるかもしれないからな」
「ばっ、何を遠慮するってんだッ!」
 ムキになれば再び崎倉はからからと笑い、からかわれたと悟ったゼロが喉の奥でぐるぐると唸る。
「全く、久方振りに顔を合わせたと思ったら……で、ドコにあるんだ。その、傷に効く温泉とかってのは」
「武天の片田舎、穂隠(ほがくれ)という村だ。刀傷を癒すのに刀や槍を収めよと、『刃や穂を隠す』のが謂れ(いわれ)らしい」
「穂隠……か。まぁ、温泉があって酒と肴が美味けりゃあ、後は寝床があればいいか。桜の褥(しとね)も、また粋だが」
「そうだな」
 あっという間に過ぎ去る春を楽しまずしてどうすると、長屋の井戸端から澄んだ天を男二人が仰ぐ。
 吹く風に乗ってヒラヒラと、桜の花びらが神楽の晴れた空に舞っていた。


■参加者一覧
/ 柚乃(ia0638) / 有栖川 那由多(ia0923) / 紫焔 遊羽(ia1017) / 静雪・奏(ia1042) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 胡蝶(ia1199) / 鬼灯 仄(ia1257) / 周太郎(ia2935) / からす(ia6525) / リューリャ・ドラッケン(ia8037) / 霧咲 水奏(ia9145) / 劫光(ia9510) / リーディア(ia9818) / 紺屋雪花(ia9930) / エルディン・バウアー(ib0066) / ヘスティア・V・D(ib0161) / 琥龍 蒼羅(ib0214) / シルフィリア・オーク(ib0350) / ケロリーナ(ib2037) / カメリア(ib5405) / 叢雲 怜(ib5488) / パニージェ(ib6627) / 黒蛇(ib9182) / アクア・J・アルビス(ib9183) / エルシア・エルミナール(ib9187


■リプレイ本文

●片田舎の湯治村
「ここの温泉、刀傷や怪我に効くんですね。出来れば、合戦の後に来たかったです」
 咲き誇る桜や一面の花々とは逆に、しょんぼりと真夢紀がしぼんでいた。
「あと朋友も入れる温泉なら、よかったのに」
「朋友は大きな子もいるからねぇ。片田舎の村にある宿だと湯船は広くないだろうし、小さな子だけ温泉ってのも寂しいものさ」
 シルフィリアが真夢紀をなだめるが、表情は冴えず。
「それとも、あたいと一緒にお風呂に入るのは物足りないとか? 確かに、もふもふな毛皮はないけど」
「そ、そんな事、ないですっ」
 困り顔な相手に、慌てて真夢紀が首を横に振った。返事を聞いた途端、嬉しそうにシルフィリアは微笑み、ウインクをする。
「もふもふ……じゃなくて。温泉、怪我に効くのですか?」
 しょんもり顔の柚乃に、気付いたシルフィリアが小首を傾げた。
「あなたも怪我?」
「先日、お腹をアヤカシの手刀でグサッとされたので……傷が残ったりしませんようにっ」
「それは大変。乙女の柔肌に、傷跡が残ったら……ねぇ」
 祈る言葉に、青い髪をふわりと撫でてシルフィリアが慰める。
「でも、きっと大丈夫よ。桜も温泉も、楽しまないと勿体ないよ」
 差し込む春の陽光に、束ねた艶やかな黒髪をシルフィリアが揺らして笑んだ。

「くり、から……からみから?」
「クリノカラカミ、聞いた事ないです?」
 訊ねる竜哉に、村の老翁は白い顎鬚を撫ぜながら唸った。
「覚えがないのう。おぬしはどうだ」
「はて」
「栗は好きじゃがなぁ」
 縁側でのんびりと茶を飲む老人達は、一様に顔を見合わせる。
「それなら、この辺りに伝わる昔話などは?」
「何かあったかのう」
「生意気坊主には『大人しくせんとアヤカシに喰われるぞー』と、おどかしたもんじゃが」
「昔からこん温泉じゃあ、敵同士がばったり顔を合わせても『刀や槍を隠せ隠されたー』言い合って、喧嘩せんしな」
「かかぁとの喧嘩は、よーするがの」
「そりゃあ、若い女の尻ばーっか追いかけよるから」
「……そうですか」
 かくしゃくとした老人達の話に竜哉は内心で苦笑いをしながら、礼を通していた。
「全く、お爺さん達は。茶のお代わりは如何です、旅のお方。甘いのがお好きでしたら、栗羊羹でも切りましょうかねぇ」
「お構いなく。成程、温泉町として栄える事もない片田舎の村……か」
 気遣う老婆に竜哉は会釈をし、今ものどかな片田舎の村たる由縁を悟りながら、日なたの縁側での年寄り話を切り上げる。
 外に出たところで、不意に旅装束の人影とぶつかりそうになった。
「……失礼」
「こちらこそ」
 咄嗟に半身をずらして避け、同様に足を踏み変えた少女も長い栗色の髪をふわりと揺らして短く詫びを交わす。ふと何故か竜哉は妙な違和感を覚えたが、その場を後にした。
(バレなかったかな)
 残された雪花は豊満な胸に手をやり、何も聞かれなかった事に安堵する。それから着物の襟を整える振りをして、布を詰めて大きく膨らませた胸に不自然がないか密かに改めた。
「大丈夫か。さてと、確か宿は……」
 気を取り直すと、彼は周囲に注意を払いながら宿への道を急ぐ。

●花と湯煙に誘われ
「温泉で、ございますですか」
 誘いの文面にエルシアが零したのは、逡巡の呟き。しかしある種の覚悟を決め、穂隠の村への旅路に加わっていた。
「傷に効くというのでありますれば……浸かってみるのも、良さそうでありまするですな」
「身体の傷は、なかなか消えにくいものだからね」
 エルシアの独り言にからすが神妙な顔をし、ケロリーナは小首を傾げる。
「そうなんですの〜?」
「ああ。そして、特に女性の肌は美しく保たねば」
 エルシアより十ほど年下であろう少女二人だが、やはり「女性」というべきか。
「傷を治すというより、温泉そのものと桜に誘われたか」
 からりと笑う声にエルシアが見やれば、少女サラを連れた崎倉が道に沿って植えられた桜の傍を散策していた。
「湯が傷に効くという事は、人が持つ本来の治癒力や回復力を助けるという事。美容に効くかは定かではないが、肌の張りなどに関わってくるとは思わないかね?」
 聞き止めたからすが視線を投げ、崎倉は肩を竦める。
「気にする歳でもなかろうに」
「こういう事は、日頃の努力が大事なのだよ」
「ふわぁ……何だか、おとなって大変ですの〜。でも、武天にはいろんな温泉あるですのね」
 達観したからすの返事に感心しながらケロリーナは宿の門をくぐり、それから急に駆け出した。
「ゼロおじさま〜♪」
「皆、遅かったな。桜見物でもしていたのか?」
 先に宿へ着いていたゼロがケロリーナに抱きつかれながら訊ね、旅装を解いたリーディアも夫の傍らでぺこりと会釈する。
「夫婦揃って、庭の散策かな。睦まじいところ邪魔をしたようだ」
「そんな風に言われると照れるのです」
 礼を返すからすにリーディアが頬を染め、やはり宿の庭を回る汀がひょこと近付いた。
「もしかして、あたしもお邪魔だった?」
 こっそり汀に聞かれ、リーディアはぐっと拳を握る。
「そんな事ないですよ。賑やかなのも、楽しいです」
「賑やかと言えば……汀ちゃんは流石に、女湯に入るのかな」
「え?」
 不意に奏から話を振られ、きょとんとする汀。
「一緒に湯浴みする?」
「……はへっ!?」
 悪戯っぽく那由多が誘えば、途端にわたわたと手を振り回し始め。慌っぷりに、からかった那由多もくすりと笑う。
「……って、冗談。また後で」
 すれ違いざま友人の肩を小突き、横目でじぃっと見。
「お前も、ちゃんと浸かれよ?」
「てめぇ……お互い様だろっ」
 ゼロがむぅと膨れ 那由多は少し視線を泳がせた。
「奏さんと仄さんも、お大事に」
「気遣い、ありがとう」
「そっちこそ、いたわれよ」
「ありがとう……ございます」
 同じ依頼で傷を負った奏と仄にも那由多は頭を下げると、足早に部屋へ向い。
「では、私も休みますです」
 続いてエルシアも一足先にと詫び、宿へ入った。

「早いな、一番風呂か?」
 男湯を出た蒼羅が振り返れば、やってきた劫光が挨拶をする。
「旅の疲れをほぐそうと。夜になるほど、賑やかだろうからな」
「異論ない。でも湯につかって一杯ってのも、いいもんだよな。温泉に酒と肴がありゃ、何もいう事ねえや」
「普段は飲まないが……偶に飲むのも悪くはない、か」
 猪口を傾ける劫光の仕草に、蒼羅も思案顔を緩めた。
「百薬の長と、傷に効く湯だ。身も心もさぞ癒される……逆に、騒ぎ疲れるかもしれんか」
「騒がしいのは、見ているだけでいい」
 言って蒼羅が視線を投げた先には、外から戻った者達の姿があった。神楽の都を離れてもなお、ゼロの周囲は賑やかだ。
「あれは、うん。湯上りにすまなかった、湯冷めをしては毒だな」
「問題ない」
 賑やかな声を背に、一人部屋へ戻る蒼羅を見送った直後。
「おや? ほら、怜。パパだぞ〜」
「あっ、パパ〜♪」
 元気良く駆け寄ってきた足音が、どむんっと彼にぶつかって止まった。
「なっ、誰がパパだっ!?」
 劫光が状況を把握する隙もなく、抱きついた怜が顔を上げる。
「パパが、パパだよ!」
「おやおや、劫光殿。いつの間に、そんな大きな息子さんを……」
 通りがかったエルディンがふむふむと頷き、身を屈めて怜と目線を合わせる。
「ところで劫光殿がパパさんという事は、ママさんは?」
「あっちだよ。ママ〜、パパがいたよ〜っ!」
 振り返ってゼロ達の方へ手をぶんぶん振れば、笑顔でヘスティアが手を振り返す。
「お前……っ」
「ふふ〜ん」
 うろたえる相手にヘスティアは満足げにニヤニヤとし、戻ってきた怜が彼女に抱きついた。
「いつの間にか、劫光さんに息子さんがいたんですね」
「いや、いないからっ!」
 微笑ましい光景にリーディアがほわほわと和み、狼狽する劫光の主張をヘスティアは綺麗に聞き流す。
「義理とはいえ、息子は可愛いよ〜。羨ましかったら、リーディアも頑張る事だな」
「頑張る……えへへ、頑張ります」
 照れながらリーディアは赤くなった頬に手を当て、嬉しげに抱きついた怜の頭をヘスティアが撫でた。
「それにしても。この温泉では、あまりご老人方を見かけませんね」
「地元の者なら、共同の湯場なんかを使いそうだからな」
 気を取り直した劫光の返事にエルディンはぽむと手を打ち、何やら納得顔をする。
「劫光殿の仰る通りですね。どうも天儀の温泉というと、ご老人達が昔の話に花を咲かせながら、のんびり裸の付き合いを……という印象がありまして」
「それも間違ってはいないが」
「でも、それはそれで参りました」
「何が?」
「それは、秘密です」
 小首を傾げた劫光へ、エルディンはきらきらと『いい笑顔』で言葉を返した。
「でも混浴風呂へ来て下さったら、喜んで懺悔のお相手を致しますから……もちろん、人生相談なども遠慮なく」
「だから、俺は『パパ』じゃない」
 意味深な笑みのエルディンへ、念のため主張しておく。
「な、からかうと面白いだろ?」
「ホントだね、ママ! でもパパ、ママは俺のだからな〜!!」
「だから、そっちの二人はだな……!」
 どこまでも仲の良いヘスティアと怜の親子に、遊ばれた劫光が脱力した。

「でもね。水着よりはマシだと思うけど、湯浴衣も……どうかって気はするのよ」
 気乗りしない表情で、畳に広げた白い湯浴衣を胡蝶が睨んでいた。
「私は温泉宿、初めてですよぅ。楽しみです〜」
 一方でカメリアはわくわくと湯浴衣を胸に合わせ、それからふと外へ目を向ける。
「そろそろ、ジルベリアも雪が融ける頃でしょうか」
 ぽつりと零した言葉に、自然と胡蝶の視線も彼女の先を辿った。
 さすがに部屋から温泉は見えないが、宿を囲んで咲く桜が目に入る。
「そうね。花が咲く時期は、もう少し先でしょうけれど」
「はい。ですので、ちょこっとの間、里帰り……の前に、天儀の春を満喫しに来ました♪」
「里帰り、か」
 春らしさを漂わせる花とは逆に、呟いた胡蝶の表情が微かに曇った。
 伏せてはいるが、故郷に戻ったとしても土産話をする相手はない。常日頃は神楽の都の騒々しさや日々の慌ただしさもあって、思考の片隅に追いやられている事だが。
「それにしても、天儀人の温泉好きには改めて呆れるわね」
 重い思考を振りほどくように、肩にかかった髪を胡蝶は背中へ払う。
「バーニャで汗を流すのもいいですけど、程よいお湯に浸かって、ゆったりするのもいいですよねぇ。ふわっと、身体が軽くなるような感じがするのですぅ」
 ほんわりとカメリアが微笑み、すまし顔で胡蝶も咳払いを一つ。
「心地よさは否定しないわ。宿に着いた早々に温泉へ繰り出す気持ちは、分からないでもないから」
 そこへ温泉へ向う者達の賑わいが聞こえ、廊下を見た二人は互いに小さく笑んだ。

●湯煙に花香漂いて
「ぱにさん、ぱにさん見てやほら♪」
 ちらほら降る花びらの雨にはしゃぐ遊羽は、溢れた湯が濡らす洗い場をぴたぴたと裸足で急ぎ。
「ひゃ……っ?」
「姫っ!」
 水を踏んで滑りかけたところを力強い腕に支えられ、しっかと遊羽も湯浴衣の袖を掴んだ。
「わわ、……こ、こけてへん! 平気やで!?」
 腕にしがみついて主張すれば、鉄紺の瞳が案じて覗き込む。
「……平気やよ、ぱにさんのおかげで」
「よかった。足元に気を付けて、姫」
「それ……」
「ん?」
 紅葉の下でも聞いた言葉に、遊羽は頬の火照りを覚える。
 あの時に伝えた想いの答えは、まだ……だが。
「ううん、なんでもあらへん」
 赤いまま微笑んで、彼の腕へ手を添え。
「天儀に着いて、もう一年……また、桜の季節になったのだな」
 春の景色を、感慨深げにパニージェが眺めた。
 一年前に満開の桜を目にした時、彼は独りだった。だが季節をが巡り、またこうして桜の頃を迎えてみると、人と人との繋がりは実に摩訶不思議だと思えてくる。その際たるは……。
「あら? えらい、かいらしい飾りつけて……」
 白い指で彼の髪に触れ、くすりと笑む指先には、ひとひらの花びら。
「……おや。これはお前へのプレゼントだよ、遊羽」
「ゆぅに? おおきに」
 嬉しそうな遊羽の笑みに、自然とパニージェも目を細めた。

「温泉♪ おんせーん♪ 楽しみでー……わぁっ、広ーいっ!」
「アクアの姐さん、あんまりはしゃぐと滑って転ぶぞ」
 言葉半ばに洗い場を走り出しそうなアクアの背へ、黒蛇が釘を差す。
「ところで、この浴衣とか着ける必要あるんですか?」
「実は浴衣を着ると、傷が早く治る効果があるらしーぜ」
「本当ですか?」
「嘘だ」
 一瞬、興味深げに瞳を輝かせたアクアへ間髪おかず否定した。
「それより、裏返しに着るなよ?」
「き、着ませんよー。そんな初歩的な間違い……」
 拗ねながら確かめる彼女の様子を、黒蛇は面白そうに眺める。底抜けに明るく、かなり天然で、見ていて飽きない相手だからこそ『餌』で誘ったのだが。
「よく恥ずかし気なく、ついてきてくれたもんだな。姐さん」
 それを聞いたアクアはつつっと背後へ寄ってきて、湯浴衣の後ろ襟(えり)をつついた。
「だってそれは、黒蛇さんが背中の鱗を見せてくれると言ったからー」
「湯船へ浸かる前に洗った方がいいから……流すか?」
 肩越しに黒蛇が冗談めかせば、逆に意欲満々なアクアに頷かれる。
「見せてくれるんですね、触っていいんですね?」
「見るだけなら、いくらでも見せてやるよ。ただ、剥がすんじゃねーぞ」
「わぁー、面白いですー!」
「って、姐さん。聞いてねーだろっ」
 黒蛇の訴えも、湯浴衣の上から蛇の鱗を触れ、襟を引っ張るアクアの耳には届いてなさそうだった。

「ほ〜ら。しっかり洗って、綺麗にな〜」
 水着を着たヘスティアは上機嫌で、背を向けて座る怜を洗っていた。
「えへへ。ありがと、ママ」
「ふふ、怜はいい子だ。せっかくの愛息子との温泉旅だからな……泡、目に入ったりしてないかい?」
「うん、平気っ」
「こらこら、こっち向いたら流せないだろ」
 振り返ろうとする怜を撫でてから、桶の湯をかけてやる。全ての泡を流してサッパリすると、怜がぎゅっとヘスティアに抱きついた。
「本当に仲がいいですね」
「うん。俺とママは、ラブラブだもんな〜♪」
 微笑ましげなリーディアに、得意げな怜がヘスティアにくっつく。
「で、劫光殿、懺悔は?」
「だから、しないって」
「仕方ありませんね。では……」
 からかうエルディンは酒杯を傾ける劫光に、思いっきり期待の視線で訴えた。
「飲むのか」
「持って来ようとは思ったのですが」
 桜に浮かれて忘れましたと、明るくエルディンが笑う。
「極辛純米酒だが、いいか?」
「ヴォトカもあるが。如何かな」
 訊ねる劫光に、横からからすが持ってきた瓶を提供した。
「お、持ち寄りで酒盛りか。こっちは古酒があるぜ」
 酒の匂いにつられた仄も混ざり、酒宴の席と貸した混浴露天の一角に胡蝶が呆れる。
「後は酒宴と思ったら、この酔っぱらい連中はもう……人様に迷惑かけるようなら、締めるわよ」
「人を盾にして気炎を吐かれたって、痛くも痒くもないぞ」
 何故かカメリアの後ろから顔を出す胡蝶を、仄がからかう。
「これは仕方なくよっ。それに、出ると……嫌じゃないの……身体の線、とか」
 言葉の半分を胡蝶は口の中で呟き、ほっこりとカメリアが笑む。
「でも飲んでる皆さん、楽しそうですし〜」
「あっ、ちょっと待っ……」
 とてとてとカメリアは酒盛りへ混ざりに行き、隠れる胡蝶も必然的に後へ続いた。
「賑やかだね」
 葡萄酒を片手にゆったりと寛ぐシルフィリアは洗い場へ立ち、余った葡萄酒で肌を磨き始めた。
「お酒で洗うんです?」
「こうすると、珠の肌になるのさ」
 驚く真夢紀へ説明しながら、シルフィリアは手を休めず。
「これを流したら、今度はゆっくり全身をお湯に浸かって。お風呂あがりに、手作りの美容液で仕上げかな」
「凄いですね」
 感心する柚乃に気付いたシルフィリアが、小首を傾げた。
「興味があるかい? よかったら、全身の美容マッサージをしてあげるよ?」
「美容……いいんですか?」
「おとなに近付けるなら、けろりーなも興味ありますの〜」
 目を輝かせるケロリーナにもウインクを投げる。
「いいわよ。でもあなた達のお肌、もっちもちのぷにぷにじゃないさ」
 少女二人をシルフィリアが褒め、美容の話題と縁遠い真夢紀は不思議そうな顔をしていた。
「あぁっ、エルディンさん、カメリアさーん!?」
 そこへ混浴の一角が急に騒がしくなり、近くにいた奏に真夢紀が訊ねる。
「どうかしたんです?」
「温泉で酔いが早く回ったのかな? 二人ほど、潰れたちゃったみたいだ」
「それなら、氷が要りますねっ」
 奏の答えを聞いた真夢紀は、いそいそ水を汲みに行った。

●夜に秘めし
「少々早くはありまするが、祝言を挙げて早一年。久方ぶりにゆっくりと、温泉旅行でも参りませぬか?」
 そんな風に誘ったのは、妻の水奏からだった。
「旅行でも、って言われて良いなと思ったが……そうか。結婚して一年……まだまだそんなの、先だと思ったがなぁ」
 少し早めの記念日に、感慨深げな周太郎が夜の闇へ目をやる。篝火が照らす桜は、ぼぅと幻の如く浮かんでいた。
「懐かしいよなぁ。憶えてるかい、一緒に行った花見は……あの時は、まだ近くて遠かったよな」
「はい……あの頃は、水辺に映る月を掴む想いに御座いましたよ」
 周太郎の傍らで、水奏も日々を振り返る。
「やはり、花は美しいものに御座いまするなぁ。散り行く様もまた然り。寂寥よりも、次に咲く日にまた想いを馳せる……」
「連翹(れんぎょう)の後、風が運んでくれた花。募(つの)りに募るは色待宵草……か」
「風薫り、春日に誘われまた一つ。想い募りて貴方に捧ぐは山桜……」
 夫の言葉を継ぎ、桜を見つめる水奏がふわりと笑んだ。
「こうして同じ時を幾度と過ごせば地に花が降り積もるように、想いもまた積もり。ただただ幸福にと、自然と微笑み零れてしまいまするよ」
「ああ、零れるぐらいがいい。そこから、また花の芽が出るさ。土が枯れないよう、そうしてやらなきゃいけねぇ」
「微笑みの種……そして、花にございますな」
 これからの日々も、二人そうして花で彩っていければ……そう思いながら、口を開き。
「夜風は、まだ冷えるな」
「まだ、夜は冷えまするな」
 どちらともない言葉に顔を見合わせ、笑う。
「ちっと酒でも入れるか……俺達と一緒じゃ、酒もすっかり気が抜けちまうかもしれないが」
「酌を致しますよ、周殿。もう少し──温もり求めても、構いませぬかな?」
「勿論だ、水奏」
 周太郎が手招けば水奏は寄り添い、安らぐ腕の中で銚子を傾ける。まずひと息に酒を干した周太郎が、今度は妻へ杯を向けた。
 睦まじく一つの杯を二人交互に酌み交わし、桜の風景を共に記憶へ刻む。

 別の一室でも、寄り添って時を惜しむ姿があった。
「紅葉に花見、色々付き合ってもろてばっかりやな……」
 呟いた遊羽はお礼代わりと澄酒「清和」を杯へ注ぎ、パニージェもまた返杯する。
「でもおおきに、どないしてもぱにさんと来たかってん♪」
「一緒に来たかったのは、俺も同じだ。有難う」
 その言葉だけで遊羽はふにゃりと微笑み、両手で持った杯をくぃとあおった。
「……早いな」
「ぱにさんと一緒やと、お酒も美味しいんよ」
「そうか。では、今後とも宜しく頼む、よ」
 言外に思いを秘めてパニージェが告げれば、知ってか知らずか遊羽は嬉しそうに頷いた。
 やがて酔いか旅の疲れか、遊羽が舟を漕ぎ始め。
(不確かな事は言いたくないし、俺は「愛」やら「恋」やらはまだ判らん。だが。お前が大事で、お前を護りたい。これは本心だ)
 布団へ寝かせたパニージェは穏やかな寝顔を肴に、しばし酒を舐める。

「カメリアとエルディンは大丈夫かい?」
 風呂場で倒れた二人の具合を奏が聞けば、様子を見てきた劫光が頷く。
「酔ったのと、のぼせただけだ」
「うにゃむにゃ……ですの〜……」
 寝言を呟くケロリーナの手から、握ったペンを胡蝶が取り上げた。
「禅。私では運べないから、頼んでいいかしら」
「そうだな」
 眠気に負けたケロリーナや柚乃、真夢紀らに崎倉が苦笑し、高いびきの仄をからすがチラと見。
「あれは、薬草茶を流し込んでもいいけど」
「放っておいても大丈夫よ」
 呆れ顔の胡蝶に笑いながら、からすは仄にも毛布を掛ける。
「手伝うよ。布団で寝ないと美容にも悪いからね」
 崎倉に声をかけたシルフィリアは真夢紀を軽々と抱き上げ、奏も少女らを運ぶのを手伝った。
「こっちも、寝たか」
 酌をしていた怜がくっついたまま眠ったのをみて、ヘスティアは膝枕をしてやる。
「本当に、可愛いよな」
 眠る子の温もりに触れるうち彼女もごろりと隣へ寝転び、息子を抱いて目を閉じた。

 黒蛇と飲んでいたアクアは、騒いだ末にぱたりと先に倒れた。
「仕方ねーな、姐さんは」
 警戒心もなく、肌蹴そうな着物に呆れながら、黒蛇は蹴飛ばした布団を掛け直す。
 一方、独り静かに思いを馳せる者もまた。
「皆、騒がしく飲んでいるのだろうな」
 遠くの喧騒を肴に、部屋にて蒼羅は酔わぬ酒の杯を重ねていた。
 女湯ではエルシアが、湯煙に溜め息を混ぜる。
「これが男なら、傷の多さを誇れたりするのでありましょうか。しかし女の身でそういうのは、どうなのであるでしょうか」
 軽い鍛錬の汗を流したエルシアの身には、数え切れぬ古傷が刻まれていた。湯浴衣を着ても、全てを隠し切れぬものではなく。
「肌を隠すのも、中々大変なのであるのです」
 濡れた指先で左頬の傷跡をなぞり、心地よい湯の温もりにエルシアは身を委ねた。
 同じ頃、男湯では雪花が桜に物思っていた。
「成程。良い眺めだな」
 目蓋を閉じれば、遥か幼い頃の記憶が雪花の脳裏へ鮮明に蘇る。
 父より初の『使い』を言いつけられ、一人で山を一つ越えた村へ赴く事になったあの日。
 それを知った幼馴染の親友は好奇心に目を輝かせ、「己も着いて行く」と引かず。雪花も断り切れず、少年達は二人で山を越える事にした。しかし親友の方向音痴もあって、山道に迷い――。
(満開の桜の木の下で二人座り込み、お互い励ましあったっけ)
 幼馴染が行方知れずとなる前の、懐かしい思い出。
 やがて大きく深呼吸をし、雪花は湯船から立ち上がった。
 手早く着物へ着替え、部屋へ戻るべく廊下を急いでいると。
「……失礼」
 ちょうど角でぶつかりそうになった相手へ雪花が詫び、避けた先方も「いや」と短く応じた。
 すれ違ったのは、僅かな瞬間。
 避けた竜哉は奇妙な感覚に足を止め、遠ざかる少年の背を見送った。過ぎった感覚を追っても詮無く、それよりと竜哉は思案する。
「この様子だと朝湯の方が空いているかな」
 穏やかに風情を楽しむのならばそれが良いと、彼は部屋へ戻った。

「汀ちゃん、この間の菓子、ありがとう。これはその礼なんだけど」
 夕食の後で那由多は汀に声をかけ、銀の手鏡を手渡した。
「お礼って、でもこれ?」
「悪い事を跳ね返す、お守りに」
「あたし……いつもいっぱい、貰ってばっかりなのに。ありがとう那由多さん、大事にするねっ」
 礼を言って照れる少女の笑顔に、胸の奥が暖かくなる感覚を覚える。
(小斉さんが亡くなった時、思い知った。今はただ……君の平穏を祈って)
 明るい笑顔を思い返しながら、男湯で那由多は、湯に身体を預けていた。
「傷は……人に見せるもんでもねぇからな」
 それでも、背中と腹に残る傷跡を悔いた事も恥じた事もない。
 ただ……自分の至らなさを誤魔化そうとも、思わない
(ゼロには守るモノがある。だから危険は遠ざけてやりたいし、どうせ死ぬなら俺の方が余程いい)
 だが友は何より、それを望まぬだろう……あくまで、二者択一を迫られた時の事。
「何より、あいつの想いには報いたいっつーか。そもそも、カタが着くまでは意地でもくたばってやらねぇけど、さ」
 見上げる月と夜桜だけに、独り那由多は胸の覚悟を明かした。

「桜を見ながら一杯、いかがです?」
 ぼんやりと夜空を仰ぐゼロへ、酒々「嫁」を手にリーディアが訊ねる。
「せっかくだし、貰うか」
「はぁい。お酌しますね」
 人気のない混浴で二人で湯に盆を浮かべ、満開の桜を眺めながら杯を傾けた。
「ふあ〜……極楽なのです♪」
「勢いあまって、寝ちまうなよ?」
 隣に寄り添い、頭をもたせかけるリーディアは、ふと襟を大きく開いたゼロの湯浴衣に気付き、頬を染める。
「ん?」
「い、いえっ。何だか湯浴衣が新鮮と言うか、はだけそうというか……」
 いつも着流す着物と変わらないのだが、何故か色気があるように思え。意識をすれば、布越しの薄い傷跡にどうしても目がいって。
「……早く治りますようにっ」
「有難いが、急にどうした」
 リーディアはパシャパシャと夫の腹に湯かけ、くすぐったそうにゼロが笑う。


 様々な者の思いを包み、煌々と月輝く夜は更け。
 散りゆく桜は惜しみなく、風に花びらを舞わせていた。